HISTORY & STORY

3.30.2012

天神山列状火口見学


天神山イガドノ山列状火口
2012年3月29日 晴れ
member 太郎 伊藤フミヒロ記
イガドノ山山頂

トラックは青から赤へ時系列に色合いが変わっていく

天気がよいので太郎の散歩もかねて出かける。2週間前の続きで富士北西麓火口銀座へ。ふじてんスキー場に1時ころ到着。
こないだはスキーで動き回ったが、あたりはまばらな残雪なんで今日は歩き。スキー場もリフトが1本動いているだけのようだ。靴だけはテレマークブーツ。

奥の駐車場から鳴沢林道に出る。歩いてすぐ、左に上がる仕事道に出合う、ので入ってみる。しばらく行くと天神山にかかるリフト下に出る。天神山に登るのが第一関門なので搬器が外されたリフト下の雪斜面を上がる。
天神山山頂下リフト小屋から

リフトトップの小屋の裏が天神山の山頂。セーノで上がってみるが一面のクマザサの藪。見当つけてケモノ道伝いに藪を行く。太郎の背丈だと歩きやすいようだが、ヒトは大変。50mほど南に下ったところで急に前が開けて、とび降りるようにして切り開きに出ることができた。右から左へしっかりした道が延びていて、使われていないようだが仕事道のようだ。ジムニーなら走れるかも。こんな道があるとは! 今日の探索は楽勝だね、と一服。
206火口

220火口

仕事道の下の方に大きくて深い窪みが見下ろせた。これは今日の第一目標、天神山の火口だろう。火口を回り込むように下る細道を見つけてラクラク火口底に降りることができた。双子の火口で深い方は雪に埋もれている。206が雪のない浅い火口。220が雪の溜まった深い火口。206は焚き火でもしてキャンプしたい雰囲気。220は日本庭園のような風情と品がある。
220火口底を検分する太郎

あたりはカラマツの植林地帯。火口をいちおう検分してから縁に戻り、さきほどの細道をさらに先に行ってみる。精進口登山道に続いているのかもしれない。
仕事道に引き返してイガドノ山の方角に進んでみる。ひょとしてこの道はイガドノ山山頂まで続いていて、このあいだ歩いた道と同じなのかもしれない。ところどころ残雪があってラクに登っていくことができる。
315火口

315火口は細長くて傾斜のある火口だった。火口付近の残雪は堅くて氷状のところもあった。このあたり雪がないとどうだろう。積雪期の方が藪が埋もれて歩きやすいのは間違いないだろう。

仕事道が急になってササ藪に覆われてくる。がまんで登っていくとイガドノ山の直下に出ることができた。やはり、ここはこないだ反対側から登ってきたところ。イガドノ山山頂に上がってみる。ふじてんスキー場のいちばん高いところ。こないだ動いていたリフトは搬器が外され雪の斜面が広がっているだけ。レーザプロファイラ写真にあったミニ火口(369火口)が気になったのでゲレンデとは反対側の藪をかき分けてみる。虎ロープが巻きつけられた木があってそこからかんたんに小さな火口に下りることができた。雪と倒木に埋もれた可愛い火口だった。縁に登り返すとこないだ見たイガドノ山の大きな双子火口を見下ろすことができた。
ミニ火口の369


イガドノ山頂から仕事道に戻る。真下に大きな350火口が見える。深い谷のように見えるが2段になった列状火口。火口に行くのはたいへんかなと迷ったが、藪の薄いところがあってかんたんに下ることができた。火口列のなかでいちばん大きなものかもしれない。火口縁の低いところを登りかえすとすぐ仕事道にでることができた。登りでがまんしたササ藪もクリアできたわけだ。
350火口、大きすぎて写真に収まらない

