HISTORY & STORY

12.31.2022

海外の山旅メモ

海外の山旅メモ 伊藤フミヒロ



1974年1月12日ー1月26日 
フランス、スイスへ。ラプラーニュ、ツェルマット、シャモニなどのスキー場をまわる。skier誌の取材。小野勝カメラマンと。初めての海外出張、初めての飛行機でエールフランスの新鋭ジャンボ機だった。

1974年12月28日~1975年1月11日 
フランス、イタリア、スペイン。カワセツーリストに頼んで新婚旅行。

1975年2月23日~3月13日 
カナダ。バンフとリトルヨッホ国立公園へスキーの取材。末広明カメラマンと。CMHのツアーで山小屋に泊まって山スキーを楽しんだ。スイス出のコビ・ウイスがガイドだった。CPエアーとタイアップしている。skier誌に掲載。

1975年10月21日~24日
バリ島へ。コンチネンタルエアーがバリへ初就航するというご祝儀料金で行った。2回目の新婚旅行。

1976年3月10日~4月16日
アメリカ、コロラド、ユタのスキートリップ。デンバーにいた山岸行輝カメラマンと。後半はキャンピングカーで回った。アメリカ人スキーヤーを連れての撮影旅。たしかヤマハのスキーとタイアップ。skier誌に掲載。なぜか長期取材になっている。最終週はLA在の加藤幸雄とカリフォルニアの観光をしたのかもしれない。カーメルやヨセミテに行ったはず。

1979年4月25日~4月29日
サイパン島。会社の先輩市川泰雄さんなどと。リンホフなど4x5大型カメラを持って撮影旅行。ジャングルの道をドライブした。

1979年7月1日~7月28日
Outdoor誌の取材でアメリカへ。芦沢一洋、佐藤盛男、望月久カメとワシントン州、ワイオミング、コロラドなどフライフィッシングなどの取材。アイダホサンバレーではジャックヘミングウエイなどインタビュー。夏のアスペンも再訪した。このころskier誌からOutodor誌に移籍している。それにしても長期の取材だ。

1981年3月18日~4月25日
カナダ。skier誌に再移籍しての取材。末広明カメ、裏磐梯の安藤さんと。ウイスラーなど西海岸で取材したあとレベルストークでヘリコプタースキーの取材。さらに東に移動ケベックのスキー場などを取材。CPエアーとタイアップしてバンフやケベックのCPホテルに泊まった。航空会社とのタイアップなのでファーストクラスに載せてくれることが多かった。最終週はカリフォルニアへ旅行したはず。スペースシャトルコロンビアが地球初帰還するのをテレビで見た。

1982年3月3日~3月24日
イタリアへ。在欧の青木紘二カメとベニスで合流してドロミテ、コルチナなど北イタリアのスキー場巡り。チェルビニアではガイドといっしょにブライトホルンにスキー登山した。視界が悪く雪庇から落ちそうになった。skier誌に掲載。青木カメはその後写真通信社アフロを立ち上げた。

1983年3月16日~4月9日
山と渓谷誌に移籍してネパールへ。近藤辰郎カメとアンナプルナ街道とエベレスト街道のトレッキングの取材。アトラストレックとのタイアップで前半は添乗の前谷さん、玉川学園の女生徒などに同行。後半はシェルパとタンボチェまで行った。前谷さんは近頃はパラグライダーのツアー会社アドベンチャーロードをやっている。
このあと山と渓谷誌の編集長おおせつかって、海外取材はなんとなく自粛、若手にまかせて国内の山ばかり行くようになった。

1989年7月12日~7月15日
桑子登さんと香港とマカオへ観光旅行。痛風を発症して山歩きが辛く近隣諸国へ。その1回目。

1989年9月22日~9月28日
香港と広州、海南島へ。桑子さんと。中国は面白い。

1989年10月21日~11月12日
ネパールへ。中村みつをさん、中村正之さんとエベレスト街道トレッキングの取材。カラパタールまで登る。このころ書籍編集部に移籍、山岳コミックシリーズを立ち上げてあちこち出かけるがその海外版の最初。痛風は治っていたが杖を突きながら。

