12.23.1995

栂池自然園あたり

栂池自然園あたりをベースにスキー遊び
ゴンドラであがって山中ゆっくり、2ルートしかないか?
 
栂池自然園上部で
 
1995-12-23-25
メンバー 東京テレマーカーズ  SEIJO BCSC

23日入山。朝、栂池スキー場のゴンドラにのる。、栂の森ゲレンデには1000ころ。林道入り
口に荷物をおいて、ゲレンデで深雪の練習ができる。
ゲレンデから早稲田小屋経由成城小屋まではラッセルがなければ1時間の行程。小屋をあけ、小さ
なパックで天狗原まであしならし。深くて重い雪をすべる。
24日 あきずにこの日も天狗原へ。乗鞍まではもうひとのぼりだが、天気わるく、パフパフ雪をえ
らんで滑り降りる。
25日帰京。

1996-12-21.23

メンバー 東京のテレマーカー  SEIJO BCSC
21日 スキー場で遊んだあと、入山。天狗原まで一本。
22日 栂池自然園から船越の頭方面をめざす。2301メートルの金山沢の源頭で昼、おおむね往
路を滑りくだる。
23日 前夜から大雪。吹雪の中をラセッルしてくだる。栂の森ゲレンデまで2時間もかかってしま
った。
 
 このあたり、この時期、充分のパウダーがある。成城小屋あたりをベースにすると、乗鞍方面と
船越のコル方面の2ルートが考えられる。毎年ほかにもよいルートはないかと考えているが名案は
いまだに浮かばない。

11.25.1995

北アルプス立山の初滑り4年分

北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ

雷鳥沢を滑る
 
11月、やっぱり立山はパフパフだった!
1995年11月25日

暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年
もそこはパウダー天国だった。

勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く
2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断
念したに違いない。

ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立
山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜
30センチ降ったヨ」
「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ
ロしていてパウダースキーどころの話ではない。

 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、
クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、
ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。

翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか
、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に
、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を
みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で
はある。

その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明
になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。
やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって!

1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室
堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。

                           (KIM同人/I)

1997年11月22ー24日
メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車

22日
朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの
に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。
雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3
時間の行程。

23日
朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向
かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。

24日
大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣
御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。
快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。
新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足
にフィットして快適だ。
称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。
杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや
かな立山の初滑りだった。

1998年11月21-23日
メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ
ブなど
21日
朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル
からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。
先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス
キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の
不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。
22日
案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。
9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ
る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ
ぐ。
23日
吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道
を帰京。9時都内。


1999年11月21/23

21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた
、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷
鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ
ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶
好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、
水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら
すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ
ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田
さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、
けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。

22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び
に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小
屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす
べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定
した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに
撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう
ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も
っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み
も揃って行動、早い。

23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途
中食事、6時半帰宅

1999年11月29/30日
メンバー 松倉、川崎、汽車

 月・火と立山へテレマークに行って来た。
 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100
m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂
山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク
のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。
 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク
ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。
 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思
う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい
るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと
下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり
だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと
移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。
 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。
川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう
しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、
斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm
で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。
 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元
へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助
かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ
ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から
の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫
だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。
しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂
ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ
らに下っていく。
「逆に進んでいませんか?」
 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん
が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに
ポールが見える」と言う。
「さすが伊藤さん」
 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど
の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆
われた柱があった。
「室堂山荘のアンテナに間違いない」
 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再
び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。
「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」
 川崎さんが脅かすように笑う。
 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの
エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み
くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が
はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、
二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上
に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警
備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初
の雪中行だった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

10.31.1995

メラ・ラからのパラパント 

メラ・ラからのパラパント
伊藤忠男(CHU)
メララからのフライト
 
 



 発表する機会がなかったのでちょっと古い話になってしまいますが、  1995年 の秋に
ネパ-ルヒマラヤのクンブ地方東南端にあるトレッキング・ピ-クとしては割 に高く、思い
の外アプロ-チのあるメラピ-ク(6746m)に、3人の陽気で屈強  な山仲間と出かけま
した。

 一人はボ-ダ-で2人はテレマ-カ-ですから、私がパラを使うとなれば、もうゲテモン
遠征と言われても何も言い返せません。メラピ-クで  スキ-(アルペン)の使われた遠征は
すでに少なくはありませんが、テレマ-ク、ボ-ドは多分初めてでしょう。パラの記録では高橋
ダンプさんが何年か前に数人の仲間と試みていますが強風で断念したと聞きました。また、スイ
ス人がトップからテイクオフ  、西へ25km走らせてルクラのエア-ストリップにランディ
ングして警察に捕まっ たとかなんとか、真偽のほども分からない噂も耳にしました。

