12.31.1996

焼山と八幡平

焼山と八幡平
真冬でも天気さえよければハイキング状態

国見台を滑る
 
焼山1996-12-31

メンバー 奈良淳、小田切清十郎、春水、五味隆登、アイリ、次郎、北田紘一、北山一男、希沙

 0830御生掛温泉の裏の急登をのぼり尾根にでる。よい天気。国見台まで軽いラッセルを楽しみながら
登る。温泉でばったり会った北田、北山コンビもいっしょだ。久しぶりのいっしょの山。ヴェテランが
ガイドだからこわいものなし。国見台で空模様をみて、さきにすすむ。

 焼山まではふきさらしの広い尾根をのぼりくだりのぼり、1100ころ着。ランチ。天気がよいので頂上
周辺でひと滑り(行き帰りともあまり滑るところはないのです)。八幡平、森吉山、秋田駒、岩手山な
どよくみえる。

 往路と同じ経路で帰還、1400。国見台から温泉まではそれなりに滑りを楽しむことはできる。
天気がよかったから、どうということはなかったけれど、荒れたら、国見台から先は行きたくない。
温泉に5日間いて晴れたのはこの一日だけ。


八幡平1997-2-10 

メンバー 羽根田、アイリ、次郎、希沙

 御生掛温泉には何人か知り合いがいた。天気がよいので焼山へいくという人が多い。ぼくらは予定通
り、八幡平の頂上へむかう。0830。とはいってもまず秋田八幡平のスキー場でリフトにのる。リフト終
点から磁石をあわせそのまままっすぐ八幡平頂上にむかう。地図にあるとおり、すぐ急斜面にでくわす
、くだって、アスピーテラインにでる(実はスキー場から斜めに下る林道があったのだ)。

 赤布がありそれにしたがって頂上へむかって直登。延々とだらだら登る。ラッセルもらく。天気もよ
い。ここも悪天には絶対訪れたくないところ。アスピーテラインの端をかすめて登る。頂上展望台は雪
の上にでていた。大沼湖畔の陵雲荘に表敬訪問してから登りなおし、往路をくだる。

下りはほとんど直滑降。あまり回転するようなところはないが、雪はいいし楽しくないことはない。
ライトなテレマークスキーがぴたっりだろう。1500ゲレンデ着。
 
 二つの山とも、天気さえよければこわいものなし、の「スキー登山」だった。

12.30.1996

キリマンジェロ登山

Mt.Kilimanjaro

キリマンジェロ登山
榎本 康二
キリマンジェロの雪
 

       ウフル・ピーク(5895m)  ギルマンズ・ポイント(5682m)
                        ―◎――――__◎______
                     /     /  ∥               \
                   /  氷河    /      ∥急登           \
                 /____  /      ∥                   \
               /                  ∥                       \
             /                  ▲キボ・ハット(4703m)        \
           /                    ∥          /\/\/\     \
         /                        ∥      /    \  \         \
       /                  砂漠     ∥  /マウエンジ峰\          \
     /                           ∥               (5149m)           \
   /             /          ▲ホロンボ・ハット(3720m)
                /         ∥
            /        ∥
                    ▲マンダラハット(2727m)
                  ∥
               ∥
            ▲マラング・ゲート(1770m)
          ∥
        ∥マラング(1550m)


1996年12月に、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ・キボ峰に登って
きました。コースは、一般ルートのマラングルート。標準4泊5日のトレッキ
ングです。私は、日本ですべて手配したので、割高になりましたが、時間があ
る方なら現地でツアーの手配をした方が安いです。ディスカウントも交渉次第
。

日本から一人で行った私は、現地で、イギリス人2人組と一緒のパーティーと
成りました。会話はすべて英語。頭痛い!あと、ガイド・ポーターが6人とい
うのが我がチームです。

出発点マラングゲートは、標高約1800m。入山届けを出して出発。マンダ
ラハット(2700m)は、4人定員の三角屋根の小屋がいくつもあり、山小
屋というよりキャンプ場のバンガローといった感じである。日本の山小屋の様
に詰め込まれないのはうれしい。各小屋は、ソーラ発電システムで電気が点く
。

翌日はホロンボハット(3700m)まで。まず、マウエンジ峰(5149m)が見
えて、しばらく行くと、遠くにキリマンジャロ・キボ峰の台形の姿が見えてく
る。山頂ある氷河はあくまで白く、「あれがキリマンジャロの雪か!感慨に浸
ってしまう。ホロンボハットは、同じ4人定員のロッジ群であった。下山者も
泊まるため、人が多い。私は他のパーティーの部屋に泊まる。このパーティー
は日本人で、その内の一人がテレマーカーだった。キリマンジャロでテレマー
ク談義で盛り上がる。(^_^;)

翌日、ホロンボハット(4700m)まで。同宿だった日本人は、もう一日こ
こで泊まり、高地順化するそうだ。お金と暇のある人は、その方がとあと楽に
なる。小さな丘を登ると草原はそこで終わり。そこから先は「THE SADDLE」と
呼ばれる赤茶けた岩と砂の砂漠である。キボハットに約1時に着。ここは、部
屋は1軒の建物にあるのだが、各部屋には2段ベットが入っていて、定員は守
られる。何度も書くが、日本の山小屋も見習って欲しいものだ。

夜中に出発して、ギルマンズポイント(5682m)を目指す。頂上近くで、
5000m以上の澄んだ(薄い)空気の朝焼けである。やはり、鮮やかな(よ
うな)気がして感動物である。ほんとに美しい日の出であった。6時30分、
ギルマンズポイントについに到着。しばらく休み、最高峰ウフルピーク(58
95m)へ。約1時間で、アフリカ大陸最高峰へ。夢にまで見た瞬間だ。下り
は、同コースを1泊で歩き通す。休みが無く結構きつい。また、キボハットま
での道は、いわゆる砂走りで、埃がすごい。

12.21.1996

栂池自然園

栂池自然園あたりをベースにスキー遊び
ゴンドラであがって山中ゆっくり、2ルートしかないか?
 
栂池自然園上部で
 
1995-12-23-25
メンバー 東京テレマーカーズ  SEIJO BCSC

23日入山。朝、栂池スキー場のゴンドラにのる。、栂の森ゲレンデには1000ころ。林道入り
口に荷物をおいて、ゲレンデで深雪の練習ができる。
ゲレンデから早稲田小屋経由成城小屋まではラッセルがなければ1時間の行程。小屋をあけ、小さ
なパックで天狗原まであしならし。深くて重い雪をすべる。
24日 あきずにこの日も天狗原へ。乗鞍まではもうひとのぼりだが、天気わるく、パフパフ雪をえ
らんで滑り降りる。
25日帰京。

1996-12-21.23

メンバー 東京のテレマーカー  SEIJO BCSC
21日 スキー場で遊んだあと、入山。天狗原まで一本。
22日 栂池自然園から船越の頭方面をめざす。2301メートルの金山沢の源頭で昼、おおむね往
路を滑りくだる。
23日 前夜から大雪。吹雪の中をラセッルしてくだる。栂の森ゲレンデまで2時間もかかってしま
った。
 
 このあたり、この時期、充分のパウダーがある。成城小屋あたりをベースにすると、乗鞍方面と
船越のコル方面の2ルートが考えられる。毎年ほかにもよいルートはないかと考えているが名案は
いまだに浮かばない。

11.23.1996

幕岩の静かな岩場

幕岩の静かな岩場
k
illiust:Mitsuo Nakamura
 
幕岩の季節は秋から春まで。ちょうど小川山で岩登りができなくなる時期。ほかにもいろいろ
なところがあるのだろうが、東京の西側にすむものには手ごろなゲレンデだ。

城が碕はちょと遠いし、車置き場の問題もある。だいいち難しいところがおおい。そんなわけで
、毎年、幕岩へでも、ということになる。
 最近、園地化がすすみ、なんと駐車場が有料になったとか。土日には講習会もおおく、おおに
ぎわいだ。
 開拓者の努力で、上部にもよい岩場があるらしい。と赤本ガイド片手にサイレントバレーへと
えんえんと登ってみた。

96年11月23日
 昨年、一度ここへきたことがある。なにもかわっていない。10台がいくつかあって、われわれ
にはちょうどよい。入り口の『風の谷』で一日過ごす。
ちょと奥に5.6メートルの岩があって、ルートになっている。ウオーミングアップ。『ステンレ
ス』5.9,『オズ』5.9.

