HISTORY & STORY

12.30.2001

城ガ碕シーサイド2回

城ガ碕シーサイド
登った 
 
12月30日(日)
伊豆城ヶ崎 シーサイド
 
メンバー:森 その他大勢
今回も、REIの児玉さんグループに混ぜてもらって、城ヶ崎に行ってきました。
天気は晴れましたが、風が強かったです。
シーサイドはとても混んでいて、人気ルートは順番待ちの状態でした。
以下は森が登ったルート。
 
・トムボーイ(10d)
・ホワイトシャーク(11c)
・風に吹かれて(11a)
・エアダンス(12a)
・ルーズガール(10d)
 
ところで、1月5日(土)にも城ヶ崎シーサイドに行こうと思っています。だれか
一緒に行く人いない?
 
森 ぴか

12月22日(土)
伊豆城ヶ崎
メンバー:森 他5名

XX年ぶりにシーサイドに行きました。風もなくあったかくてTシャツで登れる陽気で
した。
エリアは昨日が天気が悪かったせいか、空いていました。
相変らずのお皿ホールドがヌメッていて難しく感じました。

登ったルート(森が登ったルートのみ列記)
・トムボーイ(10d)
・海賊フック(10b)
・ホワイトシャーク(11c)
・チェシャネコ(10d)
・気分は最高(10b)
・チリコンカーン下部のみ(12b)TR

ところで藤原雅一さんがグラウンドしたのって「気分は最高」だったって知ってた?
フレンズがはずれたんだって。それを登る前に聞いて私はそうとうビビリながらリー
ドしました。
でも思ったよりプロテクションは良好でした。
森ぴか

12.06.2001

伊豆海金剛スーパーレイン

伊豆海金剛スーパーレイン
目指せオ-ルラウンドクライマ-。

4p目と7p目
12月6・7日(木・金) 天候:雨・曇り

森さんと浜勝崎、海金剛にナチュプロ・フリーのマルチピッチルート
「SUPER RAIN」 8P 5.9(発表当初は、5.11cだった) 230m を登っ
てきました。

7日のスケジュ-ル
キャンプ場(6:40)―基部(7:50)―登攀開始(8:30)―登攀終了(12:
30)
―下降開始(12:40)―取り付き(14:00)―撤収(14:30)-キャンプ場(15:
10)

天候
当初、6日は「SUPER RAIN」、7日に「Super Haruna (10a)」に登
る予定
でしたが、雨で1日流れ、6日はかわりに修善寺ラフォ-レでバスケ&クライ
ム。
6日夜は、松崎の道の駅で車泊。翌朝5時に起床、朝食後、雲見温泉へ向いまし
た。
前日の夜は、風が大変強く、冷え込んだので少し心配でしたが、当日は海も
穏やかで絶好クライミング日和でした。 

アプロ-チ
アプロ-チが悪く、見つけにくいということもあり、前日下見をしておきまし
た。 
雲見温泉からオ-トキャンプ場を目標に坂をかなり登り、キャンプ場手前の右手
に
小屋がある畑の脇の土手についた踏み跡に入るとアプロ-チです。意外と簡単
に見つかりましたが、荒れております。1時間10分で基部へ。 
帰りはラペルもなかったので40分でした。

取り付き
アプロ-チの段階で、遠目からル-トと取り付きのディエ-ドルを確認。 サル
が出る
そうなので、荷物には注意を。特に食べ物はザック中へしまった方が良いようで
す。

Super Rain(4P目以外は全て森師匠がリ-ド!)

1P目(35M)
2本目のデェエ-ドルから 凹角のクラックを登ります。岩はかなり脆く、ガバ
を
掴んだら取れてしまい、早くもビビリモ-ドへ
2P目(25M)
続けてクラック登り、いやらしいスラブをトラバ-ス、ブッシュへ。森さんが
ピッチを短め
切って、そこでビレイ。ブッシュ中を10Mさらにビレイなしでトラバ-ス
3P目(35M)
5.9のクラック。クラックが苦手な私には、10Aに感じました。 ここら辺
から、5.9の
奥深さを実感。 危うい所もあり、フォロ-しながらリ-ド抜けれたか不安にな
ります。
4P目(30M)
1本はリ-ドをと思い、分かり易いラインのこのル-トをリ-ド。アンダ-フレ
-クを
レイバックで抜け、腕が張った所で、ワイドクラックへ。初めて、どでかカム
4.5を入れ、
テラスに出てセルフを取った後、魂が抜けました。
5P目
先人クラック。このル-トの看板ピッチ。森さんがフィンガ-クラックに綺麗に
ナッツを決め、
ハングしたクラックを乗り越す。楽しいピッチでした。 
6P目
100岩場ではシャックルが付いた支点を経由し、右のワイドクラックを登り上
部城塞基部
のテラスへとありますが、ワイドクラックはなくテラスへ。
7P目
右のワイドクラックを登り始めますが、やや難しい。おそるべしワイドクラッ
ク。マントル返して
立ち上がるとランアウトして、上方にカムが見えます。 森さんを尊敬しつつ、
かなりワイルドで、
ややハング気味越え気味に凹角を抜けると終了点までは、岩が腐っていてランア
ウト。 森さん
なしでは、上まで辿りつけなかったとありがたく感謝しつつ、二人で記念撮影。
海が穏やかで、蒼く透き通っており、伊豆を代表する美しい景観を満喫しまし
た。
遠くに新雪が積もる富士山も見えました。 
8P目
頂上というより尾根の上といった感じなので、私は登らず、下へラペルしまし
た。 

温泉
松崎の道の駅に温泉がありました。500円 
帰りは堂ヶ島近く(確か) 大浜のなぎさの湯に行きました。こじんまりしてま
すが、浜沿いで、
露天から美しい浜が見えます。 夕日が大変美しかったです。

食事
松崎周辺の食事処は、夜7時半には何処も閉まってしまいます。松崎周辺は漁師
の街だそうで、
それに合わせているそうです。温泉の受付のおじさんは浜宮という和食屋が良い
と言っていました。
漁港近くの唯一開いている小さな和食屋 ひさご(飲み屋)にギャンブルのつも
りで入ると大当たりで、
800円で大変リ-ズナブルな定食を頂きました。 超おすすめです。 隣の旅館
も経営しているらしく、
温泉でも入っていけば奨められました。 つまり定食温泉付で800円というこ
とになります。
お店の人がかなりご機嫌だったのか、身なりが汚かったからかもしれませんが。

抱負
3P目以外も5.9とは思えない難しさは、ナチュプロクラックル-トの緊張感
から来るのでしょうね。
今後も頑張っていろいろなル-トに取り付きたいと思います。 目指せオ-ルラ
ウンドクライマ-。

石寺記

12.01.2001

11月12月のそのほか

11月13月の岩そのほかす
 テレパシーをのぼるトミー
12月22日(土)
伊豆城ヶ崎
メンバー:森 他5名

XX年ぶりにシーサイドに行きました。風もなくあったかくてTシャツで登れる陽気で
した。
エリアは昨日が天気が悪かったせいか、空いていました。
相変らずのお皿ホールドがヌメッていて難しく感じました。

登ったルート(森が登ったルートのみ列記)
・トムボーイ(10d)
・海賊フック(10b)
・ホワイトシャーク(11c)
・チェシャネコ(10d)
・気分は最高(10b)
・チリコンカーン下部のみ(12b)TR

ところで藤原雅一さんがグラウンドしたのって「気分は最高」だったって知ってた?
フレンズがはずれたんだって。それを登る前に聞いて私はそうとうビビリながらリー
ドしました。
でも思ったよりプロテクションは良好でした。
森ぴか

12月15-16日
メンバー なべ、汽車、山路の木俣、高村、まきの
パウダートレーニングで神楽峰スキー場へ。この時期の恒例行事。天気は吹雪きだがそこそこ
パウダーを堪能できた。天神スキー場の木俣氏の小屋へ泊まる。ここまでたどりつくのになべ
ちゃんの車だと大変だった。チェーンをつけてようやく。
16日は天神平は吹雪きのようなので水上高原に行く。がまだやってなかった。宝台樹で
ちょと滑って帰還。
神楽では知った顔には出会わなかった。スキー離れか。その日はるみさんが講習会を開いてい
て遠くから僕らが確認できたということだった。山路はこの正月も7泊でニセコに入るという。
温泉、美味、情報交換の2日だった。
汽車




■11/16、佐久・志賀に新しく開かれた”松の木エリア”でクライミングしました。
アプローチは志賀としてはやや遠目で、車から歩き6~7分。足場、日当たり、ともにGOOD。
垂直~うすかぶりの凝灰岩で、スケール、迫力とも充分、顔もほころぶカチカチフェース。
メンバーは、ダンフェ設計チーム(けんじ、tommy&naoki)。

以下、成績。
・ボルサリーノ、10c(chu)
・友心、10b(tom)
・???、9(naoki)
・微笑10b(tom)
・わくわく、11a 
・改心カンテ、10b(tom)
???、9(tom、naoki)
・HARUMADE、11- 

#できたてのほやほやでまだ脆い部分がありますが、ランナー、終了点ともとても良く整備されています。
伊藤ちゅう

12/1お仕事ついでにまた志賀に寄ってきました。
田んぼには早くも氷が張っていますが、長野のクライマーにとっては、
これからがシーズンなのだそうです。
壁は、東から南、西と、丁度、太陽を追うスクリーン状に展開してい
ます。
葉が落ちる晩秋になってからのほうが暖かいという地元の方たちのア
ドバイスは、俄には信じ難いのでしたが、
取り付きについて実感できます。

以下、成績。
・5.9(ときめき宣言の左)    ※chu、仰向けグランドフォー
ルで、冷や汗びっしょり・・、名うてのクラッシック
・ときめき宣言10a
・ハブハナイスデイ10b(ケンジさん)
・西遊記10b
・情熱物語10d                  ※これもクラッシック、RC
Cボルトのルートは手強い!
・テレパシー10c★(tom)
・道しるべ10a(ケンジさん)

#長野の岩場は★の付いたルートが僅少です。無闇と付けないとい
った習慣なのでしょうか。
★の意味は、大勢のクライマーが寄ってたかってああだこうだやる
ルートなのではないかと察せられます。
こういったルートは概ね、岩が磨かれていてムーブも凝っており、
何度も登り込んでグレーディングされている節が感じられます。従
って、遠路は
るばる来てオンサイトでトライすると、結構厳しく感じられること
がままありました。
tomiのテレパシ-もそんなルートでしたが、見事オンサイト。
謎解きにかなり時間を食いましたので、コンペなら失格でしょうけど。

11.23.2001

湯河原幕岩

湯河原幕岩
登った 
 
11月23日(金)勤労感謝の日
湯河原幕岩
メンバー:森 その他5名
以下は森が登ったルート(すべて正面壁)

・樵ハングのクラック部分(5.8):5mくらいだが、幕岩には珍しいきれいな
ク
ラック。ハンドの練習にイイよ。
・アジア1P目(5.10b):微妙なバランスで登る。好ルート。
・スパーダーマン(5.12a):2年ぶりに触ったけど、まあまあ。2回目はRPを
狙
うもやっぱテンションが入る。

11.17.2001

11月立山スキー3本

立山スキー
二つの週末、異常好天。そしてラストチャンス
 
11月17、18
いとうひろゆき

立山行ってきました。

土日と言っても、土曜日は、富山まで、車ころがして、雷鳥荘に入ったのは、15時ご
ろでした。富山側から入ったのは、久しぶりでした。美女平の駅は、雨でしたが、す
ぐみぞれになって、みるみるうちに雪道になりました。バスから眺める雪景色もなか
なか良いです。
雷鳥荘のおやじに聞いたら80cm位と言ってましたが、その後一晩降り続いたので
、90cm位ではないでしょうか。十分です。解けなければ。雷鳥荘には、50人位客がい
ました。
日曜は、ピーカン。7時半頃出て、10時に御前小屋につきました。4番目でした。ボー
ドの一団を引き離したので、雷鳥沢を滑りたい誘惑にかられましたが、時間は十分あ
るので、やっぱ剣沢に行きました。御前の方に登り返し、いつもの所を、滑りました
。雷鳥沢にもどると、すでに一団が、滑り去った後でしたが、所詮人数が少ないので
、スペースは、沢山あります。雪は、深く軽く久々雷鳥沢でいい思いができました。
まだ昼を回った所なので、浄土川沿いに進んで、山崎カールの下を1時間ほど登りま
した。さすがに普段運動していない足が、よれていますが、日陰斜面が、とても軽く
て天国のようなパウダーでした。小尾根を越えて、浄土川に降りると、(室堂山荘の
下)河原で、三ちゃん夫妻とばったり会いました。やっぱり土日月でミクリに来てい
るそうです。浄土山に行ったそうです。ここでもパウダーが最高って言っていた。
大体予定どうりで、15時半のバスに乗った。

扇沢から入ると、到着10時半、帰り15時に対して、
富山側から、入ると、到着9時、帰り16時と2時間余裕が出来、日帰りも可能になりま
す。

運賃は、扇沢からが、約8000円ですが、富山側からはいると4000円

11月23-25日
メンバー おまた、北田、川崎カメ、ひろゆき、汽車、はるみ、みか
23日
前夜扇沢に入った。2番のアルペンルートで室堂入り。無風快晴。積雪は7,80センチ。
滑るのに不足は、ま、ない。しばらく好天続きという。あらゆるスロープにシュプールが
つけられている。アメリカあたりのスキー場のようだ。見渡すと1000人くらいがあ
ちこちに散らばっている。急峻なルンゼ、シュートにもシュプールのあとがあって、ボ
ーダーたちのエキストリームぶりには感心してしまう。以前にはそんなところをスキー
ヤーは滑ることなど思いもしなかった。
はるみさんが新品シールを後ろ前につける事件があった。バックカントリースキーとの
ことである。
浄土山をめざす。一の越下に荷物をデポして頂上へ。360度の展望。槍穂が間近にみ
える。地雷のような岩角、岩くずに注意して下るが、ときどき避けようのないこともあ
る。名人北田といえども岩にぶつかり大転倒。山崎カール下にトラバースして称名川へ
の小尾根伝いに下り、雷鳥荘入り。満員御礼のようだ。キャンプ場にも100張ほどのテン
トがあって夏山以上の混雑ぶりにみえる。
汽車のテレマーク協会2002公式ポスター出演祝賀パーティを8畳の間でひらく。ラッ
キーな奇跡的事件だ。金子カメもにこにことやってきてスキーカメ業界の話を久しぶり
に聞く。顔なじみや常連にたくさん会った。一年に一度の社交場のようだ。
室堂930-浄土山1100-称名川1400-雷鳥荘1500

24日
無風快晴。830頃出。雷鳥沢をつめ御前小屋1030。
小屋の周辺や剣沢に人があふれている。立山エリア全体に人が散らばっているようだ。
3000人はいると見た。
まず剣沢に滑り込む。大石のところから、剣御前の尾根に斜上して登り返す。剣沢小屋
真下に下る斜面を小俣さんがのぞきこむ。行けそうだのサインがでる。おそるおそるト
ラーバースして斜面にはいる。上部はかなり急だがあとは快適なバーン。アルプスのよう
な景観だった。ボーダー二人がすでに滑ったあとがあった。剣沢を小一時間登り返し御
前小屋に戻り1330。ばりばりぼろぼろの雷鳥沢尾根をのんびり下る。1530帰着。

25日
本日も無風快晴。好天が一週間以上も続いていることになる。これも異常気象といえそ
うだ。地獄谷裏の小山をのぼる。北面の好スロープをえらび2,3本滑る。けっこうなパ
ウダーエリアだった。テレマーカーが集まってきてにぎやかなことになった。撮影には絶
好のロケーション。川崎カメはまたしても今回、傑作写真をものにしたようだ。
あたりを見渡すと数千人がいたはずの立山エリアだが、今日は森閑としている。無数の
シュプールが異様といえば異様。雷鳥荘も今日で小屋閉めという。われわれも昼過ぎのバ
スに乗って下山。
扇沢のあたりと薬師温泉のあたりで野生のサルをみかけた。それにしても、11月の立山で
真っ黒に日焼けするとは思わなかった今回の山行きでありました。
830雷鳥荘-地獄谷でスキー-1300室堂。



11月27~29

メンバー: 平日三日間のため、参加者は小売業のREIスタッフのみ。
 渡辺さん、今度可能なら平日休み合わせて一緒に行きましょう!
  石塚、青木、冶部(テレマーク)
  田中、石川(スノーボード)

行程:
 26日夜東京出発 > 27日早朝立山着、ステーションビバーク
 27日朝立山初 > バスにて室堂着
 明神池目指すも風雪およびガスのため、視界30m~50m。
 みくりが池端にてテン泊。
 視界まったく無しのため、テントを設置したあと停滞。
 翌朝晴れるのを期待して19時就寝。
 28日終日風雪、停滞
 立山駅までのバスも終日運休。
 飲んで、食って、馬鹿な話で盛り上がる。 
 大キジ放出のため、室堂を往復。ガスが晴れてきたので、
 ちょっとした斜面を700mくらい滑る。パウダー。
 岩は一部露出しているが、コンディションはいい。
 29日終日風雪。
 3時30分起床し、撤収後室堂に行き、バスの運行状況を確認。
 8時20分のバスが10時20分に遅延とのことで、8時から10時まで
 一本ハイクアップしてパウダーラン。700mくらいか?
 表面から13cm~15cmに弱層あり。表面は軽くウインドパック。
 でも、一部ではフェイスショットを楽しめるくらいの雪質でした。
 本日のバスの運行は、この10時20分とその後の2本のみ。
 とっとと引き上げ、新穂高温泉の混浴露天風呂入浴。
 温泉の効用でダメダメ人間に変身しつつ、安房トンネルを越えて松本。
 中央高速で帰京。

反省点:
 *信濃大町から入山すれば、天候の影響を受けにくく無用なストレスが
  回避できた。
 *天候状況を最後までチェックし続け、森隊長への入山連絡が遅れた。
 
成功点:
 *某中●大学ワンダーフォーゲル部のご好意により、ICI石●スポーツ製
  高級ゴアテックステントスタードーム7人用?&外張を借用。
  快適な停滞が実現できた。
 *ガスで視界が悪いときに無理に行動せず、無事に楽しく帰京できた。
 *スノーボーダーに、テレマークの機動性を見せつけ、マイナースポーツの
  布教活動に貢献した