 メラピ-クは、少なくともメララ(5540mの峠)を経由する北面ノ-マルル-ト から
は一見して登りたくなるような山ではありません。メララからピ-ク手前の肩ま  で、ダラダ
ラの斜面がうんざりするほど延々と伸びています。傾斜が緩く距離が長い  ということは、容
易ということではありません。降雪や雪面の状態によっては、クレ パスやセラックとの危険な
触を長い時間に渡って警戒しなければなりません。

 僕たちは幸運でした。この時期にしてはたちの悪いクレバスも少なく、ほとんどラッセルも
せずに歩けたのですから。パラにとっても傾斜のない長い距離はやっかいな問題を孕んでいま
す。ランディング できる地点までの長さを考えると初級機が良いといった従来の”山飛び”セ
オリ-は  通用しません。ある程度距離が出せて、しかもフライトコ-スをこの時季に、とき
に卓越する偏西風に向ってとれるくらいの性能と技術が要求されます。そんな訳で機体 は翼面
積をタイトなサイズとしたコンペ機としました。

 支配的な偏西風はおおよそ朝の8時を境に、急速に下界に影響しはじめます。往のキャラバ
ンですれ違った帰りのトレッカ-の話から頂上が凪るのは1週間から10日に一度あるかない
かといった程度。山でのフライトは、今日ゲレンデでだれもが飛んでいる上限風速の半分でも
躊躇 します。パラを山で使う場合、一番難しいのは気持ちの持ちようかもしれません。集 中
しなければいけないのに、飛べない確率の方が高いのですから。ボ-ドもテレマ-クも首尾良
く完全なピ-クからの滑降を手中にしましたが、僕は体 調を崩してしまい、メララからの滑空
にとどまりました。
 
 10/31午前9時メララ北端の階段状の氷河からテイクオフしました。目前に門のように
立ちはだかる2つの切り立った岩稜の間を通過するときに小さなロ-タに多少振られましたが
、すぐにモ  レ-ンから吹き上げてくるリッジで高度が上がりました。BC上空でゆっくり旋
回し ていると8m/sゲインの強いサマ-ルが当たりましたが西に背が向くと急速に流さ れる
ようになりました。すでに偏西風が強まってきていたのです。届けばタクナックまで伸ばすつ
もりでしたが、ディルカルカをすぎ、メラ西壁を回り込んだところでま  すます前へ出なくな
り、予め考えていた標高4500mの広大な河原に向かって気の遠くなるほど高度処理を繰り
返しました。ランドするまで翌端を折ったり、シンク域を探したり、フルアクセルで走らせた
り、身につけたテク全開で、上空の偏西風域へ 一気に吸い上げられるような強烈なサ-マルと
の格闘を強いられたのでした。                     (  3/7/97記)

追:僕たちがBCを去った数日後、ベンガル湾に発生したサイクロンの影響で忌まわ  しい季
節外れの大量降雪がこの地方を襲い、多くの方が亡くなられました。ご冥福を  祈ります。合
掌。

10.15.1995

MERA-PEAK, NEPAL

MERA-PEAK, NEPAL

ヒマラヤのトレッキングピーク、6467メートルであれこれ遊ぶ
歩いては下らない、メラピークの下山の仕方

MERA PEAK
 
1995年10月15日~11月7日
member
kurokawa,
ito tadao
morihikari
ito kisya

 5月のある土曜日、小川山でクライミングしたとき。テントの脇で焚き火を囲み
 ながらヒマラヤの話しがでた。「ヒマラヤでスキーしたいね」「おれはス、スノ
 ーボードがいいな」「ぼ、ぼくはパラパントで飛んでみたい」それがきっかけだ
 った。ヒマラヤとはいえやることはふだん日本の山でやっていることだ。だが僕
 らにも登れてそんなことができる山があるのか。

トレッキングパーミットで比較
 的かんたんに登れる山としてネパールのクンブ山域にあるメラピーク(6476
 メートル)があがった。エベレストがある地域だ。世界中の山好きが毎シーズン
 、何グループもトライしているポピュラーな山。「秋に行こう。”歩いて頂上か
 ら下るのはイヤだ登山隊”としよう」話はきまった。

知り合いにカトマンズのガ
 イド会社を紹介してもらい、ファックスをいれた。反応がはやく、僕らのやりた
 いことをすぐ理解してくれた。 女性も何人か参加するような話もあったが、結
 局、男4人のグループとなった。やっぱりね、とみんななぜか納得したのだった
 。 