1989年12月8日~12月11日
韓国ソウルへ。桑子さんと。初めての韓国、なんとなく後進な古くさいところが気に入った。

1990年6月28~7月1日
台湾台北へ。桑子さんと。初めての台湾。暑い、おいしい。

1990年7月6~20日
シャモニとグリンデルワルトへ。中村みつをさん、中村正之さんと。コミック本アルプスハイキングの取材。前半はグリンデルワルトあたり。アトラストレック社長の磯野剛太さんが添乗。ツェルマットで白馬の降旗義道さんとブライトホルンに登る。

1990年9月21~25日
上海へ。桑子さんといっしょだったような気がする。平和飯店泊。蘇州にも行く。中国史に興味が湧く。陳舜臣先生など愛読。

1991年1月6~9日
香港へ。会社の忘年会で香港旅行が当たったので、ファミリーで。

1991年9月26~30日
香港へ。一人だったか忘れた。南y島などへクルーズ。写真は残っている。

1992年4月8~12日
アメリカユタ州へ。北田啓郎さんなどカリブースキークラブと。これが1回目でこのあと毎年アメリカツアーが続く。10回ほど。ユタ州のワサッチ山脈のスキー場と山スキー。ワサッチのテレマーカーの洗礼を受ける。取材というよりも遊びだが、記事は山と渓谷誌などに掲載。
メンバーはカリブークラブとそのとりまき。北田敬郎、伊藤裕之、野口俊一郎、真壁静子、竹内利春、真下
薫之、ベンジャミン・バーディ。ブログ

1992年11月10~12月2日
ネパールへ。ポカラからバラポカリなどマイナーなトレッキングルートへ中村正之さんと。「ネパールトレッキングガイド」の取材。シェルパと仲良くなる。
ジョムソムに飛んでムクチナートまで行ったのはこのときだと思う。ジョムソムで飛行機がオーバーランして川に半分落ちていたのも目撃。ちなみにムクチナートまで自動車道があるようだ。

1993年3月30~4月11日
コロラドへスキー。テンスマウンテンツアーの1回目。小屋から小屋への縦走スキー。パラゴンガイドのダンさんと知り合う。

1993年10月23~11月12日
ネパールへ。ムスタンへのトレッキング。ローマンタンで王様にインタビュー。中村正之さんと。「ネパールトレッキングガイド」の取材2。記事は山と渓谷誌などに掲載。
googlemapを見ていたら、ムスタンの村にジープのような車があった。オートバイでムスタンに向かう白人グループの写真も発見。25年で大きく変わったようだ。
チトワンやルンビニに遊びにいったのはこのときだと思う。

1994年3月30~4月日11日
コロラドへスキー。テンスマウンテンツアーの2回目。指名でパラゴンガイドのダンさんとローラ。記事は山と渓谷誌などにも掲載。

1994年8月6~24日
チベットへ。クライミングチームKIM同人がカトマンズで集合。ヒマラヤを飛びこえてラサへ。チベットを観光。このころ開放ムードがあって外人が入れるようになっていた。ラサ,ギャンツェ、シガツエなど。

1994年10月6~11日
カリフォルニア州ジョシュアツリーへクライミング。Rock &Snow誌の立ち上げ準備でその取材。徳地さんがガイド役。砂漠のクライミングは楽しい。

1995年1月3~11日
タイのプラナンへクライミング。森光、モモ、ケイと。南国のクライミングは楽しい。ブログ

1995年3月25~4月9日
コロラドへスキー。テンスマウンテンツアーの3回目。小屋から小屋への縦走スキーでこれで全ルートを踏破。翌年だったかダンさんとローラを日本へ招聘した。

1995年10月13~11月11日
ネパールヒマラヤクンブーのメラピーク登山。6500mの山頂からテレマーク、スノーボードで滑降。忠さんはパラグライダーで飛んだ。KIM同人の遠征。Rock &Snow誌に掲載。ブログ

