10.05.2024

RIP 高木義一朗、浜久雄 (懐かしい写真)

 諏訪の友人ふたり。去年と今年逝きました


高木義一朗さん 

たまたま長野日報ネットで高木さんが「八つ縄文織り」の本を出したというニュースをみました。テレビ動画もあってインタビューされる高木さんを見ました。老けたな、という感じ。車椅子なので、どうしたのかなと、原田ひろふみさんに聞いたところ、6月におなくなりになった、という。がっくりきました。

高木さんは諏訪清陵高校山岳部の一年上の先輩であちこち山にいきました。力持ちで優しいという金太郎のような方でした。私の印象をひとことで言えば「いい人すぎる」かな。

私は中学は東京だったんですが茅野の実家に帰ると兄につれられて八ヶ岳など登っています。それで山好きになったんです。兄の大学進学と入れ替わりに茅野にもどり、それで高校へ、それで山岳部に入ったわけです。部室に一年上の先輩が数人、そのなかに高木さんがいました。キスリングを背負って春山、夏山、秋山、冬山合宿など行き基本的なことを教わりました。岩登りも二葉の岩場で練習してよく八ヶ岳へいきました。放課後は立石展望台までランニング。

一年生最初の夏山は北アルプス縦走で、針ノ木峠を超えて薬師岳、槍ヶ岳、徳本峠こえ、島々という長いルートです。二年生の高木さんがリーダーでよくしてくれました。覚えているのは、早朝、一年生のテントゆっくり寝かせておいて、高木さんが毎朝ご飯を作ってくれたことです。万事そんな人でした。

甲州街道沿いの老舗「いちき糸店」の3代目、並びには真澄酒造があり、学校までは5分くらい、上諏訪の商家の子だったわけですね。山岳部にはほかにも関さん、金子さん、一世さん、飯田さん、片桐さん、  さん、上諏訪の育ちのよさそうな子がいました。家具やの宮坂さんは20歳ころ八ヶ岳で死にましたね。先輩にはほかに法政山岳部の宮原さん、早稲田全共闘の小松さんがいました。小松さんは夏山合宿にOB参加してくれました。

いちき糸店の手創りのホームページを作って諏訪の山の案内なども載せていて近況がわかり楽しみだったんですが、いつのまにか、消えてしまったようで残念です。90年代のことです。

八つ縄文織りもそのころから研究したのでしょう。忘れられた諏訪の織物を再発掘して復元、改良したらしい。詳しくはわかりませんが、効率のいい織り機も作ったそう。理系の頭でしたからエクセルなども活用して新しい織り方を発明したということかな。もっと行政などとつながって広めたら諏訪の文化水準も上がったのではとおもいます。

それにしても「八つ縄文織り」というネーミング。八つは八ヶ岳のことで山屋の言葉、符牒です。縄文は縄の模様ではなくて縄文時代から続くというようなニュアンスかな。山好きの高木さんらしいです。

2024年10月伊藤文博 語る



長野日報の記事。4月の取材だから亡くなる2ヶ月前、療養中だったよう



八つ縄文織り。インスタのいちき糸店から



インスタのいちき糸店から



信濃毎日新聞から





中央アルプス秋山山行、1964年東京オリンピック開会式の日、空木岳。
探していた写真ですが、数年前、関洋一さん所有のものを高木さんが送ってくれました


右から、高木さん、明孝くん、関くん、伊藤フミヒロ、金子さん

高木さんと一世さん


浜久雄さん

宮川村の秀才でした。理系

 諏訪郡宮川村とかつて言いましたが今は茅野市宮川です。諏訪大社上社を流れる川なので宮川。宮川小中学校でいつも学年トップの秀才でした。大学を出て精工舎に長年つとめ、長男だったんで諏訪にもどりエプソンに入り取締役をしていたようです。数年前奥さんをなくされて気の毒でした。

あとは悠々自適に暮らしていましたね。

ゴルフが好きで得意だったよう。5年ほどまえの同窓会では幹事をつとめ、東京オリンピックのチケットがあたってたのしみだと言っていました。

高校時代は宮川村の仲間の級長的なリーダーだったとおもいます。ほとんどが大学卒後、就職した人も結局諏訪(宮川)に戻りましたので、そこでも発言や振る舞いは影響力があったのではないでしょうか。もともと楽天的で明るい人でした。

高校時代は東大へ行くのかと思っていましたが、名古屋の工業大学に入りました。60年代の田舎ですから進学塾があるわけでもなし受験勉強もてきとうなものだったとおもいます。というのは山ばかり行っていた私の感想で、できる人はそれなりにいて、いい学校、いい仕事を見つけています。久雄さんはほんとうにできる人だったんですね。

