きれいな山と古い道
2015年10月20日
火曜日
天候 晴れ
member 太郎 伊藤記
大峠 |
大峠2 |
滝子山と三つ峠の先に富士山 |
中央道大月から20号、真木で右折してハマイバ釣センター。ここまでは昔なんどかきたことがある。その先舗装路が大峠まで続いている。
林道は小菅まで延びているが崩壊があるようで峠でクローズ。
7時過ぎにスタート。冠雪した富士山がきれい。標高差は300mほどだが思っていたよりも急な道を登る。山頂手前に草原があってすぐにピークに出る。
古い500円札でここからの富士山はよく知られている。ひとり後続が登ってきた。まだ9時なので大樺の頭経由の大回りで峠に戻ることにする。
細破線の道だが迷うようなことはない。
きれいな山頂 |
500円の富士 |
大樺の頭手前から雁が腹摺山 |
シオジの森まで下ると山腹をトラバースする遊歩道が大峠まで続いている。等高線を忠実に辿る水平道で長い。どうやら古い峠道を歩いているようだ。三頭山のトラバース道もここそっくりだったのを思い出した。真木から大峠、葛葉川へ下って小菅、五日市や青梅に抜ける古道があったのだろうか。近所に大菩薩峠があるくらいだからそんな道があっても不思議ではない。
鉄道やバスのない時代、網の目のように村と村をつなぐ道があったのだろう。鉄道時代よりもこの細道の歴史はずーと長かったんだなと当たり前のことを思う。紅葉黄葉の森を抜けるといきなり大峠の駐車場に出た。12時前終了。朝方は1台もいなかった駐車場が満杯になってる。
山頂往復してきたハイカーが富士山が見えなくて残念だったね、というのを聞いて西の方を見るとたしかに雲の中。山は朝早くがいいようだ。
20号に下り白野入口直前で滝子山に続く林道を発見。悪路を登山者駐車場まで上がってみる。笹子トンネルを抜けて田野温泉610円に寄って甲斐大和道駅で休憩。田野温泉は上流の天目温泉と同じ泉質のようだが立ち寄り温泉としてはいまいち。
トラバース道から小金沢の山並 |
峠の古道を行く |
武蔵西辺から甲府盆地へのルート
甲州街道と大菩薩街道の間の山中ルート(想像)
山中ルートは西側から、初鹿野、湯の沢峠、真木、大峠、葛野川、佐野峠(松姫峠)から小菅。三頭山経由小河内(奥多摩)、青梅も。
佐野峠から鶴峠、西原、南秋川、五日市というラインも。
甲州街道に近いが、大鹿峠または米背負峠、真木、浅川峠、くらご峠、安下峠(和田峠)というラインもありそうだ |
奈良倉山の西に三頭山へ続く古道があった、松姫峠が旧佐野峠か
峠のむこうへさんのページから |
2013年に自転車で抜けた二人組のレポート。山レコから
信玄公の娘松姫の逃避行マップ
戦国時代のはなし |
多摩川丸子橋あたりから真西の山
なんだ、初鹿野のことだったのか。
甲斐大和という名前
開業当初の駅名は初鹿野(はじかの)。1903年(明治36年)に大月駅から当駅までの開通により開業した古い駅である。終着駅であった時期は短く、同年6月11日には当駅から甲府駅までが延伸となったため中間駅となった。
駅開業当時、この駅は東山梨郡初鹿野村にあった。初鹿野村はその後1941年(昭和16年)に付近の村々と合併し大和村となったが駅名はそのままで、52年後の1993年(平成5年)に現在の甲斐大和駅へ改称された。これで駅名と自治体の名前が揃った格好になったが、それもつかの間の2005年(平成17年)、大和村は附近の市町と合併して甲州市となり、消滅した。
初鹿野は下記の由来するという。
初鹿野 信昌(はじかの のぶまさ、天文13年(1544年)? - 寛永元年11月15日(1624年12月25日))は戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。加藤信邦の6男。幼名は弥五郎昌久。別名、昌次。通称は伝右衛門尉。
ウイキぺでぃあから