5.29.2013

北ア立山春スキー

北アルプス立山春
2013年5月14-16日
天候 晴れ
member  A氏 川崎カメ 征矢野(記)

御前から剣岳

 おぢさん達のHUT  TO HUT

 例年春の立山に通って来たが、寄る年波には勝てず、今年は日程に余裕をみて、御前乗越と室堂の2泊3日で剣沢、雷鳥沢、タンボ平を滑ることにした。

 平日なので扇沢を7:30の始発、団体が居らず、快適。例によって室堂でモタモタして、ターミナルを出たのは10時過ぎだ。今回は雷鳥平を経由する必要が無いので、室堂より少し戻る感じで、室堂山荘の手前からシールを外し、ミクリガ池手前よりブル道に入り、雷鳥沢の少し高い位置から取り付くことができた。このルートだと、室堂山荘以降ほぼ滑走でき、雷鳥沢まで再度シールを貼らずに行ける。今年は残雪が豊富で、称名川も厚く雪に覆われている。
例年なら1日で剣沢と雷鳥沢を滑るのだが、今年は初日を剣御前小屋泊とし、ダラダラと雷鳥沢を行く。

 シンガポールから来たという高校生か大学生くらいで7人の男女のグループと前後して登る。リーダー以外はストックのみ、ハイキングシューズに鎖が付いただけの簡易アイゼンで、氷には食い込まない。聞けば雪山は初めてという。いささか心もとないが、それでもバケツが掘られているので、何とか登っているようだ。雷鳥沢の詰めは傾斜がきつく、雪も締まっているので、他のスキーヤーも苦労している。こんな時はスキーアイゼンが有効だ。予定通り、15時頃には小屋に着いた。

 剣を目指したシンガポール組は、クラストした御前乗越からのルートにビビッた上に、小屋の人の説得で、涙を呑んで下山した。事故にならなくて良かったね。
 御前乗越まで登れば、剱岳が目の前に見える。いつもながらその雄姿にしばし感動する。今日はここまで、小屋でまったりと宴会を始める。おぢさん達には、御前小屋泊が、剣沢往復の無理の無い日程だ。


御前小屋

 二日目は、早朝より吹き倒されそうな風が吹き抜ける。剣沢に滑り込んでも、上部はやはり強風が続く。流石に剣沢上部は雪質が良い。今日は室堂山荘までなのだが、長い登り返しを嫌って、適当なところで剣沢を切り上げる。さあ雷鳥沢の大滑降であるが、雪崩を避けて右よりの尾根を下る。上部は適度なザラメだが、やはり5月中旬、下半分はだいぶ雪が腐っている。直接室堂山荘に行きたいので、来た時と同じく、雷鳥沢下部を高い位置で横断し、ブル道を行く。

 ミドリガ池側からの尾根上の雪庇が大きく崩壊し、ブル道の際まで新しいデブリが出ている。ここは昨日通過した時に古いデブリがあり、雪庇がまだ残っているので、注意したところだが、時間帯によっては危ないところだった。バックカントリーは所詮山の中、ゲレンデとは違うリスクも多い。一般ルートに近いアプローチであっても、気を抜いてはならない。


 15時前に室堂山荘着、山小屋というより立派な旅館だ。早めに風呂に入って、この日もリラックス。ありがたいねェ。夜半より強い雷雨、雹などが降って、明日はだめかと思いきや、夜が明けたら無風快晴。

                             一の越へ
おぢさん1

おぢさん2
ここに泊まっている強みで、朝食後ゆっくりと8時過ぎの出発でも、一ノ越に向かう本日最初のパーテイとなる。室堂周辺で遊ぶなら、やはり室堂山荘の立地は好条件だ。

