4.15.2013

河口湖と朝霧猪の頭


河口湖と猪の頭パラ
2013年4月13-14日
黒いいな妻のレインボ版

朝霧猪の頭南尾根上

13日土曜日
member みやもと しょうじ、こども、おばら、こうぶち、しまふくろ、しぶたに、太郎、伊藤文博記
天気 はれ
 今週はパラときめて早起きして出かける。予報を見て河口湖。今年はまだ2回目。10時過ぎにはいつもどおり宮本機がテイクオフ。レインボウのブラックライトは派手。ついでショウジ機。どちらもいきなりガンガン上がっていく。恐ろしいよう。11時前にでる。やはりがんがん上がる。上がるのも早いが沈むのも早い。先行機が高く上げているので様子見ながらいけるのがうれしい。黒岳近くで揺れが激しいので戻る。金山過ぎて鬼岳。渋谷機が先方にいるので王岳へ向かう。西風強く鍵掛峠で引き返す。十二岳から毛無、前山と戻って上げ下げ練習してランディング。1時間余のフライト。島袋機はさらに30分ほど飛んでいた。
 全員スムースにランディングしたようだ。使用中のハーネス(スープエアディライト)の緊急パラ引き出しに欠陥とのことで朝霧に行ってふぁるほーく斉藤校長に見てもらう。とくに問題なかったが、パック部にギューギュー詰めすると出にくくなるらしい。
 中島牧場。キャンパーが集まり始めた。マキストーブで和む。

あるぴなの機影

14日 日曜日
天気 はれ
 天気は下り坂で、夕方か夜か寒冷前線が通過するらしい。風が次第に強くなるという。朝霧猪の頭へ8時半。予報のせいかメンバーは少ない。イクススクールが来ていた。熱心な人は筑波エリアにクロカンフライトに行っているのかもしれない。
 
 9時過ぎに出てテイクオフ上をいったりきたり。サーマルはないが風が強いんでいつまでも飛んでられる。ほかに数機だけ。日曜なのに。。稜線に2機ほど見える。ハンググライダーがいないので廊下をリッジ風で渡り、そのまま稜線まで。そこそこ高さが取れたので鉄塔を越えて南下、シンク帯があって先にはだれもいないし、後続も見えない。ランディングが見えるところを動くことにして南尾根でしばし。前山にもどり南強風の中ランディング。風が強く後からきた人たちは飛ばなかったようだ。早々、11時ころに終了したが観光タンデムはその後も営業していた。マックパラスクールのファクトリの空飛ぶ撮影ロボットを見る。4プロペラのリモコンヘリでゴープロカメラを積載。すごい能力なのに安くて驚いた。
 太郎と散歩して天母湯に寄って帰京。ハイウエイは横風が強かった。2日間飛んで春コンディションに慣れたかな。

4.08.2013

利尻岳スキー


利尻岳スキー
2013年4月4-7日
member 伊藤ヒロユキ 伊藤フミヒロ記


南稜を滑る

南稜1200m
4日木曜日
天気 はれ
 羽田11時の便で稚内。雲が少なくて那須から利尻まで雪の山がいくつも見下ろせた。ナイスなフライト。稚内に入院中の工藤ポンさんを訪ねる。2~3日前にスキーで肩を痛めたとかでいっしょに山へ行けないのが残念。フェリーで鴛泊へ。高速なんで驚いた。レナモシリにイン。新しくてきれい。羽田からずーっといっしょだったBCライダー4人組も同宿。レナモシリは登山ガイドまるぜん渡辺さんの宿で、山へ入る人がよく利用しているらしい。山沢さんが訪ねてきてくれて情報をもらう。利尻山が夕日に輝いている。
  夜、先日放映された佐々木大輔さんの利尻スキーを見る。みんなでモチベエを上げる。

南稜1200m、この先は佐々木大輔さんの世界

5日金曜日
天気 はれ
 ポンさんが貸してくれたハイエースで鬼脇へ。シーズン終了のスキー場に車を置いて0830スタート。利尻のスキー場は町ごとにあってどれもポン山の斜面に造られているよう。ロープトーひとつの小さなもの。
 鬼脇ポン山に登るとプラトー状の地形になる。正面に利尻南面のすごい風景が広がる。雲ひとつない晴天。シール限界でアイゼンをつけて1200mピークまで。その先はノコギリ状の雪稜でクライミングの世界。
 昼過ぎ、雪の緩んだ斜面を快適に下る。広くて緩くてどこでも滑れる感じ。鳥海山に似ているかもしれない。2時半終了。だれにも会わなかった。
 島内一周ドライブして山容の移り変わりを撮影する。利尻は全方位にルートがあるということがわかった。どこでも滑れる感じ、というわけだ。
 この日ライダー4人チームは長官山から山頂に立ったという。素晴らしい。
長官山頂4人組。ここが豊漁沢源頭

