HISTORY & STORY

9.04.1998

三つ峠から小川山へ

三つ峠から小川山へ
1998-9-4.5
MEMBER  CHU, TOMY ,KISY

9-4
 久しぶりに三つ峠へクライミングにいこう、というわけで、峠の裏登
山口の駐車場に9時前に集合。1時間ちょうどのアプローチで四季楽園
着。岩場はガスにつつまれている。取りつきまで下る。湿っぽいが一般
ルートのあたりは乾いている。平日なのでわれわれ3人のほかだれもい
ない。

この前きたのはいつだろうと考えていたが、数年まえの秋、絶好
の好天の日に楽しんで以来。あのときも峠はいいね、と思ったものだ。
アルパインクライミングの雰囲気もあった。
 16、7年まえ、今風のクライミングというのを再開したのもここで
だった。雑誌の取材がらみで、若い仲間としょうみさんのスクールに入
ったような覚えがある。フラットソール、ハーネス、エイト環、ヌンチ
ャクなど一式そろえたはずだ。高校山岳部の時代、八ヶ岳でよく岩登り
や沢登りをしたものだが、そのころには、そんな道具はひとつもなかっ
た。登山靴に自作のスワミベルト(ブーリン結びの直まきだったかもし
れない)、

エイト環など発明されていなかったから懸垂下降も肩がらみ
でおこなった。ロープも赤一色のナイロンで、麻ザイルというのも部室
にあって現役で活躍していたように思う。それでも毎週土曜日の午後は
学校の近くの二葉の岩場でせっせとトレーニングに励んだものだ。
 しょうみさんのスクールで、クライミングの楽しさを再発見したのだ
ろう。そのあとは、はまさんを師匠にして、毎週にように広沢寺に通っ
た。三つ峠にもよく来た。小川山の全盛時代のころだが、小川山はまだ
ぼくらには難しいルートの多い、遠い岩場だったような気がする。
 とはいえ、そのころでも三つ峠は、フリー化の波もあって、フリーク
ライマーがかなりたくさん集まっていた。やはり雑誌の取材できたある
日など、小川山や城が崎でみる顔がそっくりそろっていたを覚えている
。JMCCなどの連中もテント張っていた。先鋭的なフリークライマーは今
はここには来ない。小川山にもあまり行かない。前傾壁のある岩場にい
っているらしい。

クライミングは技術に応じた岩場で楽しめばよいわけ
で、どんどん新しい岩場が開拓され紹介されていくのはよいことだ。三
つ峠のよさは、だからといってなくなるわけではない。ここでは、山の
中の大きな岩場で、フリー、アルパイン、人工クライミングなどのさま
ざまな岩登り練習ができるのだから。

 今日の峠は、平日だから空いている。こんな機会はすくないというこ
とで、1ピッチ目を左から順番にトライ。都岳連ルート、なんとかルー
ト、さあてこれから、リーダーピッチ、地蔵左、地蔵右とやったらもう
3時ころになっていた。人工のクライミングもこの際練習しようとちゅ
うさんがアブミをとりだしたのでちょと練習。四季楽園でビールをのん
で下りました。
 岩はギョウカイ岩とかで比較的しっかりしているし、なんといっても岩
 場が大きい。関東周辺ではいちばんではないか。講習会用の支点などは
 整備されているが、リードできるクラッシクルートは昔のままのハーケ
 ンなどが主体。ボルトを打って、きちんとしたスポーツルートにすれば
 もっと楽しめると思うのだが。

さあてこれから、などでは足がすくみ、
 人工クライミングのようにして登ってしまった。ハーケンをプロテクシ
 ョンにして突っ込むのはちょと怖いルートだった。
 一般クライマーが手ごろに楽しめる5級、6級、5.8、5.9クラスのルー
トが豊富だから三つ峠の人気は永遠に続くはずだ。

9-5
 大泉の安田別宅を9時にでて、小川山へ。飯山健治氏と会う。兄岩に
行き、ちゅうさんがウオリーを探せに初トライ。なんとかぬける。僕も
久しぶりにトライするが往年のサエはなし。紅葉をやってから、くまさ
んがんばれ、北条カンテなどで遊ぶ。昨日のつかれのせいか、昨日の三
つ峠でガバルートばかり登ったせいか、みんなあまり冴えず。きょはも
ういいか、というわけで撤退するが、帰途、アルパイン少女マミにトラ
イする菅原ぶんちゃんファミリーにあう。おなじモダンの仲間だからと
ビレイをかってでるが、ブランクの長いぶんちゃんは5.11d核心をどうし
てもこえられない。なんども派手におちる。ビレイするぼくもひきずら
れて岩に頭をぶつける。ビレイ中でもヘルメットは必着だと思いました
。夜には帰京。