HISTORY & STORY

6.14.2024

水戸のお城と偕楽園

date 6月11日 

member kei itokisya(記)

 6月11日 火曜日 はれ

筑波山のあと水戸へ

水戸のお城を見学しました

大手門。城内には幼稚園や高校などあります

偕楽園。初めて訪問、広い

400km ほどのドライブ。筑波山神社から水戸、那珂湊、茨城岩間ICの間は下道を走行

朝から好天、暑くなりそうな1日。

ホテル朝食のあと水戸のお城へ。駐車場がわからず城山あたりをウロウロ。大手門の前に駐めました。弘道館をめざすといいみたい。徳川御三家のひとつ水戸の城、当時はさぞ立派だったのでしょう。城内は幼稚園から高校まであって昔とはちがいます。水戸は教育熱心の人が多いのかとおもいました。町中も塾ばかり目立ちます。

弘道館は休館日で中には入れませんでした。

あたりを見てから偕楽園に移動。


偕楽園、ここも駐車場から入口まで遠い。園内も広くてたいへん。地元おじいさんが声をかけてくれて1時間も案内してもらいました。空いていました。コロナ以降めっきり訪問客が減ったとのこと。園内は売店や食堂もなく、これは素晴らしいです。

好文亭は殿様の別荘ですが見事。とはいえ梅林も別荘も江戸末にできたものでそんなに古いものではありません。好文亭も空襲で燃えて戦後の再建だそうです。それでも偕楽園はほかではあまり見られない素晴らしい遺産だと思いました。昔の殿様の威勢もわかります。

城も偕楽園も観光客対応の点ではいまいち感がありました。ひょっとして茨城県はそういうのが苦手なのかな。

那珂湊へ移動して市場を見ました。名所らしく魚だらけ、観光客で賑わっていました。入った食堂はハズレでした。混んでいるところもありましたからそういうところはおいしいのでしょうか。何軒もあるのですから那珂湊の評判を落とさないようにみなさんで足並みをそろえてほしいと思います。

茨城岩間ICから常磐道で午後帰京。水戸納豆を買いましたがそれは美味しかったです。


雑談2

偕楽園も好文亭も幕末水戸藩の殿様徳川斉昭さんの指揮制作です。幕末有名人で賢侯のひとりです。しかしあれこれ好き勝手にできたものだとうらやましい。

息子が最後の将軍徳川慶喜さんですが、水戸で父親のそばで育ったらしい。好き勝手なところはやはり殿様、遺伝しているかもしれません。頭が切れるのも。

ところでいろんな小説読んでいたので一度水戸学の地を訪ねたかったわけで、とりあえず観光できました。

天狗党の筑波山決起とか那珂湊の戦いとか水戸のあたりは幕末の有名事件が起きていますが、水戸の尊王攘夷思想がそもそものようです。

尊王攘夷が評価されるのは、いちはやく国際情勢に気がついたこと、日本4島の住民に日本人を最初?に意識させたこと、なのではないかと思いましたがどうでしょう。けっきょくあれこれあって急転、薩長の倒幕まで行った、ということか。