安達太良山スキー
2012年3月25-26日
member 羽根田オサム 伊藤フミヒロ記
雪模様の勢至平 |
3月25日日曜日 はれくもり
明け方白岡抹茶邸で合流。今回は欠席のまっちゃんから朝コーヒーと差し入れをいただきスタート。岳温泉から安達太良スキー場へ。9時ころ到着。日差しがあって明るいが山は雪雲の中。ゲレンデはモウレツな風でゴンドラは動いていない。時間があるので回数券2枚900円購入してゲレンデで足慣らしする。
登山届けを出して11時ころスタート。薄い新雪を被ったトレイルを勢至平へ上がる。このところ冬型の天気が続いている。このあたりも同様、雪が舞ってときどき強風が吹き降ろす。日曜日とあって20人ほどの下山者に会う。羽根田さんの立ち話で、ほとんどくろがね小屋あたりからの下山者、昨日今日と山頂に立ったヒトはあんまりいなそう。
3時間かけてくろがね小屋着。清潔な小屋で暖かい。単独行者、年寄りの温泉登山家一味と高校山岳部チームが入荘。お酒をいただきなんだかんだとおしゃべりする。羽根田さんとは30年以上のつきあい。仕事半分でクライミングやスキー、あちこち出かけたものだなあ。山と飲み屋の友人は続いてほしいものである。掛け流しの硫黄泉は最高。カレーの夕食。ここのカレーはただのカレーに見えるが仕込みから手間暇かけていておいしくて有名。強風やまず9時消灯。
乳首に登るルートは氷漬け |
八紘一宇のある山頂 |
3月26日月曜日 くもり雪、晴れ
珍しく朝風呂に入る。温泉がいいもんで。風は収まり視界もある。6時半に朝食をいただき7時半にはスタート。小屋前から早出の単独行者のあとをいく。と突然足元にあなぼこが開いて落っこちそうになる。噴気による空洞だった。
カリカリのバーンでスキーからアイゼンに履き替え。視界は100mほど。単独行者が降りてくる。「山頂はまずまずの模様」とか。峰の辻からはタケザオが頼り。9時半ころ山頂。岩頭部は氷に覆われて真冬危険状態。早々に下る。
さほどの強風もなく視界も開けてきた。スキー場への尾根を下る予定だったがカリカリなので変更して往路を戻ることに。山頂直下から滑り出す。カリカリバーンと吹き溜まりが混ざった斜面を大きな弧で下る。複雑な地形なんで視界がないと困るところだろう。
峰の辻から篭山下をトラバースして勢至平へ。牧場のようなひろい斜面を新雪を蹴散らして下る。夏はつつじや五葉松の高原になるらしい。雪のない時も見てみたい。急斜面の下りは夏道に絡んでツリーらん。12時過ぎにスキー場へ戻る。岳の湯300円でのんびりして暗くなるころ都内に入る。
スキー場から右回りで周遊するのは山スキールートとしてはだれにでもおすすめできる一級のものだと思います。冬も春も。
勢至を下る |
周遊ルートは理想的な山スキートリップだね |
くろがね小屋は1949年に出来たそう。63年前、戦後間もなくだからすごい 以下ネット百科から くろがね小屋周辺では既に平安時代までには温泉が発見されていたといわれている。江戸時代には二本松藩主・丹羽氏によって一帯が温泉街として整備され、湯日温泉と呼ばれて大いに賑わい、番所や藩主の御殿も建てられたという。江戸時代中期になると湯女も許可され、歓楽温泉街として遠方からの来客も多かったという。しかし、文政7年(1824年)、豪雨や台風の影響で鉄山の一角が崩壊し、その土石流が温泉街を直撃、湯元人や湯治客など63人が死亡する大惨事となり、温泉街は壊滅してしまった。現在立ち入り禁止となっているくろがね小屋-馬の背の登山ルート沿いの源泉地帯が湯日温泉街の中核部分で、現在も当時の名残が少なからず残っているという。温泉はその後、十文字、深堀を経て、明治39年(1906年)に椚平の地に移転、これが現在の岳温泉である。 |
昭和の風景は和むね。このヒトも1949年生まれ |