HISTORY & STORY

5.28.2012

河口湖大石春パラ7


河口湖大石春パラ7

2012年5月27日 日曜日 晴れ
member いつもメンバー10人ほど。ビジターひぐまさん
翼端折って一目散に降りる

このところ週末はスキーとパラばかり。おんなじことばかりしていてどうなんでしょう。
10時過ぎ、いつものように宮本機がいちばんで出てすぐ上がっていく。2番手ででるが無理やりのテイクオフで危ない危ない。アクセルが片方外れていてそんなのを直しているうちにぎったんばったんしながら稜線に出る。西風強く黒岳へエスカレータのように上がりながら到着。三つ峠方面へ向かうが60km以上でてるのでユータン。とたんに吹き抜けにはまって高度を落とす。800mも下がってぎりぎり黒岳南尾根に戻る。
毎度の写真だが今日は何枚も撮れなかった

黒岳南尾根2000mから西方

西風が強く、東も強い。層で大きく変わるんで上がり下がりが激しい。テイクオフ上空に戻るが、またすぐ上がる。僚友機はみんな沖側にいて、そのうち降ろし始める気配。小回り回転の練習には向いているので何度か。それにしてもあんまりキモチよくないんで今日はここまでとする。グランドサーマルも活発で降ろすのもチョーたいへん。最後は五体倒置で降りて笑いをとる。まわりの田んぼは水が入っているんでこれからはプレッシャーになりそうだ。
春らしい風の強い荒れたコンディションだった。とはいえグライダーが潰れるようなことは一度もなかったからこのくらいはどうってことないのかも。53分。最高2300m。848番目のフライト、トータル383時間ぴったり。いつもこんなんだといつかヤバイことになりそうだがいつもこんなんばかりではないのでみんな続けている、ということだろうか。それともたまにこんな日があるから刺激的で続けているということか。パラでもスキーでもモチベーションを保つのはたいへんだ。
午後島袋氏と山中湖大平山へ行くが爆風がコンスタントに続いていて早々に退散。

時速65kmでてる

富士山白草流し



富士山白草流し


2012年5月26日 土曜日 晴れ
member 羽根田オサム、ヒロユキ、太郎、伊藤フミヒロ記
太郎ごきげん

道端からアプローチ

吉田の道の駅に6時集合。2台は前夜泊のよう。FORDに相乗りしてスバルラインへ。好天で暖かい。視界も悪くない。絶好のスキー日和。8時スタート。太郎は好き勝手に歩いているがそんなに遠くへは行かない。1人や2人来てるかと思ったがだあれもいない。正午までのんびり登って3100m近く。
1時杉に滑り出し、景色を見ながらのんびり下る。超快適ザラメ。2時杉に終了。
南アルプス見える。絶好のスキー日和。富士山でいちばん好きな沢かな

3100mあたりでもザラメ

富士山でいちばんきれいで空いてる斜面かもしれない。アプローチも最短、道端から取り付けるんで手っ取りはやい。4月なら車まで滑り込める。雪が緩んでいれば3300mまではシールスキーで上がれる。が、その先は急に傾斜が増す。頂上へ出るとすると最後が雪カベかなんかで厳しいのだろう。登山家は登らないのだろうか。こんどトライしてみたい。
10年6月19日にむらちゃんとまちゅらおさんが頂上から滑っている記録がある。降り口は雪が堅いと厳しいみたいだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/fujisanski/25149236.html
新雪がザラメになってきれい。4月にピストンするのがいいね
奥庭から正面が白草。左の細いルンゼが青草。その左が大流し、小御岳流し。北面なんでカリカリの時も多い


登山家がめったに行くことのない奥庭へ観光。奥庭そのものが寄生火山だ。立派な火口が遊歩道の横に口をあけているのだが案内もなく観光の人は気がつかないようだ。白草流しがよく見える。南側のルンゼは青草流しというみたい。
紅富士の湯、吉田うどんを食べて解散。
天気はいいし運動もできた。太郎にとっても素晴らしい1日だった。
赤が太郎。青がヒト
動画ございます。

5.21.2012

河口湖UTMF観戦春パラ


河口湖UTMF観戦春パラ6
2012年5月20日 はれ
member いつもメンバー10人ほど、仙台の横田サブローさんらビジター3人、伊藤フミヒロ記
ozon swift2

