6.25.2012

西剣、東剣探検


西剣、東剣探検
2012年6月23日土曜日
member Taro Itokisya記
林道富士線

無名林道広場からの富士山 左から小御岳流し、大流し、白草流し

西剣の火口行き止まり。形状は火口基底430mで深さ70mらしい

梅雨中だが晴れマークもあるようなんで、早起きして出かける。酒匂川で太郎の散歩。松田庶子のあたり、2つ続いた台風のせいで想像以上の大水になったよう。3段堤防の2段目まで水跡があった。箱根や足柄、西丹沢の水が集まる酒匂川は長さはたいしたことないが水の力は偉大なようだ。今朝も大水の名残で濁流が激しい。この川はうちの近くの多摩川よりも広くて川の様子や景色もいい。川遊びもできるんで太郎はとっても気にいっている。。。
篭坂峠を越えて郡内に入り河口湖大石へ。9時にパラグライダースクールをのぞくが常連組はだれもいない。富士山は見えるが大石村の背の山は雲が低い。空を飛ぶには按配よくないかんじ。試乗用のグライダーやハーネスをあーだこーだと吟味、昼からハイキングへ。

前フリが長いが日も長いので急がなくてもいいのである。河口湖大橋を渡り船津から富士山へ向かう。国道139号のダイエー前の交差点は船津口登山道という名前。こんなところに?という名称だがこれは正しいのである。旧登山道は湖水の際からここを通って富士山頂へとえんえんと延びていたのである。
西剣火口のカツラ


直線で8kmあるアプローチを車で上がり車止めのある船津口登山道入り口に着く。ここから林道富士線が右左に延びている。富士山へ向かうのなら正面の車止めを越えて山道に入る。江戸や明治大正の頃はアプローチ8kmを歩いて登ったのだろうが、昭和の時代、富士スバルラインができるまでは、登山バスが河口湖船津からここへ、さらに目の前の山道を3合目まで上がっていたらしい。3合目は標高1800m、さらにそこで四輪駆動バスに乗り換えて5合目2300mまで登ることができたという。本当だろうか。こんど見てみたい。

●西剣

旧船津口登山道探索はまた次回のたのしみにとっておいて、今日のプランは別のところである。今いる林道富士線を利用して以前から気になっていた西剣と東剣というふたつの寄生火山を探訪したい。
林道富士線を左回りにドライブする。有料道路スバルラインと併行して富士中腹を延びるこの林道だが、5合目に到達することはなく途中あちこちで支線を延ばして1762mで終点となっている。道の格付けとしては県道らしい。林道だから沿線では造林や伐採が盛んに行われている。これ以外にも地図にはない林道があちこちに張りめぐらされていて、富士山は林道がいっぱいなのである。
まず西剣標高1584m。2万5千分の1地形図を見ると林道富士線を西へ3kmほど行ったところに西剣の火口へ続く謎のトラック(破線)がある。西剣は北面に開口部つまり火口を持つ馬蹄形の火山(学問的には側火山あるいはスコリア丘という)で、トレイルは火口谷を辿り火口中央まで達したあと山腹を逆時計回りで巻いて、別の林道と合流している。まるで火口探検のためにつけられたようなルートになっている。山頂に続く破線はないが、とにもかくにもこれは実地で見てみたいルートである。

地形図どおり林道富士線を西へ。林道とはいえ舗装路、ただし1車線。それらしい沢状地形があって橋がかかっている。左手山側をのぞくと細いトレイルが続いているようだ。車を200mほど先の路側に置いて、1時スタート。
橋の脇から沢に沿って細いトレイルが山へ登っているのでこれを辿る。近頃人の入ったあとはない。一帯は針葉樹の植林帯でシラビソのように見える。標識があって40年ほど前にシラベを植林した云々、吉田林務事務所、と書かれている。沢を辿るが水が流れているわけではない。その昔溶岩が流れ出した火口谷なのだ。谷が行き止まりになって一段上がったところが広場になっている。空き缶や空き瓶が散らかっていてハイカーの仕業とは思えない。

火口の底にいるわけだから正面と右、左は雑木の山が迫っている。植林はここまでらしい。ご神木のような太いカツラが2本。伐採を免れた巨木なのだろう。トレイルは、と見るとここでヘアピンカーブになって山腹を反対方向へ向かっている。地形図のとおりで、ここからは車ならなんとか通れそうな幅に広がっている。古い林道なのだろう。
地形図の破線はハイキングのためのトレイルではないようだ。造林のための仕事道だと想像できる。
そんなわけだから西剣の山頂へ続くトレイルがなくても不思議ではない。仕方がないので雑木林を急登していちばん高いところを目ざす。山頂近くからスズダケの藪になるがこれを突破、どこが山頂かもわからないまま下りに入りササ藪を直進するとすぐに林道に降り立つことができた。地図にあるとおりの立派な林道でダート道で歩きやすい。時計は3時。ここで大休止。

西剣の火口に入り、カツラの巨木が2本生きているのを見た。謎のトレイルが林業用の細道だったこともわかった。ついでに西剣の山頂は展望のないササ藪の中にあるこも体験できた第1ステージだった。

●無名小山と東剣
巨大樹海を作った青木ヶ原溶岩流はよく知られているが、ほかに富士山から噴出した大きな溶岩流といえば剣丸尾溶岩流だろう。山頂直下の牛ヶ窪や小御岳流しなど複数の火口から流れ出したマグマがえんえんと下り河口湖町の近くまで達している。西暦930年ころというから遠い昔のことではない。これが剣丸尾でマルビとは溶岩の流れのこと。西剣も東剣もこの剣丸尾溶岩流を生み出した仲間なのだろうと想像していたのだが、ものの本によれば2つの火山の誕生は別の時期だという。
研究者のレポートでは、西剣は4600年前、東剣3600~3300年前に噴火した火山だという。古い火山なのだ(それにしても火山の誕生日を割り出すことができる科学と研究者には脱帽)。

