HISTORY & STORY

9.19.1998

小川山屋根岩2峰あたり

小川山屋根岩2峰あたり
そらまめスラブ
 
menber chu,yasuda,macky,kisya
198-9-19 
chuさんといっしょに10時には廻り目平駐車場につい
た。初秋の青空がきれい。屋根岩2峰基部へ。いきなり5.
11cのドリーム2号(のちほど正確な名称を記載したい
)にとりつく。ガイチ棒など使いぬける。ソラマメスラ
ブに移動して、帰ってきたタジヤン、スラブの逆襲など
にトライ。11台なのでどれも難しい。ソラマメルート
ややわらか豆などにとりつくとほっとする。午後おそく
なって、PTAのうえの段ののフェイス、5.9で遊んで終了
。天気がよくてよかったね。

9.12.1998

小川山弟岩、おばさん岩

小川山、弟岩、おばさん岩
このあたりをいつもウロウロしてしまう

SUPER JUNIOR
1998年9月12-13日
ちゅー、トミー、汽車
9-12
渋滞にはまって廻り目平についたのは1
1時。兄岩下部でメンバーと合流、反射
炉はデイドリームをおりてきたところ
だった。
弟岩に移動。トミーがジョイフルジャム
をやり、じゃんがら5.11Bにトライする
があっけなく敗退。ムーブがわからな
かった。
ままこ岩のうらのスラブ5.10dをのぼ
り、おばさん岩へ移動。母子草のとなり
のカンテラインができていたのでトラ
イ。5.10aのスーパージュニアという
名前。カンテを左手でもってだましなが
らのぼる。下の段におりて、アガタ氏の
晴登雨読5.10B、となりの天空の戦い
5.10aを登っておひらき。夜は佐藤さん
夫妻が釣ってきたイワナで骨酒を飲む。
9-13
小林由佳、父、氏家さん、汽車
野村さんたちとウスノロマンを登りた
かったが、二人を発見できず。クライ
マーが異常に多いのだ。
きのうに続きおばさん岩へいくはめに。
由佳ちゃんがレールデュタン11aをきれいに
登る。氏家さんとふたりで母子草、こど
もをなめんなよう、レールデュタンをの
ぼり、早めにかえりました。