1996年4月10~24日
アルプスオートルート縦走。渡辺賢二、黒川春水とシャモニガイド協会のツアーに参加。好天に恵まれ全ルート走破。モンブラン登山はならず。Rock &Snow誌に掲載。ブログ

1996年8月24~9月5日
ニュージーランドスキー。
ワナカにいた黒川晴介、春水と合流してエンジョイスキー。クック村に移動してスキープレーンでクック氷河へ山中2泊でスキーを楽しんだ。
Rock &Snow誌に掲載。
メンバー ヒロユキ 真壁さん、静子様、ゆみさん、KISYA、現地・黒川、春水
ブログ

1996年11月14~20日
カリフォルニアのジョシュアツリーでクライミング。現地集合でARK山岳会が集まった。ARK山岳会はKIM同人が発展したお仲間クラブ。
このころRock &Snow誌の取材が忙しくなり海外クライミング行が増える。メンバー 光、桃、徳池、チュー、ケイ、丸山夫妻、ペンバ、テンジン、KISYA。

1997年4月27~5月6日
カリフォルニアのシエラ山塊のスキー。コロラド10スマウンテンを終えてシエラへ。ロッククリークキャニオンなででテント山行。来年のシエラハイルートの予行など。タイオガパスでもスキーして3大峠スキーを達成のはず。メンバー 北田、真壁、溝部、裕之(以上カリブークラブ)、西原、糸尾(以上DCCC)  現地、モンベル渡辺、ベン・バーディ。ブログブログ2

1997年6月7~15日
カリフォルニア州ヨセミテ公園のクライミング。初見参。黒川晴介がガイド役であちこち登った。7人のクライマー。なべちゃんもいたな。http://www.pguide.jp/chronicle2/yosemite.html

1997年8月25~29日
韓国インスボン初見参。黒川晴介と登った。ブログ

1997年10月24~30日
カリフォルニアジョシュアツリーでクライミング。3回目。メンバー HIKARI, HANEDA OSAMU,UNEZU,TOKUCHI,JERMI AND FRIENDS。ブログ

1997年6月27~7月11日
いまはなきシャモニのロジェルキャンプ場に滞在。黒川晴介がガイド役でアルペンクライミング。ダンデデュアン、グランドジョラスなど数峰に登る。ブログ

1998年4月22~5月6日
カリフォルニア州、シエラ山脈を横断するハイシエラルートを走破。天候に恵まれた5泊のテント山行。チャーター飛行機2台で移動するなど大掛かり。ベンがガイド役。御兄さんもやってきた。メンバー 北田、溝部、真壁、渡辺、西原、ひろゆき、ベン、マット、汽車。ブログ

1998.6.6-15
ヨセミテクライミングmember kurokawa haneda osamu itokisya ブログ

1999年4月28日~5月11日
ワイオミング州ティトンクレストツアー。シエラハイルートの次はティトンだ、とメンバーがジャクソンに集合。ダンとベンちゃんもやってきた。
帰りはとくちさんのトラックでくろちゃんといっしょにアイダホ、オレゴンの旅をしながらロスアンゼルスに戻った。楽しいロングドライブだった。
メンバー 松倉一夫、黒川晴介、徳地保彦、汽車、北田啓郎、溝部克実、真壁章一、真壁静子、DON SHEFCHEK,BENJAMIN BURDE
ブログ

1999年6月9日~12日
韓国インスボンクライミング3回目。川崎博カメもやってきた。ブログ

1999年6月22日~7月8日
グリンデルワルトのキャンプ場に滞在。毎日キャンプ飯で楽しい。ユングフラウ、メンヒなどに登る。黒川晴介がガイド役でモンベル金森さんもやってきた。ツエルマットに移動してブライトホルンなどでスキー。ブライトホルンは3回目の登頂。ブログ

1999年8月30日~9月11日
コロラドクライミングツアー。徳地さんがガイド役でコロラドの岩を登りまくった。ボルダーベースにあちこち。ロッキー国立公園に入ってロングスピークにベースを持ち上げたが天候悪く下山。ブログ