さて次はその3000年以上前にできた火山東剣を見たい。地図とGPSを見比べる。
いまいるこの林道を東に辿りどこかで東剣に登る踏み跡を見つければよいだろう、とおおまかなプランを立てる。地図によればスバルラインからだと、たった200mで山頂に達することができそうなのだが、今日は周遊ルートでなければならない。地形図には東剣の山頂には窪み表示があって立派な火口があることを表している。たのしみ。

初夏の草花が路傍で微笑む林道を進む。200mほどで地図にはない林道が交差する。
うーん、あてずっぽうで地図にない林道を山側へと上がる。再び200mほど進むと残雪の富士山がよく見える広場にでる。スバルラインを走る車の音が聞こえてきて、富士山の北面と沢筋に残る雪形が見える。広場から仕事道のような踏み跡があるので東剣の方角へと進む。カラマツの幼樹の植林エリアで、足元にはシロバナヘビイチゴの群落があちこちに。道が行き止まりになって藪をかき分け崖を登ると古い林道に出る。再び道を失い黒森の林へと入る。カラマツの植林帯のようだ。直径50mほどの大皿のような窪みを発見。これは火口だろう。

地図を改めて見てみると、東剣の西にこんもりとした無名の小山があるのがわかる。これも寄生火山にちがいない。まずはそこへ向かおう。植林帯の中にも古い林道があってこれを辿ると右に左に塹壕のような火口跡が現れる。火口列に違いない。けっきょく無名小山の山腹にはいくつか顕著な火山地形があることがわかった。さらに山頂1610mに上がってみると、そこらあたりは、あっけらかんとしたカラマツの林で火口とかカルデラとかの類はないこともわかった。
東剣の長円火口

黒森に戻り倒木帯を避けながら進むうちに結局スバルラインに出くわすことになる。道路脇を歩くとすぐに道路管理のトラックがとまる資材置き場にでて、ひとやすみ。スバルラインは休日とあって観光のクルマがあわただしく往来している。
資材小屋の裏が目ざす東剣なのだがスズダケが密生していて侵入者をよせつけない。西剣もそうだったが日当たりのいい南面はブッシュが濃いようだ。
少し回りこんで藪の薄い斜面を見つけてケモノ道を辿る。東剣の山頂部は雑木林で人の手が入っていないように見える。登りついた山頂は長い尾根のようだった。倒木と藪がうるさいが歩けないほどではない。長い尾根のように見えるがこれは火口縁だろう。

左側に谷のように見えるのが火口だからと下り気味に進む。下生えがなくなって100歩ほどで火口の底に降りることができた。いくらかの倒木と草むらがあるが空が開いていて明るい。基底直径300m、高さ70m、火口直径100mと研究者の火山データには記載されているが、見た目は長円形の火口縁をもつ船底のようなクレータだ。噴気や熱気は感じられない。太郎は草むらの辺りをくんくんしている。火口底は動物たちの楽園となっているようだ。

お鉢の北側を登り返して火口縁に戻る。お鉢めぐりできるようなトレイルは見当たらず、この山はあんまり人が来ていないようだ。探索は終了にして北東尾根を下ることにする。北面は歩きやすいがかなり急。途中から尾根を外れ山腹を下る。100mほど高度を落とすと植林帯になってすぐに林道に出ることができた。この林道は昼過ぎに西剣から降りて出合った道と同じはず。この少し先で林道富士線へと下る破線が地図には引かれている。これを見つけて、それが廃道になっていなければラクにスタート地点に戻ることができるのだが…。

しっかりした分岐があってはっきりしたトレイルを見つけることができた。幅広のトラックでこれも古い林道のようだ。富士山は林道がいっぱいだ。無名林道を快適に下っていくと右手にお皿のような窪み。直径30mほどはあるからこれも古い火口だろう。似たような大きさの窪みやお鉢がこのあとも右と左に4ヶ所ほど。火口が列になっている跡ではないかと想像する。

西剣と東剣、その周囲一帯は、3000年から5000年前は活発な火山活動があったということだろう。その頃のこのあたりは、ときに噴煙が上がり、マグマも流れる火山銀座。草木は死に絶えて、いまの宝永山のようなスコリアが広がる毛無界だったにちがいない。
5時、まだ日が高い。無事に林道富士線に出てマイナールートのハイキング終了。それにしても富士山には林道がいっぱい。火山もいっぱいだ。



●以下資料

富士山を知る見るハイキングガイド伊藤フミヒロ

剣丸尾溶岩流は約千年前、河口湖正面の山頂から小御岳を回り込み、富士スバルランドを通過して船津胎内から富士急ハイランド、最後は上暮地白糸まで達した溶岩流である。地元で剣丸尾といえば「ああ、あの辺か…」というようにポピュラーな存在である。ちなみに剣丸尾とは溶岩流が剣の形に似ているから名付けられた。
一方、鷹丸尾溶岩流(937年)は山中湖を誕生させた。
この時期の富士山はハワイ式の噴火を繰り返し、いたるところから溶岩を流出させていた。


地質調査研究報告 , 第 57 巻 , 第 11/12 号 , p. 357 - 376, 2007
トレンチ調査から見た富士火山北‐西山腹におけるスコリア丘の噴火年代と全岩化学組成

