HISTORY & STORY

6.12.1995

鳥海山のパラとボ-ド

鳥海山のパラとボ-ド
伊藤忠男
 
鳥海山頂からとびだす
 
  95年6月12日(月)
   屋根にスキ-とボ-ド、トランクにパラをつめて10日の午後相棒のぴかちゃん(森光)と東 
    京を発ち、その日のうちに鳥海山の南山麓、湯の台まで入る。国民宿舎の少し上の立派な駐
    車 場でテント。ぴかちゃんはタフなクライマ-だが、山でボ-ドも使う。
 
   翌朝目を覚ますと外は雨。やれやれ。飯くってても止む気配がないが、遥か月山の方向に目を
  凝らすと、なんとなく晴れてるような気がするので、あっちいくべ、となった。結局、雨は降
  っちゃいなかったけどあまり良い天気とはいえない。しかもこっちは完璧に(街の?)スキ-
  ヤ-の世界。
  
    ぴかちゃんはボ-ド持ってどっか難しい斜面を探しに消えてしまい、私も緩い斜面でボ-ダ-
   の真似事で時間を潰したが、いまいち気合が入らねえ。昼飯食ってから、湯の台の国民宿舎に
   電話したらしい、晴れてますよ、ウッソ-、と目を真ん丸くしてぴかちゃんが電話ボックスか
   ら出てきた。その日の夜も結局同じところでテント。
   
     翌朝快晴、おお-やったあ、俺達って普段の行いがいいのな、って訳で、そのまま車で滝の
    小屋のすぐ下まで入った。雪は例年よりかなり少ない。風はない。飛べる可能性大。バック
    アップ用のスキ-は持ってかないことにした。私はパラだけ、ぴかちゃんはボ-ドを背負っ
    て出発。
    
     しかしホントに雪が少なくて、河原宿のプラト-手前では完全に切れててやぶこぎになって
    しまった。頂稜は夏道で風が少し強くなってきていたが、まあ大丈夫だべ。せっかくきたん
    だから、一番高いとこ(七高山)までいくべ。北面の広大な雪原を見てため息。戦後まもな
    い頃に満州から入植した開拓団のシンドイ歴史を抱え込んだ由利が原が、遥か山麓に広がっ
    ている。
    
      途中ツバ付けておいたテイクオフできそうなところで、午後1時少し前、日本海から吹き込
     んでくる強めの海風をやり過ごして、間欠的に入る南からのブロ-で立ち上げ、2、3歩歩
     いて崖へ頭から飛び込む。
     
      滝の小屋の上で小尾根に当たる小さなリッジを使って少し遊んでから、家族でハイキングに
     きていたらしい人たちの歓声とカメラに迎えられて小屋の前の雪原に降りた。標高差100
     0m、15分の空の旅。もっと下の山麓には広大な牧場や休耕田らしいところもあって技術
     的には問題なく降ろせると思うが、ひとの生活圏に侵入して飛ぶのは嫌だ。
     
       ぴかちゃんは私の飛ぶ写真を撮ってから滑りはじめた。途中のやぶにはまっってちょっと
      不愉快だったようだが、昨日は帰ろか、まで考えたんだし、他にボ-ダ-ももちろん飛び
      道具(?)持ってるやつもいねえしで、やっぱり、俺達って愛されてんのな、山に。

6.11.1995

剣岳東大谷中俣本谷と右俣スキー滑降

FIRST DESCENT AT MT.TSURUGI

北ア 剣岳 東大谷中俣本谷と右俣スキー滑降
西田 真一(きねずか同人)原 伸也(ビル エバンス同人)

 
                                        
1995-6月11日に大阪あすなろ山岳会の加藤 雅昭氏と共に東大谷左俣を滑降
                                        
した際にこれはひょっとして
剣頂上直下に突き上げている中俣本谷も滑降の可能性が
あると思えた
長い梅雨時のわずかな晴れ間をねらう長期の山行になると考え
ノーテンキの我々は食料を10日間分携行
アルコールなしという前代未聞の山行で覚悟は決まった
                                        
6月10日(曇り) 室堂バスターミナル9:30発
室堂乗越からの東大谷の素晴らしい全景がガスで全く見えない
仕方なくガスが晴れるまで昼寝をのんびりする
全く晴れず最初の滑降地点を探すのにひどく時間がかかった
立山川上部は毎度ながらけっこう急に感じる
今年は格段に雪が多く滑りやすい どんな急斜面でも滑れそうな気がしてしまう
                                        
