HISTORY & STORY

9.07.2013

湯坂路2と小室山

湯坂路石仏と小室山
2013年9月6_7日
27日
天候  はれ
member Taro Kei itokisya
磨崖仏二十五菩薩

精進池と湯坂路

磨崖仏六道地蔵

6日
 Taroとすずしいところへ。
 箱根湯坂路の最高地点、精進池の畔にある石仏と石塔群を見る。鎌倉古道沿いのものでそのころのものらしい。磨崖仏六道地蔵は大きくて驚いた。2階建ての家くらい。平成になって再発掘されたとのこと。応長地蔵は小さいが彫り込んだ文字がくっきりとしていてよほど堅い石に彫ったもののようだ。磨崖仏25菩薩は道を挟んで両側にあるが、巨岩のあちこちに仏がいて面白い。これも700_800年を経ているが鮮明な姿を見せている。
 曽我兄弟の墓といわれている五輪の塔3基は思ったよりも大きい。これは国道1号線沿いに見ることができる。説明では以下のよう。

 精進池から少し、芦之湯側に行った国道1号線沿いにある3基の石造五輪塔。成立年は永仁3年(1295年)。曽我兄弟と虎御前の墓と呼ばれ、有名な史跡スポット。こちらは鎌倉時代当初の遺構が発掘調査によって判明できなかったそうで、江戸時代の姿で復元したものです。

 ほかに八百比丘尼の墓とか源氏の祖、多田満仲(源満仲)の宝篋印塔などがあって遊歩道伝いに見たり触ったりすることができる。実は曽我兄弟の墓とかは、マユツバだという。江戸時代の人の、そうだったらいいな、という気分がそんな物語を作ったらしい。
 駒ヶ岳と二子山に挟まれた最低鞍部が精進池のあたりで、鎌倉の人が見たとおりの景色が残っているというが、当時は火山活動が盛んだったからもっと荒涼とした風景だったようだ。だからこのあたりを地獄と見て地蔵様などがたくさん彫られたのだという。江戸時代になるととなりの須雲川の谷が東海道とされたのでこのあたりは通行禁止となり一部の見物のみが許されたとか。ちなみに湯坂路以前の古代東海道は万葉歌で知られる足柄峠を経るものだった。

 歴史を少々学んだあとは南下。伊豆スカイラインをたどり滝地山のパラグライダー場を見るが逆風が強くだれもいなかった。パラフィールドをのぞくとガスに包まれていて手持無沙汰な何人かが見えた。
 天城高原終点まで走って万二郎山下の四辻あたりを散策する。ホテルハーベストにイン。天城連山と箱根が少し見えたがすぐにガスに包まれてしまった。

湯坂路磨崖仏


7日
 宿は遠笠山下に造成されているが、この朝濃い霧に包まれてなにも見えない。フォグランプをつけて徐行運転で海沿いの国道までくだる。
 一碧湖を見に行く。これは火口湖でマール。
 続いてスコリア火山小室山に登り小さな火口を見て恐竜公園経由で周遊。海は見えたが遠望はなし。小室山火口は浅いものだが明瞭で、今小室神社となっていて火口底には小池があり水を貯めていた。
 昼には早川に出て西湘バイパスで帰京。Taroの運動にはなったかな。
小室山の恐竜

素晴らしい火山と遊歩道

参考
小山真人の伊豆東部火山群の記事
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Izu/ItoShishi/ShishiKen1.html