2000年3月4日~16日
コロラド、ワイオミングスキーツアー。真壁夫妻とまっちゃんと出かける。昨年に続きでワイオミングジャクソンに移動。遅れてやってきた北田御大チームと合流。ティトンクレストに挑戦。とりあえず抜ける。member:真壁夫妻、松倉、北だ、みぞーべ、ひろゆき、汽車。ブログ
昨年末で山と渓谷社を退社して自由になったが、パウダーガイド社を立ち上げで忙しくなった。

2000年6月3日~6月11日
カリフォルニアクライミング。Rock &Snow誌の仕事が続いていてその取材。徳地さんがガイド役で南カリフォルニアの岩場をいくつも巡る。羽根田オサムさんも常連の取材だ。ハワイに移動してオアフ島のクライミングも取材。シュノーケルもやった。ブログ

2001年2月27日~3月3日
パウダーガイド誌の取材や編集に忙しい。が韓国済州島へスキー。黒川晴介と川崎カメラマンと。異色エリアだがいちおうスキーもできた。ハンラ山は規制があって山頂に立つことができなかった。このあと相棒黒川晴介は山で死んだ。ブログ

2001年4月17日~26日
オレゴンとワシントンのスキー
真壁さん、松倉さん、川崎カメラと出かける。レニアのキャンプミュアからスキー。オレゴンサワッチ山系でバックカントリースキー。カナダに出張してウイスラーでもスキーした。ブログ

2001年7月3日~16日
中国新疆へ。ウルムチから天山山脈を横断、クチャまでの旅。ボゴダを見上げるアンテナ山などにハイキング。まっちゃんとの楽しい辺境旅だった。ブログ

2008年7月1日~6日
バリ島へパラグライダートリップ。2001年からパラグライダーにはまった。海外トリップの初め。サンパラのハブ中村校長たちと行った。佐野さん松本さん、いまなきトウショウさんなど。佐野、高橋、羽衣、東松、為国、松本、藤本、サンパラハブ校長、ハブ父、イク王子、ケビン
ブログ

2011年1月7日~11日
台湾パラグライダー
河口湖スクールの水野校長となみきさんと台北で待ち合わせて桑原、佐野と行った。ピントンへ移動、サイチャの航空公園。校長は翌年急死。
メンバー 水野校長、並木デレクター、桑原、佐野、伊藤フミヒロ ブログ

2013年1月21日~27日
台湾パラグライダー
村越隊長、島袋さんなどとスカイ朝霧チームに入れてもらった。サイチャの航空公園。
member 島袋、村越、小野、さのさ、宮田大ちゃん、榊枝、中の、中村、甲斐、伊藤文博記。永井、阿倉(スカイ朝霧)リーさん(ガイド)
パラグライダーの旅行では海外のほか、スキーや登山ではあまり行くことのなかった四国や九州、沖縄などを訪ねることが多く新鮮だった。ディンギーのレザー界もそうだったけれど(小型ヨットも2回買ってずいぶん熱中した)登山界とは異なる人種を知ることができたのもよかったですね。
ブログ

2013年2月13日~17日
バリ島バツール山登山。バリ在の兄とケイと3人で登った。
ブログ

2013年6月25日~7月9日
アルプスパラグライダー
前半はスカイ朝霧のツアに入れてもらった。ドロミテあたりとグリンデルワルトをフライト。後半はツアーと別れてレンタカーでフランスへ。シャモニ、アネシーなどでフライト。富士山フライトとアルプスフライトが夢だったので目標達成。
ブログ

2016年2月21日~26日
バリ島アグン山登山
現地ガイドといっしょに夜行登山で日の出に山頂に立つ。南国の山も面白い。ロンボク島のリンジャニが見えた。次はあれだな。 ブログ

●雑談

野外に出て日に当たることが多かったので顔だけ見れば色黒の人とおもわれているかもしれない。が地はすごく色白である。
閑話休題。
梅雨空で犬との山歩きにもでかけられない。そんな日が続くので古いことを調べる気分になった。使いきったパスポートがたまっていたので出国と帰国のスタンプを見て海外に出かけた記録を書き出すことにした。旅券のことなので漏れはないはずだが、どこに行ったのか不明のものもあったがおおむね間違いはないと思う。

