10.19.2024

四阿屋山 (小鹿野町)

あずまやさん、と読むようですが昨日まで知りませんでした。両神山に続いているようす

霧の中あやしい感じ

写真クリックでヤマレコへ

     

date 2024年10月18日 金曜日

ember itokisya(記)

遠足山かと思いましたが上は急坂の悪場でした。

上野村道の駅から始動、武州街道(国道299号)で志賀坂峠を越えて小鹿野に下りました。

ロウバイや福寿草が名物の市民公園が四阿屋山の登り口です。

広い駐車所があって、9時スタート、標高は500m、四阿屋山までは300mほどの登りです。きれいなスギの植林帯を行きます。山には雲がかかり、見えるはずの両神山や二子山などは雲の中、両神神社奥社までは登りやすい道です。

そのあと、尖った山頂へは左に回り込んでから急坂を登ります。クサリがずーっと続きますが丁寧に登れば大丈夫。なんだか霧雨になってきました。

山頂は狭い。10時半前に着きました。霧で遠くは見えません。

ひとやすみして往路を下りました。奥社からとなりの尾根を下る道もあるようですが天気がよければ尖った四阿屋山などが見えるそうです。


今日もだれにも会わないか、と思いましたが、終わりでトレラン姿の中年おじさんが登ってきました。

11時半に終了。2時間半のハイキング。そのわりには登った感がありました。


秩父市から正丸峠をこえて所沢ICまで。武州街道(国道299号)はその昔よりもバイパスやトンネルで走りやすくなっているようでした。

北東側に二子山など

西側に両神山











小沢岳 (南牧村)


あれが小沢岳だとおもいます

クリックでヤマレコへ



          

date 2024年10月17日 木曜日

member itokisya(記)

西上州の遠足山という感じ。見晴らしのいい山ですが雲多かった


朝早くでて関越道、本庄児玉ICから254国道で下仁田。

沢沿いの舗装坂道を登ると行き止まりに広い駐車場ありました。9時着。

9時15分スタート。標高680m、気温は20度くらい。

沢沿いの荒廃林道を行きます。尾根にでてからは稜線をたどり、前衛峰まで植林帯をひと登り、少しくだって雑木林の急坂をジグザグ登ると小沢岳山頂1100mくらい、11時に着きました。せまいですがあたりが眺められます。今日は雲が多い。ツツジの葉が色ついています。ヤシオツツジでしょう。南牧村と鹿岳、四つ又、立岩など見えました。

30分ほどして下りました。林道と並行して尾根伝いの細道がありますが、こちらが展望がよいです。稲含山や天狗岩などが見えました。

13時15分にクルマに戻りました。4時間のハイキング。だれにも会わなかったのが不思議です。


南牧村に移動、湯の沢トンネルを抜けて上野村のしおじの湯、空いていました、70歳以上は500円だそうです。

上野村道の駅で車泊。

明日は烏帽子岳のつもりでしたが南牧村に戻るのもなんなんで、秩父に抜けてどこかハイキングでもしましょうと、決めました。


山頂、ちょっと秋色

ひとまわり350kmくらい

北側は南牧村方面

西側は浅間山や烏帽子岳が見えるはず

東に稲含山など




10.05.2024

RIP 高木義一朗、浜久雄 (懐かしい写真)

 諏訪の友人ふたり。去年と今年逝きました


高木義一朗さん 

たまたま長野日報ネットで高木さんが「八つ縄文織り」の本を出したというニュースをみました。テレビ動画もあってインタビューされる高木さんを見ました。老けたな、という感じ。車椅子なので、どうしたのかなと、原田ひろふみさんに聞いたところ、6月におなくなりになった、という。がっくりきました。

高木さんは諏訪清陵高校山岳部の一年上の先輩であちこち山にいきました。力持ちで優しいという金太郎のような方でした。私の印象をひとことで言えば「いい人すぎる」かな。

私は中学は東京だったんですが茅野の実家に帰ると兄につれられて八ヶ岳など登っています。それで山好きになったんです。兄の大学進学と入れ替わりに茅野にもどり、それで高校へ、それで山岳部に入ったわけです。部室に一年上の先輩が数人、そのなかに高木さんがいました。キスリングを背負って春山、夏山、秋山、冬山合宿など行き基本的なことを教わりました。岩登りも二葉の岩場で練習してよく八ヶ岳へいきました。放課後は立石展望台までランニング。

一年生最初の夏山は北アルプス縦走で、針ノ木峠を超えて薬師岳、槍ヶ岳、徳本峠こえ、島々という長いルートです。二年生の高木さんがリーダーでよくしてくれました。覚えているのは、早朝、一年生のテントゆっくり寝かせておいて、高木さんが毎朝ご飯を作ってくれたことです。万事そんな人でした。

甲州街道沿いの老舗「いちき糸店」の3代目、並びには真澄酒造があり、学校までは5分くらい、上諏訪の商家の子だったわけですね。山岳部にはほかにも関さん、金子さん、一世さん、飯田さん、片桐さん、  さん、上諏訪の育ちのよさそうな子がいました。家具やの宮坂さんは20歳ころ八ヶ岳で死にましたね。先輩にはほかに法政山岳部の宮原さん、早稲田全共闘の小松さんがいました。小松さんは夏山合宿にOB参加してくれました。

いちき糸店の手創りのホームページを作って諏訪の山の案内なども載せていて近況がわかり楽しみだったんですが、いつのまにか、消えてしまったようで残念です。90年代のことです。

