5.01.1999

ティトンクレスト・ツアー

TETON CREST SKI TOUR IN TETON NATIONAL PARK, WYOMING

MATUSKURA KAZUO
ティトンクレスト・ツアー
      
from left,Trail head,touring,it`s me,camp site,kisya,itosan and kurokawa and tokuchi 
Hikari on ID in JT,Bouldering in JT
 
メンバー 松倉一夫、黒川晴介、徳地保彦、汽車、北田啓郎、溝部克実、真壁章一、
     真壁静子、DON SHEFCHEK,BENJAMIN BURDE

1999年5月1、2、3日


4月30日

 ティトンパスの駐車スペースにクルマを停める。すでに10台ほどクルマがあり、
滑ってきた山スキーヤーやスノーボーダーがいる。
 さっそく、われわれもスキー板にシールを着け南へと伸びる斜面を登り出す。ア
メリカに来る前に、一度だけ「田代かぐらスキー場」で試してきたが、まだ操作に
なれておらず、いきなり仲間から遅れる。時差ボケのせいか、すぐに息が上がりみ
んなについていくのがきつい。それでも20分ほどで通信小屋(?)のある稜線のピ
ークにたどり着く。
 すぐにシールをはずし、西斜面の樹林帯へと滑り込む。山スキーなら何とかなる
だろうと思っていたが、あまりに湿って重い雪にターンさえままならない。そんな
中、他の面々はこんな悪雪にも慣れているのか、次々鮮やかなシュプールを描きな
がら滑り降りていく。私はターンをしようと体重移動をすると、板のトップがひっ
かかり転倒。すでに下で待っている仲間が心配そうに見つめている。
 やっとボトムまで滑り降りると、対面の斜面へと登っていく。重く滑らない雪に
、テレマーカーはシールも着けずに登るが、山スキーでは上手く登れない。シール
を再装着し登る。すでに、北田さんたちはかなり先を行ってしまった。
「このツアーについてきたのは間違いではなかったか」
 30分もしないうちに頭をよぎる。自分だけ今のコースを登り返し、駐車場に戻っ
て待っていたほうが賢明ではないかとさえ思う。
「みんな飛ばすけど、ゆっくり行けばいいですから」
 真壁さんが私に付き合い励ましてくれる。
 先に行っていた伊藤さんも、途中で心配げに待っていてくれた。
「歩幅を小さく、マイパースで来ればいいから」
 そうは言われても、どんどん先との差が開いていくのは心許ない。今日は2、3
時間の足慣らしだから、どんなに遅れても心配はないが、本番になればそうもいか
ない。大した登りでもないのに、これほど息が上がり足が前に出ない。これではど
う考えても2泊3日のツアーは難しい。荷物も倍以上の重さとなるはずだ。もう少
し、様子を見て「ダメだ」と自分で判断したら、早めに参加中止を申し出ようと思
う。
「これでは足手まといになるのは間違いありません。みんなだけなら予定通り、ツ
アーを成功させられるのに、私がいたのではどんなご迷惑をかけるかもわかりませ
ん。私は登山口と下山口の送り迎えなどサポートに徹します」
 すでに、みんなになんと言うかも考えていた。ただ、そうは言っても、とりあえ
ず、この斜面だけは登らなければならない。20歩ごとに一息入れながらゆっくり登
り続けた。
「この先の稜線に出たら、僕らはみんなが下りてくるのを待ちましょう」
 真壁さんが、私の歩みを見てそう告げる。歩き出して1時間ほどで、ダメ出しを
されるのは辛いが、それでも、これ以上登らずに済むと思うと、「わかりました」
とお願いする。
 やっと森林限界となり稜線に出ると、さっき私を励ましてくれた伊藤さんと徳地
さんが、稜線の右手に広がる斜面の中腹まであがっていた。
「このバーンを滑れたら気持ちいいだろうな」と思うが、体は休みたがっている。
真壁さんがスコップで斜面をカットし休憩場所を作ってくれる。
 荷を降ろし、行動食を食べていると、しばらくで山頂からみんなが滑り出してき
た。なんともゆっくりしたペースだ。ビデオなどで見た豪快さとスピード感はない
。まるで、日光いろは坂をゆっくりゆっくり安全確認をしながら下ってくる観光バ
スのような速度だ。
「まるで、鳥餅の上をすべっているよう」と北田さん。
「おかゆのようだ」と溝辺さん。
 降りてくると、それぞれに開口一番、雪のひどさを口にする。昨晩の雨が湿った
雪をさらに重くしていたのだ。山頂では雪だとばかり思っていたが、うえも雨だっ
たようだ。
 全員が私と真壁さんのところまで滑り降りたところで、ティトンパスへ向け戻る
。しかし、すぐに壁が立ちはだかった。40度はあると思える急斜面。それに加え、
この悪雪。ほとんどゲレンデスキーしか体験したことのない私には、まさに未知の
雪の重さだった。
「斜滑降、キックターンで下りてくればいいから」
 伊藤さんは言うが、思いきりがつかない。
「松倉さん、そっちは雪崩れるかもしれないから、こっち側に」
 真壁さんが、木がある斜面へと誘う。と、伊藤さんが、私とは逆方向にトラバー
スした。その瞬間、斜面が崩れたのだ。
「やっぱり起こったか」
  以前、雪崩に巻き込まれて自力生還した真壁さんにが言った。誰一人慌てていな
い。雪崩は山肌をゆっくりと流れていく溶岩のようなスピードなのだ。
「今の雪なら雪崩れても手でつかめるくらいゆっくりだから心配ないですから」
 入山前に黒川さんが言っていた通りだった。
「大丈夫だから」
 伊藤さんの声に、私もこれならいざとなっても逃げ切れると、意を決し斜面をい
っぱいに使いながら斜滑降で横切る。そして、キックターン。それを繰り返しなが
ら高度を落としていく。そして、もう転倒しても大丈夫だというところまできたら
、あとは直滑降で谷底へと滑り降りた。
 再びシールを着け登高。北田さんたちは斜面を登り返して滑ってティトン・パス
に降りると言うが、私は黒川さんの先行で斜面をトラバースして直接駐車場に戻る
ことにした。ゆっくり樹林帯の中を巻きながら登っていくと、切り通しで左手下に
峠から下っていくハイウエイが一度見えた。さっきまで疲れ切っていた体が急に元
気になる。しばらくでトレースは下りへと替わりシールを外す。300mほど滑る
と一気に視界が開け、あっけなく駐車場に出た。
 ティトン・パスを出てから3時間半、私のはじめての山スキーのツアーはこうし
て終わった。

