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12.31.2022

海外の山旅メモ

海外の山旅メモ 伊藤フミヒロ








1974年1月12日ー1月26日 
フランス、スイスへ。ラプラーニュ、ツェルマット、シャモニなどのスキー場をまわる。skier誌の取材。小野勝カメラマンと。初めての海外出張、初めての飛行機でエールフランスの新鋭ジャンボ機だった。

1974年12月28日~1975年1月11日 
フランス、イタリア、スペイン。カワセツーリストに頼んで新婚旅行。

1975年2月23日~3月13日 
カナダ。バンフとリトルヨッホ国立公園へスキーの取材。末広明カメラマンと。CMHのツアーで山小屋に泊まって山スキーを楽しんだ。スイス出のコビ・ウイスがガイドだった。CPエアーとタイアップしている。skier誌に掲載。

1975年10月21日~24日
バリ島へ。コンチネンタルエアーがバリへ初就航するというご祝儀料金で行った。2回目の新婚旅行。

1976年3月10日~4月16日
アメリカ、コロラド、ユタのスキートリップ。デンバーにいた山岸行輝カメラマンと。後半はキャンピングカーで回った。アメリカ人スキーヤーを連れての撮影旅。たしかヤマハのスキーとタイアップ。skier誌に掲載。なぜか長期取材になっている。最終週はLA在の加藤幸雄とカリフォルニアの観光をしたのかもしれない。カーメルやヨセミテに行ったはず。

1979年4月25日~4月29日
サイパン島。会社の先輩市川泰雄さんなどと。リンホフなど4x5大型カメラを持って撮影旅行。ジャングルの道をドライブした。

1979年7月1日~7月28日
Outdoor誌の取材でアメリカへ。芦沢一洋、佐藤盛男、望月久カメとワシントン州、ワイオミング、コロラドなどフライフィッシングなどの取材。アイダホサンバレーではジャックヘミングウエイなどインタビュー。夏のアスペンも再訪した。このころskier誌からOutodor誌に移籍している。それにしても長期の取材だ。

1981年3月18日~4月25日
カナダ。skier誌に再移籍しての取材。末広明カメ、裏磐梯の安藤さんと。ウイスラーなど西海岸で取材したあとレベルストークでヘリコプタースキーの取材。さらに東に移動ケベックのスキー場などを取材。CPエアーとタイアップしてバンフやケベックのCPホテルに泊まった。航空会社とのタイアップなのでファーストクラスに載せてくれることが多かった。最終週はカリフォルニアへ旅行したはず。スペースシャトルコロンビアが地球初帰還するのをテレビで見た。

1982年3月3日~3月24日
イタリアへ。在欧の青木紘二カメとベニスで合流してドロミテ、コルチナなど北イタリアのスキー場巡り。チェルビニアではガイドといっしょにブライトホルンにスキー登山した。視界が悪く雪庇から落ちそうになった。skier誌に掲載。青木カメはその後写真通信社アフロを立ち上げた。

1983年3月16日~4月9日
山と渓谷誌に移籍してネパールへ。近藤辰郎カメとアンナプルナ街道とエベレスト街道のトレッキングの取材。アトラストレックとのタイアップで前半は添乗の前谷さん、玉川学園の女生徒などに同行。後半はシェルパとタンボチェまで行った。前谷さんは近頃はパラグライダーのツアー会社アドベンチャーロードをやっている。
このあと山と渓谷誌の編集長おおせつかって、海外取材はなんとなく自粛、若手にまかせて国内の山ばかり行くようになった。

1989年7月12日~7月15日
桑子登さんと香港とマカオへ観光旅行。痛風を発症して山歩きが辛く近隣諸国へ。その1回目。

1989年9月22日~9月28日
香港と広州、海南島へ。桑子さんと。中国は面白い。

1989年10月21日~11月12日
ネパールへ。中村みつをさん、中村正之さんとエベレスト街道トレッキングの取材。カラパタールまで登る。このころ書籍編集部に移籍、山岳コミックシリーズを立ち上げてあちこち出かけるがその海外版の最初。痛風は治っていたが杖を突きながら。

1989年12月8日~12月11日
韓国ソウルへ。桑子さんと。初めての韓国、なんとなく後進な古くさいところが気に入った。

1990年6月28~7月1日
台湾台北へ。桑子さんと。初めての台湾。暑い、おいしい。

1990年7月6~20日
シャモニとグリンデルワルトへ。中村みつをさん、中村正之さんと。コミック本アルプスハイキングの取材。前半はグリンデルワルトあたり。アトラストレック社長の磯野剛太さんが添乗。ツェルマットで白馬の降旗義道さんとブライトホルンに登る。

1990年9月21~25日
上海へ。桑子さんといっしょだったような気がする。平和飯店泊。蘇州にも行く。中国史に興味が湧く。陳舜臣先生など愛読。

1991年1月6~9日
香港へ。会社の忘年会で香港旅行が当たったので、ファミリーで。

1991年9月26~30日
香港へ。一人だったか忘れた。南y島などへクルーズ。写真は残っている。

1992年4月8~12日
アメリカユタ州へ。北田啓郎さんなどカリブースキークラブと。これが1回目でこのあと毎年アメリカツアーが続く。10回ほど。ユタ州のワサッチ山脈のスキー場と山スキー。ワサッチのテレマーカーの洗礼を受ける。取材というよりも遊びだが、記事は山と渓谷誌などに掲載。
メンバーはカリブークラブとそのとりまき。北田敬郎、伊藤裕之、野口俊一郎、真壁静子、竹内利春、真下
薫之、ベンジャミン・バーディ。ブログ