8 . 2 東剣スコリア丘
8 . 2 . 1  地形と層序
東 剣 ス コ リ ア 丘 は 北 山 腹 標 高1 , 6 3 5   mに 位 置 す る .
Wc o = 0 . 3,Hc o = 0 . 0 7,Wc r = 0 . 1をもつ.
トレンチは山頂で深度198 cmを掘削した.トレンチ
断面では,上位からY u - 2,大平・桟敷山スコリア(層
厚4 7   cm),Om(層厚9 6   cm),Os(層厚2   cm 以下),
東剣降下火砕堆積物が認められた(第2図の1 4).Y u - 2
は 火 山 灰 土 壌 と 混 じ り , 上 下 の 境 界 が 不 明 瞭 で あ る .
KgはOs直下に46 ‰を確認した.東剣降下火砕堆積物
は,深度1 7 8   cm以深に層厚2 0   cm以上で産出した.Os
から東剣降下火砕堆積物までの間に4 cm厚の褐色火山
灰土壌を挟む.
8 . 2 . 2  層相と岩石
東 剣 降 下 火 砕 堆 積 物 は ,最 大 粒 径1 7   c mの 良 く 発 泡
した赤褐色火山弾及びスコリアからなる.火山弾は斑
晶 に 富 み , 斜 長 石 ( 2 1   v o l . %  , 径  <   2 . 1   m m ),か ん ら
ん 石 ( 2  .  4   v  o  l  .  %  , 径  <   0  .  6   m  m  ) 及 び 単 斜 輝 石 ( 1  .  1
v o l . % ,径  <   1 . 3   m m )を 斑 晶 に 持 つ . 斜 長 石 斑 晶 は 清
澄 な も の ,蜂 の 巣 状 組 織 ,汚 濁 帯 を も つ も の が 混 在 し
て い る . か ん ら ん 石 斑 晶 の 一 部 は 樹 枝 状 組 織 を 持 つ .
単 斜 輝 石 斑 晶 は 微 少 な 斜 長 石 を 包 有 す る こ と が 多 い .
全 岩 組 成 は  S i O2= 5 0 . 5   wt.% , K2O = 0 . 6 1   wt.% , F e O * /
M g O = 1 . 8で あ る


富士火山北‐西山腹に位置する1 8個の噴火年代未詳
スコリア丘でトレンチ調査を実施した.トレンチ断面
で,テフラ層序と火山灰土壌の厚さから,スコリア丘
の 噴 火 年 代 を 見 積 も る と , 1  )  8  ,3 0 0   B . C . か ら6 , 0 0 0
B . C .にサワラ山,二ッ山,永山が,2)5 , 3 0 0   B . C .から
2 , 6 0 0   B . C .に弓射塚,西剣,北西奥庭,丸山,塒塚が,
3)2 , 3 0 0   B . C .から1 , 8 0 0   B . C .に八軒山,西幸助丸,幸
助丸,戸嶺,臼山が,4)1 , 6 0 0   B . C .から1 , 3 0 0   B . C .に
北西弓射塚,東剣,鹿の頭,片蓋山が形成されたこと
が明らかとなった.

地質調査研究報告 2007 年 第 57 巻 第 11/12 号
-360-
比(‰)も示した.屈折率は温度変化型屈折率測定装
置(古澤地質調査所製   MA IOT)で測定した.
スコリア丘本体の噴出物は,鏡下観察を行うとともに
全岩組成を測定した.第  2  表に斑晶量比を示す.全岩組
成の分析は,産業技術総合研究所地質調査総合センター
の蛍光X線分析装置(Philips   社製   PW1404   型)を用い,
第1表 富士火山北‐西山腹に分布する側噴火の一覧.
Table 1
 

Wc o(基底直径,km)= 0 . 5 0,H c o(高さ ,   km)= 0 . 1 4,
Wc r(火口直径,km)= 0 . 0 5などと表記


1 Kenmarubi-2 ????? -
A.D.1033? /
A.D.1010-1180
- 344-11 0.8-4.0 n.d. n.d. ol>cpx 1.9
2 Kenmarubi-1 ????? - A.D.937? - 10 3.2-4.7 n.d. n.d. ol 2.1-2.2
3 Jogan ?? - A.D.864-866 - 30-44 7.9-13.2 n.d. n.d. ol,cpx 2.1
4 Onagare ?? - A.D.690-900 - 17 3.5-4.5? n.d. n.d. ol>cpx>opx 1.8
5 Garan ??? - n.d.  - 17 4.7 n.d. n.d. n.d. n.d.
6 Yakeno-Nishimarubi ??+??? - A.D.650-890 - 68-78 1.8-3.8 n.d. n.d. not detected 2.1
7 Oniwa-Okuniwa-2 ?????? - A.D.620-880 - 38 1.5-7.6 n.d. n.d. ol 1.7-2.0
8 Oniwa-Okuniwa-1 ?????? - A.D.660-860 - 42 0.8-4.3 n.d. n.d. ol,cpx 2.0-2.1
9 Tenjin'yama-Igatonoyama ???+?А?? - A.D.690-960 - 29 8.6-9.3 n.d. n.d. cpx>ol>opx 2.1
10 Hakudairyuo-Koriike ????+?? - A.D.410-770 - 35 8.4 n.d. n.d. ol>cpx>opx 2.1-2.2
11 Ohirayama-Sajikiyama ???+??? - n.d. 1000 B.C. 26 4.7-6.6 n.d. n.d. cpx 1.9
12 Omuroyama ??? - 1390-1120 B.C. - 40 11.1 1.58 0.30 ol,cpx 1.8-1.9
13 Katabutayama ?к? y n.d. 1300 B.C. 42 9.1 0.75 0.16 ol>cpx 1.8
14 Higashiken ?? y n.d. 1500 B.C. 15 6.3 0.30 0.07 ol>cpx 1.8
15 Shikanokashira ??? y n.d. 1500 B.C. 43 9.5 0.50 0.07 ol,cpx 2.1
16 Hokusei-yumiizuka ????? y n.d. 1600 B.C. 36 8.9 n.d. n.d. n.d. n.d.
17 Tsugaoyama ??? y n.d. n.d. 41 10.0 0.48 0.06 n.d. n.d.
18 Hokusei-usuyama ???? y n.d. 1800 B.C. 37 7.2 n.d. n.d. n.d. n.d.
19 Usuyama ?? y n.d. 1800 B.C. 36 6.9 0.30 0.07 ol>cpx 1.8
20 Tomine ?? y n.d. 1900 B.C. 45 3.5-4.9 0.63 0.20 ol>cpx 1.8
21 Kosukemaru ??? y n.d. 2000 B.C. 43 5.5 0.55 0.15 ol>cpx 1.6
22 Nishi-kosukemaru ???? y n.d. 2300 B.C. 47 5.3-6.4 n.d. n.d. ol 1.9
23 Hachiken'yama ??? y n.d. 2300 B.C. 40 6.3 0.43 0.07 ol 1.8
24 Toyazuka ?? y n.d. 2600 B.C. 87 5.1-5.7 0.55 0.15 ol 2.0
25 Maruyama ?? y n.d. 2700 B.C. 1 5.3-5.8 0.55 0.10 ol 2.4
26 Hokusei-okuniwa ???? y n.d. 3200 B.C. 42 4.7-5.2 0.83 0.20 ol 1.8
27 Nishiken ?? y n.d. 4200 B.C. 21 7.0 0.43 0.07 ol 2.2
28 Yomiizuka ??? y n.d. < 5300 B.C. 34 8.5 0.83 0.20 ol,cpx 2.8
29 Inusuzumiyama ???? - 6020-5840 B.C. - 73 8.3 0.20 0.03 ol>cpx>opx 1.9
30 Sawarayama ???? y n.d. 6000 B.C. 45 7.0 0.50 0.14 ol 2.6
31 Futatsuyama ??? y n.d. 7400 B.C. 58 7.5 0

