4.25.1998

シエラハイルート走破行

THE SIERRA HIGH ROUTE
シエラハイルート走破行

北田啓郎

PHOTO BY K-ITO 
 
期間:1998/4/25-4/30
パーティ:ベンジャミン バーディ、マット バーディ、糸尾希沙、真壁章一
          伊藤裕之、渡辺賢二、溝部克実、北田啓郎

日本に記録的な少雪をもたらしたエルニーニョは、カリフォルニアでは季節はずれの
大雪を降らせていた。4月半ばを過ぎてから、ハイルートもかなりの雪が積もったと
の連絡が入り、雪崩や、重いシエラセメントのラッセルなど、前途は多難そうだ。日
本チームはサンフランシスコでいつものようにフォードの15人乗りフルサイズバンを
借り、ヨセミテ経由でフレズノに向かう。本当はタホスキー場あたりで足慣らしをし
てからフレズノに向かう予定だったが、あわただしすぎるスケジュールなので、まず
はヨセミテ観光でお茶を濁すこととなった。ヨセミテは予想外に天気が悪く、気温も
低い。ヨセミテフォールの下にはまだ多量の雪が残っていた。

ハイルート走破の第一関門は、いかに入山下山の足を確保するかである。僕たちのと
った方法はいくつかある中で最も贅沢な方法だ。
まず2台の車で下山口のウルバートンまで行き、バンをデポしてくる。次にフレズノ
から軽飛行機で東へシエラを飛び越える。最後に入山口までは現地のバンサービスで
運んでもらう、というわけだ。飛行機代は1機$800、1人頭にして$180、日本の新
幹線や高速料金と比べ高い気はしない。
飛行機は双発のパイパー機2台。主翼のエンジンルームにスキーとストックがすっぽ
り入るのがとても便利だ。飛行機オタクのニシが珍しい小型機を見つけて興奮しなが
らシャッターを切りまくる。空港は宿にしたホリデイイン・フレズノエアーポートの
すぐ脇にあり、移動には理想的だ。

前夜は酔っ払いながら各自パッキングに努力する。徹底軽量化を自負する糸尾記者の
ザックが意外にも重いことがわかると、土壇場で酒を減らしたりしている。最も若手
のナベちゃんのザックが最も小さく、溝部氏から一言があったり、今回は皆いつにな
く重さにナーバスである。真壁氏、ベンさんは体力に自信があるのか、結構でかいザ
ックである。
シアトルから夜遅くにマットさんが到着。仕事が忙しそうで、ホテルに来てからどた
ばたと装備を点検している。マットの荷物は一番でかく、その中にはこれからお世話
になる貴重な装備がぎっしり詰まっていたのだが。

4月25日、出発の日、6:30起床。ホテルの甘すぎるドーナツとコーヒーで朝食を済ま
せ、ベンさんの車で3回に分けて荷物を運ぶ。パイロットは日本にも来たことがある
という退役軍人だ。
9:30、いよいよフライトである。飛行高度は4、5千メートルくらいか、登山者がいれ
ば見えるくらいにまじかに稜線を越えてゆく。先行した機とは少しルートが違うのか
、機体は見えない。僕の機はいちどエアーポケットに入り、シートベルトをしていた
にもかかわらずおもいきり天井に頭を打付けてしまった。
着陸地は、昨年も通ったインディペンデンス。シエラクレストを越えると、機体はお
おきく北に旋回し、はるか下方に箱庭のように見える滑走路をめがけて、高度を下げ
ていく。シエラ山脈の東と西では、景色がまったく違う。こちら側は、乾燥しきった
砂漠地帯、インディペンデンスはその中のオアシスである。
待ち構えていたバンサービスのトラックに荷物を移し、すぐに出発。すぐに埃もうも
うの砂漠の中の、ジープ路らしきを進む。
入山口はシムスクリークだが、地図で確認するとかなり山の近くまで入ってくれたよ
うだ。辺りはガラガラヘビでも出てきそうな砂漠で、トラックが2台デポしてある。
ここで最初のトラブル発生。真壁さんのストックがないのだ。共同で荷物の積み下ろ
しを繰り返したから、車か飛行機かに置き忘れたに違いない。車は行ってしまったの
でもはや戻る方法はない。ストックがなければ歩けない、真壁さんの頭の中は真っ白
になったに違いない。