1992年11月10~12月2日
ネパールへ。ポカラからバラポカリなどマイナーなトレッキングルートへ中村正之さんと。「ネパールトレッキングガイド」の取材。シェルパと仲良くなる。
ジョムソムに飛んでムクチナートまで行ったのはこのときだと思う。ジョムソムで飛行機がオーバーランして川に半分落ちていたのも目撃。ちなみにムクチナートまで自動車道があるようだ。

1993年3月30~4月11日
コロラドへスキー。テンスマウンテンツアーの1回目。小屋から小屋への縦走スキー。パラゴンガイドのダンさんと知り合う。

1993年10月23~11月12日
ネパールへ。ムスタンへのトレッキング。ローマンタンで王様にインタビュー。中村正之さんと。「ネパールトレッキングガイド」の取材2。記事は山と渓谷誌などに掲載。
googlemapを見ていたら、ムスタンの村にジープのような車があった。オートバイでムスタンに向かう白人グループの写真も発見。25年で大きく変わったようだ。
チトワンやルンビニに遊びにいったのはこのときだと思う。

1994年3月30~4月日11日
コロラドへスキー。テンスマウンテンツアーの2回目。指名でパラゴンガイドのダンさんとローラ。記事は山と渓谷誌などにも掲載。

1994年8月6~24日
チベットへ。クライミングチームKIM同人がカトマンズで集合。ヒマラヤを飛びこえてラサへ。チベットを観光。このころ開放ムードがあって外人が入れるようになっていた。ラサ,ギャンツェ、シガツエなど。

1994年10月6~11日
カリフォルニア州ジョシュアツリーへクライミング。Rock &Snow誌の立ち上げ準備でその取材。徳地さんがガイド役。砂漠のクライミングは楽しい。

1995年1月3~11日
タイのプラナンへクライミング。森光、モモ、ケイと。南国のクライミングは楽しい。ブログ

1995年3月25~4月9日
コロラドへスキー。テンスマウンテンツアーの3回目。小屋から小屋への縦走スキーでこれで全ルートを踏破。翌年だったかダンさんとローラを日本へ招聘した。そのついでにダンさん主演のテレマーク技術本も作りました。

1995年10月13~11月11日
ネパールヒマラヤクンブーのメラピーク登山。6500mの山頂からテレマーク、スノーボードで滑降。忠さんはパラグライダーで飛んだ。KIM同人の遠征。Rock &Snow誌に掲載。ブログ

1996年4月10~24日
アルプスオートルート縦走。渡辺賢二、黒川春水とシャモニガイド協会のツアーに参加。好天に恵まれ全ルート走破。モンブラン登山はならず。Rock &Snow誌に掲載。ブログ

1996年8月24~9月5日
ニュージーランドスキー。
ワナカにいた黒川晴介、春水と合流してエンジョイスキー。クック村に移動してスキープレーンでクック氷河へ山中2泊でスキーを楽しんだ。
Rock &Snow誌に掲載。
メンバー ヒロユキ 真壁さん、静子様、ゆみさん、KISYA、現地・黒川、春水
ブログ

1996年11月14~20日
カリフォルニアのジョシュアツリーでクライミング。現地集合でARK山岳会が集まった。ARK山岳会はKIM同人が発展したお仲間クラブ。
このころRock &Snow誌の取材が忙しくなり海外クライミング行が増える。メンバー 光、桃、徳池、チュー、ケイ、丸山夫妻、ペンバ、テンジン、KISYA。

1997年4月27~5月6日
カリフォルニアのシエラ山塊のスキー。コロラド10スマウンテンを終えてシエラへ。ロッククリークキャニオンなででテント山行。来年のシエラハイルートの予行など。タイオガパスでもスキーして3大峠スキーを達成のはず。メンバー 北田、真壁、溝部、裕之(以上カリブークラブ)、西原、糸尾(以上DCCC)  現地、モンベル渡辺、ベン・バーディ。ブログ

1997年6月7~15日
カリフォルニア州ヨセミテ公園のクライミング。初見参。黒川晴介がガイド役であちこち登った。7人のクライマー。なべちゃんもいたな。ブログ1 ブログ2

1997年8月25~29日
韓国インスボン初見参。黒川晴介と登った。ブログ

1997年10月24~30日
カリフォルニアジョシュアツリーでクライミング。3回目。メンバー HIKARI, HANEDA OSAMU,UNEZU,TOKUCHI,JERMI AND FRIENDS。ブログ1 ブログ2

1998年6月27~7月11日
いまはなきシャモニのロジェルキャンプ場に滞在。黒川晴介がガイド役でアルペンクライミング。ダンデデュアン、グランドジョラスなど数峰に登る。ブログ

1998年4月22~5月6日
カリフォルニア州、シエラ山脈を横断するハイシエラルートを走破。天候に恵まれた5泊のテント山行。チャーター飛行機2台で移動するなど大掛かり。ベンがガイド役。御兄さんもやってきた。メンバー 北田、溝部、真壁、渡辺、西原、ひろゆき、ベン、マット、汽車。ブログ1 ブログ2
スライドショーもありました。
https://www.asahi-net.or.jp/~nd9k-mtkr/depot3/gallary/high-sierra/hsss.html

1998.6.6-15
ヨセミテクライミングmember kurokawa haneda osamu itokisya ブログ

1999年4月28日~5月11日
ワイオミング州ティトンクレストツアー。シエラハイルートの次はティトンだ、とメンバーがジャクソンに集合。ダンとベンちゃんもやってきた。
帰りはとくちさんのトラックでくろちゃんといっしょにアイダホ、オレゴンの旅をしながらロスアンゼルスに戻った。楽しいロングドライブだった。
メンバー 松倉一夫、黒川晴介、徳地保彦、汽車、北田啓郎、溝部克実、真壁章一、真壁静子、DON SHEFCHEK,BENJAMIN BURDE
ブログ

