11.13.2024

イエティと丹沢湖

初スキーと撮影ドライブ

date 2024年11月11−12日 月火曜日

member itokisya(記)

丹沢湖千代の沢展望台から

イエッティスキー場

                 秩父宮記念公園



暗いうちに出て246号、東名で御殿場へ。日差しの少ない日です。

9時開園の秩父宮記念公園を訪ねました。広い敷地にかつての別邸と庭、畑、森があります。防空壕もありました。2時間近く見学して帰るころ団体や外人などが入ってきました。人気の場所らしい。

昼に富士山スカイラインを上がります。今年の紅葉は1ヶ月もおそいらしい。1200mあたりからモミジなどきれいでした。

13時にイエティスキー場、10本近く滑りました。まだ雪造りの途中で細い帯のようなゲレンデでした。半日券2000円くらい。

須走道の駅に移動して休憩。そのまま車泊になりました。

翌日も雲りがちな日、丹沢湖に寄ってみました。千代の沢駐車場から展望台を散策。富士山を望めます。だれもいません。千代の沢園地という看板をみてたまたま見つけたところです。

午後に帰宅。

この記録はヤマップにもあります。
https://yamap.com/activities/35901953

※展望の解説




赤ピン、右から世附権現山、みつば岳、富士山、不老山




11.06.2024

弁天御髪尾根3(丹沢大山)

べんてんおぐしおね、古いハイキング道です

date 2024年11月5日 火曜日

member itokisya(記)





秋になっています

見晴らし弁天あたりから街の方

  

大山見えました
      

    

弁天御髪尾根をのぼって、大沢分岐から梅の木尾根をくだりました。

人にあわない静かな山です。

紅葉はまだまだ。もっと上はいいかも。

弁天御髪尾根入口は、七沢登山駐車場からあるきだして10分、橋をわたった先、大釜弁天参道の石標のあるところです。

梅の木尾根の降り口はわかりにくい。二の沢頭ですが道標はありません。

梅の木尾根から七沢駐車場に戻るには、日向山にのぼって七曲りを降りるのがいいです。途中の「弁天森キャンプ場へ」の道標を下ると苦労します。廃道です。苦労した軌跡はマップにあります。

昼過ぎに終わったのでどこかへ、と思いましたが思いつかないのでそのまま帰路に。次回は七沢公園か飯山白山公園がいいかもしれない。


ヤマレコの記録へ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7449262.html






11.02.2024

旧Rock & Snow誌ネット版トッピクス集発掘しました

※註

旧Rock & Snow誌ネット版の一部です。20世紀末のころ山と渓谷社のデスクから発信したものです。Rock & Snow誌創刊のころです。ネットから消えていた記事をいくつか発見しましたのでいまさらですが転載します。伊藤フミヒロ

※サーバーがいくつかあって引っ越しなどもしたので行方不明のものもあったのです。ちなみに糸尾汽車というのは雑誌やネットでよく使っていたペンネームです。itokisyaもおなじです。


TOPICS-8(最近版)

こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 2001

もうひとりのすごいやつ グラハムのこと


 アメリカではつぎつぎと若い力のあるクライマーが育ってきている。あのクリス・シャーマ
やキャティ・ブラウンなどの10代クライマーから、ディーン・ポッターやステッフ・デイビス
など20代のベテランクライマー(?)まで彼らの活躍はめざましい。最近また、そんな若い実力
派のグループに加わったすごいクライマーがいる。メイン州に住むデイビット・グラハム、18
歳だ。
 グラハムはクライミングを始めてたった3年半の間に20余りの5・14と130以上の5・1
3を登ってしまったという。ネバダのマウント・チャールストンでは12日間の滞在で7つの5・
14をものにした。最近ではコロラドで大活躍して、ロッキーマウンテン国立公園の「ナッシン
グ・バット・サンシャイン」V13/14を登り、ライフルの「トムフールリー」5・14bの第2
登を果たした。カリフォルニアのバターミルクにあるクリス・シャーマのプロブレム「マンダ
ラ」にも成功した。ホームタウンのニューイングランド地方では、5・13や5・14のスポーツ
ルート、2桁グレードのボルダリング課題を数多くこなし、ティーンエイジャークライマーな
がら地元クライマーたちに絶大な影響を与え続けている。

全米武者修行の旅
 グラハムはアメリカのテレビに出てくる拒食症女優のような細い体躯で、小さいころには
パジャマを切ってつくった短パンでクライミングをしていたという。14歳のときに父親に連れ
られてジムのメンバーになりクライミングを本格的に始めたというから、他の若い世代のクラ
イマーたちとそのきっかけは変わりない。アメリカではクライミングジムがあちこちで普及し
、クライミングを単なるレクリエーションではなくしっかりとしたスポーツとしてとらえる気
風が根づいてきている。ティーンのクライミング人口が広がり、グラハムのような力のある若
いクライマーたちを育て上げているのだ。アスリートが尊敬される社会だから、子どもたちに
クライミングをやらせようという熱心な親たちも多い。
 エリートティーンエイジクライマーの課題はなんといっても学業との両立だろう。グラハ
ムが通う学校の指導教諭も「クライミングをやっても何のためにもならないと思うよ。もっと
学業に専念しなければいけない」と彼に忠告している。
 クライミングが徐々に本格派スポーツとして認められようとしてきてはいるものも、まだ
他のスポーツのように奨学金をもらって大学にいけるわけではない。一生懸命がんばっても意
味がないということだろう。グラハムはそんなまわりの心配はまったく気にせず、暇を見つけ
ては全米クライミング武者修行の旅に出かけていく。
 1年やそこいらで5・9から5・14までいっきに登りつめてしまったグラハムの秘密は、
ティーンの特権ともいえる新陳代謝のものすごさと、骨とスジしかない60kgそこそこの体重に
あるのではないかといわれている。朝食にはいくつものドーナツをほおばり、高脂肪、高カロ
リーのファーストフードを限りなく食べ続けるという一流アスリートとはかけ離れた食生活で
、トレーニングの類もまったくしない。シャツを脱げば筋肉モリモリというわけではなく、も
ちろん脂肪がついているわけでもない。ただのやせっぽちなのだ。

とにかく強い
 ひ弱に見えるグラハム自身は「自分にはそんなにすごいパワーがあるわけではない」とも
言っている。しかし、クライマーを専門に研究している運動生理学者によれば、グラハムは人
並みはずれた指先の強さをもっているという。クリス・シャーマやトミー・カルドウェルを含
めて調査した500人のうちでもきわめて指の力が強かったのだ。ちなみに、この調査では油
圧式の握力測定器が使われ、握力と体重の比率が計算された。それを裏づけるように、グラハム
の登りを見たベテランクライマーたちは口々に「テクニックなんかありゃしないけど、とにか
く強いんだ」という。
 そして、グラハムの強さの秘密はその力だけではなさそうだ。クライミングへのモチベー
ションの高さや集中力がずば抜けている。「だれかすごく難しいルートをかなり気合を入れて
登り始める。でも半分ぐらい登ったところで“テイク!(確保頼む)”なんて叫んだりしてい
るのを見ると、なんだコイツなんて思ってしまうんだ。オレなんかなんとか落ちないようにが
んばって、テイクなんて言葉は絶対に口にしないね」とグラハムは語る。
 グラハムはすでに何十人もレッドポイントに成功した高難度ルートに時間をかけるような
ことはしない。どんなルートでもオンサイトやフラッシュですっきりと登れるようになりたい
というのがグラハムが今いちばん求めているクライミングのスタイルだ。今後の活躍がますま
す楽しみなアメリカの若手クライマーだ。
 近々、写真つきのレポートで大々的に紹介できるはずなので楽しみにしていてほしい。 
    (文=カルロス永岡)

    

初めてのヒマラヤ、初めての6000m峰ランシサ・リー登頂



SPECIAL EXPERIENCE

初めてのヒマラヤ、初めての6000m峰
ランシサ・リー登頂

YUKIKO KANNO 菅野由起子

「ヒマラヤ遠征に行ってみないか?」という、私にとって驚き以外の何物でもない話をい
ただいてから、遠征実現までに要した時間はまる一年。永い準備期間中には、トレーニングで
の捻挫といった身体の故障にあせったり、どうしたら会社や家族など周囲の理解を得ることが
できるだろうかと思い悩んだことも。
 出発1カ月前になっても、装備はこれで完璧だろうか? 仕事の引き継ぎは無事に終わる
のだろうか? と気は急いても、ヒマラヤに行くという実感がいまいち湧いてこない。遠征に
行くのだとハッキリ自覚したのは、荷造り用のプラパールを買い、えっちらおっちら担いで家
に帰ってきたときだったかもしれない。
 さて、家族と山仲間の見送りを受け、ひとまず関空へ。植村直己に習い、預け荷物の超過
料金を少しでも減らそうと暑さでムレる足をプラブーツに突っこんで乗りこむ私に「ナマステ
~」と笑顔で挨拶してくれるロイヤルネパール航空のスチュワーデスさん。機内の雰囲気は早
くもネパールを感じさせていた。
 カトマンズに着いて最終パッキング。日本からの荷物だけでもかなりの量だが、テント、
シュラフに食器やフライパンなどの調理道具一式、登攀用具と食料が加わり、1カ月間にわた
る遠征を支える膨大な装備ができ上がった。

お腹が、顔が
 10月2日朝6時、カトマンズをバス2台で出発。日本なら「崩壊が激しいため通行禁止」
となっておかしくない道を10時間も走り続け、やっとキャラバンのスタート地点、シャブルベ
ンシ(1430m)に到着。この日の夕方ころから、私の腹具合が怪しくなってきた。食事は
のどを通らず、薬を飲み早々にシュラフにもぐる。これからキャラバンが始まるというのに。
いっきに不安がつのってきた。
 つぎの滞在地ラマ・ホテルまでは、高度差で約1000mの道のり。ネパールの登山の基
本はビスターリ(のんびりと)。ところが下痢と腹痛に耐える私の歩みはビスターリどころか
牛歩。先が思いやられたが、それもしだいに回復へ。その後のキャラバン、アタック中の体調
はすこぶる良好、食欲も旺盛な毎日であった。
 ラマ・ホテルからランタン、キャンジン・ゴンパ(3840m)までは順調に進む。当初
キャンジン・ゴンパでは、高度順応のため3泊する予定であったが、祭礼のために足止めを喰
らい、なんと5泊もすることに。しかし、富士山より高所での滞在は高度順応にはよかったよ
うで、とくに高度障害といえる症状で苦しむメンバーは出なかった。唯一、私の顔面のむくみ
くらいで、まぶたが腫れて顔はパンパン! みんなから笑われさんざんであったが、どんなに
顔が腫れようと、足がむくんで靴に入らなくなるよりはまし。
 高度順応で登ったツェルゴリ(4984m)の山頂からは、めざすランシサ・リが見えた
。その右隣には、信仰の山というのがうなずけるほど相貌のいいガンチェンポ(6387m)
がそびえていたが、ランシサ・リのほうが格好よく見えたのは欲目というものだろうか?
 つぎの目的地ランシサ・カルカでは、橋架けに1日余計にかかり、結局予定より3日遅れ
のBC(ベースキャンプ)開きとなった。BC(4600m)に入ったころからメンバーの間
にカゼが流行り始めたが、つぎの日からはさっそくC1(キャンプ1)設営に向け荷揚げを開
始した。
 C1予定地はガレ場を登りきった標高5500m地点。足場の悪い後半部分にはフィック
スロープを張り、それをたどっていったのだが、初めての荷揚げでは息が上がりっぱなし。筋
肉にも異常に疲労がきて、まさにクタクタといった状態。高所では呼吸が大事ということを、
身をもって学習した。
 その後の話し合いで、私は第2次アタック隊メンバーと決まった。「さぁて荷揚げ」と気
合を入れ残りの荷物を持ち再びC1へ。ところがなんと、テントがカラスに襲撃され、食料が
表に散乱しているではないか! しかも憎らしいことにテントの上に糞までして。なんてこと
だい。

転進、南西峰へ
 C1上部からはやっと雪が出てきたのでプラブーツにはき替えた。第1次アタック隊がル
ート工作をしている間に私たちはC2の設営を行なった。思っていた以上に温暖化は進んでい
て、当初予定していたランシサ・リ初登ルートである西壁は、雪が解けてところどころに切れ
こみが入ってボロボロ。隣のアイスフォール帯に挑戦するが、こちらも私たちが態勢を整える
ためにBCに下りている間に崩壊してしまった。
 それにしてもアイスフォールの崩壊音は嫌なものだ。ズズズゥゥンという重低音がだんだ
ん大きくなってくると、われわれのテントまで潰されるのではないかと思わずのぞいて見ずに
はいられなかった。
 アイスフォール帯の崩壊を知った時点で、本峰へのアタックは断念。すぐに隣の南西峰(
6145m)への転進を決めた。登攀隊長の提案で新たにルート工作隊要員を募集。思わず立
候補した私だったが、正直ルート工作どころか、フィックス5本にスノーバー15本を上げるだ
けで精一杯だった。ルートは岩と雪のミックス。途中緊張する岩場のトラバースが1カ所、い
やらしいナイフリッジが数カ所あった。ルート工作1日目は、6000m付近までフィックス
を張り、残りの装備をデポしてC2まで下りた。 
 翌10月21日、登攀メンバー5人とクライ
ミングシェルパでいっきに山頂をめざした。残り100mというところでフィックスが尽き、
最後はみんなで1本のフィックスにつながっての登頂。
 山頂は無風快晴、周囲にはぐるっとヒマラヤの嶺々。隣に登るはずだった本峰が見えるの
はなんともシャクだったが、やはりすばらしい景色であった。 
 初めての遠征は、「またヒマラヤに行くゾ!」という気持ちを私におこさせた。


  

RNGとNRGでクライミング三昧 ゴールデンウイークのアメリカ旅行



SPECIAL EXPERIENCE


RNGとNRGでクライミング三昧 ゴールデンウイークのアメリカ旅行
SYUICHI KOBAYASHI 小早志秀一

 いつのまにか私も勤続10年を越え、会社からリフレッシュ休暇を3日間もらえることにな
った。初めてフリークライミングのために海外に出かけたのは入社して2年目、10月のちょっ
とした週末の連休を無理やりつなげて2週間弱の休暇を取ってのことだった。今から思えばバ
ブルの余韻と勢いのあった自分が懐かしい。今ではこんな大義名分があっても、混雑していて
チッケットも最高値を付けるゴールデンウイークに乗じないとなかなか長期の休みを取りにく
い。もっとも今回いっしょに行くことになった山村学や松本明も「Tウォールまじめなビジネ
スマンクラマー」略して「たまビック」なので、こんな時期でないと日程が合わないのだが。
 最初の計画では南フランスのアプトをベースにビュークスやボルクスあたりへ行く計画で
あったが、あいにく今年は年末のY2Kで海外旅行を取りやめた人たちがGWに集中し、さら
になぜかヨーロッパ方面に人気が集中しているとのことで、1カ月前の予約でもヨーロッパ方
面のチケットを取ることができなかった。そこで、急遽場所をアメリカに変更し、ヨーロッパ
に負けないどっかぶりで穴がボコボコあいていて、天気がよくて、涼しくて、メシが美味くて
、衛生テレビでNBAが見られるようなところはないものかと、手当たり次第に知り合いのク
ライマーに聞きまくった。そして最初の候補として、話によく聞くライフルやアメリカンフォ
ーク等の石灰岩エリアを検討したが、季節的にこの時期は雨が多く、塗れているエリアが多い
とのことであった。まあ、それなりに登れるだろうと半ば決定しかけていたところ、久しぶり
に訪れたパンプ1で木村伸介&理恵ちゃん夫妻に「この時期アメリカに行くならレッドリバー
ゴージュ(RRG)が最高だよ!」っと紹介された。
 アメリカで心配なのはクライミングエリアもさることながら、食事の質も私には大きな問
題であったが、キャンプサイトにあるピザ屋が最高に美味しいとのことで、ちょっと萎みかけ
ていた私のリーゾートクライミング計画が再び希望の光で輝きだしたのであった。その後の調
査で、このRRGのすぐそばにはニューリバーゴージュ(NRG)というエリアも車で4時間
程度のところにあり、岩質はRRGと同じ砂岩ではあるがRRGとはちょっと違った形状のホ
ールドが並びおもしろそうであったので、結局今回の計画はRRGとNRGの二本立てに決定
した。

いきなり13a
 最初にわれわれが訪れたのは最低グレードが5・11aで、50本以上あるルートの多くが5
・12の後半から5・13前半に集中しているRRGのメインエリアであるマザーロウド(母なる
鉱脈)である。ここはちょっとグレードが高すぎるという方にもぜひ一度訪れて、高さ30mの
大オーバーハングを見てもらいたい。それに、多くのルートが距離は長いがハードムーブは少
ないようなので、通常レッドポイントするグレードから2、3グレードぐらい上に取り付いて
も途中敗退するような危険は比較的少ないと思う。グレードも小川山や城ガ崎に比べて1グレ
ード程度低めに感じた。長いルートが苦手な方はこの限りではないが。
 到着早々山村はいきなり「Convicted」5・13aに取り付いた。私と松本は、「Barlierユs
」5・11cや「Stella」5・11dでウォームアップをしたあと、「Convicted」に合流した。写
真で見てのとおりのこの傾斜のルートについて青岩峡の翁山村は「なんかジリジリ登る感じで
、お○なこ○もの岩場だな!」と評したが、私はけっこうムーブもあり、三ツ星ルートであっ
たと思う。こんな山村もアメリカのとあるレストランで握力測定のゲームをしたところ、最弱
のジェリーフィッシュ(クラゲ)並みと出たのであるから、アメリカンパワー恐るべしなので
ある。
 日本の短くて難しいルートに慣れ親しんでいるわれわれはちょっとメインの30mの大オー
バーハングルートには気後れしていまい、ようやく7日目の後半に意を決して取り付くことに
した。まず、ジェリー山村が大ハングのいちばん左端の「Bohica」5・13bに取り付いた。人間
が取り付くと改めてその長さが際だつ。傾斜が落ちる途中のテラスまででも十分日本の通常ル
ートの1ピッチ分はある。そこからさらに20m程度の大ハングが続いている。ジェリー山村も
さすがにハングドックしながらのトライであった。そして、遠い終了点から60mロープいっぱ
いで降りてきて、おもしろかったかと聞いたところ「このルートは禅を感じるな!」とのこと
であった。さらに「こんなにおもしろいなら、もっと早く取り付いておけばよかった」とのこ
と。ジェリー山村の目的は修行だったらしい。
 つぎに私もいちばん右端の「40 ounces of Justice」5・13aで修行の旅を開始した。こ
ちらは出だしが脆く不快であったが、上部は他のルートと同様ひたすら長すぎるハングが待っ
ている。傾斜も強くややランナウトしているため、一度落ちると戻るのが大変そうなので、ボ
ルトごとにハングドックとなった。何回目かのハングドックの途中で先を見上げると、そこに
は延々としたハングだけが続き、日本での修行の足りなさを痛感させられた。そんな私も終了
点に着くころにはいつしか無心の境地に誘われたのであった。長い修行を終えて取付に戻った
ときには口が半開きでご馳走様、ゲップ!っという感じであった。
 RRGにはマザーロウドの他に十数カ所のエリアがあり、各エリアごとに岩の形状が微妙
に異なり、このエリア一帯だけを長期で登っても飽きずにクライミングを楽しめそうである。
これらのなかからつぎにわれわれは、クライマーの多さからも恐らくいちばんの人気エリアら
しいミリタリーウォールを選んで訪れた。マザーロウドが水平方向のホールドが多いのに対し
、このエリアは大小のポケットホールドが多く、ムーブにも変化があって、なおかつルートの
長さも17~18m程度と日本人には馴染みやすいと思う。グレード的にも、「Mombeam」5・9や
「Sunshine」5・9などの初心者向けの快適な三ツ星フェースルートから、上は「Revival」5
・13aまで幅広く、だれが行っても楽しめる好エリアだと思う。そのなかでも「Fuzzy Undercl
ing」5・11aは上下左右に発達したフレークをわしづかみにして前傾壁を豪快に登る好ルート
だった。欠点は蚊が多いことで、虫よけスプレーは必需品。

シーサイドそっくり
 せっかくの海外クライミングということで、RRGでのクライミングもそこそこにしてわ
れわれはRRGから車で4時間ほど離れたところにあるNRGへと向かうことにした。RRG
は実際のレッドリバーから離れたところに岩場が点在しているのに対して、NRGはその名の
とおりニューリバーに沿った露岩部分がクライミング対象となっている。こちらも岩質は硬い
砂岩で、エリアはニューリバー沿いに13カ所、ニューリバーから20哩ほど離れたサマーズビレ
湖の湖畔に3カ所ほどあり、各エリアごとに50~150本程度のルートがある一大エリアとな
っている。
 ここでもわれわれはトポの写真とルート図を頼りに、最もハングが大きそうなエリアを探
した。そしてまず最初にケイモアのザ・ホールというエリアへ向かった。このエリアはキャン
プ場のあるパーキングからどことなく城ガ崎と似た雰囲気のある遊歩道をレッドリバーへ向か
って下りる途中にあり、到着して見上げた岩の形状も城ガ崎シーサイドのサンセットエリアに
そっくりで、ホールドとスケールをひとまわり大きくしたような感じだった。ここでジェリー
山村はいきなりウォームアップなしで最初に取り付いた「Mojo Hand」5・12dを一撃した。私
も最初に隣の「Blood Raid」5・13aを「Skull Fuck」5・12b/cとまちがって取り付いて
しまったが、これがなかなか豪快なデットポイント2発を含む好ルートであった。
 翌日はニューリバーブリッジ周辺の岩場を偵察しながら観光した。ニューリバーブリッジ
はアーチ状の橋のなかでは世界一長い橋とのことで、周辺は観光地となっていて、クライミン
グの他にラフティングや釣りも楽しめる。レストの翌日は、とにかくいろんなエリアに行って
おこうということで、サマーズビレ湖のコロシアムウォールへ向かった。ここはザ・ホールに
比べてヒールフックやトゥーフックがガッチリ決まるようなバカでかいホールドは少なく、岩
全体がすっきりしている。山村はここで「Apollo Reed」5・13aを2撃した。私は湖際の前傾
壁「Reckless Abandon」5・12b/cをトライした。基本的にボルダリストの松本明はやっと
出会った短いボルト3本のルートD.C.Memorialボルダーの「All the Way Baby」5・12bに取
り付いた。しかし、これとて彼には「核心までのアプローチが遠すぎ!」とのことであった。
山村はこのボルダーの「Pro-Vision」5・13aをトライしたがこちらは惜しくもレッドポイン
トを逃してしまった。しかしながら、強い傾斜の壁に掛かりの悪いホールドが並ぶ好エリアで
、全体の高さが10m程度と短いながら、ジェリー山村も「エクセレント!」っと絶賛。

  

初めての高所登山。アイランドピーク(6189m)



SPECIAL EXPERIENCE
中島辰哉      TATSUYA NAKAJIMA            
                                        
 大学4年の春、私たちは一大イベントを計画した。ヒマラヤへのライトエクスペディシ
ョンである。
 私たちは高所登山が初めてということで、それほど高度な技術を要するわけでもなく
、18座あるトレッキングピークのうち最も人気が高いという点から、アイランドピーク(6
189m)に的を当てた。アイランドピークは、ネパールの人気トレッキングコースの一つ、
エベレスト・クーンブエリアの北西に位置する。北には8000m級のローツェがどっしりと
控えている。周りを氷河に囲まれており、その名の由来の通り、孤立した島のような山容
であるのが印象的だ。私たちはアイランドピークに加えて、アイランドピーク登頂後、時
間的に余裕ができたらの場合を考え、同クーンブエリアにあるメヘラピーク(5849m)登
頂も計画に入れた。
 計画立案から出発までの3ヶ月間は、私たちにとっては厳しいものであったが、何とか
準備を済ませて出発することができた。