しかし、神は真壁さんを見放さなかった。マットさんが出発前に悩んだ末、予備のス
トックを持ってきていたのだ。
                            ***
ひとりずつ準備が出来たものから歩き出す。山の上は雲がかかっているが、頭上は砂
漠の青空である。サボテンなどを踏みながら雪のない山路を歩く。徹底軽量化をはか
ったザックだが、一週間分の食料とスキーまで担ぐと、25キロぐらいあるかもしれな
い。クリークを離れ急傾斜をジグザグに登ると、やがて雪が現れ、スキーをはく。27
30mのシムスサドルにでると、目の前にMt.ウィリアムソン(4313m)が聳え立つ
。確かアメリカ本土で第2の高峰である。その右肩はるかに、明日越えるはずの第一
の難関、シェファードパスが望まれる。ここから幕営予定地のマホガニーフラットま
では予想外に長く、一度シェファードクリークに向かってかなり高度を下げ、再び登
りかえさねばならなかった。
                             ***
2日目は、シエラクレストと呼ばれる主稜線を越える難行が待っている。シェファー
ドパス、3600mである。
アンビルキャンプ手前の急斜面でロープを使用する。岩の迷路となっているモレーン
帯を苦労して抜けると、パスに続く急斜面が立ちはだかる。といっても最大傾斜40度
くらいだろうか、アイゼンピッケルを使用すれば難しいわけではない。しかし荷物の
重さと高度になれていない身には結構つらい。コンディションの良い者といまいちの
者の差は大きく出る。
真壁さんが最初から絶好調である。他を寄せ付けない速さで登ってゆく。糸尾記者は
半分ぐらいまでシール登高しきわどいバランスでアイゼンに履き替えている。マット
、ベン、ナベ、北田、ヒロあたりはまあまあの調子だが、溝部氏とニシが大きく遅れ
ている。溝部氏の昨年のあの馬力は何処へ行ったのだろう。ニシはまあこんなものだ
ろう。
登りきると広大な雪の砂漠のような地形が現れた。カーンリバーまでほぼ平坦か少し
下り。シールを剥がし、一人遅れているニシの姿を、はるか後方に確認しながらキッ
クアンドグライドで快調に先を目指す。少しでも下り傾斜だとスキーはほんとに楽だ
。
日が西に傾くなか、クラストがはじまった斜面をひとくだりすると、池のほとりに平
らな第2日目のキャンプサイトが見つかった。雪を掘り氷を割ると、うまい具合に水
が現れた。いつものように小型水浄化器で汲み上げる作業をする。まわりは樹林帯で
、日本でいえば黒部の源流でキャンプしている感じだろうか。陽が落ちるとあたりは
急速に冷え込んでくる。そんな中ベンとマットは最後まで外で夕食をとる。温度感覚
はアメリカ人と日本人ではかなり差があるようだ。
                            ***
三日目は第2の難関マイルストーンのコル(3900m)を越え、トリプルディバイドピー
ク下までの予定で出発する。ここからがハイルートの核心部である。シエラクレスト
の西、シエラのど真ん中にはしるグレートウェスタンディバイドをたどるからだ。1
、 2日前に通過したらしいシュプールがあり、気楽な気分で出発したが、地図をよく
見なかったのが災いし、かなり進んでから、一本南の谷に入り込んでいることがわか
った。周囲の景色は素晴らしく、このまま進んでも方向的にはよいのだが、たぶん最
後のつめが急で苦労するだろう。マイルストーンクリークとこの谷を隔てている尾根
の弱点を探し、そこを越え、正規ルートに出れないか偵察をする。尾根上に出ると、
反対側はかなり急ながけになっていた。アメリカの地図は、等高線のみで、日本のよ
うに岩記号がないので、行ってみないとスキーが使えるかどうかわからないのだ。