 カトマンズで全員が顔をあわせたのは10月15日、翌日、ガイド会社にい
 って打ち合わせをすませ、前金をはらい、ひとまずわれわれはルクラに飛んだ。
 26日の出発日までに高所順応をしておきたいので、ゴーキョ方面へトレッキン
 グにでかけることにする。三々五々とでかけナムチェバザールで遊んだりして、
 各自のプランで順応に励む。再びルクラに集合したのは24日。みんな標高50
 00メートル以上まで登ってきたという。元気だ。

 25日にサーダーと呼ばれる
 ガイドのリーダーと顔合わせした。いわゆるシェルパだ。

 26日、出発の日。サ
 ーダーとアシスタントのシェルパ2名、コックやポーター約10人が集まってき
 た。みんなでメラピークのベースキャンプへと出発する。テント、食料、登山用
 具など全部運んでくれる。食事も作ってくれる。BCまではいわゆる大名トレッキ
 ングだ。お金をはらっただけのことはある。いつも貧乏トレッキングや登山しか
 したことのないメンバーは満足げだ。出発前の高所順応トレッキングが効いて、
 メラのBCまでの5日間は全員快調、走り出すほどの元気。このアプローチは有
 名トレッキングルートからはずれているので静かできれいだった。

 30日にはBC
 設営。これも全部シェルパがやってくれる。ここにいるかぎりメシつき昼寝つき
 でいられるのだが、ここからメラピークの頂上までは自分達ですべてやらなけれ
 ばならない。ガイド会社とそういう契約をしたからだ。契約しだいではガイドが
 ロープで頂上まで引っ張っていてくれるそうだ。BCまではほとんど雪はなくこの
 上からいきなり氷河の世界がひろがる。翌日、ハイキャンプ設営。

 若手二人は自
 力でテントをかつぎあげるが、中年系の二人は、アシスタントシェルパの『なん
 でも運んであげますよ、イヒヒ』という甘い言葉にひかれ、「テント運んで」「
 あ、スキーもお願い」といきなりお願いします連発状態となる。エキストラ料金
 でやってくれるのだ。お金を積めば人間も背負子で頂上までも運んでくれそうだ
 。この5000メートルのBCまで空身同然でやってきた中年系にとって、550
 0メートルのハイキャンプまでの荷揚げは辛いのだ。

 ハイキャンプ設営のあと、
 さらに上部へ登り、スキーやボードで念願の初滑降する。Cはメラ峠からパラパン
 トで初飛行。スキーなどデポして、いったんBCにもどる。翌日は休養日。

11月2日。全員でハイキャンプに進駐。ラーメンを食べ、酒をのみ、たばこをふかす
 。天気は連日好天が続いている。あすも大丈夫だろう。

11月3日。登頂の日。
 4時起き、大快晴のなか6457メートルの頂上をめざす。標高差1000メー
 トル、水平距離もけっこう長い。気合いをいれないと頂上まで届かない。若手二
 人は頂上までスキーとボードを担ぎ上げる。中年系Cは体調悪く途中で下山。同じ
 く中年系Iはスキーの重さに耐えられず途中にスキーをデポ、登頂を目指す。

12時には3人がメラの頂きにいた。メラは展望の山だ。エベレスト、マカルー、
 カンチ、チョオユーなど8000メートルのジャイアンツが取り囲む。すぐスキ
 ーとボードが滑降を開始する。絵になるシーンだ。下りは早い。ヘロヘロ状態に
 なってハイキャンプに戻ると、サーダーとシェルパが迎えにきてくれていた。あ
 りがとう。ありがとうついでに撤収もたのんでしまう(すみません)。BCまでス
 キーとボードでいっきに戻る。祝杯。

 翌日、BC撤収。危険な近道ルート、ザツル
 テン越えをとり、わずか2日でルクラに戻ってしまった。スキーに関していえば
 雪の上で滑った日数はわずか2日、雪は悪いし、胃は壊れるしで、高くついたス
 キートリップだった。とはいえメンバーの満足度もかなり高い。
 データ 
 メラピ
 ークのトレッキングパーミットはカトマンズでとれる。自信があればガイドレス
 、ポーターレスの登山も可能。現地ガイド会社に頼めばガイド、ポーターなどま
 とめて面倒みてくれるのでかんたん。日本の専門旅行社でもこまかくアレンジし
 てくれる。ヤマケイ月刊誌などによく宣伝がでています。

6.12.1995

鳥海山のパラとボ-ド

鳥海山のパラとボ-ド
伊藤忠男
 
鳥海山頂からとびだす
 
  95年6月12日(月)
   屋根にスキ-とボ-ド、トランクにパラをつめて10日の午後相棒のぴかちゃん(森光)と東 
    京を発ち、その日のうちに鳥海山の南山麓、湯の台まで入る。国民宿舎の少し上の立派な駐
    車 場でテント。ぴかちゃんはタフなクライマ-だが、山でボ-ドも使う。
 
