THE SIERRA HIGH ROUTE
シエラハイルート走破行
北田啓郎
期間:1998/4/25-4/30
パーティ:ベンジャミン バーディ、マット バーディ、糸尾希沙、真壁章一
伊藤裕之、渡辺賢二、溝部克実、北田啓郎
日本に記録的な少雪をもたらしたエルニーニョは、カリフォルニアでは季節はずれの
大雪を降らせていた。4月半ばを過ぎてから、ハイルートもかなりの雪が積もったと
の連絡が入り、雪崩や、重いシエラセメントのラッセルなど、前途は多難そうだ。日
本チームはサンフランシスコでいつものようにフォードの15人乗りフルサイズバンを
借り、ヨセミテ経由でフレズノに向かう。本当はタホスキー場あたりで足慣らしをし
てからフレズノに向かう予定だったが、あわただしすぎるスケジュールなので、まず
はヨセミテ観光でお茶を濁すこととなった。ヨセミテは予想外に天気が悪く、気温も
低い。ヨセミテフォールの下にはまだ多量の雪が残っていた。
ハイルート走破の第一関門は、いかに入山下山の足を確保するかである。僕たちのと
った方法はいくつかある中で最も贅沢な方法だ。
まず2台の車で下山口のウルバートンまで行き、バンをデポしてくる。次にフレズノ
から軽飛行機で東へシエラを飛び越える。最後に入山口までは現地のバンサービスで
運んでもらう、というわけだ。飛行機代は1機$800、1人頭にして$180、日本の新
幹線や高速料金と比べ高い気はしない。
飛行機は双発のパイパー機2台。主翼のエンジンルームにスキーとストックがすっぽ
り入るのがとても便利だ。飛行機オタクのニシが珍しい小型機を見つけて興奮しなが
らシャッターを切りまくる。空港は宿にしたホリデイイン・フレズノエアーポートの
すぐ脇にあり、移動には理想的だ。
前夜は酔っ払いながら各自パッキングに努力する。徹底軽量化を自負する糸尾記者の
ザックが意外にも重いことがわかると、土壇場で酒を減らしたりしている。最も若手
のナベちゃんのザックが最も小さく、溝部氏から一言があったり、今回は皆いつにな
く重さにナーバスである。真壁氏、ベンさんは体力に自信があるのか、結構でかいザ
ックである。
シアトルから夜遅くにマットさんが到着。仕事が忙しそうで、ホテルに来てからどた
ばたと装備を点検している。マットの荷物は一番でかく、その中にはこれからお世話
になる貴重な装備がぎっしり詰まっていたのだが。
4月25日、出発の日、6:30起床。ホテルの甘すぎるドーナツとコーヒーで朝食を済ま
せ、ベンさんの車で3回に分けて荷物を運ぶ。パイロットは日本にも来たことがある
という退役軍人だ。
9:30、いよいよフライトである。飛行高度は4、5千メートルくらいか、登山者がいれ
ば見えるくらいにまじかに稜線を越えてゆく。先行した機とは少しルートが違うのか
、機体は見えない。僕の機はいちどエアーポケットに入り、シートベルトをしていた
にもかかわらずおもいきり天井に頭を打付けてしまった。
着陸地は、昨年も通ったインディペンデンス。シエラクレストを越えると、機体はお
おきく北に旋回し、はるか下方に箱庭のように見える滑走路をめがけて、高度を下げ
ていく。シエラ山脈の東と西では、景色がまったく違う。こちら側は、乾燥しきった
砂漠地帯、インディペンデンスはその中のオアシスである。
待ち構えていたバンサービスのトラックに荷物を移し、すぐに出発。すぐに埃もうも
うの砂漠の中の、ジープ路らしきを進む。
入山口はシムスクリークだが、地図で確認するとかなり山の近くまで入ってくれたよ
うだ。辺りはガラガラヘビでも出てきそうな砂漠で、トラックが2台デポしてある。
ここで最初のトラブル発生。真壁さんのストックがないのだ。共同で荷物の積み下ろ
しを繰り返したから、車か飛行機かに置き忘れたに違いない。車は行ってしまったの
でもはや戻る方法はない。ストックがなければ歩けない、真壁さんの頭の中は真っ白
になったに違いない。
しかし、神は真壁さんを見放さなかった。マットさんが出発前に悩んだ末、予備のス
トックを持ってきていたのだ。
***
ひとりずつ準備が出来たものから歩き出す。山の上は雲がかかっているが、頭上は砂
漠の青空である。サボテンなどを踏みながら雪のない山路を歩く。徹底軽量化をはか
ったザックだが、一週間分の食料とスキーまで担ぐと、25キロぐらいあるかもしれな
い。クリークを離れ急傾斜をジグザグに登ると、やがて雪が現れ、スキーをはく。27
30mのシムスサドルにでると、目の前にMt.ウィリアムソン(4313m)が聳え立つ
。確かアメリカ本土で第2の高峰である。その右肩はるかに、明日越えるはずの第一
の難関、シェファードパスが望まれる。ここから幕営予定地のマホガニーフラットま
では予想外に長く、一度シェファードクリークに向かってかなり高度を下げ、再び登
りかえさねばならなかった。
***
2日目は、シエラクレストと呼ばれる主稜線を越える難行が待っている。シェファー
ドパス、3600mである。
アンビルキャンプ手前の急斜面でロープを使用する。岩の迷路となっているモレーン
帯を苦労して抜けると、パスに続く急斜面が立ちはだかる。といっても最大傾斜40度
くらいだろうか、アイゼンピッケルを使用すれば難しいわけではない。しかし荷物の
重さと高度になれていない身には結構つらい。コンディションの良い者といまいちの
者の差は大きく出る。
真壁さんが最初から絶好調である。他を寄せ付けない速さで登ってゆく。糸尾記者は
半分ぐらいまでシール登高しきわどいバランスでアイゼンに履き替えている。マット
、ベン、ナベ、北田、ヒロあたりはまあまあの調子だが、溝部氏とニシが大きく遅れ
ている。溝部氏の昨年のあの馬力は何処へ行ったのだろう。ニシはまあこんなものだ
ろう。
登りきると広大な雪の砂漠のような地形が現れた。カーンリバーまでほぼ平坦か少し
下り。シールを剥がし、一人遅れているニシの姿を、はるか後方に確認しながらキッ
クアンドグライドで快調に先を目指す。少しでも下り傾斜だとスキーはほんとに楽だ
。
日が西に傾くなか、クラストがはじまった斜面をひとくだりすると、池のほとりに平
らな第2日目のキャンプサイトが見つかった。雪を掘り氷を割ると、うまい具合に水
が現れた。いつものように小型水浄化器で汲み上げる作業をする。まわりは樹林帯で
、日本でいえば黒部の源流でキャンプしている感じだろうか。陽が落ちるとあたりは
急速に冷え込んでくる。そんな中ベンとマットは最後まで外で夕食をとる。温度感覚
はアメリカ人と日本人ではかなり差があるようだ。
***
三日目は第2の難関マイルストーンのコル(3900m)を越え、トリプルディバイドピー
ク下までの予定で出発する。ここからがハイルートの核心部である。シエラクレスト
の西、シエラのど真ん中にはしるグレートウェスタンディバイドをたどるからだ。1
、 2日前に通過したらしいシュプールがあり、気楽な気分で出発したが、地図をよく
見なかったのが災いし、かなり進んでから、一本南の谷に入り込んでいることがわか
った。周囲の景色は素晴らしく、このまま進んでも方向的にはよいのだが、たぶん最
後のつめが急で苦労するだろう。マイルストーンクリークとこの谷を隔てている尾根
の弱点を探し、そこを越え、正規ルートに出れないか偵察をする。尾根上に出ると、
反対側はかなり急ながけになっていた。アメリカの地図は、等高線のみで、日本のよ
うに岩記号がないので、行ってみないとスキーが使えるかどうかわからないのだ。
結局、マット隊は尾根を忠実に数百メートル下り、結構な急斜面をスキーで下降し、
トラバース気味にマイルストーンクリークの上部へ出るルートをとる。北田と記者、
ニシの3名は、尾根の手前のよい斜面をスキーでどんどん下り岩場のきれたところか
らマイルストーンクリークに回り込んだ。登り返しがけっこう長かった。正規のルー
トに出た時は、かなり時間が経っていた。今日中にマイルストーンのコルを越えたか
ったが、何か緊張の尾が切れた感じで、コルのかなり手前の池のわきで3日目のキャ
ンプとなった。
雲一つない晴天が続き、風もない心地よい春の午後、周囲の景色も申し分ない。休養
のタイミングとしては良い決定だろう。惰眠をむさぼる者、装備やふやけた足の虫干
しをする者、お茶にする者、さまざまだ。元気が余っている若手のナベとベンがスキ
ーを始めた。荷物がないと気持ちよさそうだ。ナベが目の前の岩に挟まれた少クリフ
に挑戦しようとしたが、土壇場でチキン状態になってしまった。MSRストーブの通を
自任するニシのXGKがこの日不調になった。あれこれいじっても直らない。お湯も作
れないで困っていると、マットがそのでかいザックの中から、なんとスペアのコンロ
を出してきた。マットは寡黙な男だが、実に頼りになる。
***
4日目。今日こそ核心のグレートウェスタンディバイドをぬけ、ハイルートの後半部
に入ろうと、勇んで出発する。東面に向くマイルストーンクリークは早くから陽が差
し、アンダー1枚で歩いても寒くない。ナべがオーバーパンツを脱ぎ、パンツスケス
ケのアンダータイツ姿で歩き、顰蹙を買っている。
コル手前までに2ピッチ、傾斜がきつくなる手前でアイゼんにはきかえ、急な雪面を
トラバースする。コル自体は狭い岩尾根で、反対側はマイルストーンボウル。出だし
は40度くらいの急傾斜である。
ザックが重いので、とても華麗なテレマークターというわけにはいかない。慎重にデ
ブリを避けトラバースし、途中から気持ちよくターンをきめる。あまり下りすぎない
ようにし、トラバースに入る。稜線の下の急なカールの側壁をひたすら斜滑降する。
その先コルビーリッジを越える場所を探し、再び迷ってしまう。比較的上部の急な雪
面をアイゼン登高するか、岩場を下方まで回り込みスキーで越えられそうな弱点を探
すか、意見が分かれた。結局かなり下までスキーで下る案を試みたが、回り込んだ先
が岩壁で越えられそうにないことがわかり、昨日に続きまたまたシールで谷を登り直
す。リッジを越えられず、この日も核心手前で時間切れとなり、3300m地点でキャン
プにする。ハイルート手強し、といった感じだが、天気がよいので、悲観した意見は
出ない。明日こそ、である。
この辺りは熊の新しい足跡がたくさんあり、食料はまとめて木の上に吊るした。
***
5日目。東に面した谷なので、早くから陽が差し、尾根の上部も輝いている。コルビ
ーリッジの乗っ越しは見た目ほど悪くなかった。 尾根上の出たところは約3650mの
地点。広い尾根で、ここからスキーが使えそうだ。スキーを付ける。少し下ってから
、再びえんえんとカールの側壁をトラバースである。はるかかなたに見えたトリプル
ディバイドピークがどんどん近づく。山容とそのこなし方にようやく慣れてきたせい
か、今日は行動が順調だ。
トリプルディバイドパスまではシールで達する。反対側は岩交じりの急斜面。偵察の
結果スキーで滑降可能と判断し、岩の間で慎重にスキーを履き、思い切ってジャンプ
ターンで1回転する。雪は硬いが、エッジは効き、2,3回転するうちに傾斜も落ち
てくる。すぐ下がグレイシャーレーク。ようやくグレートウェスタンディバイドの山
場を越したので、ここで行動食を食べながら今日の行動予定を話し合う。予定より1
日遅れているのと、天候が崩れた時のこの先の行動を考えへ、今日は頑張ってロンリ
ーレイクまで足を伸ばすことに決定する。
ライオンレイクのコル下へ降りるのは、アメリカチームは岩場の下の急斜面をスキー
で回り込み、日本チームは岩場の上から岩交じりの急斜面をアイゼンで下った。ニシ
が不安定な雪を踏み外し、危うく谷へ転落しそうになり、一同肝を冷やす場面があっ
た。
行く手にはクラウドキャニオン上部のとてつもなくでかいカールが広がっている。1:
30、巨大な二つのカールをトラバースしなければ、今日のキャンプ地はない。クラウ
ドキャニオンはシールでひたすら歩き、カッパーマインパスはアイゼンで登る。デッ
ドマンキャニオン側は急だがスキーで下れそうだ。トラバース気味にひとりひとりス
キーを滑らせて行くが、最後のほうは上層の雪が落とされて固いクラスト面が露出し
、谷底へ落とされそうなトラバースであった。
デッドマンキャニオンは半分までシールなしで滑れたので時間が稼げた。特徴あるフ
ィンパスをスキーのままで乗り越すと、今度は先ほどまでと逆の方角に開いたカール
に出る。その真ん中がロンリーレイクだろう。もちろん今は雪の下だ。
低い樹木が出てき、山場は越えたことを実感する。トラバースばかりでうんざりして
いたが、ここはキャンプサイトまでいっきに滑れそうである。一人二人とスキーを下
に向け、思い思いのシュプールを描く。雪質は柔らかめのコーン。最高の気分だ。17
時、陽はまだ十分に標高3200mのキャンプサイトを照らし、風もなく、空には長閑な
お天気雲が並んでいる。
これで5日を無事消化、残るは2日だ。ぼちぼち余りそうな食糧を整理するものも出て
、気分は一路下界とビールへ飛んでいる。前半やや不調だったニシと溝部氏は調子を
戻し、代わって伊藤記者が胃炎で調子をおとしている。絶好調は真壁氏とマット、そ
の他はまあまあの調子だ。
マットがしぶとく水の湧き出ているところを発見したので、炊事はぐんと楽になった
。大きな岩の下を、耳を澄ませると確かにちょろちょろ水の流れる音がする。浄水器
の管を隙間に落とし、ポンピングするとおいしそうな水がボトルに溜まっていく。ポ
ンピングをボトル3本もやるとさすがに腕がパンプしてくる。ニシと二人で鼻水凍ら
せながら、皆のボトルに水を溜めるのに30分以上かかってしまった。それにしても、
春のシエラでは小型浄水機は必携品だ。僕の使用しているなはスイートウォーター・
ガーディアンというモデル。コロラド製だ。ポンプがテコの利用で使いやすい。
***
6日目。今日の予定はペアーレイクハット周辺まで。基本的に下りだから気分はるん
るんだ。いよいよ高山地帯を離れる日だ。さびしくもあり、うれしくもある。
下り気味のトラバースからテーブルランズに登るが、谷を隔てた南側は、グレートウ
ェスタンディバイドの高峰が重なるように連なり、眺望は並外れたものだ。
ペアーレイクハットへ導かれる谷に入るまで、かなり複雑な地形のためルートを探す
のに苦労したが、ルートがはっきりすれば、後は速い。マットを先頭に緑が増えてき
た広い谷をぐんぐん滑り下る。
雪の腐った急斜面に思い思いのシュプールを描くと、小屋である。ペアーレイクハッ
トはレインジャーの小屋で、一般の宿泊はない。周りをアルプス風の岩峰に囲まれた
瀟洒な山小屋だ。
小屋を過ぎると樹林帯だ。最終キャンプの場所はこの辺に予定していたが、皆の足は
下へ向いたまま。このまま後数時間下れば、ハイルートの旅は完成するのだと考える
と、ここで泊るという主張にほとんど説得力はなかった。
雪の腐った樹林帯をわれわれはひたすら下りつづける。苔むしたセコイアの樹林は
結構長かったが、結果、2日分を1日で滑り降りてしまう。
16:35、一人の落伍者もなく9名はウルバートンの駐車場に残した懐かしいフォードの
前に滑り込んだ。
シエラハイルート、シエラバックカントリーツアーの最終目標と言われるコースに、
好天に恵まれ、僕たちはまんまと成功した。(北田啓郎、1999/1/11)
コロラドのテレマーカー
北田啓郎
PHOTO BY K-ITO
心地よい春風に、スプルースやパイン、ファーなどの針葉樹の木々の香りがまじっている。見
上げる空は、いつも変わらぬコバルトブルー。ここはコロラドロッキー。標高 四000メート
ル以上のピークがいくつも連なる巨大な山塊だ。
春になると、この空気、この匂い、そしてこの空の色にさそわれて、アメリカの東や西から
ここにやってくるスキーヤーは多い。北米大陸を貫くロッキー山脈のなかでも緯度の低いこの
あたりは、比較的、気候温暖、地形もマイルドで、山のスキーを楽しむにはもってこい。
いくつものトレイルがあって、基地となる山小屋も充実している。そして特筆すべきは、彼
らが使っているスキーがすべて、テレマークスキーだということ。伝統と環境がしからしむと
ころとはいえ、これほど、徹底しているのも面白い。
テレマークが自分の足のようになっている地元っ子にまじって、長い休暇を楽しむ都会人も
目立つ。なかにはすっかりこの辺りに魅せられて住み着いてしまったテレマーカーも多いよう
だ。
年に一度のコロラドへのスキーの旅を何度か続けているうちに友達になってしまったテレマ
ーカーも一人や二人ではないが、ここ数年、いつも僕らの旅につきあってくれる二人の移住組
のテレマーカーのことを話したい。
ドンとローラがその二人だ。
ドン・シュタフチェク、四十六歳。ミズーリ州生まれ。山に憧れスキーをやりたくてコロラ
ドへやってきた。八○年代の初め、テレマークスキーがアメリカで盛り上がったその時期に、
テレマークの洗礼をうけた。アルペンスキーが大好き立った彼だが、コロラドのバックカント
リーを自由自在に歩き滑りまくるには、テレマークこそ、自分にぴたったりのスキーだ、と思
ったのだ。テレマークは、軽い、速い、そして足になじんだ革靴の心地よさがとてもよい。
ドンの滑りは凄い。軽登山靴ほどの浅いブーツをはいて、八十リットルの大型パックを背負
ったまま、深雪に細い美しいシュプールを返いてゆく。彼は現在、アスペンとベイルを結ぶテ
ンスマウンテン・ハット・トゥ・ハットツアーを中心に活動するパラゴンガイド社の一員であ
る。
ローラ・グリーンは、ドンについてアシスタントガイドをしているもの静かな女性だ。彼女
もまた、山とスキーが大好きで、コロラドに移り住んでしまったひとり。ふだんは、コロラド
でもっとも標高の高いラブランドパススキー場でパトロールの仕事をしている。このスキー場
では、彼女だけがテレマークでパトロールすることが許されているのだ。
この二人と僕らを巡り会わせてくれたベン・バーディのことも話したい。ベンは以前日本で
仕事をしていた。奥さんは日本人だ。ニューヨーク生まれの彼は、学生時代、ユタのスキー場
で働き、そこでテレマークスキーをマスターした。彼の滑りには、腰掛けるような独特なユタ
スタイルが残っている。ベンもいつか、夏はカヤック、冬はテレマークのガイドを仕事とした
いと考えている。
ドンもベンも陽気だ。行動中はいつもなにかしら喋りつづけ、ジョークを連発し合っている
。黙々と登る、ということは、コロラドスタイルにはないのである。四月だというのに、北面
にはパフパフのパウダー。何度もアスペンの林を登り、何度もパインの森をスラロームする。
夕暮れになるまでけして引き上げるると言わないのも、コロラドのパウダーフリークのルール
だということを知った。
テレマークスキーはコロラドの大自然と、そのなかで遊ぶパウダーフリークたちが育てた、
もっとも痛快な雪山の遊び道具といえるだろう。近くて安くなったアメリカへの旅路、仲間と
春の山スキーを楽しみにコロラドへでかけるというプランも今や難しいことではない。
コロラド山中で見たのけぞる! ソードアーチの真実
illust.
深雪のスロープを降りてくるその男たちを見たとき、私は眼を疑った。ヒゲ面を氷らせ
、急な斜面を舞い降りてくる二人の滑りは確かだった。パウダーをけたて、見事なスピ
ードで彼らは迫ってくる。だが、そのフォームが異形だった。前傾の反対、つまり後傾
というよりもチョー後傾、というよりものけぞり姿勢と言うべきか。
背を弓なりにのけぞらせ、顔はといえば空を見上げ、両手は万歳、二本のストックは後
ろの空を突き刺している(絵をみてもらった方が早いね)。ポカン口からは奇声が発せ
られ、恍惚のウツロ眼(でしょう)はなにも見ていない(木立もない大スロープだから
とりあえず何かにぶつかる心配はない)。ストックも使わずテレマークの基本姿勢を大
胆に無視した不安定なフォーム、だが、彼らのパウダー滑りはパーフェクトだ。
やがて彼らは直滑降に入り、私の目の前で止まった。ビュウウウチフル!
『サンクス…』彼らは夢から覚めた顔で微笑む。
”でもそのカッコウッて不安定なんじゃないの?”
”イエス。とても不安定。バット、これナチュラルあるよ”
”ふーん。で、そのフォームはなんて言うの?”