結局、マット隊は尾根を忠実に数百メートル下り、結構な急斜面をスキーで下降し、
トラバース気味にマイルストーンクリークの上部へ出るルートをとる。北田と記者、
ニシの3名は、尾根の手前のよい斜面をスキーでどんどん下り岩場のきれたところか
らマイルストーンクリークに回り込んだ。登り返しがけっこう長かった。正規のルー
トに出た時は、かなり時間が経っていた。今日中にマイルストーンのコルを越えたか
ったが、何か緊張の尾が切れた感じで、コルのかなり手前の池のわきで3日目のキャ
ンプとなった。
雲一つない晴天が続き、風もない心地よい春の午後、周囲の景色も申し分ない。休養
のタイミングとしては良い決定だろう。惰眠をむさぼる者、装備やふやけた足の虫干
しをする者、お茶にする者、さまざまだ。元気が余っている若手のナベとベンがスキ
ーを始めた。荷物がないと気持ちよさそうだ。ナベが目の前の岩に挟まれた少クリフ
に挑戦しようとしたが、土壇場でチキン状態になってしまった。MSRストーブの通を
自任するニシのXGKがこの日不調になった。あれこれいじっても直らない。お湯も作
れないで困っていると、マットがそのでかいザックの中から、なんとスペアのコンロ
を出してきた。マットは寡黙な男だが、実に頼りになる。
                             ***

4日目。今日こそ核心のグレートウェスタンディバイドをぬけ、ハイルートの後半部
に入ろうと、勇んで出発する。東面に向くマイルストーンクリークは早くから陽が差
し、アンダー1枚で歩いても寒くない。ナべがオーバーパンツを脱ぎ、パンツスケス
ケのアンダータイツ姿で歩き、顰蹙を買っている。

コル手前までに2ピッチ、傾斜がきつくなる手前でアイゼんにはきかえ、急な雪面を
トラバースする。コル自体は狭い岩尾根で、反対側はマイルストーンボウル。出だし
は40度くらいの急傾斜である。
ザックが重いので、とても華麗なテレマークターというわけにはいかない。慎重にデ
ブリを避けトラバースし、途中から気持ちよくターンをきめる。あまり下りすぎない
ようにし、トラバースに入る。稜線の下の急なカールの側壁をひたすら斜滑降する。
その先コルビーリッジを越える場所を探し、再び迷ってしまう。比較的上部の急な雪
面をアイゼン登高するか、岩場を下方まで回り込みスキーで越えられそうな弱点を探
すか、意見が分かれた。結局かなり下までスキーで下る案を試みたが、回り込んだ先
が岩壁で越えられそうにないことがわかり、昨日に続きまたまたシールで谷を登り直
す。リッジを越えられず、この日も核心手前で時間切れとなり、3300m地点でキャン
プにする。ハイルート手強し、といった感じだが、天気がよいので、悲観した意見は
出ない。明日こそ、である。
この辺りは熊の新しい足跡がたくさんあり、食料はまとめて木の上に吊るした。
                                ***

5日目。東に面した谷なので、早くから陽が差し、尾根の上部も輝いている。コルビ
ーリッジの乗っ越しは見た目ほど悪くなかった。 尾根上の出たところは約3650mの
地点。広い尾根で、ここからスキーが使えそうだ。スキーを付ける。少し下ってから
、再びえんえんとカールの側壁をトラバースである。はるかかなたに見えたトリプル
ディバイドピークがどんどん近づく。山容とそのこなし方にようやく慣れてきたせい
か、今日は行動が順調だ。 