   翌朝目を覚ますと外は雨。やれやれ。飯くってても止む気配がないが、遥か月山の方向に目を
  凝らすと、なんとなく晴れてるような気がするので、あっちいくべ、となった。結局、雨は降
  っちゃいなかったけどあまり良い天気とはいえない。しかもこっちは完璧に(街の?)スキ-
  ヤ-の世界。
  
    ぴかちゃんはボ-ド持ってどっか難しい斜面を探しに消えてしまい、私も緩い斜面でボ-ダ-
   の真似事で時間を潰したが、いまいち気合が入らねえ。昼飯食ってから、湯の台の国民宿舎に
   電話したらしい、晴れてますよ、ウッソ-、と目を真ん丸くしてぴかちゃんが電話ボックスか
   ら出てきた。その日の夜も結局同じところでテント。
   
     翌朝快晴、おお-やったあ、俺達って普段の行いがいいのな、って訳で、そのまま車で滝の
    小屋のすぐ下まで入った。雪は例年よりかなり少ない。風はない。飛べる可能性大。バック
    アップ用のスキ-は持ってかないことにした。私はパラだけ、ぴかちゃんはボ-ドを背負っ
    て出発。
    
     しかしホントに雪が少なくて、河原宿のプラト-手前では完全に切れててやぶこぎになって
    しまった。頂稜は夏道で風が少し強くなってきていたが、まあ大丈夫だべ。せっかくきたん
    だから、一番高いとこ(七高山)までいくべ。北面の広大な雪原を見てため息。戦後まもな
    い頃に満州から入植した開拓団のシンドイ歴史を抱え込んだ由利が原が、遥か山麓に広がっ
    ている。
    
      途中ツバ付けておいたテイクオフできそうなところで、午後1時少し前、日本海から吹き込
     んでくる強めの海風をやり過ごして、間欠的に入る南からのブロ-で立ち上げ、2、3歩歩
     いて崖へ頭から飛び込む。
     
      滝の小屋の上で小尾根に当たる小さなリッジを使って少し遊んでから、家族でハイキングに
     きていたらしい人たちの歓声とカメラに迎えられて小屋の前の雪原に降りた。標高差100
     0m、15分の空の旅。もっと下の山麓には広大な牧場や休耕田らしいところもあって技術
     的には問題なく降ろせると思うが、ひとの生活圏に侵入して飛ぶのは嫌だ。
     
       ぴかちゃんは私の飛ぶ写真を撮ってから滑りはじめた。途中のやぶにはまっってちょっと
      不愉快だったようだが、昨日は帰ろか、まで考えたんだし、他にボ-ダ-ももちろん飛び
      道具(?)持ってるやつもいねえしで、やっぱり、俺達って愛されてんのな、山に。

6.11.1995

剣岳東大谷中俣本谷と右俣スキー滑降

FIRST DESCENT AT MT.TSURUGI

北ア 剣岳 東大谷中俣本谷と右俣スキー滑降
西田 真一(きねずか同人)原 伸也(ビル エバンス同人)

 
                                        
1995-6月11日に大阪あすなろ山岳会の加藤 雅昭氏と共に東大谷左俣を滑降
                                        
した際にこれはひょっとして
剣頂上直下に突き上げている中俣本谷も滑降の可能性が
あると思えた
長い梅雨時のわずかな晴れ間をねらう長期の山行になると考え
ノーテンキの我々は食料を10日間分携行
アルコールなしという前代未聞の山行で覚悟は決まった
                                        
6月10日(曇り) 室堂バスターミナル9:30発
室堂乗越からの東大谷の素晴らしい全景がガスで全く見えない
仕方なくガスが晴れるまで昼寝をのんびりする
全く晴れず最初の滑降地点を探すのにひどく時間がかかった
立山川上部は毎度ながらけっこう急に感じる
今年は格段に雪が多く滑りやすい どんな急斜面でも滑れそうな気がしてしまう
                                        
皮肉にも下がるにつれて雲は切れてくる
東大谷出合1400m地点でテントを張る15:00
雪が割れて水流が出てるのはこの地点からだ
昨年同様のカラスの歓迎があり
食料を昨年みたいに食べられないように雪の下にかくしておく
6時に早々と眠る
標高滑降差は約1050M
                                        