 一時間ほどで一ノ越着、直下の斜面がカリカリで苦労する。後から来た関西の美人テレマーカー二人としばし歓談。御山谷は今回最高の雪質で、夏道のトラバース入り口まで、快適なターンをこなす。美女達は御山谷を大岩まで下り、登り返すようだ。そういうのもありだね、と思いつつ、東一ノ越へ向かう。ここも例年より雪が多く、トラバースも楽勝。

 東一ノ越10:45分、タンボ平を黒部平駅まで一気に滑る。今年はデブリも小さく、縦溝もなく、難なく黒部平に到着した。

5.27.2013

河口湖春パラ5


河口湖大石春パラ2日

大石地区全景、LDがランディング、たんぼ4枚

大石峠上から

宮本機Uターン社ブラックライト

5月25日土曜日
天気晴れ
member いつもの人、アキュラシーチーム。長尾さん、フライングゲット吉沢さん、など20人くらい

 天気図は河口湖の日と言っているようだ。宮本機がいちばんで出てすぐ追う。1500くらいが渋くさらに雲底は2200mくらい。春らしい凸凹な大気。湾内ひとまわりして、東尾根で上げ直して、小回り練習して降ろす。

 だんだん調子が上がってきて後続は降ろすのに苦労していた。こわい思いをした人もいたようだ。
 
 誘われて午後のまったりフライトを狙うが、雲の吸い上げと変わらず南西強風でそこそこで降ろす。20分程のフライト。
富士山北面と河口湖
やのちゃんのオゾンデルタ2

オゾンアルピナ

5月26日 日曜日
天気晴れ
member ごつぼ、しまぶくろ、アキュラシーチーム

 朝霧猪の頭へ向かうが、開拓道路展望台で引き返す。朝霧エリアはすっかり雲の中。相模湾の海風が上がってきて霧と雨になるのが夏の朝霧。

 河口湖に戻ると青空いっぱいだがメンバーは少ない。いつもと異なり雲の流れが東風。いちばんで上がると東強風と西強風が層になっているよう。2000mくらいが雲底。なぜか後続なしで1時間ほど小回りして降りる。東風とサーマルがきつくボコボコしていた。
 ひとりフライトで昨日よりも印象が深い。しまぶくろ氏が出てやはり一人フライト。帰るころごつぼ氏が出て一人フライト。

 アキュラシーチームも東風強風でご苦労さん。タンデムの観光遊覧が盛況で校長が活躍していた。
 富士山スキーのプランもあったがこの風だときつかったのでは。雪面状態ももう終わっているかんじかな。

土曜日1本目。おおにぎわい

土曜日2本目


日曜日。メンバーわずか

5/25
河口湖
931 100m
932 15m
5/26
933 58m

総計455h58m

富士山須走スキー


富士スキー3
2013年5月24日

24日 金曜日 
member 伊藤フミヒロ
天気 はれ

成就沢2300あたりから

宝永山と愛鷹山

 トレーニングのつもりで出かける。須走5合目のパーキングには数台だけ。ボードのひとりが登っていくところだった。6時すぎにスタート、森を抜けて夏道へ。東風が北風に変わってだんだん強くなってきた。300m上に数人見える。ボーダーとだれかか。昼過ぎまで歩いて3350mの富士山ホテル。本8合。二人組登山者がとぼとぼ下りて来た。風やまず雪が固くなってきたのでここまで。
 宝永山が見えるところまでトラバース。雨が降ったらしく凸凹のところが多い。雪もよごれている。成就沢幻の滝上部2500mまで滑り込む。スキーと靴を洗って左となりの沢へ。さらに2300までは滑れるようだ。ぶらぶら1時間ほど下って3時すぎ終了。
須走夏道2300m

須走夏道2500m

成就沢末端、この下幻滝

changeでおしまい。沢を変えるとfinishまで

5.19.2013

富士スキー2、と「山の本」に掲載した原稿


富士スキー
2013年5月18日

                     

                                       ラフマニノフでテレマーク

水が塚から。いつもより少ないかな?

