12.09.2012

三ツ峠クライミング


三ツ峠と西湖根場

2012年12月7-19日
member 太郎、YU Kei 伊藤フミヒロ記
50年近く前のこと

7日金曜日 天気 晴れ
 6時に東京出。東名から篭坂峠越えて三ツ峠入口へ。笹子トンネルの事故で御坂道は混雑かと思ったが普通だった。登山口あたりはマイナス5度くらい。10時に歩き出すがだんだん雪道になってくる。つるつる道を三つ峠山へ。快晴無風の山頂からは全方向がよく見える。クライマーは見当たらず、ハイカーが三々五々。三つ峠山荘先のトレーニング岩場でかんたんクライミング。雪もなく穏やか。

 パラグライダーの緊急用ロープを試す。ファイントラックのもので海用。ダイニーマ芯の軽量6ミリロープ。この細ロープと小型エイト環とで、木にぶら下がったとき本当に下れるか実地試験する。丈夫なのは間違いないが、スタティックロープでまったく伸びない。シングルとダブルで試すが、アクリル被覆だけがずるずる伸びて溜まってくるので長い下降は難しいかもしれない。30mロープをダブル使用するくらいが妥当だろう。

 雪道を滑りながら下山。面白い。天下茶屋でお茶して太宰治の部屋を見る。渋い。4時足和田ホテルイン。太郎が風をひいたみたいなんでつきあって車泊。寝るだけならホテルも車も変わり無し。
ロッククライミング使用禁止のダイニーマロープで懸垂

南面はぽかぽか

8日土曜日 天気晴れ
 前線通過で突風が吹き荒れる。太郎が持ち直したようなので西湖畔の西湖(ニシノミ)集落へ。足和田災害慰霊碑のあたりから細道を上がるが以前アイスクライミングに来たとき見た萱葺き家を見つけることはできなかった。あれは被災を免れた数軒のひとつだったのではないだろうか。

 西湖畔根場へ。再生された萱葺き民家が並ぶ観光施設いやしの里350円。資料館で足和田災害を学習する。西湖集落の移住先は西湖南の樹海民宿村と聞いていたが、根場集落は?疑問に思っていたのだが、すぐ向かいに越したとのことで納得。たしかに対岸のバス道脇が民宿村となっているようだ。最悪の被害をこうむった根場集落は生存者全員が村を離れ向かいの樹海の中に居を移したのだった。いやしの里は捨てられた村跡の土石流の上に作られている。


 この旧足和田村根場集落跡を富士河口湖町がそっくり買い上げて新しい萱葺き民家群に変えたのは数年前。各戸ごとテナント方式で商売の人に貸し出している、ということも現地で聞き取った。いまや大駐車場が作られ観光バスが出入りするにぎやかな名所になっている。

 根場を後に南下、精進の諏訪神社と有名な大杉を見にいく。精進の大杉は樹齢1200年、目通り10m余。いつ見ても感動の神木である。中道往還沿いの精進は古い宿場だが、近くの樹海にある精進湖民宿村というのは? これは足和田根場の災難を教訓に精進の人が率先して移住したものだという。精進大杉の脇には旧小学校があり校庭がある。精進集落は過疎とはいえまだ生きていて、宿場の面影を残した民家が並んでいる。

 時間があるので中島牧場へ寄る。朝霧一帯は南風強風でパラグライダーは1機も飛んでいなかった。ミルクランドで天気予報をチェックすると明日も荒天らしい。もう1泊の予定を変えて富士から新東名で帰京。


根場いやしの里。園地だけど空いている日なら悪くない

正面に富士山を望む立地。美しい村だったそう
参考 
 十二が岳の岩場へのアプローチにある桑留尾川沿い(いずみの湯あたりのキャンプ場)は西湖集落側に属するようでここでの被災は少なかったよう。子どもたちの旧通学路の案内標識があるが、近隣には河口湖長浜の西浜小学校と旧根場分校があったからそれらへ続く山道だったようだ。