出発まで
 ネパールのトレッキングピークを登るには、代理人としてエージェントを指定し、ガ
イドを随行することが義務づけられている。エージェントには、カトマンズのコスモトレ
ックに、事前にメールにてお願いした。今回の登山に関わるエージェントとの連絡や、航
空券の手配などの諸手続きは、同行の麦谷水郷がほとんどやってくれた。
 日本での準備品としては、当初はハイキャンプ設営予定だったので、ハイキャンプで
の日本食や嗜好品、α米、それから薬類。登はん具や火器などの装備は現地調達できるも
のとの兼ね合いを考慮して用意した。ロープ、ツェルト、乾電池、個人装備なども用意し
た。ちなみにEPIガスカートリッジは現地で入手可だ。
 そんなこんなで膨れ上がった荷物のおかげで、既に出発前から私たちは、まるでお土
産をたんまり抱えて帰国してきた旅行者のような格好となってしまった。

トレッキング
 2/24,カトマンズ着。2/25,コスモトレックで雇ったガイドとともに、ルクラまでセ
スナ機で飛ぶ。ルクラでポーターを3人雇い、アイランドピークBCでの食糧を購入。ポ
ーターの荷物重量は、普通一人当たり30kgが相場らしいが、今回は50kgもの荷物となった
。一方の私たちはといえば、10kgそこそこ。相当な歩荷であり、かつ高所だというのに彼
らは元気だ。
 BCまではトレッキングである。我々一行は、さながら水戸黄門のように毎日ゆっく
り村々を渡り歩き、前進していく。特に急な登りでは本当に牛歩のごとく進む。高度順応
のためとはいえ、軽い荷物でゆっくり歩くのはとてもじれったい。ほかにも毎日、宿泊地
に到着した後近くの放牧地や丘へ200~500mほど登ったり、またナムチェ、ディンボチェ
、チュクンにて2泊して体を慣らした。 
 そうこうしていくうちに3/6、アイランドピー
クBCに到着。3/7、上部を偵察する。雪はかなり上に行かないと無く、そこまでは日本
の夏山を思わせるような感じ。もちろん夏山には程遠く寒いのだが、5800mの高さまで雪
が無いのは意外だった。偵察を終え、アタックではハイキャンプを設営しないことに決め
た。ハイキャンプに泊ることによる体力消耗を防ぎ、一気にBCからアタックするのが狙
いだ。

アタック
 3/8,星がきれいに瞬く深夜、2時起床。朝からダルバートを食べ、ポーター3人を残し
て出発。麦谷は食いすぎのため、かなり苦しそうなのがおかしい。イムジャ・コーラ沿い
に山腹を巻くように15分ほど歩き、そこから登高開始する。荒れた草地状の斜面を、大き
く逆くの字形にあがる。相変わらずの牛歩ペースだ。逆くの字に上がり切った頃岩帯とな
り、HC地に着く。麦谷は腹の中が消化しきれないのか、しきりに「吐きたい吐きたい」
とつぶやく。岩壁の基部一帯がHC地になっている。そこを過ぎてから、岩尾根に挟まれ
た顕著な涸れルンゼの右岸を登る。ルンゼをしばらく登ったところで途中から左岸にトラ
バースする。ルンゼをトラバースした後は尾根を巻くように右上気味に登り、尾根上のリ
ッジに出る。
 さらに9時頃リッジの上部に出、雪に覆われた上部が開けた。青く透き通り、永久に溶
けそうにない氷の壁が目の前に見える。先行していた2人パーティーに追いついた。彼ら
はHCからのアタックだ。ここでザイル、プラ靴、アイゼンを装着し、コンテで登る。早
朝の食べ過ぎでコンディションがよくなかった麦谷も、今はもう問題ない。天気は快晴だ
が、風が冷たい。手足の指先の感覚がなくなりそうだ。雪上に出るとすぐにクレバス帯に
なった。所々の裂け目をジグザグに慎重に登り、広い雪田に出る。正面に頂稜の側壁が立
ちはだかる。高さは200m程。記述ではザイルを出した場合もあったようだが、今回は傾
斜がそれほどきつくなく、ノーザイルでも問題なかった。雪はコチコチでしかも一面尖っ
ていて登りにくい。日本の3000m級とは違う雪質を実感する。
 11時頃、頂稜稜線に出た。360度のパノラマである。ローツェが間近に迫り、アマダブ
ラムがずいぶん低くなった気がする。そこからスタカットの準備をして頂上を目指す。し
かし、リードで登り始めた麦谷がルート上に走っている大クレバスを見つけ、前進できず
1P目にして登頂を断念せざるを得なくなった。

高山病
 写真を撮って下山に移る。ところが、下山では麦谷に異変が起きる。頂稜雪壁を下り
始めたとたん、倦怠感を訴え出したのがその始まりであった。確かに頂稜上では私も非常
に体がだるくボーっとなっていたし、麦谷は登り出す時から腹の不調を訴えていた。高所
においては、ある程度の頭痛や倦怠感は付き物である。しかし、麦谷はひどい頭痛を訴え
始めただけでなく、さらに意識ももうろうとしてきた。それがはた目に見てもよく分かる
。そういう状態であったが、我々はなんとか雪上を下り終え岩稜帯に戻る。ようやくHC
地を過ぎた頃、麦谷は時々倒れ込み始め、自力で下るのは難しくなった。血痰も出た時に
は、ヤバイとさえ思った。高山病だ。しかしとにかく下に降りることを先決にして、ガイ
ドと二人で麦谷の両肩を支えて午後1時、BCに戻る。
 その後麦谷は無事回復したが、3人とも予想以上の疲労のため、メヘラに登る予定は取
りやめ、翌日から下山にかかることに決定。
 同行の麦谷は「もう2度とやるもんか」といいつつヨセミテに2度も通っている奴であ
るが、今回も同じようなことを言っているので、再チャレンジの機会はまた訪れるかもし
れない。

期間:2000年、2/24~3/15    メンバー:麦谷水郷(23)、中島辰哉(23)  
http://www.asahi-net.or.jp/~BA8K-ITU
  

なまら癖ーX隊マッキンリー大滑降



SPECIAL EXPERIENCE
佐々木大輔 DAISUKE SASAKI

僕等なまら癖ーXは
 5月31日に札幌を出発し、翌6月1日にはカヒルトナ氷河上のランディングポイン
トに降り立った。メンバーはスキーヤーの児玉、佐々木、ボーダーの奈良、コロラド育
ちのリオ、山登り初めての山木と5名。
前半は暑さを避けて夜間行動をとり、C3(33
00m)からは通常どうり昼に行動。しかしここでリオが肺水種にかかり、ランディン
グポイントまでソリでおろす。再び登行を続け、3日遅れの10日にB,C入り。しかしこ
こから悪天候に捕まり、なかなかハイキャンプに入れない。まあ焦っても仕方ないの
で、そんな時間を利用してヘッドウォールをスキー&ボードで滑って遊ぶ。
1週間待たされ、やっとハイキャンプに上がったのが16日。しかしここでも天候には恵まれず、
18日の深夜にアタックを試みるが悪天に捕まり敗退。
翌19日は佐々木・奈良がレス
キューガリー(スノーボード日本人初滑降)を滑ってB,Cへ食料&燃料を補給しに行く。
2日後の21日。やっと晴天が訪れアタック。快晴の中スキー&ボードを担いでピーク
を目指すが、デナリパスを越えると雲の中に入ってしまい悪天の中苦しみながらも18
時に無事頂上へ。アイゼン・ピッケル初体験の山木も元気に登頂。ピークからは児玉・
佐々木が日本人3~4人目のスキー滑降。奈良が日本人初のスノーボード滑降に成
功。ウェザーメーターからH,Cへは標高差約500m、所々蒼氷が顔を出す中を慎重に
滑る。
翌22日は奈良・児玉が再びレスキューガリーを滑降。途中で標高差700mの
大きな雪崩を起すが、大事にはいたらず無事B,Cに滑り降り大喝采を浴びた。
 今回はデコボコチームではあったが、チームワーク・山を楽しむことにかけては最高
のメンバーで、悪天候にもメゲズに時間をかけ明るく楽しく過ごしたのが成功の秘密だ
ろう。僕等に素晴らしい経験を与えてくれたマッキンリーに感謝で一杯だ。

http://www.asahi-net.or.jp/~BA8K-ITU
  

CLIMBING誌の「ギンスー」ボルト問題



クライミングには他のスポーツのようにはっきりと規定されたルールがない。基本的には
何をやってもOKだ。けれども、こういう方向でやっていこうという倫理がある。そして、
そういう倫理はいつでも�

TOPICS-7(最近版)

こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 2000

アマ・ダブラム南西稜ソロ+初フライト


 大昔に月曜の雨は嫌いだって歌があったが、僕はやっぱり週末の雨
のほうが疎ましい。そんな、山に行けないだらっ~とした週末、少し前
に届けられていたUSHGA(アメリカのパラグライダー組織)の最新
の機関誌をめくった。ペラペラの小誌だが、内容は濃く、これまでもア
メリカへ飛びに行くときには多いに役立っている。アイスクライミング
で有名なウィル・ガッド(彼はパラの全米クロスカントリーチャンピオ
ンでもある)が、3ページにわたって何か書いていた。英語がすらすら
わかるわけじゃないので読み飛ばす。クロニクルがあって、「アマ・ダ
ブラムの完全な頂上からフライト」という小さな見出しに、おっ、と思
わず身を乗り出した。
「オーストリアのハルティ・クフェルナー(37)は、1999年11月3
日、エベレスト山群の聖山であり、また世界でも最も美しい山のひとつ
であるアマ・ダブラム(6812m)を南西稜ノーマルルートからソロ
で登り、頂上からの初めてのパラ・フライトに成功した。 
 ハルティ
はパートナーのゲルハルト・ピルツとともに、総勢8人の遠征隊に加わ
っていた。1万8700ftのC1からいったんBCに下って休息をとっ
たふたりは、翌日、頂上をめざして出発した。天候の悪化が気がかりだ
ったが、意を決して午前2時30分にヘッドランプの明かりを頼りにハイ
キャンプから上部のリッジに取り付いた。しばらくして、ピルツが不調
を訴え、そこから引き返した。ひとりになったハルティは暗闇のなかを
慎重に登り続けた。3時間後、ルートはリッジから難しい氷壁に変わっ
た。クランポンをつけ、南西稜の上部に食いこむ急峻なアイスガリーか
ら頂上をめざして一歩一歩高度を上げていった。やがて日がさし始める
と、彼はわずかな休息をとってパワーバーを2口かじり、再び、目標に
身を浸した。
 アイルランドチームとフランスチームを抜くと、頂稜直下の難しい
アイスリッジにさしかかった。ルートは、もろく堅い氷で覆われており
、アックスを打ちこむと細かい氷片が砲撃のように飛び散った。頂上ま
ではもう300ft、風は南から吹いているが、まだ弱い。幸運にも、ジ
ェットストリュームは、はるか上らしい。キャンプを出てからおよそ8
時間後の10時15分、ハルティは首尾よくアマ・ダブラムの頂上に立った
。しかも、そこには望んでも得られないほどの絶好の風(秒速4m)が
吹いていた。休む間もなく、彼はNOVAが試作した4kgにも満たない
軽量の機体を広げ、わずか2、3歩のステップだけで、アマ・ダブラム
西壁が作る巨大な氷河盆地を眼下に、空間に飛び立った。
 こうしてBCの近くにランディングしたハルティは、信じられない
ことに頂上を離れてからたったの25分後には、シェルパからの温かいラ
ンチとお茶の歓迎を受けたのだった。」(http://www.paragleiten.net 
の英語版テキストより抄訳) 
 ハルティの冒険から今日的な意味で注
目したい点が2つある。まず、フライトが完全なピークから行なわれた
こと。これはわりと少ない。パラのテイクオフにはさまざまな条件が必
要で、すべてにOKの出せるコンディションにはなかなか巡り会えない
。ピークから多少なりとも下りた地点で飛び立つのがほとんどだ。ちな
みに、ハルティと同じ時期にドルジェ・ラクパ(6966m)からのフ
ライトを目論んだ女性、サンディー・コチェペインは、頂上が強風で6
200mのキャンプからのフライトとなった。
 もう一点、彼が行なったゲームに、身の丈の軽快さといった雰囲気
が強く感じられること。たとえば、南裏健康のトランゴ・タワー(90年
)の強烈な冒険は、仮にうまくいったとしても、ヘビーすぎた。J・M・
ボアバンのエベレスト(88年)はすごいが、プロの所業だったし、高橋
和之(ダンプさん)のチョー・オユー(87年)は、前半が軽快なクライ
ミングとはいえなかったのじゃないか。ハルティは、オーストリアのア
ルトアウスゼーでハング(グライダー)とパラのスクールを経営してい
る(前出ウェブサイト参照)。彼のハングの獲得高度4250mはオー
ストリアの最高記録だ。クライミングは7級まで。講習のない日はアル
プスを登ってパラで降りるのが普通だそうだ。なんでもそうだが、普通
にいろいろやっちゃう人がいちばん怖い。
 山好きがパラを使う遊びは、ヨーロッパやアメリカではちゃんと居
場所がある。それがパラルピニズム(ParAlpinism)だ。読んで字のごと
く、パラとアルピニズムの合成語。あっちでは、パラとクライミング、
スキー、ハイキングを組み合わせた遊びにそこそこ人気がある。ハルテ
ィの成功は、パラルピニズムが商業的にも成り立っている証だろう。彼
が使った道具、たとえば、カナダ、シンレッドライン社製のクライミン
グと兼用にできるわずか420gしかないハーネスや、NOVAの超軽
量機体の存在にそれがよく表われている。 
 さて、日本では、クライ
ミングとパラはいつのまにか相容れない土壌で発展してしまった気配が
ある。しかし、ハルティが身の丈でやってのけた冒険を知れば、“飛び
たいクライマー”“登りたいフライヤー”はじっとしていられないに違
いない。        (伊藤忠男)
 

フランスのガイドへの遠い道



 江本悠滋 YUJI EMOTO

 7月、待ちに待ったアスピランガイド(アシスタントガイドのこと
)の夏の研修がシャモニのENSA(国立スキー登山学校)で始まった
。集まったのは45人。ほとんどがいっしょに昨年の夏にプロバトアー(
入学試験)と冬の研修を受けた仲間だ。半年ぶりに会う仲間、いっしょ
によく山に出る仲間、久しぶりの再会だった。みんなの表情はすごく明
るいが緊張感を少し隠しているのもわかる。 
 いつものように受付で
お金を払い、(今年の受講料は1万6000フラン)部屋の鍵が渡される
。部屋は2人部屋で、各自の押入と机もあり、けっこう落ち着ける部屋
だ。運がいいとモンブランも窓から見える。レストランはセルフサービ
スで好きなものを好きなだけ食べられる。アイスクリームも自由! 体
重が増えるのはまちがいなし。
 研修はABCDの4つのグループに分かれ行なわれた。自分のグル
ープはB。各グループに4人の教官がつく。3人の研修生に教官1人の
割合だ。ミッシェル・フォケ(あだ名はチューキ。「ちび」という意味
)、ダビット・ガバネル(シャモニ生まれの若い教官)、先祖代々から
のガイド家族のひとりジャッキー・マルコチ(48歳にして7Cをオンサ
イトするクライマー、ガイドとしての経験も1200以上のルートをお
客さんと登っている教官)、クロード・ジャコ(スキーの教官でもある
彼はシャモニ山岳ガイド協会にも属すベテランガイド)、この4人がB
グループの教官。その他にもムラン、ラファイ、ソウザック、ベゴなど
ヨーロッパを代表するアルピニストが教官だ。

研修が始まった
 研修中は教官とザイルパートナーが毎週変わる。 
 1週間目は運
がよくクリッションと組むことになった。彼とは春からいっしょに登っ
ていたし、ドワットのトルニエ・ディレクトをいっしょに登った友達だ
。だからお互いをよく知っていたのはかなり有利だった。彼は38歳で、
パリで20年近く働いていたのだがやはり山で生活したいと、ガイドを受
けた。今回の最年長は40歳、最年少は21歳で平均年齢は28歳くらいだろ
う。
 1週間目の課題はテクニック。この週は実際山に出て生徒の技術を
確認するのがテーマで、フリー、アイス、雪上、そしてロープワークを
見直された。ここでは普段友達とならロープもつけずに登るところでの
ロープワークなど、お客さんの安全がいちばん重要視される。自分たち
にすれば簡単な場所もお客さんにとっては難しくもなる。あたりまえの
ことのようだが実際考えるとなかなか難しい。 
 2週間目も同じ課題
だが、いかにロープワークをスムーズに行ない、安全ですばやい登山が
できるかが要求された。ガイドとしての登山の始まりであろう。この週
に使ったのは30㍍くらいのロープ。初めての経験に近い。
 短いロープを使うことによりお客さんとの距離を近づけ、いつも視
野内に入れてアドバイスをしたりコミュニケーションをとれるようにな
るのも目的で、無駄な時間は作らない。他にもロープが落石の原因にな
らないためなどの理由がある。

各自のエベレスト
 3週間目はグループ登山が課題。今回はクリッシャン・ジャナ(フ
ランス人女性で初めてエベレストに登頂)の企画する「各自のエベレス
ト」に参加する子どもたちを対象に行なわれた。みんな病院から来た子
どもで、そのうちの多くは生死の境を経験した子ばかり、教える側の自
分たちにしてみれば非常に教えやすく心地よい生徒だ。なんでも一生懸
命やる姿が印象的だった。5日目の最終日、目的のエベレストに登る。
彼らのエベレストはエギュイ・グージュのクロッシェ・クロッシュトン
。アプローチが2時間弱、その後クライミングをして山頂へ上がる。各
自の技術、体力に合わせて山頂が選ばれた。テレビ局のカメラマンから
ジャーナリスト、多くの人が集まって行なわれた最終日、山頂に着いた
ときの子どもたちの笑顔は今も心のなかに残っている。ガイドとして人
を連れて行き、山頂で彼らの笑顔を見るのはうれしかった。

4~5週間目
 4週間目は実際にお客さんを連れての登山。この週は5人のお客さ
んが各グループにつく。みな初心者か中級者。 
 初日はシャモニの近
くの岩場でクライミングが行なわれた。目的は生徒を知るためとコミュ
ニケーション。その後、今週の計画を立てる。
 2日目、雨のためENSAの体育館でクライミング。ガイド業は天
気によって大きく左右されることをあらためて考えさせられた。
 3日目の午前中はメー・デュ・グラスで氷河上でのアイゼンとピッ
ケルの使い方を教える。その後モントンベールホテルで1泊。
 4日目は日食をエギュイ・デュ・レムの山頂で見ようと、不安定な
天候のなか出発。途中、雨、霰に出くわすが山頂では天気も晴れ、周り
が暗くなり、寒くなったのを体験した。
 5日目、またまた天候が不安定、結果エギュイ・グージュへ行くこ
とになった。今日がお客さんと最後の日、山頂では白ワインが2本も空
き少し赤くなったみんなの顔が下りを心配にさせる……。
 5週間目は研修生と教官だけでの登山が行なわれた。
 もちろん教官によって登るルートが違うのだが、自分の教官はクロ
ード。彼はあまり技術的には優れていないが、ガイドとしてはすばらし
い。そのため、エギュイ・デュ・ゴックへ登る予定だったが、結局途中
で悪天候になり下りることになった。その他には悪天候のため、かぶっ
た岩場でのクライミングが多かった。

試験
 6週間目、待ちに待った最後の週。この週は試験が中心に行なわれ
、2日間は山へ出ることになった。 
 まず月曜日と火曜日はフラム・
デュ・ピエールで2本のルートを登る。初日はサラテ。ルートは10ピッ
チで6C~7Cのグレートだが難しくなるとスピットもあり、心地よい
クライミングだった。2日目はギャー・デュ・フ。16ピッチのルートで
難度は6B前後なのだがすべて自分でプロテクションを置く。やはりこ
のスタイルがいちばん気持ちいい。 
 シャモニに帰るとさっそく部屋
で試験勉強が行なわれた。
 試験はマテリアル(強度、リスクなど)、自然(動物、植物など)
、地理(ヨーロッパの山、谷、スポットなど)、ペダ(授業の準備、目
的の置き方など)、法律、アルピニズムの歴史、薬と幅広く問題が出さ
れた。
 結果発表は土曜日の朝。2人不合格者が出たが自分を含め43人がア
スピランガイドになった。もちろんその夜シャモニではどんなふうだっ
たか……書くのは控えます。
 7週間目は合格した研修生だけが集まり、シャモニのグループ、ア
ノットへ行くグループの2つに分かれキャニオニングの研修が行なわれ
た。
 このアスピランガイドの資格を取るために1年間にわたり合計17週
間をENSAで過ごした。大変だったとか難しかったとかはまったく記
憶になく、ただ新しい友と出会え、新しい技術を学び、楽しい日々が過
ごせ、よい思い出ができた。 

かこみ
 フランスではアスピランガイドとガイドがガイドと呼ばれています
。現在フランスには約1500人のガイドがいて、そのうち1200人
ほどが現在もガイドとして活動しています(今までに2万2000人の
ガイドが誕生しています)。
 アスピランガイドがどんなものか、簡単に紹介紹介しましょう。フ
ランスには山(登山)で仕事をできる国家資格がいくつかあります。
 まず、アコンパニアター・モアヤン・モンターニュ(トレッキング
ガイド)。この資格はトレッキング(ロープを使わない場所、雪のない
場所)だけが許される資格です。
 つぎにクライミングインストラクター。名前のとおりクライミング
のインストラクターですが、標高1500㍍以上での行動は認められま
せん。もちろん氷河をアプローチに使うことはできません。
 そしてアスピランガイド。日本語に直訳すると「ガイド見習い」で
すが、この資格は上記の資格2つと同じことができ、クライミングは1
500㍍以上でも許され、アルパイン(アイスクライミング、山スキー
、オフピステでのスキー、登山)も許されます。 
 最後にガイドがあ
るのですが、この資格を得るにはまずアスピランガイドとして2年間活
動しなければなりません。ということは、まずアスピランガイドになら
なければガイドにはなれないということです。2年間の活動後、冬と夏
に数週間の研修が行なわれ、最終的にガイドになります。この資格はア
スピランガイドと比較すると、単純にさらに難しいルートへガイディン
グできるということと、5年に一度ENSAで復習授業に参加すれば一
生ガイドとして働くことができるということです。
 また、アスピランガイドとしてガイドをできるのは2年間で、その
後ガイドの研修に合格しなければガイドとして働き続けることはできま
せん。なお、この2年間の間に新しく35本のルートをプロとしてあるい
は個人で登り、登ったルートを提出しなければなりません。
 

この本で12登れました



 1998年早春、ひと抱えほどの大きさの段ボール箱が郵送されて
きた。箱の中には、十数冊の本が丸めた英字新聞をパッキングにして詰
まっていた。
 クライミングに出かけるには寒すぎる冬の間、暇をつぶそうと注文
していた本が、アメリカ大陸の半分と太平洋を渡ってようやく届いたの
だ。1冊ずつを丁寧に包んだハトロン紙を解くと、アメリカの匂いがプ
ーンと漂ってくる。そのなかの1冊が、それから2年間、僕たち3人家
族のバイブルになるとは、このとき思ってもいなかった。
 僕は、そのころ岩登りを覚えてから2~3年が経ち、四季の山を歩
きにも行くし、フリークライミングもする。冬山から夏のロッククライ
ミング(いわゆる本チャンってやつだ)まで何をやってもおもしろがっ
ていた。でも、そのころようやく何本かの5・11aがレッドポイントで
きるようになった僕は、とくにフリークライミングがおもしろくてたま
らなくなってきていた。 
 奥さんも同じ趣味に引きずり込んだし、そ
の春に高校生になった息子もずっと前から引きずり込んである。だれに
気兼ねすることもなく、一家をあげて毎週のようにどこかの山や岩場に
通いこんでいた。
「この本を読んでいるんだったら、君はたぶん5・12を登れる素質を
備えている。……」 
 その本はこんな書き出しで始まっていた。そう
かなあ、僕にも5・12が登れる日が来るのかなあ……そうなれればいい
なあ、と思いながら先を読み進む。
「……大部分の人がこのグレードに到達できない理由は、2つある。
すなわち、どうすればそこへ至れるのかという正確な情報がないこと、
そしてモチベーション、欲求、自己規制がたまに衰えてしまうことがそ
の理由だ。後者の理由は君の内部から出てくることだが、どのようにす
ればそこに行けるかという情報は、今ここにたっぷりと用意してある。
」
 自慢じゃあないが、うまくなりたいという思いは僕の内側からいく
らでも湧いて出てくる。じゃあ、たっぷり用意してくれているというそ
の情報を利用しさえすれば、僕も5・12に到達できるんだ! でも、本
当に本当なんだろうか?
 同じ年の12月、“本当であること”が半分だけ証明された。その本
のすすめに従い新しくできたクライミングジムに数カ月通いつめた僕は
、そのジムの5・12aのルートを数本レッドポイントできるようになっ
ていた。心・技・体のすべてを対象にして“たっぷりと用意してある”
情報を利用してだ。