3人とも単独行、たまたま会つた

18日 土曜日 
member furukawa、Takeda_vitz
天気 はれ
 昨日金時山から見た富士山南面はまだまだ雪があるようだった。好天予報なんで、早起きして出る。富士宮口5合目6時すぎにスタート。2800mまで下部雪渓が残っているようだ。今日を逃すわけにはいかない、というんでたくさん登っている。ここんとこ週末あんまりよくなかったから。南面は200人以上と見た。

 無風快晴、あたたかい。下を見ると案の定古川さんが登ってきている。連れはだれだろう? 3300mで合流。タケダビッツさんだった。山頂まで階段でアイゼンは使わなかった。高いところは初めてなのでスローペース。12時半富士宮口山頂。

 広場から剣ヶ峰滑降の二人を撮影。上部雪渓は新雪できれい。ざくざくで飛ばす。タケダビッツさんもうまい。古川さんとおんなじでごんちゃれんこ先生門下だという。下部雪渓、新雪は溶けて汚れていて下るだけ。3時前終了。こんなにたくさん人がいる富士山は珍しい。
 山北さくらの湯、でラーメン食べて帰る。
 
5合目から。片蓋山、腰切塚、浅黄塚が並んで見える

新雪でざくざく

雲海は1日取れなかった、、富士宮下界はどんぐもりで予報ハズレの1日


以下「山の本」 号に掲載の原稿

 山が好きだが雪が降るとスキーによく出かける。ゲレンデではなくて雪の山を滑るのが目的、だから山スキー屋である。今頃はなぜか山スキーのことをバックカントリーと呼ぶのが流行っているのはご存知でしょうか。それに従うならバックカントリースキーヤーということになりそう。12月から5月まで週末は天気を見計らって出かけるのがいつも。広い世の中、同好の士は多く、雪の山でスキーを履た人に会わないことはない。
美しい光景
 1年のうち6ヵ月間営業の山スキーだが、シーズン仕舞いにみんながよく行くのが富士山。5月連休のころ5合目登山口まで上がるとスキーを持った人、スノーボードを背負った人、雪山登山の人が仲良く行列して登る光景に出くわす。この時期の富士山は夏よりもずっとラクで快適な登山ができるから登ったことのある人も多いでしょう。山の様子も雪のせいでふだんの倍くらいは美しい。
 スキーヤーも登山家も登りは同じである。吉田口(河口湖口)でもよいし富士宮口でもよい、5合目からひたすら山頂を目ざす。7時ころスタート、すぐに雪道となって、おおむね夏道沿いに登る。9合目あたりでアイゼンがほしい、という場合もある。たくさんの人が連日登るので階段状になっていてアイゼン不要のこともある。昼前に山頂、四方の景色を楽しみ、のんびりランチ。日がいちばん高くなって雪が緩むころが下山時である。スキー屋はスキーで、登山家は歩いて往路を戻ることになる。スキーの方が早そうに思えるが、私の観察するところ、実際はあんまり変わりない。登山家はサクサクといつものように下り、スキー屋は滑っては休み、休んでは滑ってを繰り返すのでそうなるのである。カメとウサギというところか。夏の富士山はご免、という人にもこの時期の富士登山はおすすめだ。登りも下りもラク、混雑も砂ぼこりもなくひたすら爽やか、山小屋は休業中とあって幸せ。靴だっていっさい汚れなし、なのである。
富士山直滑降
 富士山でスキー、などと一般の人に言うと「えーっ」と驚かれることが多い。5月連休ころのあの雪富士の楽しげな賑わいを見せてあげたいくらいのものだが、普通の人には大層なことと思えるようだ。世代にもよるだろうが、かつて三浦雄一郎さんが富士山で冒険スキーをしたことが印象に強く残っているのかもしれない。1966年、三浦雄一郎 富士山直滑降、というのが富士の登山史に記されている。このとき三浦さんは確かに富士山を滑ったが、文字通り「直滑降」をしたのであった。時速100kmをも超えるスピード滑降だったから、用意していたパラシュートを開きブレーキをかけたのだ。パラシュートは自衛隊が製作協力したという。 [富士山直滑降] という記録映画も作られた。
 それにしてもスキーヤーといえばいまだに三浦雄一郎の右にでる有名人はいない。今、3回目のエベレスト挑戦(かのエベレスト大滑降を加えると4回目の挑戦か)などと話題が途切れることがない。たいした人であることよ。
 われわれ山スキー屋が富士山を滑るときにはもちろん右に左に大きく振って降りる。上手な人の滑りはまるで舞うように見える。いまどきの山スキーの道具はよく出来ているから、条件がよければ中級者でも楽しく滑走できるのである。富士山の勾配はあのように見たとおりのものだから、スキー場なら中級者ゲレンデの傾斜だろう。ま、天気がよくて雪が緩んでいればさほどのこともないのである