河口湖大橋

仙台組は明け方に吉田口5合目から植樹祭公園まで水野校長とひと飛びしたという。20分近くの直線フライト。
くもり予報だったが薄日がさしてまずまず。11時過ぎに4,5番目に出る。けっこうなサーマルがあってすぐ上がる。黒岳で2500m近く上がったので三つ峠へ向かう。先行はなべちゃん。御坂峠の先で一度ユータンして、黒岳で上げなおしてもう一度三つ峠へ。さっきよりも悪く早々にユーターン。なべちゃんは峠手前から湖側に下って再起。好天の週末、山道にはハイキングする人がいっぱい。今日は手を振る余裕はないかんじ。。。

黒岳でもういちどそこそこ上げて河口湖大橋へ向かう。大橋公園がUTMFのスタートゴール。
中藤山に戻り毛無山へ渡る。あまり落ちないんでそのまま十二が岳。2000m以上ありそうなんで足和田山へ渡る。5湖台というくらいだから空からなら全部見える。UTMF選手が歩いてないか見下ろしてみるがそれらしき影はなし。エイドステーションやスタッフも見えなかった。ま、高すぎてよく見えないんだけど。
西湖と足和田山(左)

足和田山から河口湖と三つ峠。高度2198m、ちょうど1時

オゾンスイフトSの具合を見ながらランディング。悪くないと思うがレンジが70~90kgなんでぼくには大きすぎだろうか。東風の強いなかの2時間ほどのフライト。なべちゃんは2時間半ほどオゾンのアルピナS65-85kgで飛んだ。悪くないそう。
この日の自重59kg、ハーネス他一式17kg。計りがちょとおかしい?プラス1~kgではないだろうか。

UTMFだが、男子女子とも1位はフランスとスペインの選手で男18時間台、女24時間、らしい。日本選手がそのあと続く。河口湖大橋のあたりは戦い終わった選手が三々五々足をひきずっていた。156kmというのは半端ではない。眠くなったらどうするんだろう。選手のレポートを見てみよう。

富士山スキー吉田大沢


富士山スキー白山岳と吉田大沢
2012年5月19日 快晴
member 古川一也、竹田真一、北原カンイチロー、伊藤フミヒロ記
スバルライン1合目から、右の頂上が白山岳
お釜にもシュプールがたくさん 児玉組とムラちゃんのもあるはず


白山岳と吉田大沢
UTMFの2日目、朝4時に須走道の駅に寄るとエイドステーションがあいていて選手が三々五々歩いてくる。クボヤン田口両選手を見つける。おー!というところだが、時間切れで今回はここまでらしい。昨日の午後3時にスタートしたはず。お疲れさん。。100マイルの山走りで48時間リミット。明日日曜日の3時までレースは続く。富士山が朝日を浴びてきれい。

吉田口5合目に6時。メンバーがそろって三々五々スタート。カラースポーツが先を歩いている。舎川御大がリーダーでにぎやか。7合あたりから新雪がたっぷりでアイゼン、のんびり登って12時吉田山頂。いいペース。
白山岳から滑る

白山岳から滑る。剣が峰より20mほど低いが山頂は立派

お鉢をはさんで対岸の剣が峰は人がいっぱい。山頂エリアだけでに100人くらいだろうか。お釜の底へもつぎからつぎへとシュプールがつけられてゲレンデのよう。天気はよいし時間があるのでライダー組は白山岳から滑ることに。白山岳は3756mで日本第二のピーク。展望は剣が峰以上、建造物はなく理想的な山頂だ。先週に比べて雪も緩んでいてアイゼンなしで登れる。ライダーの滑りを対斜面から撮影。火口側に滑るのが順当のようだ。
吉田大沢左岸のマイナールート

新雪できれい

屏風尾根の脇が急でおもしれ

吉田大沢の左岸側を快適に下って2時には6合目のトラバース道に滑り込む。3時に終了。絶好のスキー日和だった。名人ライダーが3人もそろっていい写真がとれた。ビデオも少し。みなさんありがとう。来週は須走ルートの予定とか。
6合目まですべる
youtube動画90秒ございます。





富士山幸助山


富士山幸助山
2012年5月19日 快晴
member 伊藤フミヒロ 
幸助山
19日の土曜日、富士山吉田大沢を滑っての帰り際、スバルライン脇の寄生火山幸助山1891mに寄る。
3時過ぎ、下っていくと、左手に櫛形の黒森が見える。これが幸助山。ガスに包まれて立派な山に見える。道脇に数台停められるスペースがある。山頂への踏み跡はないようだから駐車場は仕事のためのものだろう。

山全体が黒森になっていて、これはシラビソだろうか。原生林に包まれた火山。ケモノ道を辿ってすぐ山頂。山頂標識等はなく倒木帯になっていて明るいちょっとしたピクニック広場。
左手に深い沢があるように見えるが、これが火口だろうか。カメラだけ持ってきた、地図もないので全体がわからない。北に延びる尾根を辿っていくと左下の窪みへ続くラインが見えてきた。下っていくと大きな火口が現れた。

