6.27.2024

東高根森林公園(川崎市)

多摩川近く、全体が弥生遺跡らしい


2024年6月26日訪問 itokisya記

多摩川南岸1km。東名高速となり。

山と谷があって静か。けっこう広い。ひとまわり1時間はかかります。山の標高は60mくらい。弥生の遺跡が埋もれているようです。

森林公園ですが森林もあるきれいな公園というかんじ。

近くにこんなところがあるとは知らなんだ。生田緑地もおなじ。

いまはあじさい。花よりも湿地植物がめだちます。小鳥も多いよう

ピクニック広場

となりは緑丘霊園

遺跡は埋め戻されているよう。湿地には模擬田んぼもありました

住宅街の裏にこんもり。平日駐車無料

E1(東名高速)となり、多摩川まで1kmほど


参考 

園内案内板から(グーグルマップから転載)

「弥生遺跡」

古代芝生広場には弥生時代後期(3世紀頃)から古墳時代後期(6世紀頃)にかけて営まれた集落が埋蔵されています。この遺跡は昭和40年代の住宅地の開発によって発見されました。その後の調査では約60軒の竪穴住居跡が確認され、広場全域では約100~150軒の竪穴住居跡があると推定されています。

神奈川県はこの貴重な遺跡とその周囲に広がるシラカシ林を保護するために、昭和46年12月、東高根遺跡を神奈川県指定史跡に、東高根のシラカシ林を県指定天然記念物に指定しました。

「弥生時代の人々の生活」

紀元前三世紀~四世紀、弥生時代になると、大陸の影響を受けた新しい文化がおこり、稲を栽培し、土器・石器のほかに銅や鉄で作った道具を利用する生活が始まりました。

弥生時代の人々はこの台地(古代芝生広場)に竪穴住居を構え、集落を形成していました。周囲の谷(湿生植物園付近)では湧水を利用して稲を栽培し、台地の周囲に広がるシラカシ林では農業に必要な鋤、鍬の柄や木製品の材料の採集、あるいはドングリなど食料となる木の実の採集が行われていたと考えられています。

このように東高根森林公園には弥生時代の一集落が生活する上で必要な住居跡、農耕の場所、採集の場所が保存されており、古代の人々の生活を知るうえで、重要な公園となっています。

6.20.2024

生田緑地と日本民家園(川崎)

 多摩川近く、城山あと(枡形山)にあります。

2024年6月19日訪問 itokisya

生田(いくた)。家から30分ほどのドライブ。登戸のあたり、専修大学となり。

広いです。枡形山の標高は82m、上り下りがたいへん。原生の森や湿地があり空いていました。ホタルの名所らしい。

公園内にある民家園がすばらしい。価値のある野外博物館です。

自然の山のよう、ホタル谷戸があります

枡形山展望台、あちこち見えます

鎌倉時代の城や戸隠神社があった

枡形山山頂。展望台は標高100mほど

西半分はゴルフ場なのが惜しい。右上が多摩川

けっこう盛りだくさんです。

パーキングは2か所。ヤマケイ地図にルートありました



川崎市立日本民家園


古民家が23棟、見て回るのもたいへん。これは信州伊那の民家

飛騨白川、五箇山あたり。山を利用して上手に建てられています

多摩川渡しの4人で移動できる小屋

        

6.14.2024

水戸のお城と偕楽園

date 6月11日 

member kei itokisya(記)

 6月11日 火曜日 はれ

筑波山のあと水戸へ

水戸のお城を見学しました

大手門。城内には幼稚園や高校などあります

偕楽園。初めて訪問、広い

400km ほどのドライブ。筑波山神社から水戸、那珂湊、茨城岩間ICの間は下道を走行

朝から好天、暑くなりそうな1日。

ホテル朝食のあと水戸のお城へ。駐車場がわからず城山あたりをウロウロ。大手門の前に駐めました。弘道館をめざすといいみたい。徳川御三家のひとつ水戸の城、当時はさぞ立派だったのでしょう。城内は幼稚園から高校まであって昔とはちがいます。水戸は教育熱心の人が多いのかとおもいました。町中も塾ばかり目立ちます。

弘道館は休館日で中には入れませんでした。

あたりを見てから偕楽園に移動。


偕楽園、ここも駐車場から入口まで遠い。園内も広くてたいへん。地元おじいさんが声をかけてくれて1時間も案内してもらいました。空いていました。コロナ以降めっきり訪問客が減ったとのこと。園内は売店や食堂もなく、これは素晴らしいです。

好文亭は殿様の別荘ですが見事。とはいえ梅林も別荘も江戸末にできたものでそんなに古いものではありません。好文亭も空襲で燃えて戦後の再建だそうです。それでも偕楽園はほかではあまり見られない素晴らしい遺産だと思いました。昔の殿様の威勢もわかります。