レルヒ少佐
 富士山を最初に滑ったのは、だれあろう、あのレルヒ少佐であることは意外と知られていない。日本に初めてスキーを伝え「スキーの父」とも言われているオーストリアの軍人レルヒだ。少佐は1911(明治44)年4月に友人クラッセルと富士山九合目からスキーで滑降したという。高田で日本陸軍にスキーを伝授したのがこのシーズンだから、スキーを教えたり、自ら山で滑ったり忙しいことだ。当時の貧弱なスキー道具で富士山を滑るのは、三浦さんの直滑降にも匹敵する冒険であったに違いない。
 いかめしい肖像写真で知られる少佐だがとても日本びいきのよい人だったという。各地で好印象を残していて、今でもレルヒファンが多い。人物であったのだろう。富士山が日本最初の山スキー滑降の地であることを記念した碑を、今も御殿場登山口のバス停脇で見ることができる。御殿場市が建てたもの。
 ちなみに、富士山頂から初滑降したのは、勝田甫という青年で友人の筧弘毅と、1935(昭和10)年4月、今の御殿場口ルート沿いを滑っている。レルヒといい勝田といい、いまのゴールデンウイークに滑っているのは当然といえば当然、富士スキーはそのあたりが絶好の日和なのである。山頂滑降はレルヒ少佐の富士山スキーから25年もあとのことだから、その間にも何組もの挑戦があった。廣瀬潔さんの作ったスキー年表には、滑落死を含むいくつかの事件が記されている。登山家黒田正夫・初子、気象庁藤原(新田次郎)の名前やら冬期初滑降の深田久弥の1行もある。深田さんが仲間と滑り下りたのは昭和14年3月2日のこと、剣ヶ峰絶頂からだからたいしたものである。深田さんのスキー好きは(スキーの)弟子の小林秀雄のエッセイでも知っていたが、もの書き以前に冒険スキーヤーでもあったというのがいい。
ウエストンの雪富士
 先ほどの山頂初滑降の勝田青年は地元御殿場の名門の出。当時スキーは上流層の趣味だったから、大正、昭和初期にスキー登山史に登場する若者たちは学習院や慶応などのお坊ちゃまが多い。ちなみに私の尊敬する山スキーの先達は中尾峠で逝った板倉勝宣である。槇有恒、三田幸夫との最後の山行は日本初の雪山遭難として知られることになったが、3人とも上流層の人。貴人の余裕と見識と行動力が、日本の近代登山を引っ張っていったというのは山岳史の事実だが、板倉勝宣の書き残した散文にもそれが表れている。板倉の語る山スキーについての詩と真実は今でも感動を呼ぶなにものかである。「嗚呼スキーは飛ぶ…、われも舞う…」というあたりは板倉の詩に属する。
 スキー初滑降は1935年だが、富士山の積雪期初登頂は? 誰あろう、ウオルター・ウエストンであったのは知る人ぞ知る。日本アルプスの父といわれるウエストンだがいちばんたくさん登ったのは富士山で都合8回である。そのうち半分ほどが雪の富士山で、夏富士は「人ゴミで嫌だ」と言っているのは今と同じ。1892年5月の積雪期初登頂のレポートは「日本アルプス 登山と探検」にある。このときは御殿場ルートを仲間と登っている。翌年の5月にも村山浅間神社から今の富士宮ルートで山頂に立っている。よほどうれしかったのだろう。英国山岳会に積雪期初登頂と報告した記録がある。それ以前に雪の富士山に立った記録はないし、実際そんな人間はいなかっただろうから。この記録は正しいと思う。このころのウエストンは30歳に達したばかり、イケイケのやんちゃなアルピニストだったようだ。ときどき神父の仕事もしたらしい。
 ウエストンはスキーはしなかった、というより、この時スキーは日本に入っていなかったからそれも当然だが、後に1918年に出した本では、レルヒ少佐のことや富士山スキーについても詳しく記している。日本人は革靴を履かないせいで足が丈夫だからスキーの上達が早い、レルヒの教えたスキーは急速度で日本に広まっているなどと書いている。
30の沢
富士山スキー滑降には、ことほど左様に100年以上の歴史がある、ということになる。先達の偉業を知って平成のわれら一般の山スキー屋は、5月の週末好天を狙って富士山に向かうわけだが、天気が悪いと日差しがなく雪はカチカチ、風が強いと吹き飛ばされそう、なので週末がちょうどいい陽気に当たる確率は3割くらいだろうか。運が悪いと、今年は富士山滑れなかった、ということも往々にしておきる。