ARC石塚

備考(献立):

27日夜 > 地鶏の水炊き&生野菜のしゃぶしゃぶ
  +スープたっぷり高野豆腐 + 餅
28日朝 > 鶏スープ味噌ほうとう + オレオ入りプリン
28日夜 > 鶏と西洋野菜のトマトバジル煮込み
28日朝 > トマトとペペロンチーノスープのスタッフドパスタ

お飲み物は、ビール、日本酒(土佐鶴純米)、よかいち(麦)、粉茶、紅茶、コー
ヒー

富士山から幕岩へ

富士山から幕岩へ
雪がない

11月17、18
石塚

もうすぐスキーシーズンですね。

15日木曜日に、インターネットで富士山滑降の書き込みを見て、さっそく
16日行ってまいりました。
この15日のメーリングでは、
  「膝下までのパウダーで、一部はラッセル。
   御殿場口の駐車場から8合目までフルに滑走できた」
だそうで、、、、こいつを見てしまったら、もうたまりません。

さっそく荷物をパッキングして(1時過ぎまでかかった)
6:30に長津田を出発。8時30分ごろ御殿場口に到着しました。

でも、でも、雪がくるぶしまでしかありません。
これではとても滑れません。
念のため、富士宮口方面を偵察しますが、こちらはもっと雪が少なく、
白と黒のまだら模様。それも、黒が7、白が3ってな感じです。

やっぱり御殿場口のほうがマシなので、引き返します。
道路は一部凍結していて、結構神経をつかいます。
路肩に落ちた軽トラックを、デリカで引きずりあげたりといった善行を施しつつ
もう一度御殿場口へ到着。

同行者の久住氏のモチベーションが異常に高く、しようが無いのでハイクアップ
開始。
でも、どう考えても快適に滑るのは不可能なコンディション。
7~800m登ったところで「気温が上がって溶け出したら、この雪の量じゃもぐっ
てしまって滑れない」
という結論に達し、滑り降りてしまいました。

窪み状になっているところでターンをつなげ、駐車場のすぐ上まで滑走し、お・
し・ま・い

Yeti (イェティ)というスキー場で、一日券が2,000円だった(18日まで)の
で、
ここで2時半くらいまで滑って火照るハートをなだめましたとさ。

その晩は湯河原に移動。幕山公園の東屋で野宿&鶏鍋。

翌朝(17日)はArcの近藤ハリーさん、麻美ちゃんとばったり! 
5.7~10cくらいまでのグレードをまったりと楽しみました。

この日の報告はハリーちゃんに任せたいと思います。
オリンポスの丘、楽しかったです。

ARC 石塚

11.16.2001

11月12月の岩4本

11月12月のそのほかクライミング
 テレパシーをのぼるトミー
12月22日(土)
伊豆城ヶ崎
メンバー:森 他5名

XX年ぶりにシーサイドに行きました。風もなくあったかくてTシャツで登れる陽気で
した。
エリアは昨日が天気が悪かったせいか、空いていました。
相変らずのお皿ホールドがヌメッていて難しく感じました。

登ったルート(森が登ったルートのみ列記)
・トムボーイ(10d)
・海賊フック(10b)
・ホワイトシャーク(11c)
・チェシャネコ(10d)
・気分は最高(10b)
・チリコンカーン下部のみ(12b)TR

ところで藤原雅一さんがグラウンドしたのって「気分は最高」だったって知ってた?
フレンズがはずれたんだって。それを登る前に聞いて私はそうとうビビリながらリー
ドしました。
でも思ったよりプロテクションは良好でした。
森ぴか

12月15-16日
メンバー なべ、汽車、山路の木俣、高村、まきの
パウダートレーニングで神楽峰スキー場へ。この時期の恒例行事。天気は吹雪きだがそこそこ
パウダーを堪能できた。天神スキー場の木俣氏の小屋へ泊まる。ここまでたどりつくのになべ
ちゃんの車だと大変だった。チェーンをつけてようやく。
16日は天神平は吹雪きのようなので水上高原に行く。がまだやってなかった。宝台樹で
ちょと滑って帰還。
神楽では知った顔には出会わなかった。スキー離れか。その日はるみさんが講習会を開いてい
て遠くから僕らが確認できたということだった。山路はこの正月も7泊でニセコに入るという。
温泉、美味、情報交換の2日だった。
汽車




■11/16、佐久・志賀に新しく開かれた”松の木エリア”でクライミングしました。
アプローチは志賀としてはやや遠目で、車から歩き6~7分。足場、日当たり、ともにGOOD。
垂直~うすかぶりの凝灰岩で、スケール、迫力とも充分、顔もほころぶカチカチフェース。
メンバーは、ダンフェ設計チーム(けんじ、tommy&naoki)。

以下、成績。
・ボルサリーノ、10c(chu)
・友心、10b(tom)
・???、9(naoki)
・微笑10b(tom)
・わくわく、11a 
・改心カンテ、10b(tom)
???、9(tom、naoki)
・HARUMADE、11- 

#できたてのほやほやでまだ脆い部分がありますが、ランナー、終了点ともとても良く整備されています。
伊藤ちゅう

12/1お仕事ついでにまた志賀に寄ってきました。
田んぼには早くも氷が張っていますが、長野のクライマーにとっては、
これからがシーズンなのだそうです。
壁は、東から南、西と、丁度、太陽を追うスクリーン状に展開してい
ます。
葉が落ちる晩秋になってからのほうが暖かいという地元の方たちのア
ドバイスは、俄には信じ難いのでしたが、
取り付きについて実感できます。

以下、成績。
・5.9(ときめき宣言の左)    ※chu、仰向けグランドフォー
ルで、冷や汗びっしょり・・、名うてのクラッシック
・ときめき宣言10a
・ハブハナイスデイ10b(ケンジさん)
・西遊記10b
・情熱物語10d                  ※これもクラッシック、RC
Cボルトのルートは手強い!
・テレパシー10c★(tom)
・道しるべ10a(ケンジさん)

#長野の岩場は★の付いたルートが僅少です。無闇と付けないとい
った習慣なのでしょうか。
★の意味は、大勢のクライマーが寄ってたかってああだこうだやる
ルートなのではないかと察せられます。
こういったルートは概ね、岩が磨かれていてムーブも凝っており、
何度も登り込んでグレーディングされている節が感じられます。従
って、遠路は
るばる来てオンサイトでトライすると、結構厳しく感じられること
がままありました。
tomiのテレパシ-もそんなルートでしたが、見事オンサイト。
謎解きにかなり時間を食いましたので、コンペなら失格でしょうけど。

11.11.2001

カリガンダキ川 カヤック

namaste honeymoon
いいところだった 
 
なべ、妻
 こんにちは。新婚旅行でネパールに行って来ました。先ずは帰国の挨拶と
行動日程をお知らせいたします。

日程:11月11日~28日

12日~14日 カトマンドゥ~ポカラ~いきなり午後よりカリガンダキ川にて
カヤック(妻はラフト)
16日~19日 アンナプルナ麓 プ-ンヒルへトレッキング
20日~22日 チトワン国立公園内にて象に乗ってのサイの観察
25日~26日 ボテコシ川にてカヤック(妻はラフト)

以上、忙しい日程でした。

忠さん、森さん、黒川さん出発前の貴重なアドバイスありがとうございまし
た。
ネパールはとてもいいところですね。今度はチベットに行きたいです。

-- 
渡辺賢二

11.04.2001

甲府幕岩2回

甲府幕岩climbing
良い天気だった

11/4、白馬廻りで、甲府幕岩へ行ってきました。
メンバーは、おなじみtom&naoki、けんじさん、わし。
pika&なべちゃんも合流して、大陸から下がってきた最初の寒気もなんのそ
の、みんな楽しく登りました。

以下、成績。(例のよって()内はOS、FLしたひと)

・シリコロカムイ5.10d★★(chu)
・WorkOn5.11a★★(pika)
・イエローマウンテン5.9★★★(pika、けんじ)
・ピリカ5.10b/c★★(chu、pika)
・ジューンブライド5.11b★★★
・HIVE5.10b★★(けんじ、pika)    #終了点にスズメ8巣
・森の唄5.10b(tomi)
・ドラエモン5.10c
・アコナ5.10a(tomi)
・深海の幻想5.11a(pika)

#pika&なべちゃんパーティの成績は、ちゃんと把握してません。ヌケや間
違いがあったら訂正してください。
#アクセスは観音峠経由がOKになりました。(知らなくて小森川林道へみん
な引っ張ってっちゃったけど・・・しみまへ~ん)
ちゅう記

・ナベちゃん{これはルート名です}(5.8) もちろんナベちゃんがOS
ひかり記

12/8、まいど仕事ついでに、幕岩(甲府)に寄りました。

ド・冬型でしたが、葉っぱが全部落ちて、すごい日射量で、うかっり厚着の
ままだと汗だくになるほど。
車も10台止まってましたが、看板には12/10~来年3/31まで通行
止めだって。
観音峠までの林道は1ケ月前よりさらに伸びましたが、道路はすでにところ
どころ氷っていました。
従って、この日が僕らにとってはシーズン・エンドでした。

以下、成績。()内はOS者、グレードは岩場ペイント表記のものです。

・ペンタゴン10a(けんじ)
・森の唄10b                    
・秘密の岩園10c(chu)
・動物がいっぱい10b
・なべちゃん5.8(けんじ)
・ダーティクライマーズ11b/c
・岳できょん11c

#イレブンの2本(chu)はテンション入っちゃいましたが、とってもお
もしろいルートでした。
特に、”岳できょん”は、マイクロホールドなのにどういう訳か”きょん”
になっちゃって、可笑しかったです。
chu

10.24.2001

黒部下の廊下カヤック

黒部下の廊下
第二下降

photo by Hiroshi Kawasaki 川崎 博
 こんにちは。10月24日から27日にかけて、黒部下の廊下のカヤックによる第二下降
が5人により行われ、成功いたしました!(第一下降は12年前モンベル辰野勇による)

 私もサポート隊として当初全日程参加予定でしたが、仕事の都合上、25日まで参加
いたしましたので、その間のレポートをいたします。
 カヤック隊5人は皆、地元関西にて日々練習をつむエキスパートカヤッカーです。
またサポート隊には、クライミングの技術やボッカが必要でしたので、クライマーの
協力もいただき、10人になりました。カメラマンの川崎博氏と私のスキーの先輩の小
俣氏にもご協力をいただきました。
 カヤックの搬入方法は、扇沢より23日深夜トローリーバスの道を専用の台車にカヤッ
クをつけて、テクテク歩き運び込みました。わずか1時間でいけました!
 カヤックをなぜこの時期やるのかと言いますと、黒四ダムが10月16日より放水を終
了している為、比較的グレードが下がるからです。と言ってもクライミングで言う5:
14から5:12になるぐらいか?
 下降初日、黒四より新越沢出合いは、1っ所以外は簡単なコースでした。その一ケ
所の滝壺の中に、1人巻き込まれ30秒ほど出て来なかった時は肝が冷やされました。
このセクションは前回下降されていませんでしたので、ファーストディセント(1人)
になります。
 
 二日目が今回の核心部です。別山谷出会付近のスノーブリッジ内部の下降(2時間
後に崩壊しました。危なかった-。)、白竜峡の12~13Mの滝落ちや多数の5Mクラス
の滝落ちまで見届けて帰路につきました。その後報告によると、数回のトラブルが発
生したそうですが、S字峡の多数の滝落ちにも成功して、無事欅平よりトロッコ電車
にておりました。
 今回の件は、雑誌紙面やモンベルにてスライド/ビデオショーにて発表する予定で
す。お楽しみに。
 by watanabe kenji 

10.18.2001

具志頭ボルダ

具志頭(ぐしかみ)ボルダーclimbing
手がいたた
投稿者?

10月18日に沖縄を旅行したついでに今ブームのボルダリングエリアに行ってきまし
た。
場所は具志頭(ぐしかみ)ボルダーエリア。
那覇から車で1時間弱くらい。
磯浜のビーチにたくさんの琉球石灰岩が点在しています。
どれもかなりかぶっていますが、ホールドが大きいものが多いので楽しく登れます。
ランディングは場所によりますが、おおむね砂地で良好。
岩はガビガビでとがっていて痛いので、指には徹底的なテーピングが必要です。
チョークの必要性はあんまり感じませんでした。

このほかにも、浜比嘉島というところのビーチでもボルダリングしました。
これはエリアとして紹介されていないところです。
沖縄の海岸にはたくさんの岩があるので、沖縄旅行を計画している人はクライミング
シューズ+テーピングテープを持っていきましょう!

ちなみにトポは以下のHPに詳しく載っています。
http://sqeez.virtualave.net/gushichan.html

10.13.2001

湯河原幕岩蒸し

湯河原幕climbing
湯河原幕岩蒸し蒸し報告

10/13土曜日帰り。けんじさん&chuでまだまだ蒸す湯河原幕岩。

ここんとこ疲れが溜まっているので、午後発でハイキングみたいなエリアへ。

”オリンポスの丘エリア”(駐車場から20分くらいかかるよぉ~)
5.8~5.10aまで、6本のルートをかわりばんこにリード。
低グレードですが、好ルートばかりです。
ことに、カサンドラ5.9は、メッチャ楽しいルート。リード初心者はきっと大喜びしますよ。
しかも、下は大混雑なのに、別世界のがらすき。
ただし(おいしい話には・・・の典型か?)、足場が不安定な傾斜地です。FIXがありますが、
ビレイや移動は慎重に。

10.07.2001

長谷川恒夫カップ

日本耐久レ-ス
長谷川恒夫カップ

10月7・8日 isidera
日本耐久レ-ス 長谷川恒夫カップに参加してきました。 

ハセツネは、今年で2回目の参加ですが、とても不思議なレ-スです。奥多摩全山縦
走71.5kmを24時間以内に走る(歩く)やや過酷なレ-スで、私の場合、走って
いる間はとにかく早く終わって欲しい、そのことばかり考えています。 10月初旬
の奥多摩だと、紅葉もまだまたですし、スタ-トも午後1時ですので、すぐに暗くな
り、景色を楽しみながらといったレ-スでもありません。  しかしながら、不思議と
レ-スの翌日なると来年も参加しようと思ってしまう魅力?があるような気がしま
す。 参加料は9000円と高いのですが、良くオ-ガナイズされたレ-スだと思いま
す。 完走率66%くらいです。

結果ですが、15時間44分(183位)と昨年より2時間ほど遅い結果でした。昨年は、絶
対完走したいとか、その内アドベンチャ-レ-スに出場したいとか、会社の仲間と
いっしょに参加するとか、森夫妻が参加したことがあるとか、色々モチベ-ションが
あったのですが、今年はいろいろあり、当然練習にも身がはいりませんでした。その
結果、早い時間から足がつってしまい、休みを多く取った分、給水所につく前に水が
なくなってしまったり予想外の展開でした。 ただ、完走できたのでその部分では満
足しています
来年は、ArCでエントリ-したいと思っています。 どなたかいっしょに参加しません
か。

石寺一隆

9.30.2001

大ヤスリ岩/夢のカリフォルニア

大ヤスリ岩/夢のカリフォルニア
日時調査中

・ルート
大ヤスリ岩/夢のカリフォルニア3P(5.10-、5.7、5.10)+ハイピ-ク・ルート上部2P(Ⅲ+、A1)

・メンバー
pika&chu

・内容
日帰りはきついので、前夜、大泉ラッセル邸泊。AM5:00起き、6:00出。
増富温泉経由で瑞牆山荘へ(40分)。
7:00発。金峰への登山道を辿り、富士見小屋から瑞牆方面へ左折。
取り付きは登山道沿い。明るく明瞭。8:40着。
頂上は間近で大勢のハイカ-が見えます。

ルートは大ヤスリの前衛に位置するナイフピークの南壁に入ったクラックです。
現在7つのクラック・ルートが開かれていますが、殆どがワイドの要素を含んでいて、wildです。
その中で、レイバックを駆使する”夢のカリフォルニア”はスポーティなイメージがあって、長い間、
僕の心を捉えていたートの一つでした。

1P目、chuリード。5.10-の美しいフレークが10mくらい続きます。
寝てるように見えましたが、スタートしたら、パワー全開でした。
2つキャメをとったあとフォール。これで怖さが消えました。
あと2つありがたいキャメ#4と、トライカム#7をsetして気の抜けないオフィズスから、ビレイ点へ。
レイバックは右引きなのに、どういう訳か右手でカムをsetしないと、バランスがとれず、つらかったです。
腕が張ってしまったので、2P目をpikaにゆだねました。
ここは快適なハング(5.7)からハンドクラック(5.7)を抜けて、外傾テラスのビレイ点へ、20m。
3P目、1P目同様の美しいフレークで、上部がハンドのコーナーになっています。
2P目のハング越えのポイントから見えたこのラインは、日本離れしていて非常に印象的でした。
pikaは、出だしのオフィズスに少し手こずりましたが、フレークのレイバックをこなし、コーナーを使って巧みにレスト。
抜け口のハンドを持ち前の粘りでうまくこなしてオンサイトしました。
でも、本人は中間部に2本リングボルトがあって、これにクリップしたことに少々気がとがめていたようです。
(大きなカムのなかった頃は、他にプロテクションは取れなかったんでしょう)

ビレイ点のすぐ上が、ナイフピーク肩のテラス。
大ヤスリは目前ですが、手前のルンゼ状広場にいったん5mラッペルします。
大ヤスリ側の簡単なクラックからチムニーへ入り(Ⅲ+、20m)、
2ポイントのエイドで大ヤスリのテラスへ。
瑞牆のピークや、登山道を行き交うハイカーのおじさん、おばさんたちのあたたかい(?)声援にマメに手を振りながら、
恐ろしいスピード(20分!)でpikaが大ヤスリの先端へ(40m、A1)。
20年前の”聖子命”は消えていた!!(これ分かるひと、いるかな?)