6.24.2012

河口湖大石夏パラ


河口湖大石夏パラ 
2012年6月24日日曜日
member Tanaka よしがきさん Itokisya記
太郎はのんびり。。。

テイクオフがよく見えるようではダメだね。この高さで上げとまり

9時大石のスクール着。昨日に似たような空模様で雲低い。だんだん上がってくるんではということで3人でテクオフへ。ブクロ氏は山中湖大平山でリッジソアリングにトライするという。
ウッディバレーのハーネスを試乗する。どんよりしているが時々日差しがある。昼前にいちばんで出る。落ちることなく上がるが100mほどで上げとまり。雲下の吸い上げコンディション。テイクオフの風がくるくるしていたのはこのせいか? 上がらず下がらずで30分もうろうろして、それならと東尾根へ谷渡りするがやはり難しくUターン。テイクオフ下に戻るが今度は下がりっぱなしであえなくランディング。ソロでショートなフライト。
ハーネスは思ったほどではなくいまいち感あり。
この空模様ならがんがん行けたかもしれない

河口湖一の長老フライトボーイ

2番手よしがきさんはリハビリフライトで軽く1本。体重が落ちいるのにグライダーが大きすぎ。
ラストのTanaka さんは風が悪くなって下山。残念。
今日はあんまり力の入らないフライトボーイズだった。



6.18.2012

高鉢山と溶岩樹形群


高鉢山と溶岩樹形群
2012年6月16日
member Taro Itokisya記
高鉢神社の社の跡

天狗のお庭

小雨の日曜日、西の方から天気がよくなっているよう。昼に出かける。
近頃マイブームの富士山南麓、今日のプランは高鉢山登頂と東臼塚の南にある日本最大の溶岩樹形群の見学。
富士山スカイラインの5合目線にある高鉢山の駐車場へ着いたのが2時ころ。日が長いので木にしない。高鉢駐車場は2つあって上の方は小さいがお山を望むことができる。すっかり天気がよくなって残雪と新緑の富士南面がよく見える。
高鉢山は寄生火山だ。西臼塚から見るとお碗型のきれいな山容が見えるのだが、地図上では大きな尾根の突端のよう。

高鉢山は寄生火山というだけではなくてけっこうヒト臭い山のようだ。富士山信仰の修験者(山伏)らがこのあたりを巡って修行をしたらしい。山頂には神社があって、このあたり富士太郎坊という天狗も徘徊していたとか。山人はもちろん修験者たちもこの天狗を畏れ敬っていたらしい。よく絵などでみる天狗は山伏のような格好をしているが、けして山伏の親分というわけではないらしい。天狗は空を翔る神でもあり、ヒトに悪さをする妖怪でもあったという。ということは、いい天狗様と悪い天狗がいたということだろうか。富士山には天狗にまつわる面白い話しがいくつもある。今でも地元の人や信心深いあるいは迷信深い人は、天狗を畏れて高鉢山には近づかないという話しを聞いたが、本当だろうか。

あてずっぽうで、スカイラインを横断して森の中に入る。細いトレイルがあって、園地かと錯覚するようなきれいな混交林が広がっている。ササなどの下生えがなくて歩きやすい。樹間もあいていて午後の日が差し込んでいる。ツツジの花園や一面がバイケイソウの平など、森あり草原あり湿原ありの山上庭園になっている。ふらふら歩いているうちに方向が少しずれてしまったようだ。沢を渡り倒木帯を越えて1649m高鉢ピークを目ざす。
振り返ると富士山がよく見える、明るいが極端に足場の悪い広場に出る。広場というよりも倒木の墓場というのがふさわしいかもしれない。天狗の話しにこじつければここが天狗のお庭ということになりそうだ。
バイケイソウだとおもう、上高地みたいだ