”ソードアーチと申す。のってくると自然とこうなるなり。フィーリングなり”
これが昨年コロラドの山中で遭遇したテレマーカーの見せてくれたソードアーチの一部
始終である。
ソードアーチは刀のソリのことだから、そんな感じの姿勢ということになる。
人はうれしいときには、手を上げたり、飛んだり跳ねたりするものだが、スキイイング
の最中だったらどうするだろう。パウダー滑りはテレマークスキイイングの花だから(
私はそう確信している)快適パウダーに酔いしれていると、エクスタシー状態に近づく
というカンジはわかる。
しかしそんな快楽的最中でも、フツーのヒトはコケたら大変だと思うから(パウダーで
コケる悲惨さは言語に絶するものがある)転ばないようにめいっぱい安定フォームをと
ろうとする。それが普通だ。しかし彼らのようなエキスパートになるとテクニック以上
にフィーリングが優先されて、自然に、ソードアーチになってしまうということらしい
。
テレマークのヨウラン時代、手を高く上げて滑る独特のフォームが全盛だったわけで(
スチーヴ バーネット!なつかしいね)それがもっと強調されたものがこのソードアー
チ、と言う、見方もできるかもしれない。私の主観では、パウダーの大斜面をソードア
ーチで乱舞して降りてくる光景はたいへん美しいものに見えたのだった。
ソードアーチはまさにポエムのある滑りだと思う。このテレマークスピリットに満ち満
ちた滑りをモノにして、今シーズンはパウダーに酔いしれたいと思うこの頃であります
。やってみたいひとは、私の描いたスケッチがヒントです。ただし、ハンパなソードア
ーチでゲレンデなどにおじゃますると、ただの変人おじさん、マヌケじじいになります
から、お互いに気を付けたいものです。(k)
テレマークなんてかんたんだ
ゲレンデスキーでパラレルターンができる人なら, テレマークスキーを使っておなじようにアルペンターンもできるし、 テレマークターンもできる。 スキー経験者のための即習法
テレマークスキーがブームだ。ブームと
はいうが、テレマークの雪山での実用性の
高さ、その運動性の面白さなど、それなりの
理由があってのことだろう。クラ
イマーとの相性がよくてアメリカで
はクライミングショップはテレマークショップ
であることが多い。クライマーのピックアップ
にテレマーク
スキーが乗っかっている光景もよくみられ
る。道具からの自由という意味でフリーク
ライミングとテレマークは共通項をもって
いるという見方もできそうだ。
それはともかく、「テレマークは難しいぞ」
という噂がひろまっているらしい。そして
、それは正しい。アルペンスキー(いわゆ
るゲレンデスキー)に比べれば、カカトが
つねにプラプラしている分だけテレマーク
が難しいのは当然だろう。とはいえ最近は
、初期の板や靴のように細くてヤワなもの
ではなく、たいへん滑りやすい道具がでま
わっているので、テレマークもけして難し
いものではなくなった、というのが定説だ。
今風のテレマークスキーを使えば、ゲレ
ンデで普通のスキーでパラレルターンがで
きるくらいの人なら1日くらいでマスター
できるだろう。山スキーであちこち行って
いる人なら半日くらいでテレマークがもの
になるにちがいない。ゲレンデスキーがそ
こそこできる人のために、さらにてっとり
早い習得法をご紹介したい。これなら2時
間でマスターできる。
テレマークスキーでアルペンターン
テレマークスキーとブーツを用意して近隣
のゲレンデにでかけよう。板は最近の幅
広短かめのもの。靴はプラスチックの深めがよい
だろう。緩いゲレンデをえらびリフトに乗
る。そしてふだんのアルペンスキーのよう
に滑ってみよう。カカトが固定されていな
いので注意しないと前につんのめりそうに
なるが、そこをグッとこらえて、いつもの
アルペンターンができればよい。板の中心
にさえ乗っていればすぐにできるはずだ。
これであなたもテレマークスキーで滑った
ことになる。あとはどんなところでもこの
アルペンターンができるように滑り込むこ
とだ。
テレマークスキーだからテレマークター
ンをしなければならないという決まりはも
ちろんないのでこれでよいわけである。む
しろテレマークターンよりもふつうの雪質
、斜面ではアルペンターンのほうがラクで
快適かもしれない。(写真A)
テレマークターン
せっかくテレマークスキーを用意したの
だから、テレマークターンをしたいという
のは人情。その方法は写真Bのようにする
とよい(事前知識として、アルペンターン
では回転時に山足スキーがちょっと前にで
ている(先行する)のだが、テレマークタ
ーンでは逆に谷足スキーが前にでることを
知っておいてほしい)。
アルペンターンの斜滑降姿勢からそのま
まスキーを先落とし最大傾斜線にむける。
すると自然と後ろ足のカカトがあがるのでそのまま
うまく回す。これでテレマークターンの完
成となる。再び斜滑降に入ったらすぐにア
ルペンターンの斜滑降姿勢にもどり、前の
ターンと同じ様に、そのままスキーを最大
傾斜線にむけると自然に後ろ足のカカトがあがり、
反対まわりのテレマークターンが完成する
。これで連続テレマークターンができたわ
けだ。
実際にはいくらかのコツが必要で、最初
はシュテム気味になったりするかもしれな
い。また回転に入るまえに意識的に前後差をとり後ろ足
のカカトをあげる気持ちをもつことが必要かもしれない
。
コツとしては、回転中は前スキーに過重したほうがやり
やすいはず。また体全体を回転内側に倒す
(内傾)とうまくいきそうだ。
なれたら内傾しないでひざや足首の動きで
スムースに回せるように練習したい。
リバースターン
写真Cは、リバースターンといわれ
ているもので、テレマークターン修得法の
ひとつ。左回転はアルペンターンだがつぎ
の右回転はテレマークターンでまわるとい
うもの。この逆も練習すれば、連続テレマ
ークターンもすぐにマスターできます。写
真Bとあわせて練習するとよい。
テレマークスキーを使ってアルペンとテ
レマークの2種類のターンができるように
なれば、ひとつの斜面のなかでも状況に応
じて使いわけられるのでたいへん便利。1
台のテレマークスキーとシールがあれば、
山でもゲレンデでも縦横無尽に登ったり滑
べったりすることができるはずです。
(糸尾汽車)
WHY BACKCOUNTRY,WHY TELEMARK-SKIING
Donald Shefchik
WHY BACKCOUNTRY SKIING
I have had the opportunity to ski for almost my entire life. Like most of us,
my introduction was in the alpine ski resorts. As I matured as an alpine skier
my interests in skiing began to change. I began searching for quality skiing
rather than quantity. My days of getting as many runs as possible by using the
ski lifts became fewer as I looked to the backcountry for those opportunities
to ski untracked snow or challenge myself in a variety of backcountry snow co
nditions.
Backcountry skiing can give all of us the chance to be in the mountains in a w
ay that is much different from the alpine ski resorts. The possibility to beco
me more intimate with the mountain environment seems easier with backcountry s
kiing. As we slowdown to a human pace rather than the machine pace of ski lift
s, our awareness of all things around us increases.
A desire for adventure leads many people into backcountry skiing. The opportun
ity to determine our own course, to be responsible for our decisions, and to u
se our knowledge of the mountains and the winter environment to travel safely
and find good downhill ski courses is very rewarding.
In Colorado, there is a saying among many backcountry skiers - "Earn your turn
s." To me, this means we put in extra effort and work hard for our skiing. In
doing so, we are rewarded with an experience away from crowded slopes, a grea
t physical exercise, a wonderful escape from our daily lives, and a chance to
see nature in a personal and positive way. And if we are lucky, the chance to
ski untracked snow.
WHY TELEMARK SKIING
The attractions for telemark skiing in the backcountry are from many reasons.
For some people it is a change from using alpine ski equipment to lighter weig
ht equipment that is designed for faster travel and provides a unique feeling
for the subtleties of downhill skiing. For some people it is the challenge to
learn a new type of skiing that has many technique possibilities. The versati
lity of telemark equipment is an advantage for easily skiing on the trail and
also for good performance skiing downhill. It is also an efficient and safe te
chnique for skiing with a heavy pack or in difficult snow conditions.
One of the main skills in telemark skiing is developing what I call "natural b
alance". In using lighter and softer boots and having the heels free we must l
earn to balance on our skis without the support of higher, stiffer alpine ski
boots. The ability to lift th heel at anytime is not only an enjoyable skiing
experience, but it increases the number of reactions we have for various snow
conditions and different types of turns. For skiers who enjoy alpine skiing an
d telemark skiing, I believe they can become better alpine skiers by learning
"natural balance" from telemark skiing.
TIPS FOR SUCCESSFUL BACKCOUNTRY SKIING
For me, the goals for successful backcountry skiing are: Safety, equipment an
d challenge.
If the dangers of backcountry skiing are not understood, or the rules of safet
y are not followed, the results can be at the least inconvenience, and at the
most injury or death. Being aware of the possible dangers is the beginning of
successful backcountry skiing. Learning skills such as map and compass, avalan
che knowledge, weather, first-aid, winter survival and controlled skiing techn
ique will make your backcountry skiing a safer experience.
The enjoyment of backcountry skiing is somewhat different for each of us, but
there are some common things that will make the experience enjoyable for every
one. It is important that a course is chosen that can be skied safely by the e
ntire group. The length of the course and the type of terrain must be chosen b
y keeping in mind the weaker skiers in the group. Remember, a late start is of
ten a mistake that is made. Knowledge of snow conditions for the time of seaso
n and the time of day can often be the difference between skiing good snow or
difficult snow. Knowledge about the correct clothing and when it should be use
d is an important part of an enjoyable backcountry skiing experience. Having a
ll equipment in good condition and checking equipment before a tour can make t
he difference between a great day and a day of frustration. If a piece of equi
pment breaks during a tour, it can be a not so enjoyable time.
Many of us enjoy the challenges of backcountry skiing. The challenge may be to
ski many kilometers or climb 2000 meters in a single day. Or navigate a diffi
cult course. The challenge may be to find a very good powder slope, or try you
r technique in difficult snow conditions. Whatever your challenges are, rememb
er first to be safe, and second, not to overestimate ability levels in yoursel
f or the group. Challenges offer excitement and personal satisfaction. These f
eelings will keep all of us interested in backcountry skiing and help to make
each tour successful.
* * * * *
My enthusiasm for skiing comes from many areas. My love for the outdoors and t
he winter season may be the most important reason. In spending most of my life
as a skier it has become part of me, as predictable as the first snow in Octo
ber. The excitement of skiing a good slope is wonderful, but I realized long a
go that my interest in backcountry skiing goes far beyond those few moments of
pleasure. The opportunity to be in the mountains touring a scenic ridge line
on a beautiful sunny day, or on a day of a storm to be moving silently and smo
othly through an old forest are experiences as valuable as any ski run. With a
new snow fall the mountains have a look of freshness and beauty that is easil
y explored with backcountry skiing. It is my favorite time for seeing the beau
ty of nature. It is an environment I have become very familiar with, and each
year I enjoy it's return as if an old friend has come back.
Spending much time backcountry skiing gives me the opportunity to see the chan
ges that happen during winter and to know the snow conditions very well. I loo
k forward to this knowledge and feel I am more in touch with the winter season
. To be able to find good powder snow or avoid difficult snow conditions are a
ll part of the reason my interest in backcountry skiing continues. Perhaps it
is a game I play with myself, and win or lose, my enthusiasm for playing conti
nues.
* * * * * * *
The friendships I have found and the experiences I have had with friends while
backcountry skiing and telemark skiing are the main reason for my enthusiasm.
I enjoy sharing the happy moments that often follow a good run. I find pleasu
re in the excitement of a friend skiing well, or the satisfaction of completin
g a long course.
I have had the opportunity to meet some wonderful people that have made my con
tributing to this book possible. We shared many happy moments backcountry skii
ng in Colorado, and now we have done the same in Japan. The skiing was fun and
challenging, the mountains were beautiful. But what I remember most are the s
miles and laughter of people enjoying sharing their lives. These are the memor
ies of Japan that I will always have. I would like to thank all of these frien
ds who took time to show me their backcountry skiing and their country. A spec
ial thank you to Keiro Kitada and the Caribou Club for inviting me to Japan an
d planning my ski tours and clinic. Experiences like this give me enthusiasm f
or life, and when I put my skis on, that enthusiasm becomes even easier to hav
e.
ワックスとコルクとスクレイパー
illust.nishihara syouichi
名越礼子
マーギーの小屋からD.J.に向かう日、前日雪だったので、朝一本滑ってきて、い
よいよ出発。ダンが今日はワックスで行く、と言う。私ワックスで登るの初めてよ、と言
うとそうか、そりゃいい経験だ。見るとコルクを取り出している。私持ってる、キタダサ
ンが持っていけと言ったのだけど、実は使い方知らないの。そばで聞いていたアメリカ人
が笑っている。ダンは私の値札のついたままのコルクを見て、600円か、何ドルだい?
5ドル、ふーん、こっちじゃ4ドルだな。ワックスを取り出して、今ワックスは二種類
ある、ブルーとパープルだ、今日はパープルで行く、そう言って塗ってくれて、このかた
まっている所をコルクでよく擦るんだ、もう一度塗るから二度目は軽く塗ればいい。レイ
コの板はソールがピンクだから見えにくいけど、オレのは黒だからワックスがよく見える
んだ。なるほどねー。
歩き始めると、後ろ滑りをする。ダンは、ワックスの歩き方にはテクニックがある、
シールの時のように滑らせないで、気持ち雪面から離して一歩一歩押しつけるようにする
んだ、それと、歩幅を小さくすること、と教えてくれた。その通りするとうまくいく。ナ
イス、上手じゃない。まったく、彼はよくおだててくれる。ところで、これって下りの時
は問題ないの? たまにはちょっと問題あることがあるけど、だいたい大丈夫だ。まあ、
こちらの方は概ねアバウトですからね。それでもちょっと急になると階段状にしなければ
ならない。日本なら多分階段で登ってしまうところだが、何しろこちらは距離が長いので
ワックスが有効なのだろう。
途中広い所に出て、遅れている人を待っていると、ダンやジョージとやって来る。ず
いぶん遠回りのコースを来るので変だなと思った。合流して皆また出発する。皆が歩き始
めると、ダンは、レイコこっちへ来い、と言って、皆と違うコースを行く。あっちのコー
スは日が当たっているし、少し急だ、ワックスの時はなるべく日当たりと急斜面を避けた
方がいい、平坦な所や木陰を選んで行くといいんだ。なるほど遠回りだけど楽だ。 D.
J.からベティベアの小屋に登る日、フライパン川に沿っただらだらの道。始めシールを
つけたが、ローラはワックスだ。しばらく行ってやっぱりワックスにしようということに
なった。鈴木さんは、ワックス、ノー、と言って一人で行ってしまった。レイコどうする
? 私は少し考えて、これも経験だと思って、ワックスにする、と言うと、よし、じゃキ
タダのコルクを出せ、今日はブルーワックスだ。それにしても北田さん、どうしてコルク
だけ売って、ワックスを売ってくれなかったの? 鈴木さんに追いつくと、ダンは、私に
、ワックスはハッピーで楽しかったと言え、と耳打ちする。
確かにワックスは軽快だし、時々下りがあるような林道などでは威力を発揮する。し
かし、日本のように湿雪で急傾斜の多い山では、出番は少ないかも知れない。
ところで、ワックスを削り取らなければならない時がある。ある時、バインディング
についた雪をストックでつついたら、そうやるとバインディングが傷つくから、と言って
、片方金属、片方プラスティックのあるものを貸してくれた。私はそれを、ガリガリ、と
言ったら、日本ではガリガリと言うのか、と言うので、知らないけどこっちじゃ何て言う
の? スクレイパー。あー、何か聞いたことがある。日本でも多分スクレイパーだ。この
金属の方がワックスを削り取るものだ。そういえばプラスティックのを私も持っていたか
も知れない。北田さんがそれも持っていけと言ったかも知れない。すっかり忘れていた。
私は何度も、ダンからそのスクレイパーを借りた。最後の夜、ダンは、これレイコにプレ
ゼントするよ、と言って私にくれた。でも、明日使う時は、貸してくれよ、オーケー。と
いうわけで、そのスクレイパーは今私の手元にある。
フリークライミング全国開拓行脚
北山 真
illus= Mituo Nakamura
フリークライミングというやつも、だいぶん市民ケーンを得てきたようで、今やたいて
いの人がおおまかには理解しているようです。昔のように「ああ、岩にコンコンなにか打ち
ながら登るやつね」とグレイトな勘違いをしている人はほとんどいなくなりました。逆に「
あのロープもなんにも使わないで、落ちると死んじゃうやつでしょう」という新手の勘違い
が出現してきましたが…。
まして、このホームページの読者のような博学多識の方々にその説明をすることは無用
でしょうから、省かせていただきます。もし、万が一よく分からない方、いらっしゃいまし
たなら「フリークライミングのススメ」山と溪谷社発行、を読んでください。
しかしこの一見ハデで、スポーティで、アスレチックなフリークライミングの世界に、
“ルート開拓”というジミで、汚く、カッコ悪~い、まさに“裏”の世界が存在することを
知る人は少ないでしょう。
ルート開拓はまず岩を見つけることからはじまります。初期においては一般の道路や、
登山道の近くにある比較的誰にでも見つけられるものでしたが、それらが登られると“本気
になって探さなければ見つからないもの”がその対象となってきます。地形図の岩記号を探
すのは基本中の基本。ただしこれも完璧ではない(りっぱな岩が抜けていたり、ただの泥壁
が岩記号だったりする。これまでどれだけこの地形図の岩記号にだまされてきたことか。国
土地理院に損害賠償を請求できないものか本気で考えたこともある)ので、最終的には現地
に入って足で調査しなければなりません。まる3日探し回って使えるものはナシ…なんてこ
ともザラなのです。
さて、運よく使える岩が見つかったとして、その場所が“駅前”とか“コンビニの駐車
場脇”なんてことはまずありませんから、たいていヤブをはらって岩場までの道をつくるこ
とになります。さらに岩にからまるツタをはらい、苔をおとし、浮いた岩を剥がし、クラッ
クやポケットに詰まった泥をかきだし…。この間にムササビやヘビやハチの攻撃をうけるこ
とも多々あります。
この大土木作業を終えてはじめて、試登したり、ボルトを打ったりといったクライマー
らしい仕事に取りかかれるのですが、これがまた脆い部分があったりして思うような位置に
ボルトが打てなかったり、試登中に重要なホールドがポロリととれてしまい、カケラを集め
て接着剤でくっつけたりと結構ひと筋縄ではいかないことが多いのです。
じゃあ、なぜわざわざそんなにシンドイことをやるのか?
そりゃあ、おもしろいからにきまってるじゃないですか! 有史以来、だれも触ったこ
とのない岩を自分勝手なラインで登る。こんな贅沢な行為はめったにできるもんじゃありま
せん。新しい岩が木々の間に間に見えたときのあのわくわくする瞬間、そしてたどり着いた
岩がすばらしかったときのあの背筋が寒くなるような感動。その後、すこし気持ちが落ち着
いたら料理の鉄人に変身します。全体で何品(何本のルート)できるのか、前菜(ウォーム
アップ)は?、メインディッシュ(看板ルート)は?,などと素材(岩)を検討する…。ま
さに開拓クライマーのみが味わうことができる、至福の時といえるでしょう。
人工壁、コンペ、トレーニング法、フィットネスがどうの、ニュートリションがこうの
とどんどんスポーツ化していくフリークライミング界において、ルート開拓こそが唯一残さ
れた、ロマンチックで創造的でちょびっと冒険的な行為といえるのであります。
ヨーロッパのように、きれいな石灰岩壁がどこにでもあるような場合は、このルート開
拓もスマートで楽なものとなります。要はラインをきめてボルトを打って、あとは登るだけ
です。ヨーロッパに行ったクライマーはよく言います。「あっちにいけばあんなに岩がある
のに、日本なんかでルート拓く気になんないよな」
これは根本的に私たちが行っているゲームを理解していないクライマーの発言でしょう
。どこの川に行っても誰でも魚が釣れるのではフィッシングにのめり込む人もいないでしょ
うし、地面を掘ればアンモナイトがゴロゴロ出てくるようでは化石探しもつまらないように
、どこにいってもいい岩があるのでは、このルート開拓というゲームは成り立たないのです
。めったにないからこそ探す喜びもあるし、苦労して出来上がったルートだからこそ、登っ
たときの感動もひとしおなのです。
最初にルートを拓いた時のことはさすがに鮮明に覚えています、1984年、穂高での
クラブ(JMCC)の夏合宿のことでした。屏風岩や滝谷のクラシックルートを先輩と登る
毎日、まあそれはそれで楽しかったのですが、どうもルート自体簡単だし、いまひとつ胸お
どるといったレベルではありませんでした。
そして合宿最終日、私とやはり新人のBでフリークライミングのルートが拓かれつつあ
る屏風岩の下部スラブに行くことにしました。アウトサイダーなど手ごたえ十分のルートを
登ったあと、二人で取付で寝そべりボーッとしていました。Bは合宿疲れがたまっていたの
か“寝”に入ったようです。私は青い空と広大な下部スラブが、視界の中でだんだん溶け合
っていくのを楽しんでいました。
そのほのぼのとした景色の中にいままさに私自身も溶け込みそうになった時、視界の片
すみに2本のボルトを発見しました。「はて、こんなところにルートはないはずだけど…?
しかも2本だけとは?」
しだいに覚醒してきた頭は「1本目が結構高い位置にある、それにしては2本目が近い
。ということは冬期の試登跡であろう」と判断しました。そして「よし、このルートを完成
させよう!」と。
Bをたたき起し私は登り始めました。自分でラインを選び、ボルトを打ちナッツを駆使
して広大なスラブを登っていく。なんという開放感。なんという充実感。私は夕日に染まる
穂高の山々に向かって叫びました。
「これこそが本当のクライミングだ!」
「オレはこれがやりたかったんだ!」
「オレは完璧に自由だ!」
(むろん心の中で叫んだのだが)
私はこの2ピッチのルートを“不意の旅立ち”と名づけました。まさにこの時から私は
ルート開拓という終わりのない旅に出たのです。
このように、一度ルート開拓にとり憑かれると、私のようにクライミングはそっちのけ
でつっ走ってしまうしまう人が多いようです。実際この10数年に北は北海道から、南は沖縄
まで、岩を求めて歩き回りました。当たりもあればハズレもある旅々でしたが。
そのうち、不思議なことに気づいてきました。それらの旅々で印象に残っているのはク
ライミングもさることながら、オホーツク海を背にすすった蟹ラーメンだったり、平家の亡
霊に脅えながら段の浦で飲んだ梅錦だったり、ぬるさにふるえながら気合いで入った西伊豆
の露天風呂だったりすることに。
こうなると、岩探しだけでもそうとうクライミングから遠ざかっているのに、温泉探し
、地酒探し、名物探し、が加わるに至っては、本末転倒、粉末銭湯。言語同断、コンゴ横断
。いったいなにをやっているやら……。
まっ、楽しければいっか。
”石工さん”へ愛をこめて
伊藤忠男
”石工さん”へ愛をこめて 伊藤忠男
前の春から夏あたりに、小川山で結構手の込んだチッピングが行われたらしい。つ
いでにボルトの乱用と思しき所業もあったようで、プロやプロ紛いの超うまいクラ
イマーが悩んでいるみたいだ。
ボクは、5.9や5.10で万年四苦八苦してそれでもこの道楽を面白がってるド
ンクサ・オヤジだ。だから「クライミング界」の往く末なんて雲の上の話だが、そ
れでもチッピングやランヨウは、直感的にいやだ。そういうことは基本的にヒキョ
ウモノ(タマナシと云いたかったがこれは差別用語らしい)のやることだからで、
「ヘボでもXXナシ(前出参照)にはなるな」という親父の遺言にボクの場合、ま
ず反する。
しかし、直感的と断ったのは、ことはそう単純でもないんじゃないかとも思うから
だ。
たとえば、その”石工さん”はこのような雑誌を読むひととは限らない。
ちょっと意地悪いかもしれないが、あえて云えば、クライミング界をリードするひ
とたちが、伝統的な倫理の崩壊を嘆いた名文を書いても、それを読むひとは元々そ
れが”よく分かる”ひとばっかりだったらどうだろう。
最近クライミングに「文化」の2字をくっつけた表現をときたま目にするようにも
なった(大昔に、たしか室井さんという女性クライマーが”クライミング文化”と
書いていたことがあったが、その後はトンとご無沙汰だ)。だけど、もし本当にこ
の営為がこの国で文化として育ちつつあるのなら、それは冒険を避けたがる俗世間
のありようと融合する一面を持たなければならないのじゃないか。
ボクの持論だが、文化には耐力がいるんだ。いつまでも純粋培養って訳にもいかな
い。
クライミングが連綿と引きずってきた伝統的な倫理、つまりできる限りナチュラル
に挑む、というピューリタリズムっぽい哲学が、恐らくそれが必然的に発生した土
壌と異なったこの国で、大手を振るというのは遠いにしても、ぼちぼちでも歩き始
めているとしたら、その過渡期にはいったいどんなことが起きるだろう?
