HISTORY & STORY

3.20.2010

嵐のあとの朝霧

 嵐のあとの朝霧

カテゴリ:2010年の記録
春の嵐
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03/20土曜日
 3連休は予報が微妙だった。土日月のうち日が悪いらしいというのでプランが難しかったのだが、けっきょく太郎と遊ぶことにしてパラグライダーに絞る。車にはスキーの類は載せなかった。だらだらしてのんびり昼過ぎに太郎と山中湖へ向かう。土曜日は捨てて移動(とはいえ土曜日は雪国はよかったらしい)。
彼岸は混む。昼過ぎにでて結局国立府中から高速にのったのだが、そこまでうおうさおう2時間ほどかかった。あとは順調。紅富士の湯に入って小屋入り。太郎と散歩。前線の通過で夜半に猛烈な春の嵐となった。

03/21日曜日
 風収まらず、しょうがないから鉛筆で原稿書いていた。一仕事できた。東伊豆町でのパラ旅行に誘われていたが強風に怯えて出かける気にならない。サンパラの中村校長が太郎と会いたいといっていたのだが。午後温泉に行って買い物しておしまい。

03/22月曜日
 素晴らしい朝。富士山が新雪に輝いている。とはいえ双子山のあたりは雨だったに違いない。朝マイナス5度まで冷えた。早起きして東伊豆へとも思ったが起きたのが7時ころ。太郎と散歩してから、朝霧高原にパラグライダーに行くことにする。小屋からなら1時間もかからない。朝方テレビで朝霧高原の富士が嶺のサティアンのあったところ、上九一色村のオーム事件の現場をレポートしていた。前からどこなのか気になっていたので、見当つけて探してみる。近くでナビを見ると富士が嶺公園とある。そこにgotoすると、なんのことはない、テレビでレポートしていた場所だった。由来を記した看板もなく、公園名もない。富士山を見上げる公園の隅に慰霊碑と掘られた石碑があるだけ。昨日の強風で数本の木が倒れていた。
 朝霧手前でパラ背負って歩いている人がいた。面白おじさんの野村さんだった。川原に不時着したとのこと。猪の頭は空いていた。クロカンの時期なのでフリークというかインスの人は筑波へ行ってるのが多いみたい。南風が強めで浮き沈みが激しい。木崎湖でお世話になったストール研究会の町田さんにあった。この方はパラがうまいが人間もできている。有名アクロバットフライヤー。言葉つかいもていねいでジェントル。あんまり気持ちよくありませんけれどま練習にはなります、と言っていた。スタッフの岡部さんがアクロバットをばんばんやっていた。我慢して1時間ほど前山を徘徊。旧知のサンパラからの留学生が何人かいた。犬パパが宮崎に帰った末吉さんところへ行きたいものだと言っていた。野村さんと話ししてから(野村さんも太郎が大好きなのである)、小屋には寄らずに帰る。どこも大渋滞らしいので道志道利用。すいすいだったが、それでも朝霧から多摩川伝いに自宅まで4時間近くかかった。
 嵐のせいでたいしたことはできなかったが太郎は満足したかな。
 おっと忘れてた。帰路3時過ぎに河口湖から大石見たらなんとパラが飛んでいた。こんど顔ださねば。

伊藤フミヒロ記
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