5月1日

 夜中、何度となく目が覚めた。その度にシトシトと屋根を打つ雨音で心が軽くな
っていた。昨日のティトン・パスツアーでさんざんだった私は、できればツアーが
短縮することを願っていたのだ。
「翌朝、雨の場合は1泊2日のショートツアーに切り替えよう」
 昨夜の夕食で、そう決まったとき、顔には出さなかったが喜んでいた。
 アメリカまでわざわざスキーツアーをしにきたのに、まるでツアーに参加できず
に帰るのは癪。かといって2泊3日のツアーについていく自信はなくしていた。1
泊2日……、そう、私の限界は2日間。2日だけなら、意地でも頑張り抜けるだろ
うと思っていた。
 しかし、その目論見は夜明けとともに消え去った。アメリカに入って、久しぶり
の快晴だった。
「決定ですね」
 黒川さんの声で、私の心は決まった。「辞退する」ではなく、「参加しよう」に
だ。まっ青な空が、私の心の曇りまでも吹き消していた。絶好のツアー日和に、登
らぬは損、誰もがそう考えるような空だった。
 決心が付くと準備も早い。ラーメンとシリアルで朝食を済ますと、パッキングを
すべて終えた。
「晴れたよ」
 7時10分、伊藤さんが嬉しそうに我々の部屋へとやってきた。他の面々も心躍ら
せ、出発準備を進めているのがわかる。今回、参加するのは、北田啓郎、溝部克美
のA班、伊藤文博、黒川晴介、徳地保彦、私のB班、ベン・バーディー、ダン・シ
ェフチクのアメリカ人チームC班、そして真壁章二・しずこご夫妻のD班の10人だ
。
 8時30分、宿をチェックアウト。4台の車に分乗し、Granit Canyo
n Trailheadを目指す。私と徳地さんだけは、下山ポイントのJENN
Y LAKEに車(スバル・フォレスター)を回送してから向かう。
 10時10分、全員が揃い、トレイルヘッドの看板脇で記念撮影をしてから出発。し
ばらくは雪がなく、ザックにスキー板を装着して樹林帯を行く。エルクかムースか
、分からないが、そこら中に糞がこぼれている。まるでチョコボールのようにコロ
コロしている。糞の玉は50~100個くらいが一塊りになっている。糞は排出され
たばかりかなり熱を持っているのだろう。いずれの糞の塊もちょうどボール状に丸
く凹んだ穴にきれいに収まっている。
 そんなことを考えながら、樹林帯をゆっくりと登っていく。
 みんなはテレマークブーツだが、私だけが山スキーの兼用靴。歩きにくい。それ
でも、スキー板をつけて歩くよりは、私にははるかかに楽だ。まだ、板をつけての
歩行に慣れていないのだ。板を前に引きずるのは、足を普通に前に出すのとは違っ
た筋肉を使うのか、長く歩いていると股関節の外側の筋がなぜか痛くなってくる。
 しかし、スキー靴での歩行はいつまでも続かなかった。約1時間で、トレールは
完全に雪に覆われ、板を付けることになる。
「今日は調子良さそうだね」
 沢沿いで2回目の休憩をとっているとき、伊藤さんが声をかけてくれる。私も不
思議と今日は息が上がらない。まわりの景色を楽しむ余裕もある。切り立った岩峰
と直立するシダーや米松の森が、いかにもアメリカの風景だ。
 昨日は時差ボケなどから、あんなにバテたのだ。ふだん、水泳やバスケットをや
って鍛えている私が、いくらはじめての山スキーツアーとはいえ、登りであんなに
息が上がるはずない。「そう、自分は体調が悪かっただけなのだ」と自分自身に言
い聞かせる。
 その後も、しばらくは足運びがつらくなることもなかった。ただ、いくら歩いて