年頭の誓い
「“2000年までに屋外の岩場で5・12aを登ること”を、今年、
1999年の僕の目標にする」 
「私は、5・11aを登る」 
「僕は
、近畿高校生クライミング大会で優勝する」
 99年元旦。半分だけ効力を証明できているその本の情報を頼りに、
一家3人それぞれが1年のクライミングの抱負を立てた。抱負達成の手
段は、まだ僕だけしか読んでいなかったその本を、3人で毎週水曜夜に
輪読することだ。
「なんだ。父さんが偉そうに言っていたことって、ほとんどこの本に
書いてあることだったんだ」
「あたりまえだ。“トレーニングの特異性と転移”だとか“持久力ト
レーニングをどうするか”なんて、知ってりゃあもうとっくに5・12く
らい登ってるわなあ」
「でも、“たっぷりと用意してある情報”って、本当にイヤになるく
らいたっぷりあるわねえ」 
「ああ、これだけ全部のことをやって、5
・12しか登れないんだったらイヤになるねえ。でも、この本を読んで暗
中模索状態に一条の光が射した、って感じがしない?」
「そう、どこかに書いてあったけれど、トポなしでエル・キャピタン
のノーズを登ることに例えてたわね。トポさえあれば、何ピッチか登っ
たあとでも正しいルートをたどっているって自信がもてる、ってね。ち
ょうどこの本が5・12を登るトポの役目をしてくれるってわけねえ」

タイで
 2000年。3人はタイのプラ・ナンで正月を迎えた。6cだとか
7aだとかとフレンチグレードが付けられたルートは、デシマルグレー
ドではいくらくらいになるのか、僕らにはわからない。でも、毎日岩に
ぶら下がり、良質のルートを登っていること自体がおもしろくてたまら
ない。6aのルートだって7aのルートだって、同じくらいにおもしろ
いし、登っていて楽しい。フリークライミングをすること自体がおもし
ろくてたまらない。こんな底抜けの楽しさに加えて、さらにこのスポー
ツにはもうひとつの楽しみ方があることを、大量の書き込みと手あかで
ボロボロになってしまった僕たちのバイブルは教えてくれた。
「障害を打ち破る、夢を達成する、荒々しいルートに真剣に取り組む
。これらはこのスポーツの精神の一部を構成している。そして、これが
ずぬけておもしろいんだ!」
 1999年の3人の抱負は達成できたのだろうか? それに答える
変わりに、ここに3人の2000年の目標を書いておこう(“短・中・
長期の具体的な目標を設定せよ”っていうのもバイブルの教えのひとつ
だ)。
・5・11ノーマルをオンサイトすること
・5・12aをレッドポイントすること
・大学へ行けるようになること
            (廣保まこと)
 
 

付録「アバランチ」が役立ち


 最近は新しい山道具を買うと使えるパンフレットがよくついてくる
。とくに欧米の主要メーカーの道具にはよいものが多い。買った商品の
説明ばかりでなく、安全にクライミングやスキーを楽しんでもらおうと
いうメーカー側の配慮が感じられる。
 ワイオミング州ジャクソンのライフリンク社はシャベルやゾンデ棒
、ザックなどバックカントリースキーのテクニカルギアを作っていて定
評があるが、とくにそこのスキーストックは秀逸だ。ニセコの元祖とも
いうべきパウダー天国、ジャクソンホールのオフゲレンデに行けば10人
中9人までがライフリンクの伸び縮みできるストックを使っていて、そ
れでないと恥ずかしいというくらいのものだ。
 そのストックを買ったら、付いてきたのが「アバランチ」と題した
バックカントリーセーフティのしおり。使えるパンフレットのひとつだ
。雪崩の種類や、地形、気象の判断から、ルートファインディング、雪
面の横断技術、巻きこまれたときの対処の仕方、埋没者の救出方法、応
急処置など、およそ雪崩を避けるための必要な情報が四つ折りのパンフ
レットにコンパクトにするどくまとめられている。許可をいただいてそ
のポイントを紹介しよう。アメリカの雪崩も日本の雪崩も基本的に異な
ることはない、というのがこれを読むとよくわかると思う。雪崩対策の
技術は世界共通のものなのだ。
 パンフレットでははじめに、雪崩は複雑な自然現象で専門家でもそ
の発生の原因を完全に解明できないとしている。雪崩の危険を避けるに
は、あらゆる要因を考慮する必要があるのだ。「雪崩がおきるようなと
きはすぐわかるさ」などいう楽観的なクライマーやスキーヤーに注意を
促し、雪山では絶対安全の保証がないことを再認識させてくれる。雪崩
の種類については細かい分類を避け、発生地点の小さい「ルーズスノー
雪崩」と、発生地点の亀裂をはっきりと残し広範囲で面状に滑り落ちる
「スラブ雪崩」に大きく2つに分類している。雪崩遭難の大半が「スラ
ブ雪崩」で、斜面横断などによる人為的原因で発生することが多いこと
はいうまでもない。
 雪崩発生の危険を予測するには地形条件の把握が重要だ。雪庇が発
達した尾根の風下側は吹き溜まりとなって雪崩がおきやすく、風上側は
比較的安全だが絶対に雪崩がないと保証されてはいない。また、発生斜
面の傾斜についても、25~60度の斜面で発生が記録されているが、30~4
5度で発生する頻度が最も高く、この傾斜はスキーやスノーボードがいち
ばんおもしろい傾斜だから注意が必要だとしている。厳冬期には北側斜
面と日陰斜面がより危険で、日のあたる南側斜面は春期に危険となる。
地表にある岩塊や樹木などは雪をしっかりと固定するのに役立つが、そ
ういう目印が見当たらない雪面は雪崩の通り道になっていることが推測
される。
 降雪量、気温、風などの急激な気象変化にも注意が必要だ。とくに
、大量降雪中やその直後には雪崩の危険度は倍増する。1時間に2・5c
m以上の降雪で危険度が高まり、一度に30cm以上も積もるようなときは雪
崩の危険が最大となる。また、時速25k以上の風が吹くときは、風上側
で加速した風が大量の雪を風下側に体積させるため雪崩もおきやすくな
る。新雪が安定するのは0度C付近だといわれるが、それより高い気温
だと結合力が弱まり、低い気温だと乾燥粉雪となって安定性を失ってし
まうことも知っておきたい。古い雪の層はそれ自身の重さと、降り積も
る新雪の重さで圧縮され続け結合力を増すが、場合によっては結合力の
弱い層が発生して上部の層が滑り落ちることもある。弱層テストでは各
層の結合力の違いを知ることができる。
 ルートのとり方も雪崩を避けるための欠かせない雪山技術としてい
くつか注意点をあげている。まず、大切なのはローカル情報をしっかり
とつかみ、積雪状況、気象、雪崩警報などに注意をはらうことだ。また
、現場では雪崩により変形した樹木やデブリなどを観察し、過去の雪崩
の通り道を予測すること。踏みこむと弱層を知らせる空洞音を発生する
斜面に注意することや、風下側を警戒し、雪面上の継続した亀裂に着目
すること。雪庇の状態をよく観察し、雪庇の下に入りこんだりしないこ
と。そして、最も重要なのは、常に斜面を避け尾根上を通ること、谷を
通過するときには、斜面から十分離れた谷底を移動することが重要だと
している。
 どうしても危険な斜面を通過しなければならないときは、必ずひと
りずつ移動すること。これは雪崩による遭難を避けるための大原則だ。
救急キットはパートナーに持ってもらい、雪崩紐をつけて、ビーコンの
スイッチを入れる。使い方をマスターしておくことはいうまでもない。
雪崩に巻きこまれたときに骨折したり、雪に深く引きこまれる原因にな
るスキーやストックの流れ止めをはずしておくこと。パックの腰ベルト
をはずしたり、他の道具のストラップ類をゆるめておけば、流されても
雪面上に浮上しやすい。着ているもののジッパーを上げて、帽子や手袋
をつける。パーカーの襟やスカーフで口や鼻を覆う。何人か安全に通過
することができても危険がないとあなどらないこと。危険斜面は短時間
で通過し、樹木や岩のあるところで休息する。斜面を横切ったり、スキ
ーやスノーシューで雪面を深く蹴りこまないことも大切だ。
 万一雪崩に巻きこまれたらどうするかも心得ておきたい。大きくて
邪魔になるパックやスキーなどはすぐに捨て、平泳ぎをするようにして
雪面に浮上することができれば幸いだ。流れに無理に逆らうと体力を失
うので、流れに乗りながら中心部から外れるように横に逃げる。できれ
ば樹木や岩をつかみ体勢を安定させる。雪崩の勢いが衰えてきたように
感じたら、最後の力をふりしぼって雪面に浮上する努力をする。そして
、雪崩に埋もれてしまったら、手が雪面に出るように伸ばして自分の位
置が確認されやすいようにする。もう一方の手で顔を覆い口や鼻に雪が
詰まり窒息してしまわないようにする。あわてずに深呼吸してまわりの
雪が落ち着くまでこらえる。埋もれてしまうと方向感覚がまったくなく
なるので、明かりが見えない限り這い出そうとしたりして無駄な体力を
消耗しないようにする。パニックにならずに落ち着いて助けを待つのが
賢明とのことだ。
 埋没者をどう捜索するかも重要な技術だ。捜索を開始する前にまず
二次遭難の危険があるか確かめ、避難ルートを確定しておく。人数に余
裕があれば見張りをひとり立てておくことも大切だ。遭難者を最後に確
認した位置に目印を置き、発見の手がかりになりそうなものをすばやく
捜索する。目印から下方に向かいゾンデなどでくまなく遭難者を捜し、
雪崩紐などの手がかりの発見に努める。ビーコンを持っているならそれ
を最大限に活用する。遭難者が発見できない場合は救援を求めに行くか
どうか判断しなければならない。雪崩による遭難者の半分が30分の間に
死亡し、5分以内にかなりの埋没者が死亡してしまうことを考慮して救
援の判断を下さなければならない。大人数のパーティーなら2名を救援
に走らすこともできる。救援パーティーがアプローチしやすいようにル
ートに印を置いていくこと。ゾンデ捜索を実行したすべての場所と手が
かりが掘り出された位置に印を置き、堆積したデブリを中心に捜索する
。雪崩の先端や両わき、露出している樹木や岩のまわりも遭難者が埋も
れている可能性が高いことも忘れてはならない。ゾンデ捜索は75cm間隔
で一列に並び実行し、手当たりのすべてを掘り出していく。掘り出し中
も遭難者と確認されるまでは、他の者はゾンデ捜索を続ける。
 遭難者が掘り出されたら、口や鼻に詰まった雪を取り除き気道を確
保する。必要なら人工呼吸をほどこす。心臓が停止している状態なら心
臓マッサージを実行する。低温症にも注意が必要で、乾燥した衣類に取
り換え、意識があれば温かい飲み物を飲ませる。骨折などの外傷にも応
急処置をほどこし、安全地帯へ迅速に避難しなければならない。
 パンフレットにはこのほか参考となる書籍の紹介や、北米の雪崩情
報電話番号リスト、雪崩教室の連絡先なども載っている。雪山にはよく
行くけど今までなんとなく勘に頼っていた。ライフリンクのパンフレッ
トは、そんなロクスノファンに雪崩の基礎知識をしっかりと確認させて
くれる。      (カルロス永岡)
 

ベータフラッシュってなんだ?



 フラッシュとオンサイトでは何が違うの? レッドポイントは知っ
ているけど、ピンクポイントって何? 普段からよく耳にする言葉なん
だけどだれもはっきりした定義を教えてくれない。ひょっとしたら、そ
んなの初めて聞いたなんていう往年の迷クライマーも読者のなかにいる
かもしれない。新規参加者にはそんな言葉が入った記事はチンプンカン
プンというところだろう。同じような疑問をもつクライマーはアメリカ
にも多いようだ。『ROCK&ICE』誌にちょっとした説明が載っていた。
         *
オンサイト
 一度も墜落せず、ルートに関する事前の情報もいっさいなしで、初
めてのトライで登りきること。もしだれかが「左の上に隠れたホールド
があるよ」なんて言ってしまったらオンサイトではなくなってしまう。
フラッシュ
 一度も墜落せず初めてのトライで登りきることだが、他のクライマ
ーが登るのを観察したり、登り方を記したノートを見たりなど、ルート
に関する事前の情報に制限はない。また、登っているときに下でだれか
が「右だ、左だ」なんていろいろアドバイスをしてくれたときはベータ
フラッシュと呼ばれることがある。
レッドポイント
 何回かのリハーサルの後に一度も墜落せずに登りきること。ムーブ
を実際に試したり、ホールドに印をつけたり、ビデオで研究したりなど
、なんでもOKだ。
ピンクポイント
 クイックドローやその他のギアが前もって設置された状態で行なわ
れたレッドポイント。最近ではこれを含めてレッドポイントと呼ぶこと
が多い。
         *
 以上は『ROCK&ICE』誌による定義。もちろろんトップロープでどん
なにきれいに登ろうとも以上の言葉は使われない。トップロープでオン
サイトした、と言っていたアメリカ人が近所にいたけれど、その使い方
はちょっとヘン。
           (カルロス永岡)

 

チャリ使ってドロミテのスピード記録



 ヨセミテのエル・キャピタンやハーフ・ドームで、すごいスピードク
ライミングが実行されたのは記憶に新しいけど、イタリアの大岩壁ドロミ
テでも2つの岩壁を自転車でつなぐスピード記録がつくられた。
 イタリアのマンフレッド・スタッファー(Manfred Stuffer)は、マル
モラーダ南壁の「Vinatzer-Messner」(Ⅳ 5・11a) 全28ピッチを3時間
半で登り、そのまま北壁を下り、マウンテンバイクで75?離れたチマグラ
ンデへ向かい、20ピッチの「Comici」(Ⅲ 5・11a)を1時間半で登りき
った。全行程で要した時間は12時間20分、75?の自転車移動には4時間半
を費やした。普通に登れば3日はかかるクライミングだ。
「Vinatzer-Messner」の登攀は通常13~14時間は要し、5・11aのスラ
ブ状クライミングで始まり上部は5・8~5・10のクライミングになる。
また「Comici」も7時間はかかる登攀で、全体的に5・10cかそれ以上の
難度のクライミングが続き、安心して休息できるテラスも少ない。スタッ
ファーが登ったときは水に濡れたピッチもいくつかあり、石灰岩がかなり
滑りやすくなっていたという。 
 スタッファーはこのスピード継続登攀
を振り返って、いちばん大変だったのは75?の自転車移動だったという。
自転車は1年半しかやっていないので、すぐ疲れてしまったとのことだ。
クライミングのキャリアは14年。ドロミテで数多くの困難なトラッドルー
トを開拓しているスタッファーだが、最近はスポーツクライミングにも熱
が入り、オンサイトなら5・13c、レッドポイントなら5・14cを登る。
『ROCK&ICE』誌99号には高度感たっぷりのドロミテの壁をフリーソロする
スタッファーの写真が載っている。
 

10歳で5・13を登ったすごい女の子



プリングルの13歳で驚いてはいけない。10歳で5・13を登ったすごい女の
子もいる。彼女の名前はメガン・エモンズ(Megan Emmons)。コロラドに
ある「Color of Emotion」と「Jeremy」という2つの5・13aのルートを
去年から今年にかけてレッドポイントした。彼女のルートの攻め方は、ト
ップロープで十数回ムーブを探してからリードにトライするやり方だ。ト
ップ墜ちが大嫌いで、初めてレッドポイントに挑戦したときは、岩場の頂
上からルートを覗いてどれくらい墜落するか確かめたほどだ。
 身長が140cmで体重が31kほど、「子どもで体重が軽いから登れる
んだ」なんて思うかもしれないけど、懸垂はたったの3回がやっとだとい
う。そう、クライミングは力ではないのだ。腕力の弱い女性クライマーや
ちょっと太りぎみの中年クライマーも少し希望がもてそうだ。メガンちゃ
んは背が低いから、おとながダイノで登るところは細かいテクニカルムー
ブになってしまうし、おとながテクニカルムーブで登るところはダイノに
なってしまう。「Jeremy」はオーバーハングでかなりの腕力と持久力が必
要なルートだというから、リラックスして登れたのが成功の鍵かもしれな
い。そんなことがたったの10歳でできるのはやっぱり才能のようだ。 (『C
limbing』192号参照)
  

やっぱりユージはすごい



スポーツばかりでなく、どんな世界でも名実ともに誰もが認める世界一の
日本人は少ない。まして、それぞれが異なった価値観で、それぞれの違っ
た課題に挑戦するクライミングの世界では、はっきりとその実績が評価さ
れることは稀だ。そんな中で、アメリカクライミング界のオピニオンリー
ダー的主導権も持つクライミング誌が、その特集で平山ユージをベストオ
ールラウンドロッククライマーとして大きく取上げた。
 
「今世紀の偉大なクライムとクライマー」と題したクライミング誌192号で
は、ボルダリングからスポーツ、アルパイン、アイスクライミングまで8つ
の異なったスタイルから20世紀のグレートアッセントを選び出したり、ア
メリカンクライミングのヒーロー10人の経歴を紹介したりなど、興味深い
特集が組まれていた。ユージが取上げられたのは、その中での「ワールド
クラス」と題された特集で、世界の頂点に立つ超一流クライマーとしてア
メリカのクライミング界に平山ユージが大きく評価された形となった。
 
特集では、ベストオールラウンドロッククライマー(平山ユージ)、ベス
トオールラウンドクライマー(トマーズ・フマール)、ベストオールラウ
ンドテクニカルクライマー(アレキサンダー・ヒューバー)、ベストボルダ
ラー/スポーツクライマー(クレム・ロスコット)、ベストトラディショ
ナルロッククライマー(レオ・ホールディング)、ベスト女性ロッククライ
マー(キャティ・ブラウン)を選び、それぞれの業績を称えた。
 
ユージが選ばれたベストオールラウンドロッククライマーのカテゴリーは
、何でもこなせる最強のロッククライマーとして、他のスタイルの基本を
成すクライミングというスポーツの最も特徴的なカテゴリーといえる。お
りしもユージがモータルコンバット(8C、5.14b)のオンサイトに成功した直
後のことで、ユージのクライミング哲学とその実践が世界のクライミング
界に強烈なインパクトを与えていることの実証となった。
 
記事の内容は、モータルコンバットのオンサイトのニュース、86年17歳で
フェニックスやコスミックデブリスをレッドポイント、その後のコンペで
の活躍、88年にはレ・スペシャリストをレッドポイント、オレンジ・メカ
ニックをオンサイト、90年にワールドカップ上位ランクなど彼の経歴を紹
介。フランスでユージのルームメイトだったアメリカ人クライマー、ジム
・カーンの対話を載せ、故障でうまく登れなかった時でも常に前向きの姿
勢は崩さず、アルコのコンペで優勝したこと。ユージの原点ともいえるト
ラディショナルなルーツをコンペでつちかった能力をいかし、95年にスフ
ィンクスクラックをただ一人史上初のオンサイト。サラテのオンサイトト
ライなどユージの輝かしい経歴を紹介したものだ。また、サラテ登攀準備
のために登ったラブシュ‐プリームやエクセレントアドベンチャーなどの
オンサイトからでも世界最高のクラッククライマーに間違いないと称賛し
ている。
 
ジム・カーンはユージのクライミングの秘訣を、前向きで柔和な姿勢でル
ートに取りつき、いつでも落ち着いて状況を分析、問題対処の能力に最も
優れていることにあると語る。98年にはワールドカップで優勝、結婚して
日本に帰り子供が生まれたことなど、ユージの私生活にも触れ、今まさに
絶好調であることを紹介。「クライミングはマウンテニアリングの一部、
ヒマラヤで8000?を登りたいとずっと思っている」と今後のユージの可能
性を示唆する談話も載せている。
 
寛大でやさしい性格でありながら限りないエネルギーを持ち合わせた平山
ユージ。世界の頂点に立つ超一流クライマーとしてアメリカでの人気も沸
騰中だ。 (カルロス永岡)


      

未来の大モノin USA  トミー・カルドウェル Tommy Caldwell    アメリカ最強のヤングクライマー



米国コロラド州ライフルの近くに新たな岩場を開拓し、米国初の5.14dとい
うグレードを確立した新ルート「クリプトナイト」(Kryptonite)の初登で話題
になっているクライマー、トミー・カルドウェルがマウント・チャールストン
の「アスタ・ラ・ビスタ」(5.14b/c)とマウント・ポタシでのクライミングの為
ユ99年11月ラスベガスを訪れた。米国内の最難ルート御三家とも言える5.14c
のスミスロック「ジャスト・ドゥー・イット」、アメリカン・フォーク「アイ・
スクリーム」そしてバージン・リバー・ゴージ「ネセサリー・イーブル」をレッド
ポイントしている彼は、アメリカ最強クライマーの一人だ。3才の頃からク
ライミングをやっているという彼のレパートリーは、スポーツ・ルートだけ
ではなくクラックなどトラッド・ルートやエルキャピタン「サラテ」などの
ビッグ・ウォールまでと幅広く経験豊かな事でも知られる。噂の新エリアや
ルートについて、又フルタイム・クライマーとしての生活などについて話を
聞いてみた。

