HISTORY & STORY

4.14.2015

日原峠と土俵岳

日原峠と土俵岳

古道と峠と小菅温泉


2015年4月12日 
棡原(ゆずりはら)エリア日原の春

日原峠

member 太郎 伊藤フミヒロ記 



天候 晴れ

 しばらく菜種梅雨のよう。東京は日照時間が少なく記録的とか。この日曜日は好天だというので出かける。
   甲武国境の笹尾根シリーズの続きで今回は日原峠と土俵岳を見てみたい。
 早出して上野原の棡原(ゆずりはら)エリアへ。前回、ハイカー用パーキング?を見つけたのでそこへ。新山王橋バス停のそばで甲武道の路肩。

 丁度上野原からバスがやってきてハイカーが数人降り立つ。マイナーなルートだと思っていたが日曜日とあってそれなりの人出だ。棡原というのはこのあたり一帯の名称らしく、村の名は猪丸とか日原とか椿、用竹など。好天で春の花々が咲き乱れ爛漫の里景色。日原は南斜面の日当たりのいい集落できれい。このあたりが長寿村だといわれるのもなんとなく納得。

  9時スタート。日原の村からは峠道が2本あって、民宿長明館、愛宕神社経由の道ともうひとつ西側の山道があるようだ。愛宕神社は春祭りの幟がはためいている。なりゆきで登って西側の道に入る。杉植林の中の道をゆるいジグザグで登っていく。大正時代の馬頭観音があって古い峠道だったことがわかる。2つの道が合わさり、雑木の森に変わり、勾配が緩くなると峠はすぐ。2時間もかからずに笹尾根上の日原峠着。
 可愛いお地蔵様がいて数人のハイカーが記念写真を撮っていた。笹尾根だから標識なども完備されている。古道はここからさらに北へ、檜原村の人里(へんぼり)に下っているようだ。かつては人馬と物資の交流があったのだろうが今はハイキングの道として辛うじて生き延びているようだ。
 日原は奥多摩の日原(にっぱら)が有名だが日原峠の日原は今朝登ってきた棡原(ゆずりはら)の日原のこと。
 笹尾根を北へ、土俵岳までは30分もかからない。11時。山頂なら土俵の意味がわかるかと期待していたが明答はなかった。さらに先に向かってみるが笹尾根に大きな変化はなくひと休みしたところから戻る。人気の笹尾根ルートなので数人のハイカーと行き違う。
棡原(ゆずりはら)小学校から笹尾根を見る

大正時代の馬頭観音

きれいな山道が続く

笹尾根を細切れに歩いた

 日原峠からいくつかコブを越える。車の音が聞こえる。足下深くに甲武トンネルが貫通しているはず。見下ろすと秋川の流れと建物がいくつか見える。わずかな距離で浅間峠着。前回、栗坂峠経由で訪ねたところなので休憩なしで棡原に下る峠道に入る。よく手入れのされたスギ造林の急斜面にうまく道が付けられている。やはり馬頭観音がいくつかあった。しばらく下ったところで急造りの林道になって古道の面影は消える。沢伝い緩く下るとすぐに甲武道に出た。この下りではだれにも会わない。車の行き交う新道を避けて旧道を行くとすぐに車が見えた。2時終了。

(日原峠へは、昭文社の地図によると、新山王橋のバス停で降りたら、旧道にかかる橋の脇から細道を登るとよい、と書かれていた。古い通学路らしくそのとおり登ると棡原小学校に出る。八重山トレイルと書かれた小さな案内板が目印。車道を辿るよりもいい。八重山とは710mピークのことだろうか)
(上野原市がきもいりの八重山トレラン大会についてはここ。今年も6月の行われるというのでその日だけはこのあたりと笹尾根へ行かないのがよさそうだ)

(想像だが、日原から峠へ登る2本の道は夏冬で使い分けたのかもしれない。人も馬も、夏は涼しい西側ルート、冬は東側ルートという風に。少なくとも積雪が多いときは西側ルートは使わなかったのではないか)
開業まもない小菅の道駅

 時間があるので鶴川沿いに棡原をドライブ。きれいな田舎道でさかのぼるほどに雰囲気もアップ。鶴峠まで上がったついでに小菅の温泉へ。温泉の横に道の駅があって先週オープンしたばかりとかでやたらにぎやか。青梅側から来ている人が多そうだ。小菅はなにもないけどいいところ、というのがキャッチコピーらしい。温泉で休んでいるうちに帰るのが億劫になってきた。で、楽しい車キャンプ。翌日帰京。帰路は秋川に回って数馬、五日市とも考えたがカーナビと相談して素直に来たとおり上野原経由を選ぶ。甲武国境越えの山岳ドライブは平成の時代でも厳しそうだ。