もなかなか近づかない、あまりに遠い本日のキャンプ地が恨めしい。
「もう3分の1は来たでしょ」
 期待を込めて言うと、真壁さんが「4分の1がやっとでしょ」と答える。「もう
3分の2は来たでしょ」の問には「半分ぐらい」とそっけない。
 私は歩いた距離よりも、時計とにらめっこしながら勝手に自分がどれぐらい進ん
だかを推し量ろうとしていた。
 16時過ぎ、半分以上雪に埋もれたGranit Canyon Patorol
 Cabinに到着。かなり古ぼけた丸太小屋だ。これがアメリカの昔ながらのロ
グキャビンなのだろう。
「丸太のつなぎが粗いから、セメントのようなものが詰められている」
 山中湖に別荘のログハウスを購入したばかりの伊藤さんが感慨深げに言う。
「どこまで進もうか」
 北田さんたちA班はMarion Lakeまで行きたいと主張。B班と外人チ
ームはシェルフの下に平らがあるはずだから、その辺りにしたいと答える。
 すでに歩き始めて6時間が経過。調子が良かった私もだいぶ疲れてきている。で
きるだけ近場で今日のキャンプとしたいと願う。
 答えが決まらないままに再出発。ここからNorth Fork沿いに右へとゆ
っくり登っていく。昼間あんなに天気がよかったのに、だんだん雲がたれ込めてく
る。やはり天気予報通り、晴天は1日と続きそうにない。しばらくすると、小雪が
舞う。
 早くキャンプ地を決め、腰を落ち着けたいと思いながら、ただただ黒川さんが先
導してつけているトレールをたどる。
 1時間ほど歩くと、やっと樹林帯が大きく開けた平原に出た。まさにキャンプ地
にぴったりといった感じ。平原の右には沢が流れ込んでいる。すぐにでもザックを
下ろしてキャンプの準備をしたい。
 しかし、真壁さんが一人、どんどん先へと進む。時計を見ると17時を10分ほど過
ぎている。A班はもっと行く気なのだろうか。
「もう、今日はここにしましょう」
 そう叫びたくなるが、ただついてきただけの私に言えるはずもない。ゆっくりと
ついて行くしかない。そのときだった。少し離れてやってきた外人チームが、今日
はここでキャンプにしようと言ってくれた。伊藤さんや北田さんたちも「それじゃ
、そうしよう」となった。
「まかべさーん。ここでキャンプしましょー」
 すでに100mほど先に行っている彼に向かって、私は思わず声を張り上げてい
た。もう、それ以上一歩たりと先に進まないでくれと願いながら。
 そして、ついに平原北端の木のそばで1日目のキャンプとなった。
 場所が決まると、めいめいにテントが設営された。アライのゴアテックスのテン
トが4張り。徳地さんだけがツエルトだ。徳地さんはもし夜中、吹雪いてどうしよ
うもなくなったら「逃げ込ませてね」と言うが、誰も「うん」とは言わない。ちょ
っと可哀想だが、誰もがゆったりと寝たいのだ。もちろん、生死にかかわるような
事態にでもなれば、話は別だが、装備は万全。少々、寒くたってツエルトでも充分
に寝れること知っているのだ。
 テント設営を終えしばらく休んで、18時過ぎから夕食の準備。B班はそれぞれに
コッヘルに好みの食事をつくって食べる。とは言っても、ジフィーズだ。私は牛飯
。伊藤さんが、1日頑張り抜いた私をねぎらってか、私の分まで食事を作ってくれ
た。水を入れすぎビチャビチャだったが、喉の乾いている私には十分美味しかった
。完全に暗くなる21時過ぎにシュラフにくるまる。