経歴不明のビナ一個で、ラッペルするのは気が進まず、コングの”人食いビナ”をドネーション(これも25年モノだけどね)。
大テラスからは北側(本峰側)に15mほどのラッペル(しっかりした支点あり)で登山道に戻りました。
取り付き着13:00過ぎ(正確な時刻は忘れちゃった)。
予報はあまりよくなかったけど、時々日も差し、概ね暑からず寒からず。

ケイタイから下界はどこも大雨(アフガンには爆弾の雨)という話が伝わってきました。
僕達は今日もラッキーなクライミングができました。僕達は好きなことやっていられる世界にまだいます。
でも、そうではないひとたちが大勢いることが、いつになく気がかりになりました。

以上

追記>下山途中で、なんとオコジョと対面。実物をこんな間近で見るのは初めてで、感激しました。

9.29.2001

奥日光ハイキング

奥日光ハイキング
冠水した小田代原を訪ねる
 
松倉一夫
 9月29日、土曜日に、奥日光の小田代原に行ってきた。今年は台風の大雨の影響で、
湿原に満々と水がたまっており、これまでに見たことがない珍しい小田代原の姿に触
れることができた。
 自宅を朝5時40分出発。まだ本格的な紅葉シーズンは迎えておらず、渋滞もなく赤
沼茶屋には7時20分に到着。駐車場はすでにかなりのクルマが止まっており、奥の方
に駐車スペースを見つける。
 身支度を整えて7時25分に出発。ミズナラの森は所々黄色く色づきはじめているが、
まだ二分といったところ。途中、戦場ヶ原展望台から草紅葉と太郎山を展望。周囲が
カラマツ林になると小田代原も近い。鹿よけの電気柵の内側へ回転扉を抜けて入る。
時計回りに進むと、じきに電気バスが走る車道に出る。
 話に聞いたとおり、まるで湖のように湿原が冠水している。車道脇の斜面には写真
愛好家が4人ほど、一本のシラカンバ、貴婦人や湿原に光が射し込むのを待って三脚
を立てている。高い位置に上がると、水面に映り込む木々が美しい。まさに水鏡その
ものだ。それにしても、これほど冠水してしまって高山植物のダメージはどれほどか
と心配になる。夏場はホザキシモツケやハクサンフウロ、野アザミがきれいだ。
 写真を数枚とり、車道をたどること5分ほどで、8時30分、小田代原のバス停前に
到着。再び回転扉で電気柵の内側に入り木道をたどる。冠水は木道の際まできており、
木道がなければ先を進めないほどだ。
 進むに連れ、男体山や大真名子山、小真名子山、太郎山がよく見えてくる。紅葉し
始めた木々が水面を挟んで上下にシンメトリーを描くようにくっきりと写っている。
 小田代原の最奥まで進むと、水もなくなる。笹原とススキ、草紅葉が美しいグラデー
ションを見せ、その向こうに貴婦人と男体山が映える。
 回転扉で小田代原を抜けると、泉門池へと向かう。途中、大きな沢状の切れ目が現
れる。以前はそれほど深くなかったが、今回の大雨で削られたのだろう。幅は1mほ
どだが、深さは3~4mありそうだ。
 しばらく進むと、大きなこぶの目立つミズナラの大木が現れる。ここを過ぎるとゆ
るやかに下っていき、じきに分岐となる。左へと1分ほどで泉門池となる。地中から
湧き出す小さな池にはマガモが悠々と泳いでおり、男体山が望める。テーブルとベン
チも用意されており休憩にちょうどいい。まだ9時40分と早いが、朝飯も少ししか食
べていなかったので、ここで昼食とする。おにぎり2個とミカンを食べ、9時55分、
湯滝へと向け歩き出す。
 整備された木道を進むと、じきに湯川沿いとなる。ゆるやかな流れには釣り人がけっ
こう入っている。20分ほどで分岐となる。湯滝へは左へと橋を渡って進むと1km、まっ
すぐ湯川沿いに進むと400mとの案内。左へと橋を渡る。橋から正面に小滝が望め、
釣り人が中に入り込み、竿を振っている。
 一度小さく登って、ミズナラの森を行く。途中、直径1m50cmはあろうかというミ
ズナラの巨木に出会う。このあたりのマザーツリーといったところか。さらに進むと、
右下に見事なカツラの巨木が見えてくる。根元から枝分かれした姿がいかにもカツラ
らしい。ここから1分で湯滝だ。10時33分着。
 展望台から湯滝を眺め、茶屋の前を抜け、赤沼方面へと進む。400mで小滝の脇
を通り、先ほどの分岐だ。往路をたどり泉門池に戻る。ここから戦場ヶ原を抜け、赤
沼茶屋へと向かう。ミズナラの森を抜けると、左手に男体山、大真名子山、小真名子
山、太郎山が広がり気持ちのいい木道歩きだ。駐車場には11時35分着。
 時間も早いし、他を少し巡ろうかとも考えるが、かなりクルマも増えている。いろ
は坂の渋滞を考え、下ることにする。途中、日光市内のやしおの湯で汗を流し、午後
1時半過ぎに帰途につく。帰りはいつもながら、日光杉並木の道を通り、鹿沼ICま
で走る。杉並木は規模こそ小さいが、アメリカのレッドウッドハイウエイを彷彿させ、
とても気に入っている道だ。帰りも渋滞に会わず、4時過ぎに帰宅。

9.08.2001

西湖の岩場開拓10回

サイコの岩場 マイ・ゲレンデ
  サイコのトポはこちら
 
9月8日
池の内潔 汽車
小屋から小1時間。西湖のキャンプ場に近付くと青空がのぞいてきた。小屋のあたりは小雨だったのだが、あのあたりはいつ
も天気がわるい。
突き当たりに車を置いて林道を10分、樹林帯のなかの急なクライマー道をあえぎ登ること10分。明るい岩場の基部にでる。
鷲の巣(とうのす)岩とか言われていると古いガイドブックに書いてあったが詳細は不明。
正面に大きなスラブがあって、その右に小沢をはさんで岩塔がそびえる。岩場は南面にあって、日が当たると暑いくらいだ。
1時ころから登り始める。
西湖が光っているのがみえる。富士山も見えるらしいが、台風接近の今日は厚い雲の中だ。
スラブ壁を交互に登る。
5級、5.9、10a、10aと勝手にグレードをつける。
リングボルトが多いがところどころに新しいボルトもある。終了点はよく整備されている。ボルトを打ちかえると安心して登れ
ると思う。
小谷のアウトドアスクールのスタッフ5人が登ってきてトップロープで研修?を始める。運動靴。全員。登るのは女性スタッフひ
とり。
ぱらぱらとしてきそうなので4本でおしまいとする。
スラブ壁には10本ほどルートがあるようだ。広沢寺ゲレンデの倍の大きさか。
岩塔のほうは2ピッチあってほんちゃん風のようだ。
先週ハーフドームを登ってきた池の内氏は日本的な岩場に感心していた。
半日クライミングが楽しめるのがよい。こんどカラファテでボルトを買ってこよう。
by kisya

9月23日
member おまた かわさき 汽車
雲ひとつない好天。初冠雪の富士山が素晴らしい。
朝飯をゆっくりとりサイコ方面へ。11時には岩場の下にいた。
前回トライできなかった正面壁の左2本を登る。
それぞれ30メートルあって、左が10b、右が10a,スラブである。
リングボルトが打たれていてルートは明瞭。50メートルロープだと足りない。
懸垂は2pになる。
午後は右壁の前回登った5.9と10aを登る。おまたさんが5.9を初リード。
正面壁には都合6ー7本のルートがあることになる。
ノーズダイレクトともいえる正面ルートがあいているようでここにボルトを打ってみたいものである。
日が傾いてきて富士山がますます素晴らしい。サイコも。今日は一日中雲が湧くことはなかった。
まれにみる初秋の好日であった。5湖の観光エリアはマイカーの洪水状態のように見えた。

サイコ3
ボルトを打った
9月30日
メンバー いけのうち、きしゃ くろ

午後から雨になるという。いかにもそのような気配の朝である。
あり合わせのボルトが10数本ある。ペッツエルの10ミリ径60ミリ長のものである。サイコゲレン
デにぴったりのものだ。11時過ぎに岩場についた。
おっと、といういけのうちさん。ハーネスを忘れた、とかでシュリンゲで自作する。
あいている正面ダイレクトをトップロープで登りボルトの位置を決め、ぶらさがりながらあっという
間に5本を打つ。ふたりが交互に登って新ルート完成。ノーマル右5.9としよう。先週おまたさんが
登ったノーマルは5.9というのはまちがいで先々週5@級としたもので、ま、5.7とでもして
おくのがよいかもしれない。いずれ要所のボルトをペッツェルに変えよう。
ノーマル左は10a.。いけのうちさんが錆びたリングボルトのかわりに3本新打ちして整備。そのころには小雨となった。
あと30本ほどペッツェルボルトが必要かもしれない。

サイコ4
メンバー いけのうち なべ 汽車 ひろみ くろ まいら
10月6日
先週まであったアプローチの鉄橋がはずされていて、山道を少し歩かなければならなくなった。
土曜日とあってゲレンデはにきやかだ。企業研修生を連れた小谷の学校がきていた。ルートを登ると拍手
がわくのがへんだと思っていたのだ。あっというまに去る。どこかの山岳会10人ほどもきていた。
「ザイルダウン!」
とか言っていた。中年と若い女性たち。下のキャンプ場に滞在しているらしい。リッチなオートキャンパーでも
あることがあとで分かった。
正面左の2本を整備した。9か10a。どちらも30メートルほどの長いルート。間にもう一本ルートがある。コ
ケっぽいので手をつけなかった。あっと
言う間に時間がたって暗闇の中を下山。夜なべちゃんがやってきた。今夜のメニューはトン汁と野菜炒め
10月7日
昨日とおなじメンバーが岩場にいた。さらにボルダリングのマットを持った若者グループもいて大賑わい。その
うち白人グループもやってきて岩塔のマルチを上りだした。
正面の小ハング直上にボルトをうつ。5本のルートがぴかぴかのfixe(イタリアの金具)で整備されたことになる。岩塔ルートは
3pほど。昨日も今日もパーティがとりついていてまずまず安定しているようだ。アルパインクライミングのよ
うで面白そうだ。こんど登ってみよう。あちこち登った。チキン照り焼きとごーやちゃんぷるを作る。
10月8日 
ヒロミさんとマイラ(犬)がやってきた。ロープをはったところで雨となり敗退。予報よりやや早い雨の訪れで
あった。クロとマイラが仲良くあそんでいた。吉田ヤナセ向かいのうどんを食して解散。


サイコ5

10.13
ikenouchi endo kisya くろ
素晴らしい秋空の日。のんびり出て取り払われた橋にかわる回り道をかまなたで整備
しながら岩場には昼着。誰もいない。
左エリアの三段ハングとその左のダイレクトを整備する。トップロープで試し登りし
てボルトを打つ。池ノ内枯れ木がおれてずこっけるハプニングあり。三段ハングは完
成。イモにで酒盛り。
10.14
ikenouchi endo nabe kisy くろ
今日も絶好の秋日和。岩場には今日もだれもいない。風もなくおだやか。湖にはボー
トやウインドサーフィンが浮かぶ。
なべちゃんがきて昼前に全員集合。左エリアの右既成ルートを登る。見た目より難し
い。10ありそう。左ダイレクトにトラバースしてボルトを打とうとしたらバッテ
リー切れであった。昨日バッテリーを充電するのを忘れたため。ここは10びーの予
定。池ノ内の三段ルートをみんなで登る。1
0しーはあるか。下から見た感じよりもぼろぼろの岩であった。汽車オンサイト。
左ダイレクトのとなりのハングルートを試し登りしたいけのうちいわくここは11あ
りとのこと。掃除する。


サイコ6
いけのうち 汽車 クロ
10.27
絶好の秋日和である。富士山は紫色に輝き、てっぺんあたりは何度目かの雪で薄化粧している。近所の黄葉はカエデの類か。透過した光がやわらかい日差しを庭におとしている。葉形はカエデのようだけれど、黄色くかわるカエデもあるのだろうか。垣根のあたりのドウダンツツジは真紅に色をかえて今がいちばんよいときのように見える。風はいくらかあるが、陽気はぬくぬくとしていて、こんな日ならだれでも幸せな気持ちになれるにちがいない。クロは、朝日をあびてベランダにべったりと腹をつけてうつらうつらしている。敷物になってしまったようだ。いまがいちばんよいとき、と思っているにちがいない。だれでもクロのように考えられれば人生は言うこと無しだ。
作りおきの雑煮スープに七輪でもちを焼いていれる。
夜中に到着したらしい池のうち氏がのんびり起きてくる。手酌で深酒をしたのか、ああーとかううーとか言っている。
朝飯をすませ、クライミングの道具をガチャガチャ言わせて整理し、電動ドリルのバッテリーを充電し、そういえばいまのうちにやっておこう、と水道管に凍結防止のヒーターをまき、そういえばこの不凍栓もと思いつき、かがまなくても開け閉めできる孫の手方式のハンドルをとりつけ、してやったりとその成果をよろこぶ。畑に立って、冬も近いというのにいまだ未成熟な大根たちを、この後どうしたらよいものか、などと考えたりしているうちにいよいよ日が高くなってきた。
「そろそろ出かけようか」と車のエンジンをかける。クロが飛び乗ってくる。
予想に反してすいすいと湖畔の観光道路をドライブして30分ほどでサイコの駐車場に到着。いつものように急な山道を大汗かきながら、岩場の基部につくころには11時になっていた。クロも水筒の水をがぶがぶと飲む。
今日の仕事は新しいクライミングルートを作ること、その3である。先週のうちに大体見当をつけておいた岩場上の仮想のルートに安全確保用のボルトを打ち込むこと。そうすることによって、だれでもトライすることのできるピカピカのクライミングルートが完成するのだ。朝方用意した電動ドリルは充電式のバッテリーを使う野外用で、ボルトの穴を岩にあけるためのもの。重い思いをしてここまで持ち上げたのである。
あまり人の世に知られていない事実についてお伝えしたい。
地表部分の堅い岩石が露出して絶壁となっている自然地形が国内あちこちに存在する。一般には岩場とよばれるのがそれだ。そしてそこが登山道や林道の近くであるのならば、そこには必ずといっていいくらいクライミングのルートが作られている。なん十年も昔から日本中の岩場にクライミングの愛好家がルートを作ってきた成果がそれである。そのつもりでそれらしき岩場を見あげれば上にむかって一列に延びるボルトやハーケンなどを発見できるはずだ。それがクライミングルートである。一般の人の知らない事実であろう。
岩壁があればそこでロッククライミングすることが可能だ。ただしそこがぼろぼろの崩れやすい岩場だとクライミングを楽しむには危険すぎる。落石などの心配のないしっかりした岩場を発見したら、土や泥などでを落し、コケなどは剥がして、金ブラシでクリーニングする。その後、安全確保用のボルトを打ち込んでルートとする。これがロッククライミングのルートを作るということの必要充分な説明である。
作られたルートを初めて登るのが初登攀。初登攀するのは普通はルートを作った本人であることが多い。初登攀した人はそのルートとそのグレードを世界中に発表できることになっている。そのルートに自分の好きなように名前をつけることもできる。自分の子供に名前をつけるようなものである。そういう伝統がロッククライミングの世界にはあるのである。
日本中の岩場にクライミングルートが作られてしまった現在、もう新しいルートの制作は不可能かといえば、それがそうでもなく、いまでもあちこちで愛好家たちは新しいルートを作りつづけている。辺境の岩場や林道から遠く離れた岩場、山の上の岩場など、あるいは有名な岩場の脇や、日の当たらない裏側、にいまでもクライミングルートはつくりつづけられているのである。

今回のわれわれプランは、知るひとぞ知る古い岩場、山梨県のサイコ湖畔にあるサイコ、そのメインゲレンデの脇や日の当たらないその裏側、あるいは既成ルートと既成ルートの間に、新しいルートを作るというもので、およそ10本のルート制作が計画されている。われわれは先週と先先週とその前の週、さらにその前…、すでに5本のルートを作ってきた。
今日はぼくが1本、池ノ内氏が1本、屏風のようにヨコに広がるサイコの岩場のもっとも西の端に、新ルート完成のためのボルトを打つという胸おどる日なのである。湖は銀色に輝き、そびえる巨大火山は反逆光の美しいシルエットをひろげている。さきほども申し上げましたが、すでに先週のうちに仮想のラインは考えられていて、コケなども落とされ、金ブラシとハンマーで、指や手に危害を与えそうな粒子やもろい岩角などは処理されていて、あとはボルト打つばかりの状態。サイコのもっとも西端にあるこの新エリアは、本日、われわれの到着をいまや遅しと待っていたのである。
ドリルやボルト、ハンマー、そのほかいろいろを身につけて仮想ルートの最上部へ登る。ロープにぶらさがりながら、ドリルで岩を穿ち、ボルトを入れて、レンチで締める。錆びとめをほどこしたボルトが灰色系稀褐色の岩場に銀色の星のようにキラリと輝く。岩壁のすぐとなりでは作業用の革手袋をはめた池ノ内氏がもう一本のロープにぶら下がりながら金ブラシで岩を磨くことに余念がない。声をかけるが返事がない。金ブラシ作業に全身全霊で没頭しているのだ。けっこう変わっている人かもしれない。
ロープ伝いに下りながらたちまち7本のボルトを取り付けた。新ルート完成。
ドリルを池ノ内氏に手渡し、こんどは彼がとなりの仮想ルートにボルトを打つ番だ。再び最上部に登り返し、同じようにドリルで穴をあけボルトを埋め込んでいく。
ぼくは折りたたみのノコギリとカマを出して登り口付近のヤブやら草などを刈り込んで、整理し、あまつさえ整地まで始める。
電動式ハンマードリルの機械的な轟音が岩肌にこだましている。池ノ内氏もまたたくまに4本ボルトをとりつけたようだ。見上げると5本目の穴をあけようとしている。そのときドリルが急にか弱い声に変わる。
「ちっ。バッテリー切れだ」岩場を足蹴にして悔しがる池ノ内氏。あと2本で新ルート完成だというのに。一度小屋に戻って充電しないかぎりドリルはもう動かない。
岩場で地団駄する池ノ内氏に言う。
「ま、しょうがない。残りの2つのボルトはまた次回」
しばらく休憩とする。クロは山が好きだ。あちこちくんくん鼻をならしながら散歩している。ケダモノの匂いがするのだろう。チーズと水をあげると、こんどはごろりとヨコになって昼寝を始めてしまった。全山錦秋、落葉して明るくなった森の中へは日が差し込んで下草の紅葉はいっそう鮮やかだ。
今日始めにぼくが作ったルートを登ることにする。ボルトが打たれたから安全に登ることができる。ロープをハーネスにつけてまず僕がトライ。安全は確保されているとはいえ、ボルトより上部で落ちればそれなりの距離を墜落するわけだから慎重に行く。池ノ内氏は下でロープを握りぼくの動きに合わせてロープを繰り出している。
「……」
「……」
二人とも声はない。
いくつかの手がかりや足がかりはボルトを打つ時に確かめてあるから、その点安心だ。難しいと思われるところの動きはその時に研究もしてある。
下からみるとカンタンに見えたところが意外とむずかしい。ぼくをロープで安全確保確保している池ノ内氏が両足の間から小さくみえる。

