HISTORY & STORY

6.25.2016

富士山北口5合目まで

富士山北口5合目まで
昔は大賑わいの古い道

2016年6月22日 水曜日

にぎやかだったころ

御室浅間の跡

五合目から山頂部を見る

天候 くもりはれ
member 太郎 伊藤記

吉田口登山道の馬返しにクルマを置いて11時スタート。太郎と山歩のつもり。このあたり以前にも来ているが5合目まで登るのは初めて。

1合目の鈴原神社までは新道で、古道は直線で延びていたという。大昔、馬返しスキー場とか吉田口スキー場というのがあったと聞いたがどこあたりのことだろう。2合目に御室浅間神社があって崩れかけていた。本体は河口湖畔に移築されている。3合目には2軒の茶屋があったらしい。お堂はいまも建っている。案内に絵葉書の写真があって、戦前まではにぎやかだったようすがわかる。平削された敷地があってお堂と背景のスギの大木など写真と対応することができる。
馬返し

石畳のところも多い

トレランのヒトに二人ほど会う。
4合目から5合目はわずかな距離で、5合目井上小屋はまだ使えそうなほどしっかり建っていた。このあたり中宮というらしい。この先に何軒もの山小屋があったという。跡地が続く。お堂の類は辛うじて立っているが小屋は跡形もない。小屋の前を抜ける登山道は右に左に大きく曲がっている。滝沢林道を越えて少し登ると佐藤小屋に着く。平日とあってクローズ。ここまで2時間半ほど。

馬返しのあたりでは霧雨模様だったが雲を抜けたのか、日が射してきて山頂部がのぞく。ガスが湧き雲が流れなかなかけっこうな景色。佐藤小屋から小御岳神社(スバルライン終点)へ続く緩い坂路は古道だったことが案内でわかった。ちなみにスバルラインから泉ヶ滝、6合目、下山道の一部はお中道です。
案内によると、このあたりにあった山小屋は戦後、六合目以上に移転したものが多いという。以前は五合目の上に小屋を作ることはご法度だったとも書かれていた。
吉田の役場が案内板をあちこちに立てている

遺跡と考えればこのままでよいか
北口登拝道とお中道があり、小御岳道もあった

佐藤小屋の上に星観莊という小屋があって初めて見た。六角堂まで行けばよかったが砂礫が太郎の足裏にはきつそうなんで止め。

下りは往路どうりで、トレラン男女3、4人ほどに抜かれた。五合目まではトレランには向いている勾配かもしれない。登山マラソンも近いので練習組なのだろう。トレラン組以外には下り始めに平日ハイキンググループ10数名とすれ違った。ほかにハイカーはいなかった。
馬返しに3時半ころ帰着。紅富士湯に寄ってちょうどいい頃合いに吉田道駅に到着。
戦前の富士山のスキー場。「富士みずほ通信」から拝借