登ってきたとおりに下る。このまま行けばきっと鳴沢林道に出るはず。ハナ歌交じりで下っていくと、左手に浅い沢状が現れてくる。火口1で火口谷のようだ。
造林林をたらたらと下っていくと、空き缶やビンがまとめられている小広場にでる。キャンプした後ていねいにゴミをまとめて置いていったようだ。100mも歩かずに鳴沢林道に出る。002ポイント。
駐車場に戻り5時終了。彼岸を過ぎて日が長くなった。
右の仕事道を快適に下っていくと左手にkako1が現れる

kako1を下から見上げる。浅い沢にしか見えないかも

ふじてんスキー場にお邪魔することなく、仕事道を利用すれば列状火口のほとんどを見ることができるようだ。ハイキング気分で楽しめる遊歩道。今回もだれにも会わなかった。
赤がこのあいだのトラック。青が今回のおよそ
富士山を知る見るハイキングガイド伊藤フミヒロ

小山真人博士の研究
富士山延暦噴火についてのまとめ
小山(1998)噴火堆積物と古記録からみた延暦十九~二十一年(800~802)富士山噴火―古代東海道は富士山の北麓を通っていたか―(火山,43,349-371)からの抜粋.
富士火山の延暦噴火について,噴火堆積物と古記録両面からの検討をおこない,その規模や様相の解明をこころみた.また,延暦噴火による古代東海道の変遷問題について議論した.得られた知見を以下に述べる.
1.北東斜面に西小富士噴火割れ目をみいだし,そこを起源とするSb-aテフラの分布を明らかにした.富士山北東麓を広くおおう鷹丸尾溶岩と檜丸尾第2溶岩は,西小富士噴火割れ目を流出源とするように見える.西小富士噴火割れ目は延暦二十一年(802)の噴火記録に対応すると考えられる.また,北西斜面の天神山―伊賀殿山噴火割れ目も,延暦噴火の際の火口である可能性がつよい.
2.「宮下文書」の延暦噴火記事には,明らかな地質学的誤りや大幅な誇張があるが,地質学的事実と矛盾しない部分もある.注意を要する史料ではあるが,少なくともその噴火・古地理記事にかんしては口碑伝承や消滅文書中にあった真実の断片を拾っている箇所があると考えられるため,今後もその内容を検討する価値があると考える.
3.延暦噴火前の東海道が富士山の北麓を通っていたとする「宮下文書」の記事は,噴火堆積物の分布や古地理から判断すれば,むしろ自然である.しかし,歴史地理学的側面から考えると,北麓通過説には不利な点が多い.おそらく古代東海道は延暦噴火前も富士山南麓にあって,延暦噴火時に降灰やラハールの被害が出た御殿場付近の街道の使用を,被害の拡大を恐れて一時的に停止したというのが真相であろう.

火山学・自然地理学・歴史地理学のいずれの見地からみても大きな矛盾なく古代東海道の移設問題を説明する仮説として,以下のものを考えた.
もともと古代東海道の主道は,従来の歴史地理学的な常識の通り,富士山南麓から東麓を通過していた.また,御殿場付近から分岐して甲斐国府に向かう街道が,延暦噴火前には山中湖西岸を通っていた.この山中湖西岸の街道は,延暦噴火によって鷹丸尾溶岩・檜丸尾第2溶岩の下に埋もれてしまった.また,東海道の支道として利用されていた街道が富士山西麓をまわって〓{戈+戈+りっとう}ノ湖のわきを通り,北麓に通じていた.この支道が,やはり延暦噴火の際に天神山―伊賀殿山噴火割れ目から流出した溶岩流に埋もれてしまった.そして,東海道の主道が通っていた御殿場付近にもSb-aのスコリアが薄く降り積もった.また,大雨によって火砕物が洗い出され,ラハールが御殿場付近の谷筋を頻繁に襲ったかもしれない.
先に述べたように古代の駅路は緊急連絡用の道路であったから,少しでも交通の安全に問題があれば経路を変更する必要があったであろう.延暦噴火は,甲斐国へ至る街道を不通にさせ,さらには相模国への重要分岐点にあたる御殿場付近にも脅威を与え始めたのである.甲斐国府へは東山道を経るという手段があるが,相模国への経路に対しては何らかの手を打つ必要が生じた.
つまり,『日本紀略』の問題の記述「廃相模国足柄路,開筥荷途,以富士焼碎石塞道也」は,相模国に至る主街道ぞいの被害がさらに広がることを恐れて,降灰やラハールの被害が出始めた御殿場付近の街道の使用を一時的に停止した(そして,噴火が止んだのを見て,翌年復旧させた)とみるのが自然ではなかろうか.この場合,箱根越えの道についても,すでに存在していた支道を転用した可能性がつよいだろう.
すでに見てきたように,「宮下文書」の記述には,地質学的事実として認められる事件の伝承を拾ったと思われる部分もあるが,大幅な誇張や明らかな誤りもふくまれている.よって,東海道の経路や変遷を語る部分にも誇張があるとみるのが自然である.「宮下文書」中の延暦噴火による富士山北麓の東海道の被災記事は,御殿場付近から甲斐国府に至っていた街道や富士山北西麓を通っていた支道の被災の伝承を,大幅に誇張して伝えているのであろう.