ロック・アンド・スノー(Q):先ずは、先(10)月の「クリプトナイト」そして
今日の「アスタ・ラ・ビスタ」レッドポイントおめでとう。「アスタ�」は、どう
でしたか?
トミー(T):有り難う。素晴らしいルートだった。元々傾斜のきついポケ
ット・ルートというのは苦手で、ここに来るまでヨセミテなどでボルダリン
グだけをしていたから持久力が戻るまで少し時間がかかったけれど、3ヵ所
レストを見つけて自分のスタイルで登る事が出来た。
Q: 早速だけど、新エリアとそこのルートに付いて教えて下さい。何処にあ
るんですか?
T: 場所は、コロラド州ライフルの岩場から車で25分位東の所で、ニュー・
キャッスルという町の近く。ホワイト・リバー・ナショナル・フォレスト(自然
保護森林)の中にあり、クリントップ・レンジと呼ばれる山脈の一部になるん
だけど、正確に何と言う所なのか色々な言い方があって未だ統一されていな
いような感じなんだ。
Q: どうやって、見つけたんですか?
T: ライフルで、近くに道路から遠くに見える石灰岩のケーブ状岩壁がある
と言う噂を聞いたもんで、森林かき分け行って見た訳なんだ。そうしたらす
ごい岩場だと言う事が解って、ユ99年の夏から掃除・整備をしボルトを打ち始
めた。道路から見える事は見えるんだけど、けっこうアプローチがきつくて
1時間くらい歩かなければならない。森林の中に茂みを切ったりしてアプロ
ーチ用のトレールを作ったら、これがナショナル・フォレスト当局の咎めを
食らってちょっと問題になってしまった。踏み付けて自然と出来た道は構わ
ないけど、木を切ったりして人工的に作ってはいけないと言う事らしい。
Q: どんな感じの岩場?ルートの数などは?
T: 全体の高さは80mから100m近くもあんだけど、今あるルートやプロジ
ェクトは皆35から40mの長さまでで、既成ルートの延長や新たなラインなど
高難度ルートの可能性はまだすごくあると思う。5.14以上のルートが恐らく
45本位引けるんじゃないかな。今はまだ5.11cから14dまでの4本のルートと3
本のプロジェクトがあるだけだ。父と友人のニック・セーガーと主に3人で
開拓しているんだけど、父の発案で「フォートレス・オブ・ソリチュード」(F
ortress of Solitude:孤独の砦)、通称「フォートレス」という名前を付け
た。これは映画のスーパーマンに登場する彼の棲家の名前で、なかなか良い
なと思って気に入っているんだ。季節的には、春はまだ経験してないから分
からないけど、南向きの壁で夏は一日中日陰で快適だし、秋は日が当たり出
してちょっと暑いけど悪くはない。冬は今度は一日中日が当たるので登る事
はできる所。
Q: 「クリプトナイト」はどんなルートですか?
T: 「クリプトナイト」はフォートレスの中でも一番最初にボルトを打った
ラインで、岩場の弱点を突いていて解り易く無理のない良い岩のラインなん
だ。長さは約33mで、岩場の半分位の高さにあるアンカーまでボルト11個。
ボルトを打ち始めたら、下から見たよりも思ったより岩が大きかったもので
、ロープでロワーダウンできる長さで一応終了させたと言う訳なんだ。最初
の数メートルだけは傾斜がないけど、平均的には30度位かぶっていて、全体
的にテクニカルで持久力を要求される。アンダー・クリングやサイド・プル、
ピンチやニーバーなどを多用して、基本的に水平な下に向かって引くという
ホールドは無いし、レストも悪い。核心はV9のムーブが2ヵ所あって、14
aの下部から悪いレストで14bにつながっているという感じかな。
Q: ホールドのチッピングはした?
T: 今の所この岩場のホールドは100%ナチュラルで、チッピングやグルー
イングなどの人工的な手を加えたものは一つもない。この位の難度でチッピ
ングがないというのは珍しいし、それなしで良いラインを創れたのは非常に
ラッキーだと思っている。今プロジェクトの一部で、全くホールドの可能性
の無い部分が4~5mだけあるラインがあるんだけど、そこの部分以外は非
常に良いラインなので、空白部分にドリルでホールドを開けようかと迷って
いる。基本的には、チッピングをしないか最低限に止めようとは思っている
んだけど。
Q: レッドポイントまでどの位時間がかかりましたか?
T: 2ヶ月弱位かかった。ムーブを見つけるのに数週間かかったし、精神的
にもけっこう最後はきつかった。でもやる毎にリンクが伸びていったので、
それが励みになったかな。
Q: 14dというグレードの確信は?
T: けっこう、ある。国内の14cルートは殆どやっているし、そのどれより
も難しいから。個々のムーブ自体は難しくないけど、きついムーブがずっと
連続するから全体的には相当難しくなっているという感じ。
Q: 今度は、トミー自身に付いて教えて下さい。3才の時からクライミングを
しているという事ですが。
T: 父がガイドだったので、3才の時にロープを付けたクライミングを始め
て13才の時までずっと父の後についてクライミングをしていたな、大体トラ
ッドの5.12位までを。家族旅行の行き先なんかもクライミングのエリア巡り
が中心で、ヨセミテやモアブとかに良く行っていたし。それで、スポーツ・
クライミングの波が来て友人達と登り始めた時に刺激を受けて自発的にクラ
イミングをするようになったんだ。14才の時初めてコンペに出て、すごい刺
激になった。コロラド・スプリングのナショナル・チャンピオンシップ大会だ
ったんだけど、当時のトップ・クライマー達、クリスチャン・グリフィスやア
ラン・ワッツなんかが出ていて、35人中20位だったんだけど結構勝負が出来
るって言う事が分かったのと、色んな人達と知り合う事が出来たのが収穫だ
った。その後は、スポーツ・クライミングに傾倒してクライミング中心の生
活になっていったんだ。その頃はジムでも良くクライミングをしていた。ト
レーニングには丁度良いしそれで結構力がついた。高校を卒業してからは、
外のクライミングと旅行が多くなったね。5才の時から住んでいるコロラド
州のエステス・パークが今でもベースになっている。
Q: クライミング以外のスポーツは?アルパインとかアイス・クライミングな
どもやりますか?
T: クライミング中心になる前は、スキー中心でスノーボードを少しやって
いた。近くに小さいけど良いゲレンデがあったから良く行っていた。アルパ
インやアイスは殆どやらない。15才の時父と一緒にボリビアのイリマニとワ
イナポタシやヨーロッパのモンブランとマッターホーンに登った事があるだ
け。アイスクライミングはそれで友人が死んでいるので、ちょっと敬遠して
いる。
Q: トレーニングはどうしていますか?
T: 常に旅行中なので、トレーニングを充分するというのは不可能だけど、
たまにはジムに行ってボルダーや長いトラバースにルートなんかをやったり
とか、それとキャンパスにウェイト・トレーニングなんかもやる事がある。
クリプトナイトの時は家にいて仕事を持つ父にビレーをしてもらっていたの
で、土・日にルートをやって、火・木にはジムでトレーニングをしていた。
Q: 好きなエリアは?どこが今人気ありますか?
T: スポーツではライフルが好きだな。創造力を必要とするムーブが面白い
から。全体的には、ヨセミテ。美しい景観とエルキャピタンの様な素晴らし
いクライミングがあるから。ビッグウォールは、やはりアドベンチャーとい
うかチャレンジというか非常にエキサイティングで満足感があると思う。今
米国で人気があるのもライフルとヨセミテだと思う。いつもクライマーが大
勢いるし、外国に行っても一番質問を受けるから。
Q: 話は変わりますが、フルタイムにクライミングをしていて、コンペなど
にはあまり出ていませんね。生計などはどうやって立てていますか?
T: スポンサーから製品と収入を得ているんです。ファイブ・テンやプラナ
、ブルーウォーター、パワーバー、ワイルドカウントリー、マーモット、コ
ードレスなどがスポンサー。2年程前バンを改造してベッドやストーブ(コ
ンロ)やテレビにビデオデッキなんかを備え付けて、これが結構快適でそれ
で国内のクライミング旅行をしているから家賃などの支払いもないし、収入
自体は大金じゃないけど贅沢をしなければクライミング生活をまかなう事は
出来るんだ。コンペよりも外でクライミングをする方が楽しいし、行きたい
エリアは山ほどあるからね。
Q: 今後の予定はどんなですか?
T: 年末年始のメキシコ以降は、冬のフランスや春にはヨセミテのビッグウ
ォール、夏には又ヨーロッパに行こうと思っているし、オーストラリアにも
行きたいと思っている。まあ、暫らくは今の形で旅行をしながらフルタイム
に登るというのを続けるでしょう。ただ、残念ながら日本の岩場はあまり良
いという話しを聞かないので、日本を訪れる予定はないんです

物静かで人当たりの良い彼を知る人は、皆ナイスガイだと口を揃える。二十
歳を過ぎたとはいえまだ若々しく、これからも米国クライミングのレベルア
ップの原動力となる期待が持てそうだ。

インタビューアー 吉田 潔 KIYOSI YOSIDA / DEC1999
 

TOPICS-6

こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 2000


未来の大モノ1  佐々木大輔 DAISUKE SASAKI    エクストリームスキーヤーでクライマー



ビヨンドリスクな男の世界、エクストリームスキー。この種目で2年連続日
本チャンピオン、世界大会8位になった男がいる。佐々木大輔22歳。彼のお
もしろいところはスキー一辺倒ではなく、高所登山もやればクライミングもや
る。よりアグレッシブな世界を求め続ける彼はまさにロクスノ人間、さっそく
話を聞いてみた。
 
一佐々木さんは北海道出身ということで、小さい頃からスキーをやって
いたんですか。 

ええ、住んでいたのは札幌市内の中央区というところですが、峠を越えると
けっこう山の中なんです。狐がいたり、スキー場も近くです。よく裏山でスキ
ーとかして遊んでいました。小学校の先輩に三浦豪太さんや我満さんがいます
。 

一どんなスキーをやってました?

高校では基礎スキーです。競技の方は年に1~2回大会に出るくらい。競技
スキーは高校時代、160人中70番、基礎スキーは50人出て30番とかぱ
っとしなかったですね。

一スキーをやりながら山も始めたんですね。

そうです、中学生のとき登山ツアーに参加しました。最初は沢登り。クワウ
ンナイの沢がほんとにすばらしくて山に目覚めました。

一そして94年にはネパールのアイランドピークに行きますよね。

そう、高校2年生のときです。家族旅行でどこか行こうということになって
、それがネパールのトレッキングになったんです。行ったら慾が出てきてアイ
ランドピークに登ってみようということになったんです。ガイドひとりとポー
ターひとりのパーティーで、1回目のアタックは高山病で敗退しました。ほと
んど何も憶えていません。自分ではなにも出来なくてご飯も食べられず、起上
がることもできませんでした。ガイドが連れ返ってくれなければ危ないところ
でした。3日後には体調も良くなって2回目のアタックでようやく登れました
。目の前にはローツェがばーっと見えて、これはぜんぜんスケールが違うなと
思いました。

一それがひとつのきっかけとなって、岩や山の世界へはまりこむ?

そうです。小さい頃から沢登りとかクライミングとかアグレッシブな世界へ
のあこがれがあったんです。

一フリークライミングもその頃に?

フリーは中学2年生頃から始めました。初めて行ったのが小樽の赤岩という
クラシックな5級ルートでした。かなり難しかったんですけど、登り終えたと
きの興奮というか、達成感というか素晴らしくて、岩登りの世界へのめりこん
で行きました。

一そして、高校卒業とともにガイドの仕事を始める。

ええ、でも初めは夏の間だけで、冬は三浦雄一郎&スノードルフィンズでス
キーのインストラクターをやってました。

一おもにガイドした所は?

北海道では日高、大雪、知床。本州は朝日連峰、飯豊、南・北アルプス。あ
とは屋久島ですね。海外だとネパールのトレッキング、モンブランとか。でも
、今は退職してフリーです。夏の間だけアルバイトでガイドのお手伝いしてい
ます。

一その後1996年にマナスルに遠征するわけですが、登頂したんですか?

いいえ、できなかったんです。小西さんがマナスルで亡くなられた時で、す
ごい大雪にテントが潰されてしまって登頂できなかったんです。もともと僕は
登頂のメンバーには入っていませんでしたが。

一じゃあ滑降が目的だった。

いいえ、登頂が目的だったんですが、メンバーがみんな山スキーができたし
、マナスルは比較的ゆるやかだったから。

一最高到達点は?

隊としては7700メートル。僕自身は7300メートルですが、そこから
滑走しました。

一どうでした滑った感想は。 

上部は苦しくて苦しくてという感じ、7200メートルのノースコルを過ぎ
てから苦しいけど楽しいと感じだしました。滑って転ぶと15分くらい起上が
れない。でもすばらしい体験でした。5300メートルのベースまで滑りまし
た。

一雪の状態は?

最上部は硬いクラスト、上4分の3は20~30センチの重めの深雪。下の
方は太陽でとけた雪がまた固まってクラストした状態です。

一足周りは。

登山用のプラスチックブーツに山スキーです。

一登山用のプラだと前にのめって滑りにくくなかったですか。

慣れるまでは辛かったですね。でも、滑っているうちに感覚をつかみました。

一ちなみに靴は何を?

スカルパのベガです。わりと硬めの靴なんですが、大きなサイズを買ってし
まったので大変でした。

一ビンディングは普通の山スキーのやつですか。

ええ、クロノという一番かるいモデルです。エメリーからでているゴムで留める。

一いずれはチョモランマからの滑降を?

何年後かにはそういった希望もでてくると思うんですが、でも今は自分自身
が高所まで登れる力がないので、まだ先のことだと思います。来年あたりはヨ
ーロッパアルプスに行こうと思ってるんです。雪のある時期はスキー、あとは
クライミングをして過ごそうかと。

一その後1997年に旭岳で行われたエクストリームスキーの大会で優勝す
るわけですが、まだ日本では一般的にエクストリームスキーがどういったもの
か理解されていないと思うんですが。

例えば剣岳でいったら平蔵谷側の斜面をガケがあれば、それを細かいターン
じゃなくて、早いターンでジャンプして飛びながら滑るという風にイメージし
てもらるといいんですけど。

一滑走ラインとかは自分で選べるんですか。

ええ、スタート地点まではヘリコプターで行くんですが、その間双眼鏡でラ
インどりを観察します。タイムというより全体の流れが審査基準になります。
途中で止まるよりスムースに流れのある滑りができたほうがいいわけです。同
じラインを同程度のテクニックで滑ったのだったら、タイムがいい人の方が高
得点になりますが。

一モーグルに近い審査基準?

そうですね、モーグルとかエアリアルとかに近ですね。難しいところを飛ん
できて、そしてタイムが早ければ尚よしということです。

一山スキーを体験していたことがエクストリームスキーでも役にたった?

ええ、山スキーを経験していたこともそうですが、スノードルフィンにいた
ことが大きかったです。普通のスキー学校では体験できない山での技術や関係
とかを学べました。それらがうまくまとまってエクストリームスキーの大会で
優勝できたのだと思います。

一エクストリームスキーならではの技術とかはあるんですか。

まずは観察力です。クライミングのとき登るラインを読むじゃないですか、
それに近いものがります。あとは基礎体力、反射神経ですか。特にクライミン
グのルート開拓に似てると思います。ルートを作る場合、きれいなラインを求
めるじゃないですか。エクストリームスキーの場合も、斜面を見てどこを滑っ
たら一番かっこよくきれいに滑れるかを選ぶんです。それが楽しみでもあり喜
びでもあり・・・。

一恐怖感とかはないですか。

それはありますよ、感覚的にフリーソロに近いんじゃないでしょうか。怖い
けれど全部計算して、今までやってきたことやラインを反芻してイケルって思
ったときは怖さもぱっと消えてしまいます。

一ケガは今までにありませんでしたか。

この大会にでる前の年に転倒して靭帯を切っています。大会に優勝する2週
間前にも転倒して肩の骨を折ってしまいました。だいたい毎年1回くらいやっ
てますね。

一その年には世界大会で8位になるわけですが、これはかなりすごいことですよね。

そうですよね、まあぱっと見ると世界大会8位というのはすごいことなんで
すけれど、僕にしてみればラッキーだっという感じですね。1本目に滑った場
所が以前に日本人選手が転倒して骨折したところだったんです。審判員たちも
そのことを憶えていて、日本人にはこんなところは滑れないだろうと。ところ
が僕がそこをうまく滑れてしまったんです。ほかにもそこを滑れた選手はいた
んですが、初めにそこを飛んで滑った僕のインパクトが強かったわけです。


一この世界大会の翌年、日本の大会で2年連続して優勝し、この種目の第一
人者になったのですが、まわりの反応とかはどうでしたか。

特になかったですけど、テレビの特集に出たりしたので、ときどき「あ、テ
レビで見たよ」とか、まったく見知らぬ人から反応があったのはよかったです
ね。

一ヨセミテのノーズのクライミングについてうかがいたいんですけど、どな
たと登られたんですか

中学の同級生が信州大学の山岳部に入っていまして、そいつと。

一ノーズは何日間で?

壁の中2泊、ピークで1泊です。滞在はトータルで1ヵ月くらいかな。

一ヨセミテの印象は?

環境がとてもいいので、クライミングに専念できます。あとスケールが大き
いから日本の岩場のようにわずらわしいことがないということかな。今年もヨ
セミテに行くんですよ。

今後めざすものは?

うーん、ガイドを辞めたのはスキーの方で打込んだらもう少しレベルが上が
るんじゃないかと思ったからです。そう、慾が出てきたんです。大会でもっと
上位にいきたいという。それでとりあえずガイドの会社を辞めてしまいました
。でも山も好きでいろいろ行きたい。冬はスキーの大会にたくさん出て、ほか
の期間はいろいろな山に登りたいです。あとはガイドの仕事が自分にはしっく
りきていましたので、ヨーロッパでガイドの資格をとる学校で勉強をしてみた
いです。

(インタビュー 内藤ヨナス)


●佐々木大輔(ささき・だいすけ)
 1977年、札幌生れ。3歳よりスキーを始める。中学2年生よりロック
クライミング、アイスクライミング、山岳スキーを始める。1994年、高校
2年生のときネパール、アイランドピーク(6175㍍)登頂。1995年(株)
ノマドに山岳ガイドとして入社。同年、三浦雄一郎&スノードルフィンズにて
インストラクター開始。1996年、ネパール、マナスル(8163㍍)7300
㍍地点より滑走。1997年、エクストリームスキー日本大会で優勝。同年4
月、アラスカ、バルディーズの世界大会で8位。1998年、エクストリーム
スキー日本大会優勝。同年、4月世界大会出場。6月ヨセミテ、ノーズ登攀。
1999年、ノースアメリカンエクストリームスキーイングチャンピオンシッ
プス8位。Lord of Bords(スキー、テレマーク、スノーボードの混合クロス
大会)で総合4位。
 

未来の大モノ2  江本ユージYUJI EMOTO   フランス国立スキー登山学校でガイドをめざす






 自分とフランスでの生活の始まりは6年前、当時名古屋市の高校に通いなが
ら、自分のしたいアルペンスキーをやっていました。しかし雪の無い町でスキ
ーを一生懸命する事は容易では有りません。そんな時、海外に出てもっと大き
な世界でやりたい事をしたいと思い、フランスへ行く事にしました。もちろん
そんな16歳の子供の我侭を聞いてくれた両親には感謝しています。
 
 フランス1年目は大変でした。もちろんフランス語が話せる分けもなく、英
語も全く駄目と言う自分がフランスの高校に通い、地元のスキークラブに入っ
てトレーニングをする、そんな自分がどんな風に生き延びていたかは話さ無く
てもだいたいの事はみなさんにもお分かりでしょう。“笑顔が1番!”
 スキークラブはアヌシーの近くのグランド・ボルノスキークラブ、当時はコ
ーチが4人、ジュニアの選手は自分を会わせ5人。地元の選手だけが集まった
地元のクラブ、名古屋から来た自分には驚く事ばかりでした。スキー場経営者
からリフトのお兄さん、インストラクター、みんなが家族みたいなのです。み
んなクラブで大きくなり、成功するしないにしろ同じ夢を追って大きくなり、
次の世代に自分の夢(期待)を抱く人の集まり、それがこのクラブ、グランド
・ボルノの町なのです。
 そのころのトレーニングは毎朝9時から12時までで午後から学校へ行くと
言うのが普通でした。普通!と聞くと驚かれると思いますが、フランスではス
ポーツ選手の為に学校側も色々と工夫をしています。フランスにしては珍しい
ですね・・・。
 このシステムに入れたのはフランス生活2年目の事でした。場所はラ・キュ
ルーザすぐ隣の町の小さな小屋が学校でした。生徒の数は15人先生は2人、
ここでの授業は学校と言うよりも修学旅行と言った感じでした。普段はスキー
バスで学校へ行くのですが、乗り遅れるとみんなでヒッチハイクをして行って
いました。 こんな生活をしながら3シーズンFISレースを転戦していました
。
もちろんスキーヤーには付き物のケガにも合いました。このケガが選手を断念
する原因になったのですが、その原因がクライミングとの出会いのきっかけに
なりました。
 当時リハビリのため自転車に良く乗ってた自分を初めて山に連れってくれた
のも地元のおじさん(見た目はただのおじさんですが本当に山を好きな山男) 
でした。
 モンブランへの出発の前日、友達とレストランで食事をしたのですが、「食
後酒は山に良い」とみんなにだまされて飲まされ出発したモンブラン。(もち
ろん疑ってはいましたが・・・)
 朝シャモニに付くなり気持ち悪く吐いてしまった自分。こんな体調で出発、
さすがに山頂に付いたときには気持ち悪く横になってしまい、何かを見たとか
言う記憶もありませんでした。そんな中で何か素敵な物に出会えた気がしたの
は不思議な物ですね。それが、ガイドになりたいと思う事になる最初のきっか
けだったのかもしれません。
 
 フランスのガイドに成るにはいくつかのステップが有ります。まず書類検査
です。55本の難度の決められたルートを出さなければなりません。と言うこ
とは最低55本登らなくてはならないわけです。クライマーの友達が少なかっ
たためまずパートナー探しから始まりました。なかなか長い間山に入れる人も
少なく、夏の間何回も1週間ほどプロン・デュ・ミディにベースキャンプを張
り、毎ルートごとにパートナーを変えて登った時期も有りました。もちろん余
り知らない人との登山も多かったです。それは良い経験にはなりましたが、良
い思い出ばかりでは有りませんでしたが・・・。 書類検査の後、プロバトア
ーと言う実技試験が行われます。これがENSA(フランス国立スキー、山岳学校)
への入学試験です。5日間に亘る試験は体力的にも神経的にも疲れました。夕
方6時頃毎日その日の通過者がみんなの前で発表されました。せっかく前日知
り合った仲間が次の日の夕食には居なかったり、2人部屋のルームメイトが荷
物をかたずける後ろ姿を見たり・・・まるで明日の自分を見ているのではと思
ったり・・・。
 最終的に残ったのは150人中45人、この中の軍人をのぞいた39人とは
これからガイドの最終試験まで(4年間)一緒です。
 その後、4週間の授業の後、4週間の冬山の研修そして今年の夏、7週間の
夏山の研修が終わるとアソピゴンガイドになります。その後2年間、ガイドと
して経験を積み、最終試験を5週間受けます。
 冬山の研修は非常に面白かったです。生徒5人に講師が1人付き行われたの
ですが、山スキーからアイスクライミング、レスキュー、ロープワークに到る
まで様々な授業が行われました。又、有名なアルピニストが講師なので彼らと
一緒に登れるのも良い経験になりました。
 夏の研修に付いては研修後お知らせ出来ればと思っています。 
 冬の間はスキーインストラクターとして働いているので少し忙しいのですが
、忙しく無いときは山に行き、授業が終わると週に2回ほどクライミングジム
で友達と集まり腕を張らせ、雪が無くなるとフランス中をクライミングをしに
回ったり、氷がぶら下がるとそれにぶら下がりに行ったり、まずい食事を取り
たくなると山へ行き、とこんな自由気ままにRock&Snowしいています。
 
 今後はシャモニにまずは住み、スキーインストラクター、マウンテンガイド
として多くの日本のみなさまにアルプスの本当の素晴らしさ知ってもらえるよ
うにお手伝いして行きたいと思っています。

 

