12.29.1999

ミレニアム正月をニセコで

ミレニアム正月をニセコで
毎日スキーをはいた

ニセコアンヌプリ
 
1999-12/29-2000-1/4

member モンベルなべ 春水 みか ゆうこさん 山田さん 川崎博 汽車

12-29 朝いちで羽田をでた。千歳空港には予定どおりのメンバーがそろったが、レンタカーの借り出
し、野菜の購入などで結局昼飯を食べてから千歳市内をでることになった。雪道をこわごわと飛ばす
。藻岩のウッドペッカーには3時着。なべ、川崎、みかと2本ほどスキー場をすべる。魔法の山の和久
津氏が滑っていた。宿には西原夫妻とあかちゃんがいて賑やかだった。SOSの深雪講習会があると
かでスタッフのひとたちがいました。
12-30
深町さんがきてチセで滑る。バックボウルと西側の尾根などを滑る。まずまずの雪。よい写真もとれ
ました。
12-31
朝いちで五色温泉に移動。前夜から移動していた組と合流。そのままイワオヌプリをめざす。ガスで
視界わるし。1時間すこしで頂上に着くも、様子がわからず来た道を滑りくだる。本日より自炊生活
。春水さんが腕をふるってくれる。ぼくらは皿洗いのみ。
1-1
天気よし、風強し。藻岩の見返り坂を滑り込む。かなり大きな雪崩がでる。アンヌプリからヒラフの
最高リフトにのりつぎアンヌプリ頂上へ。なべちゃんと北壁に入る。そのほかの同行者は登ってきた
壁をスキー場へと降りる。北壁途中で五色温泉にトラバースして、さらに藻岩へ滑り込み、3時にメン
バーと合流。藻岩の頭から五色温泉にもどる。スキーリフトを活用したラリールートだ。
1-2
天気不良。車でひらふへ移動。最高リフトから東尾根にトラバースして林道まですべる。深い雪、急
な壁。川崎さんとアンヌプリ頂上に2時着、待ち合わせのメンバー現れず、コンパスをあわせガスの
なか西壁にむかう。はじめてのルートだがなんのこともなくすぐ西壁に入る。上部は堅いバーンだっ
たが途中から上質なパウダー、さらに湿雪にかわる。毎日暖かいのだ。夕景のイワオヌプリが素晴ら
しい。3時半には五色温泉にもどり温泉。遅れてメンバーがあちこちから戻ってくる。なべちゃんは遅
れて西壁をおりてきたという。窓からみる3人のシュプールが特徴があって面白い。
1-3
深町さんがやってくる。川崎さんと3人でチセにいき写真を撮る。暖かくて風が強くて春のような陽気
。スキーするモチあがらず宿にもどり、麺工房にみんなでラーメンを食いにいく。NACによりクラ
イミングジムを見学して近所のカントリー喫茶でお茶してもどる。
1-4
朝早起きしおにぎりをたべチェックアウト。アンヌプリスキー場から頂上をめざす。手前のピークか
ら大沢に滑りこむ。上部は堅いが下部は重い深い雪。2本目はリフト最上部から大沢に滑りこむ。も
ういいね、とランチ。レンタカー返却組とわかれ川崎さんとバスで千歳にむかう。
狙っていたチセ、ニトヌプリなどには行けなかったが、次回の楽しみ。五色はいろいろと使える宿だ
と思いました。とくに正月時のスキー旅行の好適地は少ないものだが、ここはしばらく通えるかなと
いう感じです。

12.24.1999

平ガ岳敗退

平ガ岳を目指す

大雪で敗退の巻


石塚竜男

 
1999-12/24-28

member 単独
24日昼  尾瀬戸倉到着、鳩待峠に向け出発。登山者先行1名、後行1名(同じパー
ティー)あり、
 積雪ツボ足で膝下。テレマークでくるぶし上。
 同日15:30津名木橋着、テント泊。天候晴れ時々曇り
25日朝  津名木橋発。前日のパーティは、ツボ足のため撤退。
 積雪ツボ足で膝上。テレマークで膝直下。
 同日14:30鳩待峠着。積雪50cm~1.5m。  至仏への稜線北側にテント泊。
 夜間降雪60cm、除雪2回。天候晴れ。昼より降雪、夜間吹雪く。
26日朝 早朝除雪。吹雪のため、停滞とする。除雪1回。夜間除雪1回
 天候一日雪、夜間大雪。
27日朝 夜間の降雪60cm~80cm。至仏への従走路が深雪で埋まり、空荷テレマークで
腿下となる。
 撤退とし、下降を始める。積雪テレマークで膝上。100mに5分~20分必要となる。
 林道を外れるショートカット、なだれるおそれがあるため使えず。ひたすら林道を
歩く。
 津名木沢出合着が14:30。テント泊とする。
 天候昼間で降雪、時々曇り。昼から晴れる。深雪が湿雪になり、困難。
28日朝 晴天。放射冷却のため、テント内で早朝ー18度まで気温下降。
 そのまま戸倉へと撤退続く。積雪上部でテレマークで膝上。下部膝下。
 昼、戸倉着。10時ころから気温急激に上昇。晴天となる。
 林道で、上部急斜面に日照あるところ、落石・落雪あり。通過に神経使う。
 カモシカ発見。
 予備日を一日残していましたが、再び降雪あると脱出困難なため下山しました。


総括。
  この時期の尾瀬エリアは、単独での長躯は困難です。(覚悟してましたが)
  夏・春期なら半日の行程の戸倉~鳩待間も、1泊2日となりました。
  他パーティのトレースは25日以降は一切無し。24・25日に自分でつけたトレース
も、
  27日にはすっかり消え、ひたすらのラッセルとなりました。

  できれば平ヶ岳、悪くても至仏、最悪でも山の鼻までと思っていた自分が馬鹿で
した。

  ただし、帰還時にも、燃料は白ガス700ml、食料3~4日分、下着1セットの余力は
  残しておりました。もう少し、時間的な余裕があれば、至仏までは行けたかもし
れません。

とりあえず、厳冬期は草津、嬬恋や上州武尊山、浅間や北八ツで過ごし、
GW直後にでも再度挑戦したいと考えております。

12.11.1999

FROM JT to PINACLES

FROM JT TO PINACLES

カリフォルニアへのクライミングトリップ1999
ジョシュアツリーからピナクルズへ
ピナクルズにて
 


冬のエリアとしても名高いジョシュア・ツリ-と冬がベスト・・・らしい(誰も知ら
ない!!)ピナクルズへ行って来ました。10日ほど前のマラソン・ダメ-ジが残っ
ていて、二日酔いまがいの頭痛やめまい、ひじと肩の痛み(ガタガタじゃあ)に悩ま
されたりしましたが、ばりばりリ-ダ-シップとバイリンガルのpika、気は優し
くてナントカの用心棒みうら~、気さくななおき&tommyに助けられながら、楽
しく登ってこれました。みんな、ありがとう。

メンバ-:pika(5.11+)、みうら~(5.10-)、tommy(5.1
0)、なおき(5.9)、Chu(5.11-)
**( )内は、ふだん突撃しているグレ-ドの上の方

12/10成田からロスへ。ロスのエアポ-ト近くにできたREIへ寄って初日にあ
るまじき大買い物をしてしまった。レンタカ-のサ-ビス誌に載っていたクライマ-
ズ・ディスカウントがあるYuccaValleyのYuccaInnに向かう。Y
uccaValleyはジョシュアの西端にある町。1ル-ム37ドル。安いので、
岩場まではちょっと遠いが、ここを根城に決めた。

12/11朝9時にR&Sにひょうひょうとしたエッセイを連載している徳地さんが
やってきた。外はサンタアナ・ウィンドとかいう、止まっている車が揺れてしまうほ
ど猛烈な木枯らしが吹いていてとんでもなく寒い。全員モチがガックリ落ちてしまっ
たが、トポに寒い日に向いているとコメントされているIndianCoveのCo
rralWallへ行くことにした。
半信半疑だったが、たどり着くとなるほど、ここは別天地で、ほかで吹き荒れている
サンタアナ・・・はまったく入ってこない。それに壁は南に向いているので、登り始
めると暑いほどだ。ここは手頃なグレ-ドのスポ-ツル-トが並んでいる。とはいっ
ても、ボルトの間隔は遠くて、侮れない。
まず、OnlyOutlawsHaveGuns(5.9+)をpika、徳地、み
うら~がそれぞれオンサイト、tommyとchuが1フォ-ル、なおきがTRで
登った。
Hang’EmHigh(5.10a)をChuがオンサイト、tommy、なおき
がフォロ-。そのあと、pika、徳地、みうら~もそれぞれオンサイト。
ExforiationConfrontatuion(5.9+)はpikaが
楽々オンサイトしたあと、みうら~が粘りのオンサイト、いまいち調子の出ないto
mmyはChuがオンサイトしたあと、TRで登った。なおきもTRでらくらく。
ディアブロからモカシンに変えたら一気に足が乗るようになったようだ。
星付きのSixGunByMySide(5.10a)を登りたかったが、なん
ちゃってブラピが独占していて叶わなかった。これが、ものすごく似ていて、聞いて
みようかとホントに思ったけど、まさかなあ・・・。ピ-ナッツバタ-でも差し出し
てみればよかったかもね。ここにいたひとみんな、じつはSPだったりして。

12/12今朝は風もピタっと止んですばらしい天気だ。
前の日の帰りにNomadoAdventureで目にした、女性クライマ-のカレ
ンダ-に載っていた、空間にせり出した美しい5.9のアレ-トを登りにいくことに
した。RyanAreaのHeadStoneRock。小川のサイコロ岩みたい
だ。
南東に面した高度感のすばらしいアレ-トにボルトが4本打たれている。Crypt
ic5.9。古いトポには5.8と紹介されている。全員がこれをオンサイト。その
左側のカンテにも5.6のル-トが開かれているが、甘くはない。pika、みう
ら~がオンサイト、なおき、tommyがフォロ-した。この岩の初登はロ-プを反
対側から投げてTRにして行われたとコメントされている。午後はHouserBu
ttressの超有名ル-ト、LooseLady(5.10a)へ。pikaが
登って、終了点をセットしたあと、みうら~が出だしではまったものの、その後はア
ドレナリン飽和状態で完登。お見事!!
Chuが登って、なおきがフォロ-して時間切れ。tommyのオンサイト狙いは持
ち越しぃ~。

12/13今日はpika&chuの狙い優先。暖かいエリアの11クラスのスポ-
ツ・ル-トへ行こう!
OysterBarAreaのOysterBar(5.11a)は、アプロ-チが
インディジョ-ンズだけど、南向きでとっても暖かい。まずpikaが取り付き、2
テンション、chu(僕)は1フォ-ルしたあとさらに2テンションして抜けた。全
体にカチカチの連続でじつに楽しいル-トだがストレニじゃあ。tommyがTRで
登り、pikaが隣りのPathOfTheOyster(5.11c)をやはりT
Rで登って車に戻った。今日はジョシュア最後の日なのでもう少し登ろう。
ランチを採っておなじみEchoRockへ向かった。
みうら~、tommyがSittingHereInLimbo(5.9)をそれぞ
れオンサイト、なおきがフォロ-したあと、pikaはtommyとTuchAnd
Go(5.9)、Chuはみうら~のビレイでForbiddenParadise
(5.10b)を登った(アルパインクリップが2回入ってしまった!!)。このあ
と、ラペルのロ-プがスタックして一騒ぎ。無事ロ-プが戻ったあと、あたりはもの
すごい夕焼けに染まった。美しさにしばし呆然。

12/14ピナクルズへ移動する途中でHighDesartと呼ばれているエリア
へちょっと寄り道することにした。YuccaValleyから247号線で一度北
へ向かい西へ振る。1000m前後の高地に延々と砂漠が続く。Mojhabe砂漠
の南端にあたるあたりがHighDesart。その中でひときわ異色の岩塔があっ
てHerculesFingerと呼ばれている。高さは20mほどしかないが、砂
漠に立っているので、結構目に付く。頂上は2m四方しかなく、現在5.12cを上
限に5本のル-トが開かれている。
chu、みうら~、なおき(TR)が北に面しているボルトが等間隔に打ってある
5.7★★★のLimpSideを登ったが(カチカチの非常におもしろいル-ト!
!)、日が陰って風も増してきたので、これでお開き、一路ピナクルズへ向かうこと
にした。
ピナクルズ・ナショナル・モンニュメントはサンホセの南80マイルにある。Moj
habeからさらに西北に進んでインタ-ステ-ト5号線を北上。暗くなったところ
で、ハイウェイを降りて、6モ-テルに泊まった。

12/15朝6時起きでピナクルズへ。トポをみると広大なエリアなので、もっとも
ポピュラ-なEastSideからのアプロ-チを採った。
パ-キングからよく整備されたトレ-ルをたどると、15分もしないうちにEast
Sideで最大のエリア、ディスカバリ-・ウォ-ルに着いた。壁は南東向きで、非
常に暖かく、脂肪のないtommy以外はTシャツで登った。また、クライマ-用の
トレ-ルには、カラビナがデザインされた標識が立っていて、なんだか、うれしく
なった。
岩質は海底火山の火山灰でできた凝灰岩の1種と思われる。スミスと似ているが表面
に埋まっている大小さまざまな礫が、よいホ-ルドを提供していて、特徴的だ。傾斜
は強く、5.9程度でも薄くかぶっていたりする。従って、ム-ブもジムナスティッ
クで、割と今日的なクライミングになる。ただし、ル-トは現在、5.13が4本、
5.12が25,6本であとは5.10,11が中心なので、上級者には不満かもし
れない。
まずpikaがこのエリアで一番ポピュラ-とトポにコメントされているTheWe
tKiss(5.9)を登って、ランナウトのポイントにナッツを残置してくれた。
これを使って、tommy、みうら~がオンサイト(ダッシュ付きかなムハハハ)、
chuはこのナッツなしでオンサイト、なおきがフォロ-した。
この壁のクラッシク最右翼Ordeal(5.8)はChuが登って、途中2ケ所に
カムセットの練習用のブランクセクションを指定。みうら~、tommyがともにこ
こに上手にキャメロットをセットしてオンサイト、なおきがTRで登った。
5.10aながらパワフルなハング越えがあるStupendousManも、pi
ka、tommy、chuがオンサイト、みうら~は惜しくも1テン、なおきもTR
で楽々登った。ぼちぼち11でもってことで、まずTheVerdict(5.11
b)をpikaがトライ。悪いム-ブはないが、ストレニで、3度テンションが入っ
てしまった。chuは5.10dのTheBigPuckerをねらったが、アメリ
カ人がTRを張ってしまい空かないので、同じ、TheVerdictに取り付い
た。2ポイントの核心まで2テンションでこなしたが、6本目(最後)にクリップし
たあと力尽きて敗退。う~~~~~ん、くやじぃ~。
この日はシスコに近いRedwoodCityまで北上してモ-テルへ。

12/16シスコで買い物ツア-をやったあと、すみれちゃんちで夕ご飯をごちそう
になった。街もそうだが、彼女の家もクリスマス一色だ。
12/17早朝みうら~はハワイへ、僕らは成田へ。

今回もまためまぐるしい旅だったけど、ことにピナクルズは収穫だったと思う。岩だ
けでなく景観もすばらしくアクセスも容易なので、例えば、Yosemiteの帰り
にシスコから日帰りのプランを考えてもよいかもしれない。また、クライマ-用のト
レ-ルや、アンカ-の入った終了点、ナチュプロに一抹の不安があるセクションでの
ボルトなど、初めてトポを開いて感じた伝統的なYosemite主義の影響とは別
に、この地に思い入れのある人たちの行き届いたサポ-トが想像できた。
pikaは、みんなの面倒見に奔走して自分のペ-スをやや崩してしまったかもしれ
ない。ごめんよぉ~。夏でも汗をかかないtommyは、冬はやはり今ひとつだった
かにゃ。しかし、粘るときはさすが! みうら~はすごい進歩。ここに書いたオンサ
イトをリストアップすれば一目瞭然。なおきは集中力といいやっぱりただもんじゃな
い。C4ラバ-に慣れたところで来年はリ-ドだろなあ。

11.28.1999

湯河原幕岩正面壁

伊豆湯河原幕岩正面壁右側の1日
1999-11/28
 
MEMBER CHU KISYA

山中湖から黒といっしょに箱根をこえて湯河原駅前着1000。一時間半の行程。ちゅう
さんをピックアップして幕岩公園へ。小春日和の明るい日。紅葉が美しい。メインゲ
レンデのひとつ正面壁右にいったことがないというとちゅうさんが案内してくれる。
ジムシー10Bにトライ。核心は垂壁でバランスと力が必要。たてホールドをうまく使
わなければならない。2,3テンでなんとかぬける。
つぎはリフレクション10cへ。長いルート。下半はいまいちだが上部の核心はこまかい
。
3本目はカマクラ10D。短いがシビアなムーブ。出だしでいきなり落ちる。先を考えず
に突っ込むとこうなる。なんとか登る。ちゅうさんは終了点の手前で足が滑って2,3メ
ートル落ちる。
桃源郷エリアにくらべるとこのあたりは比較的すいている。

天気もよくそのあたりの秋景色も見事だった。充実した一日。

11.21.1999

北アルプス立山の初滑り

北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ

雷鳥沢を滑る
 
11月、やっぱり立山はパフパフだった! 
1995年11月25日
skiing at 97-11-24 
 
暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年
もそこはパウダー天国だった。

勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く
2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断
念したに違いない。

ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立
山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜
30センチ降ったヨ」
「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ
ロしていてパウダースキーどころの話ではない。

 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、
クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、
ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。

翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか
、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に
、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を
みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で
はある。

その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明
になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。
やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって!

