5.01.1997

スイサイドのクライミング

CLIMBING IN SUICIDE,CALIFORNIA

9でも大変なもの、スイサイドのクライミング
徳地保彦
 

日時 1997-5
メンバー 森光、徳地保彦(記)
 
ある日のスイサイドでのクライミングのレポート、あるいは10&アンダークライマーの言い訳

傾斜はないんだが、けっこう緊張している。いつも練習している岩も同じ花崗岩だがここのはもっ
と白くてなめらかだ。赤っぽくて結晶の粗いジョッシュアツリーの岩ともまるで違う。どちらかと
言うと小川山の岩質によく似ている。この白い岩に南カリフォルニアのギンギンの太陽が容赦なく
照り付けている。まぶしくてサングラスをつけていても岩の凹凸がよくわからない。まるで雪壁を
登っているような気さえする。久し振りのロープクライミングなので、グレードが低いわりには奮
闘しているのが自分でよくわかる。トップにたってどんどんロープを引いていく快感をほとんど忘
れてしまったようだ。少しやさしくなってやっとワンピッチ目のビレイポイントに到着した。

 半年ぶりにまた日本から友人が来た。彼は毎年2回カリフォルニアの出張があり、そのたびに
近郊の岩場を楽しんでいる。きょうはまだ彼が触れたことのないスーイサイドへ来てみることにし
た。スーイサイドはあの有名なタークイッツの向かいにある。アルドルワイルドの町からも臨める
タークイッツの巨大な露岩にくらべれば、スーイサイドの方はかなり規模が小さい。それでもウイ
ーピング・ウォールの大スラブでは、どのルートでもバッチリ3ピッチはある。スラブばかりでは
ない。インソームニア(不眠症)と呼ばれる5�M11Cの素晴らしいクラックルートもある。ボルト
ルートや人工壁ばかりやっているスポーツクライマーがしっぺ返しをくらうルートだ。車を降りて
から岩場まで、ゆっくり歩いて20、30分なので、ゼロ分アプローチに慣れた南カリフォルニア
クライマーでもたどり着くことができる。ジョシュアツリーなどのハイデザートのエリアが暑くて
登れなくなる夏場は、このスーイサイドやタークイッツに多くのクライマーが集まる。

 僕もその友人も実力のほどはと聞かれれば、正直なところ5.10がいいとこだろう。毎週末、同
じルートで何回もハング・ドッグを繰り返せばもっと上級の課題がこなせるようになるかもしれな
いが、もうそんなにひとつのルートに思い入れができない。グレードが低くても登ったことのない
ルートはくさるほどあるし、僕の場合は、何回も同じルートを登っても十分楽しめてしまう。そう
いう理由でとりあえずこの「サーペンタイン」というルートを試してみることになった。グレード
は5.9でふたつ星だ。一度は登っているはずだが、だいぶ前の事でほとんど記憶はない。友人には
少しものたりないかもしれないが、僕にはこれくらいのレベルが最高に岩登りを楽しめるグレード

だ。

 最近では、5.10くらいのルートはモデレートなどと呼ばれ中級者向けの比較的容易なものとさ
れている。まして、5.9などは初心者向けのつまらないルートというイメージが日本では定着して
しまっているようだ。それには確かな理由がある。日本でフリークライミングが始まった頃は、登山
やアルピニズムの観念からなかなか抜け出せずにいた。純粋に岩登りだけを楽しむという新しい価値
観はすんなりとは受け入れられなかったのだ。それまでは日本で岩登りと言えば、雪渓をたどり、
落石をかわしながら岩壁を登ることだった。そして頂上には必ず到着せねばならなかった。困難な
場所はハーケンやボルトをベタ打ちして人工で越えていくのが常だった。ところが、小川山や城ケ
崎などに次々とフリーのルートが開拓されるようになると、あっという間にかなり多くの人達がい
きなり5.11や5.12をこなすようになってしまったのだ。5.9や5.10のグレードが日本であまり
注目されなかったのは当然だろう。みんながフリークライミングを楽しむようになった頃、気が付
くとすでに日本でも5�M13なんてとてつもなつ困難なグレードが登場していた。

 ところが、僕らにもすっかり馴染みになったヨセミテ・デシマル・システムが生まれたアメリカ
のクライミングシーンではかなり様子が違う。このデシマル・システム、実はヨセミテではなく上記
のタークイッツで使われ始めたらしいが、何とアメリカでいちばん最初の5.9が今から40年以上も
前の1952年に、このタークイッツで記録されているのだ。あのロイヤル・ロビンスがフリー化し
た南壁の「オープン・ブック」というルートだ。5.10やら5.11のルートが頻繁に出てくるのは70
年代になってからだから、アメリカのクライミングにおける5.9というグレードの歴史的意義がうか
かれる。ほぼ20年近くにわたり5.9が最上グレードとして君臨していたのだ。そういう事実を見て
みると、その後登場した5.10がいかに困難であったかは疑うべきもない。もちろん、道具や技術の発
展に負うところも大きいが、この困難さは今日でも変わらない。長くランアウトしたスラブや、不安
定な体勢でロックスやストッパーを選びながら登るクラックを試してみるとよくわかる。ボルトで保
護された前傾壁のムーヴをこなしていく現在のスポーツクライミングとは明らかに違う難しさだ。初
登攀の状態が比較的よく保存されているアメリカの岩場では、5.9や5.10のモデレートのルートで
も十分クライミングの醍醐味が味わえるのだ。いや、むしろこういうクラシックルートにこそクライ
ミング本来の面白さがあるものと、今だ5.11をてこずる僕たちは信じて疑わない。

 さて、2ピッチ目は友人がリードする。大きなスラブをロープがスルスルと伸びていく。彼はき
のうニードルズも登ってきたのでずいぶん調子が良いようだ。相変わらずギンギンの太陽で、露出し
た肌がジリジリと焦げて痛い。南カリフォルニアのクライミングでは雪がなくても日焼け止は必携だ
。めんどうなのであまりつけない。おかげで顔や腕はトカゲの皮のようになってしまった。谷をへだ
てたタークイッツの上には少し黒っぽい雲が現われているが、雨を降らせるほどの勢いはまったくな
い。痛むような陽射しを少しでもやわらげてくれれば良い方だ。取り付きのあたりにワンパーティ来
ているがスラブの中には僕たち以外だれもいない。あまり傾斜のないスラブでも遠くからみれば、必
死に岩壁にしがみついているように見えるかもしれない。実際は、白い大きな花崗岩のスラブの中に
いると、自然の一部になったような気がしてとても気持ちが良い。ちょうど樹木にかこまれて森の中
にいるようなまものだ。都会の面倒なことはすべて完璧に忘れてしまっている。友人は核心部もなん
なく越えビレイポイントに到着した。このピッチを終えれば、次はもう最終ピッチだ。傾斜がだんだ
んと緩くなって終了点となる。こんなに気持ちが良ければ緩傾斜でも楽しいことは請け合いだ。
5.9バンザイ! モデレートバンザイ!