トリプルディバイドパスまではシールで達する。反対側は岩交じりの急斜面。偵察の
結果スキーで滑降可能と判断し、岩の間で慎重にスキーを履き、思い切ってジャンプ
ターンで1回転する。雪は硬いが、エッジは効き、2,3回転するうちに傾斜も落ち
てくる。すぐ下がグレイシャーレーク。ようやくグレートウェスタンディバイドの山
場を越したので、ここで行動食を食べながら今日の行動予定を話し合う。予定より1
日遅れているのと、天候が崩れた時のこの先の行動を考えへ、今日は頑張ってロンリ
ーレイクまで足を伸ばすことに決定する。
ライオンレイクのコル下へ降りるのは、アメリカチームは岩場の下の急斜面をスキー
で回り込み、日本チームは岩場の上から岩交じりの急斜面をアイゼンで下った。ニシ
が不安定な雪を踏み外し、危うく谷へ転落しそうになり、一同肝を冷やす場面があっ
た。  
行く手にはクラウドキャニオン上部のとてつもなくでかいカールが広がっている。1:
30、巨大な二つのカールをトラバースしなければ、今日のキャンプ地はない。クラウ
ドキャニオンはシールでひたすら歩き、カッパーマインパスはアイゼンで登る。デッ
ドマンキャニオン側は急だがスキーで下れそうだ。トラバース気味にひとりひとりス
キーを滑らせて行くが、最後のほうは上層の雪が落とされて固いクラスト面が露出し
、谷底へ落とされそうなトラバースであった。

デッドマンキャニオンは半分までシールなしで滑れたので時間が稼げた。特徴あるフ
ィンパスをスキーのままで乗り越すと、今度は先ほどまでと逆の方角に開いたカール
に出る。その真ん中がロンリーレイクだろう。もちろん今は雪の下だ。
低い樹木が出てき、山場は越えたことを実感する。トラバースばかりでうんざりして
いたが、ここはキャンプサイトまでいっきに滑れそうである。一人二人とスキーを下
に向け、思い思いのシュプールを描く。雪質は柔らかめのコーン。最高の気分だ。17
時、陽はまだ十分に標高3200mのキャンプサイトを照らし、風もなく、空には長閑な
お天気雲が並んでいる。
これで5日を無事消化、残るは2日だ。ぼちぼち余りそうな食糧を整理するものも出て
、気分は一路下界とビールへ飛んでいる。前半やや不調だったニシと溝部氏は調子を
戻し、代わって伊藤記者が胃炎で調子をおとしている。絶好調は真壁氏とマット、そ
の他はまあまあの調子だ。
マットがしぶとく水の湧き出ているところを発見したので、炊事はぐんと楽になった
。大きな岩の下を、耳を澄ませると確かにちょろちょろ水の流れる音がする。浄水器
の管を隙間に落とし、ポンピングするとおいしそうな水がボトルに溜まっていく。ポ
ンピングをボトル3本もやるとさすがに腕がパンプしてくる。ニシと二人で鼻水凍ら
せながら、皆のボトルに水を溜めるのに30分以上かかってしまった。それにしても、
春のシエラでは小型浄水機は必携品だ。僕の使用しているなはスイートウォーター・
ガーディアンというモデル。コロラド製だ。ポンプがテコの利用で使いやすい。
                           ***
6日目。今日の予定はペアーレイクハット周辺まで。基本的に下りだから気分はるん
るんだ。いよいよ高山地帯を離れる日だ。さびしくもあり、うれしくもある。
下り気味のトラバースからテーブルランズに登るが、谷を隔てた南側は、グレートウ
ェスタンディバイドの高峰が重なるように連なり、眺望は並外れたものだ。
ペアーレイクハットへ導かれる谷に入るまで、かなり複雑な地形のためルートを探す
のに苦労したが、ルートがはっきりすれば、後は速い。マットを先頭に緑が増えてき
た広い谷をぐんぐん滑り下る。
雪の腐った急斜面に思い思いのシュプールを描くと、小屋である。ペアーレイクハッ
トはレインジャーの小屋で、一般の宿泊はない。周りをアルプス風の岩峰に囲まれた
瀟洒な山小屋だ。
小屋を過ぎると樹林帯だ。最終キャンプの場所はこの辺に予定していたが、皆の足は
下へ向いたまま。このまま後数時間下れば、ハイルートの旅は完成するのだと考える
と、ここで泊るという主張にほとんど説得力はなかった。
 雪の腐った樹林帯をわれわれはひたすら下りつづける。苔むしたセコイアの樹林は
 結構長かったが、結果、2日分を1日で滑り降りてしまう。
16:35、一人の落伍者もなく9名はウルバートンの駐車場に残した懐かしいフォードの
前に滑り込んだ。
シエラハイルート、シエラバックカントリーツアーの最終目標と言われるコースに、
好天に恵まれ、僕たちはまんまと成功した。(北田啓郎、1999/1/11)