1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室
堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。

                           (KIM同人/I)

1997年11月22ー24日
メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車

22日
朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの
に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。
雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3
時間の行程。

23日
朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向
かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。

24日
大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣
御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。
快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。
新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足
にフィットして快適だ。
称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。
杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや
かな立山の初滑りだった。

1998年11月21-23日
メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ
ブなど
21日
朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル
からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。
先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス
キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の
不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。
22日
案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。
9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ
る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ
ぐ。
23日
吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道
を帰京。9時都内。


1999年11月21/23

21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた
、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷
鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ
ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶
好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、
水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら
すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ
ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田
さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、
けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。

22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び
に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小
屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす
べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定
した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに
撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう
ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も
っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み
も揃って行動、早い。

23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途
中食事、6時半帰宅

1999年11月29/30日
メンバー 松倉、川崎、汽車

 月・火と立山へテレマークに行って来た。
 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100
m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂
山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク
のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。
 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク
ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。
 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思
う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい
るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと
下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり
だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと
移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。
 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。
川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう
しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、
斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm
で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。
 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元
へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助
かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ
ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から
の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫
だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。
しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂
ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ
らに下っていく。
「逆に進んでいませんか?」
 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん
が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに
ポールが見える」と言う。
「さすが伊藤さん」
 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど
の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆
われた柱があった。
「室堂山荘のアンテナに間違いない」
 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再
び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。
「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」
 川崎さんが脅かすように笑う。
 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの
エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み
くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が
はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、
二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上
に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警
備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初
の雪中行だった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

小豆島の週末クライミング

小豆島の週末クライミング
潮風にあたるクライミングトリップ愉し

小豆島いんすぼん
 
DATE 1999-11-21/23
MEMBER CHU KURO KISYA

11月21日 
朝いちばんのJALでちゅうさんと大阪行。飛行場のまえでくろちゃんが
ニコニコで迎えてくれた。ガストで打ち合わせしてそのまま姫路へ。フェリ
ーにのりこんで1時間40分で福田港着。大きな高気圧に覆われた小春日
和の日。島はのんびりとしていた。くさか旅館に顔をだし、讃岐うどんな
ど食べてから、時間があるのでロケハン。港のすぐよこにインスボン岩峰
を発見。おもったよりも小さいが、たしかに韓国のインスボンに似ている
。さらにドライブして吉田の村へ。沢ぞいに山にむかうといきなり吉田の
岩場にでくわす。白山書房の関西の岩場に表紙そのものの風景がひらけて
いる。となりには最近できたばかりのダムが100メートルくらいそびえ
ているが。
世界的なクライマー近藤国彦氏が講習生をつれてきていた。ここ2,3年ダ
ム工事でこの吉田の岩場は登れなかったんだ、とのこと。

どれどれとトレールをたどるが、照葉樹林のジャングルがものすごく、確
かに最近人がきていないな、という雰囲気。
それでもくろちゃんの古い記憶をたよりに中央壁にたどりつく。これ面白
いんだと、スーパーダイレクトクラックを指す。10Bにはチョと見えない
が。ちゅうさんが取り付くが、厳しそう。くろちゃんに変わる。とりつく
が意外と悪そう。くろちゃんも必死で一声も発せず。なんとかノーテンで
ぬけて二人がフォローするが、これは難しいねと二人が言い交わす。
日が落ちてきたので駐車場にもどる。近藤さんたちはナイスパパルート5.
7のあと、いいところがあるんだと、左岩壁の骨折り男のクラック5,8にと
りつく。近藤さんがきれいに登るのを写真の収めて宿にもどる。
11月22日
きょうも悪くない天気。お目当てのインスボンにむかう。平日とあってと
なりの砕石場ではショベルカーなどが大騒音を発していてうるさいことこ
のうえなし。風景も岩もよいのにたいへん残念。ポップアップ5.7にとり
つく。出だしが意外とむずい。2Pはビッグフレーク5.6。とはいえレイバ
ックからハング越えがありかなりのもの。どちらもちょと辛いグレードだ
。インスボンの頭にぬけてのんびりする。福田の港が眼下にあって汽船が
のんびりとただよっている。素晴らしい景観だ。歩いてくだりながら、北
山開拓王の作った2本のルートをみる。側壁につくられた好ルートだ。削
岩機の音がうるさく集中できないので、まいいかと一旦下る。
内海町までドライブして讃岐うどんを食し、再び吉田の岩場にむかう。途
中拇岩が素晴らしい高度で聳えているのを遠望。近藤さんたちはきょうは
ここを登っているらしい。平日とあって吉田の岩場には二人くらいしか見
当たらない。日が陰ってきたので小豆島オートビレッジよしだの温泉につ
かる。
今年の4月にオープンしたばかりだという。空いていて夢のよう。昭和30
年代風の宿、くさか旅館で魚と鍋にしたつつみする。
11月23日
どんよりとした空模様。9時20分のフェリーにのりこむころにはぽつり
ぽつりと雨がやってきた。くるときとは対照的にフェリーはがらすき。快
適な船旅で姫路港にもどる。
姫路まではまだ雨がきていないようだ。ランクルでそのまま西の宮の北山
公園へ。ともちゃんや橋本啓二もやってくる。公園のボルダリングを楽し
む。バーカーヘッド、アドレナリンカンテ、木ノ下フェース、さらに岩塊
が3つならんだところなどで遊んだ。そのうち雨がやってきたので夕方の
飛行機で帰京。

11.07.1999

小川山マガスラブ開拓

マガスラブ開拓
11月なのに暖かい日だった

maga-slab
 
MEMBER: CLUB ALLROUND CLIMBERS CLUB(ARC)
DETE:1999-11-7,8
>
11/6(土)小川山マガスラブで新ル-ト開拓を行いました。ル-ト図を添付しま
した。
時間切れで今回は4本のみです。来春さらに2本追加する予定です。開拓者は、ふみ
ちゃん、トミ~、ナオキ、川崎カメ、ケンジ、やっちん、Chuでした。
ボルトもアンカ-も、やっちん渾身の5.7(がはは)以外は全部、ふみちゃんが
オーシーエスから提供していただいたものを使用。なんとアンカ-もランナ-も
ボルトのスタットは8cmも
ある素晴らしいものです。天気も11月とは思えないほど温かく、開拓だけで潰すに
はもったいないような日でした。
みなさんご苦労さまでした。参加できなかった方、是非、次のシ-ズンに登ってみて
ください。

ル-ト名とグレ-ドは作ったひとが付けますが、まだきまっていないものもありま
す。
添付図の番号と併せて確認してください。やっちんの5.7は日本には少ない低グレ
-ド三ツ星ル-トで、今回の目玉、と私は思っています。

・No.7(添付図の番号) 「オウエンのために祈りを」5.10c、20m、B
5本、アンカ-(ブッシュ)、設定Chu
「高い窓」と「可愛い女」の真ん中をまっすぐ登ります。出だしのマントルは5.
9。2本目から3本目がランナウトしますが5.7~5.8のム-ブです。怖けれ
ば、長目のランナ-を高い窓のボルトからとれます。核心は、上部の膨らんだフェ-
スで、ワンム-ブです。指2本がかかる穴でラインを思いついたのです。上部は少々
汚い凹角(V級)と高い窓の上部壁のカンテを使ってブッシュで終了(アンカ-有
>り)。
>
>・No.9
>5.7、15m、B5本、アンカ-ばっちり。ル-ト名=思案中、設定やっちん。
>「可愛い女」のすぐ右側を弱点をついて登ります。出だしは少し力がいりますが、良
>いホ-ルドがとれたら、簡単にバンドに立てます。クラック沿いにまっすぐ上がっ
>て、ハングの下でラインを読んでください。まっすぐつっこめば、5.7よりも難し
>くなるでしょう。ハングは効きの良いホ-ルドが続いて、ぐいぐい登れます。ボルト
>の間隔も的確で初めてリ-ドするひと、ブランクの長いひとにおすすめです。
>
>・No.11
>5.9、15m、B4本、アンカ-ばっちり。ル-ト名=思案中、設定ふみちゃん。
>取り付きがトリッキイ-です。スタンスを良く見てからスタ-トしましょう。このル
>-トは、リングボルトが2本確認されていますから、結構古くから登られているのか
>も知れません。上部の黒い壁が短いながらも小川山スト-リ-みたいなカチホ-ルド
>の課題です。初登りはたしか徳地保彦さん。2登がトミー。
>
>・No.12
>5.10b、20m、B8本、アンカ-ばっちり。設定ふみちゃん。
>エリアの右端にある小さな張り出しのハングに着目したル-トです。講習会などで、
>TRで登られているようですが、今回思い切ってリ-ドル-トにしましたが、開拓中
>にも崩れた部分があって、”谷川”を登るような慎重さが必要かもしれません。思
>いっきり力をかける前にこんこんってたたいてみた方が良いですね。でも、ホ-ルド
>はガバで、傾斜もあって、パワ-のあるクライマ-には楽しいル-トです。
>因みに私のおすすめル-ト名は「グラノ~~ラ」(グラノラバ-って、ボロボロだけ
>ど、おいしいじゃないですかあ)
>
>11/7(日)
>普段の行いがよいのでこの日も暖かくて、真っ青の空でした。ふみちゃん、川崎カメ
>は早朝帰り。やっちんは前の晩のお帰り。で、トミィ~、なおき、Chu、けんじ
>で、再び小川。今シ-ズンをしめくくるつもりで。
>トミィ~が、屋根岩4峰ノイズイノ5.10b(クラシック3つ星)を鬼の完璧オン
>サイト。ただし、その前に5.8の「オクサン・スラブ」でボルトの頭に乗っちゃい
>ましたけど。
>Chuがソラマメの「帰ってきたタジヤン」5.11bをトライ。下部の11aは去
>年よりスム-ズに抜けましたが、核心で左手中指の爪が割れてフォ-ル。ここは、爪
>ム-ブ5手ですが、4手目が非常に厳しいです。ホ-ルドをとったときに2,3度か
>らだが前後に振動しますが、こいつをうまく止めないと、落ちます。指が血だらけに
>なりましたので、さっさと、アルパインテクニック(?)で上へ抜けて今シ-ズンも
>敗退。この核心の感じはYosemiteのグリ-ンドラゴンにそっくりで、私はハ
>マッテいます。来年は、”生け花”でもやって、心をク-ルに研ぎ澄ますトレ-ニン
>グを取り入れようかと考えています。
>
>・10/31(日)に松代の尼厳山へ行って来ましたのでついでに報告します。
>メンバ-:pika隊長、とみ~、なおき、Chu
>アプロ-チは松代の東条小学校から50分ほど登ったところです。岩はフリクション
>の高い凝灰岩で、岩塔がいくつも寄り合うようなかたちになっています。南面ですの
>で、冬も登れます。スキ-が飽きたら登りに行きましょう。垂直のカチカチフェ-ス
>で、良いル-トが並んでいます。
>
>今回登ったル-ト:ハイキングコ-ス(5.10a三ツ星)、ラスト・エンペラ-
>(5.10b三ツ星)、パレアナフェ-ス(5.11b、三ツ星)、ビッグフェ-ス
>のVar.?(5.10a)、JVフェ-ス(5.8、クラック)
>
>WROTED:CHU

10.31.1999

広沢寺ゲレンデで半日

広沢寺ゲレンデで半日遊ぶ
賑やかでたのしい

kotakuji
 
1999-10/31
member:haneda kawasaki kisya

日曜日の朝、ちょとクライミングもやる、という二人が
やってきたので、それでは広沢寺でもいってみるかと、
出かけた。
広沢寺は浜川師匠にフリークライミングが移入されたこ
ろよく連れていってもらった。フラットソールをはいて
当時の新しい岩登りの方法を教わったところでもある。
それから数年、暇があるといつもこのゲレンデを訪れた
。なんといっても近いのが魅力だったし、その分お金も
かからない。登りやすいルートが多いから楽しいという
のもあった。ここにばかり通ったおかげでクライミング
の技術が上達しなかったのではないか、とさえ思ってい
る。

 浜川師匠など一般ルートで半日岩場から降りずに登
り下りをくり返し、ここでなんと心肺機能のトレーニン
グを試みたりしたものだ。
厚木の町はずれからいきなり美しい田舎風景る。
温泉旅館の前の駐車場に車をとめて、ハイキング道を行
くようになる。たいへんきれいなところだからこれだけ
でも価値があるかもしれない。
日曜日とあってゲレンデは大混雑状態だった。おじさん
おばさんの岩場という感じがしないでもない。山岳会な
どの講習会もひらかれている。子連れ犬連れでお弁当を
もったピクニック感覚のグループもいる。こんなところ
にこんなにたくさんクライマーがいたのか、という感じ
ではある。いわゆるフリークライマー風の若者は少ない
のはここの伝統だろう。
弁天岩の正面右のクラックルート4級をのぼる。どうと
いうこともない。羽根田、川崎さんはちょとものたりな
い様子。それならリードしてみたら、というがその気は
なさそう。
ゲレンデ風景など写真撮影してから、混んでいる弁天岩
をさけ、対岸の岩場へ。林道わきの足場のよいところ。
10aを登る。ソウルで買った5.10のモカシムを初おろし
してはく。吸い付くように登れる。

トップロープで羽根
田さんがトライするが何回もテンションがはいる。未熟
者のクラーマーだからしかたがない。もういいね、とぶ
らぶらとクロと散歩しながら駐車場にもどる。
フリークライミングの課題としてはこの対岸の10台、弁
天岩のナバロン11a、右スラブ9。弁天岩右上の新エリア
の10台2本など面白いと思う。A1の人工ルートはフリ
ー化されているらしい。新しいボルトが打たれている。
ラダーの練習には格好だろう。こんどやってみたいとお
もった。

天気のよい休日、半日ここで遊ぶつもりでやっ
てくれば楽しめるだろう。お祭りみたいににぎやかなの
もよいではないか。

10.10.1999

ミズガキ山十一面

小川山からミズガキ山十一面へ
1999-10-9/10

ベルジュエール10P
 
member CHU HIKARI IKENOUCHI,KISYA,KAWASAKI

1999-10/9
10月の3連休。天気予報も芳しいので行楽地にでかける車が多い。前夜、
川崎さんと山中湖の山小屋で芋煮を大量に仕込んだのだが、鍋二つにわけ
て車に積んである。こぼさないように運ばなければ。今夜も芋煮パーティ
ーだ。
800に到着した金峰山荘の駐車場には夏よりも車が多い。ちゅうさんと光
はすでにクライミングの準備をしていた。朝4前に東京をでたとか。
よい天気、暑い夏が続いたので廻り目平の紅葉は例年よりもずーと遅い。
左岸スラブへいく。南川るりこという女がいた。横浜アルパインクラグに
所属しているという。
人出が多いので、枝沢をつめて、夢のハムステーキ5.9に川崎さんととりつ
く。9にしてはちょとむずいか。ちゅう光コンビは恋はお暑く10C、寒冷前
線11aなどにトライ。ルートもへんだがビレイヤーの足場もわるそうだ。う
たた寝したくなるようなよい天気。
ちょと下がって往年の乱10bを登る。昔登った記憶がある。スラブはけっこ
うむずかしい。実は右隣の走れメロス10aにトライしかけたのだが難しそ
うなので急遽転進したのだが。ロワーダウンの途中で走れメロスを登って
みるが、こちらのほうが難しいかもしれないと思う。ちゅう光コンビはロ
リータじゅんこをトップロープで練習したとか。
河原におりて昼飯を食べてから、カンテ10aにトライ、オンサイト。川
崎さんもなんとかのぼる。隣の無名ルート10bもオンサイト。国分さんの
ルートらしい。ハング越えのあるストレニアスなルート。
光が雨がやんだら11bにトライ、ワンテンでぬける。ただの大岩のwaka11bも
トップロープながらぬける。夏のあいだアメリカでクライミングした成果が
でているようだ。
暗くならないうちにと切り上げて瑞がき山方面に去る。グリーンロッジの先
の林道わきに車をとめて4人で芋煮パーティ。
10/10
5時起きして芋にうどんを食べ、用意していると池の内氏がやってくる。カ
ナダから一昨日帰ってきたとか。アシニボインは大雪で登れなかったとかは
なしている。
今日の予定は一昨年寒気のため敗退したベルジュエール。1時間ちょとで取
り付きにつく。アプローチには植林用のちいさなモノレイルがのびているの
がへんだ。
先行パーティが2チームほどいる。川崎さんに、どんなユマールをもってきた
の?と聞くと、エーッ。あんたが貸してくれるといったじゃないの。川崎さ
んはユマールで登るつもりだったのだが、これでクライミングは無理という
ことになった。もう11時。せめて1pでもと、先発のちゅう、池の内コンビに
ついてテラスまであぶみで登る。後続は光、汽車コンボ。1pはもちろんA1。
川崎さんに別れをつげて、先を急ぐ。
10pあるから先は長いのだ。2p汽車リ
ード。3pのスラブ光リード。4p10メートルのきれいなクラック、汽車リード
。2テンして休み休みのぼる。
ガチャを多く持ち過ぎたようだ。5pをフォローするちゅうさんが見える。重い
パックに苦労しているようだ。核心の5ピッチ大フレークは垂直でパワーが必
要だ。光が気合いをいれて見事にオンサイト。フォローの汽車はヌンチャクを
フイフイにして休み休みのぼる。5pまできて疲れがでてきたようだ。
6pチムニ
ーを汽車リード。シュリンゲをラダーにして核心をぬける。7pのチムニーから
スラブも汽車リード。第2の核心8ピッチ弓形クラックを光がワンテンでぬけ
る。絶好調のようだ。

歩きの9pのあと、最終の10p目、忠さんパーティが直登
して苦労しているようなので光が廻り込むルートをとるが意外とわるい。11の
ムーブでこえる。フォローの汽車はフォールして辛うじてトップに立つ。

富士山や八ガ岳、南アルプスの眺望が素晴らしい。3時をすぎている。記念写真を
とってから10p目を懸垂でくだり、その後歩いて取り付きにもどる。
沢に降り立つともう暗闇。6時ころ車にもどる。川崎さんは4時間も待ったよ
お、と酒臭い息を吐きながら語る。川崎さんが1pで降りたおかげで僕らはト
ップまでいけたのだ。いっしょに登っていたらビバークになったかもしれな
い。ありがとう川崎さん。
明野村で温泉にはいり、竜王で焼肉をくって時間をつぶし、山中湖へもどる組
みと東京方面組みとに別れる。今日の中央道の渋滞は半端ではない。小仏トン
ネルから60キロとラジオがわめいている。

9.25.1999

小川山ジャックのぱーてひ

小川山ロッククライミング マガスラブ
1999-9-25
MAGASLAB
 

1999-9/25
MEMBER CHU KISYA

6時過ぎに城南をでる。渋滞が始まる前に都内脱出。1000廻り目平着。夏にくらべると駐車場の
車はすくない。これからがここのよい季節だと思う。
ガマスラブの裏、通称マガスラブへ。可愛い女5,8をのぼりカッパ5.8へ。キャマロットでのぼる
クラックルートだがクラックにへばりつくと意外とわるい。ここはひだりのフェイスをいくのが
よい。クラックはプロテクションをとるためにだけつかう。さらにその下の。。。。のクラック
ルート5,9プラスへ。下部はなんとかこなしたが、上半でクラックをはずれて右へでてしまい
、もどるのは難しそうなのでそのまま終了点。

フォローしてきたちゅうさんがクラックを忠実にのぼり。意外と悪いという。小川山レイバックが
5.9なら、ムーブはもうすこし複雑でやはりプラスはある、とのこと。すりむいたひざ小僧をさすっている。
2ピッチめはプロテクションがと
りにくく危ないとのことで眺めておわる。
新規開たくを考えている可愛い女の右側にトップロープしてラインをさぐる。5.8,5.9,5.10aが
作れそうだということがわかる。可愛い女左のラインをいれると4本は作れそうだ。
ちょと下って、小さな親切大きなお世話10bにトライ。オンサイトする。まん中に棚があるが全
体的にはきれいなスラブルートでおもしろいと思った。
ジャック中根の結婚パーティがあるというので岩根庵にむかう。4時が開始時間とはしらず大幅
に遅れてしまった。とはいえ、この宴会、午前2時のカラオケ大会終了までいれると10時間とい
う記録的な長時間パーティになるのだが。

9.01.1999

コロラドロッキーの夏休み

ROCK CLIMBING AROUND BOULDER,COLORADO

コロラドロッキーの夏休み
ボルダー周辺を走り回った
 
Garden of gods,Spearhead,Eldorado canyon, and Flatiron
 
member:tokuchi,haneda,kisya
1999-8/31-9/10

8月30日 羽根やんとユナイティド機でLAへ。徳地さんと同じ飛行機でデンバーへ。
タウラスを借り出し、ボルダーへむかう。EMSとカーナビに打ち込むとその店に
連れていってくれる。店で買い物して、たしかこの裏のホテルだったな、とのぞくと
懐かしいたたずまいがあった。フロントに聞くとあいているというのでチェックイン。
数年まえはクラリオンホテルだったのに、今は香港系のリーガルハアーヴェストという
名前のホテルにかわっていた。

8月31日
今日は裏山のサードフラットアイアンに登りました。4Pくらい。5.5とか5,6のお手
軽コース。岩壁にはUCと大きく書かれていてボウルダーのランドマーク的岩峰です
。夕立があってたいへんでした。下山ルートのほうが恐いかんじでした。
アプローチは町外れからちょと歩くだけ。そのあたりのきれいなこと。山の花が咲き
乱れる草原。
夕方はフラッグスタッフのボルダリングエリアにいきました。教え魔のおじさんが
いたりしてにぎやかでした。
あしたはエルドラドにクライミングにいくです。
おいなりさんやお寿司がうっておりましたのでそれで昼ご飯といたしました。

9月1日
きょうはゆっくりおきてホテルの朝飯をいただいたあと、ネプチューンスポーツ
にいきました。
山の都らしい立派な店です。ハネヤンがクライミングシューズを買い、パタゴニ
ヤのレギュレーターがもう店にでていたので、R1のプルオーバー買い増した。
R2のおしゃれなものもありましたが、敬遠して玄人このみのアークテリックす
のフリースも買い求めました。
昼過ぎて、ボルダー郊外のエルドラドにいきました。峡谷のりょうがわに屏風岩
のようない岩峰がいくつもそびえているところで、うまい人が多いクラシックな
ゲレンデです。
バスティルという岩峰のクラック5・7、3Pにとりつき3人でのぼりました。ナチ
ュプロルートなのでそれなりの苦労があり、6時すぎに取り付きにもどりまし
た。きょうも残業というかんじ。いい写真がたくさんとれました。日当なら10
万円ひとりというところでしょうか。30分でホテルに戻り、シャワーをあびて
TAJというインド料理店にまいりまして、カレーライスなどをたらふくいただ
きました。
3人で1万円くらいなので、まいいかとおもいましたがとくちさんなど、ぜいた
くだ、といっていました。
あしたからロッキー国立公園にはいります。バンガローやキャンプになりますの
でしばらあく、メイルできないかもしえませんです。
グレポンなどのユウメイなアルパインクライミングをするつもりですが、山は高
く天気のことなどもあり不透明です。
標高1700メートルのボルダー市は涼しくてさわやかでございます。

