8.03.2001

ナムチェバザールの旅

ナムチェバザールの旅
ネパールはどんどん変わっていく
   
Trip to Namchebazar by chu , for seeing please click each photo.
 
memer chu and family

およそ6年ぶりにNepalへ行ってきました。
ついでに”偵察”と、欲張っていましたが、登山しにいったんじゃないです。
C.ロレンツ風に云うと、”人に会う”、のが目的でした。
なかにはみなさんのご存知の方もいますので、彼らの近況も含めて、
最近のトレッキングに関すること、王室の不幸な事件やマオイストの動静などについて、
私自身の気付いたことをメモします。
興味のない段はどうぞ読み飛ばしてください。
(ペンバとかニマとか、みなさんのご存知ない名前が出てきますが、私たちとの関係は、ベリ~ロ
ングスト~リ~になるので、別の機会に少しずつってことで、ご容赦ください)

1.トレッキング・パーミッション
・アンナプルナ、クンブ、ランタンについてはトレッキングパーミットが不要になっています。
また、国立公園の入園料(Rs.1000)はカトマンズで払えます。この場合は、レシートを持っ
て入園するときに見せて、アーミーのチェックを受けます。また入園料は実際に入園するときに払っ
てもOKです。
前記3エリア以外にエントリーするときは、許可申請が必要です。
※Rs.1は¥1.8くらいでした

2.雨季のカトマンズ~ルクラ間フライト
・ロシア製25人乗りヘリは廃止されています。これは荷物輸送専用機になりました。
従って、従来通り、すべて14人乗りのツインオッターです。
値段が上がって、往復1人US$180。
ここは定期便ですので、雨季でも就航しています。
毎朝、5~10フライトは確保されていますが、ルクラの雲底高度が上がるのを確認してから、テ
イクオフしていきますので、乗客は、エアポートで、場合によってはかなり待たされます。
※シャンボチェを使っていたピラタスポーター機は、最後の1機が昨秋墜落してしまいました。現
在シャンボチェを使えるのは、チャーター・ヘリのみです。

3.雨季のトレッキング
今回の私たち(私と妻と長女)の行程は下記の通りです。
・8/2、成田->香港(キャセイ航空)、->カトマンズ(ロイヤルネパール航空)
※このルートでは、成田をAM11:00に出て、カトマンズには同日の18:35に着きます。
つまり、日本から1日で行けると云うことです。ご存知のように従来は概ねバンコックで1泊させ
られました。

・8/3,カトマンズ->ルクラ(2800m)、昼食をとってから歩き始め、この日は、モンジョ泊。
・8/4、->ナムチェ(3400m)->シャンボチェ-(3800m)>ナムチェ泊
・8/5、->タ-メ・ゴンパ(4000m)>ナムチェ泊
・8/6、->ルクラ泊
・8/7、ルクラ->カトマンズ
・8/8、カトマンズからランタンへ飛ぶためヘリをチャーター、AM6:00~11:00まで
エアポートで待ち。

※結局、この日から、帰国予定の11日朝まで、毎朝、天候の回復待ちで、ついに断念しました。
ヘリは飛べる条件でしたが、厚い雲が、私の目的としている山を覆っていたためです。
・8/11、カトマンズ->関空
※このフライトは23:45出発の夜行便です。従って、8/11はフルに使えました。上海で給
油がありますが、関空には翌日の11:00に着きました。
エアチケットは往復で¥114,000/人でした。

※この時季は比較的暖かいので、4000m程度までなら、軽装でOKです。雨は、夜間から明け
方にかけて降りますが、日中は雲量3~5程度で概ね晴れています。私は、20代にクンブで雨季
をマルマル越したことがありますが、雨具を使った日は極くわずかです。また、94年に娘たちと
ゴーキョへやはり8月に行っていますが、雨具は使っていません。6000m以上の山は、積乱雲
に覆われて、見えるチャンスは非常にすくないですが、日差しは強く、暑さ対策は必要です。幸運
なことに私たちはモンスーンの雪で真っ白になったエベレストとローツェの南壁、タムセルク、ク
スムカングルを目にすることができました。高山植物はそこかしこで咲いていますが、ブル-ポピ
-は、4500mよりも上へ行かないとあまり見られません。以前にクムジュンの3700m付近
で見つけたことがありますが、このようなことはたいへん希だと思います。

※ランタンの計画は天候によって次の行程案を考えていました。
①ヘリで飛んで、ランタン谷のA峰(目的の山)の周辺をフライト、キャンジンゴンパでおろしてもらう。
その後、2日歩いてシャブルベンシでランクルに拾ってもらい、カトマンズに戻る。
因みにランクルのチャータ料はRs.8000
②時間がなくなった場合、ヘリでA峰直下でおろしてもらい、2時間歩き回る時間をもらい、再びヘ
リでカトマンズへ戻る。(この2時間はペンバがうまくやってくれてサービス)

4.メラ遠征で、サーダーをやってくれたギャルゼンの近況
USAニューヨーク、マンハッタンまで車で15分くらいのところで、住み込み大工さんをやっているそうです。
Nepalへ帰る気は当分ないようです。