 滑るエリアも多彩だ。のっぺらぼうに見える雪富士だが、いったん近づけば崖あり、谷あり、火口あり、複雑で味わい深い様相であるのは、一度でも登ったことのある人には常識。とくに富士山の沢は山頂部から放射状に30本以上あって、深くて長い。ここに残雪が遅くまで溜まるからどの沢も格好のスロープとなる。
 よくみんなが行くのは南面の富士宮口ルートと北側の吉田口ルート、その周辺の沢。富士宮口側は山頂火口の縁から宝永火口に向かって下る。そのまま行くと火口に墜落するから手前で右手の日沢に乗り換えて5合目まで滑ることができる。高差は1200mある。吉田口はもっと豪快。吉田大沢をまっすぐ下降する。1200mの一枚バーン、日本一の滑り台といわれている。ほかにも、御殿場口、須走口山頂からいくつものラインを選ぶことができる。マニアックルートもいくつかあって、白草流し、小御岳流しなど。痛快なのは最高峰の剣ヶ峰から山頂火口、つまりお鉢への滑降。高差200mほどのルートだが急だし、空気が薄いから息が上がる。滑ったあとの登り返しはもっと辛いが、登らなければ死ぬまで火口底の人となるからだれもが必死で這い上がってくることになる。
スノーボード面白い
何年かかけてあちこちのルートを滑ったが、週末山スキーヤーの範囲内のことで目覚ましいことはない。トラブルは何度か滑って転んだというくらい。いちどスキー靴の靴底がパックと開いて往生したことがあったが、頂上をあきらめて引き返した。強風で引き返したことは数回でこれはよくあること。遭難者の落とし物を何度か拾ったことはあるが遭難者に出くわしたことはない。富士山で拾ったものは多い。寝袋、財布、アイスバイルは2回。今年は手袋とスノーボード。富士山はとにかく落とし物が多いのである。そのわけはいくつかありそうだ。
 滑っていちばんいいところを挙げろと言われれば、明快で豪快な吉田大沢だろうか。おすすめである。昭和の末にスノーボードというものが日本に上陸した。これで富士山を滑ってやろうとひとシーズン、スキー場や山で練習した。スノーボードは幅広で重厚で全体重を1枚の板に乗せることができる。二本の脚で操るスキーに比べると悪い雪や急斜面に強いのである。5月になって天気のよい日に吉田口ルートを上がった。昼過ぎにまだ堅さの残る吉田大沢を滑った。1度か2度転倒したかもしれない。このときはピッケルを持っていたのでスリップを止めることができた。これが富士山のスノーボード初滑降というわけではない。パイオニアはいつも先を進んでいて、そのとき私は100番目くらいの滑降者だったのではないだろうか。
スキーパラとは
10年近く前、日本にスキーパラが上陸した。スキーを履いて小型のパラグライダーを持って、飛んだり滑ったりするという、ハイブリッドというかどっちつかずというか、そんな遊びである。フレンチアルプス発祥という。これで富士山を飛んだり滑ったりしてみようと思いついて、ひとシーズン練習した。5月になって何度か富士山頂に足を運んだ。風があってもスキーはできるが、スキーパラは風向きと風速が重要。4度山頂までムダ足を踏んで、5度目の正直で吉田口山頂から吉田大沢を飛んだり滑ったりすることができた。重力に従って滑り落ちるスキーは気持ちのいいものだが、布きれ一枚で重力に抗して空を舞うパラグライダーもまた快楽的遊びといえるだろう。スキーパラという流行りもので富士山を飛んだり滑ったりしたというのでパラグライダー専門誌が大きく取り上げてくれた。山とスキーは長いことやっているが初登、初滑降などの記録はいっさいない一般人、あとにも先にも、だれかに先駆けてなにかをやったというのはこの富士山のスキーパラしかない。しかし山ボードとは異なり、スキーパラで私の後に続く人はだれもいなかったようである。
なんか勘違い?
5月の富士山にいけば、登山者、スキーヤー、スノーボーダーがにぎやかにしているのを見ることができる。雪の富士山を楽しむのにオレがオレがはないから、いい景色といえる。どんな道具で登ろうが下ろうが、みんな富士登山仲間にちがいない。
 この数年、富士宮口にはスキー、スノーボードは禁止、という看板が見られる。吉田口側には、スノーボードは止めましょう、という立札もあった。ゲレンデスキーのつもりでやってくるスキーヤーやボーダーに親心で注意を呼びかけているのだと思いたいが、先日「夏以外は富士登山禁止を検討」という新聞記事を見た。え、なんか勘違いしてない? 静岡県側の意向のようだったが、山梨県側でもそうなのだろうか。残雪期の富士山では、6合目あたりに登山道通行止めのバリケードが作られている。なんとも無粋な光景だ。