4.22.1998

ハイシエラのスキー縦走

THE SIERRA HIGH ROUTE

ハイシエラのスキー縦走
奇跡の晴天、天はわれらについた
  
Skiing and camping at Mileston basin
 

1998-4-22.5-7
メンバー 北田、溝部、真壁、渡辺、西原、ひろゆき、ベン、マット、汽車

昨年に続きカリフォルニアのシエラに春スキー遠征することになった。
メンバーは昨年とおなじ。さらにベンちゃんのお兄さんマットも参加するという。総勢9人の
大部隊だ。日米合同ハイシエラ横断隊と名前をつけておこう。
ヨセミテ見物などしながらサンフランシスコから南下。フレスノでバーディ兄弟と合流。
4-24
前日、V8の14人のりの巨大バンをセコイアナショナルパークの入り口ジャイアントフォレス
トに置く。何日かのちにここに下ってくることになる予定なのだがどうなることやら。マーキ
ュリーというロコ航空会社の小型機2台をチャーターしてフレスノから編隊飛行でシエラを東
にひとまたぎ。45分のフライト。もどりは1週間の予定。1600ドルのチャーター代だ。
インデペンデンスの飛行場で予約していたトラックに分乗してシムズクリークのトレイルヘッ
ドへ。11時には歩き出していた。砂漠からのスタートだがやがて雪が出てくる。20キロ近
い重荷と高所のせいか足取りは鈍い。先が思いやられる初日ではある。2700メートルのマ
ホガニーフラットまで、6時間ほど。水がとれるのがうれしい。ウイリアムソン山が大きい。
ウイスキーをなめてテントにたおれこむものも。ぼくは調子がよい。

4-25
シェパードパス越え。いきなり3600メートルの峠越えで、高所に弱いものにはアゴがでる登り
だ。朝晩の寒さは格別だが日中の暑さも格別。長いゆるい下りに入り、カーンリバーに滑り込
む。行動時間8時間。バテ気味。ぼくは調子よし。

4-26
朝いちで登り始めたマイルストーンクリークが、枝沢で間違いと気がついたのが11時ころ。
ひと尾根まわりこんでマイルストーンベイスンにたどりついたのは2時ころ。きょうはここで
テントを張ることにする。とてもこれから4000メートルちかいマイルストーンパスを越え
られるものではない。シエラ山中の無名湖畔の快適サイト。くらくなるまでのんびり過ごす。
連日の好天が救いだ。今日の行動時間5時間。

4-27
本日も晴天。マイルストーンパスを超える。峠直下のカールの急斜面を快適のすべる。カワエ
ピークからのびる大きな尾根をこえる場所がわからず、うろうろしているうちに日がくれてく
る。どうやらかすかなトレイルがみえるヤバそうな斜面をこえるらしいと分かったところでテ
ント泊。熊の足跡があるので完全なベアぷルーフを実行。行動時間7時間。
2日間で予定の1日分も消化していないのであせる。連日の好天が奇跡のようだ。ぼくは胃の
調子がよくない。