正面にこんもりとした高みが現れる。高鉢山だろう。天狗のお庭から100歩ほど上がると風通しのよい疎林に出る。ここが山頂だった。すぐに三角点を発見。3等のようだ。展望はあまりない。カルデラのようなはっきりした火山地形は見当たらないので寄生火山と言われてもわからない。が、富士山の滑り台のようなきれいな勾配を無視するかのように点在する凸や凹、あるいは平はほとんど寄生火山のなせる技だという。
高鉢山山頂ご神木、だとおもう

ブナかカツラか判然としないが空洞をもつ巨木があって天高くこずえを伸ばしている。これがご神木か。根元に標石のようなものが2本倒れている。苔むした丸石もふたつ。となりに看板がこれも倒れていて文字や絵は消滅していてなにも読み取ることはできない。花崗岩の標石をよく見ると高鉢神社と彫られている。丸石は石仏の一部かなにかかと確かめてみるがただの石のよう。ここらあたりに祠があったのだろうがいつの間にかこれらの石だけが残されたということだろう。ものの本には、ここにお堂もあって宝物が収められていたという記事もあったのだが。
富士太郎坊の影でもないかとあたりを見渡すが、木漏れ日が射しそよ風が吹き抜ける山上には天狗様や魔物の気配はない。
尾根上に細いトレイルが続いているようなので、帰路はそれを辿る。緩い登りを倒木を避けるように右左しながら進むと車の音が聞こえてきた。すぐに「富士公園太郎坊線9.4キロポスト」の標識のあるスカイラインに出ることができた。2時間もかからないハイキング。高鉢山を往復するだけならこの尾根ルートを選ぶのがよいだろう。
溶岩樹形の原っぱ

溶岩樹形の森

さてまだ4時。夏至に近いからお日様も高い。第2ステージは東臼塚の南にある溶岩樹形群の探訪である。
この溶岩樹形の森は、最近になって知られることになったらしい。静岡県地学会のホームページに出ている。

「日本一の溶岩樹型密集地域。東臼塚南溶岩流中の溶岩樹型群」とあり、写真とわかりやすい解説、おまけに所在を示す地図付きで親切に紹介されている。これは見てみたい。溶岩樹形は、生きている立木が灼熱の溶岩流に包まれて燃え尽きたもの。溶岩には生前の樹木の姿が穴ぼこ状態で残されるわけで、樹木の鋳物のようなものとも言えそうだ。これが密集したところがあるのなら、古代の森の様子を化石を見るように想像できる、のではないか。
富士山スカイラインを下り、水ヶ塚でエバーグリーンラインに入る。富士急の遊園地や岳麓の村須山に下ることができる500円の有料道路。地図よれば、溶岩樹形の森へは、西臼塚駐車場、あるいはイエティスキー場から辿ることができそうだが、たまたま樹形の森は佐久間東幹線という送電線の下にあるという。それなら送電線の切り開きを行くのがてっとり早いのではないか。
地図を見てエバーグリーンラインを須山に向かって下がっていく。頭上を送電線が横切るところがスタート地点だ。なんなく送電線を発見。道脇に車を置くスペースもある。早速スタート。
送電線の下には必ず巡視用の仕事道がつけられている。経路ともいうらしいが、これを辿る。道脇から親切にも階段が作られていて、ひと登りすると広々とした切り開きに出ることができた。前にも後ろをにも送電鉄塔がえんえんと続いている。新鮮は風景。広い切り開きの真ん中に細い仕事道があってこれも行く先えんえんと続いている。
起伏はあるが歩きやすいこの仕事道を進む。両脇には春の草花がほほえんでいる。目的地は1.5kmほど先。
なぜか髪の毛が逆立つようなジリジリという音が時おり聞こえてくるが、動物にもこの道は便利なのだろう。ときどきニホンジカを見る。あたりをきょろきょろしながら歩いていくが、いっこうに溶岩樹形らしいものは見えない。切り開きの左右は造林帯でヒノキの真っ暗な森になっている。景色が変わったな、と思ったのはヒノキの黒森が原生の混交林になったからだろう。足もとの切り開きにもごつごつとした溶岩が露顕するようになる。
予定通り1.5km地点に達するといきなり右に左に溶岩の穴ぼこが出現。直径1m以上のものから20センチくらまいで、大、小さまざま。深さは1mから2mとこれもさまざま。斜めの穴があったり、横倒しのまま埋もれたらしい穴もある。穴の山側にいすの背もたれのように盾状の溶岩がくっついているものも。まさに溶岩樹形の原っぱだ。
山側の森の中にもたくさんあると聞いていたので、踏み跡を辿ってみる。薄暗い雑木林の中に観察路があってここも左右にたくさんのさまざまな形状の溶岩樹形が口を開けている。森の中のものは苔むしたものが多い。
この溶岩流は、1kmほど北にある東臼塚から1200年ほど前に流れ出したものだという。当時は巨木の森だったことがわかる。樹種は不明だがこのあたりは深い森林帯だったのだろう。静岡地学会によればこの溶岩流の中に500以上の溶岩樹形があるという。
それにしてもなんでこんなにここだけに密集しているのか。1200年前に流れ出した溶岩は、長さ1km弱、幅50mほどのもの、そのひと筋だけだったようだ。この溶岩流に侵された森の部分だけが樹形を残したということ。被害を受けなかったほかの森はその後も長らえたのだろう。
樹形穴が残されているのは原生の森の中、おとなりのヒノキの造林エリアではなかったのは、比較的新しいこの溶岩流の上に植林するのが難しかったからなのではなか、と往路を戻りながら想像する自分であった。観察の時間も含めて往復2時間少しの火山地形観察ツアーだった。
南口須山浅間