未来の大モノ3  大久保由美子YUMIKO OHOKUBO  カナダのヤムヌスカでトレーニング


今年3月から3カ月間、カナダの登山スクールに参加した。一緒に講習を受け
る11人の生徒は、18歳から20歳台前半が中心。ジェネレーションギャップかカ
ルチャーギャップか定かではないが、最初いろいろなことに面食らった。気付
けば私も30で、周囲もすっかり年下ばかり。今回は北米の若者文化(この言葉
を使うこと自体オバサンの証拠だ)に触れる貴重な機会となった。といっても
、こんなコースに参加する者の集まりというだけで、ごく狭い世界の話と言え
るのかもしれないが・・・。
 彼らは遊びの天才で、野外講習中少しでも時間があくとすぐに遊び始める。
雪があれば雪合戦、川原では石投げ競争。オートキャンプ場では、フリスビー
、ホッキーサックからギターまで。ホッキーサックとは、お手玉のようなもの
を地面に落とさないように脚で蹴って遊ぶものだが、カナダのアウトドアショ
ップのレジ横には必ず置いてあり、「これをやらなきゃ山屋とはいえないね」
と言われたたが本当だろうか。
 だいたい1週間前後の野外講習のあと、寮代わりのカナダ山岳会クラブハウ
ス(会員になれば一泊15$。カナディアンロッキー探訪のベースとしておすす
め。所在地はアルバータ州キャンモア)に戻ってくるのだが、まず、朝からヴ
ォリュームいっぱいにして流されるパンク系のファンキーな曲で目が覚める。
リビングの床にはポテトチップが食い散らかされ、昼からビールは飲むわ、と
ころかまわずオナラはするわで、まるで男子寮にいるようだ。
 若い彼らは好奇心旺盛で、すぐ「これは日本語で何というのか」と聞いてく
る。感心するのは、すぐ覚えて日常生活で使いはじめることだ。翻訳はもっぱ
ら、グループにいるもう一人の日本人ヒデの役目だったが、「スカシッペー」
「ムネサワテモイイ?」などしょーもない日本語が飛び交う。でも名前を日本
語で紙に書いてあげると、ノートに一生懸命写し取ったりするところがかわい
い。
 団らんになると、一人が派手なゼスチャー付きでしばらく語り始め、最後に
オチで締めてみんながどっと笑う、という場面がよくあった。これも日本では
見られない光景だ。
 レンタルビデオショップで借りてくるのは、ほとんどがB級コメディか、エ
クストリームスキーまたはスノーボードのビデオクリップ。今まであまり見た
ことはなかったが、エクストリーム競技のあまりのすごさにガクゼン。彼らは
20歳前後の若さで、われわれが滑落や雪崩を恐れておそるおそるクライムダウ
ンするようなところを、雪崩を起こしながら飛んで飛んで飛びまくる。うーん
、価値観の変換を迫られるなぁ。行きはヘリを使っているようだが、自分の足
で登ったところを、ああやって滑り降りられたらどんなに気持ちいいだろう。
しかし、彼らはジャンプする時、どうやってその下の危険を予測しているのだ
ろうか? 予測していないのかもしれない。
 カヌーセクションの時には、カヌーロデオのビデオも見たが、これはまたキ
ワもの。自ら激流に飛び込み、滝を飛ぶ。失敗して岩にぶつかった顔から血を
流しながらニヤッと笑うカヤッカーの姿も。 何か根本的に違うのだ。
 先日、NHKの「驚異の小宇宙 人体Ⅲ 遺伝子・DNA」という番組を見
ていて、正解らしきものを見つけた気がした。ある特定のタイプの遺伝子を持
っていると、目新しいことや危険なことに引きつけられたり、不安がる傾向が
強くなったりするというのだ。大方の予想を裏切らず、日本人は好奇心遺伝子
が長い人は非常に少ないらしい。そして、不安遺伝子を一つでも持つ人は、ア
メリカ人の67.7%に対して日本人は98.3%だという。まあ、育った環境の違い
もあるし、一概に決めつけるわけにもいかないだろうが、これはおそらく山の
世界でもみんなが薄々感づいていた日本人と欧米人の違いではないだろうか。
少ないとはいえ、わが国の山屋には好奇心遺伝子の長い人が一般より多そうな
気がする。統計を見たことはないのでわからないが、不安遺伝子の存在がより
慎重にさせ、そういった日本の山屋は欧米人に比べて事故に遭いにくそうだ。
 で、「This is a life!」である。ヒデは、「幸せだ」と訳した。そりゃ日
本人はこっ恥ずかしくてとても「これぞ人生!」と雄叫びを上げることはでき
ないだろう。なかなかスルドい訳だ。とたんに、パフパフのパウダースノーに
思い思いのシュプールを刻みながら、「シーアゥワセダー!」と叫ぶ若者たち
。困ったことに、自然からなんらかの感動を受け取るたびに、私の胸には(幸
せっ ←このスペースにハートマーク)ではなく、(シーアゥワセダー)とい
う変なイントネーションの日本語が浮かぶようになってしまった。「This is 
a life!」と臆面もなく叫べる彼らは、小難しいことは何も考えず、ただ純粋
にその行為自体が楽しくてやっているのに違いない。あやかりたい。

 

杉野さん主催の小さなコンペ



9月11日小川山にて杉野保・千晶主催の第3回クリフカップが開催された。場
所はフェニックスの大岩で、外岩のため普通のコンペのようにオンサイトリー
ド方式はできない。よって内容が変化にとんだ楽しいものとなった。総計14名
の参加で2名がペアとなって4種目の獲得ポイントをペアで合計し、順位を決定
する。組み合わせは自己申告グレイドをスタッフが判断してペアとなる。すべ
てがトップロープ方式で行われた。まずウォーミングアップとして「時間ぴっ
たりクライミング」自分で指定した時間内に登るが、オーバーは0点。登って
いる最中は意外に時間の観念がなくなる。「ディフィカルト競技」はいかに上
部のホールドをさわれるかというもの。5.11aなのだが外岩の厳しさでほとん
どの人が同じ場所で落ちてしまった。目玉競技である「スピードクライミング
」は大いに盛り上がった。ここで本領発揮して猿っぽさをばらしてしまった人
が多数でた。最後の「ハッキーサック競技」は、毛糸でできた小さいボールを
何回リフティングできるかという競技である。しかし経験者が乏しく、低レベ
ルの戦いとなった。競技結果は夜の懇親会にて発表され、豪華賞品多数だった
ため参加者全員にふるまわれた。
 

キジはナルゲンに




 
いよいよヨセミテでビッグウォールに挑戦することになった。準備万端ギアも
揃えて、荷揚げの手順もマスターした。でも、ちょっと待てよ、巨大な壁の中
でキジ撃ちはどうしたらいいの?そのまま撃ち落しで誰も文句は言わないかな
? 地面の上なら穴を掘るのが一番だけど、岩登りをする壁の中ではそんなこ
とはできない。当然、下に落とすか、持って登ることになる。下に落としても
もちろんゴミだから後で回収しなければならない。ビニールの袋に入れても、
下に落とせばつぶれて回収できないし、持って登るにも不安はつきまとう。重
い塩ビのパイプがよく使われるらしいけど、あるクライミング雑誌にもっとい
いアイディアが紹介されていた。
 まず、広口のナルゲンボトルを購入する。さらに、スーパーでフルーツや野
 菜を入れる薄手のビニール袋を必要量手に入れる。このビニール袋、アメリ
 カならどのスーパーでも必ずあって、自由にいくらでも持ってこられる。壁
 の中でもよおしてきたら、安全のために2重にしたその袋に用を足す。キジ
 ペを少し湿らしたりして効率を上げるのもテクニックだ。無事完了したらナ
 ルゲンボトルに注意して詰め込む。この方法、ふたりで4,5日分はまず大丈夫
 だという。
 トイレがなければ穴を掘って用を足すのがアメリカのウィルダネスでは常識
 。山で会うバックパッカーたちがプラスティック製や折りたたみ式の小型シ
 ャベルをザックにぶら下げて歩いているのはそのためだ。大量に撃ち残され
 た大キジが異臭を放って散乱する日本の山を目にすると、我々もぜひ見習い
 たいアウトドアズマンのエチケットだ。小川山などではちゃんとトイレで済
 ましてから登りに行きたいものだ。ヨセミテのビッグウォールを登りに行く
 人もきちんと自分の下の世話をできるようになろう。日本人クライマーはだ
 らしがないなどと言われたら、そのうちヨセミテでは日本人クライマーお断
 りになるかもしれないよ。
(カルロス永岡)
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うちのクラブのマドンナ




クラブのマドンナは26歳の田中智美さん。「部屋を山道具でいっぱいしたい」とい
うささやかな入会時の抱負はすぐにかなえられ、今は山道具であふれかえっている
部屋を前にして収納場所を悩むまでになっている。前期の山行日数では歴代トップ
の男性を抜き1位。メンバーがいなければ単独行もする彼女はオールラウンドに山
を楽しんでいる。
ほぼ毎週末に山行の予定があり、さらに最近はボルダリングにも挑戦しだしますま
す多忙な毎日を送っている。
小柄な彼女のパワーの秘訣は「食」である。どこに入るかわからないくらいいい食
べっぷりをする。やはり食べれなければ歩けないのを証明してくれている。
気さくで笑顔のすてきな彼女はクラブの盛りあげ役として欠かせない、明るく元気
な(騒がしい?)みんなのマドンナである。

「クラブ紹介」
アルパインクラブ横浜は30年の歴史があり、山岳会にしては珍しく20~30歳台が中
心の若いクラブである。総計40名ほどで、月2回の例会と春・夏・冬合宿のほかに
春夏秋冬のリーダー部における教育山行もさかん。春は雪崩捜索・ビバーク訓練、夏
は岩登り講習、沢登り講習、秋は遭難対策総合訓練、冬は雪上訓練と基本を学べ、安
全管理ができる人材育成作りの体制を強化している。そのほか個人山行では山スキ
ー、フリークライミング、アルパインクライミング、アイスクライミング、縦走な
ども頻繁に行っており初心者からエキスパートまで幅広くそれぞれ自分にあった山
行が楽しめる。
アットホームな雰囲気のなか自分を高めていけるクラブである。(RM)
連絡先 〒240-0043 横浜市保土ヶ谷区釜台町35-33-305
江端節男
  
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Rock&Snow劇場『リサ』



「愛は死を制す」この映画の根底に流れているテーマである。マッターホルンに挑
む女性クライマーと若きピアニストは目指すものがそれぞれ違うがお互いひかれあ
っていく。ピアノしか知らなかった彼がリサの世界に急速に魅了されていく。彼が
ピアノよりも彼女を追って無謀にも山に入っていく姿に、せつなさがこみあげてく
る。美しいピアノの旋律にのせて、ザイルをつなぐことが心までもつながっていく
気持ちにさせられる。
 街中でもあらゆる所をクライミングしては奔放に楽しむリサに死の影がしのびよ
ってくる。死が身近になってくるほど生きることに純粋になり、相手を大切に思え
てくる。
 美しい山とピアノがおりなすラブストーリーは女性クライマー必見、男性クライ
マーももちろん押さえておくべき映画である。
 11月20日から12月17日まで新宿シネマ・カリテにて独占ロードショー。
(RM)

TOPICS-5(最近版)

こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 1999

寒いとよく登れる?



『Rock&Ice』に、冬のクライマーを励ましてくれる記事があったので紹介しよう。
 トミー・コールドウェルはクリス・シャルマと並ぶアメリカの若手ナンバーワンだ。
コロラド州エステスパークに住んでいる。シャルマはどちらかというとハードなショー
トルートやコンペなどが得意なようだが、コールドウェルの方はアルパイン系のルート
も積極的にこなす山好きのスポーツクライマーだ。コールドウェルが感謝祭の連休を利
用してシャルマのネセサリー・イーヴィル(5・14C)を再登したニュースは既報ずみ
だ。アメリカの感謝祭は11月の末、本格的な冬の到来を告げる祝日だ。けして暖かいと
はいえないコンディションのなか、ネセサリー・イーヴィルをレッドポイントした彼は
「寒いとよく登れる」という彼の持論を語ってくれた。
 エステスパークといえばロッキーマウンテン国立公園のふもとの町だから、カリフォ
ルニアのクライマーなどに比べたらコールドウェルが寒さに強いのは当たり前かもしれ
ない。彼がレッドポイントした困難なルートのほとんどは氷点下近くの気温のときに成
功したものだという。気温が4度Cくらいで、太陽の差さない冬寒の日が最高のコン
ディションだと彼はいう。
 かじかむようなコンディションが最高だというのにももちろんしっかりとした理由が
ある。まず、指先の皮膚が硬くなり何回もシリアスなトライが可能になることだ。ホー
ルドは滑りにくくなるし、どういう訳かパンプもしにくくなるとコールドウェルはい
う。そして、クライミングシューズのゴム底に関しては、暖かいときよりは押さえつけ
が少し必要になるものの、寒い方がベストだと付け加える。そして、寒い冬にハードな
ルートをレッドポイントするためのいくつかの秘訣を述べている。
 いきなり寒いところに出て登ろうとしても、体がついていかないのは当たり前だ。秋
口から徐々に体を寒さに慣らし、コンディショニングしていくことが大切だとコールド
ウェルはいう。着るものについては長袖、長ズボンで綿製品は避ける。寒くても気合を
入れてTシャツ1枚になって取り付いたりはしない。そして、暖かい帽子はぜったいに
欠かせない。1フリースでできた靴下のような手袋も欠かせない。テーピングをすると
む
くんだり、指が冷たくなったりするのでなるべく避けたいとのことだ。チョークバッグ
にホカロンを入れたり、暖かい飲み物も欠かせないし、焚き火かポータブルヒーターも
ほしい。シューズを履くたびに暖めたり、クライミングシューズ用のフリース製アンク
レット(レッグウォーマーのようなもの)を着けるのも良策だ。かじかませておいた手
をクライミングの直前に暖めて取り付くと、かじかみが起きにくいともいっている。
(長岡カルロス)

  

ジャミングなんて知らない? FCジャパンツアー99第1戦




 クライミングコンペの国内シリーズ“ジャパンツアー”の第1戦が、5月22・23日、
大阪のパンプ大阪店で開催された。 男子は総勢53名。開幕戦ということもあって常連
の実力者はほぼ全員が参加。平山、小山田はワールドカップ出場のため欠場。実力伯
仲、だれが勝つかわからないといった状況だった。
 男子予選では中間部にコンペでは珍しいジャミングを使う部分があり、ここでクラッ
ク経験のとぼしい若手クライマーのほとんどが敗退した。
 女子は23名が参加。予選では5・11aを19名中(シード選手4名を除く)12名が完登
し、選手の実力が確実に上がっていることが確認された。
 男子準決勝は非常にテクニカルなルートで完登できたのは26名中、篠崎喜信、立木孝
明、柴田朋広、藤井茂久の4名のみだった。
 男子決勝ではベテランが健闘した。篠崎喜信と堀越隆正が、天井を這い回るようなパ
ワフルなルートで最高到達点をマーク。準決勝の成績により篠崎の初優勝が決定した
 女子は昨年のシリーズチャンピオンの木村理恵が故障により欠場。決勝では加藤保恵
と中貝星子がどちらも完登。ふたりによるスーパーファイナルが行なわれたが、これま
た両名とも完登。優勝者2名という結果となった。   (北山 真)

 

フリークライミング・ワールドカップ99 第2、3戦レポート



第2戦=ドイツ
 5月29・30日、ドイツのライプチヒでワールドカップの第2戦が行なわれた。日本か
らは5月頭からニースで登り込んでいたユージ&大ちゃん、そして木村伸介、原田裕介
の4名が出場した。理恵(木村)もエントリーしていたが、膝内側の靭帯を傷めてしま
いキャンセル。
 壁はレッドルースター社で、ホールドはスロベニアのもの。高さ16メートル、ハングの張り
出しは8㍍もあり、中央には巨大なツララがぶら下がっている。会場はガラス張りの現
代建築の中だったが、今年のドイツは異常気象だそうで中はビニールハウス状態、サウ
ナ状態だった。
 男子クォーターファイナルは2ルートで行なわれたが、日本人は全員同じルート。中
間の悪い核心で木村、そして大ちゃんもここで落ちてしまった。大ちゃんはコンペ前に
右手指を傷めてしまい、核心の切り返しがポケットだったための無念のフォールだっ
た。ユージは余裕の完登。
 セミファイナルはほとんどが中間部でフォールするなか、ユージが終了一手前のホー
ルドタッチまで迫った。結局完登は出ず、終了手前でダンゴ状態となった。第1戦でワ
ン・ツーを決めた地元ドイツのビントハマー兄弟、そしてフランスのプティ兄弟もそ
ろって通過した。
 女子は順当な顔ぶれがファイナルに進んだが、印象的だったのがスペインのホスネ・
ベルシアルトゥ。終了手前のクリップができず、飛ばして最終ホールドをつかみ、それ
から下にクリップしようとし、やはりできずにフォール。下りてきてわめきちらし、地
面を蹴りまくった。ファイナルではリブ・サンゾが最後のパネル近くまで登り予想どお
りトップになった。注目のキャティ・ブラウンが最後に登場。ところがキャティは中間
のツララから右に行くところを左へと登っていく。左は男子ファイナルだ。気がついた
ときはクライムダウンしようもなくフォール。会場もしらけたムードになった。オブザ
ベーションしていないのか?
 男子ファイナルはクライムダウンを含む長いルート。一番手のエフゲニ・クリボチェ
フがいきなり上部に達する。その後だれも上部に行けないなか、王者の貫禄を見せたの
がフランソワ・ルグランである。中間部でツララとカンテにステミングしてレスト。会
場は拍手の嵐となった。しかしここでレストしすぎて、上部フェースに出たとたんに残
り1分のコール。スピード全開で登り、最後はクリップもせずにランジで上部ホールド
にタッチした。最後にユージが登場。いつものスムーズな登りに会場からはため息が出
る。しかしまだまだこれからというときに、足が滑ったような感じでフォールしてし
まった。結果は3位。
 あとで聞いてみると、上部はクリップホールドがどれも悪く、それでリズムが狂った
ようだ。時間がせまっていたルグランは逆にラッキーだったのかもしれない。しかし
久々のコンペ出場で3位はさすがだ。私も4年ぶりのワールドカップ出場(観戦?)
だったが選手の顔ぶれもまったく変わった。そのなかでがんばり続けるユージはつくづ
くえらいと思った。
第3戦=フランス
 第3戦は6月11~13日、フランスのブザンソンで開催された。壁はアントレプリズ
社。3面の壁が上部でつながっている形状だが高さは12㍍と低く、最近の世界大会では
いちばん見栄えがしなかった。
 日本人は前回と同じ男4人に女子は理恵。ニースで登り込んだ日本チームだが、ユー
ジは8bをオンサイトするは、大ちゃんは8c+を2日で登るは、このふたりはすごす
ぎる。
 クォーターファイナルはユージ、大ちゃんは完登。木村は上部核心部で落ちて通過な
らず。女子はなんと32名が完登するのだが、理恵は終了点をつかみそこねる。しかし足
が完治しない状態で1カ月ぶりのクライミングだったので満足しているとは本人の弁。
 男子セミファイナルは出だしから悪く有力選手がつぎつぎと落ちていく。後半のトラ
バース部分につかみづらいツノ状のホールドがあり、その処理が勝負の分かれ目となる
ようだ。そして最後の這い上がりが最も悪いようで、すべての選手が落ちる。そこに登
場したルグランが、かなり苦しみながらも完登する。つぎがユージだったがトラバース
部分でまさかのフォール、10位となりファイナル進出はならなかった。
 そんななか会場を驚かせたのが大ちゃんだ、下部はかなり苦しそうだったが上部のト
ラバースに入ったとたん足をブラブラさせた本来の登り(?)に入る。だれもが苦しん
だツノ状ホールドに片手でぶら下がりクリップ。そしてあのルグランがあれほど苦しん
だ最後の這い上がりのホールドでもチョークアップする始末。これには観客、とくに選
手は開いた口がふさがらなかっただろう。
 女子はブラウンとベルギーのサルカニーが完登し、スーパーファイナルが行なわれ
た。上部はなんと男子ファイナルに突入するという無謀なものだったが、ここでもブラ
ウンは異常な力を発揮、悪いホールドをつぎつぎと持ち替えて進んでいく。彼女には手
順など関係ないのだ(ラインさえ間違えなければ)。結局、男子最高到達点の一手先ま
で行ってしまった。サルカニーは正しい手順でいくのだがブラウンの下で落ちてしま
う。
 男子ファイナルは、見ているほうもだれが勝ったかわからないような、後半の5~6
手のなかでのダンゴ状態となってしまった。大ちゃんの結果は7位だが実力的には完全
に互角といっていいだろう。リーチがないぶん、悪いムーブでそれぞれの難所をこなし
ていくたびに会場には“ダイ”コールが鳴り響いたほどで、人気も上がってきたよう
だ。(木村伸介)

エルニーニョをフリーで第2登(限り無くオンサイトに近く) レオとパッチに話しを聞いた


ミッキー水津



98年秋のヨセミテは、例によって世界中からのクライマーで賑わっていた。そんなヨセミテ
Camp4で、Leoという名の18才のイギリス人クライマーが僕ら日本人クライマーの間でも噂
になっていた。彼のまわりにはいつも人だかりができ、彼の底無しのエネルギーと、クライ
ミングという枠組みを感じさせないボルダリングに、僕は圧倒されてしまった。
朝夕の冷え込みが厳しくなりはじめた10月下旬、LeoとパートナーのPATCHはフーバー兄弟に
よって拓かれたばかりの“エルニーニョ”(以下E.N.)へ、思いついたように取り付き、
なんとほぼ全ピッチオンサイトという形で、第2登してしまった。
幸運にも時を同じくしてE.N.の右隣りのルート“ワイオミングシープランチ”(以下W.S.R.)
を、イギリス人クライマーのIan Parnellと登っていた僕は、お互いの完登後、2人と話をした。
10月31日ハロウィンパーティーで賑わうヨセミテのバーで。

水:水津幹夫
L:Leo Houlding
P:Patrick“Patch”Hommond

水:すばらしいスタイルでのE.N.第2登おめでとう。
L&P:ありがとう。あんたもW.S.R.おめでとう。
水:ありがとう。まず、簡単にプロフィールを教えて下さい。
L:名前はLeo Houlding、North England出身で18才。旅をしながら生活していて、職業は
クライマーかな? スポンサーとして、Berghaus、5.10、DMMがついてくれています。
P:名前はPatrick Hommond。“Patch”はあだ名で、North Wales出身。19才、学生です。
水:それぞれクライミングを始めたきっかけや、クライミング歴なんかについて聞かせて下
さい。
L:クライミング歴は8年で、それまでの生活があまりにも退屈すぎたから始めたんだ。
P:クライミングは14才の時に3才の時以来ずっと住んでいるNorth Walesで始めたんだ。
僕は小さい頃からよく木登りをしていたし、その頃の僕にとってクライミングを始めるのは
すごく自然なことだったんだ。
水:これまでのベストクライミングを教えて下さい。
L:僕のベストオンサイトは、ボルトの使われたルートだと今回のE. N.でトラディショナ
ルルートでWalesのClogwyn D'Arduにある“Master's Wall”(7E 6c)で、ベストレッドポ
イントは新しいルートだけど、WalesのOgwenにある“Ravehichen”(E9 6c)です。
P:僕のベストオンサイトは、“Raped by Affection”(E7 6c)で、ベストレッドポイント
は16才の時で、“Statement of Youth”(8c)です。
水:それぞれ、どんなタイプのクライミングが好きなんですか?
L:僕は基本的にトラディショナルクライマーで、今回、ビッグウォールフリークライマー
にもなれたと思う。今は、フリークライミングと、ボルダリングをしている時が一番ハッピ
ーなんだ。
P:僕のお気に入りの岩場は、North WalesのGogarthで、僕は安全で難しいクライミングよ
り、大胆でエキサイティングなものの方が好きなんだ。つまり、ボルトで安全を約束された
ルートよりトラディショナルなルートの方が好きなんだ。
水:たぶん2人のそのようなハイレベルなトラディショナルクライミングの経験が今回の
E.N.でのすばらしい結果を生んだのでしょうね。ここで、E.N.の感想を話してもらえますか?
L:E.N.は僕がこれまで登った中でベストルートのうちのひとつだと思う。半分はスレート
のスラブで、残り半分はGogarth的だった。僕はE.N.をオンサイトすることにすごく気合が
入ってたんだ。確信の5.13cのピッチはかなり難しいフラッシングだったし、5.13bのル
ーフは、これまでにオンサイトした中で一番ハードだったと思う。でも僕らは全てのことを
楽しんだと思う。例えば、悪天のせいでの停滞や、僕らのクライミングスタイルや、最終日、
暗くなってしまい、ヘッドランプを使って突き進むしかなくなってしまったことや、あんた
とIanが隣のルートを登っていたことなど、とにかく何もかもが楽しかった。
P:E.N.はこれまでの僕のクライミングで最高のものだった。大岩壁でのスレートと
Gogarth的なクライミングで、世界でも最高のルートだと思う。僕らは、E.N.に4泊5日
を要し、そのうち1日は激しい雨のため、じっとして過ごしたけれど、それもまた、エキサ
イティングだった。僕らはすごく調子良く登った。特にLeoはルート中で彼の最高グレード
を更新したんだ。それに、あんたとIanがW.S.R.を登っているのを見るのがすごく楽しか
った。それは、全然ちがう種類のクライミン
グだったけど、すごくエキサイティングに見えたし、これら2種類のスタイルを比較するの
は、とても興味深くもあったんだ。
水:そうですね。雨の日の停滞といい、毎晩伝えられる君たちからのその日の結果が楽しみ
だったし、僕にとっても刺激的でした。次の質問ですが、2人はこれから、どういったクラ
イミングをしていきたいですか? また、アルパインクライミングなどにも興味があるなら、
そういったことも教えて下さい。
L:今、一番楽しいのはフリークライミングとボルダリングだけど、将来的にはバフィン島
やパタゴニアや、山岳地帯にあるビッグウォールへも行ってみたいし、今年の冬にはアイス
クライミングも始めてみたいと思っているんだ。
P:僕はもっとたくさんのクライミングエリアを旅してみたい。特に山岳地帯にある更に大
きな岩壁へも行ってみたいと思っているんだ。でも、とりあえずはシャモニやスコットラン
ド、ウェールズでのアイスクライミングの十分な経験を積む必要があるけどね。
水:日本や日本人クライマーについてどんな印象を持っていますか?
L:平山ユージは世界的に見てベストだとい
えるビッグウォールの登り方というものを“Salathe”で見せてくれた。僕とPatchは彼の開
けてくれた扉を通り、彼の後に続き、E.N.をオンサイトできたと思っているんだ。
P:世界中の多くのエリアで日本人は成果を上げてきているし、僕の出会った日本人はみん
な、モチベーションにあふれていたし、“Salathe”でのユージや、あんたがやっているよ
うに、日本人は楽しむことやクライミングの精神性を見失うことなく、理想のクライマーに
近付こうとしていると思うよ。
水:そう見えますか?
L:それに、東洋の格闘技はすべてのことに基準を示していて、すばらしいね。僕はブルー
ス・りーのようになりたいんだ。
水:ブルース・りーは日本人ではないけど、興味深い話ですね。
L:現在スポーツクライ
ミングはどんどんポピュラーになりつつあるけど、ボルトは良くない物だと僕はいつも言っ
ているんだ。一番良いのは、やっぱりトラディショナルクライミングなんだ。ましてや絶対
にChippingやGlueing(ホールドをくっつけること)みたいなバカげたことはしてはいけな
いんだ。
P:そう。未来の世代の僕たちのようなクライマーのためにも、岩を尊敬することはとても
大切なんだ。また、エキサイティングで楽しめるトラディショナルなクライ
ミングに、もっと目を向けて、クライマーの間にボルトを打たないという倫理がもっと存在
すべきだと思うんだ。
水:異議なし。もっと話を聞きたいところですが、今日は遅くまでつきあってくれてありがとう。
LP:どういたしまして。楽しかったよ。