『風の谷』5.10aは上部でちょと微妙なところあり。『まりや』5.10bは去年あっさりのぼった
のに、つまってテンション。よくみたらよいホールドがあった。クライミングはレベルを維持
するだけでもたいへんだ。厳しいスポーツ…。

 仲間は登れたり、登れなかったりいろいろ、それぞれ自分の課題に励んでいる。初めてトライ
する『岳人列伝』5.11aはオンサイトといいたいが、たしかワン・テンション入った、ような気
がする。

 サイレントバレーというだけあって、だれもこの日はこない。
ここまできて小グループとはち合わせしたら、どうしようか。トポにはまだまだ奥に好ルート
があると書かれている。
いつか、またこよう。(K)

11.16.1996

CLIMBING IN JOSHATREE-NP

CLIMBING IN JOSHATREE-NP

カリフォルニアのジョシュアツリーでクライミングしてきました
糸尾汽車
 ECHO-RECK5.9を登る チュー
 

 カリフォルニアのジョシュアツリーでクライミングしてきましたのでかんたん
に報告します。とはいっても実質3日なのでたいしたことは言えません。

 いつぞやのクライミング誌にジョシュアツリーの記事が出ていて、世界でもっ
ともルート数が多く(5000本!)、もっともたくさんのクライマーに親しま
れている岩場と、紹介されていたきがします。LAにちかい場所柄、しばしばパ
タゴニアやBDのカタログにも登場するおなじみ岩場です。前回いったときはナ
ショナルモニュメントだったのに、今回はしっかりとナショナルパークとなって
いましたので、格上げされたのではないかとおもいます。

 岩場は小川山とおなじかこうがんで水晶やダイクなどがみられ、おなじみの形
状の岩です。スラブとフェイスが多く、前傾はほとんどなし。クラックは豊富で
す。10余箇所のエリアにわかれていて、車を使って移動します。岩場は無数と
いっていいほどあります。砂漠地帯で、ジョシュアツリーというサボテンとヤシ
の木のあいのこ状態の珍木が無数にはえていて名所になっているのです。キャン
プするだけでも面白いかんじです。今ごろがあつくもなくさむくもなく丁度よい、
とか。

1996-11月16ー19日 毎日晴れ。
メンバー 光、桃、徳池、チュー、ケイ、丸山夫妻、ペンバ、テンジン、KISYA

 29パームツリーのビジターセンターで現地集合。アメリカ在住組もふくめ、
あちこちから車3台で集まってきた。日本人8人、ネパール人2人。半分はクラ
イミングビギナー。
初日は人気のエコーロックエリアで終日つぶす。土曜日なのでにぎやか。トップ
ロープでやっている人がおおい。ぼくらは10台を何本かのぼる。うまーい。と
アメリカ人にほめられる。
夜はキャンプ場でたのしむ。

二日目。ヒドゥンバレーとヘミングウエイロックで楽しむ。やっぱり10台中心。
有名なルーズレディは10Aに格上げされたらしい。マラ岩状露岩で小川山ストー
リー的クライミング、女の子も見事リード。小川山ストーリーよりぜんぜんむず
い。風が強く、気分はパイネだね、とだれかがいっていました。ヘミングウエイ
ロック組は三つ星11Aをドテンションで登る。どこでもそうだが、ランナウト
する所が多く、プレッシャーにまけてしまうのだ。

3日目。クラッックもと、光と徳地がインターセクションロックのスキートラッ
ク11A,10Cにトライ。ぬける。若者二人がその脇をフリーソロでいくのがすごかっ
た。トポでみると5、7。とはいえ50メートルの露岩、半端ではない。やはり
うまい人もいるのだ。午後はインデアンコーブで楽しむ。
 公園入口のノマッドヴェンチャー店で頼まれたニューUFOを2足かう。15
0ドル。そのほかまとめがいしたら、お兄さんが気前よくいろいろとお土産をく
れた。ここで解散。


 3人ほど、自称イレブンクライマーがいたはずなのですが、結構むずかしく感
じられ、さらなる精進をと鞭うたれました。小川山感覚で楽しめる僕ら好みのと
ころですのでまた行きたいとおもいます。でも僕の場合、つぎはやっぱりヨセミ
テでミーハーか。
 
 データ:LA中心から10号を西へ。3時間のドライブ。定員制のキャンプ場
豊富。無料、水なし。ただし週末は満員。公園そとにモテル豊富。トポ立派なも
のが10冊ほどでまわっている。

9.15.1996

小川山の静かな岩場

小川山の静かな岩場
ito kisya
modoki rock-area
 
 シーズンになるといまでも小川山、正確には、金峰山川西股沢廻り目平周辺の岩場はにぎやか
だ。
かつてほどの人気はないが、それでも、前傾壁はジムだけで充分、程よい傾斜、程よいホール
ドのルートがのぼりたい。そしてなによりも、きれいな自然のなかで岩登りを楽しみたいとい
う人には相変わらず親しまれている。

混雑はいやだ、兄岩やマラ岩、2峰あたりはのぼりあきた、という人もおおいだろう。そんな
わけで、ちょと、はずれた岩場で登りました。

1996年9月15-16日
もどき岩にいく。岩と雪の100岩場にはもちろんしっかりのっている。キャンプ場から遠い
からすいている。
左岩スラブの上部にあるが、入り口はヴィクターのある沢を通らず、もっと手前、カモシカ遊
歩道(小川山新コース)からぐんぐんとのぼっていく。
スラブとフェイスで、10a.10c.10dがあり楽しめる。その右の11cというのが、実はたいへんお
買い得で、となりのルートとそれほで差をかんじなかった。
1ピッチめトラバース、2ピッチ目スラブでもどき岩の頭にでる「南回帰線」は10Cで面白い
。
なりゆきで土日2日間もここにいってしまった。

9月29日
最高峰ルーフ。ここも昔いったよなあ、という人がいるかもしれない。小川山レイバックをの
ぼってから、いってみました。ちょとカビくさい感じがしたけれど、ま、とにかく静かでした
。「なでし」11aは出だし核心。宮崎秀夫さんの比較的新しいルートは10c、たのしめました。
今度、最高峰ルーフというのにいってみようかな。

おっと失礼。上の写真の右側はもどき岩ではありません。
兄岩の奥の奥のさいころ岩でした。キャンプ場からスカイライン上にみえるサイコロ状のやつ。
ここも、おもいっきり静かですね。景色も最高ですよ。これはたぶん1995年の秋、カンテの11a
でしょう。ちょとこわいルート。

9.01.1996

モンブラン

モンブラン
黒川晴介
Mt.Mont-balanc
 
 九月のはじめ、朝一番のバスに乗り、グーテ小屋へ向かった。
前回、グランドジョラスを登ってから天候が安定せず、すでに十日が経っていた。グーテ小
屋はまだたいへんな混雑で、その夜はマット二つに三人づつ寝なければならなかった。

 もうすっかり高度に慣れてもよい頃のなのに、なんとなく体調が冴えず、結局一睡もせずに
出発の時間になった。食欲もないが、美味しくないパンを無理に食べ、まずい紅茶をボールに
一杯飲む。独りだと準備も速く、一番最初に小屋をスタートした。