車に戻ってまだ6時。須山浅間神社を訪ねる。富士吉田の浅間神社が北口、須走が東口、富士宮が表口なら、須山の浅間神社は南口と言われている。富士遥拝登山のための南の登り口という意味である。とはいえ旧登山道はとっくに消滅している。ここから富士登山をスタートしようにも道がない。それでも1000年も前から登られたという須山口登山道を再興しようという運動が長い間続けられてきた。そして地元の熱い夢が現実のものとなる日がやってきた。平成9年、須山口登山歩道は復興されたのだった。いまや神社から富士山頂までのルートは国土地理院の地形図にも破線が引かれている。
神社は本殿が大改修中だった。完成まで2年ほどかかるという。須山には信仰の厚い人が多いのだろう。莫大な浄財が注がれ、ヒノキの香りも新たな立派な社が生まれつつある。鳥居の周辺には何本もの幟がたてられていて、そこには「歓迎、富士山須山口登山歩道」と大書されていた。須山には富士登山への熱い想いをもつ人が多いのだろう。

富士山を知る見るハイキングガイド伊藤フミヒロ





〒422-8529 静岡市駿河区大谷836
静岡大学教育学部地学教室内
静岡県地学会事務局
東臼塚南溶岩流中の溶岩樹型群
~日本一の溶岩樹型密集地域~
小川賢之輔が1986年に公にした。東西200mの高圧線の側道、その側道から主に北に伸びる「けもの道」600mを中心に幅約50mの狭い地域に500を越えるおびただしい数の溶岩樹型が存在する。

東臼塚の山腹最下部付近から南に流下した東臼塚南溶岩流中にある。新富士火山新期溶岩で、直下の炭化物の年代測定等により、西暦800年代後半に噴火したと考えられる。

溶岩樹型の単一樹型は4つに分けられる。

竪樹型(直立樹型)
斜樹型
横臥樹型
管状樹型
これら全てのタイプがあり、立派な不動岩タイプ(側面が高まりをつくる竪樹型を不動明王の光背にたとえ不動岩タイプと呼ぶ)が多数存在する。(齋藤朗三)


富士山は側火山の数が際だって多く、その数は70以上といわれています。
富士山の側火山の多くは、お椀を伏せたような形をしています。これは、噴火の際に火口の周辺にスコリア(気泡をたくさん含む暗色の火山れき)などの火砕物が積もってできた山で、火砕丘(スコリア丘)と呼ばれます。このほか、はっきりした丘にならずに帯状の盛り上がりや溝のような窪みの地形としてとして認められるもの、火口だけが列をなしているものなど、さまざまな形の側火山があります。

6.16.2012

お中道と途中道


須走口旧お中道と平成お中道
2012年6月15日
member 太郎 伊藤フミヒロ
残雪豊富。吉田口を森ピカ組が登ってる

太郎おおよろこび

カジタックスが落ちてた

梅雨の晴れ間の1日になるというので太郎とハイキングに出かける。富士あざみラインを上がって須走口5合目の駐車場標高2000mへ。9時半スタート。森の中のきれいなトレイルを行き夏の登山道に出て、のんびりと登る。雲やガスが湧くこともなく山頂までくっきりと見える。絶好の陽気だが平日なんでスキーヤーは見えない。
標高2400mの長田山荘で「このスジ中途道 吉田へ」という道標と細いトレイルを見つける。これが須走口から吉田口へ続くお中道ルートだろう。昔のルートとは異なる新しいお中道だという。で、「平成お中道」とも言われている。帰りにはこのトレイルを利用して戻ってくる予定なので、さらに上へと登る。
今日のプランは、標高2600mにあったという古いお中道を見つけ吉田口に続くトレイルを歩いてみたい。見つけると言っても、旧お中道にある須走胎内神社と滑沢の幻の滝は数年前に訪ねたことがあるから、問題はその先の吉田口下山道に続く未見のルート。吉田口に出ることができたら標高2400mまで下って、これまた未見の「平成お中道」を歩いて須走側に戻ってくるという周遊ハイキングだ。
長田山荘裏から夏道を上がるがすぐに雪渓が出てきて登山道が消えてしまう、が適当に残雪の上を登っていく。 
2620mで瀬戸館、11時半。本6合目と言われているところ。小屋前のベンチで休む。風もなくぽかぽか陽気。残雪の様子を観察すると山頂から2400mの長田山荘あたりまで雪渓がつながっているようだ。今週末のスキーヤーはおおよろこびだろう。今年は雪が多いというのは本当らしい。
旧お中道は雪に埋もれているところ多い

吉田口下山道が見える

瀬戸館、もちろんシーズン前の今は人影はないが、この小屋は古くからのお中道の途上に建っている。小屋の先には須走5合目お胎内神社があって遥拝登山者の参拝所となっている。当時はここが5合目と言われていたようだ。
小屋の裏手にまわってみるが幅のある雪渓が広がっていて旧お中道の道形は見えない。雪渓の向こうのブッシュに目をこらすと赤布があるので、ピッケル片手にトラバース。確かに残雪豊富だ。ブッシュの中に細い道が続いている。
お胎内神社はお中道の脇に口を開ける溶岩洞穴だが、これも雪に埋まっていて確かめようもない。以前ここを訪ねたときは、洞穴の脇に石碑があって木製の鳥居が朽ちて倒れていた。

沢に出合うごとに雪渓が現れるが、それ以外はブッシュの中に細いトレイルがあって迷うことはない。よく歩かれているようだ。滑沢は雪に埋まっていて幻の滝は見られない。水音がするので50mほど登ってみると滝が顔を出していた。けっこうな水量があってすぐに足もとの雪渓の中に消えている。
旧お中道をさらに進むと小さなナメ滝が現れ、雪融け水が勢いよく流れていた。溶岩流の溝を富士山の最大傾斜線どおりにまっすぐに落ちる白糸の滝。さきほどの滑沢ほどのスケールはないがこれも幻の滝のひとつだろう。残雪期の富士山ではあちこちに幻の滝が出現するのである。
再びブッシュ帯の中の細道を辿るとまたまた雪渓。その先には広大なつばくろ沢のガラ場がえんえんと続いている。さらに先には吉田口ルートの下山道を望むことができる。視界が開けているので目的地はすぐそこに見える。