5月2日

 時計を見ると、まだ夜中の2時を過ぎたばかりだ。なかなか深い眠りにつけない
。遠足の朝を待つ子供のように30分おきに目が覚めていた。
 からだが暑かった。ほとんど冬山を経験したことのない私は、寒くて寝られない
のだけはゴメンと、ダウン800gの冬用シュラフを用意していた。さらに防寒着
を着込んでいた。とくに下半身が蒸し暑い。伊藤さん、黒川さんを起こさないよう
にと気を使いながら、狭いシュラフの中で、フリースのパンツと靴下を脱ぐ。
 テントの外では静かに雪が降っていた。屋根にパラパラと落ちる音がかすかに聞
こえる。雪というものは音もなく積もっていくものだとばかり思っていたが、雪質
によって違うことをこの山行で知った。今、降っている雪はふわりふわりと落ちる
牡丹雪ではなく、まっすぐ落ちる硬い雪に違いない。そんなことを思いながら、隣
で寝息を立てる二人を羨ましく感じていた。
 天候は下り坂だという。夕食のときの話では、荒れればこのまま下山となる。登
りよりも下りのスキー滑降のほうに不安を覚えていた私には、昨日のゆるい登りを
戻るほうがはるかに楽だろうと感じていた。登ってしまったなら、下るのはDea
th Canyon、地獄の谷である。名を聞いただけでも、難行苦行を強いられ
そうな感じだ。
 時計を見ると2時を回っていた。夜明けまで3時間半。
 天候が持てば、ひとまず稜線まで上がってから後の対応を考えるという。先の行
動が決まらずに動くというのは、何とも心細い。登ったはいいが、やっぱりダメだ
から戻るというのはくたびれもうけの感がぬぐえない。その点では、まだまだ私は
挑戦者ではなく、観光気分で山に入っていると言ってもいいのだろう。「登れると
ころまで登る」ではなく、「登れると分かっているから登る」でなければ行きたい
と思えないのだ。
 そうはいっても、結局、行くか行かないかを決めるのは各班のリーダーたちの話
し合い。私は決定にしたがうのみ。天候がカラリと晴れればGO、だめなら下山。
そんなわかりやすい決定を望みながら、再び眠りへと落ちていった。
 誰かがテントの内側をバタバタバタと揺らし、屋根に積もった雪を落とす音で目
を覚ました。時計を見ると6時を回ったところだった。外はうすら明るくなってい
た。それを機に私たちは起床。
 起き出すと伊藤さんはすべての準備が早かった。外に出て、すぐにお湯をわかし
朝食の準備をはじめる。私と黒川さんはテント内で準備。山の朝はやはりラーメン
がいい。食べやすいし、体もあったまる。
 しばらくすると、北田さんがやってきた。10時まで待って、どうするかを決める
という。考え方は3つ。1、このまま昨日のコースを戻る。2、荷物をここに置い
たまま稜線まであがり、眼前に広がる斜面を1本だけ滑ってから下山。3、荷物を
もって稜線へとあがり、当初のTETON CREST TRAILをたどりFO
X CREEK PASSを越えてDeath Canyonを下るというものだ
。
「まっちゃんはどうしたい」
 伊藤さんが聞く。
 シンシンと降り続いている雪を見ていると、私のなかでは1か2しかありえなか
った。気分としては2だった。北面から東面にひろがる斜面はいかにも滑りやすそ
うな斜面に見えた。雪が昨夜から降り続いていたため、これまでの雪質に比べると
ずっといい。ここを滑って今日中に町に降りる。そして、ジャクソンで有名なカウ
ボーイ・バーで乾杯する。
 しかし、私の思惑とは裏腹に3の選択となった。あろうことか、答えを決定する
10時頃になると、雪がやみ、一部だが雲が切れ青空が覗いてしまったのだ。
 決まればやることは早い。伊藤さんが「みんなをびっくりさせてやろう」と言い
、他のチームがのんびりしているなか、さっさとテント撤収から出発準備を済ませ
ると、いち早くスタートを切ったのだ。
 伊藤さんが先頭でトレースをつけながらどんどん進んでいく。2番手に私が続い
た。そして、10分ほど進んだ急登の手前の木立の陰で待つことにした。
 15分ほどで全員がそろった。ここからいよいよ本格的な登りとなる。
 真壁さんが重戦車のようにがんがん登っていく。しかし、今回は私は慌てない。
ティトンパスのときのように、慌ててついていこうとするとペースを乱されバテる
のが目に見えている。スキーのクライミングサポートを立てると、ゆっくりと登り
始めた。稜線が近づくにつれ、かなり大きな雪庇が張り出しているのが見て取れる
。
 きつそうに見えた急斜面もジグザグ登高でマイペースで行くと、意外とあっけな