1999年6月9日~12日
韓国インスボンクライミング3回目。川崎博カメもやってきた。
 ブログ2 これが2回目か? こちらはブログ一回目。

1999年6月22日~7月8日
グリンデルワルトのキャンプ場に滞在。毎日キャンプ飯で楽しい。ユングフラウ、メンヒなどに登る。黒川晴介がガイド役でモンベル金森さんもやってきた。ツエルマットに移動してブライトホルンなどでスキー。ブライトホルンは3回目の登頂。ブログ

1999年8月30日~9月11日
コロラドクライミングツアー。徳地さんがガイド役でコロラドの岩を登りまくった。ボルダーベースにあちこち。ロッキー国立公園に入ってロングスピークにベースを持ち上げたが天候悪く下山。ブログ

2000年3月4日~16日
コロラド、ワイオミングスキーツアー。真壁夫妻とまっちゃんと出かける。昨年に続きでワイオミングジャクソンに移動。遅れてやってきた北田御大チームと合流。ティトンクレストに挑戦。とりあえず抜ける。member:真壁夫妻、松倉、北だ、みぞーべ、ひろゆき、汽車。ブログ
昨年末で山と渓谷社を退社して自由になったが、パウダーガイド社を立ち上げで忙しくなった。

2000年6月3日~6月11日
カリフォルニアクライミング。Rock &Snow誌の仕事が続いていてその取材。徳地さんがガイド役で南カリフォルニアの岩場をいくつも巡る。羽根田オサムさんも常連の取材だ。ハワイに移動してオアフ島のクライミングも取材。シュノーケルもやった。ブログ

2001年2月27日~3月3日
パウダーガイド誌の取材や編集に忙しい。が韓国済州島へスキー。黒川晴介と川崎カメラマンと。異色エリアだがいちおうスキーもできた。ハンラ山は規制があって山頂に立つことができなかった。このあと相棒黒川晴介は山で死んだ。ブログ

2001年4月17日~26日
オレゴンとワシントンのスキー
真壁さん、松倉さん、川崎カメラと出かける。レニアのキャンプミュアからスキー。オレゴンサワッチ山系でバックカントリースキー。カナダに出張してウイスラーでもスキーした。ブログ

2001年7月3日~16日
中国新疆へ。ウルムチから天山山脈を横断、クチャまでの旅。ボゴダを見上げるアンテナ山などにハイキング。まっちゃんとの楽しい辺境旅だった。ブログ

2008年7月1日~6日
バリ島へパラグライダートリップ。2001年からパラグライダーにはまった。海外トリップの初め。サンパラのハブ中村校長たちと行った。佐野さん松本さん、いまなきトウショウさんなど。佐野、高橋、羽衣、東松、為国、松本、藤本、サンパラハブ校長、ハブ父、イク王子、ケビン
ブログ

2011年1月7日~11日
台湾パラグライダー
河口湖スクールの水野校長となみきさんと台北で待ち合わせて桑原、佐野と行った。ピントンへ移動、サイチャの航空公園。校長は翌年急死。
メンバー 水野校長、並木デレクター、桑原、佐野、伊藤フミヒロ ブログ

2013年1月21日~27日
台湾パラグライダー
村越隊長、島袋さんなどとスカイ朝霧チームに入れてもらった。サイチャの航空公園。
member 島袋、村越、小野、さのさ、宮田大ちゃん、榊枝、中の、中村、甲斐、伊藤文博記。永井、阿倉(スカイ朝霧)リーさん(ガイド)
パラグライダーの旅行では海外のほか、スキーや登山ではあまり行くことのなかった四国や九州、沖縄などを訪ねることが多く新鮮だった。ディンギーのレザー界もそうだったけれど(小型ヨットも2回買ってずいぶん熱中した)登山界とは異なる人種を知ることができたのもよかったですね。
ブログ

2013年2月13日~17日
バリ島バツール山登山。バリ在の兄とケイと3人で登った。
ブログ

2013年6月25日~7月9日
アルプスパラグライダー
前半はスカイ朝霧のツアに入れてもらった。ドロミテあたりとグリンデルワルトをフライト。後半はツアーと別れてレンタカーでフランスへ。シャモニ、アネシーなどでフライト。富士山フライトとアルプスフライトが夢だったので目標達成。
ブログ

2016年2月21日~26日
バリ島アグン山登山
現地ガイドといっしょに夜行登山で日の出に山頂に立つ。南国の山も面白い。ロンボク島のリンジャニが見えた。次はあれだな。 ブログ

●雑談

野外に出て日に当たることが多かったので顔だけ見れば色黒の人とおもわれているかもしれない。が地はすごく色白である。
閑話休題。
梅雨空で犬との山歩きにもでかけられない。そんな日が続くので古いことを調べる気分になった。使いきったパスポートがたまっていたので出国と帰国のスタンプを見て海外に出かけた記録を書き出すことにした。旅券のことなので漏れはないはずだが、どこに行ったのか不明のものもあったがおおむね間違いはないと思う。

こうしてみると案の定ほとんどが山かクライミングかスキーの旅だった(古い海外旅のレポ一部。50歳で始めたパラグライダーの旅もあって、あちこち行ったもんだな、というただのおもひ出メモになってしまった。まったく個人的なものだがたまには昔を振り返るのもいいだろう。正確な日程がわかってなんだかよかった。