このインタビューでは、イギリス人クライマーならではの倫理の厳しさを彼らのような若いク
ライマーから聞けたのは、ある程度予測できたものの刺激的だったし、考えさせられること
も多かった。ボルトが妥協であることを忘れることなく、クライミングには発展していって
もらいたものです。

▲“El  Nino”について

“El  Nino”は1998年9月、AlexanderとThomasのHuber兄弟によってEl Capitan南東壁の
“North American Wall”に、ほぼ沿ってフリー化されたラインである。
 全30ピッチのうち13ピッチが5.12以上、そのうち6ピッチが5.13とグレーディングされて
いる。
 彼らは古いボルトの打ち直しはしたものの新しくとったライン以外でのボルトの追加はし
ておらず、プロテクションはリードする者によってセットされた。



今月の由佳ちゃん

小林由佳ちゃん(8歳)がついに13を登った。レッドポイントに成功したのは福島
県の真野川の岩場。ミクロコスモス5.13a。3回目のトライだった。ロクスノは今後
も常設ページを設け、この天才クライマーの動向を密着取材でレポートする予定であ
る。写真は未掲載。Rock &  Snow4をみられたい。

小川山のRock &  Snow

写真は未掲載。Rock &  Snow4をみられたい。

小川山のキャンプ場で屋根岩をバックにとったもの。小池  カメラマンが取材の合
間にねらったもので、本人の自作自演。カメラのシャッターをバルブにして、ヘッド
ランプで描いたとのこと。
 

ユージ、Wカップ総合優勝。世界チャンプに


イタリアのミラノで開かれたフリークライミングのワールドカップ第2戦
、で平山ユージが優勝した。続いて第3戦のスロベニアでも優勝。
第1戦のクールマイユール大会では2位になっているので、総合優勝となった。
名実ともに世界の頂点。すごい。これは。

以下はミラノ大会のレザルト。

1	HIRAYAMA	Yuji	JPN
2	KRIVOSHETSEV	Yevgen	UKR
3	PETIT	Arnaud	FRA
4	BRENNA	Cristian	ITA
5	WANDELER	Simon	SUI
6	VICKERS	Ian	GBR
7	GALLOT LEVALLEE	Mathieu	FRA
8	VILLIEN	David	FRA
9	CIENCIALA	Michal	CZE
10	RAKHMETOV	Salavat	RUS

21	KOYAMADA	Dai	JPN

1	SARKANY	Muriel	BEL
2	SANSOZ	Liv	FRA
3	GRONKIEWICZ-MARCISZ	Iwona	POL
4	BODET	Stephanie	FRA
5	UHDEN	Marietta	GER
6	SCHULTZ	Annatina	SUI
7	BERECIARTU	Josune	ESP
8	LEFLEM	Cecile	FRA
9	TCHERECHNEVA	Venera	RUS
10	IOVANE	Luisa	ITA

11	GO	Mi Sun	KOR

 

けっこう使える、面白アイデアブック 「Quick Clips」


 「岩と雪」が休刊になってから、アメリ カの「Climbing Magazine」を読み出し た
 人は多いだろう。わたしもその一人で ある。その中の人気コラム「 クイック ・ク
 リップス:Quick Clips」が一冊の 本になった。「クイック・クリップ」は読者の投
 稿欄で、色々な人が各自考えてやっているさまざまな工夫を紹介するというコーナー
 である。この各自の工夫というのは人知れずやっている人がほとんどで、やってる本
 人は当然だと思っているが、知らない人にとってはそれこそ「目ウロコ」なものであ
 る。そんな人知れずの工夫を発掘するという、なかなか目のつけどころのヨイ企画で
 あると言えよう。 だいたいが登山界には工夫好きな御仁が多いようである。多くの
 登山メーカーの創始者だって、既製の道具に飽きたらずに自分で作り出したのが始ま
 りである。そんなプロレベルではなくても、みんな何かしら細かい工夫をしているよ
 うである。そしてみんなその工夫をできるだけ伝播したいという本能にも似た欲求を
 もつようである。ましてやクライミング・マガジンのクイック・クリップに掲載され
 ると、$100のお礼がもらえるので、きっと毎回たくさんの投稿があることだろう
 。「クイック・クリップス」には道具に関しての工夫だけでなく、トレーニング方法
 や、安全対策などのヒントも書いてある。イラストレーションも豊富で、英語の文が
 よくわからなくても楽しい。内容は、ロック・クライミング、スポーツ・クライミン
 グとボルダリング、エイドとウォール・クライミング、ノットとロープ、ラペリング
 、アイスおよびミックス・クライミングと登山の6つの分野にわたっている。 ただ
 、さすがにアメリカは広い!実にさまざまなアイデアが紹介されている。いちばん笑
 えるのは、序文に書いてある「夜のドライブ方法」で、「トランクにレンガを積み込
 んでおくとヘッドライトが遠くまで届いて、実に運転しやすい。おまけに対向車がか
 ならずパッシングしてくるので眠気ざましにもなる」というものだ。これはあまりに
 反社会的だったのか、採用はされなかったようだ。当然本文はもっとマジメなものが
 多い。もちろんその全てをここで書くことはできないが、いくつか挙げてみよう。「
 ハングドッグをしたり、大墜落をしたあとは、ハーネスに結んだロープがかたく締ま
 ってほどけなくなってしまった経験は誰でもあるだろう。それを防ぐには、ハーネス
 のタイイン・ポイントに二重にロープを巻いてから8の字結びをすると、結び目には
 それほど加重がかからずにほどきやすくなるよ。」もうひとつ。「雪山を歩くときは
 、プラスチックの水筒に雪を入れてザックにぶら下げておけば、そのうち水になる。
 その時、水筒を黒いテープでグルグル巻きにしておけば、ソーラー・パワーで効果バ
 ツグン!」どう?こんなの常識だって?じゃあスモールストッパーがワインのコルク
 抜きになるって知ってた?ビーチベッドを利用したポーターレッジの作り方は?それ
 も知っているというあなた。ぜひあなたの持っているアイデアをクライミング・マガ
 ジンに投稿して$100をゲットしよう!Climbing MagazineIllustrated by John M
 cMullenCopyright 1997by Elk Mountain PressUS$7.95                           
              (松本板吉) 

 

死の山と化したアコンカグア






 エベレストでさえガイドを雇って登る昨今、高度も低くて
歩いて登れるアコンカグアが人気がない訳がない。ところが
今年のシーズン、だれでも登れるはずのアコンカグアが大変
貌してしまった。多くの登山者が入山して、天候が悪化した
のだから遭難者も数多くでた。エル・ニーニョの影響による
悪天で3ヶ月にわたり15人の登山者が犠牲者となった。96
年のエベレストの時のようにいっぺんに大人数が遭難した
わけではないので、あまり大きく報道もされなかったが、大
量遭難には違いない。

ポーリッシュ氷河ルートをガイドしていたケント・マクラ
ナンは悲惨な遭難の様子を語っている。装備の貧弱なポーラ
ンド人登山者は凍傷を負い、ひとりは滑落してしまった。キ
ャンプ2には遭難者の遺体が4つ重なり、10代後半のドイツ
人登山者は頂上近くで凍死、彼のパートナーは気分が回復す
るまで少し寝てから追いかけてこいと指示していたそうだ。
南壁のバリエーションを登っていたアメリカ人は凍死して
しまった。
 アルゼンチン当局は観光客の減少を懸念して正確な遭難
者数を発表していないが、ベースキャンプ駐在のレインジャ
ーは13人から15人は遭難しているものと非公式に発表して
いる。天候が今までで最悪だったことはだれでも認めるが、
頂上アタックの判断ミスがどの遭難者にもあてはまるとガ
イド達は語っている。以上はロック&アイス誌86号に載っ
ているレポート。




 

ついにでたお助けギア デジタルビーコン


 雪山に入る人々にとって、気になるのは雪崩です。 万が一雪崩に遭遇し、埋没者
が発生した時に威力を発揮するのが、アバランチビーコン(以下ビーコン)と言う小
型電波送受信機です。これは、埋没者の持っているビーコンからの電波を捜索者側で
受信し、埋没者の位置を探すものです。 従来のビーコンはアナログタイプで、埋没
者までの距離・方向は受信電波の強弱(音・光で示される)で受信者が判断を行い探
索するという、ある程度の習熟を必要としていました。 このビーコンにもデジタル
の製品が出来ました。商品名はTRACKER(トラッカー)。コロラドのバックカントリー・
アクセス社のものです。 このビーコンの特徴は、埋没者の距離・方向が発光ダイオ
ードの点燈による指示と数字で表示されることです。今までのビーコンと違い誰が使
っても同じように表示してくれるので、熟練していない人でも、早期探査が可能にな
ります。 また、使用電波も従来の機種と同じ電波を使用しており、このデジタルビ
ーコンを使ったため、他のビーコンを探せない/探されないと言うことはありません
。


TOPICS-4(最近版)

こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 98-5-20


あのHENRY BARBERのスライドショーが澁谷パタゴニアでおこなわれた

 >知っている人はしっている、知らない人はしらない。バーバーといっても先祖が床屋だ  >ったことはまちがいないが、れっきとしたクライマーだ。  >以下、パタゴニアのちらしを紹介。フレンズをみると眉間にしわがよるという古くて頑固なお  >やじらしい。フリーソロの生き残りだ。いって見よう。  >patagonia Tokyo-Shibuya Presents >Henry C. Berber Slide Show >「Rock Climbing in USA」 >ヘンリー・バーバーのスライドショー >「アメリカのロッククライミング」 >場所:パタゴニア渋谷店 >日時:5月20日(水)19:45~ というわけで行ってきました。アメリカの岩場を紹介してくれました。 みかけとは違って天才的なクライマーのようだ。 うまいクライマーはいつまでもクライイングを楽しんでいるいんだね。 46歳という年に驚いた。 60歳くらいにみえるから。       ユージ、大岩夫妻、ジャック、そのほかたくさんクライマーがきていました。

遠藤由加さんの本。『ロッククライミングタクティクス50』刊行

待望の遠藤由加さんの本がでた。クライマー 必読。 フリーとアルパイン、さらにトレーニング、 や人生相談まで?はいっている。 その中身は、クライミングがうまくなるコツ を50あつめた、のココロだ。 yamkei-HOW TO ENJOY MOUNTAINEERING シリ ーズの最近刊。 書店に走れ。 1200円なり。

これから行きたい誰でも楽しめるツアーエリア

 今年は少雪だという。とはいえ、来るべきものはくる。黄金週間である。いまからス ケジュールしておかないと、春の日長、ぼーっとすごさなければならなくなるぞ。とい うわけで、ビギナーも楽しめるツアールートを紹介しよう。ひとりで行くのもなんだか ら、いまからお友達を誘っておこう。    間違いなく雪がたっぷりあるのが、北アルプス。でもビギナーでも滑れる所なんかあ るの? あります。立山をおすすめします。初日、アルペンルートで室堂まで。宿は温 泉山小屋がいくつも。雷鳥荘、みくりが池あたりがよろしいか。翌日、周囲一面どこで もスキールートになている。自分が滑れそうな斜面をめざして登ろう。室堂山、一の越 あたりがよいでしょう。翌々日、さらに自分向きの適当な斜面を登っていて滑ってくる 。毎日、お金がなくなるまで、これを続けるとよい。スキーも上達するはず。  あと北アルプスでおすすめなのは、八方尾根。最終リフトから、八方池あたりまで登 る。周辺をすべるとよい。宿は八方、あるいは八方池山荘も使える穴場だ。下りはロー プウエーでくだります。  遠いけれど、一度は行きたいのが、八甲田山。酸か湯か城が倉あたりに予約する。ど ちらの宿も無料のガイドツアーがあるから参加する。宮様コース、箒場岱コース、銅像 コースなどにつれて行ってくれる。安心プラン。  一方、南八甲山は緩い起伏の山が多いので滑りやすいが、ルートファインディングが しっかりできればおすすめ。  月山もよい。月山スキー場から、姥ガ岳にのぼり、周辺をすべる。月山本峰までスキ ーでいき頂上周辺を滑るのも楽しい。宿は志津の民宿。    上越では神楽峰が冬も楽しいが、春もよい。今年の少雪が気掛かりだが、リフトから 上は楽しいツアーが楽しめるはず。    今年は雪が心配だが、尾瀬の至仏山は最高だ。鳩待峠から出発。頂上から往路を戻る のが雪もきれず楽しめるだろう。雪が多ければ山の鼻に下るのが楽しいが、急斜面もあ るから無理しない。 以上、いずれもシールとお弁当、基本装備をもって向かってほしい。天気が悪くなる と、冬模様になることもある。ひととおりのプランと準備は必要だ。  くわしくは、日本スキーツアールート集、かスキーツアー入門とガイドなどの案内 書を参考してほしい。

春爛漫,いっき滑りおすすめルート

コーンスノーのシーズンだ。残雪の山はスキーで遊ぶのがいちばん。ロングツアーも楽し いが、ここでは今人気のいっき滑りができるプランを紹介しよう。 大きな山の頂上からいっきにかっ飛ばす、ガーッと登って、ガーッと滑る、アップ アン ド ダウンヒルルートだ。 春のニセコは楽しい。アンヌプリの北壁や東尾根は最高だ。北海道は遠いよ、という人に は車でいける八甲田山がいい。酸ヶ湯に泊まるかテントをはって、あちゃこちゃ滑ろう。 大岳、高田大岳あたりがいっき滑りの醍醐味が味わえるおすすめだ。八甲 田も遠いという人には、月山がいいだろう。四谷の壁がすばらしい。ついでに湯殿山の南 面もグー。泊まりは志津の宿かキャンプ場。 東北は遠いぜ、という人には平標山。ひうち峠から往復が安心だが、仙の倉から土樽へぬ けるのがおすすすめ。 越後駒もいっき登り、いっき滑りの山だ。長いが充実感いっぱい。 妙高は春スキー天国。火打の鍋倉谷滑降、黒沢山,三田原山のダウンヒルなど楽しいルー トが豊富。北アルプスには無尽蔵に好ルートがあるが、いったことのない人にはまず立山 、雷鳥沢や剣沢がいい。槍ガ岳の槍沢はスケールがでかい。双六小屋までいけば数日は楽 しめる好斜面がまっている。 とどめは富士山。ここも条件がよければ快適な滑降がたのしめる。 くわしくは近々発売のROCK&SNOW春夏号にくわしくでているよ。 春とはいえ,時期、場所により雪崩のでるところもある。 事前の調べをしっかりやって、安全第一でいってほしい。

プチドリュを最後に登ったクライマー

Rock&Ice誌にバーナード・ダーレンドンク氏がレポート を寄せている。それによると1997年9月18日、午前1時 33分、巨大な岩雪崩によってプチ・ドリュ西壁の名ルートの 大半が消失した。その2週間後、2回目の崩壊が発生して、 シャモニの有名な赤い花崗岩に高さ90㍍、幅30㍍、奥行き 5㍍の裂け目を残した。ボナッティ稜や、フレンチ、アメリ カンのダイレクトルート、そして、キャサリン・デスティヴ ェルやトーマス・グロスのルートなどの著名ルートの下部が なくなってしまった。 アメリカン・ダイレクトルートでビヴァークしていたふた りのクライマーは、壁全体が崩れだして途方もない悪夢を経 験したが、その翌日には無事救出された。 歴史的なボナッティ稜を最後に登ることになったふたり のスイス人クライマーはこわーい体験を語っている。「何年 もの間、回収不能となっている古いフレンズがいくつか残置 されている快適なコーナークラックに到達した。この残置フ レンズは通常フィックスド・プロとして使われていた。とこ ろが、ふたりが登り着いたときには、ひとつ目のフレンズは いとも簡単に外れてしまった」とか。 「第7ピッチのフレークを登りはじめると、外側に20㌢ほ ど動いて、次にもとの位置に撥ね返った」という。ふたりが 安全に下山して2時間後、巨大な岩雪崩が山頂を一瞬に駆け 下り、近くにあるイモーソンダムの地震計に震度2を記録し たのだ。(徳地泰彦)
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THE RESULT OF TAJ SKI RACE

テレマークスキーのレース、ワイルドターキーグランプリの戦績はビルケバイナーのホーム頁で みられます。 URLは http://www.asahi-net.or.jp/~KH5S-SKT/ だよ。
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ロクスノ注目のインターネットホームページ

ロクスノ注目のインターネットホームページ 世界中の情報がすぐ見られる、必要なだけ情報が得られる、というわけでインターネットを活用し たい。ロクスノ系がチェックしたいホームページを紹介。 ===== アルパインクライミング・ホームページ 有持真人さんのページ。アルパインクライマーのために、 ルートの紹介、記録、クラ イミングテクニック、その他必須知識など盛りだくさんの情報を掲載し てる。 エリア別山行記録が大充実。また新ルート開拓・初登記録などもあり。 http://www.big.or.jp/~arimochi/ ==== フリークライミングふらふら日記 レジャー・クライマーを自称する広沢さんが登ったルートの印象を中心にフリー・クライミング関 係の情報をお届け。大の読書家、広沢さんの”独断と偏見”による書評が素晴らしい。クライミン グ 、山スキー、 沢登りなど現在発売されている山の本が(実用書が中心)網羅されていて、くわ しく紹介されている。 http://www.geocities.co.jp/Colosseum/3930/index.html#HON === ROCK CLIMBING IN TOKYO クライマーとこれから クライミングを始めようという人に、東京都西部地域の 奥多摩及び 秋川、そして 埼玉県の西部地域である 奥武蔵の一部を中心にしたクライミングエリアのガイドと、 フリークライミング・テクニックの解説 等の情報を提供。技術ページの図解フリークライミング がおもしろい。 http://www.asahi-net.or.jp/~CA7S-KBYS/JVER.html ======= FreeFan 池田収一氏がつくるページ。JFA(日本フリークライミング協会)のホームページともなってい る。 コンペのレザルトがばっちり掲載されている。フリークライミングのあれこれの情報や話題が豊富 。 http://www2f.biglobe.ne.jp/~jfa/ ==== ビルケバイナー・テレマークスキー・チーム テレマークのクラブ、ビルケのページだが日本テレマークスキー協会 (TAJ)の広報ものせられている。[テレマークって?] [無責任TAJ情報] [ツアー記録] など四方さ んの力作。レースのレザルトは完全。バックカントリーの記録も充実。 http://www.asahi-net.or.jp/~KH5S-SKT/ === 小川山クライミング情報              長野県の代表的クライミングエリア、小川山の専門情報ページ。役立ちページがいっぱい。 エリ アマップ 、 廻り目平キャンプ場、廻り目平の自然などが紹介されている。「特集 クラックへの 誘い」「チッピング・犯されたおむすび山スラブ」など見ごたえあり。姫野あそぶさんが開いてい る。 http://www.yic.or.jp/climbing/ ==== ALLES INTERVIEW YUJI HIRAYAMA 平山ユージのインタビュー特集ページ。 数ページにわたる記事でクライマーならしりたいハナシがたくさんのっている。飯山健治氏の写真 もすばらしい。「フリークライミング。まさに究極のゲームだと僕は思う。」とユージは語ってい る。 http://www.express.co.jp/ALLES/1/1hirayama_1.html ==== ネパール情報市場 MORISAKIさんが個人でつくっているページらしいが、いろいろあってなんだか面白い。ネパールヒ マラヤの山登りやトレッキングに興味のあるひとはのぞいてみるとよい。知り合いのガイド会社も くわしく紹介されている。シェルパ農場(リサイクル物々交換)などのページあり。 http://www.express.co.jp/ALLES/1/1hirayama_1.html ===== 沢登りと山スキーのホーム頁 沢登りの世界、溯行ガイド、 雪と氷の世界 、山スキー・ガイド など沢アンド山スキー系のホー ムページ。「大坂わらじの会」の紹介があるのでなっとく。記録関係が充実している。 http://www2.bus.osaka-cu.ac.jp/faculty/~k-kato/index2.html === 沢登りウエッブ 鈴蘭山の会の鈴木幸治さんがつくっている。これも沢登りと山スキー系のホームページ。 話題、記録充実。 http://www.geocities.co.jp/Colosseum/3930/index.html#HON

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TOPICS-3(最近版)

こんな話があるでよ=WHAT'S NEW? --last modified 98-1-20


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遠藤晴行氏の書いた『ピッケル・アイゼンワーク』

あのイエッティ同人のエベレスト男、遠藤晴行氏が書いた分かりやすい技術書。 冬山を登りたい方からアイスクライミングをやってみたいひとまで対象。 アイゼンとピッケルを使う人は読んでおきたい。 HOW TO ENJOY MOUNTAINEERING SERIESの1册 1200円 ヤマケイ刊
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アジアカップの結果だよ

6TH ASIAN CHAMPIONSHIP TEHRAN, IRAN GENERAL REPSULT DATE: 29TH NOV. 1997 CATEGORY: MEN 1 Tomki Usami 2 Myung-Hak Kim 3 Yoshinob Shinozaki 4 Jung-Jun Son 5 Kyu-Bok Cho 6 Tastuo Areda 7 Rornald Mamarimbing 8 Amir Pirvaci 9 Chang-Hyun Lee 10 Mehedi Zeshti CATEGORY: WOMEN 1 Mi-Sun Go 2 Rie Kimura 3 Etti Hendrawati 4 Jum-Suk Kim 5 Hiu Yin Liu 6 Sun Yuk Choi 7 Soung-Soon Lee 8 Shing-Lin Jinella Chua 9 Hsing-Tong Hsieh 10 Peh Ling Cathy Tay
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ユージの写真集がでたよ