で、思い切っていっちゃうと、チッピングのどこが悪いのか? あるいは、ボルト
のランヨウ、だからどうした?っていうようなひとが現れたって一向に変じゃない
んじゃないかって思えて来たんだ。
少なくともそこまで話を振ってみないと、ことは見えて来ないような気がする。
誇張もあるが、クライミング界の誇り高い頑なな一面はアラブの砂漠社会にみたて
ることができる。少数部族化、という訳だ。
それぞれのグループが質はともあれ独自の哲学というか主義主張を持っていて、始
末が悪い。
あるいはそこが良いところかもしれない、と考えることもできる。雑誌で読んだこ
とがあるが”面白ければなんでもあり”というアタマからっぽ的(ごめんよぉ)お
おらかなひとたちもいるそうだ。これも個性なんだろう。
でもその弁でいけば、”石工さん”のチッピングが巧みで、”犠牲”ルートがそう
なる以前に比べてずっと面白くなっちゃったらどうなんだろう。
そんなことは絶対ない、っていうクライマーもいるかもしれない。
ルートには込められている意味が重要で、そのこと抜きでおもしろさは評価できな
いって。精神的なものを可愛がってるクライマーって少なくないんだ。(ボクもそ
うかもしれないんだ)
しかし、いまでは上からぶら下がってボルトを打つルート作りだって結構大勢のク
ライマーの納得を得ている。そうとばかりはいえないんじゃないか?
他人がすでに作ったルートで、しかも壁そのものに手を加えるっていうところが屈
折している。それにルートを作ったひとをバカにしている。コケにしている。ある
いは、そこに通い込んでレッド・ポイントを目標にしていたひとだって、それはな
い、なんて乱暴なって感じるだろう。
しかしそう思うのはクライミングの原理、原則を知っているからだ。ルートが誰か
によって設定され、その特定な地理空間が所有されることはないにしても概念とし
てのルートにはある種の持ち主がいることを知っているからだ、と思う。
誰だったか「知らないモノは愛しようがない」って云ったひとがいる。
”石工さん”がクライミングの伝統的な原理、原則に全く関心のないひとだったら
どうだろう。あるいは、彼(女)はルートに”持ち主”がいるなんて思ってもいな
いかもしれない。彼(女)はひたすらルートを”面白く”することだけにある種の
意義と喜びを見いだしているのだとしたらどうか?
試しにクライミングは知っていてもやったことのない友だちに聞いてみると良い。
ほとんどのひとはルートは自然にそこにあって、それが誰か特定なひとと結び�tい
ているなんて知らない筈だ。
”石工さん”はクライミングがそれなりに長い時間をかけて独自な世界を作り、い
まに至っていることを知らないのかもしれないのだ。
ボクにはそのような”石工さん”にどう答えれば良いのか分からない。腹の底では
XXナシだって思っても、云えない。方法を問わないプリ・ボルトのルート作りが
今では当たり前だからだ。じゃまで見栄えの悪いブッシュやコケを落としたり都合
の悪いフレークをはがすことも、「ルート開拓」という錦の旗のもとではそううし
ろめたい思いもせずに行われている。かくして、それを受け入れたときに、ボクた
ちは”契約書”に書かれたいくつかの譲与条件を見過ごしてしまったのかもしれな
いのだ。そういうことが”石工さん”の出現にどこかで影響しているとボクは思う
。
いまや”ウラから廻れる”岩壁で、しかも一定水準以上の強度がありさえすれば、
質はともあれルートなんて誰にでも引けるといっても言い過ぎにならない(その証
拠にボクだって作ってしまった、むはは)。
従って、チッピングや低品質のルートも含めて、件のランヨウも自然発生する。し
かし、ランヨウの基準ってなんだろう。
身近な例で話そう。
ドンクサ・オヤジ仲間の一人がいつだったか、小川で名うての三ツ星ルートで、や
ばい落ち方をしたことがある。上部の外傾したテラスからフレアーした浅いクラッ
クを6m登って終了点なのだが、このクラックにカムは決まらない。押し込めば見
た目にはセットされても一人分の静荷重にも耐えられそうにない。
ルート設定者のコメントはこうだ。決まっているかどうか確信のもてないプロテク
ションでここを抜けるのがポイントである...云々。
仲間は、図らずもこのコメントに込められている負の意味を証明してみせることに
なった。突っ込んで、落ち、セットした2つのカムはこともなげに外れたのだ。テ
ラスの水平クラックに決めたキャメロットでグランドまで飛ばされはしなかったが
、そのテラスにぶちあたるように、彼は落ちた。幸い無傷だったが、ビレイしてい
たボクにはただ運が良かっただけにしか見えなかった。
このルートはグランド・アップの鉄人ルートに見えるが、じつはトップダウンで作
られたものだ。従って、このクラック以外の部分にはペッツルのハンガーが燦然と
配置されている。
このケースでいえば、ボクたちはそこに表れる課題が自然なものかどうかには関心
がなかった、ということだ。
たぶんボクたちだけではないだろう。クライマーの多くはありのままを受け入れる
ことをフェアーだと思っている。しかしありのままという意味は手を加えない自然
の状態という意味では、当然ない。それはすでにそこをモノしたクライマーからの
、目に見えない脅迫のようなものなのだ。
帰り道でボクたちは、あそこにボルト1本打っちぁおうかとか、大勢の意見聞いた
方がいいんじゃないかなどと、ボソボソ話したりもした。でも打ち足せば、負けだ
し、ランヨウって叩かれるんだろうな、たぶん。そう、ランヨウの登場。
以前クロニクルに載ったアルパインのレポートに次のような意味のコメントがあっ
た。
「途中のテラスにはビレイ用に最小限のボルトを残したが、この上で前進のために
ボルトを必要とするひとはこのルートを登る資格がない」
ビレイ用だろうが前進用だろうが、ボルトを打ったことには変わりはないのだから
、このルートもすでに”ありのままの自然”という訳ではない。
にも拘わらず、このコメントを発したクライマーは明示的に追従するクライマーを
脅し、ボルトの打ち足しに釘を刺している訳だ。
こういった局面では、クライマーは自然から与えられた課題を心・技・体を駆使し
て乗り越えていくという良く聞く話は、意味の希薄な美辞麗句にすぎない。事実は
単純なマッチョ比べにつきるのではないかという気がする。
また、日本のトップクラスのひとりと目されるあるクライマーが、雑誌のインタビ
ューで、ソロで登れちゃったらそのルートに残されているプロテクションは全部と
っちゃった方がいいみたいに答えている。
この云いっぷりもクライマーの心理をくすぐるレトリックだろう。つまり、残置さ
れたプロテクションを廃棄すればルートは”自然に帰る”という訳だ。実際、”自
然に帰る”、この一言にクライマーは弱い。(ボクもシビレタ)
しかし、ここにはそうすることで自らが次のクライマーにとっての目標になるとい
うナルシシズムっぽい願望があると思う。
さて、もう少しはっきりさせておこう。
ランヨウの真打ちはクラックでパッシブなプロテクションが確実にとれる状況にも
拘わらずボルトを設定してしまうケースだろう。しかし、ちゃんと調べた訳ではな
いので決めつけるようなことは云えないが、実際にランヨウと考えられている最も
多いケースは打ち足しじゃないか。
だが、それがマッチョ比�ラの敗北を意味するケースは実際にはものすごく少ないと
思う。なぜなら、ボクたちの体験から述べたように、ほとんどのクライマーは、そ
れが自然であるかどうかに拘わらず、いまそこにあるあるがままを受け入れること
が当面克服すべき課題だと感じる習性があるからだ。
従って、打ち足しはふつうもっと別な理由で行われるのではないか。
たとえば、同行している”若葉マーク”へのボランティア。講習。エイドの練習ル
ート化。なかには変質的な恨み辛み。
う~ん、ドンクサ・オヤジのボクでもこらこらって云いたくなるようなことばかり
ではある。従来からチッピングだってこういう不純?な理由で行われている可能性
はあった。
ま、しかし、自由社会にはいろいろあって、ぐじゃぐじゃしながら成長していくん
だな、ってとこで我慢するしかないだろう。
一方、打ち足される以前のランヨウだってある。リハーサルを繰り返して設定され
るルートでは多かれ少なかれボルトの問題は避けて通れない。
発表されたがいつになっても星が付かなかったり、場合によってはX(ペケ)マー
クとなってしまった低品質のルートでは、ことにボルトの位置や存在そのものが問
題になったりもする。なかにはフレンズの使えるクラックの横にボルトを打った”
ランヨウ見本”みたいなルートさえ出現する。ライン取りは無論、それに付随する
ボルトの配置はルートの合理性を決定する重要な要素だ。一口に良くセンスと云わ
れるが、それは設定したクライマーの想像力が深く関与している。チッピングや打
ち足し(不純でない方だが)にも根幹にこの想像力の問題が絡んでいると思う。想
像力には、生まれつきのものからそのひとが現在どのレベルにいるのかという自覚
やそのときの取り組み方、心のありよう、思いやりまで数多の要素が関係していて
複雑だ。
たとえば、小川山の超3つ星「小川山ストーリー(5.9)」はムーブやスケール
の面白さに加えてボルトの配置が的確だと云うクライマーは多い。しかし、ボルト
の間隔は長く5.9を目標としているレベルのクライマーには実際ものすごいプレ
ッシャーがあると思う。誰かが、このルートは5.11を登るひとの5.9だと云
っていたことがあったが、それも一面頷ける。
ルート開拓者は、はじめにボルトの配置をどういう基準で思い描くのだろうか。
クライマーは、自分にとって難しい地点にさしかかったとき、そこで落ちればどう
なるかということを思い浮かべると思う。下のダイクにぶつかるかもしれないし、
グランドフォールするかもしれない。あるいは擦り傷くらいはあってもただぶら下
がるだけで済むこともあると。想像力の豊かというかいくぶん悲観的で背負ってい
るしがらみが重いひとなら、そこからさらに深追いして、足が折れたら、納期の迫
ってる仕事がやばいぞとか、頭でも打ったら、かあちゃんに当分働いてもらわない
とならないな、なんてことまで考えるかもしれない。当然こういう精神的な状況は
ひとり一人異なっている訳だ。従って、プロテクションを必要とする位置はひとに
よっても異なって当然だろう。
しかし、一方、ルート開拓者はかく宣う。ルートは登りたいから作る、人のためじ
ゃない、自分のために作るんだ。
でも理由なんて問題じゃない。良く「ひとに登ってもらいたいために作るなんてナ
ンセンス」って話を聞くけど、批難するほどのこととは思えない。開拓を芸術と同
義にしてみたってたいした意味はないだろう。しかし、作る以上それは真っ白な紙
からスタートする訳だ。そこに開拓者は作ること自体の愉しみや審美的な追求、さ
らに他人に評価される喜びをも込める。開拓者がいっとき自分から離れて、そこに
挑むクライマーの数多のレベルになりきってみたって不思議じゃない。むしろ良い
開拓者は自然にそういうことをしているんじゃないかと思う。
「小川山ストーリー」が不動の人気を保っているのはなぜだろう。ボルトの間隔は
遠くても次のクリップまでがんばってみようと感じさせる何かがあるんだ、といっ
たひとがいる。つまり、たとえ怖くてもそこにあるあるがままを受け入れなければ
ならないと”自然に感じさせる”ルートなのだ。
長女が小学生のとき、担任の先生が夏休みにクライミングをしてみた彼女に「怖い
ことって面白いんだよねぇ」っていったことがある。まさに。
クライマーに限らないが、誰にでも一応身を守る権利はある、...と思う。
しかし、守りすぎちゃうと、そこにある愉しみをも失ってしまうかもしれないのだ
。じつに困った遊びだ。
がらっと調子が変わりますが、そこでみなさん、クロニクルではハードにカッコ良
く決めたい気持ちは分かります。でも、美辞麗句は、ま、ひとまず棚上げにして、
なるべくナチュラルってことでどうでしょう。マッチョ比べは当然といえば当然な
んでしょうね。最前線は勿論、どのレベルも結局はそれで引�ォ上げられていくんで
しょうから。それを「自慢オヤジ&オバビの法則」と云います。
冗談はさておき、訳知りってこともないですが、実際みなさんそれほど手はきれい
じゃないでしょう? うっ、きれいだって思ってんですね...ま、どっちでも、
不純な理由で掘ったり削ったり、打ち足したりっていうのを目の当たりにしても、
目が点なんて現象はぐっとこらえて、こらこらって云えたらいいっす。もちろんそ
んなことの当事者はこれ読んでいるひとにはいないでしょ。(万が一いたら、そん
なこと、やめ・よぉ・よぉ)
あとは、ま、自己規範の問題ではないでしょうか、ってとこでおしまい。
ま、ドンクサ・オヤジの戯言です。
ーーーーーおしまい・1999/2/24記ーーーーーー
ロクスノはじめて物語
松倉一夫/Kazuo Matsukura(作家)
.
ジャミングことはじめ
森を抜けると、夕日に照らされ岩峰が屹立していた。黄金色に輝く尖塔岩。長年
の風雨で岩肌はツルツルに磨かれている。
「あれだ。あの穴だ。俺たちはついに見つけたのだ」
山賊の頭が岩峰の中程を指さした。小さな岩棚の上にリスか小鳥の巣ほどの小さ
な穴がある。
「あそこに、かつてこの辺を荒らし回った山賊が隠したと伝えられているお宝が眠
っている。拳大のダイヤだ。ダイヤさえ手に入れりゃ俺たちは大金持ちだ」
山賊たちは小躍りし、尖塔岩の足下へと駆け寄った。
頭は誰よりもはじめに自分がダイヤを拝もうと、さっそく自ら岩にへばりついた
。が、背の高さほども登れなかった。子分どもに肩車をさせたりしたが、尖塔岩の
岩穴へはほど遠い。これまで、いくつかの山賊が挑戦しても崩せなかった岩峰。何
人も寄せ付けぬ難攻不落の尖塔岩。だからこそ、今もお宝は眠っている。
「お前らのなかに、この岩を這い登って、お宝を頂戴してこようというものはいな
いのか」
頭が声を荒げた。入れ替わり立ち替わり、子分たちがとりつく。が、まるで歯が
立たない。
「高さはさほどじゃない。せいぜい大木のてっぺんほどだ。何とからならんのか。
あの小さな岩棚にさえ手が届けば」
いつも見張り役の小男が前に進み出た。男はどんな木でも猿のようにひょいひょ
いと登る。
「よーし、お前やってみろ」
頭が期待を込めて言う。
しかし、結果は見えていた。枝がなければ登れない男なのだ。
「誰か、縄をかけろ」
頭の声に、投げ縄の名手が縄を投じる。しかし、ひっかかりどころがない岩はす
るりと滑り落ちてしまう。
「確かにこれじゃ、誰もあの穴には近づけねーぜ。それにしても、その山賊はどう
やってあそこまで登ったのだ」
頭はあたまを抱えた。
そんなときだった。少しおつむが弱くいつもおとなしいジャムが言った。
「岩の裏に回ってみると所々に小さな穴や割れ目があるよ」
山賊たちはすぐに裏へと回った。なるほど、日の当たらない裏側にスポット的に
小さな穴や割れ目がある。
「そうだ。これに違いない」
頭はさっそく、見張り役の男に偵察に行かせた。
「いける、いける」
男はどんどん尖塔岩を登っていった。しかし、岩の切れ目がなくなったところで
行き詰まった。
「これ以上はもう無理だ」
男が言った。
「その左手に穴が続いているじゃないか」
頭が叫ぶ。
「ダメだ。穴は油のようなものが溜まっていて滑ってつかめない」
どうやら、山賊は最後の難関として手がかりを使えないように油を流し込んでい
ったようだ。
「あそこさえ、通過できればあの岩棚に立てるのに」
男は一度下りてくると、くやしそうに言った。
「よし、油をぬぐい取ろう」
次の男が砂や布を持って登っていった。しかし、しばらくすると下りてきた。
「ダメだ。岩に完全に染み込んでしまっていて拭いても拭いても滑りはとれない。
砂を入れてもすぐにヌルヌルだ」
どうしたものか。男たちは悩んでしまった。そのときだった。ジャムが言った。
「僕が行って来るよ」
誰もが無理だと分かっていた。しかし、ジャムは難なく穴をつかみ、岩棚へと這
い登ったのだ。
「やっぱり」
ジャムは岩棚の上で、子供の頃母親に叱られたことを思い出していた。油壺を覗
こう片目をつぶった拍子に口が開き、なめていたキャンディが油壺のなかに落ちて
しまったのだ。ジャムはキャンディを取ろうと右手を壺につっこんだ。そして、キ
ャンディをつかんだ。すると、入ったはずの手がどうやっても引き抜けなくなって
しまったのだ。結局、油壺を床に叩きつけ割ってしまった。そのとき、ジャムは油
壺のなかで手を握ると抜けなくなる、抜くときは手を開けということを学んだのだ
。
「よーし、よくやったジャム。その穴のなかにダイヤはあるか」
頭が呼びかけた。
ジャムが覗き込むと、キラキラと輝くダイヤが確かにあった。
「うん。あるよ」
「大きさは」
「リンゴぐらいある」
ジャムが大声で答えると、歓声が沸き上がった。
「でかした。それをつかんで持ってこい」
ジャムは右手を差し込むとギュッとダイヤをつかんだ。手が抜けない。ダイヤを
離した。手は抜けた。
もう一度手を入れた。つかむ。抜けない
「どうすればいいんだ」
ジャムは手を穴に入れたり出したりしながら考えた。油壺のように岩は割れない
。
でも、こうしてジャミング技術の第一歩が記されることになった。
ナッツことはじめ
「そっちへ逃げたぞ」
十手をかざして、銭形平次は賊を追った。子分たちが後に付く。しかし、逃げ足
が早い。どんどん距離が離れていく。
「すばしっこい奴め。これでもくらえ」
平次は惜しげもなく銭を投げまくる。が、届かない。
「だめだ。お前らはこのまま追え。挟み打ちだ」
平次はそう言うと、自分は路地を右へと走った。この先で追いつくはずだ。平次
は走りながら、ここで取り逃がすと二度と捕まえられないだろうと考えていた。5
年越しで追い続けてきた。やっと奴の尻尾をつかんだのだ。
「待てー」
子分たちの声と足音が近づいてきた。
「よしっ」
平次は路地を回り込んだ。奴の姿が見えるはずだ。いない。霞のように消えてい
た。
「どこへ行った」
平次たちが見回す。
「あそこに」
一人が指を指す。屋根の上を、猫のようにするすると這い登り、走っていく姿が
あった。
「追えー」
再び追跡がはじまる。
「いいぞ」
平次は思った。町外れの向こうには屏風岩が立ちはだかっている。行き止まりだ
。
「追い込めー」
二手に分けると、平次は奴を屏風岩へと追い出した。
「奴も袋のネズミだ。年貢の納め時だ」
確信に満ちた声だ。高さ十間以上はあろうかという切り立った岩。どうあがいて
も越えることはできない。
「左へ逃げたぞ」「いた、いた」
子分たちの声がだんだん近づいてくる。
「見つけた」
平次親分の声がひときわ高く響いた。銭が飛ぶ。奴の肩をビシッと打つ。会心の
銭投げだ。我ながら「決まった」と平次はほくそ笑む。それでも、男は屏風岩へと
走った。
「あきらめろ」
十手をかざして平次はゆっくりと近づいていく。
「無理だ。お前には越えられんよ」
その時だった。上から麻縄がするするすると下りてきたのだ。仲間がいたのだ。
「俺は山猿だ。こんなの屁でもねー」
男はあっという間に屏風岩を登りさった。
「しまった」
平次が麻縄に飛びつこうとした時はもう遅かった。途中から、縄は切り離されド
サッと落ちてきた。
「待て、待てー」
平次は叫びながら銭を投げる。が、もう届かない。
「追えー、追えー」
子分たちが岩の割れ目やくぼみを利用して登り出す。しかし、最上部の迫り出し
た屋根の部分はどうやっても越えられそうにない。こうしてる間にも奴はどんどん
遠ざかる。
「他に道はないのか」
残っていた子分に聞く。
「右へと迂回できますが半時以上の遠回りです。何とかしてここを越えたほうが早
いかと」
「どけどけ」
平次は子分たちを屏風岩からおろすと、自ら登りはじめた。迫り出したところま
ではすぐに登れた。しかし、最後が難関だ。ネズミ返しのように立ちふさがってい
る。しかも、見たところ手がかりはありそうにない。
平次は見えない壁面に左手を這わせた。まるっきり平坦で指先すらかからない。
手を替えて右手を這わせた。
「やはり無理か」
そう思ったときだった。小さい岩の割れ目に指が触れた。指一本入るかどうかの
隙間だ。中指をぐいっとかけて体重を少しずつ預けてみる。
「だめだ」
とても指一本だけで体を支えられそうにない。何とかならないのか。
「頑張れ、平次親分」
子分たちの声が響く。その声を聞き、下を見たときだった。銭が目に入った。
「これだ」
平次は紐に通したままの寛永通宝を取り出した。指の太さから考え、銭を五枚重
ねて手探りで岩の隙間にはめ込んでみた。下に伸びた紐を握ってギュッと引いてみ
る。
「効いている」
でも、これが抜けたら一巻の終わりだ。胸がバクバクと高鳴る。
「親ぶーん」
子分たちの声が響く。さっきの山猿のせせら笑いがよみがえる。
「ええい。ままよ」
平次親分は銭に命を預けると、垂れ下がる紐に右手でぶら下がった。紐がミリミ
リと言っている。体は完全に宙だ。右手一本で懸垂しながら左手を伸ばす。切れる
、そう思った瞬間、左手が手がかりをつかんだ。
あとは無我夢中で屏風岩を這い登っていた。
「いざというときは、やはり銭だ」
平次は山猿の追跡をしながら、あらためてそう思った。
この5枚の寛永通宝の穴に通した紐が改良され、ナッツへと発展していったので
ある。
山飛びのススメ
伊藤忠男
左からCHU FLYING PERICHE,KHMBU.NEPAL.