6月11日(晴れ)
6:05発
左俣出合6:30
右俣出合1760M地点6:40着
昨年の同日の左俣滑降と同じく天気に助けられ
アイゼン装着は2080M地点7:40
2370M地点から巨大なクレバスと岩間をぬう高度感のある登りとなる
異次元の風景が頭と体を刺激して心地よい
ショイナードの滑落防止用のピックのついたストックに大分助けられる
ダブルアックスの用意もあったが使うだけの悪い場所はなかった
昼頃からガスが出てくる
音も無く落ちてくる石を交代で監視しながら登る
特に2700M地点の右の岸壁からの落石には要注意だ
2750M地点から最上部へは雪が二手に分かれてどちらにしようか迷う
左のとにかく雪の多い方へ進む
ちょうどシシガシラとカニノハサミとのコル2890M地点の早月尾根に13:
50着
縦走路上にある避難小屋をようやく確認
この地点から正月 池の谷側に滑落した魚津岳友会の2名の
事を思いだして黙祷
この谷も将来はその地点から滑降されるであろう
僕にはそんな勇気はないが
頂上までわずか100mの雪稜の登りだが余分な体力を使いたくない
2時半 最初の斜面の下部が見えなく バンジージャンプの5倍ぐらい緊張
雪面に太陽光は充分当たってるはずなのに雪は堅くていやな気分
高所での滑降のポイントはいかに雪が融けてくれるかという点だ
沢は何回もS字状に曲がってくれてリラックスできた
これが一直線なら下部の景色が見えすぎて気が硬直してしまう
左俣よりも 雪質は小さい石も混じることなく安定している
2700M地点から下部は落石だけ注意して下る
ジャンプターンに慣れて気持ちよい滑降だ
クレバスが何本も出てくるが、スキーを外して渡る場所はなかった
                                        
                                        
中俣をテントまで1500m滑降
これまでの一番高度感のある滑降であった
東大谷出合に17:40着
誰もが失敗するであろうと言ってたし
僕自身は成功率は50%はないだろうと思っていたので
相棒と素直に総ての事
に感謝して喜ぶ
ただし酒なしで酔えないのが寂しい
梅雨時のわずかなチャンスだった
                                        
                                        
6月12日(晴れのち曇り) 
東大谷最後の課題の右俣へ
テントを6:40発
右俣へ入谷してすぐに巨大な落石
一番滑れそうな先から大量の落石が持続してる
ガスはなかなか晴れてくれない
2100m地点でクレバスが多く断念
滑るだけの価値はない
石を避けて滑るのはあまり気分がよくない
天気予報は後日最悪の情報より酒がなく まだ充分1週間分のエサが余ってるが
下山を決意
やっぱり代わりに酒もってくればよかったと後悔
テントを撤収11:15発
馬場島へ下山しようとしたが毛勝谷の手前1200M地点で滑降不能となる
沢の水量も多い事から 今までの経験から検討した結果
室堂まで引き返すのが最善と考え引き返す
余った食料の重さを悔やみながらの登高はつらい
                                        
急な登りからガスで迷う
途中落石をのんびり観察してたら運悪くストックに当たる
重荷のおかげで2人共にバテバテ
一口飲んだビールの旨さに腰が動かず
雷鳥荘17:15で宿泊
6月13日
みぞれ混じりの強風を伴う雨のなか下山
                                        
室堂乗り越しや他の地点から東大谷の望遠が
できなかったのが心残り
体も久しぶりの登山でボロボロ
心だけホカホカ
冷ますのにビールを飲み過ぎてしまった
                                                                
剣岳周辺はまだスキーに適した未開のルートはかなりあると今回も感じた
この時期の立山川から東大谷までの間は全く人の姿を見ること
がない静寂の山域である
                            

5.28.1995

スノーボード富士山滑降富士吉田口編


SNOW-BOARDING AT MT.FUJI
山で舞うならスノーボード、富士山滑降
富士宮口編
   .
ガ、ガ、ガーと滑って、おしまい 写真=久保田賢次
 
1994年5月28日
朝800に富士宮口5合目出発。天気はよい。4時間で頂上。まわりにはテレマークス
キーヤーが多い。

メンバーは森光、久保田賢次、とぼく。ボードで下るのははじめて。この時期スキーで
くだったことはなんどかある。前の年にも知り合いが滑っているので条件さえよければ
問題はないはずだ。

雪がやわらかくなるのを頂上で待つ。1時にスタート。あっという間にくだってしまっ
た。山スキーやテレマークより早い。悪雪にもつよく、あまり疲れない。スキーより楽
だ。3時に車にもどった。