八つ縄文織りもそのころから研究したのでしょう。忘れられた諏訪の織物を再発掘して復元、改良したらしい。詳しくはわかりませんが、効率のいい織り機も作ったそう。理系の頭でしたからエクセルなども活用して新しい織り方を発明したということかな。もっと行政などとつながって広めたら諏訪の文化水準も上がったのではとおもいます。

それにしても「八つ縄文織り」というネーミング。八つは八ヶ岳のことで山屋の言葉、符牒です。縄文は縄の模様ではなくて縄文時代から続くというようなニュアンスかな。山好きの高木さんらしいです。

2024年10月伊藤文博 語る



長野日報の記事。4月の取材だから亡くなる2ヶ月前、療養中だったよう



八つ縄文織り。インスタのいちき糸店から



インスタのいちき糸店から



信濃毎日新聞から





中央アルプス秋山山行、1964年東京オリンピック開会式の日、空木岳。
探していた写真ですが、数年前、関洋一さん所有のものを高木さんが送ってくれました


右から、高木さん、明孝くん、関くん、伊藤フミヒロ、金子さん

高木さんと一世さん


浜久雄さん

宮川村の秀才でした。理系

 諏訪郡宮川村とかつて言いましたが今は茅野市宮川です。諏訪大社上社を流れる川なので宮川。宮川小中学校でいつも学年トップの秀才でした。大学を出て精工舎に長年つとめ、長男だったんで諏訪にもどりエプソンに入り取締役をしていたようです。数年前奥さんをなくされて気の毒でした。

あとは悠々自適に暮らしていましたね。

ゴルフが好きで得意だったよう。5年ほどまえの同窓会では幹事をつとめ、東京オリンピックのチケットがあたってたのしみだと言っていました。

高校時代は宮川村の仲間の級長的なリーダーだったとおもいます。ほとんどが大学卒後、就職した人も結局諏訪(宮川)に戻りましたので、そこでも発言や振る舞いは影響力があったのではないでしょうか。もともと楽天的で明るい人でした。

高校時代は東大へ行くのかと思っていましたが、名古屋の工業大学に入りました。60年代の田舎ですから進学塾があるわけでもなし受験勉強もてきとうなものだったとおもいます。というのは山ばかり行っていた私の感想で、できる人はそれなりにいて、いい学校、いい仕事を見つけています。久雄さんはほんとうにできる人だったんですね。

70年前半にヨーロッパへ遊びに行っています。多分新婚旅行か、写真を見せてもらいました。フェイスブックをみて最近ピラミッドを見に行ったようで感心しました。好奇心の強い人なのでしょう。

団塊世代は競争世代だったと言われますが、それでも田舎はのんびりしたものでした。東京に出てから遅れてはいけないと頑張った人がいて、実家に帰ればいいやと田舎に戻った人がいた、、のではないでしょうか。このことはまた考えてみましょう。

久雄さんは生まれつきのいい頭をしっかり前に向けて、上手に人生をこなしたように思います。

2024年10月伊藤文博 語る



フェイスブックで知りました

2009年富士登山。左から久雄くん、原田ひろふみくん、敏秀くん。私を含め4人とも60歳

久雄くん旅好きだったよう



付録・おもひでのアルバム 

昔の写真を貼ります。
1960年代はもちろん20世紀末まで写真はフィルムの時代でした。高木さん浜さんのほか、懐かしい人が写っています。




























10.04.2024

四尾連湖から蛾ガ岳

 四尾連湖から蛾ガ岳 (しびれこからひるがたけ)

date 2024年10月2日 水曜日

member itokisya(記)

-
四尾連湖からスタート
写真をクリックするとヤマレコへ移動します




         

いい山。気に入りました
富士川道の駅。8時ころ行動開始。
甲府盆地の南側の山へ、あまり知られていない山域ですが、さらにその南には天子、御坂の山が続きます。富士五湖と富士山はその裏です。

富士川(釜無川)をわたって山へ向かいます。けっこうな急坂くねくね道です。御坂峠、若彦路、精進湖道、下部の道と山越えルートはいくつかありますが、目ざす四尾連湖は市川三郷という地域らしい。かつては山奥の風情ある村だったはずです。この道の終点が四尾連湖で、道も集落も行き止まりのようです。



四尾連湖は富士八湖のひとつで天然の湖でいい感じです。水明荘ほか施設がありますが山小屋のヒトの経営風。まあボートやキャンプなどにはいいかもしれませんね。

広い駐車場があって500円、8時40分にスタート。ここの標高は1030m。気温20度くらです。甲府は標高250mで今日は夏日予報。

かなりの急坂をひとのぼりで稜線にでます。ここから蛾ガ岳1279mまでは遠いようですが登りはそれほどありません。
尾根上を避けてずーっと巻道、水平道の感じです。きれいな雑木の森の中、細い道が続きます。ところどころに馬の背のような危ないところもあります。たまにスギの植林帯がでてくるのが不思議。1時間もかからずに西の肩峠につきました。六地蔵がありました。この道は古道ですね。芝草村へ、の道標がありました。

峠から蛾ガ岳へはもうれつな急登。15分がんばって10時30分に到着。
富士山側と甲府盆地側が切り開かれていてけっこうな展望が得られました。ここは穴場です。
のんびりしてから往路を戻りました。
会ったのは先ほど下ってきた中年おじさんひとり。30分待って富士山が顔をだしたよ、とよろこんでいました。

大畠山によって車に戻ったのが1時。甲府盆地に下って勝沼ICから帰京。それにしても蛾ガ岳と書いてひるがたけ、は知りませんでした
クリがたくさん

西肩峠の六地蔵。芝草村から甲府へぬける山道か

馬の背の道


2日行程


大畠山から秩父の山

大畠山から八ヶ岳