4.30.1991

常念岳常念沢と蝶ケ岳東面

常念岳常念沢と蝶ケ岳東面滑降 単独
原 伸也 (ビル エバンス同人)
 日時調査中
                                 
松本市から見える常念沢は、端正な形状の常念岳頂上から
一直線の白い線として南に伸びている。
その美しく見える沢をスキーで滑降してみたいと夢を抱き
今年の連休の5日間で、その憧れの常念沢と蝶ケ岳東面の2つの沢を滑降した。
                                        
                                        
                                        
北アルプス常念岳常念沢初滑降
4月29日
烏川林道終点の三股を7時40発。常念沢に架かる鉄筋の立派な橋から
常念沢下部を登山道から巻き、尾根を下り取り付く事も考えたが、
迷いながらも沢づたいに直接登ることにした。
ウエストンらが明治27年8月に常念岳を登頂したルートは烏川であり、
多分この常念沢を登ったのだろう。
したがって最も古い常念岳のルートと言えるかもしれない。
大きな滝などの悪場はないが
登山靴のため滑り易く、ゴーロを渡渉してる最中に4回転倒し
靴の中が水浸しとなる。
ヘルメットを被った重装備の釣り人に合い
「先を歩いてすいません」と詫びをして通過。
魚は小物ばかりとのことだった。
昨年の12月頃に「山と渓谷社」から発行された北アルプスの渓流釣りの本に、
                                        
ほとんど釣れないと書かれていたことから考えると、放流してるのか?。
前年に常念岳稜線から常念沢を見た時は、ガスであまりよく見えず
かなり急斜面のように感じていた。
しかし渓相がだいぶ開けた地点から
沢の上部を見ると、左に屈曲してるため全景は見えないものの
下から見た限りでは楽勝の雰囲気のある斜面が続いていた。
地図や写真から想像してた恐怖感がドッと薄れる。
雪が散在し始める。
東悪沢を過ぎ1800M地点の5mの小滝を左の岩場から巻くと
ぶ厚い雪がびっしると続き、雪どめの滝と仮称する。
ザイル無しでは退却する気が起こらない悪場だった。
南面のため充分な太陽光があたり、雪が腐ってる。
なかなか設営可能な場所がなくて、ツェルトを1900M地点で張る。
荷を軽くし、ただ黙々と登ると11時頃から小雪がちらつき始める。
山スキーの楽園に潜入した気分は最高だ。
予想してたラッセルに苦しめられず幸運。
14時20分、気品高く美しい頂上に着く。
誰もいなく  風と雪の飛ぶ音だけだ。
頂上から常念沢へ直接滑れる斜面もあるが、70度ぐらいの傾斜のため
自分の技量では到底不可能なコースだ。
今後エクストリームスキーヤーがやってくれるだろう。
少し降りた2815M地点の尾根上から滑降開始。
日は西に傾き
14時40分、滑り出しはバーンが堅くスピードをセーブ。
胸の鼓動が高鳴るのが聞こえる。
大きく曲がるごとに雪がザーと流れる。
両岸壁がU字状の雪面には、
アコンカグアで見たような複数の奇怪な形をした氷柱状
の雪柱が乱立している。
巨大なクレパスがあり、岩場から巻く。
5Mの滝まで滑降した後ツエルトまで戻る
靴下を絞ると水がしたたり落ちる。
足感覚がしばらくなかった。
滑降標高差約1000Mの夢の初滑降ルートを
入山日に滑れて満足な1日だった。
オールドパーがひときわ旨い。
                                        
4月30日
7時30分快晴。
まだ雪面に陽光が充分にあたらず、
チタンアイゼンで足どり軽く常念岳に登る。
昨日とまた同じ標高から小雪が降り出す。
頂上12時着
北面を見おろすと、30m先から雪が下に続いてる。
20Mぐらい無理やりに滑ると、カリカリのアイスバーンで転倒し
スゴスゴと引き返す。
神経と体力が消耗してしまい2420M地点の樹林帯でビバーク。
風の音を聴きながらうとうと眠るのも気持ちよい。
                                        
