●北田さん追悼2 伊藤文博
Tajニュース(日本テレマークスキー協会報)の依頼で以下書きました。2022年3月。公開6月1日。北田さんのビジネストリップ以外の私の知るかぎりの海外スキー旅です。テレマーク時代の旅にはどれも一緒に行きました。以下本文。
北田さんの海外スキー旅
盛岡生まれを誇りにしていた北田さんですが育ったのは浦和です。山へは兄紘一さんと中学生から、スキーは18歳からといいますからやや遅咲きかもしれません。
その後、北田兄弟のモーレツな雪山修行があったようです。国内の雪山を総なめ?にしたかのような北田さんですが、ここでは海外の山行のこと。
1979年に高田光政氏らとアルプスオートルート(スイス側)、82年にはフランスルートを走破しています。間の80年には、なんとマッキンリーを滑っています。成蹊大チーム(磯野剛太隊長)でメンバー全員登頂、そして全員滑降という輝いている記録です。このころイケイケの北田さんですがカリブークラブを結成したのもこの時期。北田さんらしく、やたらに緩いしばりの集まりです。以上はアルペンスキー(山スキー)での記録です。
82年に突然テレマークに開眼します。以降アルペンスキーにもどることはありませんでした。しばらくTAJの活動で忙しかったのですが、90年代からは本場アメリカでのテレマーク修行にでかけます。
92年4月ユタ州ワサッチ山脈。93〜95年、3年連続でコロラドロッキーの探索、テンスマウンテンルート完走。
97年4月にはカリフォルニア州のシエラネバダ山脈へ。翌年にそなえてソリとテント泊のツアーでした。
98年4月、念願のシエラハイルート完走。日本人初記録。
2000年3月ワイオミング州グランドティトンツアー。
以上、すべてメンバーはカリブークラブとその仲間、全員テレマークで参加しています。企画はすべて北田さん。よい頭脳があってこその成果といえるでしょう。
とくに98年のツアーは避難小屋もエスケープルートもないシエラの高山を5日間で抜けるというスピード山行でした。
99年の「rock & snow」春号のレポートで北田さんはこう結んでいます。
「シエラハイルート。シエラバックカントリーの最終目標といわれるコースを、天候に恵まれ、僕たちはまんまと成功した!」
テレマークの貴公子、北田さんの品のいい笑顔がうかんでくるようです。
伊藤文博
追加1
スキーや山を大いに語った北田さんですがそれ以外のことについては静かな人でした。あまりよそから見えない好き嫌いがあって、食事やクルマ、そしてふだんの振る舞い、すべてにこだわりのある人のようでした。どれもが上品志向です。読書家であったことは彼の文章をみれば自明ですね。静かなインテリ。そんなあんなが人をひきつけたのでしょう。
追加2
あるとき山でサングラスをいただきました。スミスの替えレンズ付きのもので今も愛用しています。「マトリックス」ぽいデザインで「オレには似合わないから」と言っていましたが、人にやたらモノをあげていたら成り立たない商売をしていたはずなので感謝しております。ありがとう北田さん!
伊藤文博
Tajニュース2022年春号掲載。追加分は編集からの求めで補いました。
https://www.ski-taj.org/news/data/TAJnews2022.pdf
ニュース2022年春号は以下でみられます。