これを見ると仕事や友人があっての人生だなという感想。つくづくまわりには感謝しなければならない。
それから、けっこう危ないことをやってきたのにケガひとつしなかったという幸運にも気がついた。飛行機やクルマの事故に遭うこともなかった。神サマありがとう、ということだろう。

国内の旅となるとあまりにも膨大になるので、はなからあきらめているが、ここ20年ほどの山旅などはまずいブログになってインターネットにさらされている。がこれもいずれサイバー空間を漂うゴミとなるのだろう。

蛇足。
信州の山ざるだったので町は苦手だった。それでも東京の学校を出て運よく雑誌社に就職することができた。山やスキーなどアウトドア系の出版社だったので山好きの自分にはぴったり来たことだった。
1971年から1999年までずーと編集畑で仕事がら内外の山に取材で出かけることが多かった。産めよ増やせよの時代で、雑誌100冊以上、単行本100部以上は作ったのではないだろうか。数えたこともないが粗製乱造ではなかったと思いたい。

2000年以降は独立して小さな出版社を作った。で、あいかわらず山にかかわる本を作り続けた。
が、この頃は細かい仕事が面倒に感じてきた。もうあとは好きにしてもよいかもしれない。
体力は変わらず、近頃は体重もベストで、今クライミングすればかなりいいところまで行けるかもしれない。
これからだ人生は、の気分だが、これからは目立たず出しゃばらずで行こうのココロなのだ。

2016年6月 伊藤フミヒロ記

雑談の付録
70年代から2000年代はじめまで写真はフィルムの時代でした。私的に。印刷用写真ではコダック一辺倒から富士フィルム優勢に変わりました。ポシ、ネガ、、、フィルム式カメラで砂粒の数ほどの写真が撮られたと思いますが今のデジカメ時代ほどではないでしょう。下はそんな時代のものです。























雑談の付録トップの右の写真、、山岸行輝さん(下に注)とうつっていますが、グランドキャニオンに見えますが、行った覚えはありません。Googleマップで探してみました。
ユタ州のアーチェス国立公園のとなりにある州立公園デッドホースポイントでした。川はコロラド川です。
 ※山岸行輝さん発見




雑談の付録 つづき
古いRok & Snow誌のホームページから発掘したレポート。サーバーがいくつかあって複雑になっていたせいで今頃発見しました。なつかしいので(わたしだけ?)ここに貼っておきます。1999年4月5月のワイオミング、オレゴン、カリフォルニアのロードトリップです。
2004年11月 伊藤フミヒロ
古いRok & Snow誌のホームページから発掘したレポートはほかにもありました。
以下に転載してあります。

ワイオミングから北カリの旅

4月29日
昨日の夜遅くジャクソンホールへつきました。松ちゃん、黒川、徳地が迎えてくれました。
4人全員がバラバラに集まってきたというわけです。
雨がふっていて寒いです。天気はあまりよくないです。 
明日ティトンパスに登ってスキーしますです。
ジャクソンホールの町中の丸太小屋のケビンにいます。
いいところです。
今夜コロラドチームがはいってきます。天気が悪かったのではないかと思われます。
4月30日
きょうはコロラドチームといっしょにテヒトンパスで足慣らししてきました。4時間くら
いの楽しいツアーでした。8人とも元気。松ちゃんがちょと心配というところか。
天気が悪くあいかわらず寒い。明日からも心配ではあります。
明日からティトンクレストツアーにでます。2泊3日の旅。ショートカットするつもりで
す。
メンバーはなんと10人になりました。アメリカ人のドンとベンが夕方到着。
日本グループはコロラド経由のAチーム、徳地さんをむかえた、ぼくと黒川と松ちゃんの
Bチーム。合同ででます。
(ティトンクレストツアーのレポートはCHRONICLR2 TETON CREST TOUR参照)
5月3日
今日は3日、予定通り山から降りてきました。
2泊3日の山旅でしたが、天気がいまいちでした。予定のティトンクレストツアーの
半分を消化しました。楽しかったです。
丸太小屋のヒッチングポストロッジに戻りました。
明日から、各メンバーここを三々五々去ります。グランドティントン登山は状況が悪
そうなので、徳地、黒川、僕、はどこか違うところへでかけるかも。
では。
5月4日
明日から、みなさんとわかれ、徳地、黒川とジャクソンからカリフォルニアへ旅しなが
らかえります。どこかでスキーかクライミングします。
カリブチームは明日帰国、松倉さんはあさて帰国。
5月5日
よいところでした。ボルダリングして遊びました。人っこひとりいない。ボイジーのモ
テル6にはいりました。
5月6日
オレゴンのベントにはいりました。
デシュートリバーぞいのコンドミに2泊します。
スキーとクライミングをする予定です。
5月7日
バチャラー山でスキーしました。真冬のよう。まだリフトが動いていました。
5月8日
今日、スミスロックで遊んでから南へくだります。
パソコンが不調で受信はできるのですが、送信不能です。おかしい。
デシュートリバーぞいのコンドミでよいところです。昨日はプールとジャクジに
つかりました。
昨日といえば、バチャラーで真冬のスキーをしました。ベントの町外れにはアウ
トレットのモールがあってアウトドアメーカーの強力ブランドが軒をつらねてい
ました。
5月9日
昨日スミスロックを見に行きました。
写真どおりの大きな渓谷で、ロープをだして簡単なルートを登ったりボルダリン
グしたりしました。雪が舞ったりで寒い。
昼過ぎには春寒のベントをでて、南下しました。徳地さんがずうーっと運転して
くれているのでラクチンです。くろちゃんはオレゴンから北カリフォルニアのこ
の観光旅行を楽しんでいます。
クレーターレイクを横目でみながらマウントシャス
タの町に入りました。シャスタ山がすばらしい。
明日山へスキーにいくかもしれません。
1泊50ドルで一軒屋を借りました。まきストーブを燃やしながらお酒をのんで
います。
明日はサンフランシスコまで戻ります。
5月9日
サンフウランシスコにつきました。
今朝出がけにみるとマウントシャスタはまだ厳しそうでした。スキー場は閉鎖さ
れていました。来週か再来週あたりあたたかくなれば頂上へいけるかもしれません。
ジャクソンからサンフランシスコまで1500マイルの旅でした。
あした日本にかえります。
徳地さんはロスへ。クロチャンは大阪へ。
今日は、シャスタをみてキャスルクラッグ、ラッセンをとおりバークレーでREI、
マーモットをのぞき、ミルベアのトラベロッジにいます。いつものモテ
ルです。これからむかいの香港飯店にいき夕食します。
ではまた。
(糸尾汽車)

