10.14.2013

十二ヶ岳と石割山

十二ヶ岳と石割山
2013年10月12-13日 
member Taro itokisya
毛無山と十二ヶ岳(奥)

八ヶ岳あたり

鳥坂峠

12日土曜日
 三連休だというので太郎と出かける。西高東低の日で西風が強い。その分天気もよい。
いつもは空から見ている十二ヶ岳へ。文化洞トンネルの駐車場スタート0930。尾根にあがるとすぐに鳥坂峠(鳥居峠)に出る。石仏と忠魂碑ほかがあった。下記「峠のむこうへ」さんの見聞がたいへん興味深い。
 女坂ともいえる長浜道を行き尾根道と合流。雑木のきれいな坂道を上がると展望が開けてやがて毛無山。1100着。ここは以前大石側から登ってきたことがある。山頂には先行した中高年グループがいた。

 十二ヶ岳への縦走は一ヶ岳から順番に小ピークを追う難路だった。この界隈でいちばん険しい道だろう。太郎は元気にひとつひとつこなしていく。十一ヶ岳から十二ヶ岳の下り登りがいちばん厳しい。十二ヶ岳1230着。中年グループがもうひとつとあと数人。快晴で富士山ほか展望は満点。秋色もそこそこ。リンドウがあちこちに咲いていた。
 桑留尾への下降路を選ぶ。上部は急坂の難路。途中からあわよくば西湖集落へ下る細道でもないかと見ながら行くがそれらしきものはなく、1210mの三角点まで下がる。後ろ側には西湖の岩場が見える。桑留尾に下り着く直前で西湖集落へ続く「通学路」に出合う。緩い下りで西湖集落にトラバース。文化洞トンネル駐車場帰着1500。通学路は根場と河口湖西浜間の学童用の山道だったという。
 紅富士湯に行って吉田道駅で車泊。車泊車が多く驚く。


13日日曜日
 今日も西風の好天。行ったことのない二十曲り峠へ。忍野内野からの都留鹿留に続く林道を登る。最高地点が峠で、忍野と富士山を展望する絶好の場所。数人のカメラを持った人がいた。
 太郎と石割山へ登る。ラブラドル連れのおじさんに会っただけ、1時間ほどのハイキング。石割山山頂11時。表口から登ってきた今風スタイルのハイカーでにぎやかだった。写真を撮ってから往路を戻る。
 山中湖村から三国峠、明神峠とドライブして渋滞前に帰京。パノラマ台あたりは観光客の車で溢れていた。明日は南風の好天らしい。三日連続で天気が続くのも珍しい。

石割山

参考
峠の向こうへ さんのページ
http://homepage3.nifty.com/tougepal/bunka.htm

鳥坂峠には数基の石仏が祀られている。
古い時代のものらしく磨耗しているものが多い。
西側には戦争の犠牲者を悼む忠魂碑が祀られている。
村から出征する兵士たちは、
この峠を越えて戦地に赴いていったのかもしれない。
出征兵は峠の上で村を振り返る。
それを最後に生まれ故郷の姿を二度と見ることができなかった人々、
ニ度と生まれ育った村の土を踏むことができなかった人々が
随分といたことだろう。
峠は少し小広い場所になっている。
辻まことの『ずいどう開通』に登場する「おヨネ婆さん」が
茶店を開こうとしたのもこの辺りなのかもしれない。
以下引用

「彼女は以前から峠の上に茶店をだしたかったのだが、
ずいどうができれば、もう村の出入りに峠を越すものが
ありようはずはないので、ずいどうを憎らしく感じていたのだ。
峠の上は広々としていて気持がいい、日露戦争で死んだ人たちの
忠魂碑が建っている。その西側に墓石が二十ぐらいあるが、
陽当りがよくてすこしも陰気ではない。
南側は足もとに村の入江と船着場。湖の向こうに水面よりも広々と
樹海が梢の波を連らね、その先にJ岳連山が重なっている。
北側はこっちの湖よりも三十メートル低いK湖が視野の大部分を占め
その先に岩の多いM峠の山塊がある。
遊らん船がソバカスのようにちいさい。
峠のたるみの両袖に高まるO岳もA山もそのスロープが
すっかり見える。 本当に素晴らしい眺めだ。
おヨネ婆さんが茶店をだしたい気持ちがよく判る。」
                      (辻まこと 『ずいどう開通』 より)

◆『富士を眺める山歩き』(山村正光著・毎日新聞社)によると、「鳥坂峠」は「鳥居峠」という表記になっている。
 また、辻まことの「十二ヶ岳遠足」という文章でも「鳥坂峠」は「鳥居峠」という表記になっている。
 同様に昭文社『山と高原地図・富士・富士五湖』(1992年版)も「鳥居峠」である。

◆『山梨百科事典』(山梨日日新聞社・1989年)には、旧「文化洞隧道」について次のように記されている。
 「河口湖畔長浜と西湖を結ぶ・・・水成岩質で長さ180m、幅4.5m、2年がかりで1921(大正10)年に完成した。
 それまで両集落は鳥坂峠越えで40分もかかって連絡していたが、この完成で直線距離で400mに縮まり車も通れるようになった。
 トンネルの名は、この文化的恩恵に感謝して名付けられた。」