こうしてみると案の定ほとんどが山かクライミングかスキーの旅だった(古い海外旅のレポ一部。50歳で始めたパラグライダーの旅もあって、あちこち行ったもんだな、というただのおもひ出メモになってしまった。まったく個人的なものだがたまには昔を振り返るのもいいだろう。正確な日程がわかってなんだかよかった。

これを見ると仕事や友人があっての人生だなという感想。つくづくまわりには感謝しなければならない。
それから、けっこう危ないことをやってきたのにケガひとつしなかったという幸運にも気がついた。飛行機やクルマの事故に遭うこともなかった。神サマありがとう、ということだろう。

国内の旅となるとあまりにも膨大になるので、はなからあきらめているが、ここ20年ほどの山旅などはまずいブログになってインターネットにさらされている。がこれもいずれサイバー空間を漂うゴミとなるのだろう。

蛇足。
信州の山ざるだったので町は苦手だった。それでも東京の学校を出て運よく雑誌社に就職することができた。山やスキーなどアウトドア系の出版社だったので山好きの自分にはぴったり来たことだった。
1971年から1999年までずーと編集畑で仕事がら内外の山に取材で出かけることが多かった。産めよ増やせよの時代で、雑誌100冊以上、単行本100部以上は作ったのではないだろうか。数えたこともないが粗製乱造ではなかったと思いたい。

2000年以降は独立して小さな出版社を作った。で、あいかわらず山にかかわる本を作り続けた。
が、この頃は細かい仕事が面倒に感じてきた。もうあとは好きにしてもよいかもしれない。
体力は変わらず、近頃は体重もベストで、今クライミングすればかなりいいところまで行けるかもしれない。
これからだ人生は、の気分だが、これからは目立たず出しゃばらずで行こうのココロなのだ。

2016年6月 伊藤フミヒロ記

雑談の付録
70年代から2000年代はじめまで写真はフィルムの時代でした。私的に。印刷用写真ではコダック一辺倒から富士フィルム優勢に変わりました。ポシ、ネガ、、、フィルム式カメラで砂粒の数ほどの写真が撮られたと思いますが今のデジカメ時代ほどではないでしょう。下はそんな時代のものです。























雑談の付録トップの右の写真、、山岸行輝さん(下に注)とうつっていますが、グランドキャニオンに見えますが、行った覚えはありません。Googleマップで探してみました。
ユタ州のアーチェス国立公園のとなりにある州立公園デッドホースポイントでした。川はコロラド川です。
 ※山岸行輝さん発見




雑談の付録 つづき
古いRok & Snow誌のホームページから発掘したレポート。サーバーがいくつかあって複雑になっていたせいで今頃発見しました。なつかしいので(わたしだけ?)ここに貼っておきます。1999年4月5月のワイオミング、オレゴン、カリフォルニアのロードトリップです。
2004年11月 伊藤フミヒロ
古いRok & Snow誌のホームページから発掘したレポートはほかにもありました。
以下に転載してあります。

