立場山(八ヶ岳阿弥陀岳)
なつかしの青薙の写真
2026年9月14日 (月曜日)
member itokisya(記)
| 今日だけいい天気。一ヶ月も長雨つづいてます |
| 青薙ヨコの崩壊地、権現、南アルプス |
| だれもが抑える青薙の写真 |
| 青薙から権現岳 |
| 立場川の河原、旭小屋がこの奥にあった |
前日午後出で富士見嶌宿道の駅、車泊。
朝、八ツ鉢巻道路に上がり、船山十字路Pに7時。なんと満車、外れに無理やり置きました。平日なのに。
久しぶりの好天予報。地元車が多いかんじ。
みんな御小屋尾根か南稜へとっくにスタートした模様。
林道を行き、広河原を石つたいに渡渉、向かいの急坂を登って立場山末端の尾根にあがります。
あとは600mの急登りで立場山、好天ですが尾根では展望はありません。
シャクナゲの林から北八つのような苔の森にかわります。西岳がたまに見えます。
アルプスのガイドのような山ウエアの壮年に抜かれました。南稜だからいいかな。
道脇にロープが張られています。きのこ山の見張り人がいました。境界争いがあるのか標識がやたらに目立ちます。赤ペンキがうるさいです。
会ったのはこのふたりなので、ま、静かな山です。
立場山を越えた少し先が青薙(あおなぎ)、素晴らしい景色です。のんびりしました。
何十年前に撮った写真と同じ位置でセルフィーとりました。
急速に雲が張ってきました。
11時ころ。往路を下ります。
尾根の末端で旧旭小屋へ下ってみます。廃道でした。小屋は地下室のあとがあるだけ。
ここは長大な堰堤ができて広い河原に変わってしまったようです。
堰堤からは古い林道を下って渡渉2回で車に戻りました。この廃道は危ないので歩かないほうがいいです。
2時終了。ちょうど雨がふってきました。好天は半日だったよう。
| 63年前か |
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| 同じところ |
| 旭小屋の古い標識 |
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| ヤマケイネットの昔の南稜への道 |
おもひで
60年以上まえの記念写真の場所を確認しました。ヤマップでほかの人の写真を見て特定できていたのですが、
今回、1m以内ピンポイントで確認できました。青薙の南端です。だれでも1枚とるところです。
八ヶ岳は地元、高校山岳部にいましたので阿弥陀岳あたりはよく登りました。
旭小屋を通って南稜。となりの広河原沢、立場山本谷、ガマ滝沢など。
当時旭小屋はなぜか開放されていて1,2度泊まったことがあります。
30歳を越えたころですが、阿弥陀南稜はクライミングに自信があったのでしょう。p3からp1までソロでダイレクトで登ったと自慢してた覚えがあります。
ガマ滝沢を再登したのはやはり30台、ガマ滝沢を登って地獄谷を下るという企画を作り星くんと行きました。ちょと危ないことがあったかもしれません
確か稜線のキレット小屋に泊まったはず。皇太子が南アルプスのどこか登った日です。
みんな若いころですね。
なぜか学生時代のゼミの仲間と青薙で撮った写真があります。山好きの明治の加藤くんもうつってます。まだ20台のころかもしれません。青薙から戻った覚えはないので南稜を登って山頂まで行ったのか。
原村に移住してた池学さんファミリーと南稜にいちご摘にみいったこともありました。そのあと山で逝ったので40台かな。
それが最後の阿弥陀岳あたりのおもひでです。
中央稜の末端、広河原沢の谷底に捨てられた小屋があってそれを見つけてきた仲間が、勝手に清陵小屋と名つけてしばらく使ったこともあります。
広河原沢左股を登っていて滑落したのもそのときでしょう。右股は難しそうでいきませんでした左股はたしか2回。
そのころ高校山岳部は冬山もふつうにやってましたから、阿弥陀の北稜とか北西量は正月合宿のメニューに入っていました。
広河原沢や立場川本谷はガイドブックにもでていたはず。アルペンガイドや沢登りのガイドブック。独標登高会の八ヶ岳研究は愛読書でした。
思い出しました。立場川をつめて中岳に登り、ハイマツの中でビバークしたことがあります。
夜中にこのあたりの怪談が頭をよぎり不眠の夜でした。明け方に赤岳を越えて肩の小屋今の展望荘に入ってご飯と味噌汁をもらって生き返ったのを覚えています。親切な親父でした。
旧旭小屋のこと
立場本谷の旭小屋へはヤマケイのネット地図にまだ道があります。建物記号もあります。いつの地理院地図なのか。立場山・南稜への登路は小屋経由です。今の道はなし。
そのころスタートはどこだったか覚えていませんが、やはり美濃戸口でしょう。そのころでもバスが入っていたか。それ以前は茅野駅からバス、八ヶ岳牧場、馬鈴薯農場のところから
みんな歩き始めたものです。高校一年のときはそうでした。
そんな距離はなんとも思わないほど若いころですね。
美濃戸口からうまくトラバースして船山十字路あたりを通って旭小屋、今別荘地になっていますが。広河原沢と立場本谷を渡渉するし旭小屋裏からの道はもう無いしで、今はだれも使わないかも。
いやはや、戦後っ子がこんな昔話をする、そんな時代になってしまったんですね。
写真の場所
高校1年の私と5つ上の兄です。何回か行ったのでほかのところか、とも思ってました。
中央稜末端の清陵小屋
清陵小屋になぜか一人で泊まっていてそのころ新式のフランス製ブタンコンロが火を吹いて外に投げ出したことがあります。髪の毛まゆ毛が燃えた。誤操作でした。そのときの写真かも。
いつだったか中央稜を下って広河原沢に降りたとき小屋がまったく壊れていたのを発見した覚えがあります。あれはいつの山行か、あれは夢だったのか。もうわかりませぬ。