TOMY FLYING BUGABOO,BC,CANADA AND YOSEMITE,CAL,USA.
Hi,ここは、鹿島槍の主稜線で布引を南寄りに少し下がったあたり。西風がちょっ
と強いので様子見といったところ。暇なのでダイナブックで遊んじゃおう。...ケケ
ケ
”山飛び”なんて、お勧めできません..おおーっと、開くなりこれはないか。...
.しっかし、あぶねえもんなあ、第一ひとに勧められてやるもんじゃないぜ。うーん、迷
ってる間にしっかり回線代払わしちゃってるから、ま、とにかくそれ指向のひとに役
立ちそうな話を書いてみますけど、私だってこの世界の第一人者どころか、河原の礫み
たいな平凡人間ですから、どうでしょうかね。
私はこういうこと絡みで飯食ってる訳じゃないすから、誰もやんなくても別に困らない
んですよ、というよりか、じつはあまりやって欲しくないくらいだ(だって、ピークで
機体を広げる奴がうじゃうじゃしてきたら、たまらんぜ...と思ってしまうくらいこ
の世界は広がる可能性があるんだな)。
マイノリティーにこそ”市民クライマー”としての居場所を見いだしている私には、マ
イナー山スポーツの担い手たち(例えばパラの専門誌やフリークライミング協会、TA
Jの機関誌などの書き手、書かられ手(?))が共通して醸し出す”メジャーになりた
い志向”みたいな現象(あのもっと流行らせたいってヤツよ)は分からない訳じゃあり
ませんが、大変陳腐にも思えます。ヤベエ、やっぱりこれじゃ、勧めるどころじゃなく
なっちゃったぜ。
もとえ;クールにいきましょうか。じつはパラはクライマーがやるのが一番いいと思い
ますヨ。もともとアルプスのクライマーが開拓した分野ですから当然といえば当然。従
って、その起源も”山飛び”です。
どこのエリアで飛んでも海風を使うエリアを別にすれば”山飛び”にはちがいないので
すが、現在では登山にパラを持ち込んだとき”山飛び”と言います。
フライト技術そのものに”山飛び”固有のものはありませんが、たいていフライト・プ
ランは一切のシュミレーションなしで実行されます。つまりオンサイト(初見)!!。
この概念は、はっきりいって現在のパラの世界では異端です。パラの神髄と目されるX
Cフライトでさえ、殆どのパイロットが事前に組み立てたプランに沿って地上で踏査確
認を行いますし、フライト自体も人間の生活圏の上空からそう離れずに行われ、地上か
らのサポートさえフェアな手段の範囲と考えられています。
クライミングの価値観の根幹を成す”初見”や”ノンサポート”という概念は、他のス
ポーツでは見たことも聞いたこともありません。従って、登山(当然クライミングを含
む)技術や登山倫理を身につけていないひとにとっては、テイクオフする地点(頂上も
しくはその近辺)までたどり着くすべと、初見でフライトに立ち向かうこと、さらに生
活圏へ脱出する能力(ときには、氷河のまっただ中に降りなければならなかった、とい
うこともありますからね)が特別に必要とされます。これってクライマーならそう手こ
ずらずに受け入れられることばかりでしょう。道具への依存度が高いことと、体育的な
動作が殆どない面に抵抗があるかな、ことに生っ粋のフリ-クライマ-だと。
しかし、スキ-やボ-ドと同じに道具を使いこなす面白さってのも悪くないよ、諸君。
言っとくけんど、頭はめっちゃ使うぜ。こらこら頭突きじゃねっての。もっともご先祖
さまが猿と信じ込んでる(わしのは鳥なの)カチカチ派にはちっときついかもね。ん?
なぬ、どう面白いかって?! そうか、そいつを書いてなかった。じつはわざと書か
なかったんだけどね。でもやっぱり書かないことにします。飛んでみるのが一番。ひとた
び足下に展開する光景を目にすれば、机上で面白さを論じることになんの意味もないこと
に、すぐ気付いていただけると思いますからね。行動派のみなさんならよくお分かりでし
ょう。
さらにクライミングに”空”を組み合わせた胸の踊るようなプランがよぎったとしたら、
KISYAの恐ろしいダラリンビレイ極刑から私が解放される日も近い(これ、楽屋ギ
ャグ)。
やれやれ、ぼちぼち風も安定してきたと思ったら雲低が下がってきちゃったよ。残雪が
多くてそれでなくても接地逆転層でフォロ-なんだし、やっぱ今日はだめだにゃあ。ダ
イナブックのバッテリ-もやばくなったし、帰ろ、 トホホ、徒歩で下る、なんつって。
(KIMデスロー囚人:chu 記)
いろんなことやってきたなあ
原伸也
学生時代の芦別岳でのスキー訓練
この変人しか見ないであろうホームページに登場させていただき 光栄に思います
\(^O^ )/
17年前に ジャズピアニストのBILL EVANSがいなくなってから 山と広告なんかで記録出す時
に 単独じゃあつまんねえなってことで 一人だけのビル エバンス同人をなのっておりまする。あの頃は
同人ブームだったしね。たしか昔の沢登りの専門雑誌だったFALLNUMBERの「栗とリス同人」の名
前には完璧に負けますわ。m(__)m 吉川さん元気?
それ以来 今の山と広告の編集長にも 「原さんまた記録送付したのね? あんたも好きね~」なんてブツ
クサ言われながら そうした単刀直入のイヤミが胸に突き刺さるような文句苦言にもめげず 飽きずに 低
額の原稿料(なんと立ち飲み屋で少し酔えるぐらい)ほしさのために活躍してまいりました。(^o^)v ビル エ
バンスさんごめんね。m(__)m
ワタシの記録で山と広告に掲載拒否されたのは 「北アルプスの乗鞍岳頂上からのクルクルパー滑降」と題
した3000mの頂上から真面目に螺旋状に3回グルグル回った今世紀最大の素晴らしい発想と感性で行っ
たものでありました。日本の他の山じゃあできんしね。しっかし いくら自分が偉大な記録だと思っても
担当者は このクルクルパーの表現が嫌いみたいでボツにしたんであろうと いまだに復讐を考えておる。
(しくしく)今にみとれ~。
それにそれに 「頸城の大渚山のサーフスキー初滑降」の記録も今の編集長に 一言「あんな山の記録なん
てやめてよ」って たしかさあおいらが 世界一周の山とスキーの旅立ちの前夜祭で言ってたよねん。たし
かに ヘタクソだったから ほとんどゴロゴロと滑落状態だったけど。見よ今のスキー場を!!
ワシの努力のせいで あんなに多くのサーファーが リフト待ちでアベックがキスしながらやりまくってる
ではないか!伊藤さんも背中に墓標ひっつけて高い山から滑降してんだもんね~。こんな先駆者をなぜ S
KIERの編集長は オイラの大特集してくんないんだろか?せめてグラビアに4枚ぐらいでかまわないか
ら お願い!!。何度もヘラヘラとビールやらワイルドターキーお酌したのに効果なかったなあ(^_^;) 今度
はアラスカじゃなくて ヨーロッパのイタリアがいいな 行かしてぐで~~。
他のアホな記録の代表としては 25kgもあるゴムボート担いで スキーで北アルプスの針ノ木から黒部
湖を漕いで横断も なかなか 批判が多かったなあ。今思い出すとめちゃくちゃ雪崩に巻き込まれたスリル
と 黒部湖でのトムソーヤみたいないたずらっぽい開放感が満ち足りてて相変わらず ガキみたいなことば
っかりして進歩がない(T_T)
みなさん~ どんなくだらん記録でも出してみましょうね 小遣い稼ぎでえ。くだらなさの中にこそ野遊び
の原点があると思うのでありんす~。
日本の山で まだまだ新しいルート開拓の余地があるのは山スキーではないでしょうか?写真や地図を見て
ると まだまだ自分で一生懸命に探して 実行できる良い所があるなあといつも感じています。特にまだま
だ 北アルプスには 日本とは思えないような素晴らしいルートがあります。当初は中央や南アルプス ま
た人が行けない藪山を探してやってきたのですが よくさがせばいっぱいあります。自分の技術では到底不
可能だろうと思っても ちゃんとやれてしまうのがスキーの不思議。運がいいのか 1度捻挫と 雪崩にあ
ったぐらいで まともに生きているのも よ~く考えてみるとこれまた不思議なことなんだよね。
昨年から動物病院を自営し始めたので なかなか 時間がとれないのが悩みです。近頃視覚障害者の山登り
の会(ドボタン山の会)に同行させていただいたんだけど 皆おしゃべりが好きで近郊の山もとっても楽し
めました。関西の人ってすごく山登り好きみたい。山は人だらけでしたから。
最近では3月下旬に白山山系の三方崩山のヘンテコな沢から日帰りで 多分積雪期初登と初滑降しましたが
もっと普段から体を鍛錬しなくっちゃいけんな~と反省もありましたがあの山の頂上は渋くて涙がでるぐ
らい感激しました。デブリがひどかったので記録出さないけどね。やっぱりひでえ所を実に快適なコースだ
ったなんて言いたくないしね。
今年の予定は連休を利用して1年間考えていた新しいルートに行きます。
97/04/25(金) 09:52 原(KFE01260)
私の雪崩体験
真壁章一(聞き取り=西原彰一)
illust.nishihara syouichi
えーと、何年前かな、ニシアズマで大量遭難のあったあの大雪の時です。
僕らはそのすぐ近所、三岩岳を登ってたんですがとにかくものすごい降雪でし
た。
午後の二時頃ですか、後ろから突然ものすごい風をうけたような感じで、気が
ついたら埋まっていました。
そのときまず最初に思ったのがとにかく脱出しなけりゃということです。
ところがまずザックが引っ掛かって身動きができない。
僕はいつもポケットに一番簡単なナイフを入れていますのでそれをとにかく取
り出してザックのショルダーストラップを切りました。
それから今度はスキーです。
スキーピンはスキーの板ごとビンディングを握ると外れますのでそれはよかっ
たのですが、困ったのが流れ止めです。
ワイヤー式ですからナイフで切るわけにもゆかない。
何とかはずしましたが、細引にプラスチック製のバックルを付けたものなどが
アメリカなどには多いようですが、なるほどと思います。
ようやく脱出しましたが、気がつくと女房が埋まったままなんです。
自分でも意外なくらい冷静でしたが、僕の後ろを登っていたはずだからかなら
ず後ろにいるはずだと思い、とにかくデブリを全部どけてやろうと思ってスコ
ップを振り回しました。
そうしたら、見つけることができたんです。
もちろんビーコンは持っていましたが、それより先にからだが動いていました
。
大事なことはとにかく生き抜こうという意志ですね。
脱出するときもそうですが、もう足が折れてもいいと思ってめちゃめちゃに足
を動かしていましたね。
女房を引きずりだしたときもそうです。「痛い、痛い」なんていってましたけ
れど、とにかく脱出しなければならないわけですから。
足の一本くらい折れてもはってでも帰る!ってほんとに思わないとだめです。
実際そういう記録のもあるんですから、ほんとに気力の問題です。
大事なことは、パウダーなんかをすべっててね、ものすごく気分がハイにな
っているときでも、絶対に100パーセントそっちに行ってしまわないように
自分を律することです。
パウダーを滑るということは多少でもそういうリスクを背負うことなんです。
周囲の状況、天候、地形に常に注意を払う。
それから、これは本当に大事なことですが、自分の体力があとどのくらい持つ
のかという自覚をしなければいけないと思います。
これは難しいことなんですが、最悪の自体に陥ってしまっても、とにかく脱出
できる体力と気力を維持しているということです。
安易な精神論と一緒にされると困るのですが、「生きたい」と常に思うことは
絶対に必要です。
そして、それは大変に困難な場合もあります。
しかし、それを可能にするのは気力です。
40歳からのクライミング
徳地保彦
illust.nishihara syouichi
中年になって精神的にも肉体的にも人生に不安を覚えることを、アメリカ人は「ミッドラ
イフ クライシス」などとよくいいます。
毎日仕事に追われ、気が付いたら定年だったということの多い日本人ビジネスマンにはピンと
こないことばかも知れません。永遠に青春がつづくと錯覚している若者たちにもその深刻さは
理解できないでしょう。
登山というスポーツがあまりアスレチックでなかった時代には、中年になっても脚光をあ
びる可能性が残されていれ「ミッドライフ クライシス」を感じることはなかったようです。
僕が山登りを始めた頃は中年クライマーがこのスポーツの主導権をにぎっていました。技術が
しっかり身についていて、体力もまずまず、なんといっても経験が豊富、現役中年クライマー
にかなう者はいませんでした。社会人山岳会はもちろん、大学山岳会でも必ず実力派中年OB
が現役部員を叱咤激励していたものです。
当時、中年クライマーは登山技術を習い始めた若者たちにとって羨望の的でした。山もバンバ
ン、仕事もバンバン、まさに中年が人生のピークという人が大半。まだピークにいたってない
人もその可能性を信じて頑張っていたに違いありません。
最近、このスポーツは細分化や専門化が進み、特にロッククライミングや高所登山などの
尖鋭の分野では中年クライマーの出る幕はほとんどないようです。
穂高や谷川の人工ルートを攀っても、ヒマラヤのベースキャンプで登山隊の指揮をとってもあ
まり注目されません。けして、やさしくなって、無意味になった行動ではないのですが、価値
観が変わってしまったのです。
岩登りなら、5.11aぐらいは初見でリードできねば大きな顔はできないし、高所登山なら無酸
素アルパインが今や常識です。専門的なトレーニングに耐える体力と、経験をうわまわるセン
スや度胸が必要です。そして何といっても時間が十分になければかないません。
普通の中年クライマーが仕事や家庭サービスのついでにというのはとても無理なようです.
人生も折り返し点を過ぎると先がはっきり見えてきて、選択の幅が急激にせばまってきま
す.
気持ちは若いつもりでも、寝起きに鏡でたるんだ顔や薄くなった頭を見ると、現実を痛感させ
られます。だらしのないTシャツやGパンの格好も若者には似合っても、中年には汚くてみす
ぼらしいだけです。
あきらめなければならないことが多くなり、いろんな事に自信や確信が持てなくなります。
それでも、岩や雪や氷にずっと情熱を持ち続けることができればいいのですが、時間がないと
か、面倒だとか、帰ってきて疲れるからなど言って山登りは益々スローダウンしていくのです
。
中年に近付いた若者クライマーのために、何歳からが中年なのかは秘密にしておくとしても、
せめて山ぐらいは「ミッドライフ クライシス」とは無縁でいたいものです。
初めての山スキー(ティトンパス・スキーツアー)
松倉一夫
ティトンパス・スキーツアー、アメリカワイオミング州(1999年4月30日)
ティトンパスの駐車スペースにクルマを停める。すでに10台ほどクルマがあり、
滑ってきた山スキーヤーやスノーボーダーがいる。
さっそく、われわれもスキー板にシールを着け南へと伸びる斜面を登り出す。ア
メリカに来る前に、一度だけ「田代かぐらスキー場」で試してきたが、まだ操作に
なれておらず、いきなり仲間から遅れる。時差ボケのせいか、すぐに息が上がりみ
んなについていくのがきつい。それでも20分ほどで通信小屋(?)のある稜線のピ
ークにたどり着く。
すぐにシールをはずし、西斜面の樹林帯へと滑り込む。山スキーなら何とかなる
だろうと思っていたが、あまりに湿って重い雪にターンさえままならない。そんな
中、他の面々はこんな悪雪にも慣れているのか、次々鮮やかなシュプールを描きな
がら滑り降りていく。私はターンをしようと体重移動をすると、板のトップがひっ
かかり転倒。すでに下で待っている、仲間が心配そうに見つめている。
やっとボトムまで滑り降りると、対面の斜面へと登っていく。重く滑らない雪に
、テレマーカーはシールも着けずに登るが、山スキーでは上手く登れない。シール
を再装着し登る。すでに、北田さんたちはかなり先を行ってしまった。
「このツアーについてきたのは間違いではなかったか」
30分もしないうちに頭をよぎる。自分だけ今のコースを登り返し、駐車場に戻っ
て待っていたほうが賢明ではないかとさえ思う。
「みんな飛ばすけど、ゆっくり行けばいいですから」
真壁さんが私に付き合い励ましてくれる。
先に行っていた伊藤さんも、途中で心配げに待っていてくれた。
「歩幅を小さく、マイパースで来ればいいから」
そうは言われても、どんどん先との差が開いていくのは心許ない。今日は3時間
ほどの足慣らしだから、どんなに遅れても心配はないが、本番になればそうもいか
ない。大した登りでもないのに、これほど息が上がり足が前に出ない。これではど
う考えても2泊3日のツアーは難しい。荷物も倍以上の重さとなるはずだ。もう少
し、様子を見て「ダメだ」と自分で判断したら、早めに参加中止を申し出ようと思
う。
「これでは足手まといになるのは間違いありません。みんなだけなら予定通り、ツ
アーを成功させられるのに、私がいたのではどんなご迷惑をかけるかもわかりませ
ん。私は登山口と下山口の送り迎えなどサポートに徹します」
すでに、みんなになんと言うかも考えていた。ただ、そうは言っても、とりあえ
ず、この斜面だけは登らなければならない。20歩ごとに一息入れながらゆっくり登
り続けた。
「この先の稜線に出たら、僕らはみんなが下りてくるのを待ちましょう」
真壁さんが、私の歩みを見てそう告げる。歩き出して1時間ほどで、ダメ出しを
されるのは辛いが、それでも、これ以上登らずに済むと思うと、「わかりました」
とお願いする。
やっと森林限界となり稜線に出ると、さっき私を励ましてくれた伊藤さんと徳地
さんが、稜線の右手に広がる斜面の中腹まであがっていた。
「このバーンを滑れたら気持ちいいだろうな」と思うが、体は休みたがっている。
真壁さんがスコップで斜面をカットし休憩場所を作ってくれる。
荷を降ろし、行動食を食べていると、しばらくで山頂からみんなが滑り出してき
た。なんともゆっくりしたペースだ。ビデオなどで見た豪快さとスピード感はない
。まるで、日光いろは坂をゆっくりゆっくり安全確認をしながら下ってくる観光バ
スのような速度だ。
「まるで、鳥餅の上をすべっているよう」と北田さん。
「おかゆのようだ」と溝辺さん。
降りてくると、それぞれに開口一番、雪のひどさを口にする。昨晩の雨が湿った
雪をさらに重くしていたのだ。山頂では雪だとばかり思っていたが、うえも雨だっ
たようだ。
全員が私と真壁さんのところまで滑り降りたところで、ティトンパスへ向け戻る
。しかし、すぐに壁が立ちはだかった。40度はあると思える急斜面。それに加え、
この悪雪。ほとんどゲレンデスキーしか体験したことのない私には、まさに未知の
雪の重さだった。
「斜滑降、キックターンで下りてくればいいから」
伊藤さんは言うが、思いっきりつかない。
「松倉さん、そっちは雪崩れるかもしれないから、こっち側に」
真壁さんが、木がある斜面へと誘う。と、伊藤さんが、私とは逆方向にトラバー
スした。その瞬間、斜面が崩れたのだ。
「やっぱり起こったか」
以前、雪崩に巻き込まれて自力生還した真壁さんにが言った。誰一人慌てていな
い。雪崩は山肌をゆっくりと流れていく溶岩のようなスピードなのだ。
「今の雪なら雪崩れても手でつかめるくらいゆっくりだから心配ないですから」
入山前に黒川さんが言っていた通りだった。
「大丈夫だから」
伊藤さんの声に、私もこれならいざとなっても逃げ切れると、意を決し斜面をい
っぱいに使いながら斜滑降で横切る。そして、キックターン。それを繰り返しなが
ら高度を落としていく。そして、もう転倒しても大丈夫だというところまできたら
、あとは直滑降で谷底へと滑り降りた。
再びシールを着け登高。北田さんたちは斜面を登り返して滑ってティトン・パス
に降りると言うが、私は黒川さんの先行で斜面をトラバースして直接駐車場に戻る
ことにした。ゆっくり樹林帯の中を巻きながら登っていくと、切り通しから左手下
に峠から下っていくハイウエイが一度見えた。さっきまで疲れ切っていた体が急に
元気になる。しばらくでトレースは下りへと替わりシールを外す。300mほど滑
ると一気に視界が開け、あっけなく駐車場に出た。
ティトン・パスを出てから3時間半、私のはじめての山スキーのツアーはこうし
て終わった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura
僕はどうしてインドアクライミングをしないのだろう
黒川晴介
YOSEMITEで
「なぜ僕はインドアクライミングをしないんだろう?」
これは「なぜ僕はたばこを吸わないんだろう?」とたいして違わない理由です。「体に悪いから」で
も「お金がないから」でも「いかさない」からでもありません。むしろ人が何かを能動的に行なうに
は理由があっても何かをしないのはそんなに深い理由はないと思います。まあ、あえて言えば、たい
して興味がないからでしょう。逆にインドアクライミングを定期的にする人に聞いてみたらどうで
しょう。「おもしろいから」「健康のため」「ロッククライミングのトレーニングとして」等々の理
由があるかもしれません。
じゃ、僕はなぜロッククライミングは好きなんでしょう。Because it's funでしょう。インドアと
アウトドアの違いは何でしょう。太陽があたるから? やはり人間も動物だからある程度太陽光線は
必要です。メダカを飼う場合、太陽をあてるのとあてないのでは成長スピードにずいぶん違いがあり
ます。カメを育てる場合、太陽をあてないと上手く育てられません。でも、そんな単純なもんじゃな
いでしょう。
僕の大好きなロッククライミングはやはり、自分でプロテクションをセットしながらのクラック
クライミングです。もちろんペッツェルボルトで安心して登るのも悪くないけど、すべての
プロテクションを自分でセットして、あるルートをフラッシュした時、僕は大いによろこびを感じま
す。
おそらく僕はロッククライミングという行為にある程度の不確かさをみつけ、そのなかでよりよ
い自分の姿勢を見いだす事によろこびをかんじているんだと思います。2回目に5.11をレッドポイ
ントするより5.10をフラシュした時の気分が良いんです。
これは僕の登山観にもつうじています。
前回ひとりで登ったヨーロッパアルプスの山々や、NZのマウントクックをもう一度登りに行った
ら、よほどひどいコンディションでなければ、かなりたいくつでかんたんな登山になってしまいま
す。でも、最初の一回というのはすべてが未知で、不安や恐怖にさいなまされながらもなんとか頂上
をめざす自分を見つける事ができます。もちろん2回目の登山にも様々なよろこびがあります。良い
パートナーと共有する時間、ある種余裕をもった1日の中で思いつくつぎのプラン…。
けれど、やはり僕にとって重要なのは「その瞬間においてのみ可能なある限られた体験」なのです。
もう2度とありません。
トレーニングしてより難しいグレイドが登れるようになれば楽しめるルートもふえるでしょう。で
も僕にとって大切なのは「いくつのグレイドを登ったか」より「自分がそのクライミングからどんな
印象を受けたか」なのだと思います。結局僕にとってインドアクライミングはロッククライミングを
より楽しむための手段にはなりえてもそれ自体を自分の目的とはなしえないという事です。
だから、チャンスがあればやるけれど、わざわざ時間をさいてやりに行く事はあまり考えられない
という事です。
実際問題、雪の季節になると、テレマークスキーに忙しくなるので、クライミングそのものがお留
守になってしまうのです。雪山のバリエーションにいったりもしますが、乾いた岩のクライミングと
は冬の間しばらくご無沙汰になるのです。そして、それはそれで仕方がないことなのです。
アルペンとクロカンとテレマーク
川上敦
よく、「テレマークってどんな遊び?」とか「テレマークは何ができるの?」と聞か
れることがある。クロカンのようでもあり、アルペンのようでもあるこの遊びを一言で言
い表わすのは至難のワザであると思う。
そもそも現代におけるクロカンとアルペンはテレマークを母とし、各々の得意とする