9.07.1998

ヨセミテ・エルキャプタンを3本

BIG WALL CLIMBING IN EL-CAPTAIN,YOSEMITE

MICKY SUIZU`S REPORT
ヨセミテ・エルキャプタンを3本
yosemiteだい
 
 98年秋、日本を出発する直前になってSAC(仙台アルパインクラブ)の志小田さんと電
話で話し、一緒に“Jolly Roger”を登ることが決まった。これに佳奈ちゃんこと大村佳奈が
加わることになった。マーセドでヨセミテ行きの最終バスに乗り、遅れた僕は1ヵ月半後、
一緒に“Wyoming Sheep Ranch”を登ることになるIan Parnellと2人でバス停前の芝生で
横になり夜を明かすことにした。久々にぐっすり眠れるはずが、まだ暗い早朝、動きはじめ
たスプリンクラーのせいでズブ濡れになって起こされるはめになってしまった。
 巨大な怪物のようなエル・キャピタンがバスの窓から見え始めると、何もかも忘れて大人
気なく窓ガラスにはりつき、木々の無効に見え隠れする岩壁を見上げた。
 一足先に来ていた佳奈ちゃんに合流し、僕から1日遅れて志小田さんが到着した。すぐに
3人で準備を始め、9月7日からマンモステラスまでの8ピッチ分のフィックスに取りかか
った。いくつかのルートが、このテラスを共有していることなどから、すでにロープが残置
されていて、僕らは自分たちのロープをほとんどフィックスすることなくマンモステラスま
ではキャンプ4から通った。
 この8ピッチ中で、僕にとっての核心は6ピッチ目で、振り子トラバースからノープロテ
クションで15�ランナウトし、マントリングをこなさなければならなかった。ムーブは難し
くないものの、遠くに見える最後のプロテクション(振り子の支点)のせいで少々躊躇して
しまった。そのまま続くA4+のセクションでは、フッキングエッジが欠け、長めの墜落をし
たしまった。次々と出てくるフッキングムーブのせいで、胃がキリキリと痛み始めていた。
9月13日にGo Upを決め、キャンプ4を一度は後にしたものの、11ピッチ目でいくつかのミ
スが立て続けに起こり、実際のGo Upは結果的に9月17日ということになってしまった。11
ピッチ目はいろんな意味で、一番記憶にの凍るピッチになってしまった。事前からの情報で
核心のうちの1つでもあった場所を志小田さんがこなせず僕と替わり、僕は運よく手も届か
ず見えないフッキングエッジにパイカの大フックをチータスティックに付けて決め、そこを
越えることができた。時間切れで翌日へ残した約10�ほどを、志小田さんがリードする際、
僕はギアを送ろうとして、コパーヘッドのぎっしりとつまった袋を落とし、次の日志小田さ
んはチヅルを落とした。これらのせいで、2度も下界を往復するはめになり、2日をムダに
してしまった。今でも壁にぶつかりながら落ちていく白い袋と、袋の口からパラパラとこぼ
れ出るコパーヘッドが思い出される。
 マンモステラスから上は傾斜も強くなり、凹角が多いせいで日陰を登ることが多く、ビレ
イ中は結構寒い思いをした。
 残り2つあったA5のピッチは、12ピッチ目を志小田さん、17ピッチ目を僕が担当した。
12ピッチ目で一度フォールした志小田さんは、墜落で抜けたコパーヘッドを根気良く打ち直
し、そこを越えた。17ピッチ目の僕は、なんとか落ちずに#1と#2のコパーヘッドが続く
美しいコーナーを登ることができた。ここまでくると、まだ6ピッチを残しているにもかか
わらず、もうJolly Rogerを登れたような気持ちになっていた。寒くて震えながら冷え切った
缶詰を食べるのは、少々みじめでもあったけど、蛇行するマーセドリバーを見下ろし、豆粒
のようになった自動車を見るのは気分が良く、近づくエル・キャピタンの頂上と、下界で待
つビールのことを思うと幸福だった。
 最後の5.9のピッチを佳奈ちゃんが登り、Jolly Rogerは終わった情報通のクライマーの話
だと僕らは通算第8登目ということだった。でも、そんなことよりも再登によってグレード
ダウンしてしまう宿命のエイドルートで、残置ギアの少ないおかげで、より初登者に近い気
持ちが味わえたことが満足だった。

 Jolly Rogerから下りてすぐに、今年エル・キャピタンを1本ソロしようと決めていた僕は、
他人のアドバイスもあり、ルートを“Lost in Americaに決め、準備を始めた。基部への荷上
げをし、2ピッチのフィックスの後、ピスタチオをたっぷり買い込んでGo Up。にぎやかな
キャンプ4から急にルートきりになるのは、さすがに淋しくもあったけど、Go Up後に聞こ
えたヨセミテを去る志小田さんからのコールや、カナダ人がずっと遠く壁の中から送ってく6日
れる「スイヅー! コンニチワー!」のコールに励まされ調子も上がり、順調に進んだ。6
ピッチ目、5.10のランナウトが、このルートをソロする上で僕にとってに核心だった。ラン
ナウト後の情報を持っていなかったせいで、僕は一通りのギアを全て持ってのぼることにし
た。フラットソールに履き替え、手にたっぷりとチョークをつけ、ソロエイドからたっぷり
とロープを出してから、突っ込んだ。傾斜がおち、楽になり、やっとプロテクションが取れ
ると、嬉しさがこみ上げた。
 ルート全体を通して、夕方4時ごろビレイ点に着くことが多く、次のピッチに手をつける
には時間が足りない。まだ明るいうちにその日のクライミングを終える日が多かった。それ
でも夜、腰まで寝袋に入り、ポータレッジの上から暗い空間へ向かってピスタチオの殻を投
げるのが快感だった。ルート自体は明らかにグレードダウンしていて、かつてA5だった11
ピッチ目はチキンヘッドと呼ばれる怖さに堪えられなかった再登者によって打たれたリベッ
トのせいでA2ぐらいに感じた。それでも結果的に目標どおりの4ビバークで登れたことに
は満足した。