足が震えるような難しいところが2箇所ほどあった。なんとか墜落せずに5本目のボルトを越えると、見上げているはずの池ノ内氏は岩の下で見えなくなった。
息があがっている。最後のボルトにロープをかけると急に傾斜がおちて、あとはカンタンに終了点に到着した。
一息ついて振り返ると富士山が大きい。湖には小さなボートがなん十も浮かんでいる。へらぶな釣りの舟のようだ。
ロープ伝いにするすると下る。
「やったね。オメデトウ」池ノ内氏がうれしそうだ。
つぎは池ノ内氏が登る番。
ロープをハーネスに結びつけながら聞いてくる。
「グレードは?」
グレードは難しさのことで、5から,15まである。15が現在世界でいちばん難しいクライミングルートのグレードである。この数字は世界で通用する基準なのである。
「10くらいかな」ぼくが答える。
池ノ内氏がぼくよりもあきらかに慎重に登りはじめる。慎重だが迷いはない。ゆっくり確実の登っていく。ボルトに正確にロープをかけながら登っていく姿に見ているほうも安心感がわいてくる。
さすが永年世界のあちこちでクライミングを経験してきたエキスパート。核心の部分をあっさり越えて姿が見えなくなった。しばらくして「オーケー、登ったよ」の声が頭上から聞こえてきた。
池ノ内氏が再びロープにすがってするすると降りてくる。
息を弾ませることもなくニコニコ顔で言う。
「グレードは10だね。いいルートだよ。名前はなんて付けるの?」
まだ考えてない。「こんどまとめて考えようよ」と答える。
日が傾いてきた、湖が金色に輝き始めている。急に冷えこんできた。今朝、水道管にヒーターをまいたのは正解だった。
店じまいの荷物をまとめながら池ノ内氏がいう。
「もう一回だね」
バッテリー切れでまだ2つのボルトが打たれていない。来週もまたここで仕事しなければ。
「さっき観察していたら岩場のもっと西端にもまだルートが作れるみたいだ」もう仮想ルートを考えているらしい。再来週の仕事もありそうだ。
それにしても、池ノ内氏は都会ではどんな仕事をしているのだろうか。なにしろ、ここ1.2ヶ月というもの週末という週末はこの岩場で過ごしているのだから。彼の仕事はともかく、クライミングルートを作るということが大好きな人であることは間違いないようだ。クライミングルートを作る仕事はもちろん一銭にもならない奉仕のような仕事なのだから。時間とボルトなどすべて自己負担。好きでなければできない土方仕事である。好きだとはいえ、先先週など、ボルト打ちの最中、つかまっていた枯れ木が折れて数メートルでんぐりかえって墜落するハプニングまであったのだ。ルート作りは命がけなのである。池ノ内氏はやはりちょと変人かもしれない。
古いロッククライミングゲレンデ、サイコ。クライマーが訪れることもまれな忘れられたゲレンデ。新しいルートが作られることによって、またクライマーが少しずつやってくるのかもしれない。
あたりが暗くなってきた。クロがしきりに帰りたがっている。秋の夕暮れはつるべおとし。突然ひらめいた。そうだ、今朝かた、頭を悩ませた畑のいじけたダイコンは明日にでも収穫してタクアン漬けとしよう。名案に満足して暗くなりはじめた急な山道をかけおりた。


サイコ7
11月4日
いけのうち きしゃ くろ
昨日は駐車場までやってきたら雨になった。
駐車場の周辺はオートキャンプ場と別荘地になって
いる。サイコ一周のドライブをして帰荘。おそらく駐車
場のあたりは根場という集落だったようだ。小学校の跡地をさが
すがいまいち判然としない。古い石垣の上にたつあたらしめの別荘が不
釣合いに見える。今根場というのは、対岸の西湖民宿村となっているところ
を言うらしい。46年の水害で集落の名前ごと引越ししたらしい。民宿村ははたし
てそのような立地のところにあった。区画整理された敷地に民宿がずらりと並んでいる
。古い土着の民家というものは一切ない不思議な村である。無理やり作られていると言う感
じであった。ブリダイコンを作ってみる。かなりの味であった。ミネストローネスープが大量に
できてしまった。増量したカレースープもひとなべできてしまった。なべ長者である。

 さて昨日とはうってかわった秋日である。富士山は7合目までたっぷりと雪を積もらせた
。根雪になりそうだ。紅葉は湖畔に向かって駆け下りている。
バード10bを登ってロープをたらし、11のルートにボルト
を打ち足す。いけのうち、汽車が登ってオンサイト
。そのバリエーションルートに3本を打ち足
し一本とする。トップロープでトライし
たがここも11ありそうだ。リードし
たくないルートであった。
北北西に進路をとれの
2p目を偵察するが、
ルート作りはたいへん
そうだ。また次回考え
よう。
ルートが作れそうな所
はおおむね作ってしま
ったということか。

サイコ8
11月11日
金森 柏 いけのうち きしゃ くろ 

快晴。前日の雨で富士山4合目まで真っ白。秋空に純白の化粧が映える。
西湖自転車レース開催とかで時差的通行止めがあり、それでも11時過ぎに
は岩場にいた。地元山岳会の救助訓練が開催されていて十数人がいた。ウイ
ンチまで設置している。
未登の緑の森エリアのアルパインルートの2pを登る。前回のぼった1pと
あわせるとリッパなルートである。正面スラブの5.8を登る。5.10といって
もおかしくない。
金森夫妻はヒッチコック10bなど数本を登る。
夕方、未登の岩塔2pを登る。1pはエプロンで、2pは40メートル。交
互に登る。もろい岩壁でヒヤヒヤのアルパインルートだった。
夜は、5.13鍋とチキンクリームシチューで夕食をとりました。


サイコ9
11月16日
いけのうち きしゃ くろ かとう

小淵沢のactメンバーのかとうさんがやってきた。先週は足元まできて岩場を発見できず
合流できなかった経緯がある。
小屋の朝はマイナス5度まで下がった。秋色は湖畔にまでやってきた。晩秋である。
昼から森の緑のアルパインの左の直登ルートを整備する。
トップロープで登ってみる。出だしのハングはガバがあって容易。中間部は快適。最後の
フェイスが強敵。フェイスはコケもあって大掃除しないといけない。終了点を2段階にする
とよいかもしれない。下部は10a,フェイスは10cはありそうだ。
夜は、イタリアンでワインがおいしい。

11月20日?
ちゅう、けんじ
全部は登れなかったけど、感想などを書きます。

・アプローチ
けんじさんが来てくれました。Pから屋根岩みたいに全貌が見えて、思っ
ていたよりもでっかいので驚きました。
Pから30分強かかりました。最後の堰堤からの登りは、落ち葉が滑って
結構シンドイですが、fixロープでずいぶん助かりました。

・取り付き
割と安定していて、いいです。景色抜群。日当たり最高。申し分ないです。

・ルート
3つの壁をそれぞれ登りましたが、全体的に低レベルグレードほど辛目に
感じました。
一般にグレーディングは、要素が整理されていませんし、クライマー間で
の明示的なコンセプトもありません。
ゆ~じがクリプトナイトをRPしたとき、14dはないということを云い
ました。
彼でさえも、そのときの主観で一過的にグレーディングするわけですから
、公平な評価はかくも難しいのだは思います。
でもスポーツルートの開拓者は、今後取り付くクライマーのレベルについ
て充分に注意深い必要があると、僕は思います。
だって、危ないですから。

以下、登ったルートごとのコメントです。右の方から。

①ノーマンベイツ10c・・・1ポイントのみ。限定は気になりません
でした。
②アンソニーホプキンス7・・・おもしろいです。、5.8に感じまし
た。5.9でも文句ないです。
③ジャネットリー8・・・とってもおもしろい!! 5.9に感じまし
た。10aとしても文句ないです。出だしにもう一本ボルトがあっても
良い
と思いました。
④サイコ9・・・ルート名通り、異常に怖いルートでした。けんじさん
には薦められませんでした。ボルトをもう3本ほど足して欲しい気がしま
す。グレードは5.9なのかもしれませんが、修正が恐ろしくて、10
aを感じました。壁が思いっきり寝てますので、どのクリップに失敗して
も、ロングフォールになってただごとではすまない気がします。
⑤ヒッチコック10b・・・とってもおもしろい!!ここのところ甲信
の岩場へばかり行ってますが、それらの水準と比較してもこのルートは
抜群
に高品質です。けんじさんがぎりぎりでOSしたことからも適正グレー
ドだと思いました。発表されれば人気ルートになりますね。
⑥ダイヤルMを廻せ11a・・・パワフルでおもしろい。適正グレード
だと思いました。
⑦引き裂かれたカーテン11b・・・チンケ(ごめん!)ですけど、見
た目よりもおもしろかったです。レイバックに入るときにもう一本ボル
トが
欲しいなあ、って思いました。あれで落ちると、下の寝たところにたた
きつけられますね。上に立ちこんだあとの微妙なムーブが核心だと思い
ます
が、これはどっかの11bとそっくりでした。従って適正グレードかと
思います。

※一応⑦だけ1テンで、あとは全部OSできました。
左の壁は結構掃除も大変だったのじゃないですか? 大変な労力だった
ろうと思います。ごくろうさまでした。
まだまだ開拓の余地もありそうで、楽しみです。僕にもお手伝いさせて
ください。

9.06.2001

坊抱き岩

坊抱き岩
蜂がいたた

。。。
送信者 : "丸山直樹&明子" 
送信日時 : 2001年9月6日 11:01
>  昨日、直樹の友人に連れられて坊抱岩に行って来やした。
> 標高1,000m程なので、まだまだ登れるんじゃないかな。
> ただ、大きなスズメ蜂の巣があって、ブンブン飛び回っているのが
問題。
> 上山田温泉街から車で5~10分程。後は取り付きまで、歩いて1
5分ぐらい。(急登)白馬から、1時間30分ぐらいでした。
> 
> 登ったルート
> <Aボルダー>
>  ・カサブランカ ★★ 5.10b
>  ・スローダンシング ★ 5.10a
>  ・レインワルツ 5.9  
> <Bボルダー北面>
>  ・湯の街旅情  5.7 ★
> <Eボルダー>
>  オー・ルージュ 5.10a ★★★
> 
> 今回は初めてのエリアだったので、師匠の教えに習って、★の付
いているのを選んで
> 登りました。私的に判断すると、グレードは妥当だったと思いま
す。
> でも連れて行ってくれた直樹の友人(ヨシノ君)によると、<ツ
タエリア>や<イワタケエリア>は辛目だと言っていました。
> 全体的に薄っかぶりで、ホールドは角張っているんだけど外傾ぎ
み、パワーの要るルートが多いです。
> 特に昨日登ったルートは、殆ど出だしがかぶっていたので、力使
いました。
> 今年は外で3日しか登っていません。やっぱ体が強ばっちゃって
上手く体を使えませんでした。

9.05.2001

有笠山

有笠山
総員もち高し
 
9月5日(水) メンバー 石寺 他REIスタッフ 冶部、上田、阿部 計4名

前日から雨で、場所の変更も考えたが、前夜泊でとりあえず行ってみることにする。
21:00にREIを出て、0:30頃到着。途中かなり迷う。 

西口登山道の入口でキャンプ。翌朝7時起床、全員モチベーションが高い。
偵察にいった仲間が、前傾壁は乾いていると言うので、サンダンスエリア
に行く。アプローチは良く、10分くらい。 

広い広場に圧巻の前傾壁。 右奥の手ごろなルートは濡れており、左端の
苔の庭 10Bから始める。 何とかオンサイト。言われるがままに、二つ星
大地讃唱11bにトライ。核心のホールドが濡れており、2本目のボルトで敗退。
クライミングスタッフの阿部さんが大地讃唱、Please jam me. 11Cをオンサイト。
 
昼食後、古谷ロックに移動。わずか2分で着く。 ここも小さいがすばらしいエリア
で、岩場から里山の風景が美しい四万温泉が一望できる。 三ツ星、夢の浮橋
11Aをトライ。皆に励まされて、とにかくルートを抜ける。 クタクタ。
REIクライミングスタッフがいる今回の有笠山はとにかく、上まで登るという暗黙の
決まりがあり楽しい。

その後、西口駐車場に戻り、大休止。 フロントウォールと偏屈岩に向かう。
西口から5分くらい。 ここも楽しそうなエリアだが前傾壁以外はずぶ濡れ。 
ねずみ返し 10B、リスのえさ箱10C、ハッピーマンデー 10Bを皆で登る。
ねずみ返しをOS、ハッピーマンデーをREDしたが、ルートによってグレードは辛い。
 

結果よりも、モチベーションの高い仲間と登れて、すがすがしく家に帰えれた。

帰りは、吾妻温泉に入り、大衆食堂でソースカツ丼大盛りを食して帰りました。
石塚さんの縄張り群馬県の岩場なので、お子様が誕生する前にいっしょに行きましょ
うね。

今回自分が取り付いたル-ト

苔の庭 10B  OS  
大地讃唱 11b  
夢の浮橋 11A 
ねずみ返し 10B RP
ハッピーマンデー 10B RP

石寺

9.01.2001

北アルプス全山縦走

北アルプス全山縦走
台風が来た

。。。
8月31日~9月10日
石塚竜夫

8月31日 横浜 > 上高地

上高地への夜行直行バスの予約が取れた。これで一安心。横浜SOGOの第一駐車場が見
つからずに焦るが、何とか間に合った。車中はちょっと寒かったが、少しでも睡眠を
取れるようにウトウトする。

9月1日 上高地 > 涸沢 (テント泊)
7:00上高地 > 8:00明神 > 9:00徳沢 > 10:00横尾 > 13:30涸沢

 6:00上高地着。焼岳に行こうか迷ったが、今回はパス。良く考えたら日程に余裕
がない。焼岳からの稜線歩きも不安。アークボラ65が満杯で35キロから40キロくらい
の重量。入りきらない食料はスタッフバッグに入れ、トップリッドにストラップで固
定した。
 最初はハーネスが肩に食いこんでツライが、バックレングスを最大にしたら良く
なった。おれって胴長なんだなぁと、しみじみ思う。
 荷物は重いが、ほぼコースタイムどおりに歩けて一安心。横尾のキャンプサイト
は、芝生が綺麗で泊まりたい気持ちが高まるが通過。槍に向かう人多く、涸沢はテン
トも数えられる程度しかなかった。ガレたテントサイトにペグがなかなか効かなく
て、非自立式のテントはこんなとき辛い。
 14時ころからウトウトして、16:30に改めてテント受付。受付の兄ちゃんの、「が
んばってください」の声が嬉しかった。でも、スタートしたばかりなんだけどねぇ…
 涸沢小屋は清潔で、スタッフも親切。今度はニョーボを連れて来たいなぁ。生ビー
ルが格別に美味い。生800円、テント500円

9月2日 涸沢 > 奥穂高岳 > 北穂高岳 (小屋泊・素泊まり)
7:00涸沢 > 10:45奥穂高岳 > 11:30白出のコル > 14:50北穂高岳

 寒い。MTSのタイツを忘れたのだ。あれがあれば、暖かく眠れたのに…なんで忘れ
たのだろう?(後で、タイツの代わりに着替えのトレッキング用パンツを選んだこと
を思い出す。眠るときは重ね着、下山してからの着替え用としてタイツの代わりにこ
ちらを選んだのだ)
 4:00ごろ目覚めてしまうが、ウトウトしつつ涸沢を7:00に出発。だいたいコース
タイムどおりに10:15ごろ穂高小屋到着。ザックをデポし、トップリッドをウェスト
パックにして奥穂高岳に向かう。11:00ごろ頂上着。途中からジャンダルムが綺麗に
見える。槍も見え、行く先が…やや思い悩まれる。
 11:30に穂高小屋に戻り、北穂に向かう。弘前大の学生に、「これから北穂です
か?がんばってください」と、意味ありげに励ましてもらう。理由に気付いたのは涸
沢岳。垂直の鎖が下がっている。10m~12m… マジかよと思う。ストックをしまい、
ザックのストラップを締め直す。落ちたらおしまいだ…
 一歩一歩スタンスを確認し、チムニーをステミングで下る。ホールドもいまいち信
用できず、ニョーボの顔が目に浮かぶ。「こんなところで死んだらシャレにならな
い!」と思いつつもザックは岩にとられ気持ちは焦ってくる。切りぬけたと思った
ら、短いトラバースがあり、また垂直のクサリ…クライミングやっていて良かったと
思う。35kg背負ってのクライムダウンだ。
 ホールドが豊富なのは助かるが、どれも信用できない。ちょっと持っただけならOK
でも、荷重をかけると動き出す。荷物と体重で100kg近くになっているのだ。その後
も馬の背状あり、トラバースありで北穂には14:50ごろ到着。天候も崩れてきた。テ
ン場は南稜にあり、風雨の影響を受けやすい。装備を考えて小屋泊。営業小屋に泊ま
るのは、良く考えたらこれが初めての経験だ。今まではテント、雪洞、そして避難小
屋しか使ったことが無い。
 小屋泊は嫌だ(後日、針の木でかなり印象は良くなったが)。せまいスペース、蚕
棚に詰めこまれ湿った蒲団に寝る。沢山の中高年が、お互いになぜかライバル意識を
出して会話する。素泊まりで5,500円ナリ。こんな山行をしていたら、金がいくら
あっても足りないが、あきらめることとする。
 翌日の降水予報は午前50%、午後70%。南岳への大キレットはさらに危険度満点との
こと。しかもそれが連続する。どうしようか迷いに迷う。結局4:00に起きて天候次第
と決める。悪天であれば横尾に戻って槍沢を登り返す。無理は禁物だ。

