庄内鶴岡の2日
2022年4月26、27日 火曜日木曜日
member ハネダオサム マツクラカズオ 伊藤フミヒロ記
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鶴岡加茂水族館
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連休が始まる前に3日間山形へでかけました。
月山でスキーの予定でしたが、初日と2日目は山の天気が悪くスキーはできませんでした。
朝日山の家に2泊して、2日間は鶴岡に下ってあれこれ見学しましたのでその覚え。
4月26日 火曜日
朝いちで出て白岡まちあん亭。プジョーにのりかえて那須ハネダ家へ。一台で福島、東北中央道に入って米沢経由寒河江、西川町へ。月山がよく見えますがもうすぐ雨になりそうな気配です。そのまま海に向かって鶴岡へ下ります。
漬物の里でおいしいそばをいただいてから月山北面にあるセデックオープンスタジオへ。数々の時代劇映画が撮影されたところです。藤沢周平作品などもここで撮られたようです。
2時間ほど映画村を見学してから、郊外のぼんぼ温泉湯に寄って、西川町大井沢の朝日山の家に入りました。
寒河江川の脇にあるロッジで知る人ぞ知る宿。釣りと山の客が多いようですが、今日はほかにだれもいません。
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加茂水族館と朝日山の家。宿の前は寒河江川です |
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映画村、セデックスタジオ。上段はおしんの生家だ |
4月27日 木曜日
宿の前が寒河江川じょうじょう橋で月山がよく見えるのですが、今朝は雲の中。回復が遅れているようなので、今日も午前中は鶴岡へいきましょう。
加茂水族館に行きました。日本海に面した立地でクラゲ水族館として有名です。そのあと県縦断駅伝の行列にまきこまれて町の中心鶴岡公園までは小一時間ノロノロドライブになりました。
公園は庄内酒井藩鶴岡城址のことで、あれこれ見どころがあるのですが、お堀のサクラと鴨居レイの作品展、藤沢周平記念館(休館でした)をみました。話は飛びますが、藤沢作品は愛読書です、映画でも北川けいこさん主演の「花のあと」はお気に入りです。
今日もランチは県道沿いのそばや、つむぎ、です。山形はおいしい。
昼過ぎに月山に戻ります。月山は雲の中、インターを降りてくねくね道で登山口駐車場に上がりましたが爆風が吹いていて車も人も見当たらないほど。なぜかリフトが動いているのが不思議です。地蔵沼に寄って写真を撮りました。脇にあったはずの月山荘はあとかたもなく(前回もそうだったか)、キャンプ場は雪が解ければ利用できるようです。
大井沢ゆったり湯に寄って、朝日山の家に戻りました。明日の好天に期待します。
朝日山の家は、槇有恒の書いた宿看板が目をひきます。
いつもピカピカなのが第一印象です。部屋は洋室で好みです。食事もおいしい。私の好みとは異なり朝晩とも皿数が多くて高級旅館の風。十数年まえ、月山のテレマークキャンプに仲間とやってきたとき、西川の蛙の子(道の駅となり)というそばやで紹介されて以来なんどか。宿とそばやは文字通り姉妹の関係らしい。奥さんに聞くといまも元気営業しているとのことでした。
おまけ
帰京後、この宿についてい若干の発見がありました。以下。
朝日山の家について
インスタで山の家の奥さんの息子さんらしいアカウントを見ました。
ポルシェのようなホンダやドーベルマンなどをもっていて発展的な起業家?のようす。
https://www.instagram.com/imperfect4_4/
あの宿は、以下の記事のようにもともと民宿だったらしい。
奥さんの旦那も山や釣りで知られた人だったらしいが10数年まえ若くしてなくなったらしい。そのときにわたしは初めて泊まったのかもしれません。
義父は有名人でラストマタギという本も書いている。ヤマケイからも別に、朝日連峰の狩人、がでているようです。そういえばそんな本ありました。
今度ラストマタギを読んでみようとおもいました。前述のお孫さんのインスタに熊谷榧さん描いたラストマタギのスケッチがありました。
以下はネットから拝借。知らない人のブログです。
志田忠儀(ただのり)さん
2016/07/07