避難小屋

鴛泊稜無名沢


6日土曜日
天気 はれ
 うす曇りだが山は見えるし暖かい。若者4人組といっしょにスノーモービルで長官山ベースへ。8時半スタート。火口(ヒラメ)経由長官山。利尻山頂がすぐそこ。洋上の礼文島がよく見える。奇跡のような無風状態、日が差してきて暖かい。避難小屋のあたりでのんびりする。ローカルボーダーのヨシリンさんも登ってきた。
 長官山東面の豊漁沢源頭をひとすべりしてから、1時、長官山頂から北面を滑る。出だしは急だがすぐに柔らかい雪に変わる。ラインは何本もあるようだ。
 森林限界に下って、ヨシリンさんに教わった道で鴛泊ポン山へ登る。ポン山バックカントリーを滑って終点の利尻温泉着3時。ローカルは冬の間はポン山でパウダーを滑るという。ほっこりな温泉は500円。
 
 明日から巨大低気圧がやってくるらしい。予定を変更して5時のフェリーで稚内に渡る。ホテル汐彩イン。近くのよしおか食堂が絶好。
鴛泊ポン山に登る。利尻は富士山みたいに四方八方滑れそう

7日日曜日
天気 雨
 稚内は小雨。利尻フェリーは欠航だという。飛行機もダメだろうとあきらめて、7時のJR特急で札幌移動。札幌も小雨。風もない。北斗星に乗り継ぎのはずが運転中止という。旅を続けるヒロユキさんと分かれて千歳-羽田便で帰京。嵐がくるという割にはどこもいたって静かなのが不思議。
 利尻5泊の予定が2泊。2日間好天で予定の2ルートを滑ることができた。ラッキー。いろんな方とお会いできた。みなさんありがとうございます。

3.31.2013

富士山と谷川岳


富士山と谷川岳スキー
2013年3月29-30日
29日金曜日 
太郎 伊藤フミヒロ
天気 はれくもり

イエッティから南面。富士宮ルートの3連雪渓が見える

今日は100人くらいが登ったかんじ

Junrinaチーム

 「絶景くん」見ても雪は少なそうだったが宝永山なら、と出かける。陽気もあたたかい。太郎坊隧道に車をとめるが、なんだかなー、という感じ。ハイキングトレイルを上がって、こないだの落し物のボードを探すが、やはりない。小一時間歩いて双子山を眺めると雪のかけらもない。宝永山を滑るにはあと3時間ほど砂漠を歩くことになる。あきらめて車道を歩いて下る。
太郎坊の旧基地あたりを散策する。せっかくなんでイエティスキー場で1000円の1日券を買って滑る。こどもたちがたくさんいた。富士山南面は5月連休の景色に見えた。これからの降雪に期待したい。北八ヶ岳にまわるプランだったが寡雪を予想して帰京。

30日土曜日
天気 くもりはれ
伊藤ヒロユキ、伊藤フミヒロ
テレマークのヒトが多かった

トマの耳

天神尾根を下る

熊穴沢

 早起きして5時にヒロユキ邸。厚い雲の下フォードで関越道を北上、好天と大雪を期待して谷川岳へ。だんだん明るくなってくる。谷川岳ロープウエーを上がると山は雲の中。3本ほど足慣らしをして9時の天神峠リフトでトップへ。陽気はあたたかい。登山者とスキーヤーがぞろぞろと登っていく。くま穴沢からシールで登る。だんだん明るくなってきて日差しも。西黒沢はズタズタになっていて下降は危険そうだ。山頂には12時。今日は100人ほど登ったのではないだろうか。
 