6.01.2022

北田さんの海外スキー旅

●北田さん追悼2 伊藤文博

Tajニュース(日本テレマークスキー協会報)の依頼で以下書きました。2022年3月。公開6月1日。北田さんのビジネストリップ以外の私の知るかぎりの海外スキー旅です。テレマーク時代の旅にはどれも一緒に行きました。以下本文。

北田さんの海外スキー旅

盛岡生まれを誇りにしていた北田さんですが育ったのは浦和です。山へは兄紘一さんと中学生から、スキーは18歳からといいますからやや遅咲きかもしれません。

その後、北田兄弟のモーレツな雪山修行があったようです。国内の雪山を総なめ?にしたかのような北田さんですが、ここでは海外の山行のこと。


1979年に高田光政氏らとアルプスオートルート(スイス側)、82年にはフランスルートを走破しています。間の80年には、なんとマッキンリーを滑っています。成蹊大チーム(磯野剛太隊長)でメンバー全員登頂、そして全員滑降という輝いている記録です。このころイケイケの北田さんですがカリブークラブを結成したのもこの時期。北田さんらしく、やたらに緩いしばりの集まりです。以上はアルペンスキー(山スキー)での記録です。


82年に突然テレマークに開眼します。以降アルペンスキーにもどることはありませんでした。しばらくTAJの活動で忙しかったのですが、90年代からは本場アメリカでのテレマーク修行にでかけます。


92年4月ユタ州ワサッチ山脈。93〜95年、3年連続でコロラドロッキーの探索、テンスマウンテンルート完走。

97年4月にはカリフォルニア州のシエラネバダ山脈へ。翌年にそなえてソリとテント泊のツアーでした。

98年4月、念願のシエラハイルート完走。日本人初記録。

2000年3月ワイオミング州グランドティトンツアー。


以上、すべてメンバーはカリブークラブとその仲間、全員テレマークで参加しています。企画はすべて北田さん。よい頭脳があってこその成果といえるでしょう。

とくに98年のツアーは避難小屋もエスケープルートもないシエラの高山を5日間で抜けるというスピード山行でした。

99年の「rock & snow」春号のレポートで北田さんはこう結んでいます。

「シエラハイルート。シエラバックカントリーの最終目標といわれるコースを、天候に恵まれ、僕たちはまんまと成功した!」

テレマークの貴公子、北田さんの品のいい笑顔がうかんでくるようです。

伊藤文博

追加1

スキーや山を大いに語った北田さんですがそれ以外のことについては静かな人でした。あまりよそから見えない好き嫌いがあって、食事やクルマ、そしてふだんの振る舞い、すべてにこだわりのある人のようでした。どれもが上品志向です。読書家であったことは彼の文章をみれば自明ですね。静かなインテリ。そんなあんなが人をひきつけたのでしょう。


追加2

あるとき山でサングラスをいただきました。スミスの替えレンズ付きのもので今も愛用しています。「マトリックス」ぽいデザインで「オレには似合わないから」と言っていましたが、人にやたらモノをあげていたら成り立たない商売をしていたはずなので感謝しております。ありがとう北田さん!

伊藤文博

Tajニュース2022年春号掲載。追加分は編集からの求めで補いました。

https://www.ski-taj.org/news/data/TAJnews2022.pdf

ニュース2022年春号は以下でみられます。

日本テレマークスキー協会

https://www.ski-taj.org/



 

1.01.2022

遠くまででかけてパラグライダー、覚え。

伊藤フミヒロ


パラグライダー旅行でなんどか遠くへ、とくに南の方へいったはずなので、ちょと、以前の記録をたしかめたく調べてみました。別種目ですがまた四国とか九州にハイキングに行ってみたいとおもっていますので。

アイガーをバックに飛ぶ。グリンデルワルトで、スカイ朝霧斎藤校長撮影

2003年2月 広島王子が岳、香川五色台 まだノービスパイロットだけどいけいけで飛んだ。

http://itokisya.blogspot.com/2003/01/2003.html


2003年6月 沖縄連勝  まだビギナーのうちだったけど強風ものともせずとんだ。

https://www.youtube.com/watch?v=1gCVRHrvf2s

http://itokisya.blogspot.com/2004/01/13itokisya.html

http://itokisya.blogspot.com/2004/04/46by-itokisya.html


2007年2月 石垣島  

風つよくとべず。ひとりハイキングした。

https://plaza.rakuten.co.jp/arcchronicle/diary/200702160000/


2008年7月 インドネシアバリ島 パラのメッカ。シーサイドとんだ。パラトリップは毎日とべることは少ないので観光するのもたのしみのうち。

https://plaza.rakuten.co.jp/arcchronicle/diary/200807010001/

http://www.youtube.com/watch?v=IqrbxjzlbxU
http://www.youtube.com/watch?v=IsV7QvcpYog