部分を育ててきた子供であるのだから、各々の分野の視点だけで判断しようとしても考え
る者の都合に合わせ結論を導き出してしまうことになるだろう。
さて、そのテレマークは現代においても母であったときのように変わらずにきたかと
いうと、そうとも言えないようだ。現代のテレマークは、1970年代にアメリカにて新しく
生まれ変わったと言った方が良いだろう。
初めは、スキー場という名の「囚われた物質消費社会」の中から自由を求め野山へと
歩きだした人々によって、スキー技術史の大きな山の底から見つけだされた。その頃のテ
レマークは、クロカンでの滑降手段の一つとしてパラレル・ターンとともに使われていた
ようだ。
道具は、ダブルキャンバーのスキーにエッヂが付いた、一般にはヘビーツーリング用
と呼ばれているクロカンのスキーでおこなわれていた。今でもテレマークとして売られて
いるスキーの中にはダブルキャンバーのものもあるが、もともとはクロカンの分野のもの
だったのである。最近ではシングルキャンバーのスキーが主流となり、ダブルキャンバー
のスキーを目にすることが少なくなった。
シングルキャンバーのスキーが世に出てきた背景には、テレマークの遊び方が歩行中
心から滑降中心へと変わってきたことがあると思われる。一度はスキー場を離れた人々が
なぜかスキー場に舞い戻り、マウンテンパーカーにロングスパッツという出立ちでテレマ
ーク・レースを始めたことがその変化の発端ではなかったかと思われる。これにより、テ
レマークはクロカン的世界からアルペン的世界へとその流れを変えてゆくことになった。
レースだけを見れば、そこには歩行することができる必要性はなく、より滑走性や回
転性のみが求められることになる。スキーは徐々にその幅を広げ始め、ブーツは固く高く
なってゆく。しかし、その歩みが止められた時があった。ある年のアメリカでのレースに
、それまでにはなかったとてつもなく幅の広いスキーをはいたレーサーが参加した。役員
達は考え込んだ。そして、「スキーの最大幅は73㎜」という何も根拠のないレース・ルー
ルが一晩でできた。後に、この勝手な即席ルールがスキー製造メーカーを悩ませることに
なったが、テレマークがテレマークとしてその世界を今まで広げられたことには大きく役
に立ったと思われる。
しかし、この話も「今までは……」としか言えなくなってしまった。というのも、当
時はとてつもなく広いと思われていたスキーも今では細いほうの部類に入ってしまい、周
りを見渡せば「超幅広ろスキー」が乱舞する世界になった。そして、この流れを加速する
ように、レースのルールからも幅の規則が消えようとしている。
レースが盛んになるにつれ、人々の欲求はよりアルペン的テレマークの世界へと向い
てゆくことになった。スピードへの興味が増し、危ない斜面へも挑戦する人々があらわれ
る。彼らは、「可能性」という耳触りの良い旗をかかげ、どのよな状況下においても滑り
を確実にコントロールできるような道具を求め始めた。目新しいことが利益につながるメ
ーカーたちも、それに応えるかのように流れに乗り始めた。それにともないテレマークの
道具たちも、必然的にアルペン的な容姿を持ち始めることになり、それは誰にも感じられ
たように過ぎ去った歴史が繰り返されているようにも見えた。
しかし、現代のテレマークの世界には滑走すること以外にも大きな魅力があるようで
アルペン的遊び方を求める一方、クロカン的遊び方も広げながら「テレマークスキー」と
いう独自の文化を作り上げているようだ。
ただし、日本においてはその限りではないかもしれない。というのも、他の国、特に
テレマークが盛んな国では、それ以上にクロカンを楽しんでいる人口が多く、これがテレ
マークの世界を支える大きな土台となっている。残念ながら、我が国においてはクロカン
が普及しているといえるほどの状況ではなく、日本のテレマークの世界は脆弱な土台の上
に建てられた家のようなものといわざるをえない。それ故に、情報という波風によって揺
れ動き、消滅してしまう可能性もあるだろう。
日本においてテレマークがその世界を広げひとつの文化として根付くためには、テレ
マークを楽しみたいと思っている我々がより大きな視野と柔軟な考えを持ち、「なぜテレ
マークなのか?」と自問自答しながら育ててゆくことが大切だと思われる。何故なら、テ
レマークはアルペンやクロカンと比べられるためにあるのではなく、我々にもっと多くの
ことを気づかせてくれるために蘇ったのだから……。
晴れたらイタダキ
小川山ストーリー
初夏のある日、国友という友人に誘われて小川山の岩場に行くことになった。長野県
信濃川上村廻り目平周辺のロッククライミングだ。
国友の性格や行状、個人史については別の機会のゆずっておこう。100枚くらいは
書けそうだから。とにかく、山と酒が好きなオヤジではある。
朝5時に起きて都内をでる。スムースなら3時間のドライブだ。9時ころには着くか
ら、都内からの日帰りも可能だ。私たちもその予定。
廻り目平にはさわやかな朝の光と新緑が待っていた。いくつもの岩塔が朝日を浴びて
周辺にそびえている。気分がひきしまる。ここには1年に2度か3度くる。今年ははじ
めて。「ほらあそこ」国友がまだ日の当たらない東側の山腹の岩塔をさす。垂直の岩場
をたしかに人が登っている。
「あれ小川山ストーリーだっけ?」国友がうなずく。あとで行こうという。洒落た名前
のルートだ。あそこをリードで登れるようになるのが前からの私の念願だ。
蒸し暑い東京の陽気とここは雲泥の差。駐車場には数十台の車がとまっている。
「きょうはクライマーが多いな。」国友はそのあたりにいる何人かのクライマーと世間
話しをしている。そのうちにAさんという知り合いを紹介してくれる。
Aさんには二人の連れがある。その中のひとりは私も知っているCさん。八ガ岳に
いっしょに登ったことがある。そういえば、クライミングをやり始めたとか、その時
言っていたような気がする。
Aさんのもうひとりの連れは若い女性B子さん。クライミングタイツをはいた小柄だ
が意思の強そうなカンジの人。きつそうも見える。クライミングも上手そうだ。
「いい機会だから、いっしょにのぼりましょう」国友が言う。 私も、クライミングは
うまいが、酒を飲むほうがもっと得意な国友と二人だけでクライミングするよりも、今日は
にぎやかにやったほうがいいかな、と思っていたところだ。私を含む男どもはそんなに
若くない。3人とも40歳あたりか。B子さんだけが場違いといえるほど若い。
Aさんはクライミングのエキスパートのはず。うまいひとばかりでは気後れがするも
のだ。Cさんが私と同じくらいのレベルだとうれしいのだが。
各自、ザックにロープやシューズ、ランチなど入れて近くの岩場にでかける。B子さ
んが話しかけてくる。
「クライミング、長いんですか」
「十年やってますけど、回数は少ないんです。年に数回だから。いろいろ教えてくださ
い。」正直に答える。
「あら、わたしこそ。まだ2回目なんです」
笑顔がさわやかだ。それにきれいな人だ。
川を石伝いにわたって対岸へ、リバーサイドというエリアにむかう。先着のグループ
もいてにぎやかだ。岩壁の左はしのルートがあいているので、そのまえにザックをおろ
し、身支度をととのえる。5.9のルート。小川山ではかんたんな部類のルート 。
私がビレイし、国友がするするとこともなげに登る。
「きれいだわ」B子さんがためいきまじりに言う。国友の顔がきれいなわけがないか
ら、登りかたがきれいということだろう。
国友がトップロープを設置してくれる。
どうぞ、どうぞ、と譲り合って、Cさんが登ることになる。私と同じくらいの年配、
「久し振りだからどうかな」といいながら、うまく登っていく。危なげがない。リー
ドでも登れるくらいだ。
「うまい」お世辞でなくそう思う、が口にはださず。
B子さんが登る。身軽だ。1、2カ所でちゅちょしたけれど、一度も落ちることなく登
る。室内ジムにもいっているとかで、始めてまもないが、上達が早いようだ。
「上手ですね」思ったとおり言う。
やがて私の番。「しばらくやってないから」似たような言い訳をしてから登り始める
が、いまいち、体が重い。
「そこのガバとって」「足はもっと左」とか、下からはみなさんのアドバイスが聞こえ
る。夢中になっていると、右も左もわからない。あやうく落ちそうになる。B子さんの
「がんばって」の声にはっとした瞬間、岩角にのせていた足がスリップして数10セン
チ滑り落ちる。「危ない!」とおもわず叫んでしまう。下の応援団から笑い声が聞こえ
てくる。
「危ないことなんかないよ、オレがしっかり確保しているんだから」国友が言う。そい
えば今風のロッククライミングは危ないことはないのだという。しっかり安全が確保さ
れているので、危険なことはないというわけだ。なるほど、それはそうだが、じゃ、こ
わいこともない、というのだろうか。
次の核心部でももたもたして、私の実力がみんなに徹底周知されて、ようやく終了点
に達する。ロワーダウンでするするとつり降ろされる。
「あそこは、思いきってガバをとりにいくと、あとはラクなんです」とCさん。なるほ
ど、思いきりが悪かったのか、とうなずくが、そのときは、体が萎縮して動けなかった
のだ。はっきりいって、怖かったのだ。
B子さんがテルモスのコーヒーを出してくれる。やさしい性格を持つ方のようだ。
国友が親切にもリードクライミングの練習をしましょう。といってくれる。近くのや
さしいルートで、トップロープをセットして変わるがわる練習する。トップロープはあ
くまで安全確保のためのもので、練習するひとは、もう1本のロープをつかって実際の
リードクライミングと同じようにしてに登るのだ。ビレイする人が二人必要という贅沢
な練習方法だ。
私はもっとかんたんな岩場で、丹沢の広沢寺ゲレンデというところが多かったけれ
ど、何度かリードクライミングをしたことがある。小川山では数えるほどしかない。こ
のシステムなら安全にリードの練習ができる。「これなら安心だね」cさんもいう。し
かし、これで上からの安全確保のロープがなかったらどんなに緊張することだろう。
B子さんは、覚えがいいのか、神経が丈夫なのかまたたくまにリードクライミングの
コツを実につけたようだった。
ランチのあと、朝方に見た、小川山ストーリーという例のルートにむかう。人気ルー
トらしく、順番待ちになっている。あいているほかのルートで練習してから再び小川山
ストーリーにとりつく。トップロープだったが、そこそこ登りきることができた。「な
かなかいいルートですね」と一人前の口をきく。自分がうまく登れたルートはつねに
「いいルート」なのである。
登りおえるといきなり饒舌になるのは私ばかりではないようだ。同じルートをきれい
に登りきったcさんは「今度はリードしたいですね。クライミングは力よりもテクニッ
クが大切だから、年はあんまり関係ないようですよ」と私にいう。うん、うん、そう
か。私ももっと練習して、このつぎはこのルートをリードしたいものだな、と思う。
国友とAさんは二人でもっと難しいルートを登りにいってしまった。連れられてクライ
ミング派の3人がトップロープで交代交代登る。クライミングにきていると、登っている
時間は案外短く、ビレイしたり、他のひとがのぼっているのを見物したり、おしゃべりし
たり、食事したりする時間が多いものだ。自分が登る時は必死だが、それ以外の時間は
ゆったりと流れるのがいい。
やはりするすると登ったB子さんが、自宅が私と同じ沿線にあることを知って、「今
度、ぜひクライミングジムにいって練習しましょうよ」と言ってくれる。若くて美しく
てやさしい女性から誘われるという経験を半生のあいだ持った記憶のない私は、いちも
にもなく、「ぜ、ぜひ御願いします」と答える。よーし、こんどは小川山ストーリーを
絶対リードするぞ。ヤッホー。
いつのまにか戻ってきていた国友が彼女の発言を聞き逃すはずがなく、しっかりと出
張ってくる。「あのジムは…」と知っているかぎりの話題を提供し、「じゃ、いつにし
ましょうか」と日取りまできめてしまう。次の小川山でのクライミングの予定も決めて
しまった。
クライミングは楽しい仲間とやるのがいいし、そこで切磋琢磨することで上達するの
ではないかと思う。だからそんな友達の輪がひろがるのは素晴しいことだ。
いつのまにか日が傾いていた。焼肉でも食ってかえろうぜ。と国友がいう。Aさん
が、「いいとこ知ってまっせ」。B子さんも「素敵ね」と賛成してくれる。若い女性と
焼肉をつつくということもここ何年もなかった事件だ。
体をつかわない日に美食飽食するのは罪悪感がともなうものだが、クライミングとい
う大仕事をした日には、なにを食べても許されそうな気がする。B子さんに上カルビで
もご馳走したい気分だ。われわれは川上村の街道ぞいにある焼肉屋へと車でむかった。
(やまなか よしろう・自由業)
KIM同人ヨセミテ・クライミングキャンプ
糸尾汽車
HIKARI CLIMBING MOBY DICK 10b,EL CAPTAIN
みんなでヨセミテでクライミングしよう、ということでやりくりして行ってきまし
た。天気にめぐまれそこそこ楽しんできました。3チームにわかれていきましたが
、ぼくの場合東京からで、土曜日から翌日曜日までの9日スケジュールで中5日た
っぷりとクライミングできました。近くて安上がりでいいな、とおもいました。
1997.6.3-13 晴介、賢二
6.7-12 光、もも、
6.7-13 KISYA
6.9-13 CHU,TOMY
6.7 ビレッジのマーケットで先発の晴介、賢二とあう。先発はタイオガパスで二三
日スキーする予定だったが、肝心の道があいていず、クライミング一日とハーフド
ームへのハイキングをして時間をつぶしていたとのこと。うち丸一日は 大雨だっ
たとか。またスワンスラブでクライミングビギナーの賢二が回収し忘れたぬんちゃ
く付カマロットが 二個消失、しょげていた。 掲示板に落し物探して、とだしたと
ころ、あちこちで話題になっていたが、14日現在まだもどってきていない。情報が
まわっているので、そのうちもどってくるかもしれない。
坂本真一氏来天。明朝エルキャプ横のビッグウオール、ゴールドウオールは入ると
か。賢二ボッカをかってでる。
6.8
2チームでナッツクラッカー5.8、5ピッチを登る。のんびりグループが登っていて
時間がかかる。
夜井上大助、白水氏来天、酒を飲む。荒巻鮭子氏とともに明朝ソルトレイク移動と
か。そういえば遠藤由加氏も定住生活を送っている。あまり交流はなかったけれど
関西系のクライマーも数人いた。
6.9
明け方アライグマがごみをあさりにくる。
ロワーヨセミテフォールのブマー5.9を登ったあと、トップロープでレイジバム10d
。帰りがけにまたスワンスラブでフィンガーの9を登る。この日、光、ももはヨセ
ミテフォール脇をメドウまでハイキング。登り3時間とか。夕方マーケットでCHU,T
OMYとあう。
6.10
またまたスワンスラブ、ここはヨセミテのガマスラブだあ。レナズ・リーバック5.9
をのぼる。チャーチボウルに移動してチャーチボウル・ツリー10aと脇のボルトルー
トのエナジザー11bにトライ。前は上部トラバースで敗退、後者は下半で敗退。
ほかのメンバーはビショップテラス5.9、ジェイコブラダー10c.
なんとここでビレイしている足元にガラガラヘビがでる。
クマが出るとは聞いていたが。
6.11
エルキャピタンエリア。ラコイスタ右5.9。モビーディック10a.そのあとChu,Tomyは
ナッツクラッカーにでかけ、渋滞にはまり暗くなるころもどる。毎夕恒例のカレー
ビレッジのピザ&ビールタイムに間に合わなかった。夕方光、もも去る。
6.12
クッキークリフエリア。
CHUさんキャッチー10d。晴介、Kisya,アウターリミッツ1ピッチ目10b.後者は二人
で交互に攻めてやっとぬける。こわかった。夜坂本氏無事戻る。ナチュラルハイと
のことで酒ものまず。
6.13
現地三々五々解散。晴介さんといっしょにバークレーで買い物。15日帰国。
晴介、CHU TOMYは、何度かここでクライミングをしているのでなにかと話しがはや
かった。
ヨセミテは難しいところが多いぞ、と脅かされていましたが、たしかに難しいとこ
ろはおおいけれど、簡単なところもたくさんあり、それなり楽しめます。ビギナー
も目立ちました。ローカルクライマーにとってはほかにもいいところがあるので、
わざわざ高い入園料をはらって大観光地のヨセミテでなくても、という感じなので
しょう。ヨセミテならではのビッグウオールを登る人は別ですが。またあまりうま
くないヨセミテ詣での外国人クライマーが目立ちました。でもここは何でも便利で
キャンプ生活が快適なのがよいです。
ボルトが少ないので、やっぱ、ナチュプロのテクが必要です。慣れないひとはここ
で練習するのがいちばんてっとり早いでしよう。すぐもうまくなります。
山口裕子さんなどの最新レポートが参考になりました。ありがとう。
詳しいレポートはROCK & SNOWのホームページに他メンバーが近日中にアップします
。
ところで(写真もとってありますが)ガラガラヘビがでるとなるとこれはヨセミテ
でいちばんこわいことのひとつなのでは? ビジターセンターの動物コーナーへで
もいって、この件、確認してくればよかたのですが…。
9でも大変なもの、スイサイドのクライミング
徳地保彦
日時 1997-5
メンバー 森光、徳地保彦(記)
ある日のスイサイドでのクライミングのレポート、あるいは10&アンダークライマーの言い訳
傾斜はないんだが、けっこう緊張している。いつも練習している岩も同じ花崗岩だがここのはもっ
と白くてなめらかだ。赤っぽくて結晶の粗いジョッシュアツリーの岩ともまるで違う。どちらかと
言うと小川山の岩質によく似ている。この白い岩に南カリフォルニアのギンギンの太陽が容赦なく
照り付けている。まぶしくてサングラスをつけていても岩の凹凸がよくわからない。まるで雪壁を
登っているような気さえする。久し振りのロープクライミングなので、グレードが低いわりには奮
闘しているのが自分でよくわかる。トップにたってどんどんロープを引いていく快感をほとんど忘
れてしまったようだ。少しやさしくなってやっとワンピッチ目のビレイポイントに到着した。
半年ぶりにまた日本から友人が来た。彼は毎年2回カリフォルニアの出張があり、そのたびに
近郊の岩場を楽しんでいる。きょうはまだ彼が触れたことのないスーイサイドへ来てみることにし
た。スーイサイドはあの有名なタークイッツの向かいにある。アルドルワイルドの町からも臨める
タークイッツの巨大な露岩にくらべれば、スーイサイドの方はかなり規模が小さい。それでもウイ
ーピング・ウォールの大スラブでは、どのルートでもバッチリ3ピッチはある。スラブばかりでは
ない。インソームニア(不眠症)と呼ばれる5�M11Cの素晴らしいクラックルートもある。ボルト
ルートや人工壁ばかりやっているスポーツクライマーがしっぺ返しをくらうルートだ。車を降りて
から岩場まで、ゆっくり歩いて20、30分なので、ゼロ分アプローチに慣れた南カリフォルニア
クライマーでもたどり着くことができる。ジョシュアツリーなどのハイデザートのエリアが暑くて
登れなくなる夏場は、このスーイサイドやタークイッツに多くのクライマーが集まる。
僕もその友人も実力のほどはと聞かれれば、正直なところ5.10がいいとこだろう。毎週末、同
じルートで何回もハング・ドッグを繰り返せばもっと上級の課題がこなせるようになるかもしれな
いが、もうそんなにひとつのルートに思い入れができない。グレードが低くても登ったことのない
ルートはくさるほどあるし、僕の場合は、何回も同じルートを登っても十分楽しめてしまう。そう
いう理由でとりあえずこの「サーペンタイン」というルートを試してみることになった。グレード
は5.9でふたつ星だ。一度は登っているはずだが、だいぶ前の事でほとんど記憶はない。友人には
少しものたりないかもしれないが、僕にはこれくらいのレベルが最高に岩登りを楽しめるグレード
だ。
最近では、5.10くらいのルートはモデレートなどと呼ばれ中級者向けの比較的容易なものとさ
れている。まして、5.9などは初心者向けのつまらないルートというイメージが日本では定着して
しまっているようだ。それには確かな理由がある。日本でフリークライミングが始まった頃は、登山
やアルピニズムの観念からなかなか抜け出せずにいた。純粋に岩登りだけを楽しむという新しい価値
観はすんなりとは受け入れられなかったのだ。それまでは日本で岩登りと言えば、雪渓をたどり、
落石をかわしながら岩壁を登ることだった。そして頂上には必ず到着せねばならなかった。困難な
場所はハーケンやボルトをベタ打ちして人工で越えていくのが常だった。ところが、小川山や城ケ
崎などに次々とフリーのルートが開拓されるようになると、あっという間にかなり多くの人達がい
きなり5.11や5.12をこなすようになってしまったのだ。5.9や5.10のグレードが日本であまり
注目されなかったのは当然だろう。みんながフリークライミングを楽しむようになった頃、気が付
くとすでに日本でも5�M13なんてとてつもなつ困難なグレードが登場していた。
ところが、僕らにもすっかり馴染みになったヨセミテ・デシマル・システムが生まれたアメリカ
のクライミングシーンではかなり様子が違う。このデシマル・システム、実はヨセミテではなく上記
のタークイッツで使われ始めたらしいが、何とアメリカでいちばん最初の5.9が今から40年以上も
前の1952年に、このタークイッツで記録されているのだ。あのロイヤル・ロビンスがフリー化し
た南壁の「オープン・ブック」というルートだ。5.10やら5.11のルートが頻繁に出てくるのは70
年代になってからだから、アメリカのクライミングにおける5.9というグレードの歴史的意義がうか
かれる。ほぼ20年近くにわたり5.9が最上グレードとして君臨していたのだ。そういう事実を見て
みると、その後登場した5.10がいかに困難であったかは疑うべきもない。もちろん、道具や技術の発
展に負うところも大きいが、この困難さは今日でも変わらない。長くランアウトしたスラブや、不安
定な体勢でロックスやストッパーを選びながら登るクラックを試してみるとよくわかる。ボルトで保
護された前傾壁のムーヴをこなしていく現在のスポーツクライミングとは明らかに違う難しさだ。初
登攀の状態が比較的よく保存されているアメリカの岩場では、5.9や5.10のモデレートのルートで
も十分クライミングの醍醐味が味わえるのだ。いや、むしろこういうクラシックルートにこそクライ
ミング本来の面白さがあるものと、今だ5.11をてこずる僕たちは信じて疑わない。
さて、2ピッチ目は友人がリードする。大きなスラブをロープがスルスルと伸びていく。彼はき
のうニードルズも登ってきたのでずいぶん調子が良いようだ。相変わらずギンギンの太陽で、露出し
た肌がジリジリと焦げて痛い。南カリフォルニアのクライミングでは雪がなくても日焼け止は必携だ
。めんどうなのであまりつけない。おかげで顔や腕はトカゲの皮のようになってしまった。谷をへだ
てたタークイッツの上には少し黒っぽい雲が現われているが、雨を降らせるほどの勢いはまったくな
い。痛むような陽射しを少しでもやわらげてくれれば良い方だ。取り付きのあたりにワンパーティ来
ているがスラブの中には僕たち以外だれもいない。あまり傾斜のないスラブでも遠くからみれば、必
死に岩壁にしがみついているように見えるかもしれない。実際は、白い大きな花崗岩のスラブの中に
いると、自然の一部になったような気がしてとても気持ちが良い。ちょうど樹木にかこまれて森の中
にいるようなまものだ。都会の面倒なことはすべて完璧に忘れてしまっている。友人は核心部もなん
なく越えビレイポイントに到着した。このピッチを終えれば、次はもう最終ピッチだ。傾斜がだんだ
んと緩くなって終了点となる。こんなに気持ちが良ければ緩傾斜でも楽しいことは請け合いだ。
5.9バンザイ! モデレートバンザイ!