ワイオミングから北カリの旅

4月29日
昨日の夜遅くジャクソンホールへつきました。松ちゃん、黒川、徳地が迎えてくれました。
4人全員がバラバラに集まってきたというわけです。
雨がふっていて寒いです。天気はあまりよくないです。 
明日ティトンパスに登ってスキーしますです。
ジャクソンホールの町中の丸太小屋のケビンにいます。
いいところです。
今夜コロラドチームがはいってきます。天気が悪かったのではないかと思われます。
4月30日
きょうはコロラドチームといっしょにテヒトンパスで足慣らししてきました。4時間くら
いの楽しいツアーでした。8人とも元気。松ちゃんがちょと心配というところか。
天気が悪くあいかわらず寒い。明日からも心配ではあります。
明日からティトンクレストツアーにでます。2泊3日の旅。ショートカットするつもりで
す。
メンバーはなんと10人になりました。アメリカ人のドンとベンが夕方到着。
日本グループはコロラド経由のAチーム、徳地さんをむかえた、ぼくと黒川と松ちゃんの
Bチーム。合同ででます。
(ティトンクレストツアーのレポートはCHRONICLR2 TETON CREST TOUR参照)
5月3日
今日は3日、予定通り山から降りてきました。
2泊3日の山旅でしたが、天気がいまいちでした。予定のティトンクレストツアーの
半分を消化しました。楽しかったです。
丸太小屋のヒッチングポストロッジに戻りました。
明日から、各メンバーここを三々五々去ります。グランドティントン登山は状況が悪
そうなので、徳地、黒川、僕、はどこか違うところへでかけるかも。
では。
5月4日
明日から、みなさんとわかれ、徳地、黒川とジャクソンからカリフォルニアへ旅しなが
らかえります。どこかでスキーかクライミングします。
カリブチームは明日帰国、松倉さんはあさて帰国。
5月5日
よいところでした。ボルダリングして遊びました。人っこひとりいない。ボイジーのモ
テル6にはいりました。
5月6日
オレゴンのベントにはいりました。
デシュートリバーぞいのコンドミに2泊します。
スキーとクライミングをする予定です。
5月7日
バチャラー山でスキーしました。真冬のよう。まだリフトが動いていました。
5月8日
今日、スミスロックで遊んでから南へくだります。
パソコンが不調で受信はできるのですが、送信不能です。おかしい。
デシュートリバーぞいのコンドミでよいところです。昨日はプールとジャクジに
つかりました。
昨日といえば、バチャラーで真冬のスキーをしました。ベントの町外れにはアウ
トレットのモールがあってアウトドアメーカーの強力ブランドが軒をつらねてい
ました。
5月9日
昨日スミスロックを見に行きました。
写真どおりの大きな渓谷で、ロープをだして簡単なルートを登ったりボルダリン
グしたりしました。雪が舞ったりで寒い。
昼過ぎには春寒のベントをでて、南下しました。徳地さんがずうーっと運転して
くれているのでラクチンです。くろちゃんはオレゴンから北カリフォルニアのこ
の観光旅行を楽しんでいます。
クレーターレイクを横目でみながらマウントシャス
タの町に入りました。シャスタ山がすばらしい。
明日山へスキーにいくかもしれません。
1泊50ドルで一軒屋を借りました。まきストーブを燃やしながらお酒をのんで
います。
明日はサンフランシスコまで戻ります。
5月9日
サンフウランシスコにつきました。
今朝出がけにみるとマウントシャスタはまだ厳しそうでした。スキー場は閉鎖さ
れていました。来週か再来週あたりあたたかくなれば頂上へいけるかもしれません。
ジャクソンからサンフランシスコまで1500マイルの旅でした。
あした日本にかえります。
徳地さんはロスへ。クロチャンは大阪へ。
今日は、シャスタをみてキャスルクラッグ、ラッセンをとおりバークレーでREI、
マーモットをのぞき、ミルベアのトラベロッジにいます。いつものモテ
ルです。これからむかいの香港飯店にいき夕食します。
ではまた。
(糸尾汽車)

12.21.2022

鉄砲木の頭とフジテン(富士五湖)

前の日にけっこう雪がふったようなので

day 2022年12月18〜19日 

member itokisya(記)

上 ふじてんスキー場。1コースのみオープン
下 鉄砲木の頭山、景色がいいので人気


12月18日 日曜日

はれ

のんびり午後にでて大井松田ICから国道246号、籠坂峠経由山中湖東岸のパノラマ台へ。前日の雪はたいしたことなかったようですが、山梨県に入ると日陰は凍っていました。

パノラマ台は富士山撮影の名所です。カメラ好きのクルマが数台いました。


15時15分にスタート、30分以上かかって鉄砲木の頭標高1291m。別名明神山、平野のかやと山で山中諏訪神社の奥宮があります。山頂にはひとりハイカーがいました。雪は15cmほど積もったらしい。気温はマイナス3度くらい。昼間のハイカーの足跡がたくさんありました。下りはじめて、4時15分ころ日の入りになりました。16時半終了。