3.27.2012

安達太良山スキー


安達太良山スキー
2012年3月25-26日
member 羽根田オサム 伊藤フミヒロ記
雪模様の勢至平

3月25日日曜日 はれくもり
明け方白岡抹茶邸で合流。今回は欠席のまっちゃんから朝コーヒーと差し入れをいただきスタート。岳温泉から安達太良スキー場へ。9時ころ到着。日差しがあって明るいが山は雪雲の中。ゲレンデはモウレツな風でゴンドラは動いていない。時間があるので回数券2枚900円購入してゲレンデで足慣らしする。
登山届けを出して11時ころスタート。薄い新雪を被ったトレイルを勢至平へ上がる。このところ冬型の天気が続いている。このあたりも同様、雪が舞ってときどき強風が吹き降ろす。日曜日とあって20人ほどの下山者に会う。羽根田さんの立ち話で、ほとんどくろがね小屋あたりからの下山者、昨日今日と山頂に立ったヒトはあんまりいなそう。
3時間かけてくろがね小屋着。清潔な小屋で暖かい。単独行者、年寄りの温泉登山家一味と高校山岳部チームが入荘。お酒をいただきなんだかんだとおしゃべりする。羽根田さんとは30年以上のつきあい。仕事半分でクライミングやスキー、あちこち出かけたものだなあ。山と飲み屋の友人は続いてほしいものである。掛け流しの硫黄泉は最高。カレーの夕食。ここのカレーはただのカレーに見えるが仕込みから手間暇かけていておいしくて有名。強風やまず9時消灯。
乳首に登るルートは氷漬け

八紘一宇のある山頂

3月26日月曜日 くもり雪、晴れ
珍しく朝風呂に入る。温泉がいいもんで。風は収まり視界もある。6時半に朝食をいただき7時半にはスタート。小屋前から早出の単独行者のあとをいく。と突然足元にあなぼこが開いて落っこちそうになる。噴気による空洞だった。
カリカリのバーンでスキーからアイゼンに履き替え。視界は100mほど。単独行者が降りてくる。「山頂はまずまずの模様」とか。峰の辻からはタケザオが頼り。9時半ころ山頂。岩頭部は氷に覆われて真冬危険状態。早々に下る。
さほどの強風もなく視界も開けてきた。スキー場への尾根を下る予定だったがカリカリなので変更して往路を戻ることに。山頂直下から滑り出す。カリカリバーンと吹き溜まりが混ざった斜面を大きな弧で下る。複雑な地形なんで視界がないと困るところだろう。 
峰の辻から篭山下をトラバースして勢至平へ。牧場のようなひろい斜面を新雪を蹴散らして下る。夏はつつじや五葉松の高原になるらしい。雪のない時も見てみたい。急斜面の下りは夏道に絡んでツリーらん。12時過ぎにスキー場へ戻る。岳の湯300円でのんびりして暗くなるころ都内に入る。
スキー場から右回りで周遊するのは山スキールートとしてはだれにでもおすすめできる一級のものだと思います。冬も春も。
勢至を下る