皮肉にも下がるにつれて雲は切れてくる
東大谷出合1400m地点でテントを張る15:00
雪が割れて水流が出てるのはこの地点からだ
昨年同様のカラスの歓迎があり
食料を昨年みたいに食べられないように雪の下にかくしておく
6時に早々と眠る
標高滑降差は約1050M
                                        
6月11日(晴れ)
6:05発
左俣出合6:30
右俣出合1760M地点6:40着
昨年の同日の左俣滑降と同じく天気に助けられ
アイゼン装着は2080M地点7:40
2370M地点から巨大なクレバスと岩間をぬう高度感のある登りとなる
異次元の風景が頭と体を刺激して心地よい
ショイナードの滑落防止用のピックのついたストックに大分助けられる
ダブルアックスの用意もあったが使うだけの悪い場所はなかった
昼頃からガスが出てくる
音も無く落ちてくる石を交代で監視しながら登る
特に2700M地点の右の岸壁からの落石には要注意だ
2750M地点から最上部へは雪が二手に分かれてどちらにしようか迷う
左のとにかく雪の多い方へ進む
ちょうどシシガシラとカニノハサミとのコル2890M地点の早月尾根に13:
50着
縦走路上にある避難小屋をようやく確認
この地点から正月 池の谷側に滑落した魚津岳友会の2名の
事を思いだして黙祷
この谷も将来はその地点から滑降されるであろう
僕にはそんな勇気はないが
頂上までわずか100mの雪稜の登りだが余分な体力を使いたくない
2時半 最初の斜面の下部が見えなく バンジージャンプの5倍ぐらい緊張
雪面に太陽光は充分当たってるはずなのに雪は堅くていやな気分
高所での滑降のポイントはいかに雪が融けてくれるかという点だ
沢は何回もS字状に曲がってくれてリラックスできた
これが一直線なら下部の景色が見えすぎて気が硬直してしまう
左俣よりも 雪質は小さい石も混じることなく安定している
2700M地点から下部は落石だけ注意して下る
ジャンプターンに慣れて気持ちよい滑降だ
クレバスが何本も出てくるが、スキーを外して渡る場所はなかった
                                        
                                        
中俣をテントまで1500m滑降
これまでの一番高度感のある滑降であった
東大谷出合に17:40着
誰もが失敗するであろうと言ってたし
僕自身は成功率は50%はないだろうと思っていたので
相棒と素直に総ての事
に感謝して喜ぶ
ただし酒なしで酔えないのが寂しい
梅雨時のわずかなチャンスだった
                                        
                                        
6月12日(晴れのち曇り) 
東大谷最後の課題の右俣へ
テントを6:40発
右俣へ入谷してすぐに巨大な落石
一番滑れそうな先から大量の落石が持続してる
ガスはなかなか晴れてくれない
2100m地点でクレバスが多く断念
滑るだけの価値はない
石を避けて滑るのはあまり気分がよくない
天気予報は後日最悪の情報より酒がなく まだ充分1週間分のエサが余ってるが
下山を決意
やっぱり代わりに酒もってくればよかったと後悔
テントを撤収11:15発
馬場島へ下山しようとしたが毛勝谷の手前1200M地点で滑降不能となる
沢の水量も多い事から 今までの経験から検討した結果
室堂まで引き返すのが最善と考え引き返す
余った食料の重さを悔やみながらの登高はつらい
                                        
急な登りからガスで迷う
途中落石をのんびり観察してたら運悪くストックに当たる
重荷のおかげで2人共にバテバテ
一口飲んだビールの旨さに腰が動かず
雷鳥荘17:15で宿泊
6月13日
みぞれ混じりの強風を伴う雨のなか下山
                                        
室堂乗り越しや他の地点から東大谷の望遠が
できなかったのが心残り
体も久しぶりの登山でボロボロ
心だけホカホカ
冷ますのにビールを飲み過ぎてしまった
                                                                
剣岳周辺はまだスキーに適した未開のルートはかなりあると今回も感じた
この時期の立山川から東大谷までの間は全く人の姿を見ること
がない静寂の山域である