先日、大井沢の志田忠儀(ただのり)さんが100歳でついにこの世を去られました。本当に立派な人生を全うなさった方でした。私は二十数年前に大井沢の民宿『朝日山の家』に宿泊したときに、初めてお会いしました。その時70代の後半だった志田さんは、もう民宿の経営は次男の忠昭さんに任せていましたが、良く朝日山の家を訪れていたようでした。その存在を知ったのは長男が新聞社の世論調査のアルバイトで大井沢を訪れて、志田さんの民宿に泊めていただき、とても親切にしていただいたので、いつか私も行きたいと願っていたのです。なかよしのOさんと一緒に月山に登る旅を計画して、宿は『朝日山の家』と決めていました。忠昭さんの奥さまの智恵子さんが義父母から教わったことを忠実に再現して、山の幸をふんだんに使った美味しい料理でもてなして下さいました。ほとんどの材料は山から採ってきた茸や生け簀で飼っているイワナ、畑で獲れた野菜や山菜で、季節はずれの物は上手に塩漬けされて保存していた物でした。味付けも薄味で、すべて義母のキヨエさんから教わったのだと言っていました。 この2冊の本は志田忠儀さんが70代の終わり頃に西沢信雄さんが忠儀さんの話を聞き書きした『朝日連峰の狩人』(山と渓谷社刊)と、2年前にお孫さんの薦めで今度はご自分の原稿を素に出版社の協力で、自著として出版された『ラスト・マタギ」(角川書店刊)です。大正5年に大井沢で生まれ、ずっと大井沢で暮らしてきた狩人の志田さんの人生が語られています。山形県の真ん中でもっとも山形県人らしい生き方をした志田さんの貴重な100年の生涯が語られています。一人でも多くに人に読んでもらいたい本です。私は何回も何回も読んでいます。
ラストマタギ・志田忠儀さん
西川町立大井沢自然博物館・自然と匠の伝承館
May 27, 2016 ·
ラストマタギ・志田忠儀さんが亡くなられたそうです。
御年100歳。ここ大井沢博物館にも忠儀さんが採取寄贈されたものが多数展示されております。忠儀さんが名づけた地名も多数地図に残っており、山のブナには忠儀さんが刻んだ道しるべなども見ることができます。体はご高齢の為衰えることはあっても最後まで頭ははっきりしており、今年の大井沢や朝日連峰の山や雪の状況を気にかけていらしたそうです。山のことでわからないことがあって地元の方々に聞いていってわからないと「忠儀さんならわかるはず」ということがたびたびあり電話で問い合わせて、的確に教えていただきました。大変お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
朝日山の家:志田忠昭さん、逝く
2010.10.28
こんなに冷たく感じる雨の日でもけっして欠かさない、犬っ子達との朝散歩。
出がけ前に軽くメールチェックをしたら、
久しぶりに旧友からメールが入っていた。
内容は、朝日山の家の志田忠昭さんが亡くなられたとの事。
志田さんと出会ったのは、大江町と大井沢をつなぐ大頭森山の林道脇で、
当時はまだトンネルは無かったでした。おそらく・・・互いに26歳の時だったかと。
彼はジムニー(2スト)。私はYAMAHAのトレールバイク。
大頭森山頂上付近からは、大井沢の里を眼下にして朝日山系が一望できるが、
彼が車から降りてその風景を写真に撮っていた時に、
そこを通りかかった私がバイクをちょっと停めて、話しかけたのがキッカケだった。
大井沢に遊びに行った時にはちょこちょこ顔を出したり、
さらには家族して遊びに行ったり、クマのレバーの燻製や
ウサギのソーセージを喰わされたり、毛ばり釣りの話はもちろん、
狩りやマタギの話やオフロードバイクやスノモの話をしたり、
マスの燻製を商品化したい・・・・だとか、
主に、現在の「朝日山の家」というカタチに至る前の段階
(互いに青年期後半の時期)ではあったが、折に触れて何かと付き合いが出来た。
ここ10年程は特にお会いしていませんでしたが、
私にとっては、心に残る出会いをした友人のひとりでした。
(この場をお借りして、ご冥福をお祈り申し上げます。
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野外スタジオをうろうろする3人組。奥の雪山は湯殿山でしょう |
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月山駐車場は風つよい |
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地蔵沼から姥が岳月山 |
おまけ2
鶴が岡公園のあたりに和洋折衷の西洋風建築がいくつかあって不思議な感じがします。明治の文明開化時にみようみまねで作った西洋建築があったと聞いていたけれど、それとはこれか、という感じでした。
以下おもしろいです。
知らない人のブログ
まつちあんのブログからの借用写真