9ー2
ボルダーのパールストリートで朝ご飯を食べゆっくりとロッキー国立公園にむか
う。天気は不安定で晴れたり曇ったり。エステスパークの町に入る。1時間ほど
のドライブ。徳地さんがとても懐かしがる。10年ぶりとのこと。ゲイトをぬけ
て小さくひとまわりする。小雨がふり、ロングスピークは雲の中。明日はそのふ
もとまでいってスペアズヘッドの岩のぼりをする予定。ヘッドコータオにいって
テント泊を申請するが予定地は満員という。じつは、クライミングをするのだと
いうと、おお、それなら、もっと山の上のクライマー用のビバークサイトをつか
ってくれと、じいさんレインジャーがいう。3人2泊で15ドルであった。
エステスパアクマウンテンという登山品店で必要品を購入。室内ジムもある大き
いお店。町外れのリバーヴューパインロッジに宿を取る・3人で100ドル。2
室で眺めのよいへや。あしたからのテント泊でパッキングがたいへん。

9ー3
相変わらずぱっとしない天気。町は青空がのぞくが山には黒い雲がかかている。
4000メートルを越えるコンチネンタルディバイドは天気が悪そうだ。グレ
イシャーゴルジュのトレイルヘッドから歩き出す。ブラックレイクまでいくつか
の湖をとおり4時間。標高が高いので20キロ近いにもつを背負っていいると歩み
も遅くなる。穂高の稜線よりも高いところをハイキングしているのだから。
谷ぞいのすばらしいハイキングコースだ。時々であうのはハイカーばかり、それ
でも2チームのクライマー組みが下山するのにであったと思う。重い荷物に歩み
はおそいが花崗岩のスラブが露出した山道はとてもあるきやすい。スペアズヘッ
ドが良く見える。ハフドームのような岩峰だ。shの意味は矢頭のことだとか。
ブラックレイクからいきなり急登りとなり、見事な氷河ケンコク
にはいる。ロングスピークの岩頭がすばらしい。shは仰ぎ見るようにそびえて
いる。氷河に磨かれた岩肌は光り輝いている。ノースリッジは意外と傾斜がな
い。カールはもうあきの気配。枯れた山の花の群落がさびしい。降り出したあめ
におわれるようにフローズンレイクほとりの平らな露岩のうえにテントをはる。
夕方から風がでてきて、夜半には雷とヒョウが襲ってきた。この壮大なカールに
はぼくらいがい人一人いない。

9ー4
強い風でテントが倒れそうだ。風も冷たい。残雪しかみえなかったロングスピー
クの岩壁には新し雪が振りまかれたようについている。こりゃ岩のぼりは無理だ
ね、と早々に宣言すると、徳地さんが残念そうな表情をみせる。羽根田文豪はう
れしそうだ。昨日羽根田文豪にはあぶないから岩のぼりはしないで写真家となっ
て遠くから撮影していただきたいとお願いしてある。
しばらく様子をみて、下山ときめる。
コロラドの山には夏か冬しかないんだ、と徳地さんがいう。山はこのあといきな
り冬をむかえるのだろう。
日本の場合、こういう高い山でのクライミングはアルパインクライミングとよく
言われるが、ガイドブックなどをみると、ゲレンデのような岩場はこちらではク
ラッグと呼ばれ、高い山でのクライミングはハイピークのロッククライミングと
よんでいるようだ。6時間以上かかった登り道を3時間ちょっとでくだる。町は
レイバーズデイの3連休とかで、夏休み最後の休日を楽しむ現地のひとたちでお
おにぎわい。原宿のよう。めずらしく日本人の観光客も数人みかけた。
おとといの宿は満員といわれていたので、ここはとりあえず退散ときめ1時間ち
ょっとのドライブでラブランドからフォートコリンズにむかう。
とくちさんが再びなつかしがる。ジョンギルの課題で有名なホースツースのボル
ダーエリアにいく。夕日をあびた湖ぞいのボルダーで何本かのぼる。この町には
州立大学があり学生が多い。ボルダリングエリアもにぎやかだった。町にはいり
モテル8にチェックイン。向かいのデニズでステーキなど食す。デニズではうけ
つけで、いきなり喫煙か禁煙、いずれの席をお望みかときかれ、とくちさんがお
もいっきりおどろく。アメリカではたいへんめずらしいことだが、喫煙しながら
食事をとることができた。レッドネックの土地なんだ、ここから東は、と徳地さ
んがつぶやく。

9-5
昨夜とおなじくデニずでヘビーな朝ご飯をとる。ホテルの電話によるのかなかな
かEメイルがつうじない。
すばらしい快晴の朝。空気がさわやかだ。ロングスピークが遠望できる。もう1
日停滞していたらスペアヘッドにのぼれたのになあ、と徳地さんがくやしそう
だ。
REIにいってバアーゲン品を購入。ふたたび1時間のドライブでエステスパー
クに戻る。きょうは巨大なクラッグ群のランピーリッジを視察し登攀するのであ
ります。ザブックの5、7ホワイトホエールがよさそうとパーキングから歩き出
す。すばらしい岩峰がいくつもそびえている。小川山の3倍も4倍もある岩峰
だ。道に迷ってハイキングしながら大回りして取り付きについたのがもう3時す
ぎ。想像以上に広いエリアなのだ。クライマーが三々五々あちらこちらのルート
を登っている。花崗岩のスラブとクラックのルート。ピンはどこにもみえない。
クッラシックなルート。徳地さんとリードを交代しながら3人でのぼる。
ロングスピークを望遠しながら素晴らしい花崗岩の岩のぼりが楽しめた。ナッツ
しかつかわないという徳地さんはロックスで慎重にプロテクションを作ってい
た。
撮影むきのルートだね、と徳地さんがいう。夕日のなかのクライミングシーンが
うまくとれているとよいのだが。日が沈むころ車にもどり、大混雑のエステスパ
ークを敬遠して麓のラブランドの町まで降りる。チャイナドラゴンというレスト
ランで食事をすませ、ラブランドモテルにはいる。2部屋で100ドルちょっ
と。

9ー6
今朝も快晴。レイバーデイとのことで祭日である。徳地さんが通ったという北コ
ロラド大学のあるグリーりーの町にいき、キャンパスをみる。徳地さんがしきり
になつかしがっていた。住んでいたという近くのアパートにまわる。こりゃ貧民
街だなあ、と徳地さんがつぶやく。そのままボルダーまで1時間ほどのドライ
ブ。町にはいりスターバックコーヒーでお茶しながら今夜の宿を徳地さんが電話
帳で探し出す。
ボルダーマウンテンロッジというのが125ドルというのでそこにきめ、カーナ
ビにアドレスを打ち込むと
タウラスがボルダーキャニオンの目的地までわれわれを運んでくれる。峡谷沿い
の山荘。自炊ができる。キャンプエリアもあってクライマーテントもある。風が
さわやか。
ボルダーキャニオンの岩場を見る予定だったからちょうどよい。夕方近くなって
からボルダーキャニオンを見に行く。いちばん奥にあるキャッスルロックまでは
20分ほどのドライブ。直径7、80メートルの巨大なボルダーだ。クラシック
なクラックルート以外にもボルトの打たれたスポーツルートがある。谷をくだっ
て、コブ。7から10のクラシックな好ルートが並ぶ。たくさんのクライマーが
とりついていた。谷を渡るにはフィックスされたロープを使ってチロリアンブリ
ッジで渡る。
さらに戻るとドームとエレファントバトレス。5から10。たくさんの人がとり
ついている。7くらいのルートが人気があるようだ。7とはいってもオールナチ
ュプロのクラックルートが主体だから難しそうだ。7のオーバーハングも巨大な
ものだ。
ロッジに戻って豪勢な夕食をつくる。明日、作家羽根田氏はニューヨク経由ミラ
ノへ移動する。アルコなどユージの活躍を見に行くのだという。

9ー7
7時に起きて、8時にデンバー空港へ。1時間もかからない。1030の飛行機で羽
根田氏去る。そのまま70合線にはいり、デンバー郊外のゴールデン市にあるサ
ウステ
ーブルマウンテンクライミングエリアへ。クアーずビールの町。巨大工場を見下
ろす裏山に2キロ近くにわたって岩場が続く。10ー25メートルのボルトルー
トが100本ほどもある。ルートとルートのあいだにはクラックルートが。オー
バーハングエリアのデッキチェア、レモンライムなど8、9、9と3本ほどのぼ
る。日差しがつよくバテ気味。
町でハンバーグをたべ郵便小包などおくり、コロラドスプリングスまで1時間ち
ょっとのドライブ。ナビにいれたガーデンオブザゴド着5時ころ。
名前もロマンチックだが景色も絵画的なところ。緑の丘に巨大な赤い岩峰がいく
つもそびえる。軍艦状のもの。フィン状のもの、タワー状のものなど一様に規則
的な方向性をもってならんでいる。クライミングしているひともちらほら。この
町の名所はパイクスピークとここらしい。空軍の基地としても有名だが。ボルダ
ーリングしてみたいね、と一回りあるき、くらくなるころ町のエコノロッジにチ
ェックイン。


9ー8
きのうのサウステーブルマウンテンの3本で疲れたのかゆっくり起きて、ビレッ
ジインで朝飯。そのあと念願のシェルフロードへ。このコロラドスプリングスか
ら1時間半のドライブ。非常な田舎のまちキャノンシティからさらに奥地へドラ
イブ。フォーマイルクリーク沿いの一大エリア。石灰岩の岩場らしい。いくつも
のエリア
があってとりあえずザバンクエリアへ。平日のせいなのか人っこひとりいない。
さみしいー。さらにその中のカクタスローズウオール
へ。ザニーオルズライ、BACK HER UP AGAINST,9と11の
2本を登ったらもう4時近くにな
っていた。夕方まコロラアドススプリングにもどり、再びガーデンオブザゴッヅ
へ。夕日の写真を撮った。

9ー9
三度ガーデンオブザゴッヅへ。朝日をあびてボルダリングするなどの写真をと
る。ビジターセンタアで取材。コロラド通りをみて、キャッスルロックのプライ
ムアウトレットへナイキなどみて少々買い物。徳地さんはたくさん買い物をする
わけではないが山の店やいくつかのブランドを見ることも熱心だ。クライミング
リアの研究心やギア、ウエアなどへの好奇心をいつまで失わないのは素晴らし
い。徳地さんがもうひとつ、という。横道にそれてパインのスフィンクスロック
を見に行く。小川山のような岩、意外と小さなクラッグだ。ユージがのぼって有
名になったクラックがある。おそくなるのでそのままデンバーのクインタインに
はいる。コロラドロッキーのクライミングの旅もこれでおしまい。


9-10
シアトル飛行場からはレニア山がみえた。まだ雪をかぶっている。氷河があるゆ
えんだ。オリンピック国立公園の山をこえてバンクーバー島沿いに飛行機はとん
でいるようだ。デンバーからシアトルの航路ではティトン国立公園のわきを飛ん
だので立体写真をものにしたと思う。この春に訪れたところだ。ヤキマ上空では
コロンビア川が大きく見えた。飛行機からみる下界はみあきない。

今朝6時におきてクインタインのオフィスにコーヒーをのとりにいったら、わ
れわれのくるまの右後ろのタイアがパンクしていることに気がついた。昨晩金龍
飯店にいったかえりにくぎをひろったらしい。
それにしてもさわやかな空気だ。標高の高さと関係あるらしい。カリフォルニア
とはちがう。と徳地さんも認める。
レンタカーをかえし、1000ドルちょっとのレシートをもらい、ユナイティッ
ドにチェックイン。
徳地さんはLAへ、ぼくはシアトル経由で東京。忙しくまわって、毎日のように
クライミングしたり山登りしたりしてやや疲れぎみかもしれない。それでも目的
のある旅はおもしろい、とはなしあう。今度はカリフォルニアのあたらしいとこ
ろに行こうともいう。スキーもいいね、とも。
今回役にたったのはハーツれんたカーにつんであったカーナビ。これからはこれ
が普通になることだろう。
こんどアメリカにくるのは来春か。アメリカの旅はいつでっもたのしい。それも
いい道連れがいるからだろう。

8.28.1999

穂高屏風岩のクライミング

穂高屏風岩のロッククライミング
土日でTRY、屏風のクラックと、ちょっとハ-ドなフリ-

ビョーブ岩
 
MEMBER CHU PIKA
1999-8/28,29

20年振りで、びょ~~ぶへいってめいりやした。あんときは真夏だったので、死ぬ
ほど暑くて、夏くっとこじゃねえなあ、って思ったもんです。でもめっきり歳喰っ
ちゃったんで、やっぱ陽が長い方があんし~~んって訳です。

長くあこがれていた雲稜のバリエ-ション、”ミッドナイトエクスプレス”(以下、
MEと書きます)と、3P目のフリ-が目標です。(オ-プンロ-ド??...なん
て、と~~んでもありやせん)
8/28(土)朝5:00に藤沢にいるpikaを拾って、沢渡へ。村営Pで、たま
たま居合わせた有名なガイドさんとタクシ-相乗り。ひとり1350円。まずまず。

すごいにぎわいの上高地で昼飯喰って、のんびり歩き始めるとポツポツ降ってきた。
ま、読み通り。日曜は晴れるぞぉ、って思いこむ。
横尾までの道は良く整備されていてビ-サンで歩いても違和感なし。両側を大きな山
に挟まれていてYosemiteみたい。シャトルがあったらいいなあ。
横尾の岩室で寝ようって計画してたんだけど、予報が雨だったんで、急遽横尾山荘を
予約。夜メシ付で7800円。寝心地最高!!

朝4:25にpikaに起こされた。外へ出ると、月が煌々と照っていて、快晴。
やった!
急いでラ-メン喰って、出発。
山荘から30分ほどで、岩室...岩室跡というべきか、ひどく崩壊していて、これ
じゃビバ-クは快適じゃないなあ。左手に工事の手が入っている堤にケルンがあり、
渡渉地点であることが分かった。屏風はまだ、東面が左前方に見える程度なので少し
迷うところだが、対岸に貧相な押し出しが見えている。これが1ルンゼなんだよ、諸
君。

こいつをヒ-ヒ-ゼ-ゼ-いいながら1時間弱、ひたすら登って、T4尾根に取り付
いた。2P(30m4+、30m5-)のクラシックな”岩登り”。岩混じりブッ
シュ混じりで非常に不安定な尾根(アテンション:ここが最初の核心!)を詰めると
T4のテラス。先行パ-ティが雲稜に取り付いている。

MEのクラックは雲稜1P目の途中から横に走っているのでテラスからは良く見えな
い。でも派生地点に残置のシュリンゲが長く垂れていて、それとなく分かる。

1P目は15mのハンド(ジャム)トラバ-スだが、ポイントはスタンスの見あたら
ない中間と終了点直前の2ケ所(5.10b/c、35m)。荷物はここにデポ。
水、食べ物、ジャンピング、ハンマ-、アブミ1セットだけ、セカンドが体のどっか
に付ける。

pikaが1P目をリ-ドしたが、終了点直前で、クラックを覆うブッシュに騙され
てワンテン。2P目は僕の番。入り口の立った部分はクラックに詰まった泥が恐ろし
くてワンテン。しかし後半の15mは完全なもじゃもじゃのジャングル・クラックで
(誰も登ってないんじゃないかあ??)
寿命が縮んでしまいました。久々、あたまんなか、真っ白状態で、ビレイオフ!!
(5.10a、30m)
pikaのコメント、「ミッドナイト...はあこがれていた割に、チンケだ!! 
なにしろちょっとみには、5.8っぽいぜ」
まさに。審美的には、落ちるよなあ。開拓者は猫可愛がりで”快適なハンドクラッ
ク”なんて書いてたけどさあ。登るひとによるんだろうなあ、やっぱ。

ま、いいや、って訳で、次が、いよいよ扇岩の上のA1ピッチで、雲稜を登っていた
パ-ティが抜けるのを待って10時過ぎ、まずpikaが取り付いた。でも、5m上
にあるフリ-用の1本目のボルトまでまったく行けない。何度か交代してトライした
が、全然だめで、仕方なくA1で登って、TRをセット。図らずも、初登者と同じパ
タ-ンになってしまった。11-だったら、オンサイトできなくても、ま、なんとか
なるべ、と思っていたんだが、とんでもはっぷん。
ショックなのはTRでさえ、この部分(核心!!)がつなげられなかったこと。ここ
を抜けるとあとは、そう難しくはなかった。時間切れ、モチ切れで12:30に下降
開始。横尾に3時半。上高地6:00。松本の”たくま”でヒレカツ喰って藤沢着午
前1:00。

MEも、件の3P目もグレ-ディングが良くない。迷っているといえばそうなのかも
しれないが、後々のグレ-ドダウンを怖がっているんじゃないかと、勘ぐれる。ME
の1P目5.10b/cは後に、5.10a/bと修正された。同様に2P目も5.
10aから5.9+に修正。3P目は5.11a/cと発表されている。こういう
どっちつかずのグレ-ディングは大嫌いだ。

5.10&Under・クライマ-を自称する僕ら(11-以下についてはかなり感
覚的に自信があります)からみて、ME、1P目は5.10bです。2P目は5.1
0aです。クラックの場合、プロテクションのセットに取られるエネルギ-を加える
と、フェ-スで+2~3ランク上の力がないと勧められません(つまり、ボルトル-
トで、5.10d程度を登るひとってこと)。
3P目ですが、登れなかったので、分かんないんですが、これだけははっきりしてま
す。5.11a/bってことはないと思います。当然もっと難しいと思いました。で
も、A1ル-トですから、人工ができれば、TRもできるので、挑戦しやすいと思い
ます。岩は硬く、安定しています。

下降支点はどのピッチもしっかりしていますが、T4尾根の露岩以外の部分の下降
は、ぐずぐずの石ころが急斜面に張り付いている状態で非常に悪いです。みなさん、
ゆっくり、慎重に。

とまれ、最高の景観と素晴らしい高度感、加えて固い岩で短いピッチながら、存分な
フリ-クライミングと美しい渓谷のトレ-ル・ウォ-キングも含めて、充実した週末
でした。

:Chu

8.22.1999

前穂高滝谷クライミング

穂高ぐるり一周,滝谷クライミングつき
山小屋をつかって軽やかに

滝谷
 
1999-8/22-26 
member:kurokawa,kisya
8-22
小川山で1日半楽しんで、昼過ぎには夕立ちから逃げるように上高地方面へむか
う。ランドクルーザーを沢渡においてタクシーで上高地、シャワーのなか西糸屋
へ。
8-23
朝7時にあさごはんをいただき、ツカサ若主人にごあいさつして、すぐに出発。
カラサワ小屋で会おうよ、と黒ちゃんとバラバラに歩き出す。横尾まで2時間ち
ょと。新しい橋をつくっていた。小屋の新風呂場も建設中で横尾はごたごたした
雰囲気。カラサワ小屋には12時前についた。黒ちゃんがもうテラスでまってい
た。こんなに早いのは初めてとか。荷物が軽いのが勝因だ。ラーメンを食べてか
ら、南稜をのぼって東稜にトラバースする。ショートカットして尾根にでてみる
と、そこはすでにゴジラの背中の核心部をすぎたところだった。ま、いいか、と
そのまま北穂高小屋へ直行。
4時前に小屋着。カメラマンの磯貝猛夫妻がいた。小山若主人からビールをいた
だく。1年ぶりの小屋。外国の山ばかり登っている黒ちゃんが、日本の山はいい
なあ、という。緑がきれいなのだという。ぼくにはアルプスの前山のようにも見
えるのだが。夜はおとなしく就寝。

8-24 朝から雨。もう下りたいとおもったが、ここはがまんと、マスターキート
ンという漫画を借り出して1日過ごす。お昼には小屋の方たちにさそわれて釜上
げうどんパーティに出席。おいしかった。夕食もすばらしい。食器はすべて陶器
で、小皿がいくつも並ぶ。標高3000メートルのピークにしがみつく山小屋の食事
とはとても思えない。志も高いのである。
8-25
停滞のかいあり素晴しいご来光の朝をむかえる。360度のパノラマだ。岩が乾く
のを待ち、8時過ぎに出発。ドームをまいて鎖場のところから滝谷にくだる。昨
年の7月に下見してあるから間違えはしない。どんどん下って、最後に25メー
トルいっぱいの懸垂下降でドームの基部につく。登り気味にトラバースして中央
稜のとりつきへ。
ルートはどれかな、いちばん簡単にみえるのがそれらしい。1p目、ぼくのリー
ドで30メートルくらい。凹角からチムニーへ。チムニーはハング気味にみえる。
どうやって越えようかとあせる。一度チムニーに入り込んで一段あがりそこから
外側にでてガバをみつけてよいしょよいしょと登るのが正解。5級はあるだろ
う。
2pはつるべで黒ちゃんがいく。快適なフェイスで楽しめる。3p目は歩きに近い
登りで、4pが核心。黒ちゃんがいく。一箇所5.9くらいの核心がありリングボル
トが打たれている。フォローのぼくはフリーで越える。黒ちゃんはアルパインで
はそういうところは安全第一とA0で登るのがよいのだと、忠実に実践したとい
う。4pは快適なフェイスでそんなに難しくない。最後の壁を越えたらいきなり
終了点の頭にでてしまった。11時。2時間もかからなかっただろうか。握手し
てひとやすみ。
ここからどうやって下ろうか。天気は最高だからこのまま奥穂まで縦走して岳沢
をくだろうようと、スコスコと歩き出す。穂高小屋でラーメン。岳沢でコカコー
ラ。黒ちゃんがいうには穂高の縦走は水筒もいらない。お金さえもっていれば空
身で充分とのこと。そのとおりだと思う。
岳沢をかけ下り、河童橋着4時。4時間ちょとの行程だから、カラサワ経由より
断然早い。ひざが痛むのが欠点といえる。
岩登りを楽しみ、稜線縦走も満喫する。山小屋を利用して軽い荷物で行動する。
そんな動き方が北アルプスの夏休みプランとしては名案かもしれない。良い山小
屋がたくさんあるのだから。
タクシーで沢渡にもどり、稜線から携帯で予約した平湯湯の里旅館に6時まえに
は入館。温泉につかった。安房トンネルができ岐阜にいくのもあっという間にな
ってしまった。実は新しくなった中の湯にも電話したのだが高いこといわれあき
らめたのだった。
8-26 朝一で、再びトンネルを信州側にもどって、暑苦しい町なかを走り、僕の
車が置いてある山中湖へ帰荘。午後は小屋のペンキ塗をしたり洗濯したりしての
んびり過ごす。夕食をどうしたかは思い出せない。