火口に下れる

中央火口丘
直径100mほど深さは20mほど。火口の真ん中に小山があって周囲が堀のように窪んでいる。中央火口丘というべきものだろう。堀から火口丘の頭へは倒木を越えて50歩ほど。一帯が倒木の丘になっているので明るくて気分は悪くない。ヒトの跡はなくもっぱらシカの遊園地になっているようだ。
対岸の火口縁の低いところに登り返っす。はっきりした火口縁があってそれを辿る。お鉢巡りということだがうっすらとトラックがついていて、これはケモノというよりもヒトの歩いたあとだろう。マツタケ採りのヒトが入っているのかも。1894mの山頂に戻り、迷わないようにGPSを見ながら往路を戻る。1時間少しの散歩。

富士山を知る見るハイキングガイド伊藤フミヒロ

5.14.2012

河口湖春パラ5


河口湖春パラ ソロフライト
2012年5月13日
member  桑原、佐野、渋谷、中村(ビジター)伊藤フミヒロ記す
4時近く。雲が広がってきたがあんまり下がらない
くわばら棟梁のテイクオフ。富士山北面も雪多い


天気 晴れ
午前中は西高東低の影響で西風予報。天気はよいがメンバーは集まらなかった。テイクオフに上がるも西風でウエイティン具。2時ころから出始めるがいまいち。中村さんがよく上げる。なんだかんだあって3時過ぎにラストでフライト。だれも飛んでない。
オゾンのアルピナ。クロスアルプス用で高性能

下でみんな待ってるようなんでそろそろ降ろそう

日中めいっぱい日差しがあったんでアーベントテルミックのサーマルで1時間ほどフライト。夕日のエリアを独り占め。新緑がきれい。
試乗機のオゾンアルピナに乗る。EN-Cクラスのクロスアルプス仕様らしい。悪くないが51万円とは高すぎ。

富士山スキー


富士宮口スキー
2012年5月12日
member 伊藤フミヒロ
天気 晴れ
水が塚公園から南面。宝永火口も滑れそう



 ウォルター・ウエストンは、明治時代にヨーロッパのスポーツ登山を日本に伝えた英国人として知られる。近代アルピニズムを自ら実践しながら日本の山を海外に紹介した人だ。槍ヶ岳や白馬岳、北岳などたくさんの高峰に登っていて「日本アルプスの父」と呼ばれる。日本と日本人のことが大好きで3度に渡って日本に長期滞在した。日本での登山の全容は2冊の著書に著されていて「チョー面白い」本としてファンが多い。そのあたりのことは誰でも知っていることだが、「日本アルプスの父」がいちばんたくさん登った日本の山は、実は富士山だったというと「そうなの?」と驚く人も多いだろう。彼は都合6回富士山頂に立っている。他に宝永山への登山を含めると7回だ。
 
 一回目は1890年(明治23年)の夏に登っている。このときの印象はあまりよくない。「暑くて人が多く」てイヤだったらしい。昨今の富士登山と同じだ。2回目は1892年の5月で、今の御殿場ルートを上り下りしている。太郎坊の小屋から日帰り往復して「面白かった」と書いている。この登山は積雪期の富士山初登頂だったと英国山岳会に報告している。自慢でもあったのだろうが、それ以前に雪の富士山に登った人間の記録はなかったわけだから多分そうなのだろう。平安時代から連綿と続く富士の登拝登山は開山時期が決まっているから、好んで雪の富士に挑む修験者や変人はいなかったはずだ。
 このときウエストンは若干31歳。マッターホルンに2回も登っているアルピニストだから、残雪の富士山くらいはどうってこともなかったのかも。健脚の人だったからスピード登山だったにちがいない。