ミニスキーのひともいた。いろんな道具で春山をたのしむのはいいことだ。
アイスバーンにさえなっていなければ、富士山のダウンヒルは楽しめる。


富士吉田口編


 .
ガ、ガ、ガーと滑って、おしまい 

1995年またも5月28日

Momo is now writing

5.13.1995

富士山須走口スキー

SKIING IN SUBASIRI ROUTE IN FUJI

1995年ころだとおもいますが、調査中
富士山須走口
頂上までは長い
 
 富士さん
 
富士山須走に行ってきました。
須走は、五味さんと何度か行きかけたことが、ありましたが、少雪や、天候に阻まれ
ていました。

御殿場在住の長坂さんのお誘いに、乗って行ってみました。
5月13日曇り 天気はかんばしく無くガス、9時遅めの出発。茶屋の奥の神社より、樹
林の中は、雪が残っていて、シールで歩き出しました。途中で右側の沢状のほうにル
ートを移り、あとは、登るだけ。ガスの上にでました。急になって、だんだん右にル
ートをとり、吉田の方の登山道が見えてきました。

3300m8合の小屋ちょっと下で3時になり、やめました。下りは、時間が遅かったか、
気温が上がらなかったか、バリバリで、上部は私の技術では、苦労しました。斜度が
緩くなる頃、雪も緩み、重い雪だけど、まあまあ快適でした。下部は、徒渉ならぬ徒
岩で残った雪を拾い駐車場の100mほど上の2100mまで降りることが出来ました。駐車
場に着くと、たちこめていた雲もすべてはれ、須走の全貌が現れました。
河口湖畔で富士山全体が見えましたが、雪が随分下に長いように見えました。

長坂さんの話では、2週間ほど前に来た時、3000mまで登って、駐車場まで滑って降り
たそうです。その時、犬を連れたテレマーカーが1人途中まで登って、降りていった
、と言っていました。ヤマケイの伊藤さんでしょう、と言っておきました。冬でも降
雪後、途中のゲートから駐車場の上位まで登って、楽しんでいるそうです。

御殿場でゆっくりしていきたかったのですが、次の約束があっったので、峠を越え、
トンネルを越え、次の山に車を走らせました。

5.03.1995

Haute-route in Japan-Alps

Haute-route in Japan-Alps
日本のオートルート、立山~槍

ito KISYA
1995年5月3日  (山と渓谷誌に掲載)
槍沢をすべる 


 ゴールデンウイークの北アルプスにはスキーを持って行くのがいい。
春のざらめ雪は快適なシール登行を約束してくれるし、下りは痛快のひ
とこと。雪のない時期では考えられないようなスピードで山やまを駆け
抜けることができる。ときに山は冬の姿に戻ることもあるが、そのあと
には素晴しいパウダースキーイングが待っている。
 
 立山、白馬、乗鞍など、スキーで遊びたい北アルプスの山はたくさん
あるが、いちどトライしてみたいのが、立山から槍ガ岳までを縦走する
”日本のオートルート”。

 これは長くて、そして面白い。真冬には人を寄せつけないロングルー
トだが、春には格好のスキールートに変身する。、ゴールデンウイーク
に営業する山小屋も多く、それらを利用して、ちいさなパックで軽快に
行動することができるのもうれしい。
 
1995年5月3日早朝、立山室堂を三つのグループが槍ガ岳をめざし南下
を始めた。二つのグループはテレマークスキーで、もう一つのグループ
は全員が山スキー。利用できる山小屋は限られているので、順調に進め
ば全員がおなじ行程をたどることになる。ちょっとした山岳ラリーの雰
囲気だ。
 
 初日はガスと小雪の悪天。ルートファインディングに苦労しながらや
っとこさ、五色の小屋にたどり着く。
二日目は高曇りで展望あり。薬師岳越えの長い一日。天気が崩れること
もなく大助かり。足が棒になるころ太郎平小屋へ入る。テレマークチー
ムの後発二人が神岡新道から北ノ俣岳経由で合流。この夜、雪。
 
 三日目。停滞か? 朝食後、薄日がさしてくる。歓声とともに出発。
まばゆいばかりの新雪をラッセルしながら双六小屋をめざす。黒部五郎
岳のカールを小さな雪崩とともに滑り降り、極上のパウダースキーイン
グを楽しんで、四時には、全チーム、暖かい双六小屋へなだれこむ。抜
きつ抜かれつを繰り替えすうちに三つのチームも渾然化し、小屋ではビ
ールが飛び交う。
 
 四日目。槍ガ岳を越える日だ。時間切れの数人が新穂高へくだる。槍
ガ岳組はスキーをパックにくくりつけて、西鎌尾根を行く。槍岳山荘で
ランチのあといよいよ最後の大滑降、槍沢をくだる。滑りがいのある大
斜面だ。槍沢ロッジでスキーをぬげば、このスキーラリーも終点ま近か
。横尾で休む者、気合いを入れていっきに上高地まで下山するものさま
ざまだ。