9月3日 北穂小屋 > 横尾 > ババ平キャンプ場
5:30北穂発 > 7:30涸沢 > 10:00横尾 > 1:30槍沢ロッジ > 2:30 ババ
平

 4:00起床。天気は相変わらず。別パーティーの3人組は、霧雨・ガスの中を突いて
南岳に向かう。それを見ていて心は揺れ動いたが、冷静になるように努める。小雨の
中、涸沢に向けて出発。槍沢ロッジまで順調に進み、ニョーボと会社に電話で報告す
る。
 横尾からは薄日がちらつく。寂しいような気持ちを覚えて、良く考えてみると「も
う本当の意味でのソロ山行ができなくなった」と考えていることに気がついた。俺も
大人になったもんだ。
ロッジで受付をして、テン泊していると雨。シュイナードは健闘しているがやはり雨
は漏ってくる。まぁ仕方ない。下地の水はけが良いのが救いと考えよう(この時点で
は…)。明日はいよいよ槍、そして双六まで足を伸ばす予定。身体を清水で拭いたら
気持ち良い!今夜は快適に眠ることができそうだ。
 明日も目標は4:00起き。体重が減っているのをやや実感し始める。3kgくらいは
減ったのかもしれない。ウェスト横のダブツキが無くなったように思う。
 なんと夜半より豪雨となる。0:00から1:00頃には雷も激しく鳴り、一本ポールの
シュイナードの自分は、だんだんとドキドキしはじめる。これは避雷針じゃない
ぞ、、、早くどこかへ行ってくれ!雨漏りも、、、すごい。すべてがグショグショに
なりつつある。装備はすべてバックパックカバーを流用した巾着袋に突っ込む。ビ
ビーサックは無事だが地面を雨が流れはじめて、水路作りに追われる。

9月4日 ババ平 > 槍ケ岳 > 双六小屋 (テン泊)
6:00ババ平 > 7:00大曲 > 10:00槍岳山荘 > 10:30槍山頂 > 12:00千丈
沢乗越
> 15:00樅沢岳 > 16:00双六小屋

 4:00起床。雨の翌日の撤収には時間がかかる。6:00に出発。ほぼコースタイム通り
に槍の肩に到着。槍沢ヒュッテの少し下で日本猿の群れを見かける。ヒュッテから先
の登りがキツカッタ。肩の小屋では、取り壊しの準備が進んでいた。槍へは10:30頃
登るが展望はまったくなし。証拠写真のみ撮って、下山しようとする。そういえば、
と思って新田次郎の小説で想像を巡らせた北鎌尾根を覗く。うーん。夏ならまだし
も、冬季にこんなところを登るとは…想像を絶する世界に思いを巡らせる。
 11:00に肩を出発し、西鎌尾根へ。千丈沢乗越までは順調だが、それからが長かっ
た。ガスで視界が悪く、どれが樅沢岳なのかまったくわからずにいくつものピークを
延々と越えていく。本当の樅沢岳を登るときにはヘトヘトになっていた。双六小屋へ
は、コースタイムをややオーバーして入る。ハードな鎖場はなかったが、距離が長
かった。今日も小雨。
 今後の日程をチェックすると、予備日が無いことに気付く。穂高への2日間。それ
から横尾まで戻ったことで、親不知到着が16日になってしまう。明日からペースをあ
げて、本来の日程に近づけるか…それとも朝日岳までを目標とするか… やるだけ
やってみよう。昨日の夜、槍で聞いた話では台風が2つも接近しているそうだ。最悪
の場合は、白馬から下山するなどの対応も考えなければならない。

9月5日 双六小屋 > 鷲羽山 > 野口五郎岳 > 烏帽子小屋
5:40テン場 > 8:30三俣山荘 > 9:50鷲羽山 > 11:00赤岳(水晶小屋)
> 14:30野口五郎岳 > 14:50野口五郎小屋 > 4:00三ツ岳 > 4:45烏帽子小
屋

 小雨の中、撤収。昨日よりも早く起き、5:40に出発。今日は水晶小屋まで、できれ
ば野口五郎小屋まで行きたい。もし、烏帽子小屋まで行ければ遅れを取り戻すことが
できる。早起き、早起き…
 双六と三俣蓮華は、今回はあきらめて巻き道を通る。日程の遅れを取り戻さなけれ
ばならない。しかし、巻き道もアップダウンがあり意外と大変だ。ハイマツが茂り、
小雨で濡れた枝がパンツを濡らす。今日もレインパンツとオーバーゲイターが手放せ
ない。ブーツはすでに芯まで濡れていて、非常に不快だがしかたがない。靴下を腹に
抱えて、寝るときに着干しするのだが完全には乾かない。臭い。
鷲羽山への急登は、思ったよりも順調。久しぶりに天候が回復しつつある。鷲羽池が
キレイに見え、ガスの晴れ間から槍が時々姿を見せる。
 赤岳までも順調に足を伸ばす。水晶小屋には「北アルプスで一番小さな小屋」と看
板が。また、「労山会員の方は、宿泊受付のときに申し出てください」ともあった。
小屋番と少し会話する。「烏帽子までですか?」と聞くので、届く距離なのかと欲が
出てくる。野口五郎小屋はすでにクローズと聞く。どうするか迷う、が、とにかく
行ってみよう。
 真砂岳までが思ったよりも時間がかかる。それに、どれが東沢乗越なのか解らん。
あいかわらずのガスだが、晴れ間からの日差しが強い。今回の山行で初めて日よけ用
のパドリングハットを出す。しかし真砂岳手前でまたまた濃いガスが湧いてくる。野
口五郎岳の登りは、得意なザレた坂道となり、踏ん張りつつ登りつめる。
 野口五郎小屋は8月30日でクローズされている。時間はまだ余裕があるが、ガスの
為すでに夕方の雰囲気。毎日毎日こんな状況で、気が滅入ってくること甚だしい。一
服してから、早々に出発。三ツ岳までがとても長く感じる。相変わらず、どのピーク
が三ツ岳なのか判明しないまま登下降が続く。
 三ツ岳から先はザレ場の下りで、快調に足がでる。烏帽子小屋への最後の下りにさ
しかかる前には、烏帽子岳と南沢岳が姿を見せた。烏帽子岳は、ミニ槍ケ岳といった
たたずまい。インターネットで手に入れた山行報告を読むと、烏帽子から船窪までが
最大の課題であるとのこと。気が引きしまる。
 烏帽子小屋らしきものと(後ほどそうでないことが判明するが)ひょうたん池が姿
を見せる。なんと、ひょうたん池からテン場受付となる小屋まで標高差100mはありそ
う。やれやれ、荷物を置いて小屋まで行くかどうするかまようが、とりあえず担ぎ上
げる。小屋番は商売っけのありそうな親父。調子に乗ってビールを3本も買ってしま
うが、50円マケテくれた。
 烏帽子、南沢岳方面は、気を付けて行けば大丈夫とのこと。ちょっと拍子抜けだ。
水が1リットル200円だったので、買わずにMSRのミニ・ワークスで浄水する。まぁ
まぁ快適に2リットル以上の水をひょうたん池で作る。夕食を多めに取り、明日の朝
は行動食だけで速攻出発することとする。今日は疲れた。がんばった自分を褒めてや
りたい。

9月6日 烏帽子小屋 > 烏帽子岳 > 船窪岳 > 船窪小屋 (テン泊)
5:20烏帽子小屋テン場 > 5:45 烏帽子への分岐 > 8:30不動岳 > 11:20船
窪岳
> 1:45船窪乗越 > 3:45船窪小屋 (テン泊)

 3:50に起きる。真っ暗なので、キャンドルランタンとヘッドランプで出発準備。晴
れ、寒い。テントの内側は一部霜が付いている。久しぶりに寒くて目がさめた。裏を
返せば、朝晴れた日が久しぶりということだ。
 朝食は行動食で済ませて、手早く片付けたつもりだった。しかし、真っ暗なため手
間取り5:20出発となる。素晴らしい朝焼けと雲海。今朝はすべての荷物がザックに収
まる。今までトップリッドに縛り付けていたスタッフバッグ(食料が入っている)が
無くなり、単純に嬉しい。でも、その嬉しさを分かち合える人がいないのは寂しい
なぁ。
 ここ何日か、ニョーボのことを考えることが多い。これが終わって、「ただい
まー」と帰っても誰もいない部屋… そして耳垢掃除を自分でやらなければならない
こと… 
 仕事でいつも誰かと一緒にいると、時々無性に一人きりになりたくなる。でも、今
回の旅では、パートナーのいる素晴らしさを解ったように思う。
 今日の行程は、事前の情報どおりキビシイコースだった。「2度とやりたくない
ルート、ワースト3」を選んだら、必ず入るだろう。不動岳まではそこそこ快適だっ
た。コマクサの群落もあり、すがすがしい。いかにも人があまり入らないルート、と
いった雰囲気。高原状のトレールが続き、烏帽子山頂も花崗岩の岩塔が並びワクワク
する。四十八池(烏帽子田圃)も、趣があって「ここでキャンプしたい」と思わせる
ものがあった(もちろん禁止だが)。
 2299m峰までは良く晴れ、時々は槍方面にも晴れ間が出る。赤岳も、三ツ岳も見
え、しみじみとした余韻を感じる。ここから船窪乗越までがキビシイ。
 油断のできない崩壊した馬の背状。信用の置けないトラロープをたどり、グズグズ
に崩れる岩稜を巻いて行く。どれが船窪でどれが乗越かわからんくらい岩稜が連続し
て続く。針の木谷への分岐を過ぎてから、急にガスが巻き、雨が降り始める。思った
よりも本格的な雨となり、雨具フル装備した所で小雨に変わる…マーフィーの法則だ
な、こりゃ… 5分の急登で全身がずぶ濡れ。汗と小雨で中も外もビショビショとな
る。とっとと雨具を外し、最後の踏ん張りとするが、木の根を掴んでの急登下降が連
続。体力の消耗が激しい。
 テン場に到着してがっかり。急なはしごの真下にあり、小屋からも遠そうだ。荷物
をデポすることを考えたが、天候が悪化しつつあったのと「もしかしたら小屋から近
いところにもテン場があるかも?」という根拠の無い希望を元に担ぎ上げる。受付を
すませたが、やはりテン場はさっきのところとのこと…再度急な下降をしてテン場に
戻る。テントを張り終えたところでまたまた雨。今日も雨漏りとのやりくりが始ま
る。
 小止みになるのを見計らって水場に行くが、足場が悪く最後はロープを伝って水場
に到着する。
 水場から帰ったら雨がやんだ。なんだがアイロニカルな話だ。
とっとと飯を食って、寝る準備をする。飯を食い終わったら、またまた本格的な雨と
なる。今日もすべての物が濡れていく、あぁ。手足の爪を切って、寂しく寝る。

9月7日 船窪テン場 > 蓮華岳 > 針の木小屋 (小屋泊、夕食付き)
7:00船窪発 > 7:45七倉乗越 > 8:50北葛岳 > 9:30北葛乗越 > 12:00蓮
華岳
> 12:45針の木小屋

 今日は寝坊を決め込み5:00起床。スリリングな水場で給水し、7:00出発。行程が短
いので、のんびり休み気分で歩こうと思っていたが…あてが外れる。北葛への細かい
アップダウンで少々バテ気味。
 蓮華岳は中腹まで蓮華の大下りを登る。岩場の登行が続く。鎖とハシゴが連続し、
神経を使うルートだ。ガスが濃いが、雨でないだけましと自分に言い聞る。下方には
雲海。
 岩場が終わったところで(不幸中の幸い)雨模様となる。少々我慢したが、風雨が
どんどん強まり、今日も雨具で完全装備。蓮華山頂は風雨とガス。写真も撮らずに下
る。針の木小屋までの間で、雨脚がさらに強くなり全身ずぶ濡れ。コマクサの群落も
たくさんあったが、雨の為撮影ができなかった。雨具の撥水加工も限界となっていて
まったく水を弾かない。今日は小屋泊とする。到着は12:30。時間には余裕がある
が、横殴りの雨。
 小屋は清潔で、広々している。休憩室は畳敷きで、石油ストーブが燃えている。そ
れに!なんと!乾燥室なんてものがあった。涙がでるくらい嬉しかった。乾燥室のス
トーブに火を入れてもらい、装備を乾かすこととする。しばらくずーーーっとビショ
ビショだったブーツも、少しは乾燥させることができる。
 夕食も頼んだ。久しぶりにきちんと炊いた飯が食えると思うととても楽しみであ
る。
 外は雨風がさらに強くなり、小屋泊にして良かったとしみじみ思う。夕飯は大当た
り。3杯お代わりをする。分厚いポークソテー、ポテトとコンビーフの炒めもの、ア
ジフライ、、、旨くて泣けそうだ。ただ…小屋泊が続くと資金が持たない。明日は種
池にてテン泊だが、天候はビミョーなところだ。
 今日は雨の中歩きながらいろいろ考えた。転職活動のことや、ニョーボと、ニョー
ボの腹の中にいる子供の事。こうしているとき、会社がどうなっているかは、もうど
うでも良くなってきた。周囲のスタッフのことは気にかかる。一緒に仕事をしてきた
仲間であるし…でも、会社の持つ輝きは、すでに自分の中では失せつつある。
 夕方から天候は回復しはじめた。槍も見え、少し希望が見えてきた。親不知からの
縦走者が小屋に到着した。30歳。佐藤さん。N社の社員で、感じのいい人だ。N社もリ
ストラで出向辞令が出ることになっているそうだ。いろいろと情報交換をして、互い
に勇気付けあう。

9月8日 針の木小屋 > 針ノ木岳 > 爺ガ岳 > 冷池山荘(テン泊)
5:20針の木出発 > 6:20針ノ木岳 > 7:20スバリ岳 > 9:00赤沢岳 > 
10:00鳴沢岳
> 11:00岩小屋沢岳 > 1:15種池山荘 > 2:15爺ガ岳(北峰) > 3:30冷池
山荘

 せっかくの小屋泊、撤収が楽なのを利用して5:20出発。日の出が5:20なので、日の
出と同時に出発とする。朝焼けが素晴らしい。槍も、富士山も、浅間も見えた。
 噴煙を上げる浅間を西から見るのは初めての経験だ。旧友の違った姿を見たよう
で、なんだか嬉しい。台風を考えて、針の木からの撤退も考えたのが嘘のように晴れ
ている。しかし下界は相変わらずの雲海。針の木岳のピークを過ぎた頃から、この雲
がどんどん上昇してきた。
 濃いガスは新越(シンコシ)山荘まで続く。ここからガスは晴れ、岩小屋沢岳を過
ぎた頃から半袖・半ズボンとなる。風は相変わらず強いが、日差しが強く心地よい。
種池山荘に着くころには、すっかり晴れた。
 今日はやけにすれ違う人が多いと思ったら週末だった。団体のパーティーも多い。
 爺ガ岳がすっきりキレイに見える。南峰からまたガス。冷池(つべたいけ)山荘に
着く頃には、雨の心配をしなければならなくなる。これまで山荘に着くたびに、公衆
電話をチェックするがどこにも無い。ニョーボの声も聞きたいし、これだけ天候が不
安定だと向こうも心配していると思う。
 タバコもそろそろ厳しくなってきたが、これも販売していない。今日のキャンプ地
は山の斜面。できるだけ風の影響が無さそうな下部にテントを張る。水は1リットル
150円。明日の希望的な予定では、鹿島槍を超え、五竜岳を超えて五竜山荘にてテン
泊。行動時間は10時間の予定。荷物も軽くなってきたので体力的には楽になりつつあ
る。日程的にも、遅れを大分取り戻すことができそうだ。というよりも、遅くなった
ら金が足りなくなってしまう。がんばろう。ニョーボの事と、台風だけがちょっと気
がかり。

9月9日 冷池 > 鹿島槍ガ岳 > 八峰キレット > 五竜山荘(素泊まり)
6:00冷池 > 7:10布引岳 > 8:00鹿島槍ガ岳 > 10:00キレット小屋
> 11:00口ノ沢のコル > 1:20五竜岳 > 2:15五竜山荘(素泊まり)