気分はボニントン
北見康雄(詩人)
岩登りは好きだが、のぼせあがるほどでもない。
酒飲みの友人に何人か山好きがいて、夏の北アルプスや冬の八ガ岳などに連れていっ
てもらった。3000メートル近い山の稜線をゆっくり歩いているとなんだか気分が
大きくなってきて、天上から下界を見下ろすとこんな気持ちになるものだろうか、と
思った。物を書くという仕事がなぜか空しいことではないか、と思ったのもそんなと
きだった。
冬の八ガ岳では、そんな気分がさらに増幅された覚えがある。夏とは異なる引き締
まった空気のなかにいる自分がひとまわり大きくなったような気がしたものだ。
自然のなかにいると人間が小さくみえるとよくいわれるが、それとは逆の感想だ。
酒を飲むと気持ちが大きくなるものだが、それとも異なる。
イギリスの登山家ボニントンの生写真をみたことがある。どこかヒマラヤの山を登
りにいく途中か帰りに撮ったもので、限りなく澄んだ青空と氷の高峰をバックにス
キーストックをついて立っている記念写真だった。ヒゲぼうぼうで、薄汚れたジャ
ケットを着ていたが、なぜかとても偉大な男のようにみえた。
人間はこういうことをするのが本当なんだな、格好いいんだな、と無精に思った覚
えがある。こういうこと、とはなにかよくわからなかったが、少なくとも、澄んだ青
空と高い峰の見えるあたりを歩くことが、人間が本来やるべきなにかに近い、と思っ
たのにちがいない。しかも、着ているものや身だしなみなんかは、どーでもいい、と
も思ったのにちがいない。パソコンにむかってどうでもよいかもしれないザレゴトを
書いているのはボニントンのやっていることとは対極にあるものだ、とそのときは
思ったはずなのだが…。
10月のはじめ、山登りの若い友人、西宮雄太と北アルプスの剣岳のむかった。室堂
から別山乗越までのぼると、視界に剣岳の大きな山塊が青空といっしょに飛びこんで
きた。風が冷たい。
「明日までもつかな」西宮が言う。いま天気がよいのはありがたいが、秋の好天は長
くは続かない。明日は念願の剣岳の岩登りをするのだからこのまま続いてほしいものだ。
剣沢小屋には3時くらいに着いた。未明に東京を車ででてきたのだから早いものだ。
小屋は空いていた。暖かい談話室で山のビデオをみてくつろぐ。
小屋の主人に聞くと、ひさしぶりの好天らしい。
「今年は雪がすくないので、長次郎谷も、平蔵谷も登れない」という。
そうなると八ツ峰上半の縦走は難しいね、6峰のクライミングも無理だ。このあたり
に詳しい西宮が言う。
登れるのは、剣岳の本峰の南壁か源治郎尾根の1峰の成城か名大ルート、ということ
になる。
「成城ルートへいこうよ」私が提案する。このあたりではちょと難しいルートだ。
「北見さんの憧れのルートだから。そうしましょう」あっさりと西宮がいってくれ
る。かれは学生時代に山のクラブで何度かこのあたりのクライミングを経験している
という。
西の空が赤い。明日も天気はもちそうだ。美味しい夕食をいただき、早々の就寝。
夜明け前に、風がガラス窓を叩いた。外はガス。小雨も舞っているようだ。5時半に
朝御飯をいただき、6時半には出発。「これからよくなりますから」主人の言葉に半
信半疑でガスの中をでる。
成城ルートへは、剣沢をさらに下り、源治郎尾根を登りかえさなければならない。ガ
スがはれてきて、やがて朝日が顔をだし、高い稜線が秋の色に輝きだす。主人のいう
とおりだった。
目指す成城ルートが前方に見える。
源治郎尾根にたどりつくのに、大きな雪渓をわたる。表面にクレバスが走っていて、
忍び足だ。
急な尾根を岩やねじれたマツの木を手がかりによじ登る。ジャングルジムのような登
りがおわって、顕著な尾根をいくようになり、暖かい日射しがうれしい。目の下に剣
沢の雪渓と紅葉の山肌がひろがる。「お、いいね」「絶景だあ」などと言い合いなが
ら息をきらしながら登っていくと、いつのまにか源治郎尾根1峰の頂上がみえてくる。
「登り過ぎたみたいだ」西宮が立ち止まっていう。
クライミングルートへ行く脇道を見のがしたらしい。おそるおそる、登ってきた急な
岩場を下り、脇道を探す。あまり踏まれていない脇道を発見。夏の天気が悪かったか
らか、今年は人があまり来ていないのかもしれない。ヤブをかきわけ登って行くと頭
上に大きく、成城ルートのある源治郎尾根1峰の壁が覆いかぶさってくる。
「どこが成城ルートだ?」
「たしか…」西宮もあてにならない。ルート図をだして、あーだ、こーだ、と検討する。
多分あれだろうと検討をつけて、早速クライミングの身支度。
登攀用具を身につけてヘルメットをかぶると、気分がひきしまる。日陰のせいもあっ
て、身震いがでる。
「北見さん、寒いの? 震えているよ」
「武者震いだよ」くわえタバコでこたえる。
1P目は私がとりつく。出だしは緊張するものだ。慎重に登る。フリークライミングの
ゲレンデにくらべると高山のクライミングルートは、浮き石があったり、草が生えて
いたりして、コンディションはいまいちだ。小さな手がかりなど、ボロっと崩れてし
まうこともある。プロテクションも、ハーケンや古いボルトなどが主で、安心できな
い。いわゆる本ちゃんといわれる、高山のロッククライミングでは基本的に、落ちな
い、クライミングを心がけなかければならない。
できるだけ、しっかりしたホールドを手がかり、足掛かりにして、3点支持を守って
いくのがよい。これが、私の持論だ。万が一、3点のうちひとつがはずれても、なん
とか落ちずに持ちこたえることができるだろうから。右か、左か、と迷っていると、
目の前のひとかかえもある、岩がグラグラしていることに気がつく。それに触れない
ようにして慎重にのりこすと、枯れたダケカンバのはえるテラス着いた。
つぎに、西宮がスムースに登ってきて、私の持っているギヤを受け取るとそのまま、
つぎの2ピッチ目へと登攀を継続する。スラブ状の岩壁を左上へと登っていくのが
ルートらしい。10メートルほどロープをのばして傾斜がきつくなったところで動き
が止まる。迷っているらしい。登りかけては戻る、を2、3度くりかえし、「ボルト
がない…」と言っている。安全確保のボルトが適当な間隔でないと怖いものだ。それ
を探しているのだが、ないものはない。
最後には思い切って突っ込む。「ひえー。こえー」といいながら、その後は、確実に
ロープをのばしていく。50メートルいっぱいに伸び切ったところで、ビレイオフの声。
フォローする。先ほどの難所はなんなく越えられた。リードとフォローとでは、怖さ
が格段にちがう。フォロー、セカンドともいうが、なら墜落しても、その距離はたか
がしれているのだから。
2ピッチ目を登り切って、西宮のところへ辿り着くと、ハイマツの幹を支点にし窮屈
なテラスで体を縮めている。「正式のテラスではないみたいだ」50メートルいっぱ
いにのばしたので、本来の区切りである確保支点を見のがしてしまったのかもしれない。
「気がつかなかったけれど」
ここまで来てしまったからには、ここからのぼっていかなければならない。ボルトを
探す。4、5メートル上にハーケンがある。
今度はわたしがリードして、そこを目指す。さらに右手にのぼると次のボルトを発
見。本来のルートに戻れたようだ。カラビナにクリップして直上すると、居心地のよ
さそなテラスにでる。どうやらここが3ピッチめのテラスらしい。ロープがまだ半分
以上あるのでそのまま、上へ上へと登っていく。
なんと、ハイマツがあらわれ始めた。もう岩壁の核心部分は終わりらしい。ホッとし
てハイマツをつかみ、さらに登ると、傾斜がおちて、ま新しいボルトとハーケンが打
たれたテラスにでる。50メートルロープで、めいっぱい登ってきたので、本来4
ピッチに区切るところを3ピッチで区切って登ってしまった、ということらしい。
「思い出した。前に登ったときも、どれが成城ルートがはっきりとは分からなかった
んだ」西宮はぼやきながらフォローしてくる。大きな岩壁にはいろいろなルートがあ
り、さらに迷ったクライマーがハーケンを打ちたしたりするので、正しいルートを追
うのが困難なことがある。
「ま、いいか。おおむねこんなもんかな」
最後の比較的かんたんなピッチを、やはり50メートルいっぱいに登ると、1峰の頂
上直下10メートル、源治郎尾根の踏み跡にでることができた。
「お、やったね」とザックをおろし、身体中にまとわりついている登攀用具をはずす。
風がさわやかだ。あいかわらず天気はよい。ぽかぽか陽気だ。秋のこんな高い山で
シャツ1枚でいられるというのはうれしい。岩峰の頭にたつ。正面には剣岳の本峰が
おおきい。おもわず両手を差し出したい気分だ。ボニントンの生写真が脳裏をかすめ
た。ワープロにむかっている私ではなく、身体をつかって岩壁を登ることができた私
がここにいる。すごい、と思う。気分はボニントンだ。
理由もなく、きょうは偉大な一日だった、ような気がしてくる。自分までもいくらか
偉大になったようなこころもちがしないでもない。 岩登りしたあと、そんな気持ち
になるのは、大いなる錯覚だろう。とはいえ、岩登りのあとの強い満足感は、数ある
山登りのスタイルのなかでも、いちばんのものではないか。そんな気持ちを抱かせる
のは、垂直の岩場を登るという普通の人なら頼まれてもすることのない非日常的なこ
とを、おれはヤッタンダゼー、という自己満足からうまれるのだろう。もちろん、肉
体的にも筋力を酷使し、エンドロフィーだかアドレナリンだか、を体いっぱいにみな
ぎらせたせいもある。そういえば、ランナーも、走り続けているうちに、自分が、な
ににも増して偉大ななにものか、であるという幻覚をいだくことが往々にしてある、
というレポートを読んだ覚えがある。
へんな仲間とROCK & SNOW
ITO FUMIHIRO
職場でクライミング愛好会のようなものを作ってみたが、岩登りとなるとなか
なかその気になってやるものもいないし、先輩、後輩関係などもわずらわしく、
仕事の話しなどもでてきては愉快とはいえず、そのうえ、うまのあわない女性会
員などもはいってきて、遊びにいくのに、嫌いな奴につきあう理由もないという
ことで、いつのまにか、立ち消えになってしまった。
クライミングで面倒なのは、パートナーとよばれる相棒というか仲間がどうし
ても必要だということで、また僕自身の性格からか一人遊びが不得手ということ
もあり、いつも仲間を探すのに苦労している。50に近い年になると、まわりは
仕事大事、家庭大事人間でみちみちていて、なかなか遊んでくれる人はいない。
それでも、長く遊びあるいていれば、自分に似たような人に出会うこともあっ
て、たまにはつきあってくれる人もいる。、そこそこ、気が合えば、じゃ、また
、ということになる。そんな連中が一人二人と,集まっては去って、去っては集
まって、クラブというよりは、好きものの緩い集まりのようなものができてきた
。
独身ものが多いのだけれど、堅気からプー太郎まで岩か雪が好きという一点と
いうか二点が共通する、ま、野外遊び人ともいうべき連中だ。暇と金をつくる
のに大きな犠牲をはらってはいるが、わがままのためにはそれも仕方なしと割
り切った男と女たちだ。そんな連中とでかけた僕の最近の山遊びを並べてみま
す。
1月10日 9日にテレマークの後生掛レースにでてその翌日、温泉自炊棟か
らHとIと犬とで八幡平往復。好天でいうことなし。
3月22日 福島のデコスキー場というところでNとAとKと待ち合わせ。西
だいてんから西吾妻こえて周遊スキーツアー。悪天なれど下山尾根のブナ林は
絶品。23日、Kと二人で裏磐梯から磐梯山登頂スキーツアー。好天、頂上で
見知らぬグループから酒と鍋いただき。
3月30日 峰の原のテレマークレースの翌日、2、30人で根子岳ツアー。
みんなてんでんばらばらに登るのがおもしろい。登りは短いが滑り甲斐がある
。
4月12日 浅草山荘でHとKとIと犬と待ち合わせ、浅草岳へツアー。悪天
をついて頂上まで。13日。IとGとSと石抱橋で待ち合わせ。越後駒往復。
大好天で滑りも大充実。
4月20日 八方尾根を八方池あたりまであがり。周辺で春スキー。お手軽、
好スロープ潤沢でここは忘れられた春スキーの穴場だあ。
4月28日~5月3日 連休を利用して、カリフォルニアはシエラ山脈で春ス
キー。テント3泊。男ばかり8人のむさい集団だったがここは春スキー天国 .
5月17日 月山でスキー。18日志津のキャンプ場から湯殿山往復ツアー。
ブナの新緑がすばらし。今シーズンのスキーはこれでおしまいだ。
5月24日 モダンクラブ新規開拓中の福島県相馬市の岩場を訪問。24、2
5と雨でほとんど登れず。全国的に見て、雨がふったのはこのあたりだけとか。
むなしい。
5月31日 今シーズン初めての小川山。Kとchuと。兄岩周辺でクラックルー
トを登る。5.9がやっとでむなしい。
6月8日~13日 ぼくにとっては初めてのヨセミテ。出入り自由方式の合宿
でプーから堅気まで7、8人があつまる。連日好天で10本位のぼった。テン
ト生活で金はあまりかからなかった。
5月21日 CHUとYと小川山とんぼかえり。行きに農業軽トラと接触。泣き泣き
左岸スラブを登る。
5月28日 立ち消えになったはずの職場がらみのクライミングイベントをこ
りずに主催するも、参加3人、そのうえ6月二度目の台風上陸で雨。泣き泣き
小川山レイバックをのぼる。それ一本だけ。 (1997-7-3記)
いつになったら”中級者”?
西原彰一
クライミングという遊びには不思議な魅力があります。はずかしながらワタクシ自身
もこの不思議な魅力のためにもう髄分と長い間クライミングしております。ところが
悲しいことに、本当に悲しいことですが、なかなか上達しません。月に一度か二度の
小川山通いでは上達など望むべくもない。それで上達しようなぞとは片腹痛いと言わ
れてしまえばそれまででありますが、ともかくもそうとうに厳しい世界なのであります。
なにしろ継続することがまず大切なのであります。最近ではインドアクライミングが
かなり普及してきたようで、仕事帰りにちょいとひと登りという「フィットネスジム
感覚」でのトレーニングが可能になってはきていますが、それでも週一くらいでは「
現状維持」程度のようです。
念のため書いておきますが、これは一般論だそうです。「あ~、なんで上手くなんね
えのかなぁ」と嘆いておりましたら、友人のMに「そりゃ練習してないからですよぉ
~(ここはオクターブ上がっている)、西原さん!」と、あっさり断じられてしまい
ました。正直いって、少しやる気が萎えました。
それでは、なんだか開き直りという感じもしないでもありませんが、みんなはどうし
てるんだという気がしてきました。現在の日本のクライミング界では中級者と呼ばれ
る為にはどの程度のレベルの人達をさすのでしょうか。答えは衝撃的なものでした。
「オンサイトで10ノーマル。レッドポイントで11a~b。」というところだそうです。
そこまでいってやっとこさ中級者なのです。
余人は知らず、小生少なからず動揺せり。
かなり動揺しましたので、取材範囲を少し広げましたが、結果は同じ。ああ、聞かな
きゃよかった。ちなみに「上級者の場合は、オンサイト11ノーマル、レッドポイント
で12a~b。その上の熟達者となると、13、14でレッドポイントとなり、日本では手の
指で数えられるくらいしかいない。」とのことです。
中級者というのは、スキーなどの場合は圧倒的に人口の多い層です。いわゆる「その
他大勢」という層ですね。
これがクライミングの世界にも当てはまるとしたら、この「その他大勢」の皆さん、
つまりは街のクライミングジムとか、ゲレンデに集うクライマーの皆さんの多くは「
オンサイトで10ノーマル。レッドポイントで11a~b。」で、クライミングを楽しんで
いるということのなってしまうのですが…。繰り返しますが、かなり動揺します。
あんまり動揺しましたので、知り合いのI氏(出版社勤務、クライミング歴:そうと
う長い)にご意見を求めました。氏は露骨に不快感をあらわしながら「ふざけんじゃ
ねっ!つんだよ!」と一言。それから、ヨセミテに来てみろとか、上級者ってのが一
体何人いるってんだとかいろいろと「有用」なご意見を賜わりました。
確かに、クライミングの世界を改めて考えてみると、人工壁から、フリークライミン
グ、アルパイン、高所登攀とそうとうに広い世界です。スキーの世界と同様に考える
のはちょっと無理があるようです。
この中級者、上級者というのは、「フリークライミング」というカテゴリーのなかで
の話なのです。ゲレンデ(という風にも最近はいわないかも知れませんが)とか、室
内の人工壁でのクライミングは10bだ10cだなんて、結構いけてるけれど、本チャン
の経験はおろか終了点の作り方がわからないなんて人だって最近は珍しくはないわけ
ですから。
それにもっというなら、10bだの11cだのというグレードも基本的には「ムーブグレ
ード」なわけなのですから、それでルートのすべてが測れるというわけではありませ
ん。I氏の「ヨセミテに来てみろ」という話にもありましたが、5ピッチも6ピッチも
ある「喉がからからになる」(M談)ようなクラックルートだって、ムーブグレード
からいうと5.9だったりするわけです。
余談になりますけれど、これにもいろいろな事情があるようで、
5.9が最高グレードだったときに開拓されたようなルートの場合は、それが、
もう最高なわけですから、実際には10bくらいあったにしても、5.9と
いうことになってしまっている可能性もなきにしもあらずなのだそうです。
まぁ、そんなこんなで、けっこう複雑な世界なんですね、この世界も。「そういう面
倒な話はきれぇだあ!勝手にやってろ!」なんて、物分かりの悪いオヤジみたいなこ
とはいいませんが、やっぱりそういうことにそんなに神経質になることはないでしょう。
なんていうかですね、その魅力にまず忠実になりたいっていうところですね。「人間
」ですから、やってるうちにはいろいろと邪念が首をもたげてきます。「あいつが登
れるのに、な~んで俺が登れねんだよ」なんて思って一人ですねちゃったりもするわ
けです。「よし!やるぞ!かんばるぞ!」なんて前向きになればいいんですけれど、
往々にして小人はそういうふうになりがちなわけです。(えっ、僕だけですか?)