く稜線に立つことができた。稜線は思ったよりもなだらかでだだっ広かった。
「ここからが当初のコースだ」
 伊藤さんが言った。
 1日半かかって、やっとTETON CREST TRAILに出たわけだ。日
本での予定ではTETON PASSからこのTETON CREST TRAI
Lをたどり、主峰GRAND TETONの脇を抜けてCASCADE CANY
ONを下りJENNY LAKEへと滑り降りる予定だった。しかし、現地入りし
てさまざまな情報から入山をGranit Canyonからに変えたのだった。
 時計の高度計で標高を確認すると3045mを差していた。今回の最高点だ。時
計は13時を少し回ったところ。木陰で風をさけて行動食をとる。雪が少しずつ強く
なっている。
 しばらく休むと、広大な斜面をゆるやかに下り、FOX CREEK PASS
にたどり着く。今回楽しみにしていたDeath Canyon Shelfの岩
棚が見える。しかし、そちらへは進まず、Death Canyonへと向かう。
 いきなりの急斜面。巨大な雪庇で下れるところはほんの一部しかない。雪質も最
悪。TETON PASSのときよりもひどいくらいだ。べちゃべちゃでしかも深
い。伊藤さん、北田さん、ダンが先陣を切り、果敢に降りていく。ほんとうに滑り
にくそうだ。20年以上年間100日もテレマークスキーをしてきたダンにしてもテ
レマークポジションを取るのに苦労している。果たして私はここを滑れるのだろう
か、と怖くなる。
「そっちにいったらダメだよ」
 真壁さんが叫ぶ。溝部さんが急な斜面を避けるように、左へと滑っていったが、
下には大きな雪庇があり、さらに下には岩が覗いている。私は溝部さんはきっと分
かって行っているのだとは思うが、足元が崩れはしないかとハラハラしてならない
。結局、しばらくすると、ダメだとあきらめたのか、戻ってきて、伊藤さんたちが
滑ったところを降りていった。最後まで残ったのは真壁さんご夫妻と私。奥さんと
私は真壁さんのリードにしたがい、雪崩に気をつけながら順番に斜滑降とキックタ
ーンを繰り返しながら少しずつ滑り降りていった。
 その壁を抜けると、あとはずっと緩やかな斜面だった。ただ最悪の雪質にスキー
が滑らない。下りなのに歩行をしなければ進まないのだ。私は今日中に下山できる
のだと思っていた。ベンも「今日は下りてカウボーイバーだ」と言っていたのだが
、結局、下りにも関わらず思うように距離が稼げず、3時過ぎ川のそばの平らでキ
ャンプとなった。
 テントを張り終えるを待っていたかのように、雪が本降りとなったきた。牡丹雪
が周辺の木々をみるみる白く化粧していく。
「真冬の雪だね。まるで上越の雪みたい」
 伊藤さんが言う。
 まさに1日にして野山を真っ白に変える湯沢あたりを襲う豪雪のような降りだっ
た。当たり前なのだが、アメリカも日本も雪が降っている様子は変わらないのだと
、妙に納得する。
 17時半過ぎ、私と黒川さんはテント内で、伊藤さんだけが外で食事をする。私た
ちを気遣ってか、窮屈なテント内で食事をしたくないのかは定かではない。私はカ
ルボナーラを食べたが、なかなか美味しかった。
 しばらくすると、徳地さんがつまみ、お茶をもってやってきた。全員が狭いテン
トに入ってティータイム。雪はますます強くなってくる。
「ツエルト、だいぶ雪が積もってきたよ」
 徳地さんが入口から木陰のツエルトを見ながら言う。たしかに黄緑のツエルトが
白くなっている。
「でも、ゴアテックスだから……」
 伊藤さんが笑う。
「夜つぶれないかな」
 徳地さんが続ける。
「あんだけしっかり張られていれば大丈夫だよ」
 昨日と同じようなことが繰り返される。昨夜、ちゃんと夜を過ごせたのだから、
今日だって大丈夫だという理論だ。でも、状況はちょっと違うかも知れない。日が
暮れると、昨日よりはるかに冷え込んできている。それでも、しばらくすると諦め
たのか、徳地さんは自分のツエルトへと帰っていった。後ろ姿が少し寂しそうだ。
 もし、あの立場が私だったら、きっと伊藤さんはこっちにおいでと言っていたの
ではないかと思う。一人でツエルトに寝せるのは心配だから。ああやって、徳地さ
んを一人で行かせたのは、彼なら一人でも乗り切る能力があることを知っているか
らだ。
 食事もお茶も終われば、もう何もすることはない。寝るだけ。すでにかなり冷え
込んでいた。今日はジャケットとオーバーパンツも履いてシュラフに入る。