 夕べは風が強く、テントが一晩中暴れていた。テントが飛ばされたり、修復が不可
能なくらい破れてしまったら山行が成り立たなくなってしまう。不安で良く眠ること
ができない。雨も3~4回降る。相変わらず雨漏りはするが、仕方ないとあきらめる。
テントの下部は、ほとんど地面と水平なので、雨が垂直に当たる。よって、この部分
の雨漏りがひどい。夕べは2回ほどペグの固定をやりなおし、少しでも雨をハジキ流
すようにした。もちろん風対策ともからめて… 荷物が少なくなったので、ヌレ対策
については多少楽になった。
 キャンドルランタンの灯りの下で出発準備。5:45に鹿島槍に向かって歩き出す。濃
いガスと強い横風を受けている。100人の団体さんが先行していて、追いぬくのに
ちょっと大変だった。この風雨の中を良くやるよ… 見てみると、コンビニのビニー
ル袋を小脇に抱えている人や、ビニールポンチョを着ている人もいる。大丈夫なのだ
ろうか。
 布引山の手前で、雨具を完全装備。団体さんに追いつかれたが、「ここから稜線上
にでるから、上下とも雨具を着けたほうがいいですよ」とアドバイス。目論見どおり
団体さんはそこでストップして、バタバタと雨対策をやりだす。そのスキに先を進
む。
 ガスの中登っていくと、何の変哲もないピークが槍だった。頂上では5~6人の団体
さんが3組くらい記念撮影をしていたが、早々に先に進む。キレットを見渡すが、ガ
スで何も見えない。キレット小屋を通過して、進むのはリスキーかもしれない。だ
が、鎖もしっかりしているとのことだから、何とかなるだろう。いきなりの急下降に
ちょっとビビルが、行くことにする。北峰分岐を通過し、キレット小屋の手前で本格
的な鎖場、ハシゴが現れる。ただ、八峰キレットは鎖もしっかりしており、あまり怖
さを感じない。岩場が滑るのが、神経を使うくらいだ。
 キレット小屋では、横殴りの雨となり、雨宿りをさせてもらう。公衆電話は無し。
タバコは販売していた。なけなしのショートホープは、雨でビショビショだったの
で、やむを得ず捨て、マルボロを2箱補給する。
 きれいな自炊部屋で、小屋番も感じが良い。ここで素泊まり…と思ったが、小屋番
の兄ちゃんから天気図を見せられてがっかり。台風15号と16号が2つも近づいてい
る。特に15号はまだ本州から遠いのにも関わらず、山岳への影響が大きいタイプのよ
うだ。キレットにはエスケープルートが無い。もし、ここで3泊停滞したら、資金も
アウト。
 台風は11日に上陸する可能性が強く、明日になればさらに天候が悪化する模様。
ニョーボも心配しているだろうから、五竜まで抜けて電話をしてあげたい気持ちも
あった。五竜への登山道は、キレットよりも困難だが、鎖やハシゴはしっかりしてい
るとのこと。登山道はほとんど稜線の西側に付いており、東風が吹いている今のうち
に五竜まで抜けたほうがいいとも判断した。向かうことにする。
カーボショッツを、岩陰で食べながら五竜へ。最後の急登と鎖場が厳しい。山頂直下
は、登山道が沢のような流れになっており、落石も起こりやすい状況。緊張しながら
進む。コースタイムをオーバーしながら五竜の山頂に立つ。強風とガス、横殴りの雨
の中視界は無い。下山を開始する。
 下りにも何箇所か神経を使う鎖場。ゆっくり、ゆっくり登山道を辿る。
 五竜山荘には14:15到着。こんな天候でも、遠見尾根を登ってくる人がいた。テン
ト泊をする人も3名ほど見かけた。稜線の西側にテン場はあるから、大丈夫なのだろ
うが、、、がんばるなぁ。
 乾燥室に荷物をぶち込む。やはり台風はこちらに向かっているようだ。風も雨もど
んどん強くなっていく。ここまで来て残念だが、明日遠見尾根を経由して五竜遠見ス
キー場に下山することを決めた。 下山を決断したら気が楽になって、ビールとコッ
プ酒を買ってしまう。

ビーフジャーキーを齧りながらビールを飲んでいるうちに、
「一度下山してから、鑓温泉に向かい、そこから白馬に上がって続行しようか?」と
か、
「まず電車で親不知に抜けて、台風の影響が比較的少なそうな逆ルートで五竜までつ
なげようか?」
なんて案も浮かんでは消える。

ビールを飲みながら地図を見ながら検討を続ける。往生際が悪いこと甚だしい。
 やはり日程的に厳しいようだ。足の速い台風ならまだしも、今回の台風はゆっくり
近づいてきて、山への影響が大きいタイプなのだから。休暇を1日延長することを考
えている自分に気付くが、それを始めたらきりが無いだろう。今までの行程で、歩く
のが嫌になったこともあった。靴が壊れたり、テントが破れたりしたら「下山やむな
し」という言い訳になるなぁとも考えたことがあった。でも、ここまで来ると、そん
な気持ちはまったく無い。

下山したらやりたいことをリストにしてみる。
1: ニョーボに会いに、気仙沼まで行く
2: 温泉でアカを落とす (できれば角質層を柔らかくする硫黄泉…)
3: 耳垢をほじる
4: 選択する
5: 防水完璧のテントでオートキャンプにでかけ、温泉・焚き火・読書三昧。
6: 週刊文春を読み、定価のビールを浴びるように飲んで酔っ払う
7: 小川山でクライミング
やれやれ… 翌日の出発準備を済ませ、適当に眠る。

9月10日 五竜山荘 > 白岳 > 大遠見山 > 五竜とおみスキー場
7:00五竜山荘 > 7:30白岳 > 9:00大遠見山 > 10:00中遠見山 > 11:00地
蔵ノ頭
> 11:15アルプス平駅

 不本意ながら、最終日。今日も朝から強烈な風雨。山荘に泊まっている他の人は全
員停滞のようだ。相変わらず東風が強烈に吹き荒れる。自炊場の壁や天井からは雨漏
りがしている。7時ごろ身支度を整えて山荘の正面口に行く。
 遠見尾根の入り口を地図で確認すると、白岳を越えて行くことになる。山荘のス
タッフに確認すると、頂上直下から遠見尾根に入るまでは東風がまともにあたるとの
こと。「無理だと思ったら、引き返して来てくださいね」と、励まし?の言葉をかけ
てもらう。
 ザックカバーが風で吹き飛ばされないように、細引きで上からグルグル巻にして出
発。山荘入り口を出た瞬間、ヤッケのあらゆる隙間から雨が進入してくるのが判る。
顔をそむけて西側を見ると、稜線下にテントが3張りある。根性ありますなぁ。
 白岳への登りは、右下からの風をまともに受ける。雨具のフードが顔に下がってく
るのを避けるため、つば付きのキャップをかぶっているのだが役に立たない。つばの
裏側に叩きつけるように雨が吹き上げてくる。右目が開けられない。開けるとあっと
いう間にコンタクトが叩き出されてしまいそうになる。ぼやけた視界の中で白岳の山
頂に到着。ここで迷うわけにはいかない。
 コンパスとマップで方向をきちんと見極める。岩陰に潜んでいないと、立っている
ことも難しいような状況だ。風に正対する方向に遠見尾根が伸びているはず。そちら
に向かって歩き出す。ストックは思いきり短くして、ダブルで耐風姿勢を取る。一歩
ずつ前進していく。西遠見山まで300m弱下降すると、ようやく風も弱くなってきた。
右からは、白岳沢がゴウゴウと流れ下る音が聞こえる。登山道も凹状のところは流れ
になっている。
中遠見山あたりまでくると、五竜遠見スキー場からのトレッキングコースとして整備
された道となってくる。風も落ち着いて、雨も小降りになる。稜線上が嘘のようだ。
 地蔵の頭を超え、テレキャビン山頂駅へと向かう。山頂駅では森隊長とニョーボに
電話で報告し、生ビールを飲んで下った。下山時のザックの重さは27kgとなってい
た。本日もずぶ濡れ。気合が残っていたら、鑓温泉に向かおうと思っていたが…おと
なしく帰京することとした。

追記: この後、神城駅に到着すると「台風で中央線が不通」「東海道新幹線は今の
ところ大丈夫だが、いつ停まるか判らない」と言われてしまう。関東地方も直撃する
おそれがあるから、名古屋まで出て新幹線で帰るのが一番確実だと助言された。アド
バイスどおりにしたがい、ひかりは座れそうになかったのでこだま号で帰路につい
た。
結局下山後に温泉に入る余裕も無くアタフタと電車に揺られることとなってしまっ
た。

秋の小川山5本

秋の小川山
紅葉が素晴らしい

。。。
 9月1日 小川山
ぴか、文さん、三浦さん、くるみざわさん、トミさん夫妻

今まで行ったことのない、リバーバンクエリアに行った(日本100岩場③P52)。
取り付きは広場になっていて、川沿いで明るい雰囲気。
小川山には珍しく、林の中ではない開けた場所でのクライミングが楽しめる。

登ったルート
1)プテラ(5.9)  クラックおよび立木を使ってよいのか?クラックの中の岩
がもろく注意!
2)秋の訪れ(5.10a) すっきりとした好ルート。上部右のカンテがもろく落
石注意。グレード甘め。
3)ナイトライス(5.10d) フェイス~スラブ。テクニカルなルートで上部の
バランスが悪い。
4)I LOVEデリヴァリー69(5.10d) ハング越えが核心だが、右から回
ると簡単になるんですけど・・・。限定ルートか?
5)チコリータ(5.10d) 見た目より簡単。川の上のカンテを登るので、見栄
えがよい。
6)ランチ(5.10d) 川の中の石から取り付く。見た目良し。でもハング越え
のムーブは見た目よりセコイ。
7)シートタイム(5.11a) 細かいホールドをつなげて登る超ショートルート。
國分さんの面目躍如ルート?

エリアは小さく、ルートの長さも短め。
我々のほかに2パーティー来ていて、人気エリアだった。
アプローチはゲート下の車道を浄化槽まで下り、その対面の踏み跡をたどる(赤
布のマークあり)。
または、ゲートのすぐ下の「しゃくなげ遊歩道」を入る。ここにも赤布あり。 

ぴか


 9月1日
メンバー ひかり、くるみさわ、みうら、丸山夫妻、くろ
いつものようにクロと1000に廻り目平の駐車場に着くと、メンバー
がそろっていた。きょうは6人。
もう初秋の気配、人出もすくなくなって落ち着いた雰囲気だ。天気は悪くない。
こんな日はここのキャンプも楽しいにちがいない。
新しいエリア、リバーバンクにいく。駐車場から10分もかからない。
河原の脇の明るいゲレンデだ。夏は少し暑いかもしれない。そのためか小屋掛
けがあった。開拓時にも使ったものだろう。ルートはわかりやすい。掃除は
徹底的にされていて足下も整備されていて開拓者たちの奮闘がわかる。岩
はすこしもろいようだ。9、10a,そして10dが4本、11もある。開拓者は有名
なその道のプロ。あちこちに新しいエリアを拓きつづける情熱には感心
してしまう。
9から始めてみんなでかわるがわる登る。エリア名のように川岸にあるから川の
中に入ってビレイするところもあって面白い。ぽかぽか陽気でなごむ。昼前
にはほかの2グループもやってきて賑やかになった。森の中と違ってなんとも
開放的な雰囲気、ルートは手軽で、講習会などで賑わうことだろう。
今日はたくさん登った。9から11までオンサイトできたルートが多かった。
詳細は森レポートにあり。自分の実力から考えてちょっと甘いグレードが混
じっているかもしれない。4時前にはおひらきとなった。車にもどるとき、
大型のヘリがやってきてサイコロ岩のあたりでケガ人らしき人を吊り上げると、
あっという間に飛んでいってしまった。駐車場で三々五々解散。この日、6人
とにぎやかだったが、言動等は温厚で大人しい6人でもあった。
昭和の強力鉄分含有深沢温泉経由ひごもんずラーメンを食べて8時ころ小屋
にもどった。

9/22(土)
小川でクライミングしました。事故もなく、久々のド・快晴、寒かったけど楽しくやりました。
メンバーは、tomi、けんじ、chu。因みに川上村の気温は9:30頃でなんと8℃しかあ
りませんでした。

1.ひょっとこ岩(私のいっちゃんきれえな水晶スラビの右側)
・精神カンテ★★10a(tomi:OS)・・・このグレードにしては、要パワー&バランス
だけど、変化に富んでいておもしろい
・オンザロード★10c(chu:OS)・・・核心は、スタンスなしの指トラバース

2.おなじみ「ソラマメ下部」
・甘食★10b(tomi:OS)
・三色すみれ★10a(tomi:OS、ケンジ:RP)
・生木が倒れたよ9(chu:OS)

3.ダンナ岩Ⅲ
・草溝直上ルート★11b(chu:OSならず、1テン)・・・う~~ん、惜しい(と、びれい
や~からホメ言葉をいただきました)
    ※パワールートで楽しいですが、核心はどっちか迷うところなので云いません。やってみて!


10/19土曜日帰り(つうか仕事ついでで)小川。
メンバー:chu、けんじさん、tomi&なおき

快晴、無風。葉っぱが落ちて岩があちこちにょきにょき。この2,3週間が一番良いような気がしますが、クライマーは殆どいません。黄や赤に染
まった林が素晴らしい、輝くような一日でした。

以下、登ったルート。(名前はOS、FLのひと)
・ごめんねえっちゃん5.10b(tom)
・ウィスキーキャット5.10a
・ハートアンドソウル5.10a/b
・タジヤンⅣ★★5.10a(なおき、けんじ)
・ピクニクラ★★★5.10b(tom)
・お掃除上手5.11a

#ピクニクラのOSは、リッパ! まさに粘りのクライミングでした。
#ずっと敬遠していた”お掃除上手”ですが、やってみたら、高品質のルートでした。残念ながら1フォールしましたが。


伊藤ちゅうです。
10/27あんまりのド・快晴で、けんじさんと、お仕事帰りに超便利という噂の瑞牆西面、カサメリ沢に思わず寄り道してしまいました。
暑くも寒くもなく、空気はからからで、条件はベストでした。

時間がないので、アプローチ7分、サニーサイドみたいな感動的下地真っ平ら取り付きの”コセロック”のみ。
ここの壁は南面、東面に開けていて、夕方でも暖かいところです。
小川よりやや低く、風の入らない地形なのか日陰でもそう寒くなかったです。

・5.10b(無名)★★
・ネコの手5.10a
・ワニワニワニ5.11b★★(chu:OS、むはは)

#スポーツエリアという謳い文句だけど、ジョシュアみたいなwildな雰囲気も濃厚。
#アプローチはとっても近い! コセロックで、金峰山荘から兄岩下部くらい。
#立派な壁がずらずら並んでいて、肝の座ってないわしらは、いちいち息を呑んでしまいやした。

8.30.2001

丹沢小川谷

丹沢小川谷
水が多かった

。。。
 8月30日(木)
 
 西丹沢 小川谷廊下(沢登り)
 
 メンバー:森、石塚 他 REIスタッフ5名 合計7名

玄倉から小川谷へ。

遡行開始 9:15
 最初堰堤を4つ下って、小川谷分岐へ。
 昨日の雨のせいか水量がいつもより多いらしい。
 ルート図通りに遡行する。
 最後の5mの滝は水流の右側を直登。
遡行修了 13:00
 下りの登山道は所々崩壊していてすべりやすい。
駐車場 14:30  

8.27.2001

北岳バットレス2チーム

北岳バットレス
ラッキーな天気だった
    photo by h.kawasaki
8月27日 北岳バットレス

1)森+石寺: 十字クラック~第四尾根
2)伊藤(文)+小俣+川崎: bガリー~第四尾根

天気予報は曇り/雨だったのにもかかわらず、結構良い天気で楽しく
クライミングで
きました。

1)の行動報告
5:45 広河原
7:15 二股
(C沢をつめると十字クラックの取りつきにダイレクトにでる。出合
いに大きく「C
沢」とペンキで書いてある)
9:00 十字クラック取りつき
 1P いきなりハードムーブ。おもわずA0。10bくらいに感じる。
 2P 1Pよりグレードは上だが、もっと簡単。ハング越えもステミ
ングで楽になっ
た。
 3P 逆層のスラブ。ピンがすくなくて怖い。
 そのあとのガレ場が超ヤバイ。50cmくらい岩がずれて肝を冷やす。
11:00 十字クラック終了
11:30 第四尾根取りつき
 ほぼルート図通り。取りつきには大きく赤ペンキで「4」と書いてある。
 ガスの中の登攀だったが、迷うことはなし。
14:00 第四尾根終了
14:30 北岳山頂
15:00 八本歯のコル
17:10 広河原
 長丁場だったので疲れましたです。







photo by h.kawasaki 
8月28日 メンバー おまた 川崎 汽車 森光 石寺 日本列島上に帯のように雨雲域がかかっていて、秋の気配なのだそうだ。
前日、小屋に集まったおまた、川崎と、これではとても標高3000メートルの
岩のぼりは無理だね、ということで宴会ムードに入ろうかというときに、森光か
ら電話が鳴った。行くんでしょうね、の一言で、ま、一応行ってみるか、と朝令
暮改。夜の9時には広河原に3人はいた。宴会の場所が変わっただけで酒を飲む
のは同じ。空には黒雲が流れているが雨ではない。深夜後発の森、石寺到着。

5時起床、空を眺めると青空。あろうことか北岳バットレスまでよく見える。5
45に歩き出して、十字クラックを登る森、石寺と別れc沢に入り大滝下に8時
過ぎにはついた。

830にクライミングスタート。ガスがときどき流れるが、岩
は乾いていて、他にクライマーもいない。とんとん拍子で登ってマッチ箱のあた
りまで登ると、下から聞き覚えのある声が。後ろから森、石寺が登ってくるよう
だ。大樺沢の雪渓が豊富に残っていて、見下ろすと真夏のよう。月曜日のうえに
天気予報が悪かったからバットレスにはぼくら5人しかいないようだ。

終了点で
後発に、先にいくよと声をかけて、頂上へ2時前着。遠くの山はガスに隠されて
いるが無風でぽかぽか陽気。念願のバットレスを登った小俣さんは嬉しそうだ。
山はもう秋模様。りんどうやききょうの類がたくさん咲いている。北岳の頂きは
いつ登っても気持ちのよいところである。
小俣さんが、草滑りがラクというので、さっさと下る。お花畑には秋の花がたく
さん咲いていた。445に駐車場に戻った。
3人で合計165歳というコンビにしては上出来の一日だった。後発は八本歯経
由で30分おくれで到着。
去年同じ時期に同じルートを登ったが、そのときと同様のラッキーな陽気であった。
天気図を見ると、帯状の雲が南に押し下げられてこのあたりは予想外の天気になっ
たようだ。東京は天気が悪かったというから、とにかく、山は現場に行ってみな
いと分からないね、というのが今回の結論であった。

8.26.2001

日光白根山

日光白根山
ひとりで登った
  
予報を裏切ってこの天気 

8月26日

松倉一夫

白根山を丸沼高原側からゴンドラを使って登ってきました。
今回は、出発間際3分前に同行予定者からキャンセルの電話があったので、
行くかやめるか迷いましたが、すっかり準備もできていたので、
結局、一人で登ってきました。