4-28
早起きして、真壁絶好調で問題の急斜面をこえる。巨大なカールを大胆にトラバースしてトリ
プルディバイドパスへ。パスをこえると再びカールの急なすべり。気合いで滑る。さらに長い
ゆるいトラバースがあり、アイゼン、ピッケルをつかった登り下りがあり、さらに超巨大なカ
ールを等高線ぞいにトラバースして、三たび峠をこえ、さらにもっと巨大なカールを4、5キ
ロか、大トラバースしてパスをこえロンリーレイクに滑り込む。いっきにきのうおとといの遅
れを取り戻した勘定だ。数日まえのかすかなトレイルがあるおかげ。奇跡の晴天のおかげ。じ
つはこの先行するトレイルを怪しいものとして見ていたわれわれだが、このころには、これは
経験深いガイドに率いられたパーティのものであろう、と確信する至る。
ロンリーレイクからは遥か西に海岸平野のひろがりが見える。先がみえた感あり。胃の調子最
悪で、さけ茶漬けでしのぐ。酒ものまず。持病の胃炎らしい。きょうも人にあうことなし。

4-29
奇跡の晴天はきょうも続く。とはいえ昨夕のうろこ雲といい、きょうの北の雲といい、そろそ
ろ悪天のきざしがのぞきはじめている。
地図をみて先行のかすかなトレイルをみてわれわれはすすむ。立山弥陀ガ原の数倍の大きさは
あるかと思える巨大複雑地形を紆余曲折して進む。昼ころにはペアレイクのレインジャーステ
ーションに到着。さらにひと登りしてヒーサーレイクへ。
荷物も軽くなったいきおいでルート最後のハンプの急登をこえ、2日分を1日で稼ぐ自信がつ
いたわれわれは、雪崩のように、V8バンのまつジャイアントフォレストへと滑り込む。あっけ
なく駐車場に着。16時。意外とらくな最終日だった。ここでテント張るのもまぬけと、スピ
ードドライブでフレスノのトラベルインにチェックイン。シャワーをあびて近所のファミレス
で祝杯をあげたのは22時。

天はわれわれに味方した。
翌朝から帰国までの数日間、カリフォルニアはここが常春の国かとおもうほどの梅雨寒の雨ま
じりの毎日だったのだから。
このシエラハイルートは、熟知者が好天を狙って軽装で快走すればおそらく4泊5日で抜けら
れるかもしれない。ただし悪天に捕まえられたら当分帰ってこれない可能性はある。なにせエ
スケープルートなし、避難小屋なしなのだから。さらに、一旦降雪があれば、行程の半分以上
をしめる大トラバースルートは雪崩の巣となるのも間違いないだろう。以上、ぼくの感想です
。

バーディ兄弟と別れ、余った日々をわれわれタホ方面へのドライブとしゃれるが、天気悪く、
ヘブンリーバレーでもスキーせず、各地のアウトレット荒らしで過ごす。サンフランシスコの
ユニオンスクエア周辺での活動がわれわれのフィナーレともいうべき行動だったといえよう。

4.12.1998

小黒姫と守門岳のスキー

 

SKIING IN SUMON,KOKUROHIME IN NIIGATA

小黒姫と守門岳のスキー
少雪で下部はたいへん
 
 sumon peak
 
1998-4-12.13

4月11日 白石、次郎、ひろゆき、汽車
守門山塊ともいうべくこの山は大きい。いくつかのピークが連なっているが、山スキールート図
集にほんのちょっと紹介されているのが、黒姫。守門の東、1367メートルの山だ。浅草山荘
からその連なりがみえる。
よし、あそこまで、と浅草山荘をでる。クルマで5分も走ったところが出発点。標高480メー
トルを900にでる。林道をゆく。大快晴だが、フェーン現象かなにかで異常にあつい。下黒姫
沢におりるが、激流が流れていて、行き詰まるたびに高巻かなければならない。山腹トラバース
にかえるが、小沢をこえるのに四苦八苦。なんとか、下と上の黒姫沢をわける尾根にとりつき、
春スキーらしくなる。急登をいき稜線にとびだす。つぼ足の登山者のあとがある。2時に132
8メートル峰に達す。黒姫は稜線縦走してさらに小1時間か。ダウンヒルを楽しむなら、このピ
ークで充分と考え、仮に小黒姫と名付け、一服。守門から、ガイドつきの登山者が数人下ってき
た。230滑走開始。来たとおり下って、取り付きにもどったのが430。けっこうくたびれた。