5月1日
天気は朝から悪いが、このまま停滞してるのも無駄に思えて10時発。
無名山塾の15名の大パーティーと出会う。
風が生ぬるくて、ぬれた手袋を絞っていた。
今後の課題の東面に何本もある沢の姿が上部だけしか見えず残念。
蝶槍の手前の尾根を30M程滑降。
ラッセルなく、蝶ケ岳ヒュツテに2時間で到着。
小屋の中は、悪天の回復を待つ登山者でいっぱい。
昨年も会った小屋の女の人に
「常念沢をスキーで滑った」と話したら驚いていた。
このまだ若い美人が、小屋のオーナーだと聴いてこちらがもっと驚く。
天気の回復も望めず、ガッポリ酒飲んで宿泊。
山と渓谷6月号の結婚の情報によると、3月に結婚したとのこと。
ウーム人妻であったのか。
各山小屋もこんな人がいたらいいのになー。
「山渓JOY」にでかく写真が出てたらしく、それを読んだ男ども
が何人も記念撮影をしてやがる。
オイラは指くわえて見てた。
7月号の緑のページにもこの人の親切ぶりが書かれてあった。
                                        
                                        
蝶沢滑降
5月2日
昨日よりも風が強く、日本酒やビールを飲みながらしばらく様子を見る。
他の登山者の携帯小型テレビで雲の動きを観察。
ラジオより短期間で状況がわかるのが良い。
昼前から上空の空が安定してきてるように見え  風も暖かく不安要素はない。
                                        
小屋から直接東面にある蝶沢の支流(仮称蝶沢中俣)を下ることにした。
這松が5m出てる所をまたいで通過。
RSSA同人によりすでに滑られた記録を読んでいるので、
安心してスピードを出す。
静かできれいなバーンが続く。
1900m地点からトラバースし
奥の急な未知の各沢を偵察するが、樹林が濃く滝の大きな音だけ確認して終る。
                                        
熊の足跡も多く見かける.
水が流れ、ムード満点の場所でツエルトを張る。
滑降標高差合計1000M。
                                        
                                        
蝶槍沢(仮称)初滑降
5月3日
蝶ケ岳と蝶槍の中間部コルから東に伸びる急な
沢(RSSA同人の飯田氏が蝶槍沢と仮称)を登る。
中間の滝が隠れていると思われる部分は幅が5Mで暗い。
それより上部はアイゼンをつける。
途中スノーボールが何回も落下。
接近した時のみブーンと鳴るのが恐い。
蝶ケ岳頂上に11時着。
縦走の人達で満員。
下の沢から直上してきた僕の姿を不思議そうに見てた。
きっとポピュラーなコース以外は変なコースとでも思ってるのだろう。
写真を単独の女の人に撮ってもらう。
前年に第2滑降した南東に伸びる沢(仮称蝶沢右俣)は昨年と較べて雪の量は変
わりがない.
初滑降はRSSA同人の飯田らが1993年5月1日に行っている。
昨年の同時期は、カリカリのアイスバーンで滑れなかった雪面も
今回は、幸いにも雪は柔らかく好運だ。
蝶ケ岳5m下から登ったルートを滑り始めるが、最初に踏み込んだ雪の空洞に
                                        
足をとられて転倒。
最初の失敗から気を持ち直し、小さなカールをウエーデルンで滑る。
すぐにストンと雪面は急に落ち
慎重に下る。
3つの沢の滑降で最もスリルのある斜面であったが、残念なことに
標高2000M地点から潅木林が濃く、テント場まで滑降快適度ゼロだった。
                                        
下から登ってみなければ到底やれるか判断のつかない斜面だった。
滑降標高差860M。
食料と時間も充分にあつたが下山を決める。
三股への登山道へ登り返し、尾根上の豆打平から
常念沢の全景を撮ろうとするが樹林がいつまでも続き、
枝が邪魔してまともに撮れない。
それならば昨年標高1500Mまで滑降したことのある
すぐ隣にある沢をスキーで下ればよかった。
三股の駐車場から滑ったばかりの蝶槍沢が光を反射して輝いていた。
                                        
                                        
常念岳の一般的なスキーコースは古くから使用されてる一の俣である。
他はアプローチは長く、コースの取り方によっては常念沢や常念岳の北面
や南西面などが滑れる。
蝶ケ岳の東面は傾斜はやや緩く明るい。
しかしいずれも中上級者向きで、アイスバーンの時は滑落の危険がある。
今年順調に滑降できたのは気温が上昇していたからだ。
雪崩の危険も充分あるが、
連休中の小屋を利用すればもっと快適なスキーが楽しめる地域である。
                                        

                                        
(参考文献)
「松本付近から見るすべての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど、
見る者に印象を与えるものはない」
ウォルター  ウェストン「日本アルプスー登山と探検」より