周遊ルートは理想的な山スキートリップだね
くろがね小屋は1949年に出来たそう。63年前、戦後間もなくだからすごい
以下ネット百科から
くろがね小屋周辺では既に平安時代までには温泉が発見されていたといわれている。江戸時代には二本松藩主・丹羽氏によって一帯が温泉街として整備され、湯日温泉と呼ばれて大いに賑わい、番所や藩主の御殿も建てられたという。江戸時代中期になると湯女も許可され、歓楽温泉街として遠方からの来客も多かったという。しかし、文政7年(1824年)、豪雨や台風の影響で鉄山の一角が崩壊し、その土石流が温泉街を直撃、湯元人や湯治客など63人が死亡する大惨事となり、温泉街は壊滅してしまった。現在立ち入り禁止となっているくろがね小屋-馬の背の登山ルート沿いの源泉地帯が湯日温泉街の中核部分で、現在も当時の名残が少なからず残っているという。温泉はその後、十文字、深堀を経て、明治39年(1906年)に椚平の地に移転、これが現在の岳温泉である。
昭和の風景は和むね。このヒトも1949年生まれ


3.21.2012

西山スキー


西山(戸倉)
2011年3月20日 晴れ
member 伊藤ヒロユキ 古川一也 伊藤フミヒロ記
西山山頂から東南面 skier kazuya

7時に岩鞍スキー場でメンバー合流。8時のゴンドラでトップへ。チケット1000円だがシニアは600円。ここはスキーセンターのようなものがないのでなんだか不便。今朝は風もなく春の陽気。あちこちの山がよく見える。西山は戸倉の西の山ということだろう。岩鞍スキー場もその一部に見える。
1850ピークから西山

きれいな尾根を緩く上り1時間でジャンクション。尾根が二股になっている。南東の沢がケヤキ沢だとひろゆきさんに教わる。帰りはここを滑る予定。さらに20分ほどで西山山頂。10時過ぎ。
山頂から北東面の西栗沢源頭へ滑る。思ったほど雪がよくないので適当なところから東尾ねにトラバース。上り返す。左手の谷は金井沢でこのあいだ滑ったとのこと。山頂にもどり西面の様子を見る。田代湿原に下ることができそうだ。
もういちど山頂に戻り東南面のオープンスペースをヒト滑り。
西山山頂下。北東面、西栗沢源頭 skier Kazuya

往路を戻りジャンクションに立つ。1時前。ケヤキ沢に滑り込む。セッピを下ると広いメローな斜面が続く。スキー場のような快適環境。南面で雪は春のかんじ。林間をのんびり滑って西山の閉鎖ゲレンデに出る。1時半にボトム。リフト400円で上り返して駐車場には2時。この西山リフトが動いてさえいればラクラクで周遊できる。
ケヤキ沢 skier Hiroyuki

老神温泉の湯元華亭は550円で雰囲気がよい。どこかの会社の施設だったのではないだろうか。
子持ち道の駅によって渋川伊香保から関越に乗る。渋滞で家まで3時間半。


五色沼、座禅火口


五色沼、座禅山火口
2011年3月19日 晴れ
member 伊藤フミヒロ
夏のハイキングコースになってる

8時半の白根ゴンドラで2000mトップへ。快晴で北風。9時スタート。スノーシューの男性があとからついてくる。七色平の雪原はメルヘンのよう、ここまでハイキングのトラックがある。小屋は2mほどの積雪で半ば埋まっている。
弥陀池のあたりは好スロープたくさん

