10.28.2014

蛭ヶ岳

蛭ヶ岳
2014年10月27日

member 太郎 伊藤フミヒロ記 

山頂、のんびり

日帰り楽勝

山頂から西方

表尾根よりもきれいな森


27日月曜日
天候 晴れ 
 前の日に青根までドライブして登山口など見る。4~5台ほど停められそう。いやしの湯が近いのがいい。蛭ヶ岳の日帰りコースは二つあって、清川村の塩水橋からと道志道の青根から往復するのがふつう。青根(東野バス停)からのルートは最近よく整備されていて時間もそれほどかからないらしい。道がきれいだという。
いやしの湯でくつろいでそのまま車泊。
 朝いち、青根の登山口まで上がると先行の車が一台。塩水橋もそうだというが、ここも週末だと駐車が難かもしれない。7時半にスタート。
林道を40分ほど行き終点から登りだす。脇に作業用のモノレールがある。登りやすいが急な坂をジグザグと行く。1時間ほどで尾根に上がると、東海自然歩道に出る。よく整備されたきれいな道を緩い勾配で登る。奥に目ざす蛭ヶ岳と山頂の小屋が見えるのでわかりやすい。姫次で自然歩道と別れ少し下る。このあたりも秋色が見事で雑木林の中の登山道も美しい。蛭ヶ岳山頂への登りはほとんど木製の階段になっていて2000段?ほどで山頂に着く。登りやすい階段だが、すれ違いがあると厄介そう、道と環境の保全のためらしい。
12時から1時まで山頂でぶらぶらする。見える山をひととおり見当を付ける。霞んでいるが江の島から南アルプスまで見えた。冬ならもっとだろう。

裏丹沢とも言うらしい。猪突猛進する猪2匹とも遭遇した

姫次

山頂への階段

登ってきた姫次方面

1時に下山。自然歩道の途中、八丁坂の頭から青根に尾根伝い(八丁尾根)に下れるという道標があったのでそこを選ぶ。モノレールと併行する急坂で、膝が痛くなる頃、ようやく朝方に歩いた林道に降り立つことができた。4時半終了。登りが4時間半、下りが3時間半。下りが意外と時間がかっている。 
 往路ですれ違った人が一人、山頂では4人、と小屋のおじさん、会ったのはそれだけ。裏丹沢と言われているらしい。ふだんでもこのあたりは空いているんだろう。菰吊山を思い出した。


蛭ヶ岳は丹沢最高峰、神奈川県の最高峰だという

檜洞丸、菰吊るしは登った、、

鍋割山かと思ったのは塔の岳だった
家から見える丹沢、いちばん高いのは東峯の後ろ、蛭ヶ岳。大山は欠けている、、


10.19.2014

三浦富士ハイキング

三浦富士、武山
2014年10月17-18日 
武山へ

富士山山頂


member 太郎 ケイ 伊藤フミヒロ記 

17日 金曜日
天候 晴れ 
 横横道路を衣笠で降りて武の西公園へ行ってみる。街の裏手で、三浦半島の南アルプスといわれる山並みが見えるのだが、パーキングがいちばんの問題。公園はテニス場になっていて有料駐車場があった。係りのおじさんがたくさんいてあちこち掃除している。行ったことはないけどここから武山に登れる、ということなので車を置く。10時前スタート。
 道標はなく登山道入口を探してうろうろするが、養護学校の裏手の細道がそれだった。照葉樹の森をしばらく登ると、武山不動神社に続く細い舗装路に出た。すぐに立派な神社が現れてそこがもう武山山頂だった。神社を見て展望台(アゼリアハウス)に上がる。
 野鳥撮影の数人がいた。東京湾から相模湾まで見渡せるが霞んでいる。
 砲台山へ移動。30分もかからずにコンクリートの巨大な砲台跡を見ることができた。自衛隊の無線車がいて交信しているようだった。砲台は戦前のものらしいが、飛行機時代には沿岸砲台など無用のものになったんではないか。三浦半島には明治ころの帝都防衛の砲台があちこちにあるようだ。ハイキング道は旧軍用道路を辿る。
 さらに30分ほどマテバシイ、スダジイの森を抜けて富士山へ。三浦富士の別名がある。山頂から富士山が見えた。往路をそのまま戻り西公園へは昼過ぎ。3時間ほどのハイキング。津久井浜観光農園に行ってみる。幼稚園児の芋ほりの最中でミカンは来週からとか。最初のプランはここに車を置いて山に上がろうというものだったのだが。
 三崎港へ寄ってランチして、海沿いに葉山逗子、鎌倉江の島と辿り西湘バイパスから箱根強羅。紀州鉄道の古びたホテルにイン。紀州鉄道については検索すると面白ネタが出てきた。

駒ヶ岳と芦ノ湖

ハコネザサの道

湖尻峠から黒岳 左奥

18日 土曜日
天候 晴れ
 朝、太郎と散歩していると治水成果の看板を発見。宿のとなり、強羅の須沢は50年以上まえ火山性の地すべりで大災害があったところらしい。沢を見上げると早雲山まで何重もの堰堤が築かれている。
 朝からにぎわう仙石原のススキを見てから湖尻峠に上がり、黒岳へ往復ハイキング。見はらしのよいところでハイキング道もきれい。芦ノ湖と駒ヶ岳がよく見下ろせる、が前著に書いた富士山が見えるというのはウソで黒岳山頂はブッシュのせいで北側が見にくいようだ。マツムシソウ、リンドウ、菊、真弓の実、など秋の気配。紅葉はそろそろというところ。旧道を裾野岩波に下り246号、大井松田から高速で午後帰京。