 この積雪期初登頂に気をよくして翌年の5月も2人の岳友と別のルートで富士山に登っている。この山行報告は「日本アルプス 登山と探検」に詳しい。5月15日に大宮(今の富士宮)から村山浅間神社を経て登拝道を辿り大樅の小屋(標高1700m)へ。10坪もない小屋で囲炉裏の煙に閉口しながら一夜を過ごす(この小屋跡は現存している)。翌日は嵐がやってきて停滞。5月17日朝7時にスタート。ポーターも引き連れて村山古道を登る。標高2400m、今の5合目で積雪登山となるが、弱気のポーターを励ましながらさくさくと登ったらしい。
 剣ヶ峰に立ったのは1時45分。山頂からの絶景に神を讃える詩篇を口ずさむウエストンだが、箱根方面を眺めているうちに温泉に浸かりたい気分に変わったようだ。ポーターを帰らせ、英国人3人だけで御殿場への下山ルートを取る。無事に太郎坊まで下ったところで、一心に祈りをささげる隠者と出会う。「純潔と克己」を求めて座っているという修験者?に感動しながらも別れを告げ、午後10時、ようやく御殿場着、宿と風呂をゲット。翌日は乙女峠を越えて箱根宮ノ下の温泉に辿りついている。さらに2日の後に東海道線国府津駅から神戸への汽車に乗っている。
 この山行にはオマケがあって、富士宮に下山しなかったウエストンらは富士山で嵐にあって遭難したと新聞(日本の)に報じられる。開山時期のご禁制を破った罰、気の毒に、と。
 
 ウエストンの本を読んでいると、アルピニストであり、なりわいは神父であった彼は、よく知られる後年の気難しそうな(あるいは好々爺風の)肖像とは別の、かなりお茶目でイケイケの青年だった、のではと私には感じられるのだ。ちなみにウエストンの写真は後年のものが多く日本アルプスを駆け回っていた30代のものがないのが残念(私が見たイケイケなウエストンを彷彿とさせる写真は、妙義のひしや旅館の前でエミリー夫人とともに撮影された1枚で、映画のインディージョーンズのような雰囲気を感じさせるもの。撮影時期は不明)。



 ウエストンに遅れること120余年、2012年5月12日朝7時。富士山スカイラインをドライブして標高2400mの富士宮口5合目に立つ。確かにこの時期、2400mから上は残雪の山肌となっていて、今日もたくさんの登山者やスキーヤーが山頂を目ざそうとしている。富士の自然の暦に大きな変わりはないようだ。
 
 標高2500m6合目までは夏と同じで緩い坂道を30分ほど。2軒の山小屋があってここから山頂へとジグザグの急登が始まる。村山古道を登ってきたウエストンらがこの6合目に達したときに、ポーターたちがぐずりだす。外国人が雪の富士山山頂を本当に目ざすとは思っていなかったようだ。ひとりは帰し、結局、2人のポーターを連れて行くことにする。2人は元気者でこのあととくに問題はなかったようだ。

 今、頭上を見ると、平成の登山者は雪の少ない夏道伝いに登る人が多いようだ。ポーターは草鞋を使っていたそうだがウエストンらは登山靴を履いていたにちがいない。彼らもできるだけ雪の少ない尾根を登ったのだろう。

 標高3000mを越えればその先すべてが雪の大斜面になる。今日は陽気がよいので雪面はやわらかい。先行者のステップが続いているのでそれを階段のように辿ればよいので楽勝だ。

 山頂近くになると傾斜が増して雪もだんだん堅くなってくる。9合目から上になるとアイゼンを付ける人が多くなる。ピッケルも必需品だ。ウエストンらはどうしたのだろう。ピッケルを持った写真があるくらいだから、それでステップを切りながら登ったのだろう。ポーターは草鞋だったというから昔の人は偉い。アイゼンは持っていたのだろうか。ウエストンの報告の中では、自分の登山行為については意外と淡白で、2400mから剣ヶ峰山頂までは2~3行で済ませている。そのかわりに山頂からの展望の叙述は詳細だ。北アルプス、南アルプスはもちろん、自分の登った山、未登の山、富士周辺の小さな山まで呼びかけることのできる細かい知識を持っていたようだ。

 9合5勺でアイゼンを付ける。ゼイゼイと登ってようやく1時に富士宮口山頂。コースタイムを比べるだけでもウエストンたちの足が速いのがわかる。貧しい登山装備をものともせずに、駆け上るように登っているように思える。

 今日は剣ヶ峰に立つことは割愛してここでのんびり休憩しよう。今年は残雪が豊富で山頂浅間神社の鳥居は頭が出ているだけ。こんな年も珍しい。風もなく絶好の春山。辺りには十数人の登山者がのんびりしている。現代の登山者は安泰だ。だれでも登れるという事前情報があり、たくさんの人といっしょに山頂を目ざせるから。山頂では携帯電話が通じピンポイントな天気予報も知ることができる。

 前年、前人未踏の積雪期初登頂を遂げたウエストンにとっては、3度目の富士登山は余裕だったに違いないが、人跡まれな巨峰を自由自在に闊歩する精神と能力は並み大抵のものではないだろう。山頂で思いついた御殿場への下山も余裕と好奇心の表れといえそうだ。