 Lost in America以後は、しばらく冴えない日が続いた。ヨセミテフォールのルートを、い
くつかの理由で4ピッチでやめ、ハーフドームのソロを長いアプローチに堪えて荷上げした
にもかかわらず、くじけてしまった。
 朝の寒さを避けてカフェで昼を待つ日が続いた。

 10月半ば、親しくなったイギリス人クライマーIan Parnellと、残された日数を計算し、2
人でWyoming Sheep Ranchをやることに決めた。このルートは南東壁の北米大陸型の模様
のちょうどワイオミング州のあたりを登るルートで、A5+とグレーディングされている。
 取り付きで“Let's go to Wyoming!”という僕の掛け声にIanが“Holiday in Wyoming!”と
返し、僕のリードでWyoming Sheep Ranchは始まった。1ピッチ目は悪く、一度フォール。
初日、1ピッチ半ほどフィックスし、次の日昼過ぎにGo Upした。ルートは全体的にもろい、
薄いフレークへのフッキングが多く、精神的に疲れる。僕らのずっと左では“North American 
Wall”“El Nino”の第2登をねらって18才と19才のイギリス人ペア、LeoとPatchが登って
いた。夕方になると彼らからその日の結果が報告され、こっちも気合が入った。数日後、彼
らはほぼ全ピッチオンサイトという快挙を成し遂げた。激しい雨の日には、僕らも彼らもポ
ータレッジで足止めをくらい、僕はヘッドホンの音楽の向こうから聞こえるポータレッジの
フライをたたく雨の音を聴いて過ごした。雨の止んだ次の日、9ピッチ目のA5を僕がリー
ドし、11ピッチ目のA5+をIanが、彼の誕生日に当たるその日リードした。その夜は、チョ
コレートドーナツにマッチをロウソクに見たてて立て、ビールで彼の誕生日を祝った。
 ルートは後半“Sea of Dream”へ合流し、僕らは最後“El Nino”の2ピッチを登って頂
上へ抜けた。天気は完全に下り坂で、下降を始めるころには雨も本降りになり、East Ledge
はちょっとした滝になっていた。水をかぶり、ホールバッグと格闘しながらラペルし、下界
へ着くとそこはハロウィンパーティーを数日後に控え、サマータイムも終わってしまってい
た。キャンプ4は、シーズンオフの雰囲気が漂い始め、テントもめっきり減り、親しくなっ
た日本人クライマーはみんなヨセミテを去ってしまっていた。
 僕は11月1日、ヒッチハイクでヨセミテを後にし、更にあと4ヵ月間続く旅の舞台、南米
パタゴニアへ向かった。

9.04.1998

三つ峠から小川山へ

三つ峠から小川山へ
1998-9-4.5
MEMBER  CHU, TOMY ,KISY

9-4
 久しぶりに三つ峠へクライミングにいこう、というわけで、峠の裏登
山口の駐車場に9時前に集合。1時間ちょうどのアプローチで四季楽園
着。岩場はガスにつつまれている。取りつきまで下る。湿っぽいが一般
ルートのあたりは乾いている。平日なのでわれわれ3人のほかだれもい
ない。