クライミングの魅力というのは不思議だと書きましたが、僕個人としては「己に向き
合うことができる」、「雑念を払える」、「無条件に集中できる」っていうのもある
ように思います。そういう小学校の道徳の時間にでてくるようなことが結構「直」に
自分の中にはいってくる。そういう遊びって案外ないんじゃないでしょうか、他には
。他人の評価とか、ランク付けとかを完全に否定できるほど達観しているわけではも
ちろんありませんが、岩に取り付いているときはそういうものから解放されているん
ですね。目的が、とにかく落ちない、登りきるっていうことに収束されているわけで
す。なんだかものすごくすっきりしてるんですね。
はじめてリードに挑戦したときのことをふと思いだしたんですが、ほんとに「雑念を
払って」、「集中」してました。5.7だか、5.8だかでしたけれど、「『集中の国』か
ら『集中』を広めにやってきた」というくらいに集中してました。もう「健気」とい
ってもいいくらい。登り終わって「自分を誉めてやりたい」ってな感じでした。それ
に…。
止んなくなってきましたが、ともかく、そういうことって皆さんおありでしょ。それ
がですね、いつのまにか「自分は中級者なんだろうか」なんて考え込んだり、ショッ
クを受けたりするようになってしまうんですね。「己に向き合う」より先に周りの目
が気になってきちゃう。これも、まぁある程度登れるようになってきたからなのだと
もいえるわけで、成長なのかも知れませんが、やっぱり堕落なんじゃないでしょうかね。
このあいだ、ちょっと自分でも満足のゆく一本があったんです。あとから考えてみる
と久しぶりに集中してました、ほんとに。これもあとから気がついたのですが、自分
のその登り以外のことは全く考えていなかったんです。それだけ集中できたから登れ
たっていう「逆もまた真なり」なのかも知れませんね。
でも、終了点でのあのなんともいえないよい気持、格別でした。クライミングって面
白いなぁと改めて思いました。
という訳で、まとめです。この世界もいろいろ騒がしいわけですが、原点に帰るとい
うか、その本質的な魅力とでもいいましょうか、そういうところを大事にしてやらな
いといけないですね。
という訳で、反省したわけです。ここのところ、なんとなく集中していなかった。取
り付いていても、なんかフット「まっ、いいか」なんて安易にやってたんじゃないか
と。死力を尽くして(というのもちょっとオーバーですが)だめだったっていうじゃ
なくてね、「まぁいいや」なんていうんで敗退したルートがけっこうあったんじゃな
いかと。
しかし、今更こんなこと書くと「なんだ、西原はそんなにふざけたクライミングをし
てたのか!」なんて怒られちゃうかも知れませんけれど。
でも、そううやって「集中」することでまた少しずつだけど、伸びるみたいですね。
いや、そういうふうに思いたいですね。
それでは、皆さん、ごきげんよう。
(1997-7-7記)
穂高の岩登り
都築由夫
友人には山好きが多いが、なかには岩登りをするものもいて、機会があれば誘って
もらう。
普通の山歩きとは異なって、登っている時間は短くても密度の高い時間が味わえるの
で好きだ。両手両足をつかって、岩の凸凹をたくみに利用し、ルートを考えながら上
へ上へと登っていく感じがいい。怖いという思いがいちばん強いが、のぼり終えたと
きの達成感は格別。汗をたっぷりかいてぜいぜいと息をはずませることになる。充実
の時間だ。
滝本という友人に誘われて北アルプスの穂高岳へ行こうということになった。夏の
穂高だ。
一般縦走路ではものたりない。滝本はクライマーだ。私もたまには(1年に5、6度
か)クライミングのゲレンデにいって自分のグレードにあった岩登りの練習をしている。
夏はやっぱり穂高のクライミングだね、ということで、涸沢から北穂高の東稜をの
ぼって、滝谷を登るプランをきめた。
もう若くないんだから、山小屋を利用していこうよ。と意見が一致。
車で都内を朝いちばんで出て、沢渡まで入り、上高地から歩き出した。天気もまず
まず。夏休みのシーズンに入っているから登山者は多い。
山は中高年者の登山ブームで大にぎわい、という現実を目のあたりにする。そういう
われわれも充分中年の域に入っているのだが。国民の人口比から考えるとそれが当然
なのかもしれない。
滝本が言う。「クライマーは少ないね」われわれは、ロープや登攀用具が入ったザッ
クを背負っているのだが、脇にヘルメットをつけている。クライマーはそれで見分け
がつくのだが、そんなスタイルの人種があまり見当たらないのだ。「岩場が空いてい
ていいかも」こんなにたくさんの山好きな人がいるのに、ハイキングも悪くないけれ
ど、岩登りという登山のいちばん面白い部分を味わはないのはもったいない。最近
は、タフな中高年も多いのだから。
横尾には3時についた。あと2時間で涸沢までいけるのだが、二人の間には「のん
びりいこうよ」というムードがただよっている。明日は北穂の小屋まで行けばいいの
だから、横尾を朝いちででれば充分。そんな気持ちの二人のまえにいきなり「生ビー
ル」の看板。そのままビール痛飲、風呂経由夕食後熟睡というコースが待っていた。
よく朝。顔を洗いながら滝本が言う。「ここから上の小屋には風呂はないから、こ
こに泊まれてよかった」彼ももうオヤジなのである。涸沢まで上がれば山小屋だから
風呂にははいれない、というわけだ。山にまできて風呂、風呂というのなら山ヘなん
か来るな、という一部意見もあるのは知っているが、じつは私も滝本のつぶやきに同
意してしまうオヤジなのである。だいたいクライミングするのに山小屋を利用するな
どということも昔の方たちはあまり考えつかなかったプランではないだろうか。
涸沢まではよい天気であった。涸沢槍がくっきりとガスのうえに浮かびあがり、思
わずカメラをだしてしまう。いつきても新鮮な感動を覚えるところだ。涸沢小屋のテ
ラスで休んでいると、前穂高岳の北尾根にガスがわいてきて、1峰、2峰と順番に視
界から消えていく。
夏の山は、朝早くが天気がよい。日が昇るにつれてガスがわいてくる、という常識を
思い出した。もう10時、あわててザックをもちあげ、北穂高岳の東稜へとむかう。
一般路をはずれると、私たちふたりだけになる。ガスってきて視界も悪くなる。
「やっぱ、きのう涸沢までのぼって、今朝いちばんに登ればよかったかな」
「………」滝本答えず。
ガラ場を登り東稜にでる。涼しい風がふいている。このルートは一般縦走路ではない
が、難しい岩登りでもない。ロープを使いたいところも一部あるが、そこもうまく
ルートファインディんグすれば歩いて登り下りできる道がついているのだ。われわれ
は雰囲気をたかめるためにも、ヘルメットをかぶりハーネスをつける。せっかくだか
ら稜線を忠実に辿ろうよ、と滝本が言う。
岩稜だから登り下りはあるが、稜線のいちばん高い場所をつねにキープして登ろうと
いうわけだ。
ガスが濃くなってきたが、雨がふるわけでもない。のんびり登る。あわてる理由も
ないし、ゼイゼイしているからスピードもでないのだ。ゴジラの背中というところで
ロープをだして写真をとり、証拠をのこす。こうやって、高山の岩稜を登るのは気持
ちがいい。いつのまにか北穂高山荘の前にでる。2時。このころのにはすっかりガス
で視界はとざされている。
荷物を置いて、休んでいると、「ドームまでの道を見に行こう」と滝本が言う。
滝本は古いクライマーではない。数年前からクライミングにはまった口だから、いわ
ゆるフリークライマーだ。北アルプスなどの高峰のクライミングの経験はあまりな
い。クライミングはうまいが、いわゆる本ちゃんの経験はあまりないのだ。明日登ろ
うという滝谷のドームも初見参なのである。だから、下見をしておきたいと言うわけ
だ。
本ちゃんの岩場ではルートをよく知っている人でないと道を間違えるものだ。かん
たんなトポをたよりにきて、結局ルートの取り付きが分からなくて敗退したという話
はゴマンとあるし、そのへんがフリークライミングのルートとちがうところだ。
とにかく明日のためにルートの取り付きを確認しておくという姿勢をみせる滝本は
えらい。小屋をでて縦走路を進む。ガイドブックのとおり、南峰を超えて下りにかか
るところでクサリ場があらわれる。滝谷のクライミングルートを登るには一度縦走路
から滝谷側へ何百�も下らなければならない。危険な下り道を降りてルートの取り付
きに達し、再び岩登りして登りかえしてくるというのが滝谷のクライミングなのであ
る。まさに、無償の行為というよりも徒労の見本というものだ。すべからくスポーツ
とはそんなものではあるが。「ここ、ここ。クサリ場からかすかな踏み跡がある、と
書いてあるから……、お、これだ」滝本がクサリ場をはずれガスに煙る危ういガケを
覗き込み、下り始める。
私はクサリ場をクサリをつかっていちばん下までくだってみる。ガスのなかから滝本
があらわれる。「間違えた。クサリ場の下から踏み跡に入るみたいだ」みるとしっか
りした踏み跡が足下から滝谷のほうへ向かっている。登山道のように立派な踏み跡
だ。よほど何人もの人があるいたらしい。
「数百メートルほど下り、ステンレスのボルトのあるところで懸垂下降する、と書い
てあったな」ロープなしでどんどん下る。踏み跡がいくつにも分かれてきたが、多分
あの方向だろうと見当をつけてさらに下る。
それにしても怖い下りだ。一歩間違えれば谷底へと転がっていてしまう。ロープを
だして下ればよいようなものだが、それも大変だし、しっかりした確保支点があるわ
けでもない。アルパインクライミングはアプローチのほうが危ないことがあるといわ
れるけれど、ここなど、その典型だろう。
こんなにくだってよいのだろうかと思うころ
「あった、あった」ステンレスのボルトを指して滝本がいう。
ここからは歩いては下れない絶壁。ステンレスのボルトを支点にしてロープを使い懸
垂下降をすれば取り付きに達することができるわけだ。
「OK。これでよし」
もうひとつ心配があった。持ってきたロープで足りるだろうか。僕らはフリークライ
ミング用の10、5ミリの50メートルロープ1本しかもってきていない。25メー
トル以上の懸垂下降は不可能だ。絶壁をのぞいて見るがガスで下までは見えない。
「たしか大丈夫のはずだよ」滝本、自信なし。
暗くなる前にと大急ぎで、小屋にもどる。若主人に聞いてみると
「50メートルロープならだいじょうぶですよ」とうけあってくれたのでっひと安心。
とはいえ本ちゃんのルートでは、なにが起き るかわからないから、ロープは2本ほし
いね、と反省する二人だった。
おいしい夕食後、小屋に備え付けの滝谷ノートをみる。滝谷を登るクライマーが書き入れる入
山記録だ。たくさんの人がいろいろなルートを登っている。小屋に泊まってクライミ
ングしている人もけっこういる。「ここは昔からクライマーの宿ですから、どんどん
使ってください」若主人が言う。涸沢のテントからここまで往復するのはたいへんだ
からこれからはここに泊まるひとがふえるだろう。
翌朝、なんのことはない。ざーざー降りの大雨。
「こりゃ、クライミングは無理だね」天気予報をきくと台風がきいているらしい。これ
以上ひどくならないうちに下りようと、衆議一決。
土砂ぶりの雨のなかを退散したのだった。
滝谷の岩登りはできなかったが、昨日の東稜の岩登りが楽しかった。昨日の滝
谷の下降路の探索もスリルがあって面白かった。小屋での一夜ももちろんだ。急転直下
の悪天も高山ならでは。フリークライミングと異なって、高山のクライミングはいろい
な要素があって賑やかだ。来てみて初めて納得のこともあった。
アルパインクライミングは山登りをさらに面白くしてくれる素敵なジャンルだ。
実名入り ザ・レーサーの道
糸尾汽車
カルデロンカップでは、マスタークラスに19人もエントリーがあった。前夜
のウエルカムパーティにも出席せずしっかりとベッドで休養をとっていたので、この
ことを知ったのはレース当日の朝だった。いつもの少人数での勝負とたかをくくっていたが、
19人ともなれば確率的にも、甘い汁をすうのは難しいだろう。
聞けばあの北田というおやじもマスターにでるということだ。北田にはかつて一度も
スキーのレースで勝った記憶はないから、その実力の差はいかんともしがたい。その
ほか榎本とか小田切とか池上、政井とか、年はくっているが油断のならない敵がたく
さんいることがエントリー表をみると分かる。
マスタークラスのレースは私が最初の出走順だった。おもいきり飛ばしたがそれほ
ど早い気はしない。ランセクションでもモタモタしているのが自分でもわかる。なん
とか転倒もせずゴールイン。ふーふーいいながら電光掲示板をみる。1分10秒台。
2番手の榎本がゴールをきった。1分17秒。ふふふ。
つぎにやってきたのが北田だった。掲示板にタイムがでる。1分7秒台。また負けた
。つづく10数人にはなんと10秒を切る者はいなかった。みんなオレよりも若いの
に、案外たいしたことはないのである。
二本勝負だから、つぎにうまくまとめればけっこうイイ線いけるかもしれない。も
し北田がコケでもすれば優勝が転がり込んでくるかも知れない。甘い予感が脳裏をう
ずまく。とはいえ北田は転ばないことで定評がある男なのである。やっぱり難しいか
…。
2本目。同じような滑りでなんとかゴールに達する。1分9秒台。1秒縮めてやった
。ふふ。北田は?と見ると、破たんなく滑ってくるのが見える。くそ。ゴール。1分
8秒台。また負けた。
先週の白馬クラシックレースでは二日酔いで出走してゴロ負けした。今週こそと、
酒は夕食までにとどめ(それでも、もう飲みたくないというほど飲んだのだが)パー
ティにもでず早寝遅起きで万全の体制をつくったのに、クヤシー。
表彰式での結果は2位だった。ま、実力相応というところか。転倒することもなく
2本ともまとめたのだからよしとしよう。いやそれにしても昨日の夜のパーティのジ
ャンケン大会では笠原がスキーをあてたたり、北田が靴をあてたという。行けば良か
った。
それに今、マスターの1位の北田はカップをもらって、おまけにパタゴニアのパンツ
をゲットし、さらに佐藤錦1箱の副賞までもらってニコニコしている。この夏には山
形のサクランボが自宅に送られてくるのだ。それにひきかえ…、私は悔しさでムカム
カしてきた。手に持っていた唯一の景品、参加賞のウイスキーグラスがポロリと床に
落ちる。ガチャーン。長谷川おとうさんがちょうど挨拶をしているところで間がわる
い。あのバカ西原が、このときぞとばかりに、大恥おとこ! と叫んで大笑いしてい
る。なんということだ。
次回こそうまい方策をかんがえなければ。そうだ、北田のいないレースに出るように
しよう。それでなんとかなるかもしれない。北田のでてこないレースをを調べだして
、そこに私はでる算段をしなければならない。それが50歳を目の前にした私のレー
サーとして残された唯一の道なのだ。
おわり。
メローイエロー
内藤ヨナス(彫刻家)
たぶん今年最後の冬の日だったと思う。完璧な西高東低の気圧配置に
なり、等圧線は東の海上にグラマラスな女性のように張り出していた。ガ
イド稼業のテツと女性クライマーのヨーコ。いつものメンバーで今回はア
イスクライミングと冬壁をやろうと、赤岳鉱泉へやってきた。早朝の空は
昔ミルマスカラスが着けていたマスクのように真っ青で、その空をすかし
てダイアモンドダストの舞うアプローチは楽しかった。この光景も今年は
これが最後なのかと思うと淋しい気もしたけど。ジョウゴ沢のF1は完全
に埋まっていて、F2もキックステップで登れた。もっと足をのばして乙
女の滝まで行くと、けっこうバーチカルな氷柱が立っている。テツが軽や
かにリードしていく。初心者の僕はトップロープを張ってもらい、けっ
きょく大量のかき氷を製造し、太ももに落氷で大きな青アザをつくった。
でも、笑いがとまらないほど面白かったのだ。
翌日は曇天。小雪も舞う。中山乗越を横岳西壁へ向かった。中山尾根
の下部岩壁にたどり着く頃には、雪は風をはらんで吹雪のようになってき
た。少し迷ったけれど昨日のグラマーな天気図を思いだすと一時的な風雪
だと判断して僕らは岩に取りついた。
岩の状態は予想以上に悪い。ホールドというホールドに雪が着いて氷
化している。出だしの悪い1ピッチを雪かきをしながら登っていく。下部岩
壁の中間辺りまで来る頃には完全な吹雪となり、気温もグンと下がった。
リードするテツのマーモットのオレンジ色のウエアがあっという間に雪の
灰色に消える。僕とヨーコは手をこすり合わせ、足踏みをして、凍傷にな
らないようにしながらテツをビレイした。それでもヨーコの目出帽から出
た顔の部分はどんどん白くなってくる。これはヤバイかな、と思ったけれ
どテツは突っ込むつもりでいるらしい。あやういトラバースに出た。岩は
雪にくるまれて、どこにアイゼンを蹴り込んでいいのか分らない。わずか
に張り出した木の根に出っ歯をかけるしかない。ヨーコがピッケルを壁に
打ち込みながら一歩を踏みだす。木の根にアイゼンがかかる。横這いに慎
重に進み、あとわずかでトラバースが終えるというとき、木の根がバキッ
と音をたてて折れた。ヨーコはトラバースでザイルが伸びていた分、長い
距離を谷に消えていった。一度、木にぶつかってそれをへし折る音が聞こ
えたのを最後に、吹雪のカーテンが視界からヨーコを隠した。
不思議なのはパニックで頭が真っ白になるとき、いつも音楽が聞こえ
てくる。その曲はきまって、ドノバン(注1)の゛メローイエロー゛(注
2)だった。悪い予感がする。女の子にふられたときも聞こえてくる曲だっ
たからだ。
ザイルはピンとはりきっている。僕の叫ぶ声は自分の耳にとどく前に
吹雪にかき消された。゛メローイエロー゛が一曲終わってもヨーコは姿を
あらわさなかった。レコードプレーヤーのオートリピートがもう一度同じ
曲をかけ始めたとき、メロー(注3)の黄色のウエアが僕の視界にとびこん
できた。ヨーコは雪壁をダブルアックスで登ってきたのだ。全身雪まみれ
だったけど、メローの黄色は確実に僕に近づいてきた。
ボロボロになりながら、上部岩壁を越え地蔵尾根を下った。幸いヨー
コは外傷はなかった。顔と手の指に軽い凍傷をおっただけだ。僕の方は睫
毛に張り付いた氷を無理やりはがしたとき、上の睫毛がぜんぶ抜けてもの
すごく間抜けた顔になったぐらいだった。
でも、新たな発見があったことが今回の収穫だ。゛メローイエロー゛
もたまには幸運を呼ぶっていうことだ。
注1、「ドノバン」:イギリスのロックシンガー。その後フォークに転
身。ブラザーサン・シスタームーンなどの曲がある。
注2、「メローイエロー」:ドノバン初期の代表的な曲。アルバム「メ
ローイエロー」に収録されている。
注3、「メロー」:正しくはMELLO`S。イタリア、サマス社からだしてい
るクライミングウエアのブランド名。
師匠
ITO SIZUKA 伊藤 静
分相応とはとても思えないがクライミングバリバリの彼が、13上の僕をときどき
こう呼ぶので、こっちも合わせる。
「ん、なんだ”弟子”?」
「連休、カエラズ・イチ(不帰I峰)行きましょう」
ひゃぁ、くたびれそうぉ..と咄嗟に思ったがそうは云わない。
「雨降ったらやめような、連休って雨多いぞぉ」
年の往った仲間の間でここのところ僕がタマナシ・オヤジと呼ばれていることを弟
子は知らないのだ。連休の頃の”断壁”は木登りだ。そう、まるで”垂直のジャン
グル・ジム”。前に登ったのは大昔だがその核心部を思い出すといまでもうんざり
する。
8年前ペルーで800mのアイス・フルートを二人で狙ったとき、彼は5200m
の取り付きで高熱をだしてしまった。肺水腫寸前の彼を麓までひきずりおろすと今
度は僕がまいってしまった。僕たちはふらふらになってお互いを励まし合いながら
、3日間かけて25k離れた一番近いインディオの集落に辿り着いた。それ以来、
僕は彼の”師匠”になったらしい。
ところが、黄金週間は初日から本当に雨。連休とはいってもそう長く休める訳では
ない。1日のロスで予備日が削られ、2日だめなら、たぶん中止だ。といってのっ
けから濡れてまで強引に山に入るのは恐ろしい。
休暇ばかりか予算まで乏しい僕たちは、二股近くで不景気を象徴するような工事を
途中で放棄したらしい、まるでテレビ・ドラマのセットみたいな”別荘”を見つけ
て、そこにベースを構えた。
塩野七生の「パクス・ロマ-ナ」をひとしきり読んでから街に出かけ、コーヒー一
杯でビデオが好きなだけ見られる喫茶店に入って時間を潰す。弟子がそわそわと年
中雲行きを観察しているのを後目に、「新妻の喘ぎ」と「ミッドナイト・エクスプ
レス」を見たらもう夜になってしまった。ビールと白馬錦をしこたま買って”別荘
”へ戻る。
明日晴れたら一番でロープウェイに乗りましょう、という弟子に相槌を打ってから
、”師匠”の説法を説く。曰く、「目的の固定化」は山ヤをだめにするの巻き。コ
ロッと変えるのは得意で、彼だってそれは百も承知だ。立山からスキーで上高地を
目指したときも薬師を越えたところで嵐につかまり、太郎で停滞、天気を睨みなが
ら金作カールの滑降に切り替えた。インドくんだりまでいってもこの構えは変わら
ない。さんざん調べ上げていったその山の攻略ルートを北西稜からふらっと東稜に
変えた。そっちの方がおもしろそうだったからというだけでだ。
明日だめなら、プランを変えよう。持ち札は一杯あるんだ。たとえば3峰Aリッジ
を登ってXXルンゼをスキーで飛ばすんだ。おっと、いまなんか妙な気がしたぞ。
「なんすか?」
「なんだか、上から誰かに”読まれてる”ような...」
「やだな、気のせいっすよ、それでXXルンゼなんていったんすか、ソフィーの世
界みたいじゃないっすか。それどこっすか?」
「フフフ、明日話すっすよ(移っちゃったよ)、”小林君”」
結局翌日も雨。
しかし、今朝の気圧配置から明日の好天を楽観的に読んで、夕方近くまでビデオ(
今日は「垂乳根の焦り」と「ディア・ハンター」の前半だけ)を見てから、ロープ
ウェイに乗った。雨があがり薄暗くなりかけた尾根をゆっくり八方池まで登って、