 比較的天候に恵まれ一日の停滞もなく行動できたのはラッキーだった
。何度もこのルートにトライして、悪天に阻まれた人も多いからだ。 
 


5.01.1995

月山と湯殿山、至仏山

月山と湯殿山、至仏山
春山はボードのほうがお気楽でよいか
 
GASSAN
 
1995-5
 春山スキーはたのしい。があのザラメ雪をざーっ、ざーっと滑り降りる感覚はアキがくる。パウダー
のような良質な滑走感がザラメにはない、といったらぜいたくだろうか。
 そんなわけで、毎年5月中旬恒例の月山キャンプにはボードでいくことにした。ほかに光さんなども
 ボード持参だ。

月山
 喧騒の月山スキー場をさっさとはなれ、ボードを背にツボ足でぐんぐんのぼる。シールつきのテレマ
ークにおくれはとらない。頂上から行人小屋方面にしばらく下り、四ツ谷の壁の上にでる。いきなりが
んがんくだる。一部ノドのようにくびれたところがあるが、横滑りでくだる。クレバスもあるからよく
見ないといけない。スキー場までの長いトラバースに耐え、駐車場へすべりこむ。

湯殿山
 翌日。志津のキャンプ場1000発。再びリフトでのぼり、姥ガ岳山頂までひと足。頂上から裏側へ大き
くまわりこみ、湯殿山へのコルまで滑り込む。ボードを背負って湯殿山山頂まで小一時間。天気がよい
のでゆっくり休んでから、いっきに真南斜面をくだる。幅広の急な一枚バーン。あっというまに滑って
、おしまい。未熟がゆえの転倒あり。昨日の月山の四ツ谷の壁よりも急だ。
 志津までのだらだら下りはボードには苦痛。はずしたり、つけたり、はずしたり、と大汗かいてBC
 着。

至仏山
1995-4
 ボード向きの山というのがあるのなら、それは、ボード背にいっきにのぼって、いっきに麓まで下れ
る山だろう。のぼり下りが多い起伏のある山ではなく、富士山のように絵に描いたような山がよい。で
、至仏山。
鳩待峠までの道があいた直後。0900峠からぐんぐん登る。ツボ足でいけるこの時期は山ボードには最適
だ。途中、時間調整のため、少し滑ったりしながら、1200頂上着。天気がよいからスキーヤーがいっぱ
いいる。知り合いのテレマーカーも何人か。ワル沢を少しすべり、また登りかえし、ムジナ沢側へでて
山の鼻へくだる。雪がきれているところはなかった。

 鳩待峠に戻る道でワル沢を滑ってきたという二人のボーダーにあった。どうやって川の渡ったのだろ
か。

1997-5-5  久保田賢次(DCCC)
2月に一度ゲレンデにいったきりごぶさたしていたスノーボード。
このままシーズンを終わるのもしのびなく、5月5日の子どもの日に、自分の子どもたちはほった
らかしにして至仏山へ山ボードにでかけました。

今年は積雪も少な目と聞いていたので、もうあまり楽しめないかなと思いましたが、案の定、多
くの人がめざすムジナ沢は雪も少なく山頂付近からの滑降は無理、下部も植物への影響が心配され
るので、ムジナ沢はやめにして鳩待峠方向へとダイレクトに降りるワル沢を滑りました。滑り出し
はガスに包まれていたのでやや不安でしたが、ブッシュもほとんど気にならず快適に滑れました。
沢型がはっきりしてくる下部は流水もでてきたので歩きに変えましたが、なかなか満足の行く山
ボードでした。

2.15.1995

COLORAD 10TH-MOUNTAIN HUT TOUR

SPRING SKI IN ROCKY1995

COLORAD 10TH-MOUNTAIN HUT TOUR
テレマークスキーのメッカを訪ねる
ロッキーだい
 














1995-2? 調査中

東京のパフパフクラブとやらがコロラドへ毎シーズン出没しているという。本家・金持
ちクラブ・TKC傘下の『大国屋ホッピーズ』としてはほってはおけない。周辺もまきこん
で、彼らもテレマークのメッカに乱入したのだった。 
 
