HISTORY & STORY

5.30.2024

鹿岳(かなだけ)西上州

岩場は立岩よりラク。急坂がたいへん

date 5月27日 月曜日 くもり

member itokisya(記)

まんなかが鹿岳(かなだけ)、左が四ツ又山、右不明
下仁田駅の東から(カシミール3Dで作成)


村の道を奥まで進みます

立派な駐車場。このあたりあちこちに絶壁山

ここから植林帯を登ります。ヒル注意の案内あり

木製のはしご、このあとクサリ場

見えました。一ノ岳と左奥が四ツ又山

ニノ岳が鹿岳最高峰


往復しました。9割方はスギ林の上り下りです。
標高差は550mほど、


5月27日 月曜日
道の駅南牧。車泊車はほかにいなかったようです。朝いちで予報を見ると昼前から小雨になっています。
朝のうちなら大丈夫かな、10分ほどのドライブで鹿(かな)岳登山口に到着。広い駐車場にクルマはいません。
6時45分に鹿岳登山口(標高450m)スタート。スギ植林の暗い森をまっすぐ登ります。沢伝いから急斜面のジグザグになりますがスギ林はずーっと続きます。
稜線が見えるかなというあたりから雑木帯にかわりザレた急斜面ずるずる登ります。小さな岩場をこえると稜線にでました。鹿岳一ノ岳と二ノ岳のコルです。8時15分。ここまで500mほど登っています。
曇っていますが風もなく、気温は16度くらい、雨の気配はありません。雲が流れていますが近い山は見えます。
一ノ岳は割愛して最高峰の二ノ岳へ。新緑がきれいな細尾根(右側は絶壁のようです)を進み、自然の石段を登ると狭い山頂にでました。標高1012m、9時。

あちこち眺めてのんびりします。ときどき日差しもあります。
登ってきたとおりに下りました。10時50分にクルマに戻りました。朝と同じで自分のクルマが一台だけ。標高差550mほど、4時間のハイキング。

けっきょく鹿にも人にも(雨にも)会うことのない半日でした。


下山後、3,3kmトンネルをぬけて上野村へ

天領の庄屋、旧黒澤家。すばらしい。御巣鷹山のタカを将軍家に献上していたとか



今回の旅は350kmほど。初めてのところばかりで面白かった


おとなりの上野村経由で帰ることにしました。山越えですが、今は湯ノ沢トンネル(3300m、2003年完成)があってわずかなドライブで移動できます。

長いトンネルを抜けると、上野村、道の駅と川の駅がありました。どちらも神流(かんな)川に面していて広くて快適な休憩所のようです。名物イノブタラーメンを試しました。名所はいくつかありますが重要文化財の黒澤家を訪ねました。このあたりを源流とする神流川沿いにもハイキング山がいくつかあるようです。また次回の楽しみとしましょう。

日差しもでてよい天気になりました。神流川沿いにくねくねとドライブして本庄児玉、254国道で東松山IC。日があるうちに都内に入りました。



参考1
上野村内を走る国道299号は、東は秩父につづき西は十石峠を越えて佐久の八千穂(佐久穂)へ抜けています(さらに麦草峠を越えて茅野まで299号)。山中では酷道にかわるので有名です。
上野村から東京に戻るには神流川伝いの国道462号(ここもクネクネ)、国道254号から関越道の方が便利なようです。
早いのは湯ノ沢トンネルで下仁田に戻り上信越道、関越道経由。なんとなく動線がわるいです。
素直なのは下道で長いですが299国道を秩父市にでて東京に向かいます。動線は素直に見えますが街が多く時間かかりそうです。秩父手前の小鹿野から花園ICに入るのがいいかもしれない。
いずれにしても上野村はけっこう遠い。



