川崎カメラマンの作品。古川一也さんの滑り。山の写真の中でもスキー写真が得意だった |
Powderguide誌の表紙やポスターなどほとんど川崎カメラマン撮影でした |
白馬のスキーフェスティバルで取材中 |
てれまくり祭で。クラブメンバー。 川崎さん左。柏澄子さん、真壁章一、高城亮、森光、伊藤フミヒロ |
晩年、仲間と砧公園で、川崎さん真ん中、その右北田さん 左、高城、伊藤、右はし松倉 |
生まれは九州と言っていました。日本昔話にでてくるようなところで家もそんなだったそう。とはいえお父さんは大手自動車会社(ニッサンかな)のおえらいさんだったらしく転勤?などがあって実際は東京育ちではなかったかな。カメラマンになってからもおぼっちゃんの東京っ子に見えました。
今も名門の社会人山岳会G登攀倶楽部に入ってアルパインクラミングに熱中。
甲斐駒の冬季クライミングでストレスからか胃に穴があき手術、後年までくるしんでいました。ロッククライミング出身なので山岳カメラマンになっても岩登りの取材はまかせろ、だったかんじ。
東京写真大学をでてスタジオカメラマン、主婦の友写真部などをへて山岳カメラマンになったそう。その後もっぱら山と渓谷社の仕事が多かったはず。国内はもちろん海外取材も多かったです。後年はパウダーガイド社の写真部長していました。
60年代に写真大学に入ってG登攀倶楽部に入るくらいだから変わってもいたし、恵まれた境遇だったのではないでしょうか。スキーも好きでした。
カッコいい人生を歩いたとおもいます。
山の取材に何十回もおともしました。仕事とはいえ半分は遊びのようなものでしたが。お酒は人並みに好きでした、同世代で気があいましたね。ガンでした。享年70だったんじゃないかな。あとでしらべます。
伊藤フミヒロ語る 2024年
2000年刊、川崎さんの著書。豊富な経験からあれこれ指南。よく売れました |
川崎さんの作品 日本テレマーク協会のポスター |
川崎さんの作品 秋田駒ケ岳のスキー |