5月3日

 昨夜同様、何度となく目が覚めた。目を開けると、天井に黒い陰。雪がだいぶ積
もっていることが分かる。その度に内側からバンバンバンと叩いて雪を落とす。昨
夜はカラリと乾いていたテントの内側が湿っている。着込んで寝たため寒さは感じ
ないが窮屈だ。足が火照ってしょうがない。今日も、シュラフ内でもぞもぞと靴下
を脱ぐ。
 伊藤さんは夏用のシュラフで寒いのだろう。私のほうに寄っている。ふと、徳地
さんは暖かく寝ているだろうかと考える。
 一度、目が覚めると寝付けない。30分おきぐらいに浅い眠りから覚め、その度に
テント内側を叩きながら朝を迎えた。
 6時起床。雪はやんでいた。解かした雪でチキンライスを食べる。しばらくする
と、徳地さんが元気そうにやってきた。他のチームもそれぞれに食事の準備をはじ
めている。
「今日も先に行きますか」
 私が伊藤さんに聞くと、「今日はラッセルしなけれんばならないから最後にしよ
う」と笑う。何ともお茶目な伊藤さんだ。それでも「犬走りの伊藤さん」という異
名は生きていた。出発準備が終わると留まってはいられない性分なのか、他のチー
ムを出し抜いて8時10分に出発。
 新雪が覆っているが、思ったほど深くはない。先頭を伊藤さん、2番手を徳地さ
ん、3番手を黒川さん、そして私と続いた。だらだらな傾斜で半分以上は自分の足
で進むしかない。それでも、体調はばっちり。順調に進んでいく。
 しかし、30分ほどで状況は一変した。先頭の伊藤さんは沢との出会いで左岸を進
んだが、徳地さん以下は右岸をとった。伊藤さんは沢にかかっていた橋を見落とし
たのだろう。徳地さんは気がつき、夏道のトレールにしたがって進んだわけだ。選
択としては徳地さんが正しい。左岸はいかにも雪崩の危険がありそうで、ところど
ころデブリが見えた。しかし、実際は伊藤さんがずっと楽なコースをとった。我々
のコースははじめの100mばかりは快適だったが、あとは登ったり下りたりが激
しく、ルートファインディングも難しい。私は途中何度が転倒し、ストックが縮ん
だまま伸びなくなり、1本がほとんど使いものにならない状態で進んだ。
 それでも、1時間ほどでやっと伊藤さんが待つ地にたどり着いた。
「あんまり遅いんでどうかしちゃったのかと思ったよ」
 自分たちが右岸を行ったのだと告げると、左岸は一度デブリの中を抜けたけど、
あとは全然問題なく楽にこられたと得意げに笑う。伊藤さんにはそういう楽をする
嗅覚があるようだ。初日、やはり同じようなことがあった。私たちは沢沿いをさけ
て高巻きしたが、伊藤さんだけが果敢に沢沿いを行った。結局、最後きびしい斜面
を横滑りと斜滑降で沢まで下らなければならなかったのは我々のほうだった。
「これからはどちらに行くか迷ったら、伊藤さんについていこう」
 そう決める。しかし、実際はその後、そういう選択を強いられることはなかった
。
 全員が揃うと再び下山。私の縮んだポールは北田さんが直してくれた。餅は餅屋
か。
 ここからは左岸を行く。アップダウンはなくだいぶ滑りやすくなってきた。しば
らくで樹林帯が切れ、広い斜面となる。昨夜の雪でこれまででは一番のコンディシ
ョン。伊藤さんが豪快に滑っていくと、次々に思い思いのシュプールを描き滑り下