 展望はないがガスがときどき切れる。のんびりしてから大斜面滑降。ザラメ雪で快適。くま穴沢を下って田尻沢へ。休んでいるとJunガイドチームが降りてきた。同じルートだったらしい。「1月ほど雪解けが早い感じ」だそう。2時半終了。フェイスブックを見ると古川チームが山頂経由芝倉沢へ行ったようだ。どこかですれ違ったらしい。日曜日は雨予報とあって今日はあちこちの春山が大にぎわいだったよう。
 諏訪峡温泉センターに寄るとのれんがなかった。去年の4月廃業とか。残念。昭和の湯に寄って野菜を買って帰京。スキーのシーズンが終わったようで渋滞はなかった。

楽しい動画

3.24.2013

朝霧と河口湖para


朝霧と河口湖
2013年3月22-23日
太郎 伊藤フミヒロ記
朝霧猪之頭

御坂黒岳 河口湖飛ぶのは今年初めて

22日金曜日 
天気 晴れ
 早起きして十里木経由で朝霧猪之頭。南風が強い予報でどうか、、。イクスとか数人だけ。11時ころテイクオフ。南西風で雲も低い。1600以下で長者まで行くが後続なしなんで戻ろうとするころ2機やってきた。同じように長者まで低くいって粘っている。南尾根経由前山にもどり上げたり下げたり練習する。1時間20分。午後に2本目、前山で上げ下げ練習。25分。風が収まってきていい日和になってきた。春休みなので学生のタンデムが盛況。太郎を遊ばせ天母の湯経由中島牧場。
水位の下がった河口湖


23日土曜日
天気 うすくもり
 河口湖の予報が好天しているんで移動。交差点で朝霧に通勤?するプヨさんとすれ違う。朝霧も今日は悪くないはず。
ショップでメンバー更新。さの、ごうつぼ、しまぶくろ、のがわ、ながお、やの2、うすいちゃん。薄雲が張ってきて日差しなし。
11時過ぎにダミーで出てショートフライと15分。12時ころ背の山に雲が湧いてきてぷかぷか浮き出した。2本目は2000mまでで、上がらず下がらず。みんなで湾内周遊。1時間16分。河口湖の水位が下がっているのがわかった。
 3時ころ晴れ間がでてきた。水の校長タンデム講習始める。日曜日はどん曇り予報なんで帰京。東名事故渋滞で246も混雑。都内まで4時間。


3.18.2013

神池山と木島平


神池山と木島平
2013年3月15-17日
member haneda matukura 伊藤フミヒロ記



15日金曜日 
天気 晴れ
 早起きして関越上里SAへ。6時半に羽根田さん松倉さんと合流して2台で須坂へ。高気圧に覆われて雲ひとつない好天。高山村に入り山田温泉からジグザグとヤマボクスキー場へ。10時ころゲレンデへ。昨夜の雪でうっすら新雪。平日とあってガラガラ。北アルプスくっきりで五竜のうしろに剣や立山が見えた。
 ゲレンデをひととおり滑って、天気がよいのといいモデルがいるので新しい本の取材撮影も行う。
 山田牧場とヤマボクは知られているが、となりの小布施に比べて高山村の知名度は低いね、などと話す。
 山田温泉風景館泊。


16日土曜日
天気 晴れ
 朝飯をいただいて車を旧温泉スキー場にデポ。0830のシャトルバスで上がる。スキー場のフェスティバルでにぎやか。
 のんびし喫茶して、ゲレンデトップから神池山へ。別名源兵衛焼、源兵衛が炭焼きしたからだと、村の観光協会会長でもある関谷社長から聞く。大学スキー部出でテレマークもうまい、らしい。風景館がここの経営。以前「源平焼」と聞いていたのだが、?が氷解。
 1時間余のハイクアップで山頂。タコチコースという古い標識があった。今日も好天であちこちが見える。眼前の笠岳はピラミッド型できれい。
 以前ひろゆきさんと滑ったオープン斜面を下ってゲレンデに戻りタコチコースを下る。熊の湯から笠峠、神池山から山田温泉へ下るのが戦前からのクラシックなルートらしい。皇太子も滑ったそうでロイヤルとも言われている。寡雪の今年は今月いっぱい滑れるかどうか。
 1時間ほどのハイクアップで、高差1000m、直線4km滑れるのがいい。
 山田温泉大湯300円につかって向かいの村営の?土産物屋で遅いランチ。帰京する1台を見送って小布施へ。
 