富士吉田道の駅に移動。明日はマイナス7度予報です。


富士吉田の道の駅。朝。冬は寒いところです


12月19日 月曜日

晴れ

車中泊の名所らしくそんなクルマがたくさんいました。8時に道の駅をでて鳴沢村のふじてんスキー場に移動。おとといオープンしたばかりで1日券はだれでも2000円でした。ゲレンデは空いていましたが外国人のスキー場見学がまた戻ってきたようでした。雪が珍しい国からでしょう。6〜7本滑ってよしとしました。

11時過ぎに終わりにして道志道で帰路につきました。

ゲレンデのスキーに熱が入らないのはいつもですが、いくらか熱っぽかったのかもしれません。


12.15.2022

宝登山(秩父)

川越経由秩父往還のドライブ

day 2022年12月13−14日 火曜日水曜日

member kei itokisya(記)

宝登山山頂



12月13日 火曜日

くもり後はれ


川越へ。

午前中は小雨予報なのでのんびり8時半出発。関越道川越インターで降りて川越城本丸と旧市街小江戸の町並みを見学、無料パーキング横の埼玉名物肉うどんをいただきました。かなりしょっぱいのとネギが多量なのが特徴。豚は三枚肉。これは名物になるとおもいました。

小江戸川越

川越城の本丸御殿。
藤沢周平の小説に、川越と庄内を取替っこするようなハナシがありました。庄内の農民が騒動してとりやめになった‥


宝登山(ほどさん)へ。

関越道にもどり花園インター経由長瀞へ移動。ライン下りのあたりを山側にあがるとすぐに宝登山ロープウエー駅につきます。

幸いなことにロープウエーはここしばらく点検休業だそうで駐車場には1台もクルマがありません。

日が傾きはじめた14時半にスタート。下駅の標高は200mほど、山頂は500mらしい。


500mほど林道をすすみます。左手に落ち葉に隠れた細い山道発見。それを選びます。

ハイキング用の上り下り道で林道を串刺しするようにまっすぐのぼっていきます。いいかんじです。

寒桜満開の宝登山。春はローバイ園が有名です

秩父の神社はオオカミの狛犬が多い

林道をたどるよりも山道のほうが気分


3時半に宝登山神社の奥の院につきました。寒桜やローバイ園があり夕日を浴びてきれいです。奥の院の裏を100mほど登ると山頂につきました。

長瀞とそのさきに秩父の盆地がみおろせます。遠くの山は武甲山や秩父の山でしょう。雲取山は白岩山の陰か見えません。


山頂部は広く遊歩道もあって、ぐるりとまわってから、往路をもどりました。16時過ぎに終了。ロープウエーが動いていないこともあって出会ったのは2〜3人でした。ラッキーな宝登山でした。


秩父市に移動して農園ホテルにイン。高台にある大きな宿で秩父の夜景がきれいに見えるところでした。



12月14日 水曜日

晴れ



三峰神社山門。ここにもオオカミ

日本武尊像。三峰には2007年までロープウエーががあった

巡礼の聖地。秩父三社とはここと宝登山神社と秩父神社


秩父往還、国道140号を辿って三峰神社を参観します。

クネクネ道のドライブで神社に上がります。青空が広がっていますが冬型の寒い日で雲取山のあたりは雪が降ったよう。ときどきここも雪が舞っています。秩父の名所だけあって何十台か車がありました。妙法ヶ岳は以前太郎とハイキングしたことがありますので今回は割愛しました。雲取山をめざす数人がいるようでした。ひとまわりして下山。


荒川の谷底まで下り、二瀬ダム

の堰堤をこえたところで左折、140号の旧道にはいります。ところどころ1車線の酷道です。

栃本を通りました。信濃川上から十文字峠をこえて栃本まで歩いたのは50年くらい前です。

奥秩父最奥の栃本。奥多摩の日原ににているかも
(グーグルストリートビュー)