城も偕楽園も観光客対応の点ではいまいち感がありました。ひょっとして茨城県はそういうのが苦手なのかな。

那珂湊へ移動して市場を見ました。名所らしく魚だらけ、観光客で賑わっていました。入った食堂はハズレでした。混んでいるところもありましたからそういうところはおいしいのでしょうか。何軒もあるのですから那珂湊の評判を落とさないようにみなさんで足並みをそろえてほしいと思います。

茨城岩間ICから常磐道で午後帰京。水戸納豆を買いましたがそれは美味しかったです。


雑談2

偕楽園も好文亭も幕末水戸藩の殿様徳川斉昭さんの指揮制作です。幕末有名人で賢侯のひとりです。しかしあれこれ好き勝手にできたものだとうらやましい。

息子が最後の将軍徳川慶喜さんですが、水戸で父親のそばで育ったらしい。好き勝手なところはやはり殿様、遺伝しているかもしれません。頭が切れるのも。

ところでいろんな小説読んでいたので一度水戸学の地を訪ねたかったわけで、とりあえず観光できました。

天狗党の筑波山決起とか那珂湊の戦いとか水戸のあたりは幕末の有名事件が起きていますが、水戸の尊王攘夷思想がそもそものようです。

尊王攘夷が評価されるのは、いちはやく国際情勢に気がついたこと、日本4島の住民に日本人を最初?に意識させたこと、なのではないかと思いましたがどうでしょう。けっきょくあれこれあって急転、薩長の倒幕まで行った、ということか。





6.12.2024

筑波山のハイキング

ロープウエー利用して周回、それから水戸へ


date 6月10ー11日 

member kei itokisya(記)


6月10日 月曜日 くもり


筑波山。標高は877mですが立派です

山腹の遊歩道をツツジが丘まで1時間登ります

7−8分で400mほど登ってくれます
        

見晴らしのよい山ですが今日はあんまり
ケーブルカー駅と男体山。大正14年開業で観光客の山になった


        


男体山山頂から筑波山神社に下りました。標高差600mほどで1時間半

男体山山頂にある古い測候所。山階宮家由来らしい

立派な社です


   5時40分に出発。ラッシュアワー前の首都高をぬけて常磐道、守谷サービスエリアで朝ラーメン。高いわりにあまりおいしくない。

谷田部ICから学園都市をぬけて筑波山の駐車場には10時前着。


案内図をみて、つつじヶ丘ロープウエーまで歩いて女体山、男体山とまわることにしました。10時スタート。ここの標高は250mくらい。おばさん4人組がうしろにいます。同じプランらしい。日当たりがないので涼しいです。


うっそうとしたスギとモミの林を歩いて11時過ぎにつつじヶ丘。ロープウエー駅の標高500m。片道750円で展望よいです。これで上がり、山頂駅。女体山(筑波山最高峰877m)へは5分ほど。11時半着。岩山の山頂でガスの切れ間から麓が見えます。


男体山(871m)まで縦走して11時半山頂着。ひと休みして筑波山神社に下ります。ケーブルカー沿いの急坂な下りで登りには選びたくない道ですが、15人くらいは登ってきました。元気な人なら2時間で登れるそうです。この下りは初めて、1時間半ほどかかりました。


立派な筑波山神社を見学してクルマに戻りました。14時半終了なので4時間半の行程。平日で天気もぱっとしない日なので静かな山でした。


国道6号で石岡経由水戸。シーラックパルホテルにイン。お城からはずーっと離れていて茨城県庁のとなりにあります。


雑談1

このあたりの低い山並みは、パラグライダーの世界では足尾の山とか、つくばとかいわれています。日光の裏にある足尾とは別の山です。筑波山から加波山につづく山並みはパラグライダーのメッカで国内有数。東側の山ろくは八郷(やさと)の盆地で条件がよければ八郷周遊にチャレンジできます。八郷の中心は石岡。

律令時代は、水戸よりも石岡が常陸の中心で国府がおかれ、今も昔も府中と呼ばれています。肥沃で豊かな土地らしく今も裕福なところのようです。。

友人のクボタケンジさんは石岡の出で、山好きでネットでは一部に有名ですが、その実家は、ちょっと皇居に似ている、そうです。こんど見てみたいです。 

久保田賢次さん

https://www.mtfuji.or.jp/thought/interview/vol69       



6.07.2024

等々力緑地(川崎市)

 コンクリートの巨大なスポーツ施設のほか小さな森と池

古くさくてうらぶれ感あり、人少ない、散歩にはよいです。

大水でつかったミュージアムは取り壊して生田緑地に新築するらしい。

写真は2024年6月7日撮影

多摩川の横。もともと草っパラ、そのご砂利採取地、その穴のひとつが今の釣り池


箱物コンクリートがいっぱい

緑もあります

人がいない

取り壊される川崎市民ミュージアム