 登山や山スキーを禁止したいというお上を持つ富士山に、文化遺産などと自慢する資格があるのだろうか、笑ってしまう。ほかの山で登山禁止などという看板に出あったら卒倒する人もでるところだ。アルプスやヒマラヤでもそれは同じ。勘違いしている人たちにこのことをどう言えばいいのだろう

金時山


金時山はいきんぐ
2013年5月17日
 

member たろ ケイ  ユー 伊藤フミヒロ記

17日 金曜日
天気 はれ
 太郎と散歩に。2度目の金時山。乙女峠富士見茶屋はやすみなんで手前の道脇に停めて峠へ。9時すぎスタート。箱根と富士山が見える。富士山は新雪できれい。2時間半ほどで金時山。12時前。平日だが人が多い。金時神社に下る二人を見送って太郎と往路を戻る。70分かかる。トンネル越えて二人ピックアップ。大平台姫の湯に寄って帰京。

ヤシオツツジと新緑きれい

山頂から金時神社へは急だけど明るくていい、そう

5.10.2013

富士山スキー白草流し

富士山スキー白草流し 
2013年5月10日 金曜日
member 太郎、伊藤フミヒロ
スバルライン1合目から北面。雪はたっぷりに見える

面白い顔の太郎

白草流し下部。雪は十分


天候はれ
週末は悪天らしい。2日ほど暖かい日が続いたんで雪もやわらかっくなんてるんではないでしょうか。富士山スキーに。太郎に運動もさせたい。

 早出で須走まで走る。雪線が上がっているので吉田口へ移動。スバルラインから見ると小御岳流しは下部が2箇所ほど切れているよう。雪も汚れている。毎年のことながら白草流しへ。2250mがスタート。9時くらい。お中道まで歩いて、そこからシール登り。下から見た顕著な露岩のアイランドを目ざす。