雪渓を渡ってつばくろ沢のガラ場に入るが、ここでトレイルを見失ってしまった。溶岩屑の崩れが激しいので道が消えてしまったのかもしれない。よろよろしながらこのぐずぐずのスコリア帯を進む。ガラ場が続いているように見えたが、実際は小さな沢がいくつか行き手を遮っていて、いちいちそれを越えていかなければならない。旧お中道はそのあたりを上手に乗り越えて作られていたのだろう。
ようやく吉田口の下山道に辿りつくことができた。下山道が吉田口登山道の6合目へとトラバースを開始する屈曲点で獅子岩という地名。先には3つほどトンネルが見える。つばくろ東沢の落石よけのためのもの、富士登山の際には下山者が毎度お世話になるシェードだ。
下山者が毎度お世話になるこの下山道は実はお中道伝いに作られた歩道。お中道は吉田口6合目からさらに登山道どおりに泉ヶ滝を経由して富士スバルラインの終点5合目駐車場に続いている。
その先は? その先は地形図にも記されているお中道ハイキングルートである。富士急行のドライブインの脇から、石畳の歩きやすいお中道が、御庭を経て大沢崩れ手前まで続いている。ダケカンバやシャクナゲの森を抜け、雪代で崩された沢を越える楽しいハイキングルート。寄生火山あり、箱庭あり坪庭ありの興味深い道。左手に富士山頂、右手に山麓からあちらこちらの山々…、とにもかくにも展望が素晴らしい。

さて「平成お中道」である。吉田口下山道を少し下がると、雪渓が出てきたのでそこをいっきに下ることにする。100mほど下がれば「平成お中道」に出くわすはず。平成お中道は地図にこそ破線は引かれていないが、目印もあって相当な人が歩いているという。細い道だというが、あいにく潅木帯は雪渓に半ば埋もれていて、このあたりのはずと探すが、判然としない。それでもなんとかダケカンバにくくりつけられた赤布を見つけ、トレイルを辿ることができた。つばくろ沢のガレ場を再び横断。踏み跡ははっきりしているし、ところどころの岩に白ペンキでマークがされているので迷うことはない。道端になにか落ちている。なんだ? ピッケルだった。アイスクライミング用のカジタックスでリーシュの先に極寒仕様のグローブがついたまま。吉田口を登っていた冬季登山者がうっかり流したものだろう。見上げる富士山頂は高い。残雪がまぶしい。どこらへんから落ちてきたのだろうか(余談ながら何年か前にもアイスバイルを拾ったことがあった。ほかにも財布とか寝袋とか、、、富士山では拾いものが多いのだ)。
美しい森を行く平成お中道

平成お中道の滑沢

スコリア帯を過ぎると美しい森に入る。ダケカンバとシャクナゲ、カラマツの森。先ほど辿った旧お中道が矮木帯をと毛無界の境を行くのとは異なり、平成お中道は大部分が森の中に道形がつけられている。
旧お中道は、とくにこの数年の大雨、大水で踏み跡が破壊された部分が多い。一方「平成お中道」は、わずかな標高の差だが森の中にあったことによって長らえているのに違いない。

しばらく進むと水音が激しく聞こえてきた。滑沢のナメ滝だ。先ほど上で見た滑沢は雪に埋もれていたが、ここでは雪は消え、飛まつを躍らせた素晴らしい流れとなっている。ここで大休止。
さらに小さな起伏をいくつか超えて朝方寄った「コノのスジ中途道」の道標のある長田山荘の前に出ることができた。2時半。なんと満開のフジザクラを見つけた。

丸太を輪切りにした道標に書かれている「このスジ中途道」は、お中道に上がる中途にあるから、という意味か。謙虚にも正しくもけしてお中道とも平成お中道とも書かれてはいない。途中道と呼ぶのはどうだろか。
夏山登山道を下って3時半に駐車場に戻る。
須走口登山道から2600m等高線を行く旧お中道を訪ねるのなら、お胎内神社と滑沢を見て引き返すのがよいようだ。標高2400mの「平成お中道」。美しいハイキングルートだが知る人は少ないのだろう、静かで美しい山道が味わえる。
長田山荘脇の道標。中途道よりも途中道と洒落るのがよいと思う



動画2本!

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富士山を知る見るハイキングガイド伊藤フミヒロ

もうひとつ

そもそもお中道とは。

旧道はトレイルが消えている
地図にトレイルが引かれていな
昭和時代は歩かれていて、
大沢崩れは当時でも危険な道
いところにも好事家の道がある。
むらちゃん1日で周遊25km11時間。御殿場口スタートから帰着ま
で14時間
冠松次郎の地図s

6.09.2012

三味線林山と大皿火口


三味線林山と大皿火口
2012年6月8日 くもり
member 太郎、伊藤フミヒロ記
ふつうだれも知らん、東富士ダム

ダム脇から梅雨入り直前のお山


 この日、西臼塚散歩のあと、モーレツな霧の中スカイラインを下る。日が長くてまだ明るい。思いついて三味線林山へ。これもネット知人「峠のむこうへ」さんから教わった山。珍名で一部に知られる。三角点もあるんでマニアは知っているかも。国道138号の水土野の近く、自衛隊の富士学校のそばにある。山頂の北には、地形図で見ると直径200mほど深さ20mの火口があるようだ。
 ちょっとその前、三味線林山に入る前にすぐ隣の東富士ダムを見学しよう。細いダート道に入りくねくね行くとダム全体を見渡せる場所に出た。つぶれたフェニックス大学の横。ダムは四角形で珍しい。溜池になっていると聞いた。ダムマニアによれば、
…静岡県の灌漑専用ダム。アスファルトフェイシングフィルという、珍しい構造をしている…。
 そこにダムがあることにも気がつかないような場所でどこからも見えないのがへん。決壊したら下にある村は大迷惑だろう。
三味線林山のカルデラ底。きれいで明るい

