HISTORY & STORY

10.12.2014

太郎と太郎山

男体山と太郎山
2014年10月9-10日 

member 太郎 伊藤フミヒロ記 
男体山。山頂広ーい

太郎の登った100名山、思いつくまま、赤岳、霧ヶ峰、金峰山、甲武信岳、大菩薩、富士山、天城万三郎、那須三本槍、浅間黒斑山、皇海山、雲取山、丹沢山蛭が岳、それに男体山

9日 木曜日
天候 晴れ 

 前日スタート。佐野から例幣使街道を探しながら北上。清滝やしおの湯に寄って暗くなるころ二荒山神社中宮祠へ。登山者駐車場には遠方ナンバーの車が多くやはり百名山おじさんがいて少し話す。今回は日本百名山男体山の取材。それから前から思っていたこと、太郎と太郎山にも登ってみたい。
 翌朝、好天のようだが男体山山頂部はガスの中、神社の登山ゲイトは朝6時に開く。7時に社務所で500円を支払いお守りをもらい記帳。犬連れは問題ないそう。
 大雨でガリー状になった危うい登山道を上がる。3合目から4合目はなぜか林道歩き。上部は本当の悪場で大岩がごろごろする薙状地形。9合目からは傾斜が落ちて真新し火山礫が広がるスコリア帯になって大展望が開ける。標高差は1200m。
 好天だが遠望は白根山あたり日光周辺の山々まで。それでも燧ヶ岳が見えるようだ。人気山なので50人くらいが登ってきたのではないだろうか。週末だとこの3倍か4倍? 山頂広場はにぎやか。空身同然の若者グループが上がってきて「やったー、2時間切った」などと。本当の山頂はちょっと向うみたいだよ、と教えてあげる。
 1時間も滞在。12時、表参道を戻る。林道はショートカットしてササヤブの細道を下り神社に出る。2時過ぎ終了。
  湯ノ湖の湯のや(硫黄泉)に寄ってから光徳へ。駐車場はがらんとしていた。
二荒山中宮祠

男体山山頂部スコリア帯

男体山の有料登山道は日本一の悪路かも

男体山の火口と向うに太郎山

10日 金曜日
天候 晴れ
 ミズナラの黄葉と落葉がすごい。やはり10月10日は天気がよい。奥鬼怒林道が開いているので山王峠へ。道脇のスペースに車を置いて、細い登山口から歩きだす。7時半。山王帽子山まで1時間。いったん下って小太郎山まで2時間ほど。
 登山道は比較的整備されているようだ。男体山がひどすぎるのかもしれない。昨今のように豪雨が続くと山の道はどんどん壊れていく。男体山の場合は神社の私有地のせいかほったらかしになっているようだ。林道歩きの部分も歩きやすい登山道がかんたんに作れるはずなのに、と、だれもが思うところだろう。
 小太郎山は遮るものがなく展望がよい。さらに剣ヶ峰を越えて30分で太郎山。太郎山には花畑と言われるきれいな旧火口があった。男体山が向かいにそびえ日光連山の様子と戦場ヶ原など平の俯瞰が素晴らし。この日山頂に登ったのは10人ほどか。空いている。太郎山は薬師岳の太郎山、上田の太郎山、ほかにも二つ三つあるようだ。
 山頂でのんびりして12時前に往路を戻る。2時終了。登り下りとも標高差は1000mほどあるようだ。太郎は9歳だが衰えず登りはがんがん、悪場もすたすたと行く。下りは後ろにぴったりついてロープには全くテンションをかけない。
 戦場ヶ原で写真を撮って、やしおの湯(アルカリ泉)から日光道路のパーキングで休憩、そのまま車泊になってしまった。
 翌朝、今市から例幣使街道を辿って栃木市までドライブ。まっすぐな道が続く。岩淵から高速に入ってレインボウブリッジ経由で午後帰京。こないだの南アルプスの林道といい、今回の日光の山道といいドライブするのが面白い。
剣ヶ峰から太郎山

小太郎山から男体山

旧式仏車強力で頼もしい山王峠

参考

栃木市観光協会 > 蔵の街 > 見る(観光・自然スポット) > 史跡・文化遺産 > 例幣使街道

例幣使街道 京都から日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通った道
元和3年(1617)、徳川家康の霊柩が日光山に改葬されたが、その後正保3年(1646)からは、毎年京都の朝廷から日光東照宮への幣帛(へいはく)を奉納する勅使(例幣使という)がつかわされた。その勅使が通る道を例幣使街道と呼んだ。
例幣使は京都から中山道(なかせんどう)を下り、倉賀野(くらがの)(現高崎市)から太田、佐野、富田、栃木、合戦場(かっせんば)、金崎を通り日光西街道と合わさる楡木(にれぎ)を経て日光に至った。この例幣使街道が通る栃木の宿は、東照宮に参拝する西国の諸大名も通り、にぎわいをみせた。
この例幣使街道の一部が今の中心街をなす大通りや嘉右衛門町通りであり、その両側には黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残り、当時の繁栄振りを偲ばせている。