 ウエストンが日本の山をこれほど熱心に歩き回ったのには時代の空気もあったのではないか。19世紀後半から20世紀初めにかけては、アルプスで未踏峰が多く登られヒマラヤに向かうアルピニストが出てきている。イギリスを筆頭にヨーロッパではアフリカや北極、南極の探検が注目を集めている時代でもある。博学で好奇心旺盛な若きウエストンがそういう雰囲気に疎かったはずはないから、自分もまたその前衛のひとりと考えていたとしても不思議ではない。彼の最初の著作のタイトルにはそんな気分が現われている。「日本アルプス 登山と探検」。日本アルプスの峰峰はウエストンにとってはまさに宝の山だったのだろう。富士山にまだ積雪期の登山記録がないことを知って彼は小躍りして喜んだに違いないのだ。

 それはともかく、ウエストンが自分の生業を疎かにしていると思われるほど山が好きだったことは事実である。ウエストンの研究家田畑真一さんは「登山家、ときどき神父」と彼を評している(注)。そして日本の山と日本人を熱愛していたことも彼の著作から明らかなことだ。


 2時前。往路を下ることにする。持ち上げたスキーを使っての下山だ。9合目までは雪が堅いので慎重に下る。あとはラクラクで滑走。新6合目の小屋まで滑りこんでさらに駐車場上まで滑走することができた。4時前に終了。雪の富士山はブーツが砂だらけにならないのがうれしい。


(田畑真一著の「知られざるウエストン」には、彼の上司が本国に「休暇をたくさん取る人だ」と告げ口していることが書かれている)



富士宮口山頂。雪多い
朝いちで東京出。乾いた道を富士宮5合目まで上がる。7時スタート。スキーヤーや登山家が40~50人くらい見える。筋斗雲の峰岸チームもいて今週から富士山ガイドだという。ボードでガイドするようだ。さすが。7合目からアイゼンをつける。2800mあたりで夏道ルートを外れて滑降ルートを逆登りする。冷えていたので上まで上がれるか心配だったが、日が上がるとともにだんだん雪がやわらかくなってきた。1時に富士宮山頂。
山頂部は雪が多く、鳥居がほとんど埋まっている。20~30人くらいが登ってきたかんじ。剣が峰にもヒトが見える。マジックマウンテンのワクツさんなどに会う。2時前に山頂から滑り出し。9合目までは雪が堅く無理しない。あとはラクラクで滑走。新6合目の小屋まで滑りこんでさらに駐車場上まで。4時前に終了。ブーツが砂だらけにならないのがうれしい。
山頂直下もまっ白

5.05.2012

会津駒スキー


会津駒のハットスキー
2012年5月2~4日
member 北田、ヒロユキ、星、伊藤フミヒロ記
スキー小屋に最高

駒山頂

2日 くもり
 前日は浦和の北田邸に集合出発。早めに桧枝岐杉の屋に入ってのんびり。
 8時に宿前の滝沢口からスタート。パックは8kgに押さえた。アンテナまで担ぎ上げ。薄日も出てシャツ1枚。アンテナは数日前に取り払われてもうない。シールに変えて駒の小屋へ。稜線に出ると風が強くなった。1230小屋着。小屋でのんびり。小屋はランプの宿で素泊まりのみ。売店はコンビニのような品揃えでなにも持たなくてもOK。コンロ、コッフェるまで借りられる。スキー小屋として得がたい存在だ。


3日 くもり、霧雨
雨足は弱いが、前夜から南強風で小屋が揺れるほど。停滞、のんびりする。夕方、近所でスキー練習。

中門岳へ

中門沢源頭


4日 くもり
 朝、風は西風に変わっていた。空身で駒頂上へ。青空が出てきたのでそのまま中門岳へトラバース。中 門沢などをのぞく。小屋に戻り昼過ぎに下山。下の沢(源六郎沢)を滑り夏道へトラバース。ブナ森を自由に滑って旧アンテナ下まで。国道前の杉のや2時過ぎ着。下りは早い。
駒から尾瀬。絵葉書もある

三橋オーナー夫妻と。山仲間にありがとう、小屋に感謝、クマにもお礼


 ヒウチの湯に寄って丸屋でそば。杉のやも温泉もソバやもどこも割引値段になっている。村から補助金がでているとか。風評被害対策らしい。平日はとくに割安。
 舘岩の熨斗戸のきこりの店に帰りも寄る。山王峠から西那須野経由帰京。高速は帰京ラッシュで込んでいた。浦和まで1950円、行きは2750円だった、たしか。東京は連日雨模様だったというから雨に打たれなかった山の方がよかったかもしれない。