山は、夏休み最後の週末とあり、大混雑でしたが、
道が広くなったところや休んでいる隙に、どんどん追い抜き、
(たぶん50人くらい抜いた)、コースタイム登り2時間50分のところを
1時間45分で山頂へと立ちました。朝8時52分に出発して10時35分着です。
天気は登りはじめは晴れ、あとはほとんど曇りで、
時折、霧雨が降ったりもしましたが(雨具を着るほどではない)、
白いベールがかかったような霧中で見るダケカンバの森や
黄色い花が印象的なハンゴンソウの大群落はなかなか美しかったです。
また、この時期、山腹はカニコウモリがたくさんの白い花をつけており、
シラビソの林床に彩りを添えていました。
山頂直下にはツガザクラの群落があり、真っ赤な実をつけていました。
山頂でおにぎりを食べていると、ガスがサーっと切れて、
五色沼が覗き、山頂の人々が歓声をあげ、なかなか劇的でした。
山頂はかなり混雑していたので、昼食を済ませ、11時5分下山。
弥陀ガ池に下り、そこから七色平経由で戻りました。
一般の登山者は往路を戻るばかりなので、こちらの道はすいていました。
弥陀ガ池からは六地蔵まで誰とも会わず静かな森歩きを楽しめました。
シラビソの森に木漏れ日が差すと、苔の絨毯が緑色に輝き美しかったです。
途中、七色平の湿原や血ノ池地獄に立ち寄りました。
七色平はハクサンフウロが夏の終わりを惜しむかのように
ピンク色の花をたくさんつけていました。
丸沼高原スキー場駐車場には13時30分に到着。
近くの座禅温泉で一風呂浴びて(750円)、帰路につきました。
道は途中、佐野付近で混雑しましたが、30分ほどで抜け、
18時過ぎに家に着きました。

8.24.2001

木曽駒宝剣

木曽駒宝剣
岩のぼりできなかった

。。。
8/24
シニア部のちゅう、けんじ

中ア・宝剣岳、東壁・中央稜は、
深いガスで、ルートはおろか、壁そのものが確認できないまま時間切れとな
り中止しました。
せっかくですので、木曽駒、宝剣を縦走してきました。

なお、千畳敷カールは登山道以外の侵入が一切禁止されているため、東壁へ
の接近は、何かに違反するようです。

8.18.2001

佐久湯川

湯川クライミング
クラック

。。。
8月18日
メンバー 忠、光、やすだ、くるみさわ、汽車

小川山に近付くほどに天気が悪くなってきて、小雨がぱらついてきた。先発の光に電
話すると、
現地は朝から小雨で岩は濡れているとのこと、じゃ、しょうがないねと、岩根庵で合
流して、佐久方面へと向かう。
佐久のアートウオールへという話しだったが、海尻まで下ると天気が回復してきたの
で、湯川の岩場へ車をむける。
クラックオンリーでコークスクリュー、デゲンナー、フォーサイトなど数本。
特筆ものは光がサイコキネシス10cをレッドポイント。4度目のトライとか。トップ
ープで他がトライするが手強い。
久しぶりのクラックで腕が張った。悪天の小川から流れてきたクライマー数十人が集
まりにぎやかなゲレンデだった。
チュウサン主催のパーティがカリン山荘で開かれるので4時ころ撤退。夜はにぎやか
なことになった。
<汽車>

8月17日(土)小川山: ぴか、モモ
フェニックスの大岩でトップロープ。
対物ビレイ(グリグリ使用)。
・フェニックス(5.11a) 苦戦する

8月18日(日)佐久湯川の岩場: ぴか、忠、文、安田、くるみざわ
・デゲンナー(5.8)
・フォーサイト(5.10a/b)
・サイコキネシス(5.10c) 念願のレッドポイント!
・コークスクリュー(5.9)
by hikari

8.03.2001

ナムチェバザールの旅

ナムチェバザールの旅
ネパールはどんどん変わっていく
   
Trip to Namchebazar by chu , for seeing please click each photo.
 
memer chu and family

およそ6年ぶりにNepalへ行ってきました。
ついでに”偵察”と、欲張っていましたが、登山しにいったんじゃないです。
C.ロレンツ風に云うと、”人に会う”、のが目的でした。
なかにはみなさんのご存知の方もいますので、彼らの近況も含めて、
最近のトレッキングに関すること、王室の不幸な事件やマオイストの動静などについて、
私自身の気付いたことをメモします。
興味のない段はどうぞ読み飛ばしてください。
(ペンバとかニマとか、みなさんのご存知ない名前が出てきますが、私たちとの関係は、ベリ~ロ
ングスト~リ~になるので、別の機会に少しずつってことで、ご容赦ください)

1.トレッキング・パーミッション
・アンナプルナ、クンブ、ランタンについてはトレッキングパーミットが不要になっています。
また、国立公園の入園料(Rs.1000)はカトマンズで払えます。この場合は、レシートを持っ
て入園するときに見せて、アーミーのチェックを受けます。また入園料は実際に入園するときに払っ
てもOKです。
前記3エリア以外にエントリーするときは、許可申請が必要です。
※Rs.1は¥1.8くらいでした

2.雨季のカトマンズ~ルクラ間フライト
・ロシア製25人乗りヘリは廃止されています。これは荷物輸送専用機になりました。
従って、従来通り、すべて14人乗りのツインオッターです。
値段が上がって、往復1人US$180。
ここは定期便ですので、雨季でも就航しています。
毎朝、5~10フライトは確保されていますが、ルクラの雲底高度が上がるのを確認してから、テ
イクオフしていきますので、乗客は、エアポートで、場合によってはかなり待たされます。
※シャンボチェを使っていたピラタスポーター機は、最後の1機が昨秋墜落してしまいました。現
在シャンボチェを使えるのは、チャーター・ヘリのみです。

3.雨季のトレッキング
今回の私たち(私と妻と長女)の行程は下記の通りです。
・8/2、成田->香港(キャセイ航空)、->カトマンズ(ロイヤルネパール航空)
※このルートでは、成田をAM11:00に出て、カトマンズには同日の18:35に着きます。
つまり、日本から1日で行けると云うことです。ご存知のように従来は概ねバンコックで1泊させ
られました。

・8/3,カトマンズ->ルクラ(2800m)、昼食をとってから歩き始め、この日は、モンジョ泊。
・8/4、->ナムチェ(3400m)->シャンボチェ-(3800m)>ナムチェ泊
・8/5、->タ-メ・ゴンパ(4000m)>ナムチェ泊
・8/6、->ルクラ泊
・8/7、ルクラ->カトマンズ
・8/8、カトマンズからランタンへ飛ぶためヘリをチャーター、AM6:00~11:00まで
エアポートで待ち。

※結局、この日から、帰国予定の11日朝まで、毎朝、天候の回復待ちで、ついに断念しました。
ヘリは飛べる条件でしたが、厚い雲が、私の目的としている山を覆っていたためです。
・8/11、カトマンズ->関空
※このフライトは23:45出発の夜行便です。従って、8/11はフルに使えました。上海で給
油がありますが、関空には翌日の11:00に着きました。
エアチケットは往復で¥114,000/人でした。

※この時季は比較的暖かいので、4000m程度までなら、軽装でOKです。雨は、夜間から明け
方にかけて降りますが、日中は雲量3~5程度で概ね晴れています。私は、20代にクンブで雨季
をマルマル越したことがありますが、雨具を使った日は極くわずかです。また、94年に娘たちと
ゴーキョへやはり8月に行っていますが、雨具は使っていません。6000m以上の山は、積乱雲
に覆われて、見えるチャンスは非常にすくないですが、日差しは強く、暑さ対策は必要です。幸運
なことに私たちはモンスーンの雪で真っ白になったエベレストとローツェの南壁、タムセルク、ク
スムカングルを目にすることができました。高山植物はそこかしこで咲いていますが、ブル-ポピ
-は、4500mよりも上へ行かないとあまり見られません。以前にクムジュンの3700m付近
で見つけたことがありますが、このようなことはたいへん希だと思います。

※ランタンの計画は天候によって次の行程案を考えていました。
①ヘリで飛んで、ランタン谷のA峰(目的の山)の周辺をフライト、キャンジンゴンパでおろしてもらう。
その後、2日歩いてシャブルベンシでランクルに拾ってもらい、カトマンズに戻る。
因みにランクルのチャータ料はRs.8000
②時間がなくなった場合、ヘリでA峰直下でおろしてもらい、2時間歩き回る時間をもらい、再びヘ
リでカトマンズへ戻る。(この2時間はペンバがうまくやってくれてサービス)

4.メラ遠征で、サーダーをやってくれたギャルゼンの近況
USAニューヨーク、マンハッタンまで車で15分くらいのところで、住み込み大工さんをやっているそうです。
Nepalへ帰る気は当分ないようです。

5.ペンバ近況
見事なヘリパイロットになりました。
昨シーズンまではフィッシュ・エアーで働いていましたが、現在は、ネパールで最初にできたヘリ
会社、エアー・ダイナスティに移りました。病人を助け出したり、僻地にDr.を運んだり、火急
の薬品空輸などにがんばってます。
ランタンへの私のフライト準備中に、カイラス周辺で高所障害になった2人のツーリストをレスキュ
-してきました。途中、マオイストのテリトリーを横断して2回の給油が必要な結構やばいレス
キューだったそうです。
私のランタンへ行くチャーターはペンバが準備してくれました。彼の駆るヘリはフランス製の山岳
ヘリでユーロコプター6人乗りです。5200mくらいまで上がれるそうです。通常のチャーター
料は1時間でUS$1000。
カトマンズ市内、ラジムッパット通りの日本大使館より更に北、BalWater(砂水といった
意味)区にアパートを借りて”単身赴任”風に住んでいます。(私たちはここに寄生していました)
奥さんのドマと3才の娘ツェリンは、お父さんが亡くなったあとのクンブロッジの切り盛りで、ナ
ムチェから離れられません。
お便りは下記へ:
airpemba@hotomail.com

6.ジャンブー近況
ニューヨークの出稼ぎから戻ったばかりで、唯一の暇人なため、私たちのサーダーをやってくれました。
しかし、ハンバーガーの食べ過ぎでナッティプロフェッサーみたいになってしまいました。
102kg!?だって。
来年ランタンへちゃんと入るぞっていったら、これからダイエットするからって張り切っていました。
ペンバは弟のなかでも、彼は一番温厚で誰からも好かれるっていってました。私も同感。

7.ナムチェとニマ近況
ナムチェにはフルタイムの電気が来ていました。停電はありますが、基本的に時間制限はないです。
電話も同様、フルタイムです。ただし、夜間に大雨が振った翌日は使用不可になりました。
20年前の写真と見比べるまでもなく、どのロッジも建て替えられて大きな窓をとったモダンなデ
ザインに変化しています。
あまり知られていませんが、ニマは、ナムチェで初めて煙突を作ったひとです。
それまでのこの土地の家屋では煮炊きで出る煙は、屋根の石材をずらして隙間を作り、あとは成り
行き頼りだったんです。もちろん充分な排気は無理で、部屋の中はいつも煙っていました。いまで
は、どこにでも当たり前に煙突があります。
さらに、何年か前、彼は、水洗便所を初めて取り入れました。もちろんいまでは、ナムチェのロッ
ジの多くは水洗便所です。それで、今度は、インターネットです。カフェダンフェは以前平屋でし
たが、2階を作り、そこにサイバーカフェと付名した、コンピュータールームがあります。Win
dowsマシンが何台も置いてあり、シーズン中は故郷に無事を知らせるメールを打ちにくるトレッ
カーで賑わうそうです。
お便りは下記へ
nnn@mos.com.nep

8.カトマンズ
小田実が最近、ホーチミン市を訪れて、その元気の良さにびっくりしたと何かに書いていましたが、
まあ歴史的な意味は違いますが、私もカトマンズについて同じような気持ちになりました。
訳知りのひとたちは、益々中央集権が進んで、くらしの較差の広がっていることで顔をしかめてい
るかもしれません。でも、悲観しても始まらないですからね。第一、何をどうすればいいのか。現
実はぐじゃぐじゃして、すきっりはいかないですからいっそのこと思いっきり元気に生きた方がい
いじゃないか、みたいな開き直りを感じた訳です。
それで、キング一家殺人事件の影響ですが、とくに見られませんでしたね。レストランにもホテル
にも、前のキング一家の写真がまだ飾られていたりして、なんか、ネパール健在といったかんじで
した。
マオイストは、西ネパールが活動拠点でツーリストをターゲットにはしていないと聞きました。
また、私たちが行ったときは、現政府と和平会談があったりして、とりあえず活動は沈静化してい
たようです。ただし、今後は分かりません。
車は増えましたが、排気ガスは規制が実施されていて、以前よりも良くなったように感じました。
活性炭マスクをしているひとも少なくなりました。
交通渋滞がひどくて、これには閉口しましたが。
驚いたのは、クレジットカードを使える店が増えたこと。キャッシングも(ルピーになってしまい
ますが)できます。それと携帯電話が非常に普及してきました。(因みにペンバも使ってました)

カトマンズは毎日すごい日射しで、暑くて疲れました。
ナンローは健在!!相変わらず込んでます。

9.追悼 P.K.
パサン・カミ・シェルパは、ナムチェのクンブ・ロッジのオーナーです。
日本では知名度がありませんが、1970年にアンナプルナ南壁でボニントン隊のサーダーに抜擢
されてブレークしました。私たちとは1974年以来のつきあいです。
昨年秋に肝臓ガンで亡くなりました。享年68でした。温厚で人なつこく、多くの人に好かれました。
ニマはやり手で有名で敵も多いですが、そのニマが、手放しでその純真さを語ってくれました。
PKは、またペンバの奥さんテンジン・ドマのお父さんです。お墓は、シャンボチェにあります。
合掌。

by chu

7.14.2001

富士山登山

富士山登山
高所順応私見

。。。
計画
・メンバー(メンバー3名、他2名)
伊藤忠男、伊藤明子、楜沢健治、以上ArC
伊藤洋美(長女19)、清水不二(母、約70)

・7/14土曜16:00吉田口新5合出発、8合目泊(小屋)
・7/15日曜頂上、お鉢2週後、同コース下山
実際
7/15富士山から全員無事下山しました。

ほぼ狙い通りの高所反応が、全員に出て良いトレーニングだったと思います。
この種のトレーニングに興味のある方は、よかったら以下をお読み下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『高所登山の初期順応について』

20年以上前から、高所登山に際してのトレーニングに自分なりの仮説をもっています。
82年インドのCB14(6079m)と、89年ペル-(3つの5000~6000m峰)
では、それを裏付けることができました。
95年のメラでは、考えが足らず、失敗しました。
この種のトレーニングについては、原真さんの数多のエッセイに繰り返しのべられていま
すが、
僕の仮説は、初期順応(遠征の初期に行う順応活動)についてその隙間を埋めようとした
ものです。

今回は2600m以上で、活動停止時間(つまり宿泊)を含めて20時間以上の滞在、
3000m以上で6時間以上のゆるやかな運動を行いまし
た。すでに常識化していますが、高所順応の原理は高所刺激+超回復です。
しかし、”高所刺激”の中身についての詳細がまだあまりかたられていないと思っていま
す。

僕の仮説は、一定の高さ(2600m以上)での運動とそれに連続して同じ高さでの休養
を加えた方が、初期順応がスムーズになる、というもので
す。(危険もありますが)
端的にいうと、例えば日帰りで富士山の頂上を往復するスピード登山よりも、3000m
程度で、いったん睡眠をとって、再びのぼって降りてくる
方がいい、ということです。(僕の考えです)

以上、さわりだけ。詳しいお話はまた別の機会に。

なお、今回、富士山に同行しました72になる母は、ほぼ標準タイムで登頂し、頂上の神
社でご褒美をいただきました。夏の富士山は、最早”登
山”の世界とはかけ離れたものですが、障害物競走のワン・セクションとしては、相当厳
しいものです。混雑も含めてコツがいっぱいありますの
で、もしこれから、お年寄りや子供、そこを踏んでみたいという外国の方などを連れてい
く機会があれば、連絡ください。多少役に立つお話ができるかとおもいます。

7.10.2001

尾瀬の登山

尾瀬の登山
二つの山にのぼった

。。。
石塚竜夫ほか

7月10日より12日まで、尾瀬を歩いてきました。

7月10日8:30 大清水より入山、尾瀬沼長蔵小屋キャンプ場泊 
7月11日7:30 長英新道より、燧ケ岳登山、10:30ごろ山頂に到着
 見晴新道経由で、下田代十字路、尾瀬ヶ原を通り山の鼻に15:00着、テン泊
 (雲行き怪しかったので、かなり飛ばしてしまい、軽装のハイカーにとって
は
 異様な3人だったと思われます)
7月12日7:00 山の鼻より至仏へ、9:30ごろ山頂着。鳩待峠11時ごろ着
 500円で入れる温泉に入り、特大・特厚のとんかつ食って帰京

11日の夕方にパラパラと夕立があった他は、良く晴れて暑い3日間でした。
今の時期の尾瀬はハイカーが多く、中学・高校の遠足?も入っていて賑やかでした。
みなさんデイパックにスニーカー、60リットルクラスのパックを背負った3人は、か
なり周囲から浮いていました。

テン場もガラガラ、今のご時勢はやっぱり安・近・短で手軽なレジャー山行が中心に
なってしまうのでしょうね。

尾瀬は残雪期を中心に、小屋が営業していない時ばかり入山していました。
やっぱりそういう時期のほうが、尾瀬を満喫できるように思いました。

ただ、同行したメンバーは、社内で同じチームとして働いたメンツで、一緒に汗を流
すことで
日常生活のモヤモヤした気持ちを発散できたので良かったと思っています。

7.05.2001

天山横断

天山横断
アンテナ山とタクルギン山ハイキング
     

Tienshan Slide show ! 
 