2010年4月 奄美大島笠利 サンパラ中村校長のふるさと。好天でがんがんとんだ。奄美にいくなんてパラトリップならでは。

https://plaza.rakuten.co.jp/arcchronicle/diary/201004300000/

https://plaza.rakuten.co.jp/arcchronicle/diary/201004290000/


2011年1月 台湾サイチャ パラのメッカ。日本人と韓国人が多く日本のよう。けっこう飛んだ。台湾最高。

http://itokisya.blogspot.com/2011/01/blog-post_6177.html


2013年1月 台湾サイチャ 2度め、けっこう飛んだ。台湾はいいね。

http://itokisya.blogspot.com/2013/01/blog-post_28.html


2013年7−8月 アルプス、イタリア、スイス、フランス グループツアーのあとひとりレンタカーであちこち旅して飛んだ。これがやりたかった。

http://itokisya.blogspot.com/2013/06/italy.html

http://itokisya.blogspot.com/2013/06/blog-post_29.html

http://itokisya.blogspot.com/2013/07/blog-post.html

http://itokisya.blogspot.com/2013/07/blog-post_5.html

http://itokisya.blogspot.com/2013/07/blog-post_7.html

https://www.youtube.com/watch?v=T-2XYoRKbb0


2013年8月 九州 鏡山、阿蘇 河口湖でお世話になった末吉さんのふるさとで案内してもらった。 九州はパラのメッカだね。

http://itokisya.blogspot.com/2013/08/blog-post_16.html


2013年9月 ニセコ、カムイ 河口湖の宮本さんの案内で念願のニセコ飛べた。いちおうやりたいことがいちおう済んだ気分。

http://itokisya.blogspot.com/2013/10/blog-post.html


こんなところでした。以下おまけ。



◎パラグライダー個人ヒストリー

2002年7月 山中湖大平山で初体験、山中湖コアパラスクール入校、コア閉校で河口湖パラスクール移籍。

2003年4月 河口湖でノービスパイロット証取得

2003年10月 河口湖でパイロット証取得

2004年5月 富士サンデーパラスクール参加

2004年7月24日 富士山頂フライト 

http://itokisya.blogspot.com/2004/07/blog-post.html

http://itokisya.blogspot.com/2004/07/7itokisya.html

http://itokisya.blogspot.com/2004/08/812itokisya.html

2005年4月 スカイ朝霧スクールでクロカンパイロット証取得

http://itokisya.blogspot.com/2005/01/2005.html

2008年1月 木島平パラスクールでスピードパラ開始

2008年8月 木崎湖セイフティ教室入校

2005−2010年ころ 川地塾入校参加

2005ー2006ころ、シリーズレースに参加

2008年5月18日 スピードパラで富士山頂フライト

http://itokisya.blogspot.com/2008/05/blog-post.html

2009年2月 丹沢スカイクラブ入いる。数年飛んだ。

2016年5月最終フライト 通算1017本、総フライトタイム519時間5分

スピードパラの機体は現役です。気分がのればでかけるかもしれません。

上のメモをみると、いろんなスクール、先生、クラスに参加していたのに自分ながら驚きます。

記録を見ると、50歳こえてから、13年ほど空を飛んでいたんですね。歳なのでやめましたが、歳のわりに熱中したものだとおもいます。おカネと時間をずいぶんつかったけど空飛ぶ気分は代えがたいものがあったのかな、とおもいます。それにしても一度もケガしなかった自分はラッキー。

四国、九州などへでかけたのは日本100名山登山とパラグライダー旅行のおかげ、といえるでしょう。クライミングと山スキーだけでは限られるところがありますが、別種目に参加してみると、行動範囲が広がりますね。会う人種もちがいます。パラグライダーのおかげで国内もあちこちくわしくなりました。

★ひとりごとのようなもの

運動能力もアタマも並のわたくしが、ケガなくこれまでやってきたのはなんでだろう、と思いますが、なんでだろう?鉄は熱いうちにたたけ、タイミングかな、燃えてるときに集中するのがよいのかもしれません。

クライミングは60歳近くまでやったかな。高校山岳部からだから長い。ディンギーは若い頃レーザー数年と50歳過ぎに再開してレーザー2年ほど、なにかと面倒くさくなってやめました。パラもそうだけれど道具の多いスポーツはめんどうです。サップはごく最近はじめましたが2シーズンで終わりました。

今つづいているのはスキーと山登り、ハイキングくらいでしょうか。山(ロッククライミング)がいちばん長い。50年。ジョギングは30歳から初めて30年ほど。10年ちかくフランクがあって2年まえに再開。2kmほどですが走ります。コロナでスポーツクラブが休館になったとき再開しました。山と同じでひとりでもできるのがいい。道具もあまりいらない。いつまでやるかわかりません。

2022年1月 伊藤文博 itokisya


ホグマップのこと

ニセコ。一部始終見られます


hogmapのこと

https://www.hogmap.com/

健在のホグマップ、パラグライダー界のsnsですがもう15年くらい続いているのでは。

250本のデータがそっくり残っています。素晴らしい。

gpsデータを乗せるだけで余計な交流などはありません。そこも素晴らしい。

とはいえ同じ日に同じエリアで飛んだ複数の人(6人)をライブで同時に見ることができます。これも素晴らしいです。

hogmapはパラグライダーの友達の友達が作ったものです。

私のユーザー名は

itokisya

250f本のlightのデータがあります。


河口湖 仲間とのフライトをライブで再現します

参考

フジクラグループと藤倉航装

いっときパラグライダーを作っていた。パラスクールもやっていたよう。

河口湖パラスクール(オーバルスリー)はそのなごり。

キャラバン(シューズ)は藤倉ゴム(藤倉コンポジット)の傘下。

https://fujikura-pst-ob.jimdofree.com/%E8%97%A4%E5%80%89%E8%88%AA%E8%A3%85-%E6%A0%AA-%E4%BB%8A%E6%98%94/