8.09.1999

小川山お友達岩

小川山お友達岩など
夏は小川山だあ

お友達岩
 
1999-8-9
メンバー 川崎博 汽車

600に川崎邸にお迎えにいく。10前には廻り目平着。
川崎さんがカメラをもっているのでよい被写体や風景をさがしながら歩く。
ガマスラブで大阪OCSの  さんをとり、ガマスラブ2pまでのぼる。小
川山レイバックに転進。
ステミングスタイルで登る。川崎さんはめちゃくちゃなエイドでのぼってき
た。無理もない。大きいカメラを2つも胸にぶらさげているのだから。2p
目ものぼり親指岩のアタマにたつ。イイ写真がとれた。キャンプ場にもどる
と北田ファミリーがいた。
岩根庵に初めて投宿。ショウミさんがいた。夜お酒のみながらいろいろと語
る。内容は忘れてしまった。
翌日は、パタゴニアグループがくるので北田さんともども合流する予定だった
が、朝から冴えない天気。パタゴニアもこない。小雨がふりだしたのでさっさと
去る。

99-8-21,22
メンバー くろ、まつくら、ちゅうファミリー、アクトチーム、そのほか。
前夜、山中暗黒寺荘に黒ちゃんと松倉さんがやってくる。
あさいちで廻り目平へ。
ちゅうさんの毎年の追悼祭の日。アクトぐるーぷもいる。アクトの新エリアに
いって写真撮影。左はじの10bにトライ。ハング越えもあって、むずかしい。
最後のクリップができず。こわくて敗退。10Cはあるよ。と池の内さんにいう
と、そうかなあ、考えてみます。とのこと。
夜はにぎやかに焼肉パーティー。
翌日。天気がよいので松倉さんをさそってガマスラブへ11pを僕がいき、2p
は黒チャンがハートアンドソウルにとらい。ワンテンする。3pまでのぼって、
きょうはこれでいいか、とお開き。松倉さんも楽しそうだった。
昼すぎに帰りはじめたら土砂降りとなった。取り付いているクライマーはさん
ざんのことだろう。僕らはラッキーだった。黄金虫でラーメンたべて松倉、ち
ゅうさんとわかれる。くろちゃんとぼくはこれから上高地にいくのだ。滝谷を
登る予定。

7.24.1999

小川山の新しい岩場

小川山のクライミング、新しい岩場も
1999-7-24
おばあさん岩
 
member  chu,kisya,act group 

7-24 あさいちで東京をでて山中湖経由
廻り目平着1030分。ちゅうさんのact仲
間、いけのうちさんやえんどうさんがい
る。夏休みが始まったというのに空きず
きしている。なぜだろう。actチームは
新エリアの開拓にいくという。同方向に
むかって、ちゅうさんと二人、おばさん
岩でザックをおろす。

今シーズン、小川山は初めてのぼくはこ
のあたりで登るのがよいようだ。春から
夏にかけてオレゴン、グリンデルワルト
と絶好の名所で岩に触った覚えはあるが
、本格的なアウトドアでのフリークライ
ミングは秋の城山以来(ウソウソ、そう
いえば先月インスボンで1日のぼっていた)。
 おばさん岩の全ルートを登る。
11aのレールドヂュタン
では2テンがはいってしまった。毎年1
度はさわるルートだが、年々悪くなって
いく。もう岩登りはやめようかな、とも
思う。いけのうちさんが開いているとこ
ろを訪問する。仮称おばあさん岩。明るく
て開けていてとてもよいところ。まだま
だ岩場は残されているのだ、と感心する
。3本できているから、登ってみて、と
気安くいってくれるので、ありがたく登
らせていただく。10aと10cとおもわれる
という2本にトライ。名前も決めてある
という。宇宙的なネーミングだった。ど
ちらもたいへん素晴らしい。2つ3つ星が
つけられそうなルートだ。オンサイトに
気をよくして、もうすこし岩登りを続け
ようかな、と思い直す。きょうは6本も
登ってしまった。『ちょっとやりすぎか
な』などといいながらロープをザックに
しまう。 
せっかく涼しいところにきた
のだから、今夜はキャンプを楽しむこと
にする。たき火に苦労しながらもいい仲間といい酒
をのんでぐっすり眠った。

7.22.1999

スイスアルプスの4000メートル峰4つ

CLIMBING IN 4000ers in Switzerland

スイスアルプスの4000メートル峰4つ99
雪が落ち着かないとたいへん
 
Jungfrau, Alarinhorn und Camping in GW
 

1999-7-22 8-10
member KUROKAWA,KISYA、SATOSI KANAMORI
6-22  KLM便でアムステルダム経由チュウリッヒ着。ほぼ同時刻着の大阪発大韓
便の黒ちゃんと合流。レンタカーを借り出してルツエルンへ。車はオペルのアト
ラスの新車で調子よい。町外れの湖畔にベストウエスタンチェーンのホテルをみ
つけチェックイン。むかいのレストランで夕食。物価は日本より高めだろうか。
ホテルのまどから眺めるピラタス山と湖がすばらしい。

6-23 ルツエルンからインターラーケンに向かう。町なかを偵察して米など買い
だしてグリンデルワルトへ。道がせまいのにスピードをだすのがスイスの事情ら
しい。BODENWALD、最近はEIGERNORDWANDと名前をかえたキャンプ場にチェックイ
ン。前者はホテル名となってオーナーの息子さんが敷地内で経営している。日本
人のクライマーが昔から利用するところでオーナーのおじさんも親切だ。設備は
たいへんよく、景色は最高だ。目前にアイガーの北壁が大きくそびえる。この
2、3日の悪天気で山は冬模様。フィルストからはパラパントが何十機と飛び出
している。人気エリアらしい。山登りより楽しそうだ。
この日、ドライブでグロッサーシシャイネディックとラウターブルンネンの谷を
偵察する。グリンデルワルトは日本人が多く、老人のツーリストが多いが、ラウ
ターブルンネンの谷には欧米の若者たちが多くみられた。スポーツショップも前
者にはみるべきものがほとんどないが、後者ではよい店が発見できた。

6-24 天気がよいので上にあがってみることにする。ユングフラウヨッホで登山
電車をおりる。ユングフラウは真っ白でトレールなし。登山シーズンにはまだ早
すぎるのだろうか。ラッセル1時間でメンヒヨッホの小屋にはいる。人影がな
く、冬季小屋にはいってなごむ。薪用のキッチンストーブがあって快適。水を作
ってお茶を飲む。夕方になってイタリア人の6人組みがあがってくる。山スキー
をはいている。そのあとスイス人の2チームが入ってにぎやかになった。イタリ
アチームからハムなどおいしいものをいただく。彼等は夜中にメンヒをめざすと
いう。スイス人の若者ふたりは北東壁をのぼるという。

6-25 イタリアチームは未明の2時頃でていくが、6時ころにはもどってきた。
頂上直下100メートルのところで雪がわるく敗退したとのこと。ぼくらは7時
に小屋をでる。天気はよい。トレールをたどると、おもったよりも手前でおわっ
ていた。これなら頂上までまだ標高で200メートルはありそうだ。目の前にや
せたナイフリッジがのびている。2、3日前の新雪がつもっていて悪そうだ。イ
タリア隊はここで懸命にも引き返す勇気をもったわけだ。ここから先はトレール
なし。危ないんじゃないの? とおもうが黒ちゃんはロープをだして行くとい
う。あてになりそうもないスタンディングアクスビレイで確保する。50メート
ルいっぱいにのばしてやせ尾根がおわり、こんどは急なカンテ状雪壁をぼくがリ
ードする。4000メートルでのラッセルはきつい。それでも出発直前に富士山頂で
1泊した効果は絶大だ。となりの尾根をスイスの二人組みが登っていくのがみえ
る。50メートルのばしたところで岩場にでくわし、つぎは黒ちゃんがさらに急な
雪壁をつめる。50メートルのばしたところで確保用のポールがでてくる。頂上
手前の肩のようなところ。ここから先は頂上まで広くてゆるい頂上稜線が伸びて
いるのだろうと勝手に想像していたのだが、あにはからんや、右に左にセッピが
張り出したやせ尾根。メンヒはビギナー向けの山、などとガイドブックにはあっ
たがとんでもない。今日のコンディションは厳しい。さらに50メートルほどの
ばしたところで、急な雪壁のトラバースとなる。あと頂上まで100メートルだ
が、このトラバースはやばそうだ。500メートルしたのセラックまで急な滑り台
がのびている。自信がないので、ここで戻ろうと、黒ちゃんに言うと、ひとりな
ら行けるとのこと。ロープを外してここで待つことにする。確保支点もどこかに
埋っていて見つからないのでロープがないほうがこの場合安全なのだ。煙草をす
う。黒ちゃんはピッケルをおもいきり突き刺して、雪を何度も践み固めながら、
がんがんといく。雪崩ないことを願うだけだ。
頂上直下の北東壁にはスイス人の若者がひとり、上にもいけず下に下ることもで
きずに立ち往生しているのがみえる。黒ちゃんは頂上に着いたが、相変わらず動
こうとはしない。そのうち赤い救助隊のヘリコプターがごお音とともにやってき
た。レスキュー隊員がするするとおりてきて、あっと言うまにその遭難者をつか
まえると、ヘリにぶらさがったまま下界へと連れ去っていった。そのスイス人の
相棒はその前にひとりで滑落してケガをし、電話でレスキュウを呼んだらしい。
とり残された彼もヘリで救助されたということのようだ。ぼくも黒ちゃんもスク
ープ写真をものにしたようだ。
天気はすばらしい。モンブランやマッターホルンが見える。
時計をみると11時。黒ちゃんは、北尾根を登ってきた単独行のイギリス人と頂上
からいっしょにおりてきた。ロープで確保しながら登ってきたルートどおりに下
降して、12時に小屋との分岐点にもどる。
電車で下山。クライネシャイディックでヤマケイのハイキングビデオ撮影隊とで
あう。前の日、町の宿に遊びにいっているので全員が顔見知りだ。汗を流しなが
ら働いている。キャンプ場に戻るとモンベルテントが張ってあり元気な金森君の
顔があらわれた。予定どおりの登場だ。
明日からは3人での行動になる。

6-26 レストの日。朝飯後、ビデオグループのコンドミに遊びにいきコーヒーを
のんでいると、今日はメンリヘンでアルペンホルンのコンサートがあるという。
撮影にいくというのでぼくらも同行することにする。現地までのぼってみると、
天気がわるく延期になったとのこと、お茶をのんでから、ウエンゲンまでハイキ
ングする。標高差800メートルの下りハイキングだ。駅につくと見覚えのある風
景があった。何年かまえここにきたときのことを思いだした。鉄道をつかってぐ
るりと大廻りしてグリンデルワルトに戻る。

6-28 
アイガー東山稜は冬景色。ユングフラウもいまだにトレールがつかない。危ない
雰囲気だ。夏山日和になってガイド登山でも始まってくれれば楽勝なのだが。作
戦をかえて南のバリス山群の4000メートル峰にのぼることにする。ビデオ隊の山
本、高城さんたちも打ち合わせにツエルマットにいくというので、車2台をつら
ねて移動。カンデルシュテグからの鉄道フェリーが珍しい。二つの谷の出会いで
ツエルマットにはいるベンツワゴンとわかれ、われわれはザースの谷にはいる。
ザースフェーの駐車場から荷物をもってインフォメーションへ。初めて訪れる
村。オートルートの最終ポイントであり、ツエルマットとはひとあじ異なったス
キーエリア。正面にドムがそびえる。ベルグハイマートガルニに宿をとる。町中
を散歩。こじんまりして良い町。テレマークとクライミングの専門店もある。わ
れわれは明日アラリホルンに登る予定。

6-29
朝いちでロープウエー2本と地下ケーブルカーをのりついでミッテルアラリン
へ。930に歩きだす。ノーマルを登るグループがみえる。正面の北東稜を登るト
レールもみえる。おじいさんとおばあさんの4000メートルといわれるだけあって
人気ルートのようだ。ここでいちばん危険なのは歩き始めがスキー場のなかなの
でスキーヤーにぶつけられること、とゲーツゲのガイドブックには書いてあった
が実際そのような感じではある。ノーマルではものたりないと思ったのか、黒ち
ゃんが正面の北東稜を登ろうという。先行のトレールがあるので楽だ。PD+のル
ート。かなりむずかしいはず。正面からみると絶壁にみえるが、実際にとりつい
てみるとそれほどのこともない。先行していたのはフィンランド人で登路をおり
てくるのとであう。たいしたことないよ、とのこと。それでも頂上直下100メー
トルは60度以上の雪壁で、ロープをだしてダブルアックスで快適にのぼることが
できた。2時間半で頂上。マッターホルンがそびえる。バイスホルンやモンテロ
ーザも素晴しい。
下山はノーマルルートにとる。おじさんやおばあさんがガイドとともに登ってく
るのにであう。1330ミッテルアラリンの駅にもどる。全員調子がよいようだ。
この日、気分転換してグレッチャーホテルに転宿。

6-30
ザースフェーからツエルマットに移動。車止めのターシェの駅で金森君の知り合
いのエクストリームスキーヤーの利根川君にであう。ツエルマットまで電車、駅
前のホテルバンホフにはいり、利根川君と大通り2階のレストランでカレーライ
スをとる。マッターホルンは雪が多くまだシーズンにはいっていないとのこと。
明日はブライトホルンからスキー滑降することにしよう。駅前のバイアードスポ
ーツでテレマークスキー1式3人分を借りる。午後近くのクライミングゲレンデ
を見にいく。

7-1
新築なったホテルバンホフは快適宿。ドミトリーもあるし、炊事設備もある。山
屋のためのホテルだ。かんたんな朝飯をたべ、駅前から電気タクシーでロープウ
エー駅へ急ぐ。クライネマッターホルンまでロプウエーでひといき。いきなりこ
こに登ってきたらめまいがすることだろう。
天気は良好。もう何人かがブライトホルンを登っている。日本人の団体登山ツア
ーの一行もガイドと添乗のひとといっしょに登りはじめた。20人くらいが3グ
ループにわかれている。ぼくらも初めてはくレンタルスキーをつけて滑り初め
る。コルまではゆるいくだり。先行する登山者をあっというまに追い越してしま
うs。スキーはBD社のもの、ブーツはガルモントのプラスティック。
シールが入手できなかったので登りはスキーを背負う。2時間で頂上。頂上手前
は雪稜なのでスキーを肩にデポする。頂上は狭いがにぎやか。日本人グループが
おお喜びしている。風が強いのですぐに退散。スキーの滑降写真を撮りながらく
だる。金森君はいちばんいい斜面でスキーを流す。流れ止めがこわれてしまった
のだ。すぐに止まったが、くやしいらしくすこし登り返して滑り直す。1時間ほ
どでロープウエー駅にもどる。
ホテルバンホフにもどりランチをとり、荷物をまとめてそのまま電車にのりター
シェへ。車で3時間弱のドライブ。なつかしのアイガーノルトバントのキャンプ
エリアにもどる。夕食後、ビデオ隊の宿に遊びにいき帰還報告と自慢話し。
7-2
レストの日。大快晴。再び好天の周期に入ったようだ。そろそろ登山者が山を登
り出したのではないだろうか。午後は体を動かしたい気持ちになり金森くんとグ
レッチャーシュートの岩場で2本ほどクライミング。
夕飯を食べながら相談する。いつまで天気がもつかわからないので、思いきって
明日はユングフラウに登ろう。メンヒヨッホの小屋に前泊して早朝に登るのが鉄
則だが、みんなの調子もよいので朝いちの登山電車であがりその日のうちに頂上
往復とすることにしよう。

7-3
予定通り730の電車に乗る。930にはユングフラウヨッホのスフインクスの出口か
ら歩きだす。やはりおとといと昨日の好天で何人かが登ったのだろう、うっすら
とトレイルがみえる。きょうも好天。メンヒヨッホの小屋を未明に出たのだろ
う、2.3の登山者がユングフラウの頂上下をくだってくるのが遠望できる。日が
当って数時間たった雪面はときどきブスッとひざまでもぐる。やはり朝いちでア
イゼンをきしませて登るべきだったかも。遅い出発に気持ちが焦る。雨量計のさ
きでルートを失う。雪がおおいのではっきりした今シーズンのトレイルがまだで
きていないのだ。もろい岩場をおそるおそるあがり、氷河からきたしっかりした
トレイルに合流。あとは登るだけ。ヨッホからみた絶壁のトラバースも、その場
にいってみるとそれほどのこともない。トレイルがしっかりついている。左上の
巨大セッピがくずれてこなければ問題ない。太陽に暖められたあちこちの斜面か
らは不気味な音とともに表層なだれがでている。トラバースをおえてクレバスを
こえるとローターホルンとのコルにでる。急な雪壁をがんがんのぼって、ロープ
がほしいトラバースも気合いで突破。氷のついた岩場もおもいっきりよく越え
て、やがて4110メートルの頂上。1330、ガスがでてきて視界はなし。一時的なガ
スだったが、長い無用と記念写真をとって下りの途につく。ロープもださずがん
がんと下り、安全地帯へ。もう2時だというのに登ってくる二人組みにであう。
マイペースのひともいるのだ。今日頂上を極めたのは10人ほどか。麓の喧騒にく
らべてあまりにもわずかな人口ではある。アレッチ氷河のトラバースにでてひと
安心、ここで念のため今日初めてのロープをだす。午後の氷河トラバース、クレ
バスがこわいからだ。駅までの登り返しをがんばって1630ヨッホ駅に帰還。登り
が4時間、下りが3時間のアルパイトであった。どうしても登りたいと思ってい
たこの山群の最高峰に登って大満足。駅の韓国カップヌードルでランチ。きょう
は朝ごはん以来たしたものを食べていなかったのを思い出した。
最終近くの電車の乗り、グルント下車。テントにもどってシャワーをあび、いつ
ものとおり芝生の上で寝転びながらワインなどを飲みながら楽しく食事する。今
年の条件でわれわれのできることは大体やったという、感じか。
7-4
のんびり過ごす。
7-5
案の定天気下り坂。テント撤収。おやじがもう帰るのかという。明日金森くんが
帰国するのでチュウリッヒ郊外の温泉町バーデンに移動。ぼくもスケジュール変
更でいくらか早めのチケットをホテルプラン社にて再購入。バーデンのホテルヒ
ルッチャー泊。川向こうの伝統の温泉プールになごむ。
7-6
天気くずれ曇りと雨。チュウリッヒで旧市街と大聖堂、シャガールのステンドグ
ラスなど見学。金森くんを空港におくる。バーデンにもどる。黒ちゃんはあと10
日ほど残りドイツを旅したりするという。条件がよければマッターホルン登頂に
もトライしたいとのこと。

7-7
バーデン町深訪。古城、歴史博物館など見学、再び温泉プールにはいり、夕方チ
ュウリッヒ入。空港で黒ちゃんと分かれ、夜のJAL機にて帰国。チュウリヒ空港
のパブにて川崎カメ、みなみらんぼう氏らハイキング取材班とあう。どこかで会
えるとおもっていたが最後の最後に会えたわけだ。昨日二人はガイドとともに悪
天にもかかわらずメンヒに登ったという。ぼくらのトレイルをたどったわけだ。
7月8日午後4時成田着。
(汽車)

