7.10.2012

弓射塚と桟敷山


弓射塚と桟敷山
2012年7月8日 日曜日 くもりはれ
member Taro Itokisya
大室山からみた北西火山銀座。赤が今日のトラック

氷穴のケービングツアー


朝いちで河口湖のパラスクールへ。飛べそうな空模様だが予報がわるい、いつものメンバーはだれもこない。
しかたがないんで太郎の散歩に出かけよう。

林道鳴沢線に入り精進口1合目へ。ツアーのクルマが2台とまってる。1030スタート。
未見の弓射塚1566mと3合目まで上がり桟敷山1790mを見てみたい。
氷穴までやってくると、ツアーのグループでにぎやか。ツナギウエアの数人がリーダーの話を聞いている。カラビナ架け替えのレクチャーしてるところを見るとビギナー相手らしい。大掛かりな仕掛けが進行中で、ロープを空中高く張って滑車でつるべにもう1本を竪穴に下ろしている。クライマーの常識とは大違い。

地図のトレイル沿いに弓射塚山麓にトラバースして、造林用の林道に出る。あちこちからよく見える広い植林エリアがあって、そこを除けば弓射塚は広葉樹の森になっているようだ。林道はすぐ終わり仕事道を行く。ササを刈ってあるので楽勝。適当に林の中を上がるとすぐ頂上部に出た。どこが山頂かわからないが切り開きがあって歩きまわることができる。標石などは見当たらない。御坂や天子の一部が見えるが、見下ろすことができると聞いていた大室山の火口あたりは低い霧と林に阻まれてわからない。

2mほどの大穴があってサンプリングの跡かもしれない。この山の火口は南西面にある3つの大カルデラ。白大龍王-氷池大火口だ。これはもう確認炭なんでこれでよしとしよう。弓射塚は紀元前5300年にできた火山。大室山が1390-1120 B.C.の山だからそれよりも古く、山腹は広葉樹の美林となってすっかり落ち着いている。ちなみに白大龍王-氷池大火口は西暦410~770年に噴火していると研究書にあるからこのあいだ爆発したばかり。そのあとすぐに先ほどケーバーが潜っていた氷穴列状火口が青木ヶ原溶岩流を噴出している。これはA.D.864-866とあるから平安時代の2年間と特定されている。富士山貞観大噴火と呼ばれている。それにしても火山の歴史を詳細に解明できる科学者はいい仕事をしています。

精進口登山道に戻りたいのでコンパスで方角を合わせて下る。仕事道がありすぐに古い林道にでる。深い沢が出てきたな、と思ってのぞきこむと先ほどの氷穴列状火口の上流のクレーターのようだ。3つ4つ見える。
氷穴の列状火口は、従来あることは分かっていたがその詳細はあんまりはっきりしてなかったそう。最新のレーザー光線を使った航空測量で全体が明らかになったという。長さ1km、幅は50mほどのところに火口が20個ほど列状に並んでいるということだ。見てわかりやすく一見の価値があるので訪問されることをおすすめしたい。
美しい森。弓射塚山頂近く

桟敷山の火口谷


精進口登山道に戻り幅広の道を緩い勾配で上がる。大正時代にできたというこの登山道は、以前は車を通すことができたらしい。なんと道は現在のスバルラインの5合目終点まで伸びている。林道富士線を横切り2合目の休業中の小屋前でひとやすみ。

さらに美しい広葉樹の森の中を進む。新緑と紅葉の季節はもっと素晴らしいことだろう。やまなしの森林100選という看板があり「精進口登山道2合目のブナ林」とある。明るい日が差し込んだ広々とした森は、バンビの出てくるディズニー映画のよう。実際ここはニホンシカの森でもある。

クルマの音が聞こえてきてすぐに富士スバルラインの下をトンネルでくぐる。ここから勾配がややきつくなって桟敷山の裾をまくようにして道は伸びている。木々の間から富士山の頭の部分が現われるがすぐに雲の覆われてしまう。しばらく登ると3合目のバス広場に出ることができた。昭和の時代に河口湖からの登山バスがここまで上がってきたという。さらに5合目までバスで登ることができたらしい。広場の片隅には壊れかけた古いバス停やらトイレなどが残されている。このバス広場は桟敷山火山の生成(紀元前1000年)でできた平地を利用しているようだ。

桟敷山はバス広場と同じくらいの標高だから、ここから森の中に入ればそのまま山頂に立つことができるはず。桟敷山は北に向かって大きな火口谷が開いていることが地図からはっきり読み取れる。2時近いのでここで太郎とわびしいランチ。

シラビソだろうか、暗い森の中、倒木をかわしながら進む。凸凹がでてきて塹壕のような溝も現われる。火山らしい地形だが、あたり全体がコケ蒸している。どこが山頂か分からないまま進んでいくと深い谷が現われる。火口谷の源頭に立ったようだ。見下ろすときれいな火口底がある。仕事道なのか、研究者のトレイルなのか細道があるのでそれを辿って火口底に立つことができた。倒木とコケに覆われた直径20~30mの火口底。
さらに下流に下っていくと2つ3つと小さな火口が現われ、やがて谷が開いて扇状地のようになる。辺りには間伐したシラビソが転がっている。いつの間にか造林エリアに入っていたようだ。地形図にもある古い林道を歩いてスバルラインへ出る。うまい具合に登りにくぐったトンネルで登山道と合流することができた。
往路をのんびり下る。4kmほどの下り。氷穴のケービングチームははどうなったかとのぞいてみると地上には2人だけが残っていて、まだ探検中とのこと。
精進口登山道はいいハイキングルートだなと感想して3時半終了。
たんしい散歩
参考
富士山の寄生火山に馬蹄形、U字形、C形、勾玉形、みんな同じだけど、そういうのが多いのは、スコリアの丘ができたあと、マグマが噴出して形成された丘を壊しながら流れくだるわけだ。砂山にコップで水を落とすと、そんな形になりそうだ。砂山がスコリアで水が溶岩流。溶岩流の場合は下から吹き出してくるわけだが。なんとなくわかる。
以下ウイキペディアより。
スコリア丘は、主に玄武岩から安山岩の溶岩による活動で、そのほとんどは一度の活動によってできた単成火山で、規模は小さい。形成される場所は、複成火山側火山独立単成火山群の一部として形成されることが多い。また、複成火山の山頂火口内に一度の噴火で形成され、その後の噴火や陥没により、非常に短期間で消滅こともある(例えば、伊豆大島三原山三原新山など)。
スコリア丘の形成中に大量のマグマが地下から噴出すると、噴出した溶岩はガサガサのスコリア丘より密度が大きいので、スコリア丘と基盤の間から染み出るように流出する。そうすると、溶岩流は上にのっているスコリア丘を破壊しながら流下する。これによりスコリア丘は馬蹄形(U字型)の形状となる。溶岩流の上にはスコリアの残骸がのっていて、これをスコリアラフトという。
また、形成される期間によっても形が変わってくる。短期間で形成されたスコリア丘は、溶結してお供え餅(数時間以内に形成されたものに限る)のようになったり、不安定な形をしていることが多い。長期間(数か月単位)で形成されたものは、長い間を掛けて不安定な箇所をスコリアで修正するので、大きく非常に安定した斜角をしている(例えば、阿蘇山米塚富士山大室山)。

富士山を知る見るハイキングガイド 伊藤フミヒロ