以下 まっちゃん撮影
、



17日 
天気晴れ
 本日も好天。先週につづき木島平へ。9時過ぎ。業界(パラの)の将軍岡さんが来ていた。スピードパラを持って清水校長と3人で山頂まで上がるが、南風の強風で即Uターン。全国あちこち南風で絶好のコンディションのはずで、飛べないのはここだけか。スキー場に付属するパラエリアは北風ベストのところが多いのだ。
 しょうがないのでレースバーンで3本ほど飛ぶ。岡さんが最新のオゾンファイヤーフライを披露。よく浮くスピードフライングな機体のようだ。
 有名な山スキーヤーで山飛び専門スピードパラの、新潟稜友山岳会小川さんと会う。一見すごいヒトに見えないけれど凄い人だ。「落石注意な、、ブログ」というのでそれがわかるが、以前のエクストリームな記録は消えてるみたい。
 小布施からハイウエーで帰京。藤岡から所沢まで平均30km時の渋滞。

3.11.2013

高社山スピードパラ


木島平スピードパラ
2013年3月8-10日
伊藤フミヒロ記
好天だったが、、、
8日金曜日 
天気 晴れ
都内早朝出で9時すぎに木島平パラスクール到着。ここまで道はドライで気温8度くらい。
畦上さんと7本飛ぶ。スピードパラでスカイ4コースを3本、ポールバーンを4本。
清水校長天を仰ぎあすの好天を祈る。
馬曲温泉、豊田道の駅。夜半黄砂混じりの小雨が降る。

清野さんの動画2本



馬曲温泉

9日土曜日
天気 晴れ
10時前にスカイ朝霧チーム到着。リーダーは斎藤校長、前田五号、ボランティアガイドの中村さん。今回はこのツアーに参加している。
サンパラ出の篠崎蒲原さんほか、小柳、hashimoto、奈良さんなど。
くもひとつない好天だが風向きが真逆の南。普通のパラグライダーではテイクオフできない。
合間を縫って山頂からスピードパラで2本飛ぶ。
午後になってみなさんポールバーンでフライトを楽しむ。清野、柳沢さんなどローカルも。
馬曲温泉につかりゲレンデ中の高麗泊。

10日 朝の気温は7度。低気圧通過とあって9時には風雨になる。パラもスキーも無理なんで転進して小布施ワイナリーへ。いっきに気温が零下となって雪が舞い始める。岩松院、竹風堂のあかり博物館など見学。そば屋と穴観音の湯に寄って解散。
ハイウエーは北風ビュービュー。関越道少々混雑していたがさほどのこともなく帰京。
楽しい小布施ツアー


3.06.2013

東谷山スキー


東谷山
2013年3月5日

5日火曜日
member 古川 武田大介 ヒロユキ 伊藤フミヒロ記
天気 山は小雪


 東谷山てどこ?と思ったら日白山の手前にあるという。古川さんの企画で日帰り。
貝掛温泉バス停に7時半2台集合。一台を置いて、田代ロープウエー駐車場へ。ときどき青空が除く。気温はマイナス8度くらいで結構寒い。
8時半ころスタート。二居のスキー場を登って尾根に取り付く。急な斜面とところどころバーンになっていて登りにくい。
送電鉄塔から雪庇の尾根を行く。先行スキーヤー2名。傾斜が落ちてブナの森を登る。1553m東谷山頂に12時前。視界は100mくらい。




北西面を滑る。バーンの上に薄雪が載っていたが、だんだんいい感じになる。週末のトラックが残っているようだ。
明るくなって日が差してきた。雪は湿雪系へ。
国道17号をトンネルで越えて貝掛バス停へ。1時半終了。登りはテクニカルで下りは変化のある雪で面白かった。
満天星650円でのんびりして帰京。
11年前の記録を見ると二居から日白山へ3時間で登っている。下りは2時間。