7.06.1999

カナダのスコーミッシュ

CLIMBING IN SQUAMISH,CANADA

カナダのスコーミッシュのぼった21日
いいルートがいっぱい.CHUとピカ二人のレポート
squamish
 

1999-7月6日~10日
member CHU,PIKA

PART1CHUのレポート

スコウミッシュへいってきやした。

6日火曜にバンクーバーエアポ-トの荷物出てくっとこでうろうろしてたら、とっく
に着
いてる筈のPikaがやっぱりうろうろしてるじゃん。どったの??って。
荷物が出てこなくて、何便か待ってさっきやっと出たんだって。あはは、普段の行い
が悪いんだぜ、それって。ところでChuさんのは?
ま~っだだよ。ワシ今着いたばっかだかんね。
・・・・・・・・・やく30分たった・・・・・・

荷物見てる兄ちゃんが、君の便は?ってきくから、DL・・・っていったらさ、”も
う終わった!"だと。”なぬっ?、うっそぉ~!!MyBaggegeWasMiss
ing!!”
Chuさん、お母さんの怨念じゃよ、むはははは、と、してやったりのPika。

インドやネパ-ルしか知らないワタシは、こうなるともう絶対に荷物は出てこないと
思いこんでしまった。あれって、ギヤ満載なんだぜぇ。元値30万だぜぇ、まじで。
MECでキャメロットとか買わなきゃあなあ、とほほほ。

しかし、なんと、夜10時にAPの兄ちゃんが云ったとおり、荷物はちゃあんと出て
きてモ-テルに届けてくれたんで、びっくりしてしまった。Pikaは当たり前じゃ
ねえっすか、って、全然あせってないんだな。
ただ、翌日が終日雨だったんで、晴れてたこの日はじつにもったいなかったなあ。

最後の木曜に願いを懸けて、スコウミッシュのモ-タINNに泊まった。早朝はガス
がかかっていて、だめかあ、ってまた寝ちゃったんだが9時過ぎに目さましたら、み
るみるはれてきたんで、いそいで壁に繰り出しました。

スコウミッシュのメイン壁はチ-フっていうんだけど、ちょうどYosemiteの
グレ-シャ-ポイントみたい。”エプロン”まであるしね。高さは600mっていう
けど、Yosemiteと遜色なし。しかも、99号線から直接そそり立っているん
だから、すんごい迫力。周囲は海だし、そう遠くもない背景は雪を被った山が連なっ
ていて、いいかんじだよ、じつに。

チ-フの廻りに、小振りな岩塔群がいくつかあって、そのなかで、スモ-ク・ブラ
フっていうところが、ものすごくとりつきやすい。スコウミッシュのホ-ムペ-ジで
も紹介されていたので、ここの3つ星だけを、十分に明るい夜9時まで登りました。
アプロ-チは遠くてもPから15分。壁は、20~40m程度の高さが主で、すごく
広い。このエリアだけでも小川よりル-ト数は多いかもしれない。壁と壁の間が広い
テラスみたいなんだが、ここに住宅なんかがあったりしてなんだか妙です。

ペニ-レイン5.9 35m、ラフィング・クラック5.7 25m ジップ 10
a 25m
クリスタル・ウォ-ル10c(1P)、11a(2P)などなど

11aだけが、ボルトの完璧フェ-ス・ル-トで、他は素晴らしくも美しいフェ-ス
・クラックで、全部ON SIGHTしました(pika)。

ワタシはあんまり寒くて、前の晩から腰痛がぶり返しまして、リ-ドは控えました
が、イテテっていいながら完全にフォロ-できました。

この日はイエロ-ペ-ジでAP近くの怪しげなB&Bを予約しました。カナディアン
・サンセットに染まった海を見ながら、夜10時過ぎに、バンク-バ-に戻りまし
た。
わかりにくい住所のメモだけを頼りにブラジル人がやっているB&Bにたどり着いた
のは奇跡的なきもしたが、pikaがやはりここに住んでいたことがあるからなのは
間違いなし。なんとなく勘が働くんだろなあ。

怪しげといったけど、実際には、気さくで話し好きな老夫婦がやっていて、居心地の
良い”民宿”でした。おばちゃんおじちゃんと12時過ぎまでビ-ル飲んで話しまし
た。

金曜日、おばちゃんの作ってくれたおいしいコ-ヒ-とパンをたべてから(素晴らし
い!
!)、pikaにエアポ-トまで送ってもらい、帰ってきました。
アタマにきちゃいますが、この日はさらに良い天気で、この好天は当分続くっていう
話しで
す。

PART2 ピカンのレポート

日時:1999年7月6日~10日

6日 バンクーバー空港で待ちあわせ 忠さんの荷物が出てこず、マウンテン・イクイッ
プメント・コープで買い物した後、バンクーバー市内のモーテルに泊まる。荷物は夜配
送される。

7日 あさから雨。登らず。スコウミッシュ市内のモーテルへ泊まる。

8日 晴れ。Little Bluffのショート・ルート。
Penny Rain 5.9 三つ星のハンド・クラック。35m。上部は傾斜がおちる。 

Laughing Crack 5.7 これもすごくきれいなクラック。 25m。オールナッツでリー
ド。傾斜がないので簡単。

Evaporation 2p 10c,11a 1P目 は5.9くらいのクラックからスラブへ。スラブはちょ
っとランナウトして恐い。ボルト2本。
2P目は出だしから悪く、11ムーブ。ボルトルートでスラブとフェイスの中間。ぴ
かリードで途中核心が抜けられず、敗退。

The Zip 10a 林の中にある日陰のクラック。ちょっと湿っていたが、これも三つ星。
ハンド~フィンガーへ。20m。思ったより簡単だった。

夜空港近くのB&Bへ。

9日 忠さん帰国。ぴかはスコウミッシュへ戻る。クライマーズ・ホステルへ泊まる。
若いクライマー達がごろごろしていた。ここはドミトリーで、小さな個室もある。ベ
ッド15カナダドル。個室25ドル。わたしはえらいので個室に。ここでクライミン
グ・パートナーをさがす。

10日 ホステルで長期滞在している若いクライマーと登りに行く。
Alexisというエリア。これもLittle Bluffの一部。
The Alexis Cracks 5.7 2本のパラレルクラックの右側をリード。10~12m。かんた
ん。

Halcyon Days 5.10d TRでトライ。ボルダームーブの10dの出だしから、簡単なクラッ
クへ。リードなら10dムーブをこなしてから1本目のボルトにクリップになる。

Brick's Crack 5.10c ボルト3本のスラブ+フェイスルート。1本目のボルトが遠い。
けっこう難しさが続く好ルート。

All You Need Are Jugs 5.8 あんまり登られていないクラック。お勧めしない。

そのあとMurrin Provincial Park というところで、トラバースのボルダーをする。
ここは以前バンクーバーに住んでいた時たまに来てやっていた課題だが、当時でき
なかったムーブができたのでうれしかった。あと、湖があるのでそこで泳ぐ。

11日 バンクーバーに戻り、シアトルへ飛ぶ。

スコウミッシュのあたらしいトポあります。
スコウミッシュはバンクーバーから車で約1時間。アクセスはとてもよい。
Little Bluffというショートルートがたくさんあるエリアは駐車場から歩いて
10~15分ほど。
スコウミッシュ市内はモーテル、レストランも何軒かある。また、グランド・
ウォールの下にキャンプ場もあり、35サイト。一人一泊8カナダドル。1カ
ナダドル=約75~80円。

Mori Hikari

5.27.1999

マッキンリーからペルーアンデスへ

CLIMBING TRIP FROM DENALI TO ANDES

マッキンリーからペルーアンデスへ
花谷泰広 

99年5月から8月、ぼくのクライミングトリップ 花谷泰広 信州大学山岳会

 1996年秋、ぼくは信州大学山岳会のヒマラヤ登山隊の一員として、未踏峰ラ
トナチュリに登らせてもらった。まだ大学2年生だった当時、冬山もたったワンシー
ズンしか経験していなかった。そんな未熟者がヒマラヤに通用するわけがなく、登頂
はさせてもらったが、ルート工作はおろか荷揚げも満足にできず、喜びよりも悔しさ
が残った遠征だった。だからつぎは自分の力で、できれば現役の部員だけでどこか海
外の山に登ろうと思っていた。そういう思いを抱いていたときに会に入ってきたのが
今回のパートナーの大木君だった。彼は入会当時からモチベーションが高く、ぼくと
同じように海外の山にあこがれを抱いていた。そして99年に海外の山に登ろうと意気
投合し、その目標をアラスカのマッキンリーとペルーアンデスにした。 
  けじめ
の山 
 マッキンリー(6194m)は日本人によく名前が通っている山の1つでは
ないだろうか。ぼくのなかでマッキンリーという山は、北米大陸最高峰としてではな
く、あの植村直己を飲みこんだ山として存在している。中学1年のとき、長尾三郎氏
の著書である『マッキンリーに死す』という本を読んだ。その読書感想文に「いつか
ぼくがマッキンリーに登って、植村さんの遺体を見つける」と書いた。ぼくも植村直
己にあこがれ、山にのめりこんでしまったひとりなのだ。だからマッキンリーはぼく
にとってけじめのような山なのだ。 
 5月24日、ついにわれわれの旅が始まった。
ロス経由でアラスカ入りをしたので、ずいぶん遠く感じた。 
 25・26日は、アンカ
レッジで買い物をしたり、隊荷の整理などに追われた。アンカレッジには登山用品店
がいくつかあり、品揃えがよく安い。スーパーマーケットもたくさんあるので日本か
ら大量に食料を持ちこむ必要もない。やや高いが、日本食も手に入る。大量の荷物を
前にうんざりする。でも、26日中になんとか準備を整えることができた。 
 5月27
日、いよいよマッキンリーの登山基地タルキートナに向かう。入山手続きをして、レ
ンジャーから細かい注意事項を聞く。われわれの入山日は翌日だったので、航空会社
(ダグ・ギーティング)のバンクハウスで最後の準備をしていた。するとなんだか今
日飛び立てるような雰囲気があったので、期待していたら本当に飛び立ってしまった
。不意打ちをくらった入山だったが、とにかく早く登りたかったのでうれしかった。 
 翌5月28日から行動を開始する。スキーをはきそりをつけて出発。最近はスキー
よりもスノーシューが主流のようだ。5月は天気がよくなかったらしく、下山してく
る人はみんな「地獄だった」と言っていた。このルートのじつに3分の2の距離に当
たるえんえんと続く氷河歩き。ときには吹雪かれ寒い日もあれば、昼間の太陽の暑さ
にうんざりする日もあった。底なしのクレバスも恐ろしい。途中高所順応の失敗もあ
り、ベースキャンプ(4300m)に着いたのは6月3日だった。 
 ベースにはい
ろいろな国からの遠征隊のテントがたくさんあり、まるでゴールデンウイークの涸沢
のようだ。フォーレイカーやハンターをはじめとする山々も見ることができてとても
美しい。みんなとてもフレンドリーで思い思いのスタイルで登山を楽しんでいた。下
山する人から、食料や燃料も分けてもらえる。雰囲気は申し分ないのだが、とにかく
寒かった。着いた翌朝、いきなりマイナス30度Cまで下がった。でも日が当たるよう
になるとどんどん気温が上がり、そのうちテントのなかにいられなくなる。この気温
差にはずいぶんと苦しめられた。一度高所順応で失敗をしているので、ベースから上
はとても慎重に時間をかけて順応に取り組んだ。悪天のため、予定より2日遅れの6
月8日、アタック態勢が整った。 
 6月9日、いよいよハイキャンプ(5200m
)に向けての登高が始まった。天気はそれほどよくなかったが、われわれのように停
滞をしていた人たちがいっせいに登り始めた。デポしておいた荷物が加わると、急に
重さを感じた。ゆっくり、しかし確実に高度をかせぐ。空中散歩道を5時間くらいで
ハイキャンプ着。お茶をガブ飲みする。やはり空気が薄くしんどい。「ここでおれが
あこがれた偉大な冒険家の言葉をそのまま用いて、今日の日記を短いながら終える。
何が何でもマッキンリー登るぞ!」(6月9日の日記より) 
 6月10日、9時45分
出発。快調なペースで歩き始めた。デナリパスまでは日が当たらず風も強かったので
寒かった。アーチディアコンズタワーを越えると眼前にマッキンリー南峰がそびえて
いた。フットボールフィールドと呼ばれる広い雪原を越え急な登りを登りきると頂上
に続く稜線に出る。右側は南壁がはるか下まで落ちている。だんだん顔がゆるんでく
る。15時10分、ふたり並んでついにマッキンリーの頂上に立つ。天気がよく、360
度の大パノラマが広がっていた。交互に写真を撮り、会の歌「春寂寥」を肩を組んで
歌う。植村さんが歩んだ道をついに歩むことができたんだ。疲れた身体に鞭を打って
、ハイキャンプに戻ったのが17時20分。くたくたになった。 
 翌日まだだるかった
が下りなければならない。テントを撤収して下山準備をする。天気が下り坂だったの
で、早く下りなければならなかった。ベースキャンプに戻り、デポしていたものを回
収する。われわれも下山に不用な食料をだれかにあげようとしたが、貧弱な食料しか
なかったので、だれももらってくれなかった。仕方がないのですべて担ぎおろす。荷
が重すぎて登るよりもつらい下りだった。6月12日に無事タルキートナに戻った。 

 下山後われわれはそれぞれの旅をして楽しんだ。そして6月26日にアンカレッジで
合流して、つぎの目的地である南米ペルーアンデスに向かった。 
 
アンデスへ 

 アラスカからロスを経由してペルーに入国した。英語がほとんど通じず、スペイン
語ができないわれわれは途方に暮れた。いきあたりばったりという感じでバス会社に
行きなんとかその日のうちにブランカ山群の登山基地ワラスに着いた。 
 ワラスに
はわれわれのほかにも日本人クライマーが何人か来ていて、いろいろ教えてもらうこ
とができた。ほとんど何の情報もなしで乗りこんでしまったため、しばらくは情報収
集に時間を費やす。今年は例年にない異常気象らしく、乾期なのに雨が降る日もあっ
た。 
 マッキンリー登頂からすでに1カ月以上たっていたので、まずゆっくりと順
応することにして、最初の目的をイシンカ谷にあるウルス(5495m)、イシンカ
(5530m)、トクヤラフ(6032m)とした。 
 7月4日、ワラス出発。イ
シンカ谷のいちばん奥にあるコリィオンという村でブーロ(ロバ)とアリエロ(ロバ
使い)を雇い、その日のうちにベース(4300m)入りする。どうも天気がすっき
りせず、夕方には雨が降ってきた。翌日ウルスに登った。6日間の予定で入山したが
、ぼくの調子がイマイチで、おまけにひどい下痢になってしまい、たった3日で下山
した。天気がよくなかったのも事実だが、情けないデビュー登山だった。 
 しかし
、われわれはついていた。下山した日から天気が急によくなってきたのだ。ワラスで
体調を戻しながら、つぎの山を考えた。その結果、天気が落ち着いているうちに当初
最後に登る予定だったアルパマヨ(5947m)に向かうことにした。アルパマヨは
北面の整った三角錐、そして南西面のアイスフルートの美しさから世界最美の山と呼
ばれている。日本にいるときからその姿を一度は目に焼きつけたいと思っていた。そ
してもちろん登りたいと思っていた。 
 7月11日、ワラスを出る。コレクティーボ
(乗合バス)でカラスという町を経てサンタクルス谷の入り口の村カシャパンパまで
行く。サンタクルス谷は、トレッキングルートとしても有名で、われわれのほかにも
たくさんの人がいた。カシャパンパでブーロとアリエロを雇いいざ出発。さまざまな
花が咲いていてとても美しい。サボテンの多さにも驚いた。谷は奥に行けば行くほど
開けてきて、神秘的な風景を見せてくれる。この日はイチコーチャというところで1
泊して、翌日ベースキャンプ入りした。ベースはアルパマヨをはじめとする秀峰をた
くさん望むことができる天国だ。早い時間に着いたので、少し荷揚げをしたかったの
だが、泥棒が多いらしくあきらめた。山の美しさとは対照的な現実だ。 
 7月13日
、ハイキャンプに向けて登る。ケルンをたよりにモレーンを進んで氷河に乗り、アル
パマヨとキタラフの間のコルをめざす。氷河の上部は今にも崩れそうなセラック帯の
なかを進む。傾斜は大したことないが、荷物が重いので緊張した。のちにこのセラッ
クは崩壊し、1人が死亡した。しかし、そこを通過してコルに出るとまさにそこにア
ルパマヨの南西壁を望むことができた。やはり本物は迫力が違う。夕方には壁が真っ
赤に染まった。ぼくはその美しさを忘れることはないだろう。 
 7月14日、4時30
分に起きたが、すでに1パーティーが取付にいた。完全に出遅れてしまった。あわて
て準備をして6時20分に出発。取付に着いたがやはりわれわれが最後のようだ。取付
では、不安と緊張でいっぱいだった。なぜなら、このようなダブルアックスで長い雪
壁を登るのは初めてだったからだ。しかし、アックスを一度振るとそのような気持ち
はどこかにいってしまい、喜びがこみ上げてきた。こういう登攀をずっとやりたいと
思っていた。それがやっとできたという喜びだ。先行パーティーがたくさんいたので
、落氷がすさまじくなかなか前進できなかったが、ゆっくりと確実に進んでいった。1
2時55分終了。頂上をめざしたが、雪の状態が悪く断念した。不思議だが悔しくなかっ
た。どちらかというと満ち足りていた。でも、いつまでもそんな気持ちでいるわけに
はいかない。これから下降しなければならないのだ。不安定な支点で懸垂下降をする
。胃が痛い。取付に戻ってきたとき、急に疲れが押し寄せてきた。フラフラしながら
ハイキャンプに向かう。ハイキャンプでわれわれを迎えてくれたのはアルパインクラ
ブFOSのふたりだった。飲み物とかをいただきようやく落ち着くことができた。 

 翌日、下山の途につく。2日かけてワラスに戻った。このあとぼくは激しい下痢に
襲われ、医者に1週間安静にするよう言い渡された。登りたいのに登れない悶々とし
た日々を過ごした。この休養の間に大きな変化があった。旅好きの大木君がボリビア
に旅することになったのだ。しかし、ぼくには山しか見えていなかった。不安はあっ
たが自分の力を試したくなり、単独で登山を続けることにした。 
 
 ひとりで山
へ向かう 
 はっきりいって不安だった。日本でも数えるほどしかやったことがない
単独登山。それをいきなり海外でやってしまってもいいのだろうか。しかし、こうす
ることで今までの殻を破り、成長できると信じていた。 
 アルパマヨからしばらく
時間がたっていたので、まずはリハビリをかねて、ピスコ(5752m)とチョピカ
ルキ(6345m)に登ることにした。 
 7月25日、ヤンガヌコ谷にあるピスコの
ベースに向かう。コレクティーボでユンガイを経由してベースの入り口まで行くこと
ができる。ヤンガヌコ湖のブルーが美しい。大木君が前日ボリビアに旅立ったので、
今日からはすべてひとりでやらなくてはならない。気が張っているせいか重いはずの
荷が軽く感じる。昼過ぎにベース着。明日のルートの確認をして早めに寝る。
 