 二時間ほどでバロの避難小屋に着いた。風が吹きつけ、歩いていても寒くてしかたないの
で、中に入って休憩することにした。まだ外は真っ暗だ。小屋の中で数人が休んでいる。気分
が悪くなってきたので、膝を抱えたままずっと下を向いて休んでいると、いつの間にか眠って
しまった。気がつくと外はすっかり明るくなっており、気分も良くなっていた。

 一時は諦めて下山しようかと思ったほどだったのに、歩き始めると調子も良くなり、朝日に
照されながら頂上へと登っていった。

 頂上には何人かの人がいたので、写真を撮ってもらい、ゆっくり展望を楽しむ。スイス国境
の向こうへ白い山々が続いている。ここまで来ると周りの山々すべてが小さく見える。日が
昇った後でもまだ暖かくならず、ヤッケを二枚重ねているが、結構寒い。

 技術的には易しくても、この山で悪天候につかまれば、どんなに恐ろしいだろうと思う。モ
ンブランは歩いて登れるれる山だけれど、その高さゆえの寒さや空気の希薄さなど、決して簡
単な山ではないと思う。簡単だと思って今回はロープもアイスハンマーも持って来なかったので
、ザックは軽かった。けれど高度の影響や寒さなど、自分の精神的な弱さを思い知らされ、改め
て謙虚な心の大切さを考えさせられた。
 
 下山はモンブラン・ド・タキュールに寄っていく。メールドグラスに降り立った頃、すっか
り暖かくなり、一カ月あまりのシャモニーでの登山生活を思い出しながら、ミディのロープ
ウェイ駅までゆっくりと歩いていった。

8.24.1996

タスマン氷河スキーニュージーランド

東京テレマーカーズ・ニュージーランド合宿

どんなにスキーが好きでも、夏にわざわざ南半球まで、とおもっていたぼくらだが
糸尾汽車
 マナリング氷河を滑る
 
 どんなにスキーが好きでも、夏にわざわざ南半球まで、とおもっていたぼくらだが、今
年は、仲間の黒川、春水がワナカに家を借り、ひたすらテレマーク修業をつづけていると
いう事情もあり、訪問がてら、では、と重い腰をあげたのだった。行ってみればこんなに
よい所もない、夏はニュージーランドに限る、と感想も一変。テレマークフリークなら一
度はNZの旅もよいね、と、ここにぼくらの夏合宿の報告を。

メンバー ヒロユキ 真壁さん、静子様、ゆみさん、KISYA、現地・黒川、春水
日程 1996年8月24日~9月5日
目的 マウントクック周辺でバックカントリースキーイング
 登山愛好家があこがれるニュージーランド、サザンアルプス。なかでも有名なマウント
クック周辺には巨大な氷河の海がひろがります。スキーをつかってマウントクック周辺の
山やまと氷河を滑ります。海に囲まれたニュージーランドの山は、ちょうど、北アルプス
の厳冬期の感じです。厳しく美しい自然が日本から訪れたテレマークスキーヤーをむかえ
てくれるでしょう。

行程
24日 NZ機で出発
25日 クライストチャーチからレンタカーでワナカへ。ワナカモテル入。現地組みと合
流。

26日~28日 ワナカ、クイーンズタウン周辺のスキー場で遊ぶ。現地滞在中の石木田
選手、永島選手らともすべる。ふたりはデッドヒートしながら練習していた。二木選手も
モービルホームに住んでなんと釣を楽しんでいるという。もんべる金森は前前の週突然あ
らわれ雪不足のルートバンで板をきずつけて帰ったという。スキー場にはテレマーカーが
いっぱい。ワナカには若い日本人のボーダーがたくさんすんでいる。時代は変わった。ハ
リスマウンテンのヘリスキーに申し込むが、天候不良で果たせず。

29日 現地組みとわかれ、ワナカからマウントクック村へ移動。マウンテンガイズ社で
打ち合わせ。明日より4泊5日の予定で入山。ガイドはアントンさんと日本人のノリさん
。外国の山はガイドをたのむのが安心。

30日 朝一で村の飛行場からヘリでタスマンサドルへ。さっそくタスマン氷河源流のあ
ちこちをすべりまくる。どこもかしこもパウダースノー、バージンスノー。もちろん自分
の足でのぼったぶんだけしかすべれないのだが。下りすぎて夕方へろへろになってケルマ
ン小屋へ。ここに滞在。宿帳をみて仙台のテレマーカー工藤君と友達が前前の週にここに
とまって同じ様なことをやっていることがわかる。だしぬかれたか。
続き(改行で表示 S:次の発言)

31日 マーチソン氷河とマナーリング氷河へ出張、だれにも会わず。最高の雪質、天国
的なスロープ。奥まったところにあるマナリング氷河は特に印象的だった。アントンさん
はすばらしいガイドだ。

1日 ホックステタードーム登頂。滑る。天気もよく快適。終日遊ぶ。
2日 明日より天候悪化のため、下山。タスマン氷河を下る。
3~4日 天気悪く、移動、ツーリストに変身して観光。5日帰国。

8.02.1996

ブランブラ、フィルストで飛ぶ

PARA IN PLANPRANZ,FIRST

ブランブラ、フィルストで飛ぶ(パラグライダ-)


伊藤忠男
 CHU IS FLYING ABOVE CHAMONIX
 
96/8/2 ~8/11
ブランブラ(シャモニ-)もフィルスト(グリンデルワルト)も純然たるパラグライ  
ダ-のフライトエリアですから、このレポ-トはRock&Snowのコンセンサス  

からずれていて、明らかに”パラ・ワ-ルド”向きです。ただ、アイガ-やモンブラ  
ンを狙って滞在するクライマ-が”山飛び”の練習をするといった仮定をすると、多  
少意味があるかもしれないと考え、キ-を叩くことにしました。
昨年(96)夏に娘が”アンネの家”に行きたいというので、機体と寄り道案を持っ  
て一緒に行くことにしました。目的は“アンネ”なので、あまりぐずぐずやっていら  
れません。
これらのエリアが日本のエリアと明らかに違うのはスケ-ルですが、ただ飛ぶ分には  
、ランディングもテイクオフも充分な広さがあり、障害物のない平地も多いので緊急  
ランディングにもそれほど神経質にならなくて済みますから、かえって楽じゃないか  
と思います。

ブランブラはシャモニ-の街からゴンドラで上がって歩き1分。テイクオフは正面の  
モンブランに向かって行います。そう広くありませんが安定したブロ-の通り道で、  
楽勝~。ゴンドラの走っている斜面全体にサ-マルが出ていて、簡単に上げられます  
。テイクオフまでの高度差は1000m、水平距離3000mですから、届かないっ  
てことはありませんが、逆に強烈なサ-マルコンディションでは降ろす技術と精神力  
を試されるでしょう。こっちのパイロットは日本ではあまり見ないスパイラル降下を  
頻繁に使うのでちょっと驚きました(知らないで見ているひとも多分びっくりするん  
でしょうね、墜落した!っていってるひとがいましたから)。スパイラルは今のとこ  
ろ、もっとも降下率の高い技術ですが、機体の強度に掛かる負担も大きいのです。僕  
は、パラで数少ない体育的な動作になるこの技術が好きですが、ブランブラではおか  
げでフロントのラインを2本切ってしまいました。