AI による概要

藤倉航装は、日本のメーカーであり、主に落下傘(パラシュート)や救命胴衣などの安全装備品を製造しています。

藤倉航装が開発したパラグライダーは、自衛隊のパラシュートや、船舶作業用など、安全性を重視した製品を製造しています。

藤倉航装のパラグライダーについて:

開発の経緯:

藤倉航装は、もともと自衛隊のパラシュートを製造していたことから、パラシュート技術を応用してパラグライダーを開発しました.

安全性:

藤倉航装のパラグライダーは、高い安全性と耐久性を重視した設計が特徴です.


関連記事 

岩鞍のパラスクールも藤倉航装と河口湖同様に関連あります。どちらも今はない。

https://minkara.carview.co.jp/userid/256635/blog/

https://minkara.carview.co.jp/userid/256635/search/s/search.aspx?kw=%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC


2.27.2016

アグン山登山2

アグン登山 2
ニョマンガイドのはなしほか
レゴンダンサーと甥のレオ

レンボンガン島

リーフでシュノーケル

スピードボート

2月24日
前日アグン山に登った。さほど疲れは感じないが明日あたり筋肉痛になるのかもしれない。
レンボンガン島へスピードボートで渡り、小船でリーフ内を巡りシュノーケルする。絵に描いたような熱帯の海だった。無数の小魚が泳いでいた。成都から来たカップルとオーストラリアの夫婦といっしょ。前日に電話でロッキーに頼んだツアーでホテルピックアップ付島往復で50ドル。シュノーケルツアーは船に乗る前エントリーして25ドルだった。

午後は長兄の家に行く。レゴんダンスレストランで夕食。

ニョマン(Kadek Noni)

バリの牛は小さくてかわいい

マリーゴールドの畑

雑談

アグン山ガイドのニョマン(Kadek Noni)さん

プサキ寺のアグン登山口に脇にあるこの家がマイホームです。僕は25歳(27歳だったかな)ですが子供が多く大家族です。BML Tour & Travelのイノウエさんアユさんとのつながりで日本人の登山を手助けしています。日本語は話せません。
山へは100回以上登っています。トレランのつもりで登れば3時間、下りは2時間というところです。
家は農家。畑は野菜のほか花を栽培しています。エーデルワイス、マリーゴールド、レモングラスなど、バリの人が神さまに供えるための花です。
ほかに牛を10頭ほど飼っています。ヒンズーですから食べるのではなく働く牛です。
アグン登山は夜間登山がよいです。天気が安定していてなにより暑くないからです。夜登って朝下山するのがベストです。
標高が高いことや深夜登山であること、天候の具合などによって登頂できない人がたくさんいます。
Bコースがいいですが、自信がない人は別ルートのAコース(以下)やバツール登山をおすすめします。

アグン山 Aコース 
☆ 最少催行人員:2名様より~簡易朝食、昼食1回込み
☆ ツアー時間  :夜10時以降スタート ~ 翌日午後2時、3時頃まで
☆ アグン山登山100回以上の経験豊かなガイドがご案内します。
☆ 準備いただく物:登山靴・帽子・手袋・長袖(ニットなど)
          長ズボン・防寒具・リュックサック・着替えの服・ヘッドライト
          雨具・虫除けスプレー等
☆ こちらで用意する物:専用車 (ホテル出発からホテル到着まで)
              軽食、ミネラルウォーター、救急箱、
                      バリヒンズー教に基づき、お祈りに必要な御供え物、線香。

 * 登頂時間の目安:
   40歳以上 約4時間-5時間
   39歳以下 約3時間-4時間
 ☆ ツアー料金 :お一人様¥12,000


アグン山 Bコース  

☆ 最少催行人員:2名様より~簡易朝食、昼食1回込み  
☆ ツアー時間 :夜9時以降スタート ~ 翌日午後2時、3時頃まで
☆ アグン山登山100回以上の経験豊かなガイド(ニョマン)がご案内します。
☆ こちらで用意する物:専用車 (ホテル出発からホテル到着まで)
軽食、ミネラルウォーター、救急箱、 バリヒンズー教に基づき、お祈りに必要な
御供え物、線香。   
」  
☆ ツアー料金 :お一人様¥15,000 ただし二名様より催行   
*お一人様のみのお申し込みの場合、¥22,000になります。    
 
* 登頂時間の目安:
40歳以上 約7時間-8時間
39歳以下 約6時間-7時間

砂浜からはだしで乗船する

ぐちゃぐちゃな宿群

白人と中国ヒト多い

ロッキーの送迎ドライバー、マデ・スミアサさん

私は今年43歳になります。レンボンガン島の出です。レンボンガン島と行き来するスピードボートはロッキーのほかにたくさんありますがうちのがいちばん大きくて早いです。持ち主のロッキーの社長は私と同じ年でレンボンガン島出身、おさななじみです。
送迎車の仕事はフリーランスですが、そんなつながりでロッキーの仕事をやています。ロッキーは日本語に対応していないので、白人や中国人の客が多いです。
この車はロッキーのものではなく、自分のというか、ほんとは親父のものです。それを借りて商売しています。
車の運転が好きなので楽しいです。御客さんと話するのも楽しい。
レンボンガン島の生まれた家は農家で魚も取ります。じじ、ばばは75~76まで長生きしました。もう亡くなりました、このあたりではお墓を作らずに海に散骨します。親父はまだ元気です。