 2800mの露岩だった。500m登ったからいいとしよう。雪は柔らかいがスプーンカットになっている。やはり今年は少雪のようだ。筋斗雲の峰岸さんの昨日の山頂写真でも富士宮奥宮の鳥居の全体が出ていた。
 異常に暖かい。7-8度ありそうだ。とはいえ前線が近づいている。風は強い。ざくざく雪を快適に滑降。あっというまにお中道。スバルラインまで残雪があるが無理しないで歩いて下りる。12時過ぎ終了。紅富士湯、道の駅とか寄っているうちにポツポツやってきた。前線と競争するように東名を東へ。明るいうちに帰宅。
スバルライン5合目から。小御岳流しは一か所切れてる。



太郎動画



5.07.2013

春パラ4 河口湖、朝霧




河口湖大石と朝霧

2013年5月5-6日

 
           
朝霧、長者岳上空

三つ峠近づく

河口湖、西湖小さく見える

     
                     おっとっと宮本さんの楽しい動画

5日日曜日 
天候はれ
member いつもメンバーと中村さんほかs
南風の強い日でパラグライダーのクロスカントリーで好記録がたくさん出た特異日となった。西日本の北房エリアでは159km、日本記録らしい。われらが?川地塾系のダイラボウ合宿では静岡市郊外から鳳凰地蔵岳を超えて入笠山、諏訪湖へ、もうひとりは八ヶ岳天狗岳を超えて佐久、などの新記録が出ている。塾長もまた野辺山まで飛んでいる。100kmから140km近い直線距離だが、高度もすごい。入笠山の上3967mというレポートが出ている。

いつもどおりにおとなしく河口湖エリアに練習に行く。好天予報でにぎやか。復帰したK師匠、外国にいた西村さんも。
いちばんはブクロ氏がでて宮本機、なべちゃん機と続く。よく上がる日で、3200m以上が数人。自分は2900どまりだった。三つ峠、王岳、五湖台と回れたのは久しぶりか。三つ峠はリスクが高いんで敬遠しているのだがこの日はなりゆきで。昼ころからあげあげになって下ろすのも大変だった。2時間15分のフライト。


6日 月曜日
天候はれ
member すいてるスカイ朝霧
西風予報なので河口湖から朝霧猪の頭へ移動。午後は南強風という。9時過ぎにはバスに乗る。ここんちは午前中が絶好のエリア。W社長、T村さんなど常連は出動が早い。が連休最終日とあって人では少ない、空もあいている。
 雲底1700mほど。雲と遊んだりブロッケンもよく見えた。おのけんさんと久しぶりにとんだ。きのう河口湖でもまれたので少しくらいに揺れはどうってことない感じでしたあ。
天子岳から雪見岳(養毛)を行き来できた。1時間40分ほど。天子まで前を低く行く機体があったが、患者という人だとダンク佐野さんに教わった。
天母の湯に寄って大井松田からハイウエー。南風強風だったが渋滞はなく日の高いうちに帰京。昨日で混雑は終わったようだ。