フィルストは、シャモニ-とはがらり変わって牧歌的(的ってのは変か?)で超退屈  
な街グリンデルワルトから、やはりゴンドラで上がります。山頂駅から1分下ると理  
想的なラウンドトップのテイクオフ地点です。正面にアイガ-北壁が見えるすごいと  
ころ。ランディングまでの高度差は1300mで、水平距離が5200mですから、  
ブランブラのような訳にはいきません。まったく上げられないと、ショ-トします。  
ただ、直線でコ-スをとれば、下は殆ど牧草地で、ごめんなさいを覚悟すればまあ、  
安全に降ろせる場所を見つけるのにそう苦労はいらないでしょう。
僕の飛んだときは、小さなサ-マルだけだったのでそう上がりませんでした。ランデ  
ィングは街の向こう側にありますので、上空からゆっくり横断していくと下から歓声  
が聞こえてきてなかなかいい気分でした。広々としたランディングで機体をたたんで  
いたら、アイガ-の方からアプロ-チしてきたパラが目の前に降り、メットを外して  
ハイと声をかけてきました。見ると大きなリュックを背負っっているので、どっか登  
ったのかときくと、アイガ-北壁を狙っていたが、天気が良くならないので(飛んで  
)降りてきた、というのです。もう少し話をするとフリ-クライミングの好きなチュ  
-リッヒ大学の学生でした。アルプスではやっぱりパラはクライマ-の道具なんだな  
あ、と思ってしまいました。

高度差2000mのベルビエはもっとも有名なエリアの一つですが、僕らが寄った日  
は天気が悪くてパス。僕の持ち時間はこれでおしまい、アンネの家へはアルプスから  
2日間のドライブで、娘たちの健全さを尻目に、僕は合法化された?ッシッシにびっ  
くりして、ジ-ザス ワズ スト-ンドとかかれたTシャツが氾濫してぶら下がってい  
るアジア的な混乱を見せるアムスの街に懐かしさを感じていました。

7.15.1996

グランドジョラス

CLIMBING IN CHAMONIX-MONTBLANC

グランドジョラス
黒川晴介
Grandes Jorasses
 
 グランドジョラスは日本人に馴染みの深い山だろう。その北壁はクライマーにとっ
てあまりにも有名だ。モンブラン山群の中でも山自体の大きさ、際立った聳えかた、
やはり一度は登ってみたい山だ。

 残念ながら僕には北壁をソロで登るほどの根性はない。比較的易しいルートはない
かと捜すと、イタリア側がまだ登りやすそうなので、南面から登ることにした。

 シャモニーからバスに乗り、モンブラントンネルを抜けると、四十五分ほどで反対
 側の村、クールマイヨールに着く。フェレ谷へ入り、一日目はボカラッテ小屋
(別名グランドジョラス小屋)まで一二〇〇メートルの登りだ。

 フェレの谷は広くひらけており、緑も美しく生え、個人的にはハイキングするなら
シャモニーより良いのでは、と思う。小屋の人もとても親切で、なにより食事が美味
しかった。

さて、小屋の人に「明日ジョラスに登りたいんだけど、独りでも大丈夫ですか?」と
訊くと、少し暗い顔で「スノーブリッジがあまり良くない状態だけれど、行けないこ
とはないよ」との話だった。

 翌朝は三時にスタートしたけれど、ヘッドランプの灯りでは出発していきなりルー
トがよくわからない。なんとか最初の岩稜に取り付いたけれど、やはり真っ暗の中で
ロッククライミングをするのは大変だった。岩稜を登っているうちに明るくなってき
たけれど、今度はルート真ん中ぐらいですっかりガスに包まれてしまった。岩の上に
腰をおろし、しばらく悩んでいたけれどやはり、続けて登ることにした。もう八月下
旬でこのチャンスを逃すと登れないかもしれないと思ったからだ。

 なんとかウィンパーピークに突き上げるリッジに取り付き、フーフー言いながら
登っていくと、ガスが少し切れてきた。頂上はすぐそこだった。北壁側を覗きこみ、
シャモニーの谷を見ると、雲の中だ。

 クローピークを往復して、さっさと同ルートを下るが、再びガスに包まれた岩稜の
下りを迷って他のリッジに入ってしまった。そのうちガスは雪に変わり、登りとは違
う雪壁をクライムダウンしていくが、中途半端に積もった湿雪でクランポンがよく効
かず、恐ろしいクライムダウンだった。
 
 どうにか登りのトラックに合流して、岩場を何度かラッペルを交えて下っていく。
降り続ける雪がヤッケやザックに積もり、ロープを握る手袋はビショビショだ。最後
のラッペルで氷河上に降り立った頃に、ようやく雪が止んだ。ここから先はスノーブ
リッジに気をつければ歩きだけで小屋に帰ることができる。

7.01.1996

CLIMBING IN CHAMONIX

CLIMBING IN CHAMONIX-MONTBLANC

最初のソロ、プチ・ヴェルト
黒川晴介
Petit Verte
 


 アルプス登山は僕にとって高校生の頃から、あこがれの対象だった。そして、ある意
味でヒマラヤ以上に僕にプレッシャーを与えてきた存在だった。僕はすべてに緊張して
いた。「本当に自分にアルプスを登ることができるんだろうか」と。それに今回はひと
りで来ていたので、多くのクライミング(結局全部だった)をひとりでやらなければな
らないだろう。ヒドンクレバスやスノーブリッジはどうだろう、いくらでも心配事は絶
えなかった。

 「ロープウェイの終点でおりると目の前に圧倒的な姿でエギュー・ド・ベルトが聳え
ている。今回の目的のプティベルトはどちらかと云うと独立した山というより、西穂高
岳の独標のような存在だ。プティベルトの頂上から先はエギュー・ド・ベルトへと長い
鋸のような稜線が続いて、最後に巨大なアイスキャップを持つピークへと至っている。

 アルプス登山には大切なルールがいくつかある。良いコンディションのときに登るこ
と、そして標準タイムを守こと。標準タイムを守るというのはスピーディな行動を意味
しているし、自分の能力がそのルートに対して十分かどうかを適格に教えてくれる。そ
ういう訳で、僕にとって標準タイムというものが大きなプレッシャーになりつづけた。

プティベルトへは雪の登りから始まる。シャモニーに来てから買った真新しいクラン
ポンをきかせながら登っていく。小さなシュルントを越え、リッジ上を進むと岩場の取
り付きだ。ここで、アックスとクランポンをデポしていく人が何人かいたけれど、要領
のよく判らない僕は、デポせずにザックにつけたまま登っていくことにした。
  
 ガイド登山らしき人や、普通のクライマーなど、何パーティかが先行していたが、僕
はひとりなのでビレイの時間がかからず、すぐ追い付いてしまった。皆親切で、すぐ先
に行かせてくれる。この後の山行でもよくガイドと出会ったが、彼らは皆とても親切
で、身のこなしもスマートだし本当にイカしていると思う。何度かはラッペル用のロー
プまで使わせてもらった。(ロープは持っていたけど。)
 
、岩稜をどんどん進んでいくと、ちょっとしたピーク状の所で休憩している人がいた。
休まずに進んでいくと岩場がだんだん難しくなってくる。後の方から声をかける人が
いるので戻ってみると、そこがピークだった。

  標準タイムでは、アルプスの入門テストにどうにか合格したようだ。

6.22.1996

会津駒とひうち岳

会津駒とひうち岳

6月まで大丈夫だあ、山のスキー
榎本工事
 
左=ひうち北面。残雪をつないで滑る。右=駒でのお気楽滑り
 
 1996/06

乗鞍を最後にしようと考えていましたが、先週も滑りに行ってしまいま
した。今年は雪が多いという話なので、どのくらい滑れるか?という興味
もありましたし。
場所は、会津駒ヶ岳と燧岳です。
今回は2人パーティーでした。

22日:会津駒ヶ岳。
前夜、桧枝岐まで入り車中泊。朝のんびりと9時過ぎに林道終点から歩き出す。天気
は曇りで、蒸し暑い。背中の板が、汗を誘う。

1700m位でやっと雪が出てくる。シールは使わず、そのまま登る。樹林帯を抜け
るころには雲の中に入り、視界が効かなくなる。竿や足跡を頼りに、駒の小屋の前通
過。最後の斜面を登って雪が切れた所が頂上である。突然、頂上に着いてしまったの
で、ちょっと拍子抜けだった。