親父はもともとレンボンガン島とバリ島を行き来する船の船頭でした。今はスピードボートで30分で島へ渡れます。地元が使う安い船だと1時間ほどです。親父の船は丸1日かかました。帆を張りますが、オールでも漕ぎます。
風ないときや風向きの悪いとき、潮の強いときは大変だったんです。子供のころ親父の船に乗ってよく手伝ったものです。

子供のころはレンボンガン島に観光の宿などありません。オーストラリア人が最初に小さなホテルを建てたのが始まりかな。今は小さいものを入れると100軒以上あるでしょう。
仕事柄バリ島はどこも知っていますが、私のおすすめはレンボンガン島ですね、やはり。

40年前以上、バリ島に初めて来た時、1日小旅行でクルーザーでどこか近くの島へ行ったことがあった。ヨットはオーストラリア人のものだった。浜で魚バーベキューを食べたが生臭かったのを覚えている。あれはどこの島だったことやら。


宿のとなり大通り。奥でカモ待つ詐欺師

ショップ

ツーリストトラップ

昔は、バリ島には悪い人はいない、と言われたそうだ。南国の楽園だから。
今では、ひったくりまであるというし、親切ぶった押し売りも多い。クタや浜辺の土産ものやは値札がないのが当たり前、かけひきだけで買い物をする。気が弱い旅行者はぼられるのがオチだ。すれっからしの店員が多くいい人には見えない。そんなやりとりが楽しいというツーリストもいるが。

ハワイやネパールなどとおんなじにバリ島は世界有数の観光地だからトラップも多い。
ホテルの脇に移動トイレのような両替屋があって、看板をみるとレートがいい。1万円を12万ルピアに変えた。中華レストランでランチしてもう一度数えてみると6万ルピアしかない。ふざけるな、と店に戻り大クレーム。なんとか1万円札を取り戻した。
ガイドのアユさんや他にも聞くとこの手品サギは有名らしい。
ミソは1000ルピー札ではなく500ルピー札で両替するところで、枚数が多いので2つに分けて数え、カウンターで最後に客に渡す直前に自分の膝に半分を落とすということらしい。クタや浜辺の小さな店は危ないという。
アユさんが連れていてくれたBMCという構えのいい店はレートもよくてスタッフも数人いてそういう店がいいという。計算書にサインは求められなかった。500ルピー札を出すところや客に領収のサインさせるところは怪しいところかもしれない。

アグン山 1

アグン山
バリ島最高峰
2016年2月24日
member サンポール アニョン 伊藤フミヒロ 記
聖山山頂でお祈り

影アグン、ブロッケン、満月、バツールカルデラ

先行数人いた

2月22日 晴れ午後スコ-ル

前夜発のAAA夜行便、朝くらいうちにデンパサール着。7時間くらいだった。満席に近くHISの飛行機だから乗客は全員HISの手配によるものだろう。クタのエーデルワイスブッチクにイン。
長兄が迎えにきてくれてレノンの家で過ごす。サヌールのKFCでファミリー10人ほどで会食。

すぐガスに包まれた。左奥はロンボク島のリンジャニ

エーデルワイスとゴミ

下山

熱帯森を下る
2月23日 晴れ午後スコ-ル

ホテルで昼寝。3食中華もので炭水化物補給。2月はまだ雨季なので雨対策を万全にする。
夜の9時に手配のアユ(Ayu Resimini)さんが迎えに来てくれる。
真夜中に雨の中3100mまで登るつもりはなかったが、幸い好天のようだ。
2時間のドライブでプサキ寺へ。バリ島最大の寺院で聖山アグンを仰ぐ麓にあるバリヒンズーの総本山だという。

登山口でガイドのニョマン(Kadek Noni)さんと会う。11時過ぎにスタート。ガイド犬サンポールも一緒。ニョマンさんの家はちょうど登山口にある一軒家。この農家がマイホームですと紹介される。
満月でヘッドランプがいらないほど。月は天空にあってデンパサールの夜景がきれい。島の南半分が見渡せる。

登山口は標高1000mはなく3合目というところ。道は頂上にむかってほぼ真っすぐに延びていて、月夜の熱帯雨林を行くのはロマンチック。
7合目8合目からは溶岩の裸地帯となって、やはり真っすぐに登る。どこを登ってもいいが次第に急坂となる。

9合目で風が吹いてきて東の空が赤くなる。6時半山頂。ちょうど朝日が顔をだすところだった。となりの尾根を登っていた数人が先行している。

島全部と海が見える。バツール山と巨大なカルデラが見える。カルデラ内は朝霧が溜まっている。アグンの影山が正三角形で西に延びている。ブロッケンも現われた。ニョマンさんがお祈りをしているうちにガスが急速に湧いてきて視界が閉ざされてしまった。

ラッキーな天気だがニョマンさんが11時にはスコールがくるという。7時に山頂を後にする。往路を戻り10時終了。標高差2200m越え、行動10時間越え。行動中はあめ玉くらいでザックの行動食は不要だった。
登山口には手配のアユさんが待っていてくれた。ニョマンさんと握手して別れる。
南に下り、サヌールの浜へ、海の家で魚料理でランチ。ここのはほんと旨かった。
午後ホテル帰着。
もうすぐスコール

アニョンさんはレモングラスを採取

サヌールでアユさんとドライバー
バツールから

登高ルート

バリ島

アグン山と外輪のアバン山、バツール山

バツール山から湖を挟んでアバン山。アグン山が少し見える

20013年バツール山にて