10.12.2014

太郎と太郎山

男体山と太郎山
2014年10月9-10日 

member 太郎 伊藤フミヒロ記 
男体山。山頂広ーい

太郎の登った100名山、思いつくまま、赤岳、霧ヶ峰、金峰山、甲武信岳、大菩薩、富士山、天城万三郎、那須三本槍、浅間黒斑山、皇海山、雲取山、丹沢山蛭が岳、それに男体山

9日 木曜日
天候 晴れ 

 前日スタート。佐野から例幣使街道を探しながら北上。清滝やしおの湯に寄って暗くなるころ二荒山神社中宮祠へ。登山者駐車場には遠方ナンバーの車が多くやはり百名山おじさんがいて少し話す。今回は日本百名山男体山の取材。それから前から思っていたこと、太郎と太郎山にも登ってみたい。
 翌朝、好天のようだが男体山山頂部はガスの中、神社の登山ゲイトは朝6時に開く。7時に社務所で500円を支払いお守りをもらい記帳。犬連れは問題ないそう。
 大雨でガリー状になった危うい登山道を上がる。3合目から4合目はなぜか林道歩き。上部は本当の悪場で大岩がごろごろする薙状地形。9合目からは傾斜が落ちて真新し火山礫が広がるスコリア帯になって大展望が開ける。標高差は1200m。
 好天だが遠望は白根山あたり日光周辺の山々まで。それでも燧ヶ岳が見えるようだ。人気山なので50人くらいが登ってきたのではないだろうか。週末だとこの3倍か4倍? 山頂広場はにぎやか。空身同然の若者グループが上がってきて「やったー、2時間切った」などと。本当の山頂はちょっと向うみたいだよ、と教えてあげる。
 1時間も滞在。12時、表参道を戻る。林道はショートカットしてササヤブの細道を下り神社に出る。2時過ぎ終了。
  湯ノ湖の湯のや(硫黄泉)に寄ってから光徳へ。駐車場はがらんとしていた。
二荒山中宮祠

男体山山頂部スコリア帯

男体山の有料登山道は日本一の悪路かも

男体山の火口と向うに太郎山

10日 金曜日
天候 晴れ
 ミズナラの黄葉と落葉がすごい。やはり10月10日は天気がよい。奥鬼怒林道が開いているので山王峠へ。道脇のスペースに車を置いて、細い登山口から歩きだす。7時半。山王帽子山まで1時間。いったん下って小太郎山まで2時間ほど。
 登山道は比較的整備されているようだ。男体山がひどすぎるのかもしれない。昨今のように豪雨が続くと山の道はどんどん壊れていく。男体山の場合は神社の私有地のせいかほったらかしになっているようだ。林道歩きの部分も歩きやすい登山道がかんたんに作れるはずなのに、と、だれもが思うところだろう。
 小太郎山は遮るものがなく展望がよい。さらに剣ヶ峰を越えて30分で太郎山。太郎山には花畑と言われるきれいな旧火口があった。男体山が向かいにそびえ日光連山の様子と戦場ヶ原など平の俯瞰が素晴らし。この日山頂に登ったのは10人ほどか。空いている。太郎山は薬師岳の太郎山、上田の太郎山、ほかにも二つ三つあるようだ。
 山頂でのんびりして12時前に往路を戻る。2時終了。登り下りとも標高差は1000mほどあるようだ。太郎は9歳だが衰えず登りはがんがん、悪場もすたすたと行く。下りは後ろにぴったりついてロープには全くテンションをかけない。
 戦場ヶ原で写真を撮って、やしおの湯(アルカリ泉)から日光道路のパーキングで休憩、そのまま車泊になってしまった。
 翌朝、今市から例幣使街道を辿って栃木市までドライブ。まっすぐな道が続く。岩淵から高速に入ってレインボウブリッジ経由で午後帰京。こないだの南アルプスの林道といい、今回の日光の山道といいドライブするのが面白い。
剣ヶ峰から太郎山

小太郎山から男体山

旧式仏車強力で頼もしい山王峠

参考

栃木市観光協会 > 蔵の街 > 見る(観光・自然スポット) > 史跡・文化遺産 > 例幣使街道

例幣使街道 京都から日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通った道
元和3年(1617)、徳川家康の霊柩が日光山に改葬されたが、その後正保3年(1646)からは、毎年京都の朝廷から日光東照宮への幣帛(へいはく)を奉納する勅使(例幣使という)がつかわされた。その勅使が通る道を例幣使街道と呼んだ。
例幣使は京都から中山道(なかせんどう)を下り、倉賀野(くらがの)(現高崎市)から太田、佐野、富田、栃木、合戦場(かっせんば)、金崎を通り日光西街道と合わさる楡木(にれぎ)を経て日光に至った。この例幣使街道が通る栃木の宿は、東照宮に参拝する西国の諸大名も通り、にぎわいをみせた。
この例幣使街道の一部が今の中心街をなす大通りや嘉右衛門町通りであり、その両側には黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残り、当時の繁栄振りを偲ばせている。