date 2024年7月20日 土曜日 晴れ
ちょうどいい周回ルート |
大仁田ダムから三ツ岩岳 |
下仁田方面。鹿岳、妙義山など、ちょっと見、ここはどこ? |
カシミール3Dの展望図 |
大仁田のはずれから、あれが三ツ岩岳か |
稜線にでました |
三ッ岩岳山頂から。北側、立岩や荒船山。今日は浅間山見えません |
走行は400kmほど |
date 2024年7月20日 土曜日 晴れ
ちょうどいい周回ルート |
大仁田ダムから三ツ岩岳 |
下仁田方面。鹿岳、妙義山など、ちょっと見、ここはどこ? |
カシミール3Dの展望図 |
大仁田のはずれから、あれが三ツ岩岳か |
稜線にでました |
三ッ岩岳山頂から。北側、立岩や荒船山。今日は浅間山見えません |
走行は400kmほど |
シラケ山から下仁田方面。浅間山、妙義山、赤城山?あたりまで見えます |
天狗岩山頂の祠、向こう側は崖です |
浅間山が雲の中、荒船山がみえるはず |
えーと、この花がさかりでした |
小沢つたいにいきます。ヒルもハイカーもいなかった |
登山口の50m