2002年の日白山の記録
日白山から菅平
3/02-03
member hiroyuki omata kisya
二居900ー日白山1200二居1400
日白山は、アプローチは、無く、登り3時間、見晴らしも良さそうで、滑りもほどほ
どオープンが続き、なかなか良いところでした。ただ土曜日は、上に方は、ガスがか
かり、気温も上がらず、雪は、最初から、最後まで、バリバリカリカリモナカの修行
雪でした。ドラゴンドラが、見えました。2時ころには降りてきました。二居のスキ
ー場は、営業をやめてました。
この雪質に、上越をあきらめ、なぜか菅平に移動しました。もう山は、大雪、降らな
いと何処行っても同じ。先週は、オマタ師は、風邪でダウンしていたので、オマタ邸
をたずねることにしました。でも宿は、オマタ師紹介の民宿に泊まりました。民宿と
いっても、りっぱな、創作料理で、ホテルなみでした。おまけに、ただスキーを楽しみました。日曜日は、素晴らしい天気で、新潟方面
以外は、晴天で、根子、吾妻はもちろん、浅間、特に北アが、衝立ての様でした。菅
平の左の方、大松、燕ゲレンデは、初めてでした。今どき異常にスキーヤーの多いゲ
レンデでした。それもみんなレーサー。オマタ邸は、明るく見晴らしも良く、居心地
良さそうでした。
伊藤裕之



3月2日
前夜2時ころ二居のどんつまりに着いた。朝、近所の文明堂のおばさんがせかせかと駐車代を
とりにきた。朝飯を食い900に出発。天気はくもりである。あたたかい。ほかに二人組み
がいて先発している。二居峠からトラバースして巨大鉄塔下へ。さらにやせ尾根から疎林の
尾根を行く。全山アイスバーン状でラッセルはないが、楽しいスキーは望めそうもない。
東谷山からは雪坊主のピークがふたつほど、スリップするとずーっと滑っていきそうなので
おそるおそる上る。1200、もうひとつ雪坊主のピークに達すると標高が1650となっ
た。おそらくここが頂上だろうと決めて通過。北東尾根をゆるりと下る。地形図どおりに右
側に大きな谷が見えはじめた。ひとやすみしてから滑り始める。廊下のような細い尾根を下り
コル。いっきに沢へ滑りくだる。急斜面だがスキーが沈むことはなくあっというまに沢沿いの
台地に降り立ち、あとはオープンスペースをなりゆきで下ると林道にでた。200車にもどる。
談合して菅平方面へと転戦。オマタ師の知友の松栄荘にはいる。手料理いっぱいのよい宿でした。
こんなに込んでる宿は近頃みたことがない。
3月3日
大松、ツバクロスキー場で昼過ぎまで遊ぶ。動画をたくさん撮影しました。オマタ小屋で休憩、
松栄でりんごジュースをおみやげにもらい、オマタ師に昼飯をゴチになって、帰京。
<汽車>

大正7年の記録
(1918)
1月9日 23:20 
南魚沼郡 三俣村前ノ平(現湯沢町) -
前の平山頂から烈風とともに表層雪崩が起き、総戸数57戸中全壊33戸(民家26、土蔵4、小学校1、飯場2)半壊2棟。遭難180人中死者158人、生存22人。12日に遺体発掘終了。デブリは約670~150cm位であった。生存者が後に「発電工事のダイナマイトの爆破の振動でおきた」と語った。 2日から暴風雪、積雪20尺で通行途絶。明治24、26年に次ぐ大雪 日本の雪害史 昭和56年


三国街道(みくにかいどう)
 中山道の高崎から分かれ、北陸街道の寺泊へ至る街道である。
三国峠は関東と越後を結ぶ交通路としてきわめて古くから利用されており、上杉謙信の関東遠征の際に重用された。 主要街道としての三国街道は、近世(江戸時代)に参勤交代に利用されるようになってから重要視されるようになった。長岡藩、与板藩、村松藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役などがこの街道を利用した。また、当時の宿場には、渋川や湯沢をはじめ「三国峠越えの三宿」と称せられた三俣、二居、浅貝などがあった。
しかし、1902年(明治42年)に鉄道(信越本線)が開通してからは、交通面は鉄道に依存し宿場町は衰微していくことになる。長岡から湯沢にかけては道も平坦で農耕地もあったため、ある程度の地方的交通需要があったようだが、三国峠を越える部分の交通量は極めて少ないものであった。
1953年(昭和28年)、自動車の普及とともに長距離の貨物輸送の需要が増大、関東~越後間の自動車交通が信越線沿いに迂回する不便を解消するため、当時県道であった三国街道の国道昇格運動が起こり昇格とともに大規模な改修工事が開始された。
現在三国街道の大部分が国道17号となっており、関越自動車道・上越線・上越新幹線と共に関東~新潟間の大動脈となっている。