 7月26日、緊張しているせいか、ほとんど眠れなかった。1時起床。アルパマヨの反省
もあり、早めに出発することにした。2時30分出発。月明かりのおかげで、ヘッドラ
ンプなしでも行動できた。モレーンのトラバースで少し迷ったが、なんとかハイキャ
ンプに着いた。ハイキャンプには数パーティーがいて、すでに出発している人もいた
。雪が出てきたのでアイゼンをつけるとさらに気が引き締まった。トレースをはずさ
ないよう慎重に歩くがところどころにクレバスが開いていたので緊張した。夜明け前
の寒さはきびしかった。最後に雪壁を越えて6時50分山頂に立つ。正面にはチャクラ
ラフの南壁がそびえ立ち、振り返るとワンドイの大きさに圧倒された。まさに展望の
山だった。 
 ベースに戻って時間を見るとまだ9時30分だったので、今日のうちに
チョピカルキのベースまで行くことにした。荷物をまとめて下山する。道路に出たが
コレクティーボがなかなか来なかった。そこで、冗談半分でヒッチハイクを試みたら
なんと止まってくれた。登山口のすぐ手前まで乗せてもらい、ずいぶん助かった。こ
の日はベースで泊まり、翌日モレーンキャンプに上がった。 
 7月28日1時起床。
起きてテントから顔を出すと雲が多くて山が見えない。おまけにひどく身体がだるい
。あきらめてもう一度眠りかけたが、今日を逃すともう登れないような気がしたので
意を決して起きる。2時30分出発。歩きだしてはみたが、やはり身体が重い。しかし
、月の明かりをたよりに氷河を登っていく。ときどき現われるクレバスはだいぶん広
がっていて怖かった。ハイキャンプにはいくつかのテントがあり、十数人のパーティ
ーが出発したところだった。彼らを抜いてどんどん登る。ハイキャンプの上にある急
な雪壁を越えると稜線に出た。そこで初めて休憩をとった。しばらくはただ歩くだけ
だったが、6000mを過ぎたあたりから急な雪壁が連続して出てくるようになった
。頂上直下でウルタ谷側に出るが、そこから急に風が強くなり、気温もぐっと下がっ
てきた。手足の感覚がなくなっていく。ダミーの頂上をいくつか越えて6時50分、よ
うやく本当の頂上に着いた。思わず叫んでしまった。写真を撮って風の弱いところに
行き、腹に物を入れ水分をとってさっさと下山を始めた。滑落しないよう慎重に下っ
ていった。つらい下りだったが、9時40分、無事にキャンプに戻った。登頂の勢いも
あって今日中にワラスに戻ってしまおうと思い、荷をまとめて下山することにした。
この日はペルーの独立記念日でワラスの町も人が多くとてもにぎやかだった。 
 この2つの山でスピードに自信をもつことができた。そこでつぎはペルー最高峰のワス
カラン(6768m)を、1日目にモレーンキャンプに上がり、2日目に頂上を往復
し、3日目にワラスに戻るという計画で登ることにした。同じ日程で単独行の榎本さ
んが入山するので、2日目以外はいっしょに行動することにした。 
 8月1日、
ワラスを出る。コレクティーボでワスカランの登山口ムーショという村に行く。ふたり
で1頭のブーロと1人のアリエロを雇う。チェックポストで入山の手続きをして出発
。前の山の疲れが残っているせいか調子が悪い。3時間ほどでベースキャンプ(42
00m)に着いた。シーズンはもうすぐ終わりなのだが、やはりこの山は人気が高く
、まだたくさんの人がいた。われわれは4600mのモレーンキャンプにテントを張
り、早々に眠りにつき明日に備えた。 
 翌日零時にテントを出る。やけに暖かい。
氷河に達するまでに少し道に迷ったが、そんなに時間のロスはなかった。トレースを
はずさないように登る。1時30分、キャンプ1通過。ここから先はどんどん傾斜が強
くなる。また、上部のセラックが崩壊したときにそれをまともにくらうやばい場所を
通らなければならない。ガルガンタ(6000m)で初めて休憩をとった。ガルガン
タから上が今回の核心だ。事前の情報ではクレバスがかなり広がっているらしいが、
行ってみなければわからない。頂上がはるか遠くにあるように感じた。どんどん気温
が下がってきた。問題のクレバスの下にはセラックが立ちはだかっていて、底の見え
ないクレバスがすぐ下にあった。セラックをダブルアックスで越えクレバスの縁に立
つ。飛び越えたかったが反対側は壁になっていたのでそれもできそうになかった。こ
こを越えたら頂上に立てるが、はたして無事下山できるだろうか。急に怖くなってき
た。5分くらい考えた。そして、両手にアックスを握って倒れるようにして反対側に
アックスを決めてつぎに両足を移してそこを越えた。息が上がり苦しかった。でもこ
れで頂上に立てるんだ。そこから先は寒さとの戦いだった。西側を登っているのでま
ったく日が当たらない。寒さで関節が堅くなってきた。手足の感覚もほとんどなく、
しびれてきた。おまけに眠たい。頂上に立てば太陽に当たることができるので、とに
かく早く頂上に立ちたかった。つらく、長い登りだった。今までこんなにつらかった
登りはなかった。でも終わりは必ずやってくるものだ。7時30分、ついにワスカラン
の頂に立った。不思議だがうれしくなかった。むしろちゃんと下りられるのか不安だ
った。写真を撮ってすぐに下山を始めた。気がつけばアイゼンがはずれている。相当
くたばっているようだ。途中で榎本さんとすれ違い、やっと気持ちにも余裕がでてき
た。問題のクレバスにはガイドパーティーのフィックスロープがかかっていたので問
題なかった。ガルガンタに戻ってきてようやく登ったという喜びがわいてきた。フラ
フラになって12時過ぎにモレーンキャンプに戻ってきた。もうこれ以上動けなかった
。翌日ふたりでワラスに戻った。 
 ワスカランのあとアルテソンラフ(6025m
)に行こうとしたが、すでにぼくのモチベーションが切れてしまっていた。それに、
ワスカランでけっこう怖い思いをしたのでこれ以上無理をしたら死んでしまうと思っ
た。悔しかったが、今回はこのくらいが限界のようだ。でも帰国までにはまだ時間が
あったので、フライトを変更してロスに戻り、ヨセミテで1週間クライミングを楽し
んだ。 
 ぼくの記録ははっきりいって大したことはない。どれもノーマルルートか
らの登攀だったし、困難な山でもなかった。日本人で同じ時期にいた人たちのなかに
すごい登攀をした人がいるというのも知っている。でも、現時点でやれるだけのこと
はやったつもりだ。今後ぼくも彼らのようなすばらしい登攀ができるよう努力しよう
。 マッキンリーについて 
[登山のシーズン] 5~7月。7月でもかなりクレバス
が開く。われわれは5月の下旬に入山したが、そのころがベストシーズンだろう。 
[登山許可・入山料について] 登山申請は入山の2カ月前までにデナリ国立公園にす
ることが義務づけられている。申請用紙はデナリ国立公園からFAXで送ってもらえ
る。同時に、登山の手引き書を送ってもらうとよい(日本語版があるので助かる)。
ソロの場合は特別な申請用紙があるらしい。 
 登山料は1人150ドル。50ドルは
予約金として申請と同時に前払いする。クレジットカードを用いて支払うと便利だ。
 
[その他] レンジャーステーションでは地形図やガイドブックが数多く販売されて
いるので、情報収集に役立った。バリエーションルートの案内も詳しく載っていた。 
 スキーはアンカレッジの登山用品店でレンタルできる(1人150ドル)。ただ
し、シール別に用意しなければならないので注意。スノーシューはタルキートナの飛
行機会社でもレンタルできる。 
  アンデスの山について 
[登山シーズン] 5月
下旬~8月中旬が乾期で晴天の日が多く、登山に適している。だが年によって状況は
異なるので、こればかりは運である。ちなみに今回は7月になってようやく天気が落
ち着いた。 
[クライミングについて] ありがたいことに、ここでの登山は基本的に
登山申請や登山料は必要としない。だから、思いきって登山に励むことができるのだ
。ただ近年は温暖化の影響か、氷河が後退していたり、あるべきところに雪がなかっ
たりして登攀がきわめて困難になってしまったピークがたくさんある。ガイドブック
のみを信用せずに、現地で積極的に情報を集めるべきだ。注意しなければならないこ
とに、キャンプ地での盗難がある。不安ならテント番を雇ったほうがよい。ワラス近
郊のモンテレーには温泉があり、疲れた身体を癒すことができる。治安がよくなって
きたので、今後この山群にはより多くの人が訪れることになるだろう。
 

5.22.1999

月山キャンプ

天気がよくても目的地をさがすのはたいへん
 
GASSAN
 
1995-5-22
MEMBER HIROYKI HARUMI MIKA IRENE KISYA 二郎

 前夜にリフト下の駐車場にはいってテントで仮眠。ぬけるような青空と新緑のなか
で準備して10時にはリフトにのった。大混雑。モーグル大会が開催されるようだ。
みんなうまい。テレマークでこぶとジャンプをたくみに抜ける選手もいた。1時間余
で頂上。雪がすくない。頂上付近は草原になっている。去年はもっと少なかったとい
うが、はじめてみる光景だ。はるみ、みかは登りかえしがたいへんとのことで来た道
をもどるという。
 大雪城をさがしにいく。5分ほど下ると大きな雪原があらわれる。清川行人小屋を
目指すことになっているので、方角をさだめて滑り下る。広大な雪原をどんどん下る
。
 大雪原のなかに大きなクマ笹の島があるので、どちら側に下るか迷うところだ。下
り過ぎて方角が違っていたら、登りかえすか、クマ笹の島を横切らなければならない
からだ。ヒロユキさんがあっちへいってみようというので大きな台地をどんどん下る
。清川行人小屋の赤い屋根がみえた。
 もうここでいいね、ということでシールをつけて登りかえす。小1時間登って、こ
のあたりかな、というあたりで西にやぶをトラバースして四ッ谷の壁をさがす。頂上
に登り過ぎたのか雪渓が見えない。やむをえずハイマツヤコケモモのじゅうたんの上
を歩き回り、ようやく雪渓をみつける。うろうろすること30分ほど。
 上からみると小さな雪渓に見える。滑りはじめるとなかなかの大斜面である。ぎり
ぎりまで滑ってから大きくトラバースして志津の駐車場に滑り込む。
 月山荘のキャンプ場で盛大に焼肉パーティをひらく。この日はTAJの月山ミーティ
ングの日。100名くらいのメンバーが集まって大騒ぎした。こんシーズンのテレマ
ークレースの総合表彰式もおこなわれ、クロカンストックとキャップなどいただく。
(kisya)

5.01.1999

ティトンクレスト・ツアー

TETON CREST SKI TOUR IN TETON NATIONAL PARK, WYOMING

MATUSKURA KAZUO
ティトンクレスト・ツアー
      
from left,Trail head,touring,it`s me,camp site,kisya,itosan and kurokawa and tokuchi 
Hikari on ID in JT,Bouldering in JT
 
メンバー 松倉一夫、黒川晴介、徳地保彦、汽車、北田啓郎、溝部克実、真壁章一、
     真壁静子、DON SHEFCHEK,BENJAMIN BURDE

1999年5月1、2、3日


4月30日

 ティトンパスの駐車スペースにクルマを停める。すでに10台ほどクルマがあり、
滑ってきた山スキーヤーやスノーボーダーがいる。
 さっそく、われわれもスキー板にシールを着け南へと伸びる斜面を登り出す。ア
メリカに来る前に、一度だけ「田代かぐらスキー場」で試してきたが、まだ操作に
なれておらず、いきなり仲間から遅れる。時差ボケのせいか、すぐに息が上がりみ
んなについていくのがきつい。それでも20分ほどで通信小屋(?)のある稜線のピ
ークにたどり着く。
 すぐにシールをはずし、西斜面の樹林帯へと滑り込む。山スキーなら何とかなる
だろうと思っていたが、あまりに湿って重い雪にターンさえままならない。そんな
中、他の面々はこんな悪雪にも慣れているのか、次々鮮やかなシュプールを描きな
がら滑り降りていく。私はターンをしようと体重移動をすると、板のトップがひっ
かかり転倒。すでに下で待っている仲間が心配そうに見つめている。
 やっとボトムまで滑り降りると、対面の斜面へと登っていく。重く滑らない雪に
、テレマーカーはシールも着けずに登るが、山スキーでは上手く登れない。シール
を再装着し登る。すでに、北田さんたちはかなり先を行ってしまった。
「このツアーについてきたのは間違いではなかったか」
 30分もしないうちに頭をよぎる。自分だけ今のコースを登り返し、駐車場に戻っ
て待っていたほうが賢明ではないかとさえ思う。
「みんな飛ばすけど、ゆっくり行けばいいですから」
 真壁さんが私に付き合い励ましてくれる。
 先に行っていた伊藤さんも、途中で心配げに待っていてくれた。
「歩幅を小さく、マイパースで来ればいいから」
 そうは言われても、どんどん先との差が開いていくのは心許ない。今日は2、3
時間の足慣らしだから、どんなに遅れても心配はないが、本番になればそうもいか
ない。大した登りでもないのに、これほど息が上がり足が前に出ない。これではど
う考えても2泊3日のツアーは難しい。荷物も倍以上の重さとなるはずだ。もう少
し、様子を見て「ダメだ」と自分で判断したら、早めに参加中止を申し出ようと思
う。
「これでは足手まといになるのは間違いありません。みんなだけなら予定通り、ツ
アーを成功させられるのに、私がいたのではどんなご迷惑をかけるかもわかりませ
ん。私は登山口と下山口の送り迎えなどサポートに徹します」
 すでに、みんなになんと言うかも考えていた。ただ、そうは言っても、とりあえ
ず、この斜面だけは登らなければならない。20歩ごとに一息入れながらゆっくり登
り続けた。
「この先の稜線に出たら、僕らはみんなが下りてくるのを待ちましょう」
 真壁さんが、私の歩みを見てそう告げる。歩き出して1時間ほどで、ダメ出しを
されるのは辛いが、それでも、これ以上登らずに済むと思うと、「わかりました」
とお願いする。
 やっと森林限界となり稜線に出ると、さっき私を励ましてくれた伊藤さんと徳地
さんが、稜線の右手に広がる斜面の中腹まであがっていた。
「このバーンを滑れたら気持ちいいだろうな」と思うが、体は休みたがっている。
真壁さんがスコップで斜面をカットし休憩場所を作ってくれる。
 荷を降ろし、行動食を食べていると、しばらくで山頂からみんなが滑り出してき
た。なんともゆっくりしたペースだ。ビデオなどで見た豪快さとスピード感はない
。まるで、日光いろは坂をゆっくりゆっくり安全確認をしながら下ってくる観光バ
スのような速度だ。
「まるで、鳥餅の上をすべっているよう」と北田さん。
「おかゆのようだ」と溝辺さん。
 降りてくると、それぞれに開口一番、雪のひどさを口にする。昨晩の雨が湿った
雪をさらに重くしていたのだ。山頂では雪だとばかり思っていたが、うえも雨だっ
たようだ。
 全員が私と真壁さんのところまで滑り降りたところで、ティトンパスへ向け戻る
。しかし、すぐに壁が立ちはだかった。40度はあると思える急斜面。それに加え、
この悪雪。ほとんどゲレンデスキーしか体験したことのない私には、まさに未知の
雪の重さだった。
「斜滑降、キックターンで下りてくればいいから」
 伊藤さんは言うが、思いきりがつかない。
「松倉さん、そっちは雪崩れるかもしれないから、こっち側に」
 真壁さんが、木がある斜面へと誘う。と、伊藤さんが、私とは逆方向にトラバー
スした。その瞬間、斜面が崩れたのだ。
「やっぱり起こったか」
  以前、雪崩に巻き込まれて自力生還した真壁さんにが言った。誰一人慌てていな
い。雪崩は山肌をゆっくりと流れていく溶岩のようなスピードなのだ。
「今の雪なら雪崩れても手でつかめるくらいゆっくりだから心配ないですから」
 入山前に黒川さんが言っていた通りだった。
「大丈夫だから」
 伊藤さんの声に、私もこれならいざとなっても逃げ切れると、意を決し斜面をい
っぱいに使いながら斜滑降で横切る。そして、キックターン。それを繰り返しなが
ら高度を落としていく。そして、もう転倒しても大丈夫だというところまできたら
、あとは直滑降で谷底へと滑り降りた。
 再びシールを着け登高。北田さんたちは斜面を登り返して滑ってティトン・パス
に降りると言うが、私は黒川さんの先行で斜面をトラバースして直接駐車場に戻る
ことにした。ゆっくり樹林帯の中を巻きながら登っていくと、切り通しで左手下に
峠から下っていくハイウエイが一度見えた。さっきまで疲れ切っていた体が急に元
気になる。しばらくでトレースは下りへと替わりシールを外す。300mほど滑る
と一気に視界が開け、あっけなく駐車場に出た。
 ティトン・パスを出てから3時間半、私のはじめての山スキーのツアーはこうし
て終わった。

5月1日

 夜中、何度となく目が覚めた。その度にシトシトと屋根を打つ雨音で心が軽くな
っていた。昨日のティトン・パスツアーでさんざんだった私は、できればツアーが
短縮することを願っていたのだ。
「翌朝、雨の場合は1泊2日のショートツアーに切り替えよう」
 昨夜の夕食で、そう決まったとき、顔には出さなかったが喜んでいた。
 アメリカまでわざわざスキーツアーをしにきたのに、まるでツアーに参加できず
に帰るのは癪。かといって2泊3日のツアーについていく自信はなくしていた。1
泊2日……、そう、私の限界は2日間。2日だけなら、意地でも頑張り抜けるだろ
うと思っていた。
 しかし、その目論見は夜明けとともに消え去った。アメリカに入って、久しぶり
の快晴だった。
「決定ですね」
 黒川さんの声で、私の心は決まった。「辞退する」ではなく、「参加しよう」に
だ。まっ青な空が、私の心の曇りまでも吹き消していた。絶好のツアー日和に、登
らぬは損、誰もがそう考えるような空だった。
 決心が付くと準備も早い。ラーメンとシリアルで朝食を済ますと、パッキングを
すべて終えた。
「晴れたよ」
 7時10分、伊藤さんが嬉しそうに我々の部屋へとやってきた。他の面々も心躍ら
せ、出発準備を進めているのがわかる。今回、参加するのは、北田啓郎、溝部克美
のA班、伊藤文博、黒川晴介、徳地保彦、私のB班、ベン・バーディー、ダン・シ
ェフチクのアメリカ人チームC班、そして真壁章二・しずこご夫妻のD班の10人だ
。
 8時30分、宿をチェックアウト。4台の車に分乗し、Granit Canyo
n Trailheadを目指す。私と徳地さんだけは、下山ポイントのJENN
Y LAKEに車(スバル・フォレスター)を回送してから向かう。
 10時10分、全員が揃い、トレイルヘッドの看板脇で記念撮影をしてから出発。し
ばらくは雪がなく、ザックにスキー板を装着して樹林帯を行く。エルクかムースか
、分からないが、そこら中に糞がこぼれている。まるでチョコボールのようにコロ
コロしている。糞の玉は50~100個くらいが一塊りになっている。糞は排出され
たばかりかなり熱を持っているのだろう。いずれの糞の塊もちょうどボール状に丸
く凹んだ穴にきれいに収まっている。
 そんなことを考えながら、樹林帯をゆっくりと登っていく。
 みんなはテレマークブーツだが、私だけが山スキーの兼用靴。歩きにくい。それ
でも、スキー板をつけて歩くよりは、私にははるかかに楽だ。まだ、板をつけての
歩行に慣れていないのだ。板を前に引きずるのは、足を普通に前に出すのとは違っ
た筋肉を使うのか、長く歩いていると股関節の外側の筋がなぜか痛くなってくる。
 しかし、スキー靴での歩行はいつまでも続かなかった。約1時間で、トレールは
完全に雪に覆われ、板を付けることになる。
「今日は調子良さそうだね」
 沢沿いで2回目の休憩をとっているとき、伊藤さんが声をかけてくれる。私も不
思議と今日は息が上がらない。まわりの景色を楽しむ余裕もある。切り立った岩峰
と直立するシダーや米松の森が、いかにもアメリカの風景だ。
 昨日は時差ボケなどから、あんなにバテたのだ。ふだん、水泳やバスケットをや
って鍛えている私が、いくらはじめての山スキーツアーとはいえ、登りであんなに
息が上がるはずない。「そう、自分は体調が悪かっただけなのだ」と自分自身に言
い聞かせる。
 その後も、しばらくは足運びがつらくなることもなかった。ただ、いくら歩いて
もなかなか近づかない、あまりに遠い本日のキャンプ地が恨めしい。
「もう3分の1は来たでしょ」
 期待を込めて言うと、真壁さんが「4分の1がやっとでしょ」と答える。「もう
3分の2は来たでしょ」の問には「半分ぐらい」とそっけない。
 私は歩いた距離よりも、時計とにらめっこしながら勝手に自分がどれぐらい進ん
だかを推し量ろうとしていた。
 16時過ぎ、半分以上雪に埋もれたGranit Canyon Patorol
 Cabinに到着。かなり古ぼけた丸太小屋だ。これがアメリカの昔ながらのロ
グキャビンなのだろう。
「丸太のつなぎが粗いから、セメントのようなものが詰められている」
 山中湖に別荘のログハウスを購入したばかりの伊藤さんが感慨深げに言う。
「どこまで進もうか」
 北田さんたちA班はMarion Lakeまで行きたいと主張。B班と外人チ
ームはシェルフの下に平らがあるはずだから、その辺りにしたいと答える。
 すでに歩き始めて6時間が経過。調子が良かった私もだいぶ疲れてきている。で
きるだけ近場で今日のキャンプとしたいと願う。
 答えが決まらないままに再出発。ここからNorth Fork沿いに右へとゆ
っくり登っていく。昼間あんなに天気がよかったのに、だんだん雲がたれ込めてく
る。やはり天気予報通り、晴天は1日と続きそうにない。しばらくすると、小雪が
舞う。
 早くキャンプ地を決め、腰を落ち着けたいと思いながら、ただただ黒川さんが先
導してつけているトレールをたどる。
 1時間ほど歩くと、やっと樹林帯が大きく開けた平原に出た。まさにキャンプ地
にぴったりといった感じ。平原の右には沢が流れ込んでいる。すぐにでもザックを
下ろしてキャンプの準備をしたい。
 しかし、真壁さんが一人、どんどん先へと進む。時計を見ると17時を10分ほど過
ぎている。A班はもっと行く気なのだろうか。
「もう、今日はここにしましょう」
 そう叫びたくなるが、ただついてきただけの私に言えるはずもない。ゆっくりと
ついて行くしかない。そのときだった。少し離れてやってきた外人チームが、今日
はここでキャンプにしようと言ってくれた。伊藤さんや北田さんたちも「それじゃ
、そうしよう」となった。
「まかべさーん。ここでキャンプしましょー」
 すでに100mほど先に行っている彼に向かって、私は思わず声を張り上げてい
た。もう、それ以上一歩たりと先に進まないでくれと願いながら。
 そして、ついに平原北端の木のそばで1日目のキャンプとなった。
 場所が決まると、めいめいにテントが設営された。アライのゴアテックスのテン
トが4張り。徳地さんだけがツエルトだ。徳地さんはもし夜中、吹雪いてどうしよ
うもなくなったら「逃げ込ませてね」と言うが、誰も「うん」とは言わない。ちょ
っと可哀想だが、誰もがゆったりと寝たいのだ。もちろん、生死にかかわるような
事態にでもなれば、話は別だが、装備は万全。少々、寒くたってツエルトでも充分
に寝れること知っているのだ。
 テント設営を終えしばらく休んで、18時過ぎから夕食の準備。B班はそれぞれに
コッヘルに好みの食事をつくって食べる。とは言っても、ジフィーズだ。私は牛飯
。伊藤さんが、1日頑張り抜いた私をねぎらってか、私の分まで食事を作ってくれ
た。水を入れすぎビチャビチャだったが、喉の乾いている私には十分美味しかった
。完全に暗くなる21時過ぎにシュラフにくるまる。