シラビソの森を過ぎて白根山と座禅山のコルへ急登。コル直下はカンバの林に変わってツリーランが楽しめそう。11時半、コルからは弥陀が池へは手ごろな斜面が広がっている。シールを外してひと滑り。池まで降りずに五色沼のコルへトラバース。白根山の東面にはいくらでも滑るところがあるように見える。雪質はわからない。
五色沼を見下ろすコルからトラバースして東面の大崩落谷に入る。幅100mくらい、1kmくらいの一枚バーンがあって上から滑るとよさそうだ。下部の緩い柔らかい大スロープを滑って湖畔に出る。12時。白根の山頂は雪煙が上がっていて寒そうだ。
白根東面の大崩落斜面
五色沼と白根、右のオープンスペースが崩落斜面

湖畔から弥陀池まで戻る。座禅山に登り火口縁でランチ。1時半。お釜をのぞき込む。直径150mぐい呑み型の火口。崖に囲まれているが西側の縁から雪のスロープが続いている。40mほどの高差があるようだが数回転で降りてしまった。お釜の底はときどき乱れた西風が吹きこんでくる。登り返しが心配だったが柔らかい雪でなんのこともなかった。
座禅山火口の底

七色平分岐まで快適な滑りはない。樹林の中を横滑りで下り、結局、朝いちで登ってきた細い谷を下る。
分岐からは六地蔵につづくハイキング道沿いに沢状を下る。スキーだと早い。向かい風が急に強くなったところが、丸沼の閉鎖ゲレンデの頭だった。パラグライダーのテイクオフでもあったらしい。
がちがちの閉鎖ゲレンデをボトムまで2km滑って下山。3時半終了。朝のスノーシューのヒト以外に誰にも会わなかった。
寄居山温泉でなごむ。
青が歩いてるところ赤が滑降

3.17.2012

河口湖パラグライダー


河口湖パラ
2012年3月16日
member gotubo sano kuwabara kikuti oda namiki and more itokisya wrote.
もう春ですね。via Instagram

16日金曜日うす晴れ
金曜日はよさそうだとお誘いが。パラは久しぶりだなと思ってノートを見ると忘年会の日以来。3ヶ月のブランクがあった。
高気圧が東に抜ける日で条件がよいはずだったが、うす雲が張ってきていまいち。テイクオフに上がると西風が吹いている。様子を見ていたが待ちきれずはじめに出るがやはり10分ほどのショートフライト。2番手がテイクオフの高さで粘っているのでもういちど上がることに。アキュラシーの女子チームも上がってきて平日だというのににぎやかだ。
1回目の全員が出たあと追うようにテイクオフ。サーマルはなさそうだがテイクオフ尾根の西風のリッジでじわじわと上げて稜線へ。ごうつぼ機がついてくるが佐野機は沈んでいく。見渡すと他に機影なし。
主稜線に出て黒岳に向かう。ごうつぼ機は逆の西へ飛んでいく。狙いがちがうようだ。高くは上がらないが沈むことなく黒岳ゲット。ユータンして中藤山に戻るとごうつぼ機が2000mから毛無に渡るところ。1800で追うが毛無に届かず、西風強そうだし、とランディングへ。
ごうつぼ機は毛無山から十二が岳に向かうが上がりきれなかったそう。ランディングは上空よりも西風が強くてアウトサイドも何人か。
結局今日は稜線に出たのは2人だけだった。たまにのパラだったけど面白かったです。
No.840-841 Time10+50m height 1866m 373h54m
2012年総計 805-839=34 372h-354=18h 18h/34=31m
そんなに寒くなかった。50分のフライト
毎日サンデーフライヤーズ
2月19日のごうつぼ機の三つ峠2回往復に感心