ちょっと休んで下山にする。視界が効かないので、思い切った滑りなぞ、望むべくも
無い。慎重に駒の小屋の前にでて、ルートを確認し、滑る。
樹林帯に入り少しガスが晴れたが、雪が固く凸凹なので、スピードは出せない。とに
かく滑れるぎりぎりまで滑り、板を脱ぐ。
あとは、登山道を延々と下るのみだ。

23日:燧岳
朝起きると、晴れていた。さっそうと御池に移動。朝の5時前なので、観光バスで渋
滞している。駐車場でゆっくりし、8時過ぎに出発。登山道のあちこちに残雪があ
り、水芭蕉が咲いている。やはり今年は遅いようだ。
熊沢田代の手前で雪が多くなる。この辺まで滑れそうだと見当をつけ、更に登る。こ
の辺からほとんど雪の上を歩くようになる。
頂上では、ガスが出てきて、展望は効かなかったが、風もなく穏やかであった。
降りは、雪渓をつないで、田代まで降りる。雪渓の雪は、結構やわらかく滑りやす
い。ただ、距離が無いので、あっという間に終ってしまう。
田代周辺から、雪のつながっている所を探しながら滑り、雪が切れた所で登山道へ。
ここから、ぬかるんだ登山道を降りていく事になる。


とにかく、2日とも、スキーヤーは私達だけだった。さすがにこの時期に滑りに来る
酔狂な者は、滅多にいないのだろう。
#小豆温泉窓明の湯に入りました。850円ですが、桧枝岐の温泉より空い
#ていて、きれいで、満足できました。

6.16.1996

乗鞍岳夏スキー2本

乗鞍岳夏スキー
6月でもツアー気分

norikura peak
 
1996-6-16
メンバー 五味、榎本、汽車
もう夏だというのに今年はスキーにもえている。茅野の別荘を朝出て、
3本滝には830に着いた。好い天気。島島からのバスを待って乗る。
20人くらいがすでに乗っていて、さらに10人ほど乗り込む。
位が原からシールをつけてのぼりだす。3時間ほどで乗鞍の頂上。11
30。好きなルートをえらんでくだる。位が原まではあっという間。
ビールをのんで、バスをまつ。世田ヶ谷のマダムさんちのパーティに
はその夜12時に到着した。

1996-7-3.4
メンバー 五味、榎本、さんべ、小野、あいり、汽車
高谷池ヒュッテ往復ハイキングのあと乗鞍大雪渓に着。3日、4日と
、スキーの練習。3日の夜は一度諏訪にもどり五味御殿で酒盛りという
、超いそがしいスケジュールでした。
もうやらないだろうな。

6.01.1996

立山の初夏スキー

立山のスキーは初夏
どこでも滑れるのがよいが…
 
室堂山で
 
行き帰りのアルペンルートというのが煩わしいのと、お金がかかる、ことをのぞけば立山は春スキー
のパラダイスだ。温泉もあるし、安い山小屋もつかえる。何度か通うとだだっ広い雪面だけの斜面に
食傷するというのも正直な感想だが。

1996-6-1-2
1日 天気がよいから今日は雷鳥沢経由剣沢行。剣御前の小屋までは標準タイムで2時間か。小屋か
ら剣沢にいきなり下らず、西へ稜線をたどり小ピークから回りこむように剣沢に滑り込むほうが楽し
める。どこまで下るかは自分の足と相談だ。下った分だけ登りかえさなければならないのだから。こ
の日は剣沢の小屋まで。足の強いひとなら、もっと下までいけるだろう。

雷鳥沢の下りは沢心を下るよりも右手の大きな尾根をくだるのが順当だろう。

2日 早めに帰ろうというので、室堂駅に荷物をおいて、室堂山まで往復。室堂山までは1時間。カ
ルデラ脇からの眺望がよい。下りはあっという間だ。

立山でお勧めなのは、ほかに一の越往復。一の越からさらに浄土山まで登ってくだると充実する。下
りは山崎カール方面へ大きくトラバースして称名川までくだるのが面白い。

雷鳥沢に飽きた人は、真砂方面への近道、大走りルートを登って下るのが、シュプールもなく楽しめ
る。

ほかに真砂沢、タンボ沢がいいらしいがいったことなし。

5.03.1996

妙高山、火打山

高谷池をベースに妙高山、火打山
春ならるんるん、どこでも滑れる
 
corn snow skiing
 
1996-5-3.6

5-3
妙高国際スキー場が5月連休中はあいているので最高リフトをつかうと1855メートルの
三田原山の下までらくらく行ける。

シールをつけて三田原山への急登をジグザグと登る。三田原山までは1時間ちょとか。
火口壁をトラバース、黒沢池の湿地へとくだる。天気がよいから景観もなかなか。ひと
登りして高谷池へと滑り込む。午後は周辺でスキー。どこでも滑れるかんじだ。

5-4
天気がよいから、目の前の火打山へ。行き1、5時間、帰りは1時間というところか。
時間はたっぷりあるので北面の澄川側で遊ぶ。もちろん火打山の南東面はどこでもすべ
れそうだ。

5-5
冬が戻ってきたような天気。吹雪のなかをでかけるがすぐ敗退。

5-6
来たルートをもどる。黒沢岳の斜面と三田原山の斜面は最高の一言。

笹ガ峰までの道路があいていれば、笹が峰から黒沢経由で入るのがオーソドックス。そう
いえば笹ガ峰をベースにして遊んだ覚えもあるなあ。黒沢がつめられればあっさりと富士
見平へつく。笹が峰へスキーでくだることも可能だ。

 高谷池ヒュッテの築田さんがここいらあたりのスキーマップを小屋に置いている。
『妙高山・高谷池ヒュッテ通信』という本の巻末にも転載されている。

天狗原山と金山

http://www.tcp-ip.or.jp/~peachan/telemark/tengu/tengu.html

5.01.1996

守門山、浅草岳・山ボード行



MT.SUMON 、MT.ASAKUSA WITH SNOWBOARD

守門山、浅草岳・山ボード行
1996年5月(ゴールデンウィーク)森ひかり
春は山ボード
 

守門山
手頃なところで只見の山を二つそれぞれ日帰りで登ってみた。
守門山は大原スキー場から登り、尾根伝いに南東稜に取り付く。ところどころ雪がきれていて下りが
思いやられる。稜線に出てから山頂まではなだらかな登りだ。天気は快晴、雪はザラメ。
山頂は風が強いので早々に退散。来たルートをボードで下る。雪がきれている尾根はパス。
上祝沢上部から沢に滑り込む。最初は細いルンゼ、傾斜は30度ぐらいか。途中一カ所30センチほ
どきれていて下を水が流れていて、ヒヤッとするがあとは快適そのもの。うまくスキー場の丘の下に
でる。

浅草岳
次の日は浅草岳。前の年と同じくムジナ沢コースへ。ずっと左岸を登る。滝を巻いてから左の尾根に
向かって急登。守門にくらべてずっと長い。やっとのことで前岳到着。ボードをデポして山頂を往復
する。
ヤジマナ沢とムジナ沢に挟まれた広い尾根はこのコースのハイライトだ。下の沢は結構ダラダラのト
ラバースで足が疲れる。うまくすれば浅草山荘まで滑ることができる。

残念ですが写真はありません。上の写真は数年まえの巻機山のもの。




4.27.1996

TOUR DE HAKUBA 白馬岳をスキーでめぐる4日

TOUR DE HAKUBA
白馬岳をめぐる4日
KISYA
1996年4月27~30日


白馬岳肩から柳又源頭へ
連休を利用、北アルプス三泊四日の山旅でした。営業小屋をつかって軽いパック
と軽いテレマークスキーで軽快にたのしめました。

ルート 二股ー大雪渓ー白馬岳ー雪倉岳ーレンゲ温泉ー白馬大池ー栂池ー金
山沢ー二股

メンバー ミゾーヴェ、ひろゆき、ドニー、ローラ、愛理、春水、汽車

 1996年4月27日 晴れからガス 八方ミソラノのテレマーク宿、ポカラ、朝
8時発。

 二股に車をおいて、大雪渓へむかう。白馬主稜を目指すヤマ屋が多い。大雪渓を
つめるのはわれわれ7人と、謎のテレマーカーひとり。大雪渓は安定しているよ
うに見えるが確信はない。7時間から8時間で白馬山荘着。今年初めての客とか
で、前日ヘリであがったテレビクルーに取材される。この日は登りだけ。