りる。私が行こうとすると、黒川さんが私の滑りを撮りたいのでちょっと待ってて
と言い先を行く。
 黒川さんがGOの合図を出す。斜度は15度ぐらい、長さも100m弱。これまで
ひどい滑りばかり見せてきたが、雪質さえ良ければ少しは滑れるというところを見
せたい。すでに滑り降りた面々が私の滑りに注目する。
「この雪ならいける」
 私はウエーデルンでかっこよく決めようと飛び出す。しかし、ザックが重い。か
らだが振られショートターンは難しい。ウエーデルンは諦め、中ターンのパラレル
で飛ばす。5回ほどターンしたらもうみんなのところに着いてしまった。思惑とは
違ったがまずまずの滑り。勢いよくブレーキをかけ止まると、伊藤さんにひとこと
言われた。
「まっちゃん、山でそんなに飛ばすと危ないよ」
 ちょっとショック。
 そこを過ぎると、あとは滑りらしい滑りを楽しむことはできなかった。徐々に雪
は少なくなるし、岩や灌木が多くなり、それを避けながら行くので精一杯。若木の
幹をエッジで傷つけるたびに、心の中で「ごめんなさい」と言いながら進む。
 昼過ぎにやっとPhelps Lakeに到着。しかし、下りすぎたようで沢を
渡れない。少し沢沿い戻り、橋を見つける。橋を渡ったところで、ゆっくり休み行
動食を食べる。
 あとは湖沿いを南下し、林道を目指す。もう一息で、駐車場まで戻れる。しかし
、気がゆるんだのか一気に疲れが出てきた。湖沿いとはいえ、小さく登ったり下り
たりが続く。しかも、小さな流れを飛び越えたり、木をまたいだりでスキーをつけ
たままではまともに歩けない。これまでは何とかついていけたが、だんだん差が開
いてくる。いっそ板を担いで、つぼ足で歩いたほうが楽だろうと、スキーを脱ぎし
ばらく行くが潜って歩けない。
 結局、再びスキーを着けて出発。途中で、遅れ始めた私を徳地さんと黒川さんが
待っていてくれる。申し訳ないと思うが、ペースは上がらない。それでも、湖から
離れるとまた進みやすくなってきた。そして、左手に林道がちらりと見えた。やっ
と戻ってきた。あとは板を担いで林道を歩いていけばいい。真壁さん、伊藤さん、
徳地さん、黒川さんが林道脇で私を待っていてくれた。
「まっちゃん、のんびり来て……。誰かが迎えに来てくれるだろうから」
 伊藤さんはそう言うと、さっさと林道を下っていく。私も板をザックにくくりつ
けると、さっそく出発。しかし、山スキーの靴では林道は歩きにくい。林道脇の未
舗装路を選んで進む。徳地さんは、これならスキーほうが楽と再び装着して、雪が
残っている森へと上がり滑っていく。再び自分だけが取り残される。
「まーいいか。マイペースで行こう」
 私は一人ぶらぶらと進む。10分ほど歩いただろうか。前からワインレッドのレガ
シーがやってきた。ダンさんとベンさんだ。
「グッド・ジョブ」
 ダンさんが車から下りると握手を求めてくれた。
「サンキュー」
 時計を見ると2時少し前だった。やっと、ツアーが終わったのだ。そのときは感
激はほとんどなかった。重いザックと歩きづらい靴から解放されたことが、何より
も嬉しかった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