ツエルトを張る。ブロックを切り出してツエルトの廻りに積み上げた頃には真っ暗
になってしまったが、空には星が輝き始めた。
主峰はもう無理だからここから空荷でAリッジをやって戻ることで弟子も納得。3
時に起き、5時に出発。快晴だ。空荷とはいっても、スキーとクライミング・ギヤ
、それにスキー靴(山スキーなんて持ってないんだ)があるからそう楽チンではな
い。僕はもう50に近い。ランニングや水泳で鍛えてはいるがBGMがないとだめ
。今日はシェルリ・クローだ。ふんふんふん...ランベビ、ランベビ、ランベブ
、ら~ん...。はぁはぁはあ。ゼーゼーゼーッツ、ラ~ンベビ...。
稜線には重い新雪が積もって、スキーが用を成さない気がするし、気温が上がった
と�ォに恐ろしいことになるだろう。いそいでスキーをデポし、急な唐松沢を慎重に
下った。Aリッジに取り付いてものの10分もしないうちに両側のルンゼを雪塊が
バカスカ落ちてきた。
「危機一髪っすねぇ、師匠」
「ま、こんなもんだ。...弟子、全部リードしなさい」
「へい」
弟子は雪壁も岩も軽やかにこなしていく。
「師匠、ここの岩はおもしろいけど、残置ピトンが多すぎるっす」
「なんで、そう思う?」
「...」
「そう感じさせるこだわりがあるんだな、きっと」
「要らないピトンは抜いていっちゃいましょうか?」
「ワシは自分で落としたゴミは拾うが、ひとのものまでは拾わん」
「ピトンはゴミっすか?」
「たぶん自然からみればピトンどころか人間そのものでさえゴミだ。人間などいな
くたって客体としての自然は存在するからな」
「抜くなってこってすか」
「想像力を説いている。人生そのものが想像の産物かもしれん。不要な”物”が目
に映るのはある種の力が失われているからだろう」
「ある種の力って、なんすか?」
「弟子はクライミングはうまいが、鍛えるものを間違えている。”物”にこだわり
すぎると神髄を逃す」
「逆じゃないっすか? 物にとりつかれてるから要らないボルトやピトンを打った
り残したりしてるっす」
「それも然り」
「しかし、それは”弟子が要らないと感じる物”を取り除くことと何も変わらん、
ただの裏返しだ。進むべき道は寛容な想像のなかにある」
「師匠、なんかよく分かんないけど、A0ばっか使ってるっすね。あれもある種の
力っすか?」
クッ。A1でも怒られるポイントじゃないんだけどなあ。
「あは、あは、あははは....」
クライミング中の禅問答はあまり感心しない。でも、先行する3パーティを抜いて
昼過ぎには稜線に抜けた。いまだに雲一つ湧いていない快晴だ。パンとサラミを頬
張ってから、スキーを着ける。狙っていたXXは1、2峰間ルンゼだが、いまは恐
ろしいラビネンツークになっているだろう。スキーがそう得意でない弟子はもちろ
ん、僕もびびってしまい躊躇なく中止。
この時期の新雪はスキーをひどく不快にするから、ただ八方を下るだけでも憂鬱だ
。1度のターンに100回位の思いこみが必要なぐさぐさの新雪で、弟子はさっさ
と見切りをつけてスキ-は担いでおりて行く。しかし丸山の手前までくると新雪は
消え、極上の茶色に沈み込んだ雪に変わった。一番急な斜面に飛び込む。しかし、
スキーを使うクライマーにとって、ここの核心はじつはゲレンデだ。例えば黒菱上
部の急な氷化したコブ、肩にはギヤでずっしり膨らんだリュック。山スキ-のル-
トにはない危険な課題が待ち構えている。
黒菱の壁の手前で止まろうとしたのがいけない。止まったと感じてから100分の
1秒遅れていきなりリュックの慣性に引き込まれ、40度で落ちているゲレンデ側
に吹っ飛んだ。リュックに振り回され、為す術もなくものすごいコブの海を200
m滑落して止まった。
仰向けになってそこにいると、やがて弟子のボーゲンが視界に入ってきた。
「師匠、カッコ良かったっす」
「こけたのにかぁ?」
「じたばたしないで落っこちていったじゃないすっか」
僕にも”師匠”と呼ぶべきひとがいた。アル・パシーノが演じた魅力的な盲目の退
役軍人にそっくりで、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で6年間の闘病のすえ僕に「
あきらめるな」という力強い一言と、「弥陀の請願不思議...」という親鸞の神
秘的な一節を僕に宛てて、5年前に逝ったのだ。自動車エンジンの開発に従事して
いた”師”は、地味で粘り強い技術者であり、昭和30年代に谷川岳の壁で活躍し
たクライマ-のひとりでもあった。また、卓越した指導力とカリスマ性で、オ-ト
バイのレ-ス、4輪のラリ-、米国でのスノ-モ-ビル・レ-スなどでもそれぞれ
のリ-ダ-としてチ-ムを好成績に導いた。
彼からは学ぶべきことが多すぎた。多すぎて何一つ消化できない僕は、できの悪い
”弟子”だ、と思う。それで、”師”は僕に2つのテ-マを残したのだろう。
たとえば”山”をいつまで続けられるか。
結婚して子どもを持ったり家を建てたりすることが、ひとを”山”から遠ざける。
”山”はリスクの高い”遊び”だからだろうが、しかし、そこには人生を豊かにす
る機会がちらばってもいる。
「カッコ良かったとすれば、わしもまだまだ修行が足らないってことだ」
「....」
「”足がもつれても、もつれたまんま踊り続けろ”(アル・パシ-ノの台詞)って
な」
「師匠、白馬にうまい蕎麦やが出来たっす。さっさと降りて、そば食いにいきまし
ょう」
アルパインすれすれ
さやるサヤ子 ドスドスヒーヒー、ハフハフと息を切らしてラッセルするワンピッチほど後ろ
に、3パーティーが続いていた。膝やや上くらいの雪だけどこっちはひとり。息
も上がれば足も重くなる。もう抜かれてもいいや~とあきらめて座り込むと、後
続パーティーも差を詰めようとせずザックを降ろして休憩を始めた。やな感じ~。
こちらの休憩を適当に切り上げて再び雪と格闘しはじめると、後続パーティーも
行動を開始する。これってもしかして私のトレースアテにしてるの?!。とにか
く進もう。もう少しで斜面もゆるむし、そうすればピークはすぐそこだ。さほど
神経を使うほどの傾斜ではないので、単調な機械作業のようなラッセルを繰り返
す。ようやくピークに続くほぼ平面の稜線に出た。ヤレヤレと汗をぬぐい、息を
整えていると後続パーティーはいつのまにか直後に忍び寄り、今までにないスピ
ードで「こんにちは~、お先に~」と声を掛けるが横をすり抜け、ノートレース
のピークへ一目散に直進。そりゃ~ないだろう。トホホホホ。今まで2時間近く、
がんばってきたのはアタシなのよ~。なんなのよ~。ガックリきながら着いたピ
ークは記念撮影をする一番乗りに踏み荒らされて見る影もない。
悲しくなって視線を遠くに移して見渡せば、ドカーンと仙丈、北岳、遠くには
バックリ落ちた大キレット、ツンと突き出た槍とおぼしき白い峰。対面の八ガ岳
最高峰赤岳上部は雲の中だが、見渡す限りの大展望がひろがっていた。すげ~き
れい。ガックリした気持ちも、迫り来る後続のプレッシャーでイライラしたこと
も、ラッセルの疲れさえも、360度の展望がすべてをうわまわる。
一番乗りしたパーティーのリーダーらしき男性が声を掛けてきた「いや~、あ
りがとうございました。お若い方はやっぱり元気ですね~。おかげて助かりまし
た。いや立派だ。はっはっはっ」。けっ何が立派なんだよ~。何がありがとうな
んだ~。そう思うなら最後のアレはなんなんだ~!!。あ~あ。なんなんだよ
この人たちは。うるさいよ~。無風のピーク響きわたる興奮しきったおばちゃ
んの大声。また青筋が立ちかけたけど、再度視線を遠くに移してみれば、しょう
もない事を考えるだけ無駄無駄という気持ちが涌いてくる。
「お疲れさまでした。」と言葉を返して、少し離れた場所にザックを降ろし腰を
かけた。ちょっと「ズル~イラッセル泥棒」という言葉が頭をよぎったけれど、
そんな事
考えてせっかく登ってきたピークの喜びを無駄にすることこそ不愉快なだけ一層
無駄。まっいっか~。私って街ではおこりんぼど、山の中ではちょっと違うかも
モデレートなクライミング
徳地保彦 YASUHIKO TOKUCHI
いままで打ちこんできたこと、興味のあったことが突然につまらなくなったり、いつ
のまにか
遠のいてしまったりすることがある。クライミングでも知らない間にモチベーションが
下がって
いき、気がついたらもう2、3年も登っていないなんてことがぼくにもあった。モチベ
ーション
を一定に保ち、登りたいという気持ちをもち続けることは、ひょっとしたら5・12や5
・13を
登るより難しいのかもしれない。
今回もまたそんな低いモチベーションとは無縁の友達、マイケルと週末のクライミン
グを楽し
みにきている。ぼくらはすでに中年まっさかりだし、こうやって週末出かけてくるには
当然カミ
さんの認可が必要なのだ。遅く結婚したマイケルにはこの春赤ん坊が生まれることにな
っている
し、ぼくは厄年のせいか最近いろんなことがあってミッドライフ・クライシスをつくづ
く実感し
ている。つまり、ぼくらにはクライミングが遠のいていく言い訳がくさるほどあるのだ
。それで
もウサばらしというのではないけど、クライミングに行きたいなあと思ったり、実際に
登ること
が心底楽しめて、充実した時間を過ごせたことに満足し、疲れ果てて家に帰ってくるこ
とが最高
なのだ。クライミングが楽しめる健康、いっしょに登る気の合う仲間、クライミングに
行ける経
済的・時間的余裕があることのすばらしさを実感してやむない。
それにしてもマイケルのモチベーションの高さには感心する。ロサンゼルス郊外、リ
バーサイ
ド郡の建設課に勤める彼は、毎朝4時に起きて2時間ほども車を走らせ現場に通う。カ
リフォル
ニアで2時間のドライブというと200㌔近くの距離になる。新婚だから飯場には泊ま
りこめな
い。そのくせぼくがクライミングに誘えばいつでもOKなのだ。結婚する少し前には冬
のバフィ
ン島へひとりで出かけたりもした。彼はいつでも少年のように山やクライミングのこと
を考えて
いる。そう紹介すると経験豊富でレベルの高いベテランクライマーに違いないと思うか
もしれな
い。ところが実際は体重も100㌔以上あって古ダヌキのような巨大なお腹だし、経験
のほども
ぼくとたいして変わらない。トレーニングもやる気はあっても時間がない。体が重いの
でオー
バーハングはだめ、5・9が精一杯。マイケルはぼくと同じ典型的中年週末クライマー
というわ
けだ。
マイケルがいくつになってもモチベーションが下がらないのは、カリフォルニアとい
う恵まれ
た土地で生まれ育ち、クライミングを始めたからかもしれない。夏でも冬でもりっぱな
エリアが
たくさんあるし、それぞれが個性的でルートも豊富だ。今日マイケルと来ているのはタ
ークイッ
ツという岩場でアメリカのクライミングシーンでも歴史的なエリアだ。あのロイヤル・
ロビンス
がフリー化したアメリカで最初の5・9ルートがある岩場として知られる。フリークラ
イミング
が日本に紹介されて以来すっかり定着してしまったヨセミテ・デシマル・システムのグ
レード法
発祥の地でもある。スポーツルートは少なく、ナチュプロで登るモデレート(中級)な
ルートが
ほとんどだ。それでもクラック登りに不慣れだったり、ナッツ類がうまく使えなかった
りすると
けっこう手間どってしまう。マルチピッチでルートファインディングも難しい。あると
き、頂上
で見かけた若いふたりのクライマーは8ピッチの5・8ルートを登ってきて完全にメゲ
てしまっ
ていた。「あんなに悪くて5・8ってことはないよな。5・10bは絶対ある」「それに
してもビ
ビっちゃったよな」とボソボソと話していたのを聞いたことがある。ルートファインデ
ィングに
失敗したのか、実力がなかったのかはわからないが、彼らにとって手応えのあるモデレ
ートルー
トであったことは確かなようだ。
最近アメリカのクライミング雑誌でこのモデレートという言葉をよく見かけるように
なった。
ロック&アイス誌の89号では“???(三ツ星)”という新連載の紹介でモデレートの
意味を説
明している。ただ簡単なルートをモデレートと呼ぶのか、平均的で中級程度のルートを
さすの
か、はっきりと定義づけするのは難しいようだ。だいたいは5・10くらい、ときには5
・11も
含まれるがすべてがいつもやさしいルートとは限らない。そして、ロック&アイス誌が
近ごろ行
なったアンケート調査によると、読者の43%がほとんど5・9かそれ以下でクライミン
グを楽し
んでいるという。そういう調査結果をふまえて、アメリカの5・9以下のルートを紹介
する
“???”という企画が生まれた。クライミングを楽しむ半分近くの人にとって5・9
というグ
レードはけしてやさしくはないし、上級者の目もしっかりひきつけることが条件だから
、連載の
名前は5・9アンダーなどとはしないで“???”となった。ちなみに、この89号では
第1回目
としてテネシー州のサンセット・ロックを取り上げている。垂壁やクラックを登るすば
らしい写
真が載っているが、そのどれもが5・6や5・7、あるいは5・8のルートを登ってい
るもの
だ。“???”で取り上げるルートはやさしくもなければ、難しくもない。ただ純粋に
すばらし
いクライミングを紹介するものだという。よいモデレートなルートとは、グレードには
こだわら
ずだれでも楽しめることが条件のようだ。
生活のための必要悪ともいわれる仕事の時間はもちろん、それ以外の時間も含め10
0%クラ
イミングに投資できないぼくらにとって、こういうモデレートなルートの存在価値は高
い。凡人
には5・11でさえなかなか手強く、まして不摂生でトレーニングにも身が入らなければ
、上級者
に仲間入りするのはほとんど不可能というものだ。ひとつ上のグレードばかり追い求め
るのでは
なく、視点を変えて楽しめるべきルートを楽しむ。ぼくやマイケルのような中年週末ク
ライマー
が高いモチベーションを維持していく秘訣だ。ぼくはいま、幸か不幸か南カリフォルニ
アにいる
からそんなルートには事欠かないけど、日本だって捨てたもんじゃない。小川山のスポ
ーツルー
トが難しそうなら、久しぶりに三ツ峠の鶴亀ルートだ。中央カンテだって登っていて気
持ちがい
い。谷川や北岳の本チャンルートだって快適なのはたくさんある。何回も登ったルート
でも、メ
チャクチャやさしいルートでもかまわない。腕を伸ばしホールドをつかむあの感覚、静
かにそっ
と足裏でとらえる岩肌の感触はどんなルートでも変わりない。クライミングできる喜び
、自然の
なかで思いきり遊べる幸せを忘れないようにしたい。
ところで、今日、ぼくとマイケルがタークイッツで取り付いたのはフィンガー・トリ
ップとい
う5・7のクラシックだけど、これがまた楽しい。ぼくらにとってはまさに“???”
のモデ
レートだ。ぼくはクラックが苦手だからこれくらいでもけっこうスリルが味わえるし、
今日はフ
レンズやTCUなどのスプリング付カムデバイスはいっさい使わずオールナッツで登る
ことにし
ているので、プロテクションやアンカーをつくるのが頭を使うパズルのようでおもしろ
い。岩場
自体も大きいので壁のなかでクライミングしていることが実感できる。ジョシュア・ツ
リーなど
ではちょっと味わえない雰囲気だ。第1ピッチでは少し長めのレイバッククラックもあ
ったし、
クラックをたどり左上する第2ピッチの高度感もまずまずだ。マイケルはフーフーいい
ながらも
快調にフォローしてくる。10月に入り、みんなジョシュア・ツリーに行きだしたので周
りにはだ
れもいない。やがて昼寝のできる大きなレッジに登り着いた。マイケルはニコニコしな
がら「い
やぁ、クラシックだなあ」と感激しているし、ぼくはぼくで町ではほとんど味わえない
南カリ
フォルニアの秋を、見おろして広がる紅葉の林と澄んだ青い空で満喫しているのだ。そ
して今日
も出かけてきてほんとによかったとふたりで確認し合う。こんなクライミングの思い出
が、町に
もどったぼくらのモチベーションを高く保ってくれるのだ。
クライミングを始めたばかりの、とくに若い人たちのなかにはより高度なグレードを
めざし、
困難を追求することだけがクライミングの最大の楽しみと考えている人が多いかもしれ
ない。そ
してしばらくがんばっているうちに、なんとなくモチベーションが下がりクライミング
がつまら
なくなってしまう。つねに向上をめざしていて挫折してしまうのと、マンネリ化して興
味が薄れ
てしまうのがクライミングが遠のいてしまう原因なのだろうか。低山歩きのようなクラ
イミン
グ、それでいて少しチャレンジングで緊張もする、そんなモデレートなルートがぼくと
マイケル
ふたりの中年週末クライマーのモチベーションを保っている。
写真 飯山健治 (カリフォルニア州タークイッツで)
楽しいロッククライミングと賢くて安全なトップロープ・システム
ITOO KISYA
.
まず、ロッククライミングは面白いよ
ロッククライミングは岩を登るスポーツです。駅の階段なら、だれでも登れます。
じゃ、ハシゴは? 普通の人なら、これも手と足を使ってカンタンに登れるでしょう
。
山や海にいくと、岩場によくでくわします。ハイキング道のとなりに大きな
岩の塊やら、岩壁などがあるのを見たことがあるでしょ。北アルプスなど、大きな山
脈にいくと、岩ばかりの山があったりして、これは全山が岩場なのです。海辺にも断
崖があり、これも岩壁ですね。
これらの岩場を、梯子を登る要領で、岩の凸凹を利用してよじ登れば、それが岩登
りです。これは引力に逆らって体を上へ上へと持ち上げることですから、運動であり
、スポーツであり、体にもよい、ということになります。と同時に、登る力より引力
がまされば、落ちる。転落です。これは、こわい。運動する快楽と落ちることへのス
リル感がまざって、岩登りは、かなり、面白いスポーツとなるのです。
必要な用具といえば靴くらい。専用の靴を履くと登りやすいのでさまざまなメーカ
ーから何種類もの専用靴がでています。
山や海へ行かなくても、近所の石垣でもできるのでは、と考える人、鋭いですね。
そのとおりで、近所の石垣を登っても岩登りには違いないですから、近所の人の目さ
え気にしなければ、楽しめます。
最近は、近所の目も厳しいようですから、そのあたりの事も考えて、ここ数年、流
行っているのが、人工壁でのクライミングです。これは建物の外壁や、室内の壁にコ
ンクリートの塊をいくつもボルトに止めたもので、これを足掛り、手がかりとして、
岩登りする。壁の角度も7.80度から垂直、さらに100度、120度と選り取りみど
りになっているところが多い。遠くの山まで行かなくても、また、雨の日でも、この
施設にいけばクライミングが楽しめるということで人気上昇中です。
木登りは子供時代には楽しい遊びでしたが、岩登りはいまや、山や海や町で、老若
男女が楽しめるスポーツになっています。
クライミングは怖いのでは?
いいえ、トップロープシステムでやればぜーんぜーん。
登るのは楽しそうだけれど、落ちる事を考えるととても出来そうもない、という人
もいます。当然です。が、落ちても怪我しないためにロープというものがあるのです
。
井戸のツルベのような仕掛けをつくります。岩場の頭に滑車をのようなものをくく
りつけロープを通します。ロープの片方を自分の安全ベルトに固定し、片方は別な人
に確保してもらうのです。専用の確保器がありますから。こうすれば、たとえ登って
いる最中に足をすべらせて、落ちても、大丈夫。落ちたとき、もう一人のひとがしっ
かり確保すれば、ぶらーんとぶら下がるだけ。一人が登り、もう一人が確保するとい
うわけで、この場合、二人がひと組になるわけです。
落ちても大丈夫なら、思う存分登りに専念できるわけで、より難しい岩壁に登ろう
とする人が絶えません。技術が上がるとますます面白くなる、というわけで、岩登り
にのめり込む人が増えるということになるようです。
さきほどのツルベですが、この安心なクライミングのシステムはトップロープでの
クライミングと呼ばれています。クライミングにおけるこの偉大な発明は意外にもそ
んなに古いことではありません。クライミングはもともと下からピークを目ざすこと
を第一義として発展してきましたので、このような逆転の発想と方法が考えられたの
はごく最近のことなのです。
このシステムで思いっきりスポーツとしての岩登りを楽しんでください。
このツルベのシステムは安全にクライミングを楽しむという点でたいへん優れた方
法ですが、自然の岩場にいけば、そんなシステムが備えられているのだろうか、多く
の方が疑問に思うことでしょう。残念ながら自然の岩場にはそのようなサービスはあ
りません(人工壁にはこのサービスあり)。
岩登りを楽しもうという仲間と岩場にいったら、だれかが、岩場の裏や横から安全
な道を探して登り、立ち木などを利用して滑車にかわる専用の器具を用いてツルベの
支点をつくり、ロープを架けてこなければならないのです。
質問が聞こえてきます。岩場の裏や横から安全な道をのぼる、というけれど、そん
な道がなかったら、どうするのか。
お答えします。その場合は、だれかが、こわい思いをしながら、目の前の安全とは
いえない岩場を登るのです。これはたいへんですが、また面白いことでもあります。
この場合も、トップロープとは違う方法ですが、安全確保の方法があり、落ちても怪
我しないように充分配慮してから、登るのです。落ちた場合、トップロープよりは墜
落距離がながくなります。この方法はリードクライミングといって、スリルがあって
、いくらか勇気も必要とするもう一つのスポーツクライミングのシステムです。
リードクライミングはトップロープをかけるためだけに存在する方法ではなく、独
立したクライミングです。スリルを楽しむという別の要素を含んだクライミングとい
えるでしょう。
いずれにせよ、トップロープでもリードクライミングでも、同じ岩を同じよう登る
ことができるわけで、その行為は本質的にイコールです。
どちらかということになると人の好みですが、より安全なトップロープで岩登りを
楽しまれるほうが賢い方法といえるでしょう。