4月28日 晴れ 8時、白馬頂上を踏んでから、柳又源頭にすべりこむ。陽気
が暖かく、適度な雪質で快適。謎のテレマーカーの前日のシュプールがある。源
頭のどこかでテントをはってこのあたりをすべりまくろうというプランなのかも
しれない。気合いのある人だ。天気がよいのでのんびりといく。雪倉岳着12時。
レンゲ温泉から上がってくるスキーヤーが10にんほど。彼等のさきを越して、
東面の荒されていない斜面をいっきに滑る。レンゲ温泉着4時。

 この宿はよくしられているけれど、乾燥室がないのと、リビングや部屋に暖房設

備がなく、濡れものが乾かない、くつろぐ場所がないという二重苦でまいった。布団に
入ってお酒を飲んでいるうちに眠ってしまった。

4月29日 またまた晴れ レンゲ温泉を8時ころ出発。白馬大池着10時。ヘ
リスキーヤーのシュプールでゲレンデ化した斜面をさけ乗鞍岳直下のきれいなバー
ンをいっきにすべる。成城大極荘経由栂池ヒュッテへ。3時着。大雪渓に昨日か
今日発生したと思われる大デブリを発見。夜、明日、本当に金山沢を滑るのか、
と一部謀反分子が出現。全日の好天で雪崩が心配なのだ。現地で明日きめようと
問題を先延ばしするミゾーヴェリーダーだった。

 小屋の食事は山小屋としては上出来だと思った。

4月30日 まだまだ良い天気 雨がふる前にと、7時出発。栂池自然園をクロ
スし金山沢源頭の2301メートルにのぼる。ま、大丈夫だろうと、金山沢には
いる。滑りは快適、大雪渓出会いまでは一時間くらい。アという間だ。猿倉から
さらにぎりぎりまでスキーをはき、二股着11時。露天風呂で汗を流す。
 
 個別には何度か滑ったルートが多いが、全部を一度に通して、サークルを完成す
るというのがリーダーの提案したテーマだったので、当初の思惑どおりのパーフェ
クトな山行でした。

4.20.1996

ソルトレ-クシチ-の岩場

WASATCH NORTH CLIMBNG AREA ,UTAH, USA

ソルトレ-クシチ-近郊リトルコットンウッドキャニオンの岩場
伊藤忠男
 PEMBA SHERPA FLASHED! "GREEN ADJECTIVE"
 
1996年の4月、ソフトウェア-・ハウスのWORK・SHOPに参加した帰路ソル  
トレ-クシチ-に滞在する友人を訪ね、すぐ近くのClimbing誌やHighE  
xposureでよく目にするリトルコットンウッドキャニオンで、クラッシックだ  
がすばらしい感触のクラックに手を付けた。
ブラックダイヤモンドの本社に行けば分厚いトポが手に入るし、ル-トはプリ・ボル  
トも含めて着々と増え続けていて、uodate版が貧相な装丁ながら数冊出ている  
。リトルコットンウッドは小川山と似たハイフリクションの花崗岩だが、一本北にやは  
り東西に分け入るビッグコットンウッドキャニオンは石灰岩とチャ-ト系で、今日的  

なハ-ドなル-トがひしめいている。どの壁も車を降りて数分からせいぜい30分の  
アプロ-チで壁は1ピッチのものから5ピッチ程度のものまである。4月は一年のう  
ちでもっともウェットとトポに書かれてある通り、雪ばかり降っていたが、陽が射す  
と南に面した壁はみるみる乾く。2日間だらだらやって7本のル-トを登った。低グ  
レ-ドでがっかりするひとも多いかもしれないが、内容とそれは別のように考えさせ  
られる印象的なル-トを紹介したい。

4/20  GateButtress/グリ-ン・アドジェクティブ 5.10-

フェ-スに走る美しいフィンガ-クラック。スタ-トから5mはピトンスカ-で、ち  
ょっと恐い。この部分はトポにはボルトがあるが、実際はない。多分抜いちゃったん  
だろうと思う。クラックの両側は上部に溜まった雪が溶け落ちるせいで濡れている。  
ビレイテラスは雪が30cm積もっているが狭いので、緊張する。5m上がって、ロ  
ックスの#3をセット。サイズはフィンガ-だが良く見るとスタンスが結構あって、  
なるほど見た目ほど難しくはない。最上部の数メ-トルはシンハンドに広がってテラ  
ス。

4/20 CrescentCrackButtress/ザ・コフィン 5.9

高い位置にあって高度感抜群の、非常に美しいフェ-スクラック。トポにはNotT  
oBeMissedとコメントされているほどだ。スタ-トは5.8だがとっても恐  
いランナウトトラバ-ス。足もスリッピ-で緊張する。クラックに入って、フレンズ  
#1をセット。クラックは全体に弓なりにカ-ブしていている。核心は中間部で、や  
や決めずらいオフフィンガ-だが、クラック自体が左右ややオフセットしているので  
縁に手をかけやすく、助かる。高度感がすごくてうれしくなってきた。ル-フに押さ  
えられて終了。

4/21 GateButtress/グリッド・アイアン・ウオ-ル 5.8+

有名な低グレ-ド3つ星ル-ト”スク-ル・ル-ム”の取り付き下部にできたプリ・  
ボルトの新しいル-ト。5.8+とはとても信じられない。まず被り気味のクラック  
にフレンズを決めて、上のダイクにマントルで立ち込むがこのム-ブは5.10b。  
多分リ-チだと思う。上のダイクに一発で届けば、随分違う印象になるだろう。そこ  
から50mフルにある真っ白なスラブを紆余曲折していくが、ボルトは5本で、いち  
いちランナウトする。ライン取りは巧妙でうかつに行くと5.10cのム-ブにもな  
ってしまう。ボルト間をいったり来たり繰り返しているうちにアドレナリンが増えて  
きたのか、いい気分になって下降点のあるテラスに達した。

4.14.1996

HAUTE-ROUTE1996

HAUTE-ROUTE1996

シャモニガイド協会のオートルート シャモニ・ツエルマット6日間に参加
伊藤文博
マッターホルンの横を滑る 

 
行程 
 1996年4月14日 シャモニ-グラモンテスキー場-アルジェンチェール小屋
 15日 -トリエント小屋-シャンペックス-ベルビエールスキー場-モンフォート小屋
 16日 -ディス湖経由ディス小屋
 17日 -ピンダローラ-ヴィネット小屋
 18日 -レヴェークのコル経由トレント小屋
 19日 -ツエルマット
 
 メンバ 
 渡辺賢二、黒川春水、伊藤文博
 
 シャモニガイド協会主催のシャモニ・ツエルマット6日間コースに参加。
 
 ジャンとシルヴァンという名のガイド、お客は11人、フィンランド人二人、
 オーストラリア人一人、イタリア人一人、あとは僕ら日本人三人とフランス人
 
 。テレマークスキーは僕ら三人と、オーストラリア人のジョージ(数年前蔵王
 坊平に居候していた)の四人。
 
 
 北周りのフランスルートをとりましたが、天候にめぐまれたいへん愉しめまし
 た。二日目に二日分の行程をこなしたため、余裕ができ、5日目、6日目はヴ
 ィネット小屋からトレント小屋経由ツエルマットという大回りコースをとりま
 した。
 
 うわさどおりのアルパインスキー向きのツアールートでしたが、テレマークス
 キーでもなんとかなりました。急斜面とアイシーなバーンが多い。トラブルは
 ありませんでした。ほかにも十人くらいのテレマーカーをみかけました。今回
 のために取り付けたクトーが有効的でした。 
 