イガドノ山バックボウル


イガドノ山バックボウル
2012年3月16日 快晴
メンバー 伊藤フミヒロ


東京をゆっくり出てフジテンスキー場へは2時ころ。平日で空いている。太郎を車に置き去りにして回数券2枚800円購入。
ふじてんスノーリゾートは以前富士天神山スキー場と言ってたはず。1485mの寄生火山イガドノ山(伊賀殿山)と1420mの天神山のそれぞれ山頂までスキーリフトが伸びている。地図でみるとふたつの山には噴火口があるようだ。
メインリフトにのってイガドノ山の東1450mまで上がる。ゲレンデトップからからすぐに裏に続く雪の細道があって、ちいさなゲートをすり抜けると広くて平らな雪原が広がっている。スキーであちこち歩き回ることができる。シカやウサギの足跡が縦横しているがヒトの気配は皆無。ふじてんのバックボウルは秘密の花園のような自然の園地になっている、ということだが、もちろんそんなアナウンスはされていない。
地図上の細道らしい切り開きを辿るが夏にはカヤがぼうぼうで入り込めないかもしれない。池のようなお皿のような一段低くなっている凹地があってこれも火口か溶岩陥没にちがいない。直径100mほどの窪みで地形図でも凹地と表現されている。
南のガケの上にガードレールが見えるが、これは林道富士線から鳴沢の富士桜別荘地につづく林道なんとか線で以前一度走ったことがある。地図上の細道は、不思議なことだが、この凹地を観察するためにつけられたような按配で精進口登山道につながっている。
ふじてんバックボウルの広場とイガドノ山

イガドノ山に直登するトレイルはないかと凹地をグルリとしてみるが結局もと来た道に戻ることに。再びちいさなゲートをすりぬけてゲレンデに戻るところに「恋人の聖地。富士天神山へ」という標識があった。夏の遊歩道のようだ。これを辿る。標高差50mほどの雪道を登りイガドノ山山頂近くに出ると右手に深い窪みが現れた。イガドノ山頂の噴火口。20~30mほどの深さ、ケモノ道を下って火口に降り立つ。火口底には雑木が茂っていて大岩が雪を被って転がっている。長さ50mほどのひょうたん型、双子の火口に見える。
イガドノ山噴火口

火口淵に戻ってさらに進むと、別の「恋人の聖地。富士天神山へ」が現れそれを辿るとスキー場トップの天神山(実際はイガドノ山)の展望台にでることができた。富士山がよく見える。富士の裾野の先に河口湖の平が広がり、奥には御坂連山が並ぶ。新鮮な風景が広がる絶景ポイント。とはいえ後ろ側に数メートルほどササヤブをかき分ければ、富士山噴火史に名を残すひょうたん型の深い窪みが口を開けているのだが、その案内はないし、実際穴ぼこの片鱗も見えない。やたらに入り込まれたら崖から転落したりの騒動も起きることだろうからそれが妥当なのだろう。
足元にリフト小屋があってスキー場が広がっているのに「スキー場へはもと来た道をお戻りください」の案内がある。夏はメインリフトの運行だけなので、戻ってそれに乗って下山してくれということらしい。

よこっらしょとスキー場に滑りこむ。スピーカーから流れる騒音が五月蝿。ゲレンデの端っこを滑りながら天神山に抜けるすき間がないかと探すが濃いヤブにふさがれていてあきらめる。平日は天神山にかかるリフトは運休とあって今日の探索はおしまい。5時の営業終了前に余った券でもういちどイガドノ山リフトに乗って山頂直下へ。人工雪の堅いバーンを危なく滑って終了。
イガドノ山山頂、この裏に大火口がある

●参考
天神山は、イガドノ山の北尾根にあるコブのような山で、山麓からはほとんど同定できない。が、天神山にはイガドノ山から続く列状火口がある。地形図では山頂の40mほど下、南西側100mのところに深い窪み地形が記されているがこれはごく一部。イガドノ山頂部から北西向かって大きな深い谷があると見えたのは実は火口だったことが赤色立体地図を見てわかった。イガドノ山の南数百メートルにある有名な精進口登山道脇の「氷穴列状火口」よりもさらに巨大な火口列がここには存在しているのであるうう。

イガドノ山と天神山の列状噴火は、青木が原溶岩流を噴出した貞観の火山活動とは別物(延暦19−21(800-802)の噴火)ではないかと推測されている。いずれにしても富士山の火山活動は1200年ほど前想像以上に活発だったようだ。
小山真人博士のレポ以下
貞観六~七年(864~866初頭)の噴火(貞観噴火)は,青木ヶ原溶岩が流出して富士五湖のうちの3湖(本栖湖・精進湖・西湖)がほぼ現在の形となった有名な噴火であり,歴史時代の富士火山の噴火中で,前述の延暦噴火,後述の宝永噴火と並んで,もっとも豊富な文字記録が残されている噴火でもある.