以下2017年12月伊藤フミヒロ追記

 

このあとジャクソンに戻ってながれ解散となったはず。徳地さんがトラックでロス
アンジェルスまで帰るというので黒ちゃんと3人で旅をすることになった。
しばらくそのことを忘れていたが、こないだ徳地さんと、あれは面白かったね、と
その長距離ドライブが話題になった。googlemapでそのルートを出してみたがおおむ
ね写真のようなものだったはず。

ジャクソンからアイダホに下って、シティオブロックスで岩場を見学、ベントに入
ってバチェラースキー場でひとすべりしてからスミスロックも見学したのを
覚えている。あとはカリフォルニアを縦断するドライブで、途中シャスタ山麓で1泊。
洒落たロッジで暖炉を囲んでくつろいだのが楽しかった。2泊のドライブでロスアン
ゼルスに着いたはずだが、そのあとどうしたかは記憶にない。

rock&snow誌の2000年の秋号と冬号に徳地さんがこの山旅とドライブの記事を書いて
いてこないだ久しぶりに見てみたがよいレポートだと思った。山ツアーの記事も
rock&snow誌のどれかに掲載されているはず。

シティオブロックスで撮ったトラックの入った写真は、下請けで日本のロシニョール
のカタログを作ったときに見開きで使ったはず。カタログにはアルプスの写真など
アリネガを総動員して思い出のアルバムのようになってかなり満足したのだが、はて実物は
どこへ行ったかな。