 ガイドつきなので、マイペースというわけにもいかず、早発、早着、休みなし
 の、シャモニガイド流のスピードツアーでした。パックも5キログラム!くら
 いとチョー軽モード。天気がいいのだから、途中で深雪をすべったり、して遊
 べばいいのに、とも思いましたが、シャモニーガイドは頑固に昔からのやり方
 を踏襲していました。スピード、イコール、セイフティということなのでしょ
 う。小屋には午後早くにつくことが多く、のんびりとした半日をすごしました
 。
 
 同じグループの客は中高年が多く、体力もありスキー技術もたいへんうまかっ
 たです。若いグループも多く、ガイドレスでツアーしているひとたちもたくさ
 んいました。天気がよければ、ま、大丈夫なのでしょう。
 
 宿帳には数日まえに訪れたTAJメンバーの名前も二人ほどみられました。テ
 レマークでオートルートをツアーするのはいまやそんなに珍しくないようです
 。日本人でも、僕が知っているかぎり、少なくとも一ダース以上はいるでしょ
 う。
 
 十年前の竹内利春氏あたりがパイオニアのひとりといえるとおもいます。アゾ
 ロのエクストリームとカルフエクストリームの組み合わせだった、といいます
 。僕らは皮靴がふたり、プラスチックがひとり。ジョージョはターミネータを
 はいていて歩きにくそうでした。
 
 ハイシーズンのため、各小屋とも大入満員状態でした。次週にスキーマラソン
 があるとかで兵隊さんが多かった。急斜面をストックの股制動で直滑降するト
 レーニング中の選手にもあいました。雪がいくらかすくなかったのか、スキー
 を脱ぐことはありませんでしたが、ゴールデンウイークころだと歩くところが
 でてくるでしょう。
 
 シャモニにもどり、モンブラン登山とスキー滑降を計画していましたが、さし
 もの好天がくずれあきらめました。
  

3.24.1996

雨飾山スキー

雨飾山スキー
member Kodama Ryuji 陸続 やんばるじ
 
奥ワセ沢出合いの河原、台地上部分から見上げた無樹林斜面。
 
96年3月24日(日)に頚城(長野・新潟県境)の雨飾山に行って来ました。 
 24日朝6時半に小谷温泉山田旅館を出発。、車で、乙見山峠へ。空は快晴。空気は冷え
きっている。が、春の気配がする。そういえば、今朝は小鳥のさえずりで目が覚めたっけ。
歩き始めるとすぐに暑くなり、衣類の調節が忙しい。 北田紘一編の『日本スキーツアー・
ルート集』の記事を参考に、ワセ沢をつめてP4とP3の間の鞍部をめざす。急斜面では、
固く凍った雪面の上に5cm位のサラサラ雪が乗っている。表面の雪にはシールが効かず、
その下の氷にはエッジがたたずで、そうこうする内に表層全体が流れそうになるので、だま
しだまし登るのが結構難しい。  P4-P3間の稜線の雪庇の低い箇所を越える(9時ご
ろ)。そこには、兎の足跡がいくつも通っていた。 P3からの登りではツボ足に切り替え
る。幸い、尾根上に先行者のワカンの足跡があり、アイゼンなしでも楽に登れたが、見上げ
るP2は、白い塔のようにそそり立っていて、やっぱりアイゼンを用意しておくほうが安全
だったと反省。

 快晴無風の中、眼下の大渚山や、向こうの後立山連峰を眺めながら、暑い暑いとぼやきな
がら登る。 P2で登りは終了(11時頃)。前後して登った他のパーティーと雑談した
り、雨飾山頂に至る岩壁をアタック中の3人パーティーの姿を遠くに眺めながら昼食。
 下りは、途中まで登路に沿って滑るが、重く締まった雪質が結構滑りにくい。1700m
付近から、登路の尾根の東側に広がる無樹林斜面に突入。前述のような状態なので、急なと
ころでは小規模ながら表層が流れていく。他のパーティーのみなさんの顰蹙をかっていたか
もしれない。

 もったいないと思いながらも、あっと言う間に真っ白な斜面を標高差400m下り、台地
状の部分に着く。ここからは、ブナ林の中を斜面を選びながら、標高差150m下って奥ワ
セ沢出合いの河原に到着。

 林道まで、斜登行や逆八の字で上がるが、疲れた足にはこれがつらい。ウロコ付きの板に
すれば良かったかなと思う。林道も傾斜が緩く、新雪ならば「下りラッセル」となって結構
つらそうだ。汗だらけで車に到着(1時半頃)。当然のように、旅館にもどって汗を流し、
至福のひとときを過ごす。宿で食べさせてもらった、「おから入りの温泉饅頭」は、まさに
絶品だった。                         (KODAMA RYUJI)

3.21.1996

石淵ダムから焼石岳へ



 

石淵ダムから焼石岳へ

静かな山、至福の山
KISYA
 
illust=M.NAKAMURA
 
1996年3月20日~21日
メンバー ヒロユキ(L)ハルミ、愛理、次郎、KISYA
行程 20日 晴れ 石淵ダム1000-銀明水1530
   21日 晴れ 銀明水800ー焼石岳1000ー銀明水経由ー石淵ダム1530


 『やっぱり東北だ、なるたけ、奥のほうがいい。といっても八甲田や八
幡平じゃ、ものたりない』というのがリーダーのヒロユキさんの発言だっ
た。それもそうだね、というわけで、奥の方の、比較的渋い山をえらんだの
だった。

 石淵ダムをでたのは予定より大幅におくれていた。北田啓郎氏の『スキー
ツアー 入門とガイド』どおり進むと、ぴったし、1番の標識がみつかった
。荷物も多いし、ラッセルもあるかもしれないので、雪洞ビバークも覚悟し
ていたけれど、やはり、3月の雪、昨日降った20センチの新雪の下はしっ
かりと固くなっていて、ラッセルは楽。

 天気もよく、見通しもばっちりなので、標識を百番まで追う。一回の迷い
もなく、銀明水の小屋へ着く。マキを集め、暗くなるまで周辺を滑る。まき
ストーブが快調にもえるので、持参のコンロは使わずじまいだった。そして
、愉快な山小屋の夜。
 
 翌朝もよい天気。風もなく、陽気もうららだ。小屋をきれいに掃除して、
頂上へ。赤布をつけながらいくが、天気は夕方までは大丈夫そうだ。頂上下
の平から見あげる焼石岳は全山えびのしっぽをつけて、真っ白。雪がゆるん
でいたのか、アイゼンを使うこともなくピークにたつ。華奢な体の次郎も元
気いっぱい。展望はすばらしかった。
 
 頂上直下から100メーター下の平までの滑降は快適。みんなで昼食をとって

から、金明水経由で縦走するというヒロユキさんとわかれ、銀明水にくだる
。トラバースしながらよい斜面をみつけては極楽的な滑りをたのしむ。テレ
マークに最適な斜面が無尽蔵にあるようにみえる。銀明水まで滑ると、雪が
重くなってきた。石淵ダムまでは登ってきたとおりにくだる。雪は重いが、
真新しいシュプールをつけて滑るのは楽しい。
 明日、あさっては、栗駒に行こうか、早池峰に行こうか、そんな話をして
いたら、車の前にとびだした。ウサギには会ったけれども、ほかのだれにも
出あうことのない、静かな祭日の山だった。