地図では、ふじてんスキー場の東には2本の細道があってこれは鳴沢からくる旧登山道ではないだろうか。ほかにも近くの西剣の北向き噴火口谷にわざわざ入り込む細道などもあってこのあたりは謎のトレイルの宝庫だ。

富士山麓の寄生火山探索などマイナーなハイキングルートをまとめた本を5月発刊予定。ここ2~3年の太郎と散歩した成果で、脱稿済み。このイガドノ山と天神山、そのほかは含まれていないです。
レーザープロファイル航空写真から作った赤色立体地図。伊賀殿山と天神山の列状上火口がわかる。延暦19−21(800-802)に噴火したと権威は推測しているが。

ページトップの地形図と赤色立体画像を合体。地形図が列状火口の多くを見逃しているのがわかる。
従来の航空写真からの作図では森の中の火口を見つけることはできないのだ。
レーザー光線による地表面の観察は10年ほど前に開発されたばかり…

3.12.2012

太郎坊散歩


太郎の太郎坊散歩
2011年3月10日 くもり、雪

このところ週末の天気が悪い。山中湖のライブカメラで見ると木金あたりで降雪があったよう。太郎の散歩にと出かける。
1時過ぎに太郎坊トンネルをスタート。1kmも行かないうちに太郎が鹿を追って離れてしまう。gpsで見ていると、トラバースしたあとどんどん下ってスカイラインを歩いているようだ。

シールを外してスキーで下ることに。新しいブーツは具合がよい。スカイラインまで下って太郎と呼ぶとすぐに現れた。
雪が激しく舞ってきたのできょうはこれで勘弁とする。今日は宝永山の方へと思っていたのだが。
紅富士の湯に寄って早い夕飯をとっていたら眠くなったのでそのまますっかり仮眠。
赤が太郎。青がヒト、緑は親機の受信トラック

3.05.2012

てれまくりと唐松沢スキー


岩岳のフェスティバルと唐松沢スキー
2011年3月3~4日
member 古川一 竹田真 武田大 北原かんいちろお 伊藤フミヒロ記
人見知りのぼくですがたまの知人に会えるのはたんしい

3日土曜日はテレマクリに参加。写真を撮ったり試乗したり、古い顔や業界の人と会う。具合のいい太い板を見つけた。にぎやかでたんしかった。夜は細野のやまぶん。古川チームと合流。
こっから滑るよ。後ろは登りの核心部、主稜線手前の悪場

やまぶんチーム

4日日曜日
8時過ぎに八方ゴンドラで上がる。雲海の上に出ると絶好の日和。風もなくて暖かい。3時間もかからずに稜線に出る。剣立山がきれい。頚城の山も。今日はどこの山も絶好だろう。
アイゼンなしで唐松越えは厳しいと古川リーダーの判断で小屋裏の八方尾根北面をのぞく。通称砂時計とか。見てすぐ、敬遠と決め込む、がリーダーに励まされて下ることに。昼過ぎスタート。40度以上ありそうだが意外とやわらかかった。ところどころで撮影しながら下る。

本沢にでると広くてものすごく緩い斜面、ところどころでぶり。重い雪を楽しく滑る。先行のシュプールが数本あって今日は滑降日和だったようだ。1回渡渉。ガラガラ沢はゲレンデのようになっていた。林道を快調に滑って二股に3時前到着。3月頭に唐松沢源頭、しかも北面を滑るのは思いもよらなかったがとりあえず下ることができた。みなさんありがとう。

中央道は雨ときどきミゾレ模様。春の天気はかわりやすい。







先行女子ボーダーの出だし画像あります。どこかのイントラらしい。
楽しい動画