5月2日

 時計を見ると、まだ夜中の2時を過ぎたばかりだ。なかなか深い眠りにつけない
。遠足の朝を待つ子供のように30分おきに目が覚めていた。
 からだが暑かった。ほとんど冬山を経験したことのない私は、寒くて寝られない
のだけはゴメンと、ダウン800gの冬用シュラフを用意していた。さらに防寒着
を着込んでいた。とくに下半身が蒸し暑い。伊藤さん、黒川さんを起こさないよう
にと気を使いながら、狭いシュラフの中で、フリースのパンツと靴下を脱ぐ。
 テントの外では静かに雪が降っていた。屋根にパラパラと落ちる音がかすかに聞
こえる。雪というものは音もなく積もっていくものだとばかり思っていたが、雪質
によって違うことをこの山行で知った。今、降っている雪はふわりふわりと落ちる
牡丹雪ではなく、まっすぐ落ちる硬い雪に違いない。そんなことを思いながら、隣
で寝息を立てる二人を羨ましく感じていた。
 天候は下り坂だという。夕食のときの話では、荒れればこのまま下山となる。登
りよりも下りのスキー滑降のほうに不安を覚えていた私には、昨日のゆるい登りを
戻るほうがはるかに楽だろうと感じていた。登ってしまったなら、下るのはDea
th Canyon、地獄の谷である。名を聞いただけでも、難行苦行を強いられ
そうな感じだ。
 時計を見ると2時を回っていた。夜明けまで3時間半。
 天候が持てば、ひとまず稜線まで上がってから後の対応を考えるという。先の行
動が決まらずに動くというのは、何とも心細い。登ったはいいが、やっぱりダメだ
から戻るというのはくたびれもうけの感がぬぐえない。その点では、まだまだ私は
挑戦者ではなく、観光気分で山に入っていると言ってもいいのだろう。「登れると
ころまで登る」ではなく、「登れると分かっているから登る」でなければ行きたい
と思えないのだ。
 そうはいっても、結局、行くか行かないかを決めるのは各班のリーダーたちの話
し合い。私は決定にしたがうのみ。天候がカラリと晴れればGO、だめなら下山。
そんなわかりやすい決定を望みながら、再び眠りへと落ちていった。
 誰かがテントの内側をバタバタバタと揺らし、屋根に積もった雪を落とす音で目
を覚ました。時計を見ると6時を回ったところだった。外はうすら明るくなってい
た。それを機に私たちは起床。
 起き出すと伊藤さんはすべての準備が早かった。外に出て、すぐにお湯をわかし
朝食の準備をはじめる。私と黒川さんはテント内で準備。山の朝はやはりラーメン
がいい。食べやすいし、体もあったまる。
 しばらくすると、北田さんがやってきた。10時まで待って、どうするかを決める
という。考え方は3つ。1、このまま昨日のコースを戻る。2、荷物をここに置い
たまま稜線まであがり、眼前に広がる斜面を1本だけ滑ってから下山。3、荷物を
もって稜線へとあがり、当初のTETON CREST TRAILをたどりFO
X CREEK PASSを越えてDeath Canyonを下るというものだ
。
「まっちゃんはどうしたい」
 伊藤さんが聞く。
 シンシンと降り続いている雪を見ていると、私のなかでは1か2しかありえなか
った。気分としては2だった。北面から東面にひろがる斜面はいかにも滑りやすそ
うな斜面に見えた。雪が昨夜から降り続いていたため、これまでの雪質に比べると
ずっといい。ここを滑って今日中に町に降りる。そして、ジャクソンで有名なカウ
ボーイ・バーで乾杯する。
 しかし、私の思惑とは裏腹に3の選択となった。あろうことか、答えを決定する
10時頃になると、雪がやみ、一部だが雲が切れ青空が覗いてしまったのだ。
 決まればやることは早い。伊藤さんが「みんなをびっくりさせてやろう」と言い
、他のチームがのんびりしているなか、さっさとテント撤収から出発準備を済ませ
ると、いち早くスタートを切ったのだ。
 伊藤さんが先頭でトレースをつけながらどんどん進んでいく。2番手に私が続い
た。そして、10分ほど進んだ急登の手前の木立の陰で待つことにした。
 15分ほどで全員がそろった。ここからいよいよ本格的な登りとなる。
 真壁さんが重戦車のようにがんがん登っていく。しかし、今回は私は慌てない。
ティトンパスのときのように、慌ててついていこうとするとペースを乱されバテる
のが目に見えている。スキーのクライミングサポートを立てると、ゆっくりと登り
始めた。稜線が近づくにつれ、かなり大きな雪庇が張り出しているのが見て取れる
。
 きつそうに見えた急斜面もジグザグ登高でマイペースで行くと、意外とあっけな
く稜線に立つことができた。稜線は思ったよりもなだらかでだだっ広かった。
「ここからが当初のコースだ」
 伊藤さんが言った。
 1日半かかって、やっとTETON CREST TRAILに出たわけだ。日
本での予定ではTETON PASSからこのTETON CREST TRAI
Lをたどり、主峰GRAND TETONの脇を抜けてCASCADE CANY
ONを下りJENNY LAKEへと滑り降りる予定だった。しかし、現地入りし
てさまざまな情報から入山をGranit Canyonからに変えたのだった。
 時計の高度計で標高を確認すると3045mを差していた。今回の最高点だ。時
計は13時を少し回ったところ。木陰で風をさけて行動食をとる。雪が少しずつ強く
なっている。
 しばらく休むと、広大な斜面をゆるやかに下り、FOX CREEK PASS
にたどり着く。今回楽しみにしていたDeath Canyon Shelfの岩
棚が見える。しかし、そちらへは進まず、Death Canyonへと向かう。
 いきなりの急斜面。巨大な雪庇で下れるところはほんの一部しかない。雪質も最
悪。TETON PASSのときよりもひどいくらいだ。べちゃべちゃでしかも深
い。伊藤さん、北田さん、ダンが先陣を切り、果敢に降りていく。ほんとうに滑り
にくそうだ。20年以上年間100日もテレマークスキーをしてきたダンにしてもテ
レマークポジションを取るのに苦労している。果たして私はここを滑れるのだろう
か、と怖くなる。
「そっちにいったらダメだよ」
 真壁さんが叫ぶ。溝部さんが急な斜面を避けるように、左へと滑っていったが、
下には大きな雪庇があり、さらに下には岩が覗いている。私は溝部さんはきっと分
かって行っているのだとは思うが、足元が崩れはしないかとハラハラしてならない
。結局、しばらくすると、ダメだとあきらめたのか、戻ってきて、伊藤さんたちが
滑ったところを降りていった。最後まで残ったのは真壁さんご夫妻と私。奥さんと
私は真壁さんのリードにしたがい、雪崩に気をつけながら順番に斜滑降とキックタ
ーンを繰り返しながら少しずつ滑り降りていった。
 その壁を抜けると、あとはずっと緩やかな斜面だった。ただ最悪の雪質にスキー
が滑らない。下りなのに歩行をしなければ進まないのだ。私は今日中に下山できる
のだと思っていた。ベンも「今日は下りてカウボーイバーだ」と言っていたのだが
、結局、下りにも関わらず思うように距離が稼げず、3時過ぎ川のそばの平らでキ
ャンプとなった。
 テントを張り終えるを待っていたかのように、雪が本降りとなったきた。牡丹雪
が周辺の木々をみるみる白く化粧していく。
「真冬の雪だね。まるで上越の雪みたい」
 伊藤さんが言う。
 まさに1日にして野山を真っ白に変える湯沢あたりを襲う豪雪のような降りだっ
た。当たり前なのだが、アメリカも日本も雪が降っている様子は変わらないのだと
、妙に納得する。
 17時半過ぎ、私と黒川さんはテント内で、伊藤さんだけが外で食事をする。私た
ちを気遣ってか、窮屈なテント内で食事をしたくないのかは定かではない。私はカ
ルボナーラを食べたが、なかなか美味しかった。
 しばらくすると、徳地さんがつまみ、お茶をもってやってきた。全員が狭いテン
トに入ってティータイム。雪はますます強くなってくる。
「ツエルト、だいぶ雪が積もってきたよ」
 徳地さんが入口から木陰のツエルトを見ながら言う。たしかに黄緑のツエルトが
白くなっている。
「でも、ゴアテックスだから……」
 伊藤さんが笑う。
「夜つぶれないかな」
 徳地さんが続ける。
「あんだけしっかり張られていれば大丈夫だよ」
 昨日と同じようなことが繰り返される。昨夜、ちゃんと夜を過ごせたのだから、
今日だって大丈夫だという理論だ。でも、状況はちょっと違うかも知れない。日が
暮れると、昨日よりはるかに冷え込んできている。それでも、しばらくすると諦め
たのか、徳地さんは自分のツエルトへと帰っていった。後ろ姿が少し寂しそうだ。
 もし、あの立場が私だったら、きっと伊藤さんはこっちにおいでと言っていたの
ではないかと思う。一人でツエルトに寝せるのは心配だから。ああやって、徳地さ
んを一人で行かせたのは、彼なら一人でも乗り切る能力があることを知っているか
らだ。
 食事もお茶も終われば、もう何もすることはない。寝るだけ。すでにかなり冷え
込んでいた。今日はジャケットとオーバーパンツも履いてシュラフに入る。

5月3日

 昨夜同様、何度となく目が覚めた。目を開けると、天井に黒い陰。雪がだいぶ積
もっていることが分かる。その度に内側からバンバンバンと叩いて雪を落とす。昨
夜はカラリと乾いていたテントの内側が湿っている。着込んで寝たため寒さは感じ
ないが窮屈だ。足が火照ってしょうがない。今日も、シュラフ内でもぞもぞと靴下
を脱ぐ。
 伊藤さんは夏用のシュラフで寒いのだろう。私のほうに寄っている。ふと、徳地
さんは暖かく寝ているだろうかと考える。
 一度、目が覚めると寝付けない。30分おきぐらいに浅い眠りから覚め、その度に
テント内側を叩きながら朝を迎えた。
 6時起床。雪はやんでいた。解かした雪でチキンライスを食べる。しばらくする
と、徳地さんが元気そうにやってきた。他のチームもそれぞれに食事の準備をはじ
めている。
「今日も先に行きますか」
 私が伊藤さんに聞くと、「今日はラッセルしなけれんばならないから最後にしよ
う」と笑う。何ともお茶目な伊藤さんだ。それでも「犬走りの伊藤さん」という異
名は生きていた。出発準備が終わると留まってはいられない性分なのか、他のチー
ムを出し抜いて8時10分に出発。
 新雪が覆っているが、思ったほど深くはない。先頭を伊藤さん、2番手を徳地さ
ん、3番手を黒川さん、そして私と続いた。だらだらな傾斜で半分以上は自分の足
で進むしかない。それでも、体調はばっちり。順調に進んでいく。
 しかし、30分ほどで状況は一変した。先頭の伊藤さんは沢との出会いで左岸を進
んだが、徳地さん以下は右岸をとった。伊藤さんは沢にかかっていた橋を見落とし
たのだろう。徳地さんは気がつき、夏道のトレールにしたがって進んだわけだ。選
択としては徳地さんが正しい。左岸はいかにも雪崩の危険がありそうで、ところど
ころデブリが見えた。しかし、実際は伊藤さんがずっと楽なコースをとった。我々
のコースははじめの100mばかりは快適だったが、あとは登ったり下りたりが激
しく、ルートファインディングも難しい。私は途中何度が転倒し、ストックが縮ん
だまま伸びなくなり、1本がほとんど使いものにならない状態で進んだ。
 それでも、1時間ほどでやっと伊藤さんが待つ地にたどり着いた。
「あんまり遅いんでどうかしちゃったのかと思ったよ」
 自分たちが右岸を行ったのだと告げると、左岸は一度デブリの中を抜けたけど、
あとは全然問題なく楽にこられたと得意げに笑う。伊藤さんにはそういう楽をする
嗅覚があるようだ。初日、やはり同じようなことがあった。私たちは沢沿いをさけ
て高巻きしたが、伊藤さんだけが果敢に沢沿いを行った。結局、最後きびしい斜面
を横滑りと斜滑降で沢まで下らなければならなかったのは我々のほうだった。
「これからはどちらに行くか迷ったら、伊藤さんについていこう」
 そう決める。しかし、実際はその後、そういう選択を強いられることはなかった
。
 全員が揃うと再び下山。私の縮んだポールは北田さんが直してくれた。餅は餅屋
か。
 ここからは左岸を行く。アップダウンはなくだいぶ滑りやすくなってきた。しば
らくで樹林帯が切れ、広い斜面となる。昨夜の雪でこれまででは一番のコンディシ
ョン。伊藤さんが豪快に滑っていくと、次々に思い思いのシュプールを描き滑り下
りる。私が行こうとすると、黒川さんが私の滑りを撮りたいのでちょっと待ってて
と言い先を行く。
 黒川さんがGOの合図を出す。斜度は15度ぐらい、長さも100m弱。これまで
ひどい滑りばかり見せてきたが、雪質さえ良ければ少しは滑れるというところを見
せたい。すでに滑り降りた面々が私の滑りに注目する。
「この雪ならいける」
 私はウエーデルンでかっこよく決めようと飛び出す。しかし、ザックが重い。か
らだが振られショートターンは難しい。ウエーデルンは諦め、中ターンのパラレル
で飛ばす。5回ほどターンしたらもうみんなのところに着いてしまった。思惑とは
違ったがまずまずの滑り。勢いよくブレーキをかけ止まると、伊藤さんにひとこと
言われた。
「まっちゃん、山でそんなに飛ばすと危ないよ」
 ちょっとショック。
 そこを過ぎると、あとは滑りらしい滑りを楽しむことはできなかった。徐々に雪
は少なくなるし、岩や灌木が多くなり、それを避けながら行くので精一杯。若木の
幹をエッジで傷つけるたびに、心の中で「ごめんなさい」と言いながら進む。
 昼過ぎにやっとPhelps Lakeに到着。しかし、下りすぎたようで沢を
渡れない。少し沢沿い戻り、橋を見つける。橋を渡ったところで、ゆっくり休み行
動食を食べる。
 あとは湖沿いを南下し、林道を目指す。もう一息で、駐車場まで戻れる。しかし
、気がゆるんだのか一気に疲れが出てきた。湖沿いとはいえ、小さく登ったり下り
たりが続く。しかも、小さな流れを飛び越えたり、木をまたいだりでスキーをつけ
たままではまともに歩けない。これまでは何とかついていけたが、だんだん差が開
いてくる。いっそ板を担いで、つぼ足で歩いたほうが楽だろうと、スキーを脱ぎし
ばらく行くが潜って歩けない。
 結局、再びスキーを着けて出発。途中で、遅れ始めた私を徳地さんと黒川さんが
待っていてくれる。申し訳ないと思うが、ペースは上がらない。それでも、湖から
離れるとまた進みやすくなってきた。そして、左手に林道がちらりと見えた。やっ
と戻ってきた。あとは板を担いで林道を歩いていけばいい。真壁さん、伊藤さん、
徳地さん、黒川さんが林道脇で私を待っていてくれた。
「まっちゃん、のんびり来て……。誰かが迎えに来てくれるだろうから」
 伊藤さんはそう言うと、さっさと林道を下っていく。私も板をザックにくくりつ
けると、さっそく出発。しかし、山スキーの靴では林道は歩きにくい。林道脇の未
舗装路を選んで進む。徳地さんは、これならスキーほうが楽と再び装着して、雪が
残っている森へと上がり滑っていく。再び自分だけが取り残される。
「まーいいか。マイペースで行こう」
 私は一人ぶらぶらと進む。10分ほど歩いただろうか。前からワインレッドのレガ
シーがやってきた。ダンさんとベンさんだ。
「グッド・ジョブ」
 ダンさんが車から下りると握手を求めてくれた。
「サンキュー」
 時計を見ると2時少し前だった。やっと、ツアーが終わったのだ。そのときは感
激はほとんどなかった。重いザックと歩きづらい靴から解放されたことが、何より
も嬉しかった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

以下2017年12月伊藤フミヒロ追記

 

このあとジャクソンに戻ってながれ解散となったはず。徳地さんがトラックでロス
アンジェルスまで帰るというので黒ちゃんと3人で旅をすることになった。
しばらくそのことを忘れていたが、こないだ徳地さんと、あれは面白かったね、と
その長距離ドライブが話題になった。googlemapでそのルートを出してみたがおおむ
ね写真のようなものだったはず。

ジャクソンからアイダホに下って、シティオブロックスで岩場を見学、ベントに入
ってバチェラースキー場でひとすべりしてからスミスロックも見学したのを
覚えている。あとはカリフォルニアを縦断するドライブで、途中シャスタ山麓で1泊。
洒落たロッジで暖炉を囲んでくつろいだのが楽しかった。2泊のドライブでロスアン
ゼルスに着いたはずだが、そのあとどうしたかは記憶にない。

rock&snow誌の2000年の秋号と冬号に徳地さんがこの山旅とドライブの記事を書いて
いてこないだ久しぶりに見てみたがよいレポートだと思った。山ツアーの記事も
rock&snow誌のどれかに掲載されているはず。

シティオブロックスで撮ったトラックの入った写真は、下請けで日本のロシニョール
のカタログを作ったときに見開きで使ったはず。カタログにはアルプスの写真など
アリネガを総動員して思い出のアルバムのようになってかなり満足したのだが、はて実物は
どこへ行ったかな。

4.04.1999

天狗原から蓮華、雪倉岳

SKIING IN YUKIKURA NORTHERN ALPS.