3.18.1996

谷川岳一の倉・二の沢中間稜

谷川岳一の倉・二の沢中間稜
U・コウスト マクッス・テンプル

左:問題のナイフエッジを行く。ここからストンと切れた雪稜が東尾根側に落ち込んでいる 
右:中間稜核心部上の快適なスロープ。バックにキーポイントの雪稜が見える
 
 1996-3月18日 
 八王子在住のM・テンプルと豊島区のU・コウストが中間稜から東尾根を経て国境稜線へ9時間30分で
登った。
 ポイントは稜中間部の急な草付き岩稜3ピッチと一ノ沢の落ちる支稜の頭を越えたところにある雪のナイフ
エッジ。岩稜帯は草付きが氷化していて快適だったが、ナイフエッジは雪が悪く、エッジに馬乗りになって後
ろ向きに下降するなど、変態スノウムーヴを強いられた。この部分はビレイポイントがほとんど取れないの
で、雪の付き方次第では問題になるだろう。
  
 二ノ沢の頭に出たところで東尾根核心の雪稜が始まるから、登攀のスケールは結構大きく、地味だがクラシ
カルな好ルートだった。
 
  なお、中間稜から見る滝沢下部は、この時期にしては珍しく埋まっておらず、上部のルートを登るにはあ
まり適していない状態だった。このことからして、今シーズンの谷川岳は例年よりかなり雪が少ないものと思
われる。衝立スラブは全層雪崩で完全に露出していた。

3.03.1996

野伏ヶ岳

http://www.tcp-ip.or.jp/~peachan/telemark/nobuse/nobuse.html

入笠山スキー

入笠山スキーハイキング
すごい滑りはないけど静かでよい。by:希沙

入笠頂上から八ツ方面(3D写真 )
 
1996年3月3日 
タイム 沢入1030-マナスル山荘1130入笠山1230-大阿原湿原1300-林道経由沢入1400

 ここが好きで一年に一度は遊びに来る。北八ツや霧が峰ほど知られていないから、静か。
それでもパノラマスキー場ができ、伸長されて、近辺はうるさくなった。ったく。

 この日はひとり。沢入までは車。シールをつけて樹林の急登をゆく。
マナスル山荘のまえの私設スキー場であそぶ。モービルで一面に圧雪するのはありがためい
わくだ。
 頂上からの展望がよいのは有名。風がつよい。シールをはずして大阿原湿原方面にくだる。
ほぼまっすぐくだり林道にでる。ブッシュスキー。
 
 林道をしばらくいくと、大阿原湿原。湿原にたちより、そのまま突っ切って、釜無山方面
へむかう。時間とモチが失せ、林道をもどる。毎年釜無山までとおもいながら果たせず。

 分岐からはほぼ5キロの痛快な林道滑走。これはけっこうウケる。凍っているときはスピー
ドに注意。ここがいちばん危ないかも。
 あっという間に沢入だ。
 雪のある時期は短い。ベストは2月の中旬。

2.04.1996

霧ガ峰ツアー

霧ガ峰ラウンドツアー

霧ヶ峰周遊
KISYA
榎本さん!
 
こりゃハイキングだね(3D写真 )
 
1996年2月4日 晴れ
メンバー 伊藤汽車。えのちゃん。(若くないふたり組)。
タイム 沢渡スキー場1000-車山1100-蝶蝶深山1200-物見岩1230-八島1330-
沢渡1430

沢渡スキー場は日曜日だというのにすいていた。テレマーカーが三人いた
。若いふたりと高年のひとり。なるほど、このスキー場にはテレマークが
似合うかもしれない。新雪がある。昨日かおととい10センチ位降ったの
だろう? リフトで一本すべってから、もう一度リフトにのって車山へ向
かう。シールをつけて直登する。冬型がゆるんだというが、やはりこのあ
たり風は冷たい。雪はおもったよりもすくない、がスキーで登るのに不都
合はない。

展望がいいので、車山頂上から南側の立体パノラマ写真をとる。富士山か
ら妙高まではっきりとみえている。

頂上からは、車山スキー場の急なアイスバーンのすぐわきの新雪地帯をす
べる。けっこう深雪があっておもいっきりこける。蝶々深山へ向かう。雪
原にはちらほらクロカン人たちがいて、トレールもついている。景色がい
いのでなごむ。雪の少なさと帳消し、というところだろうか。

物見岩の頂上は、風で雪がとばされて石がころころしている。板を傷つけ
ないように気をつかう。トレールをはずれ、地図でみた西斜面にはいって
みる。思ったとおり深雪の手ごろな斜面。いっきにすべる。霧ヶ峰は、北
あるいは西斜面に雪がたまっていることがおおいので、それを狙うとラッ
キーなら,パウダーが楽しめる。
八島湿原にでて、沢渡のくるまに戻る。

シールは車山の登りと蝶々深山の登りの二回つかった。ステップソールの
方が軽快で楽だが、それにしても、その2ヵ所はシールをつかう方が効率
的だろう。僕は古いテレサヴァジュ、Eはトゥネージュ。滑りを優先させる
とこちらの方になってしまう。霧ヶ峰のツアーの適期はみじかそうだ。ほ
んとうにいいのは2月中旬から下旬か?3月になると雪が腐り、減ってし
まうような気がする。

1.28.1996

四阿山と根子岳スキー

四阿山と根子岳スキー
近所にして重宝、雪少なれど天気よし
 
azumaya-san
 
1996-1-28
member HIROYUKI ENO IRENE JIRO KISYA
四阿山高原ホテルに車をおかせてもらって出発。天気よし。牧場をえんえんといく。山にかか
り、展望よし。浅間の噴煙たなびきのどかなり。900発、頂上着1200。根子岳方面はヘリコが
通い騒々しいことかぎりなし。頂上で数人の山スキーヤーにあう。2、3日まえの降雪で雪は
一応あるが滑りにくい。さほど回転滑降するような好斜面はないか。300に車にもどる。適期
は2月か。降雪直後がよさそう。

1997-3-30
member TAJmember20人
朝イチ天気晴朗。峰の原のゴルフ場を一斉スタート。各自好きなルートをとり頂上をめざす。
1時間かけてトップで到着と思いきや、平山某氏がすでに裏側からのルートで到達せしを発見
。小一時間、全員がそろうのをまつ。

朝の快晴は幻か、ガスがたちこめ、寒風がふきすさぶ。くだりはおおむね往路をくだるが、ゲ
レンデ状のコースをはずれ右手、サラの斜面を選ぶのが正解。

ヘリが飛ばず静かでよかった。
傾斜はゆるいが滑りがいはたっぷりある。たしかにテレマークにはぴったりの山だ。見直した。

1.04.1996

秋田駒と乳頭山

秋田駒と乳頭山
縦走プランがよいのだけれど
 
乳頭山頂上
 
1995-1-4
メンバー 光、もも、次郎、春水、晴介、アイリ、希沙
 
 夜中に東北道を走って、仮眠し、田沢湖スキー場につく。1000ころ、風はつよいが、まあまあなの
で、秋田駒をめざす。横長根をくだる周遊プランだ。リフト終点からすぐ登る。風が強く寒い。頂上
直下でスキーをはずしツボ足で頂上着。視界わるく、往路をもどる。下山路ですこし迷うが、次郎が
ルートをみつける。
さっさと大湯旅館にむかう。
1-2
0900乳頭山へ向かう。孫六温泉を経由して田代岱山荘まで3時間。
天気がわるいので、休憩後、つけた赤布どおり戻る。林間の滑りが最高におもしろい。ブッシュスキ
イイング。

1996-1-3
メンバー 春水、晴介、アイリ、次郎、もんべる金森 希沙

 正月はやっぱり天気がわるい。スキー場でパウダー練習だ。田沢湖、乳頭スキー場ともに探せばパ
ウダーがかくれている。スキーやボードであそぶ。4日になって日がさす。0830孫六温泉発。偶然に出
あった羽田くんたちといっしょの行動。彼等は田代岱にとまるという。田代岱小屋から、天気はよい
が風の強い尾根を頂上めざす。ほかにも地元のかたが数人。頂上はにぎやか。岩手山が見事。
さっさとくだる。樹間のスキーがたのしい。
昨年はのぼれなかったけれど、やったぜ。春、駒から乳頭までつなげたいね。