4月12日 白石、次郎、小俣、五味、ひろゆき、汽車
SLランドで握り飯の朝めしをいただき、田小屋へクルマ一台配車したあと、大白川の大原スキ
ー場まで行く。東京からきた、小俣、五味がコーヒーをのんでいた。少雪で今日で閉鎖か、スキ
ー場。うえのリフトまで車であがり、230円でリフトにのる。
今日も大快晴、ラッキーな2日間になりそうだ。シールをつけて、標高650メートルを900
スタート。急登ではスキーをかつぎ、がんがん登る。大きな尾根にでて、一服。守門本峰袴岳ま
では1時間。頂上着1230。大岳方面にスキー登山者が2グループみえる。頂上にも2人ほど
。たっぷりやすんで、下りにかかる。大岳のボウルをちょと滑り、登ってきた尾根にトラバース
、さらにどんどんくだり、藤平山から田小屋コースをとる。ぐさぐさの雪だ。900メートルま
でくだって、スキーをかつぎ、がんがん下る。大池までおりてスキーをはき、林道をくだる。田
小屋への登山道にはいるが、不明りょうになり、結局、地図どおり田小屋手前のシェイドにでて
しまう。500メートルほど歩いて、朝置いた車と対面できた。あたりにはフキノトウが群生し
ていた。入広瀬の穴沢の寿和温泉で汗をながす。
次郎も元気、メンバーも満足の2日間だった。

4.04.1998

小川山父岩

小川山父岩のニュールート「カンペキな父」
混雑解消に朗報
 
完璧な父
 
Date: Mon, 4 Apr 1998 

昨年11月から12月にかけて小川山の父岩にル-トを1本設定しました。このカ
ベは「北山真ワ-ルド」ともいえる人気のエリアでどのラインもシ-ズン中は順番
待ちを覚悟しなければなりません。新しいル-トは「タジャン2」と「岩壁の父」
の隙間を埋めるものです。しかし、下半身デブのカベですから、下部の縦ダイクに
着目したのは良かったのですが、上半は論理性よりも両側のラインとの干渉ばかり
が気がかりになってしまい、やや窮屈な印象は否めません。ただリ-ドしてみると
、ポイントが多くて(10a程度のポイントが5、6箇所ある)仮に左右のル-ト
のホ-ルドを使ってしまっても易しくはなりませんから、自然とボルト沿いに登る
ことになると思います。グレ-ドは10bとします。7本目のボルトは「岩壁の父
」のものを使います。ヌンチャクはランナ-だけで9本必要です。5本目、ないし
6本目のランナ-は少し長めにした方がロ-プの流れはスム-スです。スタ-トは
「タジャン2」の右で、1本目がRCCボルトになっています。スケ-ルは27m
。50mロ-プ1本でトップロ-プを行う場合はビレイヤ-が「岩壁の父」の取り
付きのバンドに上がらなければなりません。
なお、きちんとリ-ドしたのはこの4月4日で、取り付きは膝までの雪、壁のあち
こちにはベルグラ、ツララがまだ冬の名残を残していました。
ル-ト名は、父親のカガミである私に因んで、当然「カンペキな父」、..ギャハ
ハ。
:伊藤
(開拓者:伊藤&安田)

ATTENTION:
ルート長は27メートルなので、トップロープは50メーターロープが必要で、確保者
が前述のとおり右上のバンドにあがると、ぎりぎりで可能。
注意してほしいのは、リードクライミング後、ロワーダウンで降りる場合で、当然、
降ろされる人は右上のバンドにぎりぎりで着地することになる。確保者は取り付き点
まで数メートル登る必要があるかもしれない。
またロープ末端を8の字結びにしておくこと。