栃本の先で140号新道に合流してさらにくねくね行くと雁坂トンネルです。初めての道。県境の長いトンネルをすぎると山梨県三富です。西沢渓谷の入り口があります。

フルーツラインをトラバースして中央道勝沼インター。高井戸まですいていて、明るいうちに帰宅できました。 

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・栃本の紹介

http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/saitama_data/tochimoto/tochimoto_file.htm


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・ 三峰ロープウエーは大輪から山頂駅をむすんでいた。下は山頂駅の位置。

 三峰ロープウエーには昭和14年から38年まで運行していた第一世代がある。ラインが異なるがヤマトタケル像のずっと下に旧山頂駅があって古いライン跡もわかります。

第2世代のロープウエーのライン


北側が第二世代、下が第一世代

三峰ロープウエーの紹介ブログ

12.10.2022

大房岬と富津岬 (房総の旧要塞)

どちらも広い公園になっている。もともと軍事用地だったから

member イトウフミヒロ 記

date 2022年12月8日木曜日

上 富津岬先端 下 大房岬



房総半島南限の千倉道の駅で一晩過ごしたあと都内に戻ります。昨日2山のハイキングを済ませたので寄り道しながらの帰路です。

館山をとおり抜けますが、ここには古城もあり自衛隊基地もあり、かつての軍事都市のひとつです。

館山湾を大きくまわりこんで大房岬へ。たいぶさみさきと読みます。

ここは自然公園になっていますが、砲台などの施設があった要塞エリアです。今はキャンプ場やホテルがありますが、広い敷地で、駐車場から海岸までは高差50mほども下ります。ひとまわりするだけで汗をかきます。校外学習の団体がいました。

展望台は半島のいちばん高いところにあります。必見でしょう。

このあと行く富津岬どうよう、終戦までは一般人の立ち入りができない一帯だったので広い敷地がそのまま残って園地化されています。昔の自然がよく残っている理由でしょう。

大房岬マップ


あちこちに地下室があります

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富津岬は、ふっつみさきです。

東京湾につきできた砂嘴です。三浦半島観音崎までの距離は7kmでいちばん狭い場所です。

半島先端までクルマでいけて、今でも形成中の富津砂嘴がみえます。

その先に第一海堡、第2海堡がみえます。海上に作った人工島で砲台跡です。

岬の先端にある大きな展望台は明治100年記念のもので盆栽松のイメージらしい。築後50年以上たっていて今は立ち入り禁止なのが惜しい。再来年には修築がすんで公開されるとのことです。



富津岬の公園には大きな駐車場があって、辺りは広場やプールや体育館などがありスポーツ公園になっているようです。

ここの中の島エリアを訪ねました。駐車場から離れているので人影がありません。

中世の城のように堀をめぐらした不思議な高台ですが、やはり、軍事施設で砲台あとのようです。園地化されて弾薬倉庫や砲台など潰され埋めもどされているようでした。ここにも展望台があります。必見です。


堀の外側には日本軍がつかった試射場などがあり、不気味なコンクリートの構造物がそのまま残されています。

ここもひとまわりすると汗をかくほど広いエリアです。

富津岬先端。第一海堡、第二も見える


巨大な富津岬の千人展望台。ググルマップから拝借


古城仕立ての中ノ島の堀にかかるアート

試射場跡の巨大な穴ぐらが

中の島の砲台下の構造ぶつ

富津岬の戦跡マップ


ふたつの岬を見学して午後になりました。木更津の上総の湯によってからアクアラインで帰路につきます。橋の上からはきれいな夕日を見ながらのドライブになりました。


蛇足
東京湾の対艦砲砲台は首都防衛のための守りでしたが、爆撃機の時代になってからはやくたたずになっていて、実戦はなかったらしい。
終戦間際にはB29の大編隊はサイパンあたりから飛んできて全国に爆弾の雨をふらせました。大砲は使えなくても高射砲などはつかっていくらか効果があったのではないでしょうか。