1/21-27台湾
906-916
9時間25分
総計443時間29分

3/8-9木島平
3本と4本ゲレンデ
山頂2本

917-920
計15分
総計443h44m

3/17木島平
921
ゲレンデ3本
総計443h50m

3/22-23 
猪之頭
922 80m
923 25m
総計445h35m

河口湖
924 10m
925 76m
総計447h01m

4/13-14
河口湖 
926 65m
総計448h06m

猪之頭
927 58m
総計449h04m

4/30 
つくばNASA
928-929
2本で16m
総計449h20m

5/4-5
河口湖
930 135m
猪之頭 100m
総計453h15m

十二岳クライミングと高松山 


西湖の岩場と高松山 
2013年5月3-4日
member Taro Kei Itokisya
エントリールートはプロテクションが貧弱

左の尺里峠から右の高松山まで尾根道


3日土曜日 
天候はれ
 連休初日なので早起きして東名用賀。5時過ぎなのに横浜のあたりで渋滞が始まっていた。今日は太郎と散歩の気分。
 松田で酒匂川を見て山中湖から西湖へ。岩場は十二が岳の南壁の一部。池ノ内さんと10年ほど前旧ゲレンデを新開拓したもの。10本以上ルートを作ったがリングボルトとハーケンのエントリールートはそのままにしておいた。今登れるのはそこくらいなんでそこにボルトを打つべきだったと思う。年とってから分かることも多いね。
 古いぷれてくしょんとキャムロットを使って登りトップロープをかける。数本登ってまいいかということに。
岩場までのアプローチがクライマー道で半端ではない。10キロ以上持っての往復だけでも半日ハイキング以上の仕事だ。太郎が鹿の角を見つける。写真を撮ってからほっておく。
にぎわう大石公園で喫茶してから民宿やまとへ。食事がよろしい、。
虫沢と大山

高松山山頂

4日日曜日 
天候はれ  
天気が続くので篭坂トンネルを抜けて須走、山北へ。前から行ってみたかった高松山へ。以前山北から皆瀬川沿いにドライブして人遠、八丁あたりを見たときはなじょろ道という古道が寄の虫沢から続いていると聞いた。花嫁が歩いた道、どんな道なんだろう。
車で高松山へアプローチするのは山北側の高松集落か寄側の中津川沿い虫沢村からが都合がよい。峠越えの林道だがどこか通行止めとなっているらしい。
山北を過ぎ246号から寄への道に入る。虫沢は茶畑を背にした山際の村だった。古い墓地とお寺の脇から細い道をジグザグに上がる。通行止めサインの前に車を置いてスタート。11時。
通通行止めの先で土砂崩れになっているようだった。虫沢古道の案内があって山道に入りすぐに尺里峠に出る。第六天という石碑があってこれは弁天様ではないなにものか。山北の最明寺に続く道もあった。最明寺はパラグライダーで曾遊の地。天然林と植林杉のきれいな尾根道を縦走する。桜平から高松の村が見えた。まゆみ平にはマユミの大木があり酒匂川の向うに箱根。
 高松山頂上近くでは虫沢を見下ろすことができた。丹沢大山も見える。
 山頂にはハイキングの人が10人くらい。富士山の好展望台だが今日は雲に隠れている。明神岳と金時山など箱根外輪、足柄峠と矢倉岳、大野山も。下りは女坂経由で往路を戻る。3時間ほどのハイキング。20人くらいに出あったが静かでよかった。
 寄によると明日は鯉のぼりのお祭りとかで準備でにぎやかだった。バス停食堂で軽食して明るいうちに帰京。
寄、虫沢と八丁、人遠あたりは山奥同志でつながりがあったようだ。酒匂川まで出て行き来するのは遠回りなんで山越えして交通したという。観光案内によると、虫沢古道と花じょろ道は別でほかに第六天道があるらしい。今日歩いたのが虫沢道で尾根歩きの道が第六天道。峠道は古道だろうが尾根道はなんでもなかったのでは。はなじょろ道というのもここひとつだけのものではないだろう。
花女郎というんだけど、昔からそういうことばを使っていたのだろうか?女郎には女の人という意味があるようだ。
 虫沢、人遠など不思議な地名が多いこのあたり、近くにシダンゴ山というのがある。こんど行ってみよう。

峠の向こうさんの研究では虫沢古道もはなじょろ道、ほかにも