この前きたのはいつだろうと考えていたが、数年まえの秋、絶好
の好天の日に楽しんで以来。あのときも峠はいいね、と思ったものだ。
アルパインクライミングの雰囲気もあった。
 16、7年まえ、今風のクライミングというのを再開したのもここで
だった。雑誌の取材がらみで、若い仲間としょうみさんのスクールに入
ったような覚えがある。フラットソール、ハーネス、エイト環、ヌンチ
ャクなど一式そろえたはずだ。高校山岳部の時代、八ヶ岳でよく岩登り
や沢登りをしたものだが、そのころには、そんな道具はひとつもなかっ
た。登山靴に自作のスワミベルト(ブーリン結びの直まきだったかもし
れない)、

エイト環など発明されていなかったから懸垂下降も肩がらみ
でおこなった。ロープも赤一色のナイロンで、麻ザイルというのも部室
にあって現役で活躍していたように思う。それでも毎週土曜日の午後は
学校の近くの二葉の岩場でせっせとトレーニングに励んだものだ。
 しょうみさんのスクールで、クライミングの楽しさを再発見したのだ
ろう。そのあとは、はまさんを師匠にして、毎週にように広沢寺に通っ
た。三つ峠にもよく来た。小川山の全盛時代のころだが、小川山はまだ
ぼくらには難しいルートの多い、遠い岩場だったような気がする。
 とはいえ、そのころでも三つ峠は、フリー化の波もあって、フリーク
ライマーがかなりたくさん集まっていた。やはり雑誌の取材できたある
日など、小川山や城が崎でみる顔がそっくりそろっていたを覚えている
。JMCCなどの連中もテント張っていた。先鋭的なフリークライマーは今
はここには来ない。小川山にもあまり行かない。前傾壁のある岩場にい
っているらしい。

クライミングは技術に応じた岩場で楽しめばよいわけ
で、どんどん新しい岩場が開拓され紹介されていくのはよいことだ。三
つ峠のよさは、だからといってなくなるわけではない。ここでは、山の
中の大きな岩場で、フリー、アルパイン、人工クライミングなどのさま
ざまな岩登り練習ができるのだから。

 今日の峠は、平日だから空いている。こんな機会はすくないというこ
とで、1ピッチ目を左から順番にトライ。都岳連ルート、なんとかルー
ト、さあてこれから、リーダーピッチ、地蔵左、地蔵右とやったらもう
3時ころになっていた。人工のクライミングもこの際練習しようとちゅ
うさんがアブミをとりだしたのでちょと練習。四季楽園でビールをのん
で下りました。
 岩はギョウカイ岩とかで比較的しっかりしているし、なんといっても岩
 場が大きい。関東周辺ではいちばんではないか。講習会用の支点などは
 整備されているが、リードできるクラッシクルートは昔のままのハーケ
 ンなどが主体。ボルトを打って、きちんとしたスポーツルートにすれば
 もっと楽しめると思うのだが。

さあてこれから、などでは足がすくみ、
 人工クライミングのようにして登ってしまった。ハーケンをプロテクシ
 ョンにして突っ込むのはちょと怖いルートだった。
 一般クライマーが手ごろに楽しめる5級、6級、5.8、5.9クラスのルー
トが豊富だから三つ峠の人気は永遠に続くはずだ。

9-5
 大泉の安田別宅を9時にでて、小川山へ。飯山健治氏と会う。兄岩に
行き、ちゅうさんがウオリーを探せに初トライ。なんとかぬける。僕も
久しぶりにトライするが往年のサエはなし。紅葉をやってから、くまさ
んがんばれ、北条カンテなどで遊ぶ。昨日のつかれのせいか、昨日の三
つ峠でガバルートばかり登ったせいか、みんなあまり冴えず。きょはも
ういいか、というわけで撤退するが、帰途、アルパイン少女マミにトラ
イする菅原ぶんちゃんファミリーにあう。おなじモダンの仲間だからと
ビレイをかってでるが、ブランクの長いぶんちゃんは5.11d核心をどうし
てもこえられない。なんども派手におちる。ビレイするぼくもひきずら
れて岩に頭をぶつける。ビレイ中でもヘルメットは必着だと思いました
。夜には帰京。