三味線林山山頂746m。四角いのに三角点

 さて三味線林山。日本陸軍の装甲車がホコリを巻き上げて走る林道を行く。取り付きになりそうな細道を発見、そこに車をつっこむ。
 ジムニーなら走れそうな細道で仏車では無理。どこに続くかわからないが5時杉スタート。雑木林の中を左左へと回り込んで行き、どうも左手が火口のよう。浅い。100歩ほど下って火口底にたつ。大皿のようなクレーターだ。そばには沢のような窪みもがあってこれもカルデラかもしれない。列状になった小火口に見える。
 そこそこ行って切り上げ三味線山へ向かう。雑木林の中をうろちょろしてるうちに方向を失う。コンパスを修正して指示どおり進む。先ほどの大皿火口と三味線山は前方後円墳のような形状で全体が寄生火山だと推測できる。三味線林山側はスギの植林エリアでうっそうとした黒森になっている。下生えは薄くすぐ山頂に立つことができた。三角点も発見。三等とあるようだ。マニアがたまに訪れるのか赤布が脇の木に縛り付けたあった。東側が明るく開けているのでのぞいてみる。案の定カートのレース場を見下ろすことができた。車に戻って6時過ぎ。まだ明るい。松田まで246号をスイスイ走って東名で帰京。


西臼塚の蒸気噴出風穴


西臼塚の蒸気噴出風穴
2012年6月8日 くもり
member 太郎、伊藤フミヒロ記

コウモリ発見

写真を見ながら探す

明日は雨でそろそろ梅雨入りらしい。今日の晴れ間は貴重かもしれない。昼前に太郎と出かける。時間がおそいんで高速フル利用。1時には西臼塚駐車場。須走あたりは日が射していたが富士山南面、とくに中腹はガスが濃い。
ローカルのRさんのブログで、この冬このあたりで蒸気を上げる風穴を見つけた、とあったのでそれが見たい。溶岩洞穴や風穴をいくつか富士の山麓で見たけれど蒸気が噴出しているのは見たことがない。いまどきこれはかなりニュースだ。
ブログの写真と見比べながらそれらしいあたりで風穴を探す。冬に行ったときは蒸気が立ち上っていたとか。トレイルからは見えないらしいから、蒸気や湯気でもないと発見は困難だろう。1mほどの竪穴らしい、ということは、砂浜でコンタクトレンズを探すようなものか。太郎がしきりに引っ張るのでついていくと、たまたまか、らしい場所に出る。目印のテープがあって、その下に風穴発見。ラッキー。
確かに直径1mくらいの長円形の深い竪穴。溶岩樹形のように見える。湯気や蒸気は見えないが竪穴の真っ暗な底から湿っぽい風が吹き上がってくる。冬なら外気温との差で蒸気が上がっても不思議ではなさそうだ。
無臭で火口の噴気ではなさそう。カメラをかざして写真を撮る。スポッと落っこちそうでロープでアンカーをとりたいところ。ストロボをたいて撮った写真を見てみるとなにか生き物が写っているよう。目を凝らして穴の中を覗き込むと、数匹のコウモリが飛びまわっている。
 西臼塚は寄生火山としては古い方、広葉樹の大木が生い茂る森になっていて過去の活動跡はあんまりない。とはいえ山頂にはお皿のようなきれいな火口があって中腹には子供の火口かと思われる窪みもある。それなら風穴くらいあっても不思議はないだろう。しかしこの蒸気の正体はなんなんだろう。そしてなんで噴出してるんだろう。
小さい。溶岩樹形だと思うが、暖かい風はどこから出てくるんだろう

こんもりとやさしいシルエットの西臼塚

ロコのRさんが1月に温度計をぶら下げて風穴の中を計ったところでは14度、温度計は深さ8mまで下げることができたそう。
コウモリが住んでるくらいだから、暖かい風が噴きあがってくるだけで、安全なところなのだろうが。風穴自体は古いものに見えるが蒸気の噴出は以前からあったのか。風穴自体がいままで知られなかったものだからそこが不明だ。
西臼塚に上がり、お鉢めぐりしてあちこち散歩する。霧が立ち込めてファンタスティックだ。それにしてもここは古い歩道があちこち張りめぐらされていて迷路のよう。飽きずに歩き回ることができる。その歩道もここ数年続く大雨で傷んでいるところも多い。大宮林道に下って駐車場に戻る。だれにも合わなかった。4時終了。

富士山を知る見るハイキングガイド伊藤フミヒロ

俺が見つけてやったあ

大宮林道は、富士山スカイライン以前の道で、戦前に富士宮側から太郎坊まで拓かれた道らしい。
…御料で開かれたトラック道で、御殿場口の太郎坊から水が塚、浅黄塚を経て大宮口の1合目に通ずる…1200mの圏を通る立派な水平道である。薪炭の運搬などのため拓かれたものであろう。冠松次郎昭和17年の記事

Rさんの蒸気噴出ビデオ2012年1月撮影

http://www.youtube.com/watch?v=I1efoPK5z7I&feature=colike




001,  35.175575,  138.424088, 1286.6, WGS84, 09:00:00 1989/12/31, 001, 08-JUN-12 14:18:22, 951001, 0.000, 0.000   h1286m