写真のとおり。クライマ必見。 かねて予告のとおり、ユージの写真集がでた。ニフティのフリクラ会議室でクラーク先生も 大絶賛だ。ぼくはこの表紙があまりすきではありませんが。なかにいい写真があるのに。 柄のTシャツではなくて筋肉をみせたほうがよいよね。デザインもいまいちかな。 中身は、彼を取り囲むクライマーの仲間たちをもっとみせて欲しかったきがする。 とはいえ、いい写真集です。タイトルまわりには飯山とかユージとかクライミングとか、 国際語の英語をしっかり使ってほしかった。フリーダムだけでは感傷的だよね。値段は 3800円、高くはない。
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日本初、クライミングのビデオが2本でたよ

写真のとおり。クライマ必見2本。 『インドア』はキムラシンスケ、りえ、ユージがでていて、基本から上級ムーブがばっちり。 『アウトドア』編は杉野夫妻、ふーみん、小山田大などが、小川山、城ガ碕で名ルートを登りまくる。 これは、どうしても、見たい。大きい本屋さんやカラファテあたりで売っている 北山真の監修で、なんと音楽もかれ作っているというのが、おもろい。 先発の単行本とリンクしたビデオとのこころだあ。 山と溪谷社刊 各3600円。
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ユージがサラテをフリーでのぼったよ

この間、9月の19、20日、ユージが アメリカはカリフォルニア、ヨセミテの エルキャプタンにあるサラテルートを オールフリーでしかもワンプッシュでの ぼったという。 オンサイトを狙っていたけれど、一カ所 失敗したらしい。 ワンプッシュでのフリー化は初めてとい うことになる、でしょう。 写真=飯山健治

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ビデオ・最新テレマークスキーテクニック発売

、テレマークスキーのビデオ 『最新テレマークスキーテクニック』が 発売中。3600円。 なあーんと、初版はTELEMARK が TEREMARK  となっていて、このミスプリ版は値があ がるかもしれない。 口上には川上敦、深町計彦、栃内譲、 山田誠司、石木田博などのトップスキ ーヤーが 総出演、テクはもちろん、バックカン トリーでの派手なすべりもばちっし見 せてくれ るという。とくに深町、栃内のパウダー 8世界チャンピオンが見せるニセコのパ ウダ ー滑りは圧巻。 catchの英文のフレイズがいいよ。 山と溪谷社刊 深町、栃内のニセコのパウダー滑りはここで見よう
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ユージ健在、サンディエゴ・エクスゲーム2位、


ユージ健在。ファイナルでは完登はルグランと二人だけ
97-6-24に、カリフォルニアのサンディエゴで開かれたエクスゲームズでユージが 2位になった。エクスゲームズはアメリカのテレビ会社が中心になっておこなって いる、エクストリームなスポーツばかりをあつめたイベントで,世界中からその道の トップが招待選手としてまねかれ,技を競うもの。クライミングのほかにマウンテン バイク、スノーボード、スケートボードなどの競技が同一会場でおこなわれた。 写真=井上大助 以下レザルト men 1FRANCOIS LEGRAND 2 YUJI HIRAYAMA 3 CHRIS SHARMA 4 ARNAUD PETIT 5 VADIM VINOKUR 6 FRANCOIS PETIT 7 GARTH MILLER 8 STEVE HONG women 1 KATIE BROWN 2 LIV SANSOZ 3 MURIEL SARKANY 4 MARIE GUILLET 5 ELENA OVOHINNIKOVA 6 MARTINA CUFAR 7 STEPHANIE BODET 8 CECILE LE FLEM --------------------------------------------------------------------------------

鈴木英貴氏とあう。クライミング仙人はいまラスヴェガスにいた


ユージと鈴木氏、新旧、日本を代表するクライマー 文=井上大助 写真=飯山健治 「スズキヒデタカ」と聞いてピンと来る現代のクライマーはだんだん少なくなってき ているのではないだろうか? とはいえ、ちょっと前のクライミング雑誌のインタビ ューや靴の広告、アメリカのクライミングビデオに登場したりしていたので、会った ことはないけれど、名前ぐらいは知っているという人はいるだろう。かく言う私もその クチだった…。 今年6月、プライヴェートのクライミングとサンディエゴで開催されたエクスゲーム の取材のためアメリカに渡った。ツアーも後半、ネヴァダ州ラスヴェガス郊外にある、 Mt、チャールストンの岩場を訪れ、平山ユージ、飯山健治の二人に合流したときのこ とである。 岩場の陰からひょこり現われたその人が、鈴木英貴さんだった。 続きはここをクリック
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遠藤由加パーティ、エルキャプ・ノーズ、ワンデイ完登


6月20日 遠藤由加、渋谷英明(ともに山学同志会)のふたりはヨセミテ
のエルキャプタンのノーズルートを19時間50分で登った。ワンデイアセント
は日本人としては初めて。
ノーズルートはヨセミテのビッグウオールクライミングを代表するルートで、
年々早登り記録が塗りかえられている。

またワシントンコラム東面のアストロマンにもトライ、ステアフレークケース
で一部エイドがはいったものの完登したという。 
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こんな話があるでよ=WAHAT'S NEW? --last modified 97-6-30



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これがウワサの天才姉妹クライマーだ。

MAHO & YUKA
風のたよりに北関東のI県に美少女クライマーがいるという話しを聞いたひとがいるかもしれな い。 口伝えで、地方コンペで小学生の女の子クライマーが学生や大人クライマーをぶっちぎって 優勝した、というニュースを聞いた人もいるだろう。 以上のうわさはどちらも正しい。ともにおなじ少女で、実は二人。姉妹なのだ。写真の二人 がそのニュータイプのクライマー。小学4年と5年生。小林マホちゃんとユカちゃん。 人工壁なら11ノーマルをかるくオンサイトするというから、これからが楽しみだ。あと二三 年したらクライミング界のヒロインになるかも。 アメリカのクライミング界はこのタイプのスターがおおく、4月に開かれたパリの世界選手 権で2位になったCHRIS SHARMAは現在16才、こどものころから室内ジムで遊んでいたという 。  やさしいスパルタパパは、 「私もまだクライミングは発展途上、競争しながらやっています。小学校の行事でくだらな いものにはでません。土曜日午後からは3人でクライミングです」 ちなみに、撮影場所は、目下JMCCとマホ、ユカちゃんたちが大々的の開拓中のF県の巨大石 灰岩の岩壁。近々発表予定とか。 --------------------------------------------------------------------------------

これがDOSUKOI CLIMBINGだ。


二子山部屋の力士がクライミングしています。 かべはこの6月に開業という神奈川県は三浦市の三浦市総合体育館内。 ドスコイの方たちは、当然、力もちで、運動神経ばつぐんの人が多く、もちろん体もおも いっきり柔らかいので、ひょっとしてクライミングにむいているのでは、と思ったかたも いるでしょう、が、もちろん、最大のネックは体重です。足にあうクライミングシューズ がないというのももう一つの大問題。 この日も、捻挫など足首の故障がおきないように、裸足でおそるおそる壁にさわる力士ク ライマーでありました。 97-5 撮影=小林英司 協力=日本スポーツクライミング研究所(代表・宮崎秀夫) -----------------------------------------------------------------------------------

クライミングのビデオが2本。


何本かクライミングのビデオをみた覚えがあるけれど、みんなアメリカのものだったよ うなきがする。ようやくここで日本製のクライミングビデオがでるという。 『インドアクライミング』と『フリークライミングテクニック』の二本で、前のほうは 早ければ7月、おかっけて後ろも8月か9月にyamakei-videoとして発売予定。 『インドア』は木村シンスケ、リエの共演、『フリクラテク』のほうは杉野保、千晶の 共演。なーんだ、HOW TO MOUNTAINEERING SERIES のビデオ版じゃないか、と思ったひと はするどい。よするに、そうなんだね。 写真はパンプ2での撮影風景。ずいぶん大がかりにやっている。右はクライミングがうま くてかわいい理江さん。 ま、スキーもそうだけれど、クライミングもビデオでみるのが、一番わかるという のも、確かだ。 -----------------------------------------------------------------------------------

ユージの写真集がでる


日本のトップクライマーのひとりであり、なんと日本でたった3人の国際ルートセッター の資格ををもつ、あの飯山健治氏。じつはその本職はクライミングカメラマン(ちなみに 国際ルートセッターのこりの二人は平山ユージと東秀磯氏)。 その飯山カメラマンが語るところによれば、 『今、ユージの写真集をつくっています。ここ1、2年そのためにユージと世界中の岩場 で写真をとっていました。コンペも。いま、写真選びやっています。この6月にアメリカで さらにいい写真をとって、充実させるつもりです。』 タイトルは『FREEDOM』がいいなあ、とのこと。今年中にはだしたいとか。楽しみだ。 上の飯山カメラマンの写真をクリックしてくれ。なんと飯山カメ撮影のユージのクライミン グシーンがでてくるよ)。 -----------------------------------------------------------------------------------

 

テレマークのビデオ、撮影快調


ニセコ在住の深雪テレマーカー深町計彦氏はビデオ撮影が順調にすんだと語っている。

TOPIC-1参照

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TOPICS-1

こんな話があるでよ=WAHAT'S NEW --last modified 97-3-26

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数字のなかにドラマがある(フリークライミング・パリ世界選手権から)

全ページ画像情報につき以下をクリックしてください。井上大介助氏提供

前半 1位プチから42位まで。ユージ、宇佐美、小山田大がいるよ
後半
43-83位まで 飯山、大介さんがいるよ
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タイムのなかにドラマがある(最近のテレマークスキーのレースから)

1997年第10回全日本テレマークスキー選手権
&クルエボテキーラクラシックの二つのレースのレザルト
Click here
.
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登ってなんぼ。落ちて死んだらアホじゃん。


 
と、はたからみれば言われそうな
クライミングの世界、考えはいろいろ
ありましょうが、ここはまず安全第一
でいきましょう。
くわしくはここへ
(写真右はマーモットマウンテンワー
クスで購入したSTICK CLIP,通称チョン
ボ器。役にたつかも)
           


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『ビヨンド・リスク』を読んでわっかたこと。

ローツェ南壁、疑惑の登はんと一部のひとにはいわれていたけれど、やっぱり、
トモチェセンは登っているな、と思った人が多いだろう。カトリーヌ・デスチ
ヴェルとジェフ・ロウは仲がいいんだね。彼女はリン・ヒルともうまくいって
いるみたいだ。

ついでに『生と死の分岐点』を読んで安心したのは、クライマーが墜落して死ぬまでの
短い時間は、実は至福の時間であるという実証的なレポート。恐怖も痛みもないようだ。
落ちるときに、わーっ、と叫ぶということもないとか。

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深町氏、栃内譲さらに実千代さんとのパウダーの競演ビデオ
の撮影が3月の初めにニセコの山々を中心にして行われた。
「いい映像がとれましたから、楽しみに
していてください」と深町氏。
「ワールドカップの参戦をすこし遅らせて、撮影に協力しました。
パウダー8もはいっているよ」と栃内氏。
 東京福原フィルムスの撮影で、川上敦氏の基礎スキー編を合体し、さらにツアー編は
あの石木田博、あの山田誠司をむかえ4月に撮影、秋にはヤマケイから発売されるとい
う。
(写真はフカッチョ。伊藤健次撮影)


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ところで、どんなスクールが…

テレマークスキーを習いたいという人がちかごろ多い。どこの学校がよいのだ
ろうか。正統派は川上敦先生のBテックか沢田啓氏のノルハイムあたり。ノルハイムはバ
ックカントリーにも強い。ちかばなら朝日プライム。石木田選手などNZ仕込みの教えか
た。環境のよいところは妙高バックカントリースキースクールだろう。目白カラファテも
時々講習会をひらいています。先生は北田啓郎氏。テレマークスキー協会の最新の年報に
は一覧がでています。
年報はカラファテでうっているよ。
ところで今シーズンの年報は面白いよ。
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テレマークスキーの充実したホームページ

 名古屋の四方氏のhp だが、日本テレマークスキー協会のことや公式行事のスケジュ
ールなどがのっている。
日本テレマークスキー協会の
非公認ホームページ=ビルケバイナー
クラブのホームページへ
さらに、ニフティの会員はここをみるとよいよ。
。NIFTYのFWINTERにはテレマークの会
議室とテレマークレース専用
の会議室がある。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下のデータはロクスノネットホー厶ページにあります。
https://www.asahi-net.or.jp/~ba8k-itu/top.etc/topics/teleresult.html
最近のテレマークレースから

オールジャパン&クルエボテキーラクラシックの二つのレースのレザルト

1997年第10回全日本テレマークスキー選手権
ジャイアントスラローム男子クラス               1997年2月22日

順位 BIB 氏名          合計タイム タイム  ペナ ポイント
1     1   永島  秀之   1 24.86    1 24.86   0  26
2    28   岡  秀樹     1 31.43    1 26.43   5  22
3    12   山田  誠司   1 32.61    1 25.61   7  19
4    11   遠藤  晴彦   1 32.92    1 30.92   2  17
5     6   石木田  博   1 33.34    1 25.34   8  16
6     7   嶺田  浩     1 35.37    1 30.37   5  15
7    10   五味  隆登   1 35.45    1 32.45   3  14
8     5   中島  修一   1 36.52    1 32.52   4  13
9    18   奈良  淳二   1 37.05    1 28.05   9  12
10   14   冨士  太右   1 37.08    1 33.08   4  11
11    3   平山  正明   1 37.33    1 35.33   2  10
12   20   田中  信之介 1 39.24    1 34.24   5   9
13    9   望月  隆     1 39.45    1 32.45   7   8
14   17   政井  貴司   1 40.94    1 40.94   0   7
15    4   山口  正浩   1 41.05    1 40.05   1   6
16   26   小野  貴恒   1 41.96    1 37.96   4   5
17   22   藤原  健     1 43.33    1 38.33   5   4
18   15   伊藤  文博   1 43.80    1 37.80   6   3
19   21   中根  穂高   1 43.97    1 36.97   7   2
20   19   山野井  克己 1 44.21    1 43.21   1   1
21   29   榎本  康二   1 47.72    1 45.72   2
22   16   鈴木  央司   1 48.00    1 39.00   9
23   24   飯沼  慶二   1 50.97    1 45.97   5
24   23   三部  温     1 51.33    1 48.33   3
25    8   田中  俊之   1 58.40    1 51.40   7
26   30   田中  秀典   2 0.73     1 52.73   8
27   27   和久津  清   2 1.77     1 56.77   5
28   25   内田  泉     2 14.77    2 6.77    8
DNF  13   高橋  俊哉   DNF        DNF       0
DNS   2   高梨  ゆたか DNS

ジャイアントスラローム女子クラス

順位 BIB 氏名         合計タイム タイム  ペナ ポイント
1   75   北村  系子    1 49.48   1 47.48   2  16
2   72   白石  由美    1 53.68   1 46.68   7  12
3   74   野村  みどり  2 18.93   2 14.93   4   9
4   73   駒米  彰子    2 20.19   2 10.19   10  7
5   71   黒川  春水    2 42.45   2 33.45   9   6

1997年全日本シニア選手権               1997年2月22日

順位 BIB 氏名         合計タイム   タイム  ペナ
1    91  北田  啓郎      1 54.43   1 49.43   5
2    93  真壁  章一      1 56.15   1 48.15   8
3    96  松本  美冨      2 6.21    1 58.21   8
DNF  92  小田桐  清十郎  DNF       DNF
DNQ  94  生駒  和夫      DNQ       2 11.11  10
DNQ  95  岩間  信雄      DNQ       2 15.80  15
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クエルボテキーラクラシック

第12回裏磐梯テレマークスキーフェスティバル
1997年2月23日(日)
男子ポイントクラス

順位  BIB  Name     Total Time   Run             Point
                                 Time    Penalty
1     12  山田誠司   2 28.97     2 24.97   4      26
2      1  永島秀之   2 29.61     2 28.61   1      22
3      9  望月隆     2 30.93     2 29.93   1      19
4     14  冨士太右   2 38.71     2 31.71   7      17
5      6  石木田博   2 41.25     2 39.25   2      16
6     28  岡秀樹     2 45.41     2 40.41   5      15
7     11  遠藤晴彦   2 46.46     2 45.46   1      14
8     13  高橋敏哉   2 47.63     2 44.63   3      13
9      5  中島修一   2 49.30     2 49.30   0      12
10    10  五味隆登   2 50.50     2 49.50   1      11
11     7  嶺田浩     2 52.27     2 51.27   1      10
12    16  鈴木央司   2 54.45     2 46.45   8       9
13    21  中根穂高   2 54.66     2 46.66   8       8
14    20  田中信之介 2 57.65     2 53.65   4       7
15     3  平山正明   2 57.96     2 53.96   4       6
16    18  奈良淳二   2 59.53     2 58.53   1       5
17    42  小林正昭   3 7.03      2 56.03  11       4
18    23  三部温     3 13.65     3 9.65    4       3
19    26  小野貴恒   3 14.61     3 2.61   12       2
20    19  山野井克己 3 15.95     3 10.95   5       1
21     8  田中俊之   3 19.03     3 10.03   9
22     4  山口正浩   3 19.97     3 13.97   6
23    27  和久津清   3 20.23     3 17.23   3
24    30  田中秀典   3 23.05     3 17.05   6
25    29  榎本康二   3 24.11     3 23.11   1
26    52  金原彦克   3 26.50     3 21.50   5
27    15  伊藤文博   3 31.84     3 22.84   9
28    59  山崎岳     3 41.02     3 31.02  10
29    55  杉田英夫   3 44.06     3 31.06  13
30    41  寒河江幸夫 3 46.43     3 41.43   5
31    17  政井貴司   3 50.45     3 48.45   2
32    22  藤原健     3 51.49     3 45.49   6
33    24  飯沼慶二   3 52.49     3 41.49  11
34    47  有路隆     4 16.54     4 9.54    7
35    45  生駒和夫   4 29.54     4 17.54  12
36    51  海老晋輔   5 3.10      4 59.10   4
37    25  内田泉     5 33.42     5 25.42   8
DNQ   60  佐藤弘一   DNQ         4 35.05  14
DNQ   58  河村勝男   DNQ         5 38.18   9
DNQ   57  石川隆志   DNQ         4 3.98    3
DNQ   56  丸山知郎   DNQ         4 20.42  20
DNQ   54  柏村修吾   DNQ         3 29.81  13
DNQ   43  長田貢一   DNQ         4 38.23  15
DNQ   44  岩間信雄   DNQ         4 33.09  15
DNQ   53  山田拓也   DNQ         3 55.13   7
DNQ   50  古谷孝之   DNQ         4 41.41  15
DNQ   49  早川俊樹   DNQ         5 40.03  17
DNS   48  神山敦     DNS         0 0.00    0
DNS   46  斉藤節生   DNS         0 0.00    0
DNS    2  高梨ゆたか DNS         0 0.00    0

女子ポイントクラス
順位  BIB  Name     Total Time   Run             Point
                                 Time    Penalty
1     75  北村系子   3 41.81     3 37.81   4      16
2     74  野村みどり 3 43.65     3 38.65   5      12
3     72  白石由美   3 45.24     3 40.24   5       9
4     81  中村智鶴   5 0.22      4 49.22  11       7
5     83  寺本さとみ 5 29.0
dnq    山田裕美
dns       黒川春水

   
   

以下も発掘しました。

https://www.asahi-net.or.jp/~ba8k-itu/top.etc/mail/ushi.html

牛走の倉庫から

本家武蔵野山岳会・首領の語録
illust=M.Nakamura

 5月の連休に素晴らしい山登りが出来た。これも、良き山の友と、良き素材のお
陰だ。そのどちらが欠けても、心と体は、ひたすらな高みを目指すことは、出来な
かっただろう。蛇子沢左股の登高、に下降。そこで出会ったのは、風と陽光と雪面
とカモシカだけだ。これが春の山の満喫だ。

6月の予定
ビールは泡1・・・先ずは鱒釣場で、キャベツのおしんこで軽く一杯。
広沢寺ゲレンデで汗をかいた後。
6月12日
例会No.171

ビールは泡2・・・谷川温泉近くの食堂で、冷や奴で立て続けに3杯。
一ノ倉沢の何処かのルートを早めにやっつけた跡。
6月27日
定期山行No.170


 先月の予定は、雨のため全滅。その代り、インドアークライミングばかりに行っ
たので、自分でもびっくりする程、上手くなってしまった。これは、なんか、同年
代のおじさん達を刺激したみたいで、ここのところの平日の夜は、道場で挑戦を受け
続けている。それは良いのだが、その後の生ビールが旨く、体調が最悪。

7月の予定
太陽が一杯・・・7月11日
定期山行No.171
丹沢、神ノ川流域の沢登り。出来れば本谷から檜洞まで
。

太陽が二杯・・・7月25日
例会No.172
再度、谷川岳でのホンチャンクライミング。暑いけど我慢しよう。前の晩から出発。


3月の予定
定期山行No.167
恒例、バススキーツアー。
水上、天神平、宝台樹スキー場
3月13日、14日。

例会No.168。
八ガ岳・地獄谷のつもりが悪天候のため黒百合平。
再度挑戦は4月。
3月21日、22日。

 どうしても一言、云って置きたいことがある。谷川岳ロープウェイ計
画の事だ。情報では2001年を目処に、天神平ロープウェーイ土合駅よ
り新道沿いに、一ノ倉沢出合いまでロープウェーイが敷設され、一ノ倉沢
には通年の観光施設まで作られるらしい。理由は新道利用による、自動車
の渋滞と排ガスによる公害防止である。ふざけるな、このインチキ野郎ど
も。なんでも、途中に鉄塔2本だけの工法を理由にした、ローインパクト
を主張しているらしいが、1年中人を運び込み、屎尿や、排水を垂れ流し、
ローインパクトでもあるまい。それにもっと奇怪なのは、反対の声が、自
然保護団体にも、地元にも、山岳会にも、マスコミにも、全然起こらない
という事である。たかだか鉄塔2本だけの事であるし、そこには、大鷹も
営巣していないが、自然を子々孫々に残したいという運動は、自分が日が
な一日眺めていた風景を、俺の思いのこもった大地を、ぶち壊されたくな
いという、素朴な感情から生まれて来るべきものなんだ。
  上弦の 月に喰わるる 青き星                   牛
連絡先・・・0422ー48ー2452                    大淵


4月の予定
定期山行No.168。
雪稜を越え、雪山の核心で遊ぶ。そこはアドベンチャー。
苗場山→佐武流山のつもり→切明。
4月10日、11日。

例会No.169。
青空の下、雪壁を越え、ブルーアイスにアックスを奮う。
八ヶ岳、地獄谷権現沢左又に再度。
4月4日。
かさり かさり かさり
雪の音がこんなにも大きいと、このあいだ、初めて知った。初めて知った
という事は、人生の半ばを越え、初めて知ったという事である。かさり、
かさり、かさり。雪は、俺達の潜む天幕に落ちて来た。しばしば強い風が
天幕を孕ませ、俺の体を圧した。懐かしかった。尻のまん中から突き上げ
る寒気も、咽喉の奥に潜む明日への恐怖も、不意に口を突く本音も、懐か
しかった。
Tが小さなコンロを操り、一心にお湯を沸かしている。Tの手のうちで,
赤や、青や、黄の炎が小さく踊り、湯気を作り出す。俺とTの眼は合わさ
り、踊る炎を見詰めている。かさり、かさり、かさり。雪は、俺とTとの
話に口を挟み、俺とTに話しかけて来る。かさり、かさり、かさり。雪は、
俺とTの頭上の天幕の上を滑り、地上におりる。Tが笑う。俺も笑う。笑
い声は予想外に大きく、天幕を突き抜け、狂気渦巻く闇夜へと飛び出して
いった。
かさり かさり かさり 雪の音がこんなにも大きいと、俺の耳は初めて
知った。
                            牛