5.ペンバ近況
見事なヘリパイロットになりました。
昨シーズンまではフィッシュ・エアーで働いていましたが、現在は、ネパールで最初にできたヘリ
会社、エアー・ダイナスティに移りました。病人を助け出したり、僻地にDr.を運んだり、火急
の薬品空輸などにがんばってます。
ランタンへの私のフライト準備中に、カイラス周辺で高所障害になった2人のツーリストをレスキュ
-してきました。途中、マオイストのテリトリーを横断して2回の給油が必要な結構やばいレス
キューだったそうです。
私のランタンへ行くチャーターはペンバが準備してくれました。彼の駆るヘリはフランス製の山岳
ヘリでユーロコプター6人乗りです。5200mくらいまで上がれるそうです。通常のチャーター
料は1時間でUS$1000。
カトマンズ市内、ラジムッパット通りの日本大使館より更に北、BalWater(砂水といった
意味)区にアパートを借りて”単身赴任”風に住んでいます。(私たちはここに寄生していました)
奥さんのドマと3才の娘ツェリンは、お父さんが亡くなったあとのクンブロッジの切り盛りで、ナ
ムチェから離れられません。
お便りは下記へ:
airpemba@hotomail.com

6.ジャンブー近況
ニューヨークの出稼ぎから戻ったばかりで、唯一の暇人なため、私たちのサーダーをやってくれました。
しかし、ハンバーガーの食べ過ぎでナッティプロフェッサーみたいになってしまいました。
102kg!?だって。
来年ランタンへちゃんと入るぞっていったら、これからダイエットするからって張り切っていました。
ペンバは弟のなかでも、彼は一番温厚で誰からも好かれるっていってました。私も同感。

7.ナムチェとニマ近況
ナムチェにはフルタイムの電気が来ていました。停電はありますが、基本的に時間制限はないです。
電話も同様、フルタイムです。ただし、夜間に大雨が振った翌日は使用不可になりました。
20年前の写真と見比べるまでもなく、どのロッジも建て替えられて大きな窓をとったモダンなデ
ザインに変化しています。
あまり知られていませんが、ニマは、ナムチェで初めて煙突を作ったひとです。
それまでのこの土地の家屋では煮炊きで出る煙は、屋根の石材をずらして隙間を作り、あとは成り
行き頼りだったんです。もちろん充分な排気は無理で、部屋の中はいつも煙っていました。いまで
は、どこにでも当たり前に煙突があります。
さらに、何年か前、彼は、水洗便所を初めて取り入れました。もちろんいまでは、ナムチェのロッ
ジの多くは水洗便所です。それで、今度は、インターネットです。カフェダンフェは以前平屋でし
たが、2階を作り、そこにサイバーカフェと付名した、コンピュータールームがあります。Win
dowsマシンが何台も置いてあり、シーズン中は故郷に無事を知らせるメールを打ちにくるトレッ
カーで賑わうそうです。
お便りは下記へ
nnn@mos.com.nep

8.カトマンズ
小田実が最近、ホーチミン市を訪れて、その元気の良さにびっくりしたと何かに書いていましたが、
まあ歴史的な意味は違いますが、私もカトマンズについて同じような気持ちになりました。
訳知りのひとたちは、益々中央集権が進んで、くらしの較差の広がっていることで顔をしかめてい
るかもしれません。でも、悲観しても始まらないですからね。第一、何をどうすればいいのか。現
実はぐじゃぐじゃして、すきっりはいかないですからいっそのこと思いっきり元気に生きた方がい
いじゃないか、みたいな開き直りを感じた訳です。
それで、キング一家殺人事件の影響ですが、とくに見られませんでしたね。レストランにもホテル
にも、前のキング一家の写真がまだ飾られていたりして、なんか、ネパール健在といったかんじで
した。
マオイストは、西ネパールが活動拠点でツーリストをターゲットにはしていないと聞きました。
また、私たちが行ったときは、現政府と和平会談があったりして、とりあえず活動は沈静化してい
たようです。ただし、今後は分かりません。
車は増えましたが、排気ガスは規制が実施されていて、以前よりも良くなったように感じました。
活性炭マスクをしているひとも少なくなりました。
交通渋滞がひどくて、これには閉口しましたが。
驚いたのは、クレジットカードを使える店が増えたこと。キャッシングも(ルピーになってしまい
ますが)できます。それと携帯電話が非常に普及してきました。(因みにペンバも使ってました)

カトマンズは毎日すごい日射しで、暑くて疲れました。
ナンローは健在!!相変わらず込んでます。

9.追悼 P.K.
パサン・カミ・シェルパは、ナムチェのクンブ・ロッジのオーナーです。
日本では知名度がありませんが、1970年にアンナプルナ南壁でボニントン隊のサーダーに抜擢
されてブレークしました。私たちとは1974年以来のつきあいです。
昨年秋に肝臓ガンで亡くなりました。享年68でした。温厚で人なつこく、多くの人に好かれました。
ニマはやり手で有名で敵も多いですが、そのニマが、手放しでその純真さを語ってくれました。
PKは、またペンバの奥さんテンジン・ドマのお父さんです。お墓は、シャンボチェにあります。
合掌。

by chu