天狗原から蓮華、雪倉岳
1999-4-2,3,4

ゆきくらだけ
 member 岩岳スキースクール主催のスキーツアに参加 松倉突撃レポーター
 
4月2日
7時に岩岳スキースクールに集合。先生は降旗義道さん。参加者は総勢17名(女性
4名、男性13名)。マッターホルンを登ったご婦人、キリマンジャロ遠征経験あり
のお嬢さん、オートルートを滑ったことのある中年男性、岩岳に35年も通っている
お父さん、そして京大スノーウルフOBの面々と、いずれも足自慢の人ばかり。山
スキーに混ざって、テレマーカー、スノーボーダーも各1人ずつ参加。
 10時少し前に栂池高原スキー場のゴンドラ終点からシールをつけて登高開始。雨
がぽつぽつと落ち始め、それぞれレインウエアやアルパインジャケットに身を包む
。約1時間の登高で運行停止中の栂の森リフト下に逃げ込む。雨は一段の強くなり
土砂降り状態。20分の休憩で昼食をとる。
 11時20分出発。急な斜面をジグザグに登高。一度小休止を入れて登る。雨でサン
グラスが曇り視界が悪い上に、汗が目に流れ込み痛い。近くに見えながらなかなか
近づかない稜線。息は切れ切れ、雨が容赦なく叩きつける。つらい。ただ前を行く
人のスキーテールだけを見つめて登る。
 12時15分。やっとのことで稜線を乗越し天狗原。大きく右へと巻き込むように進
む。風も強くなってきた。ゴアテックスのジャケットもオーバーグローブもまるで
効いていないように中が濡れてくる。
 12時40分。少し下ったところでシールをはずす。いよいよ滑降。いきなり急な樹
林帯。ダケカンバをよけながら慎重に下っていく。雪はグシャグシャにくさってお
り、すぐに足がとられる。それでもほとんどの参加者とも足前はすばらしく、先導
の降旗先生のあとをすいすいついていく。私だけがターンごと、ギャップごとに転
倒しどんどん置いて行かれる。スタッフの福島寛二郎さんが心配そうな顔で私につ
きっきりで滑ってくれる。感謝。
 振子沢に入るとコースはますます狭くなり確かなスキー操作が要求される。雪は
べちゃべちゃで滑らないため、こければすぐ止まる。私は滑るよりも転倒したほう
がかえって安全と思い、危ないと思ったらすぐに座り込みこけまくりながら滑る。
 14時5分。全身濡れネズミで何とか蓮華温泉に到着。下着からグローブから、ザ
ックの中からすべてびしょびしょ。絞ると水が滴り落ちる。
 部屋に入り、スタッフバッグ内のなるべく濡れていない衣類を探し着替える。体
がとろけそうなほど温泉につかりひと心地つく。
 夕方になると、雨は雪へとかわりどんどん積もっていく。
「降りすぎなければいいけど」
 と降旗先生。15センチ以上になると、雪崩の危険も出てくる。
 18時に夕食。トンカツをおかずにご飯を2膳食べる。
 夕食後はひたすら食堂のストーブで濡れたものを乾かす作業。乾燥室がないので
ぜんぜん乾かない。それでもうすら乾きになったところでOKとして、就寝前にも
う一度温泉に浸かって眠る。
4月3日
 朝から快晴。積雪は10センチほど。朝食を6時にとり、蓮華温泉を7時5分に出
発。
 蓮華の森を滑り、平馬平まで下ってから滝見尾根を登っていく。しばらくで尾根
をはずれ、山腹を巻き込むように沢筋へと進む。雪倉ノ滝へ向けて傾斜はどんどん
きつくなる。ジグザグの方向変換もたいへんで、キックターンを使う。
 滝の落ち口上部(現在、滝はもちろん雪の中)の雪面に切れ間が見え、不安がよ
ぎる。早く沢筋のトラバースを済ませたいと思うが、息が上がり足が進まない。強
い日差しですでに雪もくさりはじめ、時折トレースが崩れ足が安定しない。中年男
性一人だけがペースについて来れず、サブリーダーのカンさんに付き添われ脱落。
 私もかなりへばってはいたが、やっとのことで沢の上部へと到着。雪倉岳山頂を
望むと雪煙が舞い風が強いことが一目瞭然。少し早いが9時30過ぎに昼食をとるこ
とになる。右の踵がひどい靴擦れ。一度脱いでテーピングを行なう。
 20分ほどの休憩を終え再び登高。沢筋を抜けてからは進路を右へ、雪倉岳の北斜
面へと回り込むように登っていく。すぐにまた息が上がり始める。はじめは40歩ご
とに一息入れながら登っていたのが、30歩ごと、22歩ごと、10歩ごととなる。とき
おり強風がふきつけ雪煙が頬にあたり痛い。こんな状態が長く続くと凍傷になるの
だろうなと思いながらもびりっけつをゆっくりと歩いていく。
 樹木がかたまっている標高約2200mあたりの傾斜のゆるいところで登高終了
。木に隠れながらシールをはずし滑降の準備を行なう。
 ハイマツが一部出ている斜面を横滑りしながら下りていくと広く最高のバーン。
降旗さんがまず安全を確認しながら斜面を大回りしながら下りていく。OKの合図
で「待ってました」とばかりに若者たちがショートンターンでパウダーをかっとん
で行く。京大スノーウルフの面々は二人一組で8の字を描きながらの滑降。そんな
なか、私だけが斜滑降、転倒、キックターンを繰り返しながら落ちていく(まるで
滑っている感じはしない)。頭から何度つっこんだか分からない。
「いけない」と思った瞬間、左鎖骨に痛みが走る。動かしてみる。折れていない。
ひと安心し立ち上がり滑降。
「うっ」                                                                  
       
今度は右股関節がギクッと言った。立ち上がろうとすると右臀部と大腿骨のつぎ目
が痛い。無理に足をどんとついてみる。何とか我慢できる。
 あとはただただ騙し騙し滑り続ける。他のみんなとは相当離れてしまったが、今
日はずっとヒデ(北林英行)さんが、最後部から私を見守っていてくれる。
 やっとのことで、瀬戸川にかかる吊り橋が見えてきた。そこで滑降は終了。そう
思った瞬間、またも転倒。板の前部と腿がくっつくほどに曲がり、靴が外れた。テ
レマークスキーでは初。外れたおかげか足首の骨折は免れた。気を取り直して板を
再装着してみんなが待っている吊り橋脇まで滑り降りる。
 一休みしてから、板を担いで吊り橋を渡って対岸へ。シールを装着して、13時
30分登高開始。いきなりの急登でジグザグに登っていく。風が強くなり、ジャケッ
トを脱いでしまったことを後悔する。しかし、再び着ているとまたまた遅れてしま
う。我慢して登り続ける。尾根を乗越し下っていくと平馬平。あとは今朝来た道を
たどるのみ。15時10分。疲れ切ってなんとか蓮華温泉へ到着。一気に気が抜けると
、靴を脱ぐのも、階段を登るのもつらいほどにふくらぎがはっている。それでも、
部屋で服を脱ぎ捨てると一目散に温泉へ。靴擦れの痛みを我慢しながら熱い湯に浸
かり、ふくらはぎをマッサージ。
夕食を済ますと、ミーティングには参加せずに部屋に戻り8時半には眠りにつく。
4月4日
 快晴。最高のツアー日和。しかし、我々は下山。8時半出発。少し滑ってからは
シールをつけてひたすら車道歩き。最後に15分ほど急登をし稜線に。昨日のツアー
コースがばっちり望める。10時半頃の早い昼食をとり、11時から滑降。私は今日も
またびりっけつをこけまくりながら行く。12時過ぎに木地屋の集落に到着。送迎の
バスに乗り込み、岩岳スキー場に13時過ぎに到着。
 13時45分に準備を終え、帰宅の途に。昼食はお馴染みの大町の三洛でラーメン定
食。
 高速は大きな渋滞もなく川崎さん宅に19時到着。わが家へは21時30分到着。

(松倉一夫記)

4.03.1999

守門岳横の 岳のスキー

SKI ING IN OHDAKE NEAR SUMON,NIGATA PREF.
守門岳横の大 岳のスキー
1999-4-3,4

おおだけ
 menber 真壁夫妻、ひろゆき、ごみ、ゆみ、汽車 次郎
 
 1999-4-03 
 天気も悪そうというので珍しく朝出のプランにしたのに、三芳
 でみんなと合流するころはすっかり春めいた花見びより。周囲の山々
 をながめながら青空のもと新潟までドライブというややまぬけな出だ
 しであった。さすがにトンネルをこえると雲も多く風もつよい。山は
 今日はたのしくないね、などといいながら、SLランド着。除雪や登
 山口の偵察に何人かがいく。温泉にはいってはやばやとお酒をいただ
 き、夕食でできあがって7時には就寝した。みんなは夜までおしゃべ
 りしていたらしい。
 
  4-04 
  朝からピーカンとなる。615青雲荘をでて、
 大平手前の除雪終点、橋のうえに車をとめる。地元の山スキー愛好家
 にはよく知られているのだろう�ダース以上のひとが入山の模様。700
 、いきなり尾根にとりつき長嶺まで1時間。ひと休みして大岳まで樹林
 帯を直登、森林限界のうえもほとんど直登で、頂上着10時前。よいトレ
 ーニングになった。
 春スキー日和。もうひといきと守門岳めざして稜線をくだる。セッピ
 が大きいのできをつけなければならない。急な稜線をくだり、あとはひ
 たすら登っていくと遠くに見えた守門も間近。11時すぎには頂上にいた。
 大原からあがってくる人も多い。長靴で登ってくる人もいる。
  シールをはずして来た道をもどり大岳にはつぼ足でのぼりかえし、休
 憩。1時すぎに滑り出して、ゆっくり楽しみながらくだる。登りのとき
 は堅かった雪面もほどよく軟化、くだるほどにグズグズの雪にかわる。
 スキーに絶好の斜面だった。上部はほとんどゲレンデ状態、下部は見事
 なブナの樹林のなかを滑走するのだ。してみるといちばんポピュラーな
 大原コースというのは守門岳周辺ではいちばんスキーに向いていない尾根
 ではないだろうか。
 昨年の田小屋くだりもこの大平ルートにくらべると快適度は落ちるよう
 な気がした。車には300着。
 1日中強い日ざしに当たっていたのでみんなの顔もあかい。
 温泉にはいり目黒邸の手前のそばやで夕飯をたべました。
 渋滞消えをまちながらとろとろと帰京。11時着。
  

3.20.1999

火打山から澄川くだり

火打山から澄川下り
1999-3-20.21

澄川くだり
 
member 渡辺賢二、汽車

3-20
モルゲダール風見鶏で朝飯をいただき杉の原スキー場の駐車場へ。
杉野沢第三高速リフト1000始発にのり1030三田原山目指してあるきだす。ナベちゃんの旧知の山スキ
ーヤー7人組とほかに数人が三々五々登りだす。
高曇りの寒い日。前日の大雨が全山を氷化させている。そのバーンの上に新しい雪が吹きだまったり
している。スキーでジグザグにがんばる人が多いが、アイゼンを使っていっきに三田原山へ。
北風の強風に向かって稜線をトラバース。三田原頂上から左手の森のなかへ滑り込む。そこそこのパ
ウダーがあった。下りすぎないうちに右に大きくトラバースして黒沢池へ。高谷池に向かってもう一
度登り1500ヒュッテ着。この日の冬季小屋利用者は15人くらい。快適な一夜をすごす。
3-21
天気予報によると夕方から明日にかけて、日本海を大きな低気圧が通過するとかで山は大荒れにあれ
るとのこと。2泊の予定ではあったが、長居無用と澄川を抜けて下山するプランにきめて、800に火打
山へと向かう。途中でまたアイゼンにはきかえ稜線に達する。昨日と風向きは大きくかわり、きょう
は南風の強風。
コルからいっきに澄川へと滑り込む。
昨年もヒュッテで合って、笹倉温泉へ下ったゼフィルスのなんとかさんが火打の頂上から澄川は急斜
面を降りようとしているのがみえる。山スキーの中年7人組みもわれわれのあとから滑りこんできた
。
前々日の雨で氷化したのはこの山域すべてだったらしい。その雨で起きたブロック雪崩がいたるとこ
ろで凄まじい状態をみせている。恐る恐る様子をみながら、しかも猛スピードで下る。
なんとかさんのトレイルが先行しているのでそれに従ってどんどん下る。発電所の手前500メート
ルくらいのところで右手の尾根状台地に登り返し、急な斜面を発電所へと滑り込む。
つり橋をおっかなびっくり渡り、再びシールをつけて向かいの尾根につけられた林道に登りかえし、
そのあとシールをはがして長い長い林道滑り。中郷村着1430分。山はかすみ雨が振り出していた。風
はおさまる気配なし。タクシーで杉野原に戻り車をピックアップ、かんぽの湯にはいりモルゲダール
にちょっと顔をだして、(西原笠原コンビがいた)帰京。
中央道は雪のため渋滞で夜中過ぎに帰宅。

3.17.1999

群馬嵩山のロッククライミング

群馬嵩山のロッククライミング
すっきりしていて眺めもよい
男岩
 
群馬嵩山の岩のぼり

CLIMBING IN TAKEYAMA , GUNMA

メンバー ちゅう、ひかり、汽車
1999ー3ー17
JMCCによって新しく開かれた,中之条町の嵩山へ出かけた。
600に城南をでて、渋川経由 中之条のそば打ち体験館の駐車場に93
0着。
天気はよい。男岩と女岩が頭上にそびえている。ハイキング道を15分ほ
ど登り踏みあとをたどって女岩へ。いくつものルートを眺めながら、男岩
へ下る。男岩
のほうが午前中は日当たりがよいようだ。明るくてすっきりした岩場だ。
シーズン始めとあって,調子がわからない。
まず5。9の原田ルートを順番にのぼる。
そのころになって、ようやく開拓3人男が出現する。「朝飯食いにいってた
んだよ」宮崎、ジャック、北山がこのあたりを拓き、いまも新しいルートを
精力的につくっている。光はジャックの誘われ、ぼくは宮崎さんに来るよう
に命令されていたので、ちゅうさんを誘って3人でのこのこと出かけてきた
というわけだ。
アドバイスをうけながら、つぎは5。10Bの岡村ルートにとりつく。核心
で3人とも右往左往する。足をあげてからよく探せば右手でプルするよいホ
ールドがあるのだ。光もちゅうもオンサイトする。ぼくは実は何度も登って
いるのでいろいろと知っているのである。
開拓グループはルートの整備に余念がない。ハンマーやバールで不安定な岩
をばらばらと落としている。いずれも高難度のルート。
次の課題は5。11Cの右ジェードル,の下半分。核心は上半のハングだか
ら、下半は10C。凹角のテクニカルなルートだ。ぼくは数回トライしてい
るがいつも苦手に感じるルート。
光があっさりと登り、ちゅうさんもうまく登った。ぼくもなんとか登る。右
フェースにボルトがあるが,基本的にはクラックを詰めていくのがよい。手
がかりがなくなったと思ったときに右のフェースとカンテを利用するとよい
のだ、ということがわかった。3月なのに,日当たりがよいのであたたかい。
春秋が快適シーズンなのではないだろうか。
開拓グループの働きを横目に,つぎは真理支天10a,既成ルートのボルトを
利用しながら左上していくという長いルート。光がリードする。「最後のボ
ルトの前後がけっこうこわい」という。僕がフォローするが、10aとはおも
えないこわいルートだった。ジャックいわく「ヨセミテのナインルートの趣が
ある」
終了点でトップロープをつくり下降。
つぎは左凹角、5。11C。グレードにおそれをなしてトップロープで登る。
ひかりは僕のアドバイスに従い核心部を右カンテにでてを登る。これならリー
ドのオーケーとのことなので、光さん、リードで再挑戦。これもきれいに登っ
て11c登ったよと鼻が高くなったところで、ジャックが核心を右に逃げると
10dだよ、と聞かされがっくり。
ジャックが「日本を代表するルート」にとりついているのを,ロープにぶらさ
がった北山さんが写真をとっている。
光が「日本を代表するルート、5。12」をトップロープでトライして、腕が
あがったところでもう4時くらいか。
そろそろ帰ろうか、というわれわれのムードを後目に,開拓男達は,まだまだ
仕事があるらしい。昨日から2日連続の重労働を彼らは喜喜としておこなって
いるのだ。
登らせてもらって申し訳なし、と思いつつも、風呂でまっているよ、と,最近
つけれれた直線ルートを駐車場までくだる。
岩櫃城温泉でゆっくりして,ビールをのみながら開拓男達を待つが,あらわれ
ず。じゃ,お約束の焼き肉でもと,すぐ近くの青空焼肉店で安上がりな焼き肉
をたらふく食べ、帰京。
車の後ろで寝ていたら「着いたよ」の声。どこに?と外をみたら自宅の真ん前
であった。

1999年4月17日
メンバー CHU KISYA JMCCメンバー
お約束の朝6時東京出。930にそば打ち体験館前着。
北山開拓王、小林だんなと由佳ちゃんがいた。直登ルートで男岩のしたまで約10
分。きれいに道ができている。女岩にトラバースすると、そこから上部にむかって
見事な階段ができている。すばらしい土木作業だ。開拓者たちには頭がさがります。
女岩下部の2段ハングにとらい。ちゅうさんがオンサイトする。10Cなのだが、ぼく
はうまく登れなかった。秋にオンサイトしたはずのルートなのにケチがついてしま
った。
小林だんながお勧めする真秀ルート、10bの卒業記念にトライしてはまる。けっこう
難しい。小林さんの懇切ていねいな指導でなんとか抜けるが、きょうはさんざんで
はある。ちゅうさんは先程の2段ハングで背筋をのばしたとかでやはり不調。
昨秋ぼくがオンサイトした寿10bにちゅうさんがトライ。核心のトラバースはあっさり
抜けたものの、そのうえの凹角で落ちる。なんとか抜けて、僕が再度トライしたが、
やはりその凹角で得意のアルパインクリップがはいる。ふたたび昨秋のオンサイトに
ケチがついたというわけだ。
文ちゃんなどもあらわれ子供もたくさんあつまって現場は賑やかになる。今夜は創立
祭第2部なのである。
本命のプロジェクト中のノーズ11b?にトップロープをかけて二人で試登する。さすがに
厳しいが、いずれなんとかなるさ、とのちゅうさんの感想にふむふむとうなずいて、夕
暮れの岩びつ城温泉へむかう。日帰りだから今日の宴会にはでられないのが残念。
小林さんは、卒業記念を登ってみて、やはり10cはあるかな、とグレード改定のコメント
を発する。青空で冷麺をたべて帰京。ああくたびれた。

1.26.1999

八ガ岳赤岳主稜

八ガ岳赤岳主稜
寒かった、ぼろぼろの岩だけど面白い
 
AKADAKE
 
1999-1-26-27
メンバー せいすけ,CHU,KAWASAKI,汽車

2-25
 小渊沢の駅でせいすけと待ち合わせ駅前でいっぱいやってから、美濃戸口の赤
岳山荘に入る。素泊まり1500円であたたかい大部屋を独占。
2-26
 500円の朝定食がまた素晴らしい。ちゅうさんが合流して美濃戸へ車であが
る。前日降雪があったのできれいな道だ。行者小屋まで2時間、10時。気温は
マイナス10度と小屋前の温度計が告げている。天気予報では快晴のはずだが、
山がガスにつつまれている。ガスの流れもはやい。ときどきのぞく赤岳や阿弥陀
岳は迫力がある。1時間くらい様子をみていたがあまり回復の兆しはない。
 取り付きをみてこようと文三郎道を登る。赤岳の主稜にとりつくのは赤岳沢か
らというのが昔からの方法らしいが、最近はてっとりばやく核心に近付けるとい
うことで文三郎からトラバースするのがよいと、岳人誌に書かれていた由。
 見当をつけてからとぼとぼと赤岳鉱泉に入る。夕方になってガスが切れ見事は
夕景色となった。大同心や小同心がすばらしい。あしたは大丈夫だ。マンガをよ
んだり食後は小屋のひとたちと呑んだりしてすごす。
2-27
 快晴。8時まえに小屋をでる。行者小屋前でアイゼンなどつける。温度計はマ
イナス16度をさしている。上はもっと寒いだろう。
 1時間ほど登って取り付きにトラバースする。ロープをだし、2チームで登るこ
とにする。手も足もかじかんでしまう寒さだ。不思議なもので登り出して身体が
活動しだすと、寒さも飛んでいく。とはいえ吹きさらしのビレイは身にしみる。
 1ピッチ目は3級くらいの岩登り。2ピッチ目はゆるいリッジをコンテで行き、
3ピッチ目は3、4級の岩登り。せいすけはカメラ撮影に熱心でリードはもっぱ
らぼく。川崎、ちゅうコンビもちゅうさんがリードマンに徹している。
この頃になると日陰とはいえ気温があがってきてそのうち日もさしてくる。阿弥
陀岳が見事だ。4ピッチ目もコンテでぬけると、傾斜がおちて、阿弥陀岳よりも
高い地点にいることに気がつく。しばらく登ると頂上へ続くがら場となり頂上に
飛び出した。
 12時くらい。地蔵尾根経由で美濃戸までスピード下山。3時着。
 主稜は、八ヶ岳の主峰赤岳に至る結構なルートではある。岩登り自体は難しい
ものではないが、アイゼンをはいて、ピッケルをもってルートファインディング
しながら安全確実にここをトレールするのはそれなりの総合力がいるだろう。あ
の寒さにも耐えなければ。下界では3月のぽかぽか陽気だったというがそれでも
あの寒さだから、悪天の日には近付かないほうが身のためだろう。
 茅野におり風呂経由焼肉を食べて帰京。