5月の予定
 
定期山行No.169。
何となく気怠い連休を、その隙間に人混みを避け
て、こそっと出掛ける。
何処だかは未定、気分次第。
5月の連休中の或る日。

例会No.170。
山菜を喰らい、酒を飲むキャンプ。
再度、峠を越えた廃村で、地の物での宴会。
会津中街道の宿場跡。
5月22日・23日。

 それにしても最近は嫌な事が多すぎる。ただでさえ、世紀末という悪い
語感の時代なのに、コソボ、高校生大量射殺事件、サッチー、ミッチーあ
ほ報道合戦。身近なところでは、食い詰め詐欺師の市議当選、雪山にいっ
ぱい湧くスノボ、バカ高校生に、バカP・T・A。
 まぁ、はっきり云って、俺の心は、あの法廷居眠り野郎に近づきつつあ
る。現代の人類世界を見ていると、天から星が落ちてきても、地下からマ
グマが噴き出してきても、なんら不思議ではない。悠久と続いてきた人類
の歴史を、そろそろ終わらせようじゃないかという、シナリオが出来上が
ってきているのでは。そう思うと、神代の昔からの峠に咲く、今年の桜が
いつになく愛ほしくなってきた。
 はなは咲き はなが散るなり 旧る峠           牛


 乾いたクライミングやら、蹴り込みクライミングやら、ガリゴリクライミングやら色々
 やっています。それで分かったこと。乾いたクライミング、5.10aは登れても、5.10bは
 僕には登れない。蹴り込みクライミングは多忙島国人の高所クライミングの疑似体験願
 望である。ガリゴリクライミング、が実のところ僕には一番性に有っているのでは。
 
 2月の予定は2本。例会143番。日光のスキーと足尾の氷登りを一回でたのしもうと
 いう贅沢なプラン。例会142番は北八ヶ岳の静かな夜を暖かい山小屋(大河原ヒュッ
 テ)でゆっくりおくり、翌日は僕達だけのパウダーを楽しむ。
                                    (大淵・牛)

<例会。No137>
9月16日
 一の倉は盛況だった。テールリッジにはこの時期にしては珍しく、雪渓通しに取り付け
たが、その手前で嫌な巻きをやらされ、ロープを出した。中央稜は3パーティ位の順番ま
ち、あとで上から眺めたら、上から下まで間断なくクライマーが並んでいた。南稜も2パ
ーティが待ち、本谷をわったたら静かになるだろうと思っていたが、案に反し、2ルンゼ
にも、3ルンゼにもパーティが入っていた。

 本谷の4ルンゼのF滝の1ピッチは調子を探るようにゆっくり登り、2ピッチ目を、若い
学生に力量をはかる企みでトップをのぼらせたが、しっかりとした、スムーズな動きでのぼ
り、あとのピッチにすっかり安心感をもてた。

 いつもは濡れていて嫌らしいF3はすっかり乾いていて、短いが難しいムーブを楽しめた。
つぎの高度感のでるF4は、学生が「うほー」と歓声をあげながら右からのぼり、僕は細かい
ホールドを拾いながら左をラストで登った。ツメの開放感は4ルンゼの楽しみのひとつだろ
う。一の倉尾根の終了点からのマウンテンビューも労苦の褒美としては余りあるものである。

少しのササ径をわけ、一の倉の山頂からの芝倉新道を下ったが、油のめぐりの悪くなりかけ
た膝には、こちらの労役の方がこたえた。
                                    (大淵・牛)


<感想>
スキーヤーはボーダーのことをゴキブリと呼んでいる。確かに、上から見ていると、当世流行
の黒っぽい服装と相まって、ゲレンデで横動きしている様は、台所の墨をカサコソと逃げ回そ
れを連想させる。

そのゴキブリ達が最近では山の領域にも出没しはじめているらしい。
雪の山での楽しみかたには色々あるだろうが、頭は軽いが、体力と下半身は自信たっぷりの
自意識過剰連中が、俺の尾瀬に、俺の苗場に、俺の南会津に、入り込んでくるのは嫌な感じ
だ。ああいうのとか、沖縄とかを見ているとアメリカという国が嫌いになる。
定期山行144番のご案内 4月5ー6日 至仏山を滑る
                               (大淵・牛送 96-4)

チョットさぼると登れなくなるのが、インドアのクライミングだ。それにどうやら、健全な
中年の社会人には5.11の入り口あたりが限界だというのも、インドアクライミングという
ものらしい。パンプ2で先週登れたボルダーが。今週はのぼれなくなっているかも、と怖が
っている今日。                        (大淵・牛走 96-9)

<感想>
ひさしぶりのクライミングジムは惨敗だった。夏の盛りには5.11の入り口あたりまでには指が
かかっていたのだが、一ヶ月ぶりのボードは5.9でばたばたしてしまった。一緒に行ったろっ骨
負傷のリハビリ上がりの友が快調だったのに比べ、おのれの腑甲斐無さに、打ち上げのアルコー
ルが進み過ぎ、一週間ほど腹具合がすぐれなかった。
                               (大淵・牛走 96-11)



。。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

BEYOND RISK(おたよりのページ)最新版

last modified=1999
illust=M.Nakamura

ナムチェから

今、ネパールはナムチェバザールでアルパインツアー社の現地駐在員してますだ。
高山病で下山して来たお客さまのお世話が主な仕事です。そんな方が意外と多く忙しい
日々をおくっています。シェルパの人たちと仲良くなり「この娘を日本に連れていけ」
とか「シェルパになってサーダーになれ」とか、しまいにはシェルパに間違えられたり
します。この顔ですから。
ということでまた日本で御会いしましょう。
(鈴木央史)

ワイオミングから北カリの旅

4月29日
昨日の夜遅くジャクソンホールへつきました。松ちゃん、黒川、徳地が迎えてくれました。
4人全員がバラバラに集まってきたというわけです。
雨がふっていて寒いです。天気はあまりよくないです。 
明日ティトンパスに登ってスキーしますです。
ジャクソンホールの町中の丸太小屋のケビンにいます。
いいところです。
今夜コロラドチームがはいってきます。天気が悪かったのではないかと思われます。
4月30日
きょうはコロラドチームといっしょにテヒトンパスで足慣らししてきました。4時間くら
いの楽しいツアーでした。8人とも元気。松ちゃんがちょと心配というところか。
天気が悪くあいかわらず寒い。明日からも心配ではあります。
明日からティトンクレストツアーにでます。2泊3日の旅。ショートカットするつもりで
す。
メンバーはなんと10人になりました。アメリカ人のドンとベンが夕方到着。
日本グループはコロラド経由のAチーム、徳地さんをむかえた、ぼくと黒川と松ちゃんの
Bチーム。合同ででます。
(ティトンクレストツアーのレポートはCHRONICLR2 TETON CREST TOUR参照)
5月3日
今日は3日、予定通り山から降りてきました。
2泊3日の山旅でしたが、天気がいまいちでした。予定のティトンクレストツアーの
半分を消化しました。楽しかったです。
丸太小屋のヒッチングポストロッジに戻りました。
明日から、各メンバーここを三々五々去ります。グランドティントン登山は状況が悪
そうなので、徳地、黒川、僕、はどこか違うところへでかけるかも。
では。
5月4日
明日から、みなさんとわかれ、徳地、黒川とジャクソンからカリフォルニアへ旅しなが
らかえります。どこかでスキーかクライミングします。
カリブチームは明日帰国、松倉さんはあさて帰国。
5月5日
よいところでした。ボルダリングして遊びました。人っこひとりいない。ボイジーのモ
テル6にはいりました。
5月6日
オレゴンのベントにはいりました。
デシュートリバーぞいのコンドミに2泊します。
スキーとクライミングをする予定です。
5月7日
バチャラー山でスキーしました。真冬のよう。まだリフトが動いていました。
5月8日
今日、スミスロックで遊んでから南へくだります。
パソコンが不調で受信はできるのですが、送信不能です。おかしい。
デシュートリバーぞいのコンドミでよいところです。昨日はプールとジャクジに
つかりました。
昨日といえば、バチャラーで真冬のスキーをしました。ベントの町外れにはアウ
トレットのモールがあってアウトドアメーカーの強力ブランドが軒をつらねてい
ました。
5月9日
昨日スミスロックを見に行きました。
写真どおりの大きな渓谷で、ロープをだして簡単なルートを登ったりボルダリン
グしたりしました。雪が舞ったりで寒い。
昼過ぎには春寒のベントをでて、南下しました。徳地さんがずうーっと運転して
くれているのでラクチンです。くろちゃんはオレゴンから北カリフォルニアのこ
の観光旅行を楽しんでいます。
クレーターレイクを横目でみながらマウントシャス
タの町に入りました。シャスタ山がすばらしい。
明日山へスキーにいくかもしれません。
1泊50ドルで一軒屋を借りました。まきストーブを燃やしながらお酒をのんで
います。
明日はサンフランシスコまで戻ります。
5月9日
サンフウランシスコにつきました。
今朝出がけにみるとマウントシャスタはまだ厳しそうでした。スキー場は閉鎖さ
れていました。来週か再来週あたりあたたかくなれば頂上へいけるかもしれません。
ジャクソンからサンフランシスコまで1500マイルの旅でした。
あした日本にかえります。
徳地さんはロスへ。クロチャンは大阪へ。
今日は、シャスタをみてキャスルクラッグ、ラッセンをとおりバークレーでREI、
マーモットをのぞき、ミルベアのトラベロッジにいます。いつものモテ
ルです。これからむかいの香港飯店にいき夕食します。
ではまた。
(糸尾汽車)

キャンモアからのメイル

   カナダの山登りはぼちぼちといったところで今まで4つ行きました
が、4つめのロフロイ山は頂上の少し下の氷がかたく、アッ
クスを1本しか持っていかなかったので敗退しました。ロッ
キーのクラシックルート(ノーマル)はアルプスやNZに比
べいろいろな意味でやさしく、前穂高岳の北尾根くらいのや
さしさか、もう少しやさしいくらいです。一日の登高距離は
大きいのですがアプローチに良いハイキングルートを使う
のでわりと楽です。

   あと4つくらい登って帰りたいです。天気はほぼ毎日晴れで
これもアルプスやNZと違うところです。夕方にシャワーの
ある日もあるけれど朝からちゃんと登ればつかまる前にハ
イキングルートまで下りられるのでこわくありません。
アプローチも遠いかなあと思っていましたが、人気の山(そ
れゆえか?)はパーキングから日帰りできるものが多く、車
からサブザックにピッケル、アイゼン、ヘルメット(これは
いつもいります)おやつ、雨具で出かけられます。
アルプス、NZに比べ、ずっとお気楽クライミングという感
じです。(落石の危険はけっこうありますが…)氷河が全般
に小さく、クレバス帯を通らず頂上に行ける山が多いことも、
ひとりのぼくにとって良いところです。

   アサバスカ山はちょっと怖かった。それでも、美しい森林や
湖の良いハイキング道を通り、そして登山の後にもこんな道
をてくてくと歩いて車までもどるのは気分がよく、荒々しい
アルプスやNZとは違った良さがあり、とても気に入ってい
ます。今は車をずっと借りているのでキャンモアのキャンプ
場から朝早く出発したり泊まりがけで出かけたりしていま
す。キャンモアには大きなスーパーマーケットもあり、生活
はいたって快適です。ときどきバンフのホットスパに入りに
行きます。プールみたいだけれど40度あり、やっぱり温泉
です。

   きのうは日帰りでバガブーまでハイキングに行ってきまし
た。車で4時間、駐車場から2時間弱で山小屋があり、近い
岩場は1時間足らずで取り付けそうでした。ぼくがイメージ
していたのと違い、もっと一般ピープル向けの岩場でクラシ
ックなルートは5・7くらいで頂上まで行けるみたいです。
でも、小さなヨセミテとシャモニを合体させたみたいで、ず
いぶんすてきです。

   さて、ロブソン山の方はやはり大きな山で、ほかの山と違い
少し難しいみたいです。気温の下がる8月後半から9月にか
けてがシーズンだそうで、ぼくも8月後半にアタックする予
定です。

  あとアルバータ山もなかなか大変そうですが、登って登れな
い山ではないので、次回はアルバータ山+バカブー+Mtア
ンドロメダ(ルートはやさしいのがあるけれどクレバスがひ
どくて、ソロではムリ)でそのうちいっしょに来ましょう。
   (黒川晴介)


はじめまして

はじめまして、加藤 亮一といいます。

ホームページ楽しく見させてもらいました。
私はフリークライミングとテレマークをやりたいと、思っているのですが、
どうすれば楽しくできるのか、なかなかいい情報が得られません。
(ショップ主催のイベントは、単発でなかなか続けるのが難しいですし.....)
ここには、そのやりたいことをやっている人が、たくさんいるようですが、
皆さんは、どのようなきっかけで始めたのですか?
もし、よければ、いい参考にしたいので教えてください。
突然のメールの上、お願い事で申し訳ないのですが、
よろしくお願いします。
ryow@email.msn.com
私は、現在、神奈川県相模原市の橋本に住む27才の男性です。

FROM WANAKA

オッス。石木田です。
ニュージーランドは9月に入ってだいぶ春めいてきました。
羊はけを刈られヤギとなり、Tシャツスキーヤーやら日光浴女やらでスキー場も
のんびりとした雰囲気です。ぼくはといえば、アルペンばかりであんまりテレマー
クしてなかったわりには、鈴木からもらったあのおんぼろ革ブーツがこわれてしまい
、ガルモントのガーラをこっちで買い、なんとまあ、プラブーツというのは、エッジ
ングがきくもんだ、と驚いている今日このごろです。

最近、レースのコーチのクラスがあって、テレマークで参加してきたんですが、
GSはもちろんスラロームのコースでさえ、ターン後半のエッジのぬけ、そして
次の捉えと、プラブーツはすごいものです。
面白い滑り方も考えました。
日本に雪がくるころには戻ります。では今シーズンもよろしく。
ワナカで。石木田博
1997-9-13

FROM USA

この間はども。その後、ニードルズの近くのKERNVILLEでカヤックし、すごいと
ころに行きアドレナリンを放出し、ヨセミテ近くのソノラにいき、パートナーを
みつけトワラミ川にも行き、車で5号線を北上し、今はヤマキ社のあるアルケイ
タより山に入った所にいます。この辺はカヤック天国で有名ですが、時すでに一
ヵ月おそく、水が少なく、少し残念ですが、とても美しいところで、人がぜんぜ
んいません。買い物にいくのに30マイルもいかなければなりません。

このあと、マウントシャスタへ登り滑り、アイダホかコロラドで2週間ほどカヤ
ックします。時間があればマウントフッドも滑ろうかと考えております。
では。

すし。本物のラーメン。かつ丼、納豆、うなぎ、さようなら。

渡辺賢二 from Forks,Salmon river 1997-6-30
1997-6-1

rock & snow 応援します

「岩と雪」がなくなって、世間のクライミングの情報に接する機会がめっきりと減
ってしまいました。
近々、あらたに「rock & snow」なる雑誌が刊行されるという噂をききました。
性格上、絶対にメジャーになり得ないスポーツだと思いますが、それに夢中になっ
ている人間がたくさんいることは事実です。
応援しています。楽しみにしています。
( from GON  京都 フリークライマー)

<ヤマケイの担当者ITO編集長からの返事>
こんにちわ。 お便りありがとう。
ITOです。登山かんけいの本などつくっています。
ごらんのホームページは友人のKISYA個人の私家判であり彼の趣味のホームページです。
偏りが多いでしょ。うわさの新雑誌とは別ものです。

新雑誌は、なんと! rock & snow (大文字か小文字かはきまっていない)
というタイトルで98年春と秋にとりあえず二冊発刊されます。くわしくは
10月にこのホームページのROCK & SNOW MAGAZINE のコーナーでお伝え
できるはずです。
このホームページのタイトルとおなじなのは単なる偶然です。
このホームページとは友好的な関係でいこうぜ、
ということになっています。
 
『岩と雪』の名前がでましたが、あれとは違う雑誌になるはずです。
 rock & snowは、山を舞台に積極的にスポーツしよう、遊ぼう
という人のための雑誌です。
ジャンルは、基本的にクライミング全般、さらに高所登山、夏は沢登り、冬はスキーツア
ーなども入る予定です。テレマークや山ボードは私が好きなので入れたいのですが。

その道のプロや先生のための雑誌ではありませんので、一般のクライミング愛好家がたの
しめ役にたつ内容になるとおもいます。ご期待ください。

yama-kei ITO  1997-9-16

FROM CANADA

Hello!!! How have you been?? I came Canada to study Ecomomics ,English and
especially telemark skiing...It's kidding...(^^)

I saw a post card which written by Mr Suzuki...
He and Mr Ishikida tauhgt me how to telemark ski at first...

I live in Edmonton in Alberta... you know It take 4h from here to Banff
or jasper...but I think I may not go to there to telmark skiing...
'cause I will have been busy this year... (**;)

I would like to.....

Say hello to everyone....(^^)

Best regards,,,
Shinnosuke Tanaka

1997-6-1

BEYOND RISK(おたよりのページ)

みなさんからのメイル待っています。last modified=97-5-26
illust=M.Nakamura

rock & snow 応援します

「岩と雪」がなくなって、世間のクライミングの情報に接する機会がめっきりと減
ってしまいました。
近々、あらたに「rock & snow」なる雑誌が刊行されるという噂をききました。
性格上、絶対にメジャーになり得ないスポーツだと思いますが、それに夢中になっ
ている人間がたくさんいることは事実です。
応援しています。楽しみにしています。
( from GON  京都 フリークライマー)

<ヤマケイの担当者ITO編集長からの返事>
こんにちわ。 お便りありがとう。
ITOです。登山かんけいの本などつくっています。
ごらんのホームページは友人のKISYA個人の私家判であり彼の趣味のホームページです。
偏りが多いでしょ。うわさの新雑誌とは別ものです。

新雑誌は、なんと! rock & snow (大文字か小文字かはきまっていない)
というタイトルで98年春と秋にとりあえず二冊発刊されます。くわしくはいずれ、
このホームページのROCK & SNOW MAGAZINE(工事中) のコーナーでお伝え
できるはずです。
このホームページのタイトルとおなじなのは単なる偶然です。
このホームページとは友好的な関係でいこうぜ、
ということになっています。ここんちでは宣伝などはできないきまりになっ
ているようですし。
 
『岩と雪』の名前がでましたが、あれとは違う雑誌になるはずです。
 rock & snowは、地球上の凸、つまり山ですが、そこを舞台に積極的にスポーツしよう、
遊ぼうという人のための雑誌です。
ジャンルは、基本的にクライミング全般、さらに高所登山、夏は沢登り、冬はスキーツア
ーなども入る予定です。テレマークや山ボードは私が好きなので入れたいのですが。

その道のプロや先生のための雑誌ではありませんので、一般のクライミング愛好家がたの
しめ役にたつ内容になるとおもいます。ご期待ください。

もちろん、rock & snow のロゴもこのホームページのような素人くさいものではあり
ません。あれはKISYAがMacペイントで5分でつくったものなのです。

yama-kei ITO  1997-5-26

パキスタンからの便り

あの鈴木央司からスケッチの絵葉書が届いた。いまパキスタン北西辺境州はカラッ
シュ族の村にいるという。たしか去年もこのあたりにいたはず。この4月には全日本
選手権にもでないでどこか行方をくらましていた覚えもある。

鈴木央司(たかし)といえば、テレマークレース界では疾風の如くあらわれた鉄人
レーサー、石木田選手とともに出るレース出るレースをかきまわした鬼のレース破りと
して名高い。

豪傑タイプの彼だが、そのオフの姿は、何と世界の辺境を旅する写真家だ。とくに中近
東のスペシャリストで毎年なんどもこのあたりに出没していて、現地では顔役とかの噂
もあり先々には何人もの女性がまっているという根も歯もないゴシップもながれている。

しかし、鬼の目にも涙、絵心もあり、それはこの絵葉書からもわかる。
そして、その筆跡と文章はといえば、あの大人風容貌からは想像できない優雅で知的で
洗練されたものなのだ。
1997-5-26

この冬の氷登り

昨年に続いて氷の発達状況の良かった今シーズン。1月から2月にかけてあちこちでアイスクラ
イミングを楽しみました。甲斐駒ヶ岳の黄蓮谷左俣、八ヶ岳ジョウゴ沢、大同心大滝ほかいろいろ
行きましたが、最も充実したのは甲斐駒ガ岳の釜無川を遡行して濁川の黒津沢を降りた山行でし
た。


登攀用具だけで軽快にクライミングのムーブを楽しむのも面白いのですが、ビバーク用具一式を
背負って雪と氷に閉ざされた沢をはいつきまわるのもまた格別です。


詳しい遡行記録はまた後ほど書きますが、とりあえず写真のダイジェストで紹介させていただき
ます。

写真左から

釜無川の結氷状態はまずまず、沢通しに登れる

黒津沢上部、岸壁から落ちる滝はみごとに凍っている

黒津沢中流部からは懸垂を交えて下降
    
久保田賢次 1997-5-16

Sierra nevadaは春スキーとクライミングがいいよ

絵葉書おくります。Ansel Adamsの撮ったMt.Tom(right), Basin Mountain(left)
です。Bishopからでしょう。2山ともよいスキールートがあります。マンモスのスキー場へ行くとき
によく見えます。トムは正面にどーんとピラミダルに見え迫力満点です。5月に春スキーにいきまし
ょう。下まで車ではいれます。Butter Milkのボルダリングエリアも近く両方たのしめます。
                                                                   (Irvine.Ca. 徳地保彦)
                                                                          1997-3-6

オーストラリアも面白そうだったぜ

 ぼくは相変わらずゼッコウチョーです。ROCK & SNOWのホームページ、会社(Alpien guides)のコン
 ピューターで見ました。日本語に変換できないようでギリシャ語状態でちんぷんかんぷんでした。
 がなかなか面白いです。
                       マウントクック村にいますが、ガイド仕事も一段落、クライミングしてい
 ます。先月オーストラリアにいきましたが、パートナーがいなかったり、めちゃくちゃ暑くて、ア
 ラプリーズにいっても写真をとっただけ。偵察はじゅうぶんなので、次回はばっちりです。
 
 ブルーマウンテン、マウントコズアシカもばっちり調査してきました。コズアシカのあたりは素ばらし
 いバックカントリースキーエリア、双六岳のあたりににています。NZにくるまえにストップオー
 バーして、遊びプランがよいかもしれません 
                                        (from NZ 黒川晴介)
97-3-6

ぼくは、山ボーダー

 
スノーボードは移動の手段としてはバツですが、滑降はらくちんですで、快楽追及型
乗り物だとおもいます。6月の富士山を滑っているひとをみて、よしぼくも、とボード

を始め、翌年の6月に富士山をすべりました。ボードはだれでもすぐ上達するのがよい
のです。

富士山は表裏2回、そのほか、巻機山、八甲田、月山、湯殿山、至仏山などを残雪期し
みました。独立峰が行動形態としては単純でよいと
おもいました。

友達は雪倉からすべっています。深雪が最高なのですが、登りがたいへんで実際的とは
いえません。リフを使うのが実際的でしょう。ニセコが
最高。
Downhill at Mt.Fuji
パウダーでもいきなり滑れるのがスキーなどとちがうところです。 これは中毒になります。昔クライマーの山崎祐和氏は夏場お 客さんと小川山などにいますが、雪のあるときは山ボードやっていま す。最近、山ボードスクールをはじめてしまいました。 小型で軽量のボードがつかえれば山ボードももっと流行るとおもう のですが。                        (鎌倉市 森三男)                                                                                  

  

室内クライミングでトレーニング

オブジェにもなるでしょ。(3D写真)

ベニヤ板を2枚買ってきて、さらにカラファテでホールドを買い、
自分の部屋にボードをつくりました。いま面白くて毎日
やっています。日曜大工でつくるのもけっこうおもしろいも
のです。ぶら下がり健康器にもなりますし、ガバには洋服も
かけられます。クライミングには無縁のひとにはオブジェ
みたいで素敵、と評判です。
 (大田区 伊藤健)

< 


TOPICS

こんな話しってますか=WAHAT'S NEW ?

 
TOPICS-8  ここが最新版です。 
TOPICS-7  Last modified 20008-20
TOPICS-6  last modfied  2000-1-1
TOPICS-5  last modified 1999-10-10
TOPICS-4  Last modified 1998-7-1
TOPICS-3  Last modified 1998-2-5
TOPICS-2  last modified 1997-6-30
TOPICS-1  Last modified 1997-3-28