70年前半にヨーロッパへ遊びに行っています。多分新婚旅行か、写真を見せてもらいました。フェイスブックをみて最近ピラミッドを見に行ったようで感心しました。好奇心の強い人なのでしょう。

団塊世代は競争世代だったと言われますが、それでも田舎はのんびりしたものでした。東京に出てから遅れてはいけないと頑張った人がいて、実家に帰ればいいやと田舎に戻った人がいた、、のではないでしょうか。このことはまた考えてみましょう。

久雄さんは生まれつきのいい頭をしっかり前に向けて、上手に人生をこなしたように思います。

2024年10月伊藤文博 語る



フェイスブックで知りました

2009年富士登山。左から久雄くん、原田ひろふみくん、敏秀くん。私を含め4人とも60歳

久雄くん旅好きだったよう



付録・おもひでのアルバム 

昔の写真を貼ります。
1960年代はもちろん20世紀末まで写真はフィルムの時代でした。高木さん浜さんのほか、懐かしい人が写っています。




























10.04.2024

四尾連湖から蛾ガ岳

 四尾連湖から蛾ガ岳 (しびれこからひるがたけ)

date 2024年10月2日 水曜日

member itokisya(記)

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四尾連湖からスタート
写真をクリックするとヤマレコへ移動します




         

いい山。気に入りました
富士川道の駅。8時ころ行動開始。
甲府盆地の南側の山へ、あまり知られていない山域ですが、さらにその南には天子、御坂の山が続きます。富士五湖と富士山はその裏です。

富士川(釜無川)をわたって山へ向かいます。けっこうな急坂くねくね道です。御坂峠、若彦路、精進湖道、下部の道と山越えルートはいくつかありますが、目ざす四尾連湖は市川三郷という地域らしい。かつては山奥の風情ある村だったはずです。この道の終点が四尾連湖で、道も集落も行き止まりのようです。



四尾連湖は富士八湖のひとつで天然の湖でいい感じです。水明荘ほか施設がありますが山小屋のヒトの経営風。まあボートやキャンプなどにはいいかもしれませんね。

広い駐車場があって500円、8時40分にスタート。ここの標高は1030m。気温20度くらです。甲府は標高250mで今日は夏日予報。

かなりの急坂をひとのぼりで稜線にでます。ここから蛾ガ岳1279mまでは遠いようですが登りはそれほどありません。
尾根上を避けてずーっと巻道、水平道の感じです。きれいな雑木の森の中、細い道が続きます。ところどころに馬の背のような危ないところもあります。たまにスギの植林帯がでてくるのが不思議。1時間もかからずに西の肩峠につきました。六地蔵がありました。この道は古道ですね。芝草村へ、の道標がありました。

峠から蛾ガ岳へはもうれつな急登。15分がんばって10時30分に到着。
富士山側と甲府盆地側が切り開かれていてけっこうな展望が得られました。ここは穴場です。
のんびりしてから往路を戻りました。
会ったのは先ほど下ってきた中年おじさんひとり。30分待って富士山が顔をだしたよ、とよろこんでいました。

大畠山によって車に戻ったのが1時。甲府盆地に下って勝沼ICから帰京。それにしても蛾ガ岳と書いてひるがたけ、は知りませんでした
クリがたくさん

西肩峠の六地蔵。芝草村から甲府へぬける山道か

馬の背の道


2日行程


大畠山から秩父の山

大畠山から八ヶ岳



10.03.2024

日向山(山梨県北杜)

 人気のハイキング山。甲斐駒の下

date 2024年10月1日 火曜日

member itokisya(記)

矢立石。舗装路で行けますが細道

雑木の森のきれいな山道です

白砂の広場。まわりの山にも似たような地形が見えます

         


景色は抜群1660mの山頂。となりの黒戸尾根の七丈小屋は2300mだからさすが低いです

ジオフラフィカのマップ
          

白砂青松の山で有名です。
花崗岩の砂粒だからとなりの甲斐駒、ほかに燕岳、小川山などと同じとおもいます。一度登ってみたかったところです。

早起きして、中央道昭和ICから20号、白州の尾白へ。甲斐駒黒戸尾根のスタート地点ですが、日向山ハイキングには林道をさらに上った矢立石のパーキングが便利。尾白川畔の駐車場よりも標高で300mほど上がるので楽ですが舗装の急坂細道でここがけっこう核心。

