水が多かった
。。。
8月30日(木) 西丹沢 小川谷廊下(沢登り) メンバー:森、石塚 他 REIスタッフ5名 合計7名 玄倉から小川谷へ。 遡行開始 9:15 最初堰堤を4つ下って、小川谷分岐へ。 昨日の雨のせいか水量がいつもより多いらしい。 ルート図通りに遡行する。 最後の5mの滝は水流の右側を直登。 遡行修了 13:00 下りの登山道は所々崩壊していてすべりやすい。 駐車場 14:30
8月30日(木) 西丹沢 小川谷廊下(沢登り) メンバー:森、石塚 他 REIスタッフ5名 合計7名 玄倉から小川谷へ。 遡行開始 9:15 最初堰堤を4つ下って、小川谷分岐へ。 昨日の雨のせいか水量がいつもより多いらしい。 ルート図通りに遡行する。 最後の5mの滝は水流の右側を直登。 遡行修了 13:00 下りの登山道は所々崩壊していてすべりやすい。 駐車場 14:30
8月27日 北岳バットレス 1)森+石寺: 十字クラック~第四尾根 2)伊藤(文)+小俣+川崎: bガリー~第四尾根 天気予報は曇り/雨だったのにもかかわらず、結構良い天気で楽しく クライミングで きました。 1)の行動報告 5:45 広河原 7:15 二股 (C沢をつめると十字クラックの取りつきにダイレクトにでる。出合 いに大きく「C 沢」とペンキで書いてある) 9:00 十字クラック取りつき 1P いきなりハードムーブ。おもわずA0。10bくらいに感じる。 2P 1Pよりグレードは上だが、もっと簡単。ハング越えもステミ ングで楽になっ た。 3P 逆層のスラブ。ピンがすくなくて怖い。 そのあとのガレ場が超ヤバイ。50cmくらい岩がずれて肝を冷やす。 11:00 十字クラック終了 11:30 第四尾根取りつき ほぼルート図通り。取りつきには大きく赤ペンキで「4」と書いてある。 ガスの中の登攀だったが、迷うことはなし。 14:00 第四尾根終了 14:30 北岳山頂 15:00 八本歯のコル 17:10 広河原 長丁場だったので疲れましたです。 photo by h.kawasaki
8月28日 メンバー おまた 川崎 汽車 森光 石寺 日本列島上に帯のように雨雲域がかかっていて、秋の気配なのだそうだ。
前日、小屋に集まったおまた、川崎と、これではとても標高3000メートルの 岩のぼりは無理だね、ということで宴会ムードに入ろうかというときに、森光か ら電話が鳴った。行くんでしょうね、の一言で、ま、一応行ってみるか、と朝令 暮改。夜の9時には広河原に3人はいた。宴会の場所が変わっただけで酒を飲む のは同じ。空には黒雲が流れているが雨ではない。深夜後発の森、石寺到着。 5時起床、空を眺めると青空。あろうことか北岳バットレスまでよく見える。5 45に歩き出して、十字クラックを登る森、石寺と別れc沢に入り大滝下に8時 過ぎにはついた。
830にクライミングスタート。ガスがときどき流れるが、岩 は乾いていて、他にクライマーもいない。とんとん拍子で登ってマッチ箱のあた りまで登ると、下から聞き覚えのある声が。後ろから森、石寺が登ってくるよう だ。大樺沢の雪渓が豊富に残っていて、見下ろすと真夏のよう。月曜日のうえに 天気予報が悪かったからバットレスにはぼくら5人しかいないようだ。
終了点で 後発に、先にいくよと声をかけて、頂上へ2時前着。遠くの山はガスに隠されて いるが無風でぽかぽか陽気。念願のバットレスを登った小俣さんは嬉しそうだ。
山はもう秋模様。りんどうやききょうの類がたくさん咲いている。北岳の頂きは いつ登っても気持ちのよいところである。
小俣さんが、草滑りがラクというので、さっさと下る。お花畑には秋の花がたく さん咲いていた。445に駐車場に戻った。
3人で合計165歳というコンビにしては上出来の一日だった。後発は八本歯経 由で30分おくれで到着。
去年同じ時期に同じルートを登ったが、そのときと同様のラッキーな陽気であった。
天気図を見ると、帯状の雲が南に押し下げられてこのあたりは予想外の天気になっ たようだ。東京は天気が悪かったというから、とにかく、山は現場に行ってみな いと分からないね、というのが今回の結論であった。
予報を裏切ってこの天気 8月26日 松倉一夫 白根山を丸沼高原側からゴンドラを使って登ってきました。 今回は、出発間際3分前に同行予定者からキャンセルの電話があったので、 行くかやめるか迷いましたが、すっかり準備もできていたので、 結局、一人で登ってきました。 山は、夏休み最後の週末とあり、大混雑でしたが、 道が広くなったところや休んでいる隙に、どんどん追い抜き、 (たぶん50人くらい抜いた)、コースタイム登り2時間50分のところを 1時間45分で山頂へと立ちました。朝8時52分に出発して10時35分着です。