雑談1
西上州の山、というのは関東山地でも丹沢、奥多摩、秩父などよりも、さらに北にあって、東京からは遠い。渋いというか、マイナーな山が多いという印象があります。荒船山、妙義山の2山は有名ですがそのほかの山はあまり知られていない感じがします。
私の知っている西上州の山の先生はふたり。
浅野孝一さんと打田鍈一さん、プロのガイドブックライターです。本がいくつかあります。浅野さんはなくなっていますが(2002年没)、たくさんのガイドブックのほか、知的登山のすすめ。低山逍遥の真髄、など山の教養書も書いています。打田さんはハイグレードハイキングというジャンルの権威です。いま、アルパインガイドの西上州(2000年刊)が手元にあるのを発見しました。なかなか面白い。打田さんまだ現役だそうです。多分1947年生まれで77歳。
浅野さんも打田さんも元気なおじさんでした。

そうそう、浅野さんは山口耀久さんと同じ山岳会(独標登高会)でしたがあまり仲良くなかったというか袂を分けたと、浅野さん本人からききました。会の運営のことで。その山口さんもこのあいだ亡くなったそうです。浅野さんも山口さんも1926年生まれらしい。
北八ツ彷徨、古い本ですがまた読んでみましょう。浅野さんの本も。

山口さんとは小川山のクライミングであったことがありました。昼間ではなく夜のキャンプ宴会でわいわいやっているとき。だれかの知り合いで参加したのだとおもいます。小柄なおじいさんでした。礼をもって遇したとおもいますが。焚き火が好きなようでした。頭も筋肉なクライマーが多く、ろくでもない連中だと思われたかもしれませんね。わかりません。それ一回きり。97歳まで長生きしたそうです。

以下ヤマケイから 

やまぐち・あきひさ/1926年東京生まれ。10代半ばから登山を始め、戦争末期の44年に有志と獨標登高会を設立、初代代表を務める。谷川岳を皮切りに、その後は八ヶ岳をはじめとして、後立山不帰Ⅱ峰東壁、甲斐駒ヶ岳摩利支天中央壁、利尻山西壁などに開拓の足跡を残した。また山の文芸誌『アルプ』に参加、串田孫一らと300号の終刊まで編集委員を務めた。主な著作に『北八ッ彷徨』『八ヶ岳挽歌』『山頂への道』、訳書に『ドリュの西壁』がある。2024年1月10日逝去。享年97。

浅野さんのことはまたいつかここに追加しましょう。

雑談2

小柄で長生き、で思い出したのは横山厚夫さんです。ときどきまだ元気かな?と思うことがあります。1933年生まれなので90歳越えか。初めてあったのは50年以上まえ。荻窪の家に伺ったとき、著者と編集者はどっちがエライんですか、など馬鹿な質問をしたことがありました。

どうやらいまも現役らしい。資産家だったのか若い頃から自由きままに山登りしてきた人にみえました。人柄とおなじに軽妙な文章をものする趣味人のようでした。ハイキングひとすじで登山家コンプレックスのないのが珍しい。敬愛する後輩が作った様子がわかるホームページがあります。昔の山の写真がたくさんあって、これはすごーく貴重です。浅野さんの思い出もありました。

https://yamatabi.info/yokoyamaindex.html

"23.南高尾山稜" 

http://yamatabi.info/yokoyamar23.html

浅野さんも山口さんも横山さんも山でいっしょになったことはありません。世代も指向もちがう先輩たちです。団塊に近い打田さんも、ま似たかんじ。そうそう、浅野さん、打田さん、横山さんは山の写真家でもありますね。上の横山さんの写真でもわかるように素人写真ではなく、もともと本にのせるつもりで撮っているので視野が広くレベル高いです。 


追加

浅野さんの本

山登りは、読んで登って書くことです、とのこと。なかなかの勉強家、人物でした。

著者紹介に自ら、独標登高会を除名された、とありました。

アマゾンで入手しました。いい本です。1992年初版、読むとネット時代になって後退したことも多いと思わされます




上の本の袖、知り合いばかりでいろんな本を作ったものです。
敷島、細田、広島、田代、北田、そのほか、彼岸の人です