7月5日ー10日
member matukura kisya

ウルムチは思いもよらぬ大都会だった。
60年代の古い写真をみていたのだが西域の小さな町としか思えなかった。今の光景はまるでバンクバーかシアトルか。
摩天楼が広がり、高速道路が走る。50年のあいだに、例えば、信州諏訪郡原村が新宿に変貌したようなものである。
そうすると、かのエリックシプトンも駐在したという憧憬のカシュガルなどは渋谷の喧騒状態になっているのかもしれない。
四つ星ホテル環球飯店内の旅行エージェントで天池行きの一泊ツアーを希望すると、すぐに手配してくれた。一人30
0円だという。
飛行場で入手したパンフレットで相場研究していたので、それは高い、というと、中国人向けのツアーでは
なく、高級冷房車で行く外国人用ツアーです、という。
すぐに日本円に換算して納得してしまうまっちゃんの、ま、いいか、の一言で、その場で支払い。
7月5日
ボゴダ峰や中央テンシャンを望む最上階の回転レストランで朝飯をとり、9時に迎えの小型バスで出発。なんのこと
はない成都あたりから来たらしい旅
行者といっしょ、冷房車とはいえただのハイエースである。

話がちがう。美人のガイド嬢はよく通る声でえんえんとしゃべり続ける。(このあたりの人は一般にとにかく大声であ
る)賢そうな顔だちでもある。もちろん中国語だ
から意味はわからない。もうひとり美人のガイドがわれわれのそばにいて、聞くと、われわれの為についてきた英語専
門ガイドとのことだった。長身、腰高、モデルのようにさっそうと歩く聡明そうなシティガギャル、漢人。
都会をはなれるといきなり砂漠地帯に入り見渡すかぎり家一軒なし。高速道路を降りるといきなり山道を紆余曲折する
ようになる。ボゴダの山塊へ登っているのだ。道路わきにはときどき、初めてみるパオの集落があらわれる。
ウルムチから天池までは60キロ、1時間ちょとのドライブである。ウルムチで高曇りだった空模様は山間には
いって曇りとなりやがて大雨となる。
話がちがう。このあたりはシルクロード、年中カラカラの砂漠気候ではなかったのだろうか。
天池は、いちおう想像していたとおり、いやそれ以上の観光地であった。中国語でいえば旅遊地区である。朝、団体バ
スがやってきて、客をおろし、彼らは湖のほとりを散策し、ボートにのったり焼き羊を食べたりして午後には去っていくとい
う場所である。晴れていれば湖の向かいにはボゴダの山波が広がっていて、大正池に穂高連峰、という図式に近い。
湖畔の駐車場で車をおり、10円で折りたたみ傘を買う。土砂降りである。ほかの客と別れ英語をしゃべる美人ガイドに
ついてぬかるんだ山道を小高い丘に向かう。羊の群れといっしょにパオの集落が現れ、いちばん高いところにあるパオ
に到着。パオを間近にみるのは初めて。
赤ら顔で長身のカザフ人老若男女が何人も現れ迎えてくれる。英語は話すし、日本語まで話す人たちだった。20畳ほ
どのパオの中には若い男女のグループが先着して占領していた。香港からきた若者たちらしい。やはり漢人の美人ガイ
ドとドライバーが一緒だ。小さくなって輪のなかにいれてもらう。このパオの人らしいカザフ人のお兄さんがギターで
弾き語り、香港歌謡曲や中国のフォークソングなどをみんなで歌っている。歌声喫茶というのはこんな感じだったのだ
ろうか。
われわれも、ひたすらニコニコ顔で応対。外は大雨、ほかに行くところもないから、なりゆきでこうなってしまうので
ある。
われわれ付きの美人ガイドは、ここに一泊していくか、一度ウルムチに戻り明日また迎えにくるか、で迷っているらし
かった。ようするに彼女の任務はわれわれをこのパオまで連れてきて、翌日連れて帰る、ということだったのだ。ギタ
ーをカザフの2弦琴に切り替えたお兄さんが、問題ないよ、ぼくがすべて面倒みて上げるから、というので、雨のなか
彼女は振り返りながら去っていった。パオの中があまりに陽気だったので、帰りたくなかったのかもしれない、という
のは僕の想像である。

羊の丸焼きがでてきて、そのうちトルファン葡萄酒、伊力白酒などが回ってきて、パオの中は騒乱状態となってしまっ
た。広東語、カザフ語、日本語が入り乱れ、乾杯が続く。われわれがカザフのエルビスと密かに呼んだギターのお兄さ
んが酔いつぶれるころには、ようやく雨もあがり、傾いた日差しが天池とボゴダ峰を照らしていた。

エルビスの母親は頭にスカーフをまき、大型スカートにロングブーツという絵に描いたようなカザフのおばさんだが、
(じつは、この方はきっとお祖母さんなのだろうとわれわれは初め考えたのだが、エルビスは母親だという。彼はどう
やら子たくさん兄弟の末っ子、道楽息子であるようだった)、
おまえ、こんなところで、お客さんといっしょになって、お酒を飲んで、酔っ払って、ほんと、しょうがないね、どう
なっているんだい。さっさとお起きよ。んったく。などとまくしたてているのであった。
パオをでて雨上がりのあたりを散策。パオは羊のフェルトでできた本物で、このあたりに100軒ほども散在しているよ
うだ。
それぞれのパオの前には野天のかまどや焼き羊用のグリルなどがあって、日よけパラソルとプラスティックのテーブルやい
すが並んでいる。羊の骨や内臓などがゴミ捨て場には散乱していて、ようするに、この100軒余のパオは観光客用の喫茶店でありバ
ンガローなのである。
麓の村に定住している元遊牧民のカザフ人たちが夏のあいだここで観光業を営んでいるということのようだ。観光パオ
村には、羊や馬、人間の子供などが区別もなくあふれていて、ベレー帽に黒背広という典型的なカザフの大人たちは、
馬に乗ってはあっちのパオ、こっちのパオをなんの用事があるのか行ったり来たりしている。お茶を飲んだり、ビール
を飲んだりしているのは男だけで、働いているのは女性ばかりである。
あれはお兄さん。これが妹の旦那、こいつはいとこ、と紹介されるのだが、ようするに親戚や隣組など村をあげてここ
に移住してきているようなのだ。
エルビスのおねさんが羊を焼きながら完全な英語であれこれ説明してくれたのだが、結局ここのパオ村はワールドフェ
イマスというのが結論であった。
(日本で見たボゴダ峰の英語の登山ガイドブックには、天池の北に数軒のカザフ人のパオがあって、5円か10円で泊ま
ることができる、ベースキャンプまでは強1日と書かれていたが、実際はこんなようなのである)。
羊肉いりのうどんが夕食だった。美味。まっちゃんは、野菜やフルーツには絶対手をださない。食器やコップ、ハシは
日本から持参のアルコール綿で消毒してから使用している。飲用水はもちろんボトル入りのものである。
この小さいパオに今日の客が全員泊まるわけにはいかないということで、暗くなるころエルビスのお姉さんが近所のパ
オにわれわれを連れて行ってくれた。昼間に顔なじみになった何番目かのお兄さんのパオだった。大きくて立派なパオ。
中には何人かの子供たちと、カザフスタンからきたという親戚の女性たちがテレビをみていた。夕食後の団欒であった。
再び強いお酒がでてきて、眠い眼をこすりながらのおつきあい。白酒はマオタイよりもウオッカに近いのではないかと
想像する。テレビはdvdプレイヤーにつながっていてカザフの紅白歌合戦を上映中。パオ内の茶髪青い眼の女性たち
はプレタポルテような美しい洋服をきて、小麦粉をこねながらテレビを見ているのが印象的だった。
よその家に泊めてもらっているような感じで(実際そのとりなのだが)落ちつかない気分だったが、いつのまにか就寝。
パオは高床式になってい
て、床はいくらか弾力があり、そこに敷布団をしき掛け布団をかけて寝るのである。パオは円形でしきりなどないから
仲良く輪になって寝るのである。ああ疲れた。
7月6日
昨日は長い1日だった。が、いよいよハイキングの日である。朝から絶好の天気。このパオ村からは天池とボゴダ峰が
よくみえる。昨日の雨は、向かいの山では雪になったようだ。雪線がすぐそこまで降りてきている。振りかえるとさら
に展望のよさそうな山がパオ村の背にそびえている。
エルビスとそのお姉さんにきくと、日本語と英語でいろいろと教えてくれる。
あの高い山がカンテラ山、その右にそびえるちょと低いのがアンテナ山。
カンテラ山までは日帰りは無理だという。ぼくの目には2.3時間もあれば到達できそうに見るのだが。となりのアン
テナ山までならなんとか行けるかもしれない。
道は?
あそこから、行ける、と、となりの小尾根を指差す。タカが何羽も上空を飛び交っている。
デイパックを背負ってまっちゃんと元気に出発。
林をぬけ尾根にでる。さらに台地上の草原があらわれ、ヒツジを締めている人に道を聞く、がなんのことかわからない。
地図もないからカンで登る。植物、樹木相などは上高地あたりとおなじである。パオ村が標高1500、だからそんなもの
なのである。再び台地上の草原があらわれ、パオ村が現れる。日傘パラソルやプラスティックテーブルなど置かれてい
ない本物のパオ村である。このあたり
一帯でヒツジの放牧を行っているのだ。2時間ほど登ると目指していたアンテナ山が見えてきた。よくみればたしかに
八木アンテナが見える。顕著な尾根の上をさらに行く。一帯は放牧場。ヒツジや牛が三々五々。目の下にはパオ村がと
ころどころに点在している。さらに谷底には天池が大きく広がっていて、大向かいには懸垂氷河をもったボゴダ峰が険
しい姿でそびえている。あたりは高山植物のお花畑、エーデルワイスやそのほか日本のアルプスでみかける親しい花々
が散在している。
こりゃまったくスイスじゃね。
ニュージーランド、ともいえる。
緯度、標高が似かよってくれば、おなじ地球の上、なんやかや、そっくりになってくるのというのが僕の経験論である。
牧童が歩く道が続いていて最後100メートルほどの急登を頑張るとなんのこともなくアンテナ山に立つことができた。
標高2300。
南北に長い頂上の南端からボゴダの絶景を写真に収める。ここに立って分かったのは、となりのカンテラ山が尾根続き
であることだった。あと小一時間も登れば、カンテラ山にもたどり着けそうだ。それは次回のお楽しみということにして、頂上の北側サイドに立つ。巨大な八木アンテナがあってこれが山名の由来である。北側をみるとえんえん砂漠地帯
が続いているのがわかる。顔を西に向けると、なんとウルムチの市街と摩天楼が砂漠の遠くに蜃気楼のように浮かび上

がっている。
やあやあ、あれがウルムチであったか、なぜか喜ぶ二人。
アンテナがあるわけだ。
5.60キロも離れた町が見渡せるのだから、この山もとなりのカンテラ山も、重要な中継場所となったわけだ。古代、い
つころのことかわからないが、シルクロード上の都市ウルムチととなりのどこかとの連絡に、古くはカンテラ山に灯台
が置かれた。いまはこの山に八木アンテナが設置されている、と考えるのは自然だろう。
下りは、尾根から沢へとくだり、迷うことなくまっすぐに観光パオ村に戻ることができた。1時間ちょと、南アルプス
の森林帯をくだるような美しい快適な下山路だった。
パオ村に戻ると、すでに香港グループは去っていたが、朝と同じににぎやかの光景が展開していた。エルビスは中国人
の新しいお客とビールを飲んでギターを弾いている。おねえさんはラグ麺を作っていて、お母さんはヒツジを捌いてい
るところだった。
エルビスがビールを持ってきて、心配していたよ。戻ってきてよかった、さー飲もう。
山のほうで本物のパオ村とシリアスなカザフ人をみてきてしまったから、どうしても、この観光パオ村のカザフ人たち
は失格した遊牧民のように見えて仕方がない。八ヶ岳の赤岳コウセンにでもいるような気分になってきた。
ウルムチが見えたよ、というと
ほんと?と驚いた顔をする。そのうち、今夜は一緒にウルムチにいって飲もうと言い出す始末。昼から酔っ払い状態
なのである。
酒があるところには酔っ払いがいる、というのは地球の上のどこの民族でもおなじ、僕の経験論である。

迎えの車のドライバーがパオまで歩いてやってきて、ウルムチへはフォルクスワーゲン車での快適な帰還であった。
ウルムチー天池間には公共バスもでているので、それなら往復50円もあれば十分のようだ。
パオは1泊10円か20円だから、真のバックパッカーならわれわれの何分の一もの費用で同じ経験が楽しめるだろう。
4つ星ホテルに泊まって旅遊するわれわれは彼らからみれば失格したバックパッカーに見えることだろう。
なお、このときの為替は1人民円(元)は16円である。
7月7日
やはり旅遊区で有名な南山牧場へ観光。南山とういのは南に天山を控えるという意味でそのあたり何百キロかのエリア
をいうらしい。標高4000メートルの氷河見物が目的であったが、雪のため通行止めとのことで、一日時間をつぶ
す。帆布でできた偽のパオ食堂がたくさん集まっているあまり美しくないところでした。天山の山並をみることもなかっ
た。白揚谷の奥の50メートル滝は現地の人には神秘に見えるらしく人気。とすると華厳の滝をみたら彼らは卒倒するかもし
れない。

       
The tienshan  photo by kisya ito  for more, please click here 
7月8日 バインブルクへむかう。 朝8時に旧型ランクルとともにガイドとドライバーが迎えにきた。日本の西遊旅行で手配したものだ。トルスジャンは ウイグル人で日本語が上手、ドライバーはうーさん、漢人。 ウイトンまで高速道路を300キロ。途中でパンクあり、クイトンでラグメン昼食ののち、修理。パンク修理が5円と 聞いて人件費の安さに驚く。 町からいきなり南下して天山山中に突入。地球造山運動の見本をみるかのような、山、尾根、谷、峠を300キロ。途 中通行止めがあり80キロ迂回、ダート道の高速ドライブを10時間。暗くなるころ、といっても時間は午後の10時、 (これは北京時間。じっさいのところ新疆人は新疆タイムで暮している。夕飯は日の沈んだあと10時ころにとるので ある)ようやくバインブルクに到着。西部劇にでてくるような荒れ果ててくすんだ町にみえる。モンゴル人の経営する コンクリート作りの偽パオに宿泊。バインブルクについては資料もなくただただ想像していたのだが、予想よりもしっ かりした古い町がテンシャン山中にあることに驚いた。このあたり一帯はカザフとモンゴル人が古くから遊牧している エリアで、大草原とヒツジとパオの世界がえんえんと広がっているところであることを知る、とくに迂回路のナッテイ 草原はすばらしいところだった。さらに今日一日のドライブでテンシャンは北アルプスほどのスケールの山脈がいくつ もならび、氷河を抱く無名の山々が無数。間に草原、高原がいくつもあって、その規模は本州ほどであること を知った。本来乗馬で移動するのがここの伝統であることにも気がついた。観光客は少ない、が日本人夫妻にあう。秋 田からきた長谷川さん。シルクロードエリアが気に入って4回目の訪問とのこと。中華夕食をとる。トルスジャンはと なりの回族レストランからヒツジのピラフをとりよせ食べていた。白酒を飲み始めるととどまる所を知らず。たいへん な酒豪であることを知る。イスラム圏であろうと酒のあるところには酔っ払いがいるのである。 7月9日 白鳥湖を見に行く。道がないのでドライバーのカンで四輪駆動車を走らせるのである。 草原だからどこでも走ることができる。ときどき川をこえようやくたどりつく。白鳥湖は大湿原であった。白鳥はテン シャンの山々に溶け込むように飛んでいた。馬を借りて乗る。白鳥湖へは往復3-40キロなのに4時間ほどかかる。新 道を作っているようだった。 昼めしのあと、怪しい雲行きのなか、まっちゃんが街外れにそびえるタクルギン山へハイキング。珍しく草原の中にそ びえるボタ山。アメリカならビュットというやつ。いただきにチョルテンがあってノボリが見える。イスラム教のカザフ人と ラマ教のモンゴル人が共存するところであるらしい。とはいえ、このあたり一帯チベットのようなマニ石などの表象物 はまったく見当たらない。すっきりしてきれいなものである。 往復2時間もかからない。日本人初登頂かも、と意気揚揚と帰ってくる。ぼくは昼寝していてこの貴重な2番目の ハイキングを逃してしまった。まっちゃんはチョルテンを前景に素晴らしい写真をものにしたのだった。 夕方、ドライブして草原の夕景を撮影する。ここはモンゴルにつぐ中国第二の草原であると聞く。 7月10日 標高が2500ほどの高原だから朝夕は冷え込む。羽毛服でもちょうどよい。朝9時出発。テンシャン横断の後半戦。ダ ート道の高速ドライブが300キロ。再び天地創造をおもわせる現場を何箇所もこえて行く。3000メートルの氷河 の峠を二つほどこえ、テリメチ峠のトンネルを越えると車は、シルクロード上の砂漠の町庫車(クチャ)に急降下する。 亀慈ともいわれた古い町である。気温はいきなり35度を超えなんとも熱い。砂漠にはラクダがいて、ポプラ並木をロ バ車が走り、白帽をかぶったウイグル人があふれるイスラムの町。町で床やに入ったら4円 で散髪してくれた。毛家飯店で中華食。紅衛兵スタイルの少女たちが給仕してくれてなぜか毛沢東バッジをくれる。オ ーナーがでてきてニコニコとウエルカムしてくれるが、この漢人がなぜそんな時代錯誤の主張するのかわからなか った。 それにしても、今回出あった人たちのすべてがわれわれに親切の接してくれて、いま好印象しか残ってないというのは どうしたこと か。帰路のウルムチ、西安にいたるまでその後の数日も、旅行者であるわれわれに不愉快な思い出はひとつもない。タ クシーの運転手、ロバや力車のドライバー、ウエイトレス、みやげ物やのおねえさん、屋台のおばさん、何人かの警察 官(旅券紛失で世話になった。別述)、町の子供、日本人と知ってか知らずか、 とにかく好意をもって接してくれているとしか考えられなかった。 忘れがたき西域の人々である。大人の趣のある方たちであった。なんだか以前とは違うぞ、中国はどんどん変わっている。 7月13日、ウルムチの夜。いきなり爆竹がけたたましく、花火が町のあちこちであがる。テレビをつけると2008 年の北京オリンピック開催が決定したとの報道であった。その夜中央電視台は紅白歌合戦のような特別番組を徹夜で流 し続けているのだった。中国はもっと変わるに違いない。 おまけ。 レンタカーなどないから、中国の旅ではいろいろな乗り物を利用する。ドライバーとの接触が多い。(次に多いのは食堂 のウエイトレスか、ガイド嬢や街角の万屋などとも顔なじみになったりするから、旅をするとほんとにいろんな人と接触 するものだとつくづく感心してしまう)。 印象に残るドライバーをメモしておきたい。 天山横断の実力派ドライバーうーさん、ロバ車の子ども、馬を貸してくれた子ども、床屋まで連れていってくれたオート力 車方、サンマのようなお調子もの西安サンタナドライバー、気の毒だったカザフのハイヤー運転手、初乗り6円を5円にま けてくれた西安のドライバー、律義なクチャ旅遊のジェッタの運転手、環球ホテルの私立探偵風ドライバー、2本の夜行寝台 の警察官,婦警、、、。 うーん、中国の旅は面白い。