矢立石には9時半着。5,6台先行車がいました。
9時45分、ほとんど空のパックでスタート。標高1100mで気温は20度くらい。
きれいな雑木の森を1時間半ほど登ります。広い尾根の歩きやすい道です。勾配が落ちると山頂ちかく。11時50分、標高1660m白砂の山頂にでました。広々して新鮮な景色です。八ヶ岳、甲斐駒は山頂部に雲がかかっていました。
1時間近くいてから下りました。14時に終了。
30人くらいに会ったでしょうか。ハングル語の賑やかな女子グループがいました。下山直前、白人男子5,6人が手ぶらで上ってくるのに会いました。

べるが公園の尾白の湯によってから富士川道の駅に移動。尾白の湯は830円ですがそれなりにいいところです。

べるがから八ヶ岳

べるがから八ヶ岳



インスタの作品2点

翌日はしびれ湖から蛾ガ岳(ひるがたけ)登ります

9.22.2024

富士山宝永火口

高鉢パーキングから第二火口、第三火口

date 2024年9月20日

member  itokisya(記)

紫が今回。赤線は去年7月

富士山スカイラインを行きます

高鉢パーキング。ほかに1台、空いてます


第二火口縁から海の方

宝永山。会ったのはこの人だけ。連れは下で待っているようす

第二火口縁から第一火口と富士山頂

ガラン沢のあたりは絵のようにきれい

村山修験道場跡

シルバー連休前日の金曜日 晴れ。

早起きして東名松田ICから246号、富士山スカイライン経由高鉢駐車場へ。8時につきました。なんやかや4時間くらいかかったかな。

8時半スタート。標高1650m、気温22度、涼しいです。ガラン沢まではコケと森のきれいな遊歩道。途中、いにしえの村山古道を横切ります。御殿庭までは樹林の登り、第二火口縁まではザラ場の急登り。12時半、火口縁着。2350mくらい。気温20度くらい、風もあります。4時間もかかってすっかり疲れました。

上天気で雲も流れていて狙いとおりの写真がとれました。下り始めでずっこけたのは疲れか歳のせい、ひとりなんで気をつけないとね。第三火口経由で往路を戻りました。3時半終了。7時間行動で会ったのは中年二人組のみ。

天母の湯に寄って朝霧高原道の駅でのんびりしました。標高900mほどなのでまあまあ涼しいです。

よく朝起きると車泊車がびっしり入っていて驚きました。本栖湖、河口湖、山中湖、道志道、どこもざわざわと人が多くて驚きました。ゴールデンウイーク並みの感じ。午後には帰京。


パノラグラム作品2点


予定どおり行動できました

         

富士山周回、300kmくらい


雑談です。

地名パタゴニアの由来と『甄嬛伝』(しんけいでん)など

 


9月に入っても暑いので出かける気分になりません。家で涼しくしています。

白石一郎さんの「航海者」を読んでいたら、パタゴニアという地名の由来がでてきました。南米大陸最南の地です。

現地の言葉でパタゴンという怪物がそのあたりにいたそうです。これはビッグフットの意味で巨人かな。それであのあたりをパタゴニアというらしい。

白石さんの「航海者」は漂流ものの系列で、実はウイリアムアダムスの小説的伝記です。アダムスはイギリスから大西洋、パタゴニアのマゼラン海峡を超えて太平洋をわたって日本にやってきたというすごい人です。3年かかったそう。徳川家康に気に入られてサムライになりました。三浦按針のことです。

直木賞作家、さすが面白いです。もうなくなった方のようですが、ほかにも面白そうな歴史ものや海洋作品がありたのしみです。


面白いといえば塩野七生さんの「ローマ人の物語」12冊ほど読みましたがまだ30冊ほど続くようなのでゆっくり読むようにしています。ローマ史の通読本ということですが東西の史書をよく読み、独特な観察と語り口でわかりやすい本になっています、けっこうはまります。


はまる、といえば、、、

夜は読書はさけて中国の大河ドラマをよく見ます。スン・リーという大女優がいますが、数年前「ミーユエ」で秦の始皇帝の母の母の母?にあたるヒロインを演じていて知りました。

今見ているのは「ミーユエ」の前作で「シンケイ伝」日本タイトルは「宮廷の諍い女」舞台は「ミーユエ」が紀元前ですが「シンケイ伝」は清朝雍正帝時代、日本では江戸時代です。大奥ものなのでバカにしていましたがハマります。彼女はのちのち乾隆帝の母、皇太后になります。今50回目あたりですが、70数回続くようなので暇つぶしには最適でしょう。その時代の衣装や振るまいなども興味深いです。