とりあえずのレポートです。

その1 二月だというのに毎日ドピーカン。雪質はいまいちでしたが、のんびりしたツ
アーができて最高でありました。

その二 浜田氏の荷物が届かず! ユナイト航空もう少しシャキっとせい。軍曹・直一
のザックもぼろぼろになってしまった。
その参 ガイドのスコットとデビーは、ぼくらと同じような体格で、とっても気さく。
でも倍くらいの荷物を背負っていた。
その四 ピーターエスティンハットのまわりを一日滑りまくる。ここは連泊したかった
あ。
その五 チーズとハムとマスタードの食事はいまいち。わしら洋食は食いつけんもんね
。昼に食べたラーメンがうまかった。日本から持ち込んだモチは大好評。ウメボシはぼ
ろくそ。
その六 下山後はグレンウッド温泉でおもいっきりなごんだ。フリチンはだめよ!
                                (TAKAHASHIヒデオ)

1.04.1995

秋田駒と乳頭山

秋田駒と乳頭山
縦走プランがよいのだけれど
 
乳頭山頂上
 
1995-1-4
メンバー 光、もも、次郎、春水、晴介、アイリ、希沙
 
 夜中に東北道を走って、仮眠し、田沢湖スキー場につく。1000ころ、風はつよいが、まあまあなの
で、秋田駒をめざす。横長根をくだる周遊プランだ。リフト終点からすぐ登る。風が強く寒い。頂上
直下でスキーをはずしツボ足で頂上着。視界わるく、往路をもどる。下山路ですこし迷うが、次郎が
ルートをみつける。
さっさと大湯旅館にむかう。
1-2
0900乳頭山へ向かう。孫六温泉を経由して田代岱山荘まで3時間。
天気がわるいので、休憩後、つけた赤布どおり戻る。林間の滑りが最高におもしろい。ブッシュスキ
イイング。

1996-1-3
メンバー 春水、晴介、アイリ、次郎、もんべる金森 希沙

 正月はやっぱり天気がわるい。スキー場でパウダー練習だ。田沢湖、乳頭スキー場ともに探せばパ
ウダーがかくれている。スキーやボードであそぶ。4日になって日がさす。0830孫六温泉発。偶然に出
あった羽田くんたちといっしょの行動。彼等は田代岱にとまるという。田代岱小屋から、天気はよい
が風の強い尾根を頂上めざす。ほかにも地元のかたが数人。頂上はにぎやか。岩手山が見事。
さっさとくだる。樹間のスキーがたのしい。
昨年はのぼれなかったけれど、やったぜ。春、駒から乳頭までつなげたいね。

1.03.1995

CLIMBING IN PHRANANG,THAI

CLIMBING IN PHRANANG,THAI

正月は鯛、シーサイドでクライミング


1995-1 K
人気のMUAI-THAI BEACHの10.bを登る HIkari
 
メンバー=HIKARI,MOMO,KEI,ITO
東京からプーケットまで飛んで、タクシーを乗り継ぎアオナンへ。さらにボートでプラナン
岬へむかう。陸路がないため島でもないのに舟でいくしか方法はない。

ここにいたるまでも石灰岩の巨大な岩峰がニョキニョキそびえていて、南タイは岩場だらけ
と言い合っていたのだが、ボートが岬に近づくにつれて、あたりの様子がみえてくる。サン
ゴ色の砂浜、ヤシの林、断崖、その断崖がクライミングにぴったりの壁なのだ。

ハイシーズンとあってプラナンのバンガローは満杯状態。汗をかきかき、ようやく空バンガ
ローをみつけて荷をとく。

クライミングショップで最新のトポを手にいれ、それからの4日、私たちは朝夕のクライミ
ングと日中の海水浴を日課としてウダウダとすごしました。

プラナンは日本ではまだ知られていないほうですが、欧米人のあいだでは人気のエリアで、

とくにフラン人が積極的にルートをひらき、いま、250本以上の好ルートがあるとか、グ
レードも幅広く、レベルにあわせてたのしめるしかけになっている。

前傾壁やルーフの岩も多く、今風のクライミングにぴったり。ぼくらにはどちらかというと
不向きな岩場ではあった。
ボルトもしっかりとペッツエルなどがうたれていて、スクールなどもあり。
タイ人のクライマーにパリジェンヌ風の娘がクライミングを教わっている風景もしばしばみ
られた。

1月とはいえ、日中はバカ暑いので、朝と夕方にクライミングするのがよいでしょう。
食堂で食べるタイフードが美味で食べ歩いたり、離れ島にツアーしたり、クラビーの町に遊
びに行ったり、あんまりクライミングはしませんでした。

プラナンのバンガローが日本から予約できるといいのですが。電話がつうじるのでファック
スで頼めるところもありそう。そのほかは問題なし。
エアチケット入手のさい、旅行社に予約を頼むのがよいかも。
トポはカラファテで売っているのをみたことがある。