天気は登りはじめは晴れ、あとはほとんど曇りで、 時折、霧雨が降ったりもしましたが(雨具を着るほどではない)、 白いベールがかかったような霧中で見るダケカンバの森や 黄色い花が印象的なハンゴンソウの大群落はなかなか美しかったです。 また、この時期、山腹はカニコウモリがたくさんの白い花をつけており、 シラビソの林床に彩りを添えていました。 山頂直下にはツガザクラの群落があり、真っ赤な実をつけていました。
山頂でおにぎりを食べていると、ガスがサーっと切れて、 五色沼が覗き、山頂の人々が歓声をあげ、なかなか劇的でした。 山頂はかなり混雑していたので、昼食を済ませ、11時5分下山。 弥陀ガ池に下り、そこから七色平経由で戻りました。 一般の登山者は往路を戻るばかりなので、こちらの道はすいていました。
弥陀ガ池からは六地蔵まで誰とも会わず静かな森歩きを楽しめました。 シラビソの森に木漏れ日が差すと、苔の絨毯が緑色に輝き美しかったです。 途中、七色平の湿原や血ノ池地獄に立ち寄りました。
七色平はハクサンフウロが夏の終わりを惜しむかのように ピンク色の花をたくさんつけていました。 丸沼高原スキー場駐車場には13時30分に到着。
近くの座禅温泉で一風呂浴びて(750円)、帰路につきました。 道は途中、佐野付近で混雑しましたが、30分ほどで抜け、 18時過ぎに家に着きました。
8/24 シニア部のちゅう、けんじ 中ア・宝剣岳、東壁・中央稜は、 深いガスで、ルートはおろか、壁そのものが確認できないまま時間切れとな り中止しました。 せっかくですので、木曽駒、宝剣を縦走してきました。 なお、千畳敷カールは登山道以外の侵入が一切禁止されているため、東壁へ の接近は、何かに違反するようです。
8月18日 メンバー 忠、光、やすだ、くるみさわ、汽車 小川山に近付くほどに天気が悪くなってきて、小雨がぱらついてきた。先発の光に電 話すると、 現地は朝から小雨で岩は濡れているとのこと、じゃ、しょうがないねと、岩根庵で合 流して、佐久方面へと向かう。 佐久のアートウオールへという話しだったが、海尻まで下ると天気が回復してきたの で、湯川の岩場へ車をむける。
クラックオンリーでコークスクリュー、デゲンナー、フォーサイトなど数本。 特筆ものは光がサイコキネシス10cをレッドポイント。4度目のトライとか。トップ ープで他がトライするが手強い。
久しぶりのクラックで腕が張った。悪天の小川から流れてきたクライマー数十人が集 まりにぎやかなゲレンデだった。 チュウサン主催のパーティがカリン山荘で開かれるので4時ころ撤退。夜はにぎやか なことになった。 <汽車> 8月17日(土)小川山: ぴか、モモ フェニックスの大岩でトップロープ。 対物ビレイ(グリグリ使用)。 ・フェニックス(5.11a) 苦戦する 8月18日(日)佐久湯川の岩場: ぴか、忠、文、安田、くるみざわ ・デゲンナー(5.8) ・フォーサイト(5.10a/b) ・サイコキネシス(5.10c) 念願のレッドポイント! ・コークスクリュー(5.9) by hikari
memer chu and family およそ6年ぶりにNepalへ行ってきました。 ついでに”偵察”と、欲張っていましたが、登山しにいったんじゃないです。 C.ロレンツ風に云うと、”人に会う”、のが目的でした。 なかにはみなさんのご存知の方もいますので、彼らの近況も含めて、 最近のトレッキングに関すること、王室の不幸な事件やマオイストの動静などについて、 私自身の気付いたことをメモします。 興味のない段はどうぞ読み飛ばしてください。 (ペンバとかニマとか、みなさんのご存知ない名前が出てきますが、私たちとの関係は、ベリ~ロ ングスト~リ~になるので、別の機会に少しずつってことで、ご容赦ください) 1.トレッキング・パーミッション ・アンナプルナ、クンブ、ランタンについてはトレッキングパーミットが不要になっています。 また、国立公園の入園料(Rs.1000)はカトマンズで払えます。この場合は、レシートを持っ て入園するときに見せて、アーミーのチェックを受けます。また入園料は実際に入園するときに払っ てもOKです。 前記3エリア以外にエントリーするときは、許可申請が必要です。 ※Rs.1は¥1.8くらいでした 2.雨季のカトマンズ~ルクラ間フライト ・ロシア製25人乗りヘリは廃止されています。これは荷物輸送専用機になりました。 従って、従来通り、すべて14人乗りのツインオッターです。 値段が上がって、往復1人US$180。 ここは定期便ですので、雨季でも就航しています。 毎朝、5~10フライトは確保されていますが、ルクラの雲底高度が上がるのを確認してから、テ イクオフしていきますので、乗客は、エアポートで、場合によってはかなり待たされます。 ※シャンボチェを使っていたピラタスポーター機は、最後の1機が昨秋墜落してしまいました。現 在シャンボチェを使えるのは、チャーター・ヘリのみです。 3.雨季のトレッキング 今回の私たち(私と妻と長女)の行程は下記の通りです。 ・8/2、成田->香港(キャセイ航空)、->カトマンズ(ロイヤルネパール航空) ※このルートでは、成田をAM11:00に出て、カトマンズには同日の18:35に着きます。 つまり、日本から1日で行けると云うことです。ご存知のように従来は概ねバンコックで1泊させ られました。 ・8/3,カトマンズ->ルクラ(2800m)、昼食をとってから歩き始め、この日は、モンジョ泊。 ・8/4、->ナムチェ(3400m)->シャンボチェ-(3800m)>ナムチェ泊 ・8/5、->タ-メ・ゴンパ(4000m)>ナムチェ泊 ・8/6、->ルクラ泊 ・8/7、ルクラ->カトマンズ ・8/8、カトマンズからランタンへ飛ぶためヘリをチャーター、AM6:00~11:00まで エアポートで待ち。 ※結局、この日から、帰国予定の11日朝まで、毎朝、天候の回復待ちで、ついに断念しました。 ヘリは飛べる条件でしたが、厚い雲が、私の目的としている山を覆っていたためです。 ・8/11、カトマンズ->関空 ※このフライトは23:45出発の夜行便です。従って、8/11はフルに使えました。上海で給 油がありますが、関空には翌日の11:00に着きました。 エアチケットは往復で¥114,000/人でした。 ※この時季は比較的暖かいので、4000m程度までなら、軽装でOKです。雨は、夜間から明け 方にかけて降りますが、日中は雲量3~5程度で概ね晴れています。私は、20代にクンブで雨季 をマルマル越したことがありますが、雨具を使った日は極くわずかです。また、94年に娘たちと ゴーキョへやはり8月に行っていますが、雨具は使っていません。6000m以上の山は、積乱雲 に覆われて、見えるチャンスは非常にすくないですが、日差しは強く、暑さ対策は必要です。幸運 なことに私たちはモンスーンの雪で真っ白になったエベレストとローツェの南壁、タムセルク、ク スムカングルを目にすることができました。高山植物はそこかしこで咲いていますが、ブル-ポピ -は、4500mよりも上へ行かないとあまり見られません。以前にクムジュンの3700m付近 で見つけたことがありますが、このようなことはたいへん希だと思います。 ※ランタンの計画は天候によって次の行程案を考えていました。 ①ヘリで飛んで、ランタン谷のA峰(目的の山)の周辺をフライト、キャンジンゴンパでおろしてもらう。 その後、2日歩いてシャブルベンシでランクルに拾ってもらい、カトマンズに戻る。 因みにランクルのチャータ料はRs.8000 ②時間がなくなった場合、ヘリでA峰直下でおろしてもらい、2時間歩き回る時間をもらい、再びヘ リでカトマンズへ戻る。(この2時間はペンバがうまくやってくれてサービス) 4.メラ遠征で、サーダーをやってくれたギャルゼンの近況 USAニューヨーク、マンハッタンまで車で15分くらいのところで、住み込み大工さんをやっているそうです。 Nepalへ帰る気は当分ないようです。 5.ペンバ近況 見事なヘリパイロットになりました。 昨シーズンまではフィッシュ・エアーで働いていましたが、現在は、ネパールで最初にできたヘリ 会社、エアー・ダイナスティに移りました。病人を助け出したり、僻地にDr.を運んだり、火急 の薬品空輸などにがんばってます。 ランタンへの私のフライト準備中に、カイラス周辺で高所障害になった2人のツーリストをレスキュ -してきました。途中、マオイストのテリトリーを横断して2回の給油が必要な結構やばいレス キューだったそうです。 私のランタンへ行くチャーターはペンバが準備してくれました。彼の駆るヘリはフランス製の山岳 ヘリでユーロコプター6人乗りです。5200mくらいまで上がれるそうです。通常のチャーター 料は1時間でUS$1000。 カトマンズ市内、ラジムッパット通りの日本大使館より更に北、BalWater(砂水といった 意味)区にアパートを借りて”単身赴任”風に住んでいます。(私たちはここに寄生していました) 奥さんのドマと3才の娘ツェリンは、お父さんが亡くなったあとのクンブロッジの切り盛りで、ナ ムチェから離れられません。 お便りは下記へ: airpemba@hotomail.com 6.ジャンブー近況 ニューヨークの出稼ぎから戻ったばかりで、唯一の暇人なため、私たちのサーダーをやってくれました。 しかし、ハンバーガーの食べ過ぎでナッティプロフェッサーみたいになってしまいました。 102kg!?だって。 来年ランタンへちゃんと入るぞっていったら、これからダイエットするからって張り切っていました。 ペンバは弟のなかでも、彼は一番温厚で誰からも好かれるっていってました。私も同感。 7.ナムチェとニマ近況 ナムチェにはフルタイムの電気が来ていました。停電はありますが、基本的に時間制限はないです。 電話も同様、フルタイムです。ただし、夜間に大雨が振った翌日は使用不可になりました。 20年前の写真と見比べるまでもなく、どのロッジも建て替えられて大きな窓をとったモダンなデ ザインに変化しています。 あまり知られていませんが、ニマは、ナムチェで初めて煙突を作ったひとです。 それまでのこの土地の家屋では煮炊きで出る煙は、屋根の石材をずらして隙間を作り、あとは成り 行き頼りだったんです。もちろん充分な排気は無理で、部屋の中はいつも煙っていました。いまで は、どこにでも当たり前に煙突があります。 さらに、何年か前、彼は、水洗便所を初めて取り入れました。もちろんいまでは、ナムチェのロッ ジの多くは水洗便所です。それで、今度は、インターネットです。カフェダンフェは以前平屋でし たが、2階を作り、そこにサイバーカフェと付名した、コンピュータールームがあります。Win dowsマシンが何台も置いてあり、シーズン中は故郷に無事を知らせるメールを打ちにくるトレッ カーで賑わうそうです。 お便りは下記へ nnn@mos.com.nep 8.カトマンズ 小田実が最近、ホーチミン市を訪れて、その元気の良さにびっくりしたと何かに書いていましたが、 まあ歴史的な意味は違いますが、私もカトマンズについて同じような気持ちになりました。 訳知りのひとたちは、益々中央集権が進んで、くらしの較差の広がっていることで顔をしかめてい るかもしれません。でも、悲観しても始まらないですからね。第一、何をどうすればいいのか。現 実はぐじゃぐじゃして、すきっりはいかないですからいっそのこと思いっきり元気に生きた方がい いじゃないか、みたいな開き直りを感じた訳です。 それで、キング一家殺人事件の影響ですが、とくに見られませんでしたね。レストランにもホテル にも、前のキング一家の写真がまだ飾られていたりして、なんか、ネパール健在といったかんじで した。 マオイストは、西ネパールが活動拠点でツーリストをターゲットにはしていないと聞きました。 また、私たちが行ったときは、現政府と和平会談があったりして、とりあえず活動は沈静化してい たようです。ただし、今後は分かりません。 車は増えましたが、排気ガスは規制が実施されていて、以前よりも良くなったように感じました。 活性炭マスクをしているひとも少なくなりました。 交通渋滞がひどくて、これには閉口しましたが。 驚いたのは、クレジットカードを使える店が増えたこと。キャッシングも(ルピーになってしまい ますが)できます。それと携帯電話が非常に普及してきました。(因みにペンバも使ってました) カトマンズは毎日すごい日射しで、暑くて疲れました。 ナンローは健在!!相変わらず込んでます。 9.追悼 P.K. パサン・カミ・シェルパは、ナムチェのクンブ・ロッジのオーナーです。 日本では知名度がありませんが、1970年にアンナプルナ南壁でボニントン隊のサーダーに抜擢 されてブレークしました。私たちとは1974年以来のつきあいです。 昨年秋に肝臓ガンで亡くなりました。享年68でした。温厚で人なつこく、多くの人に好かれました。 ニマはやり手で有名で敵も多いですが、そのニマが、手放しでその純真さを語ってくれました。 PKは、またペンバの奥さんテンジン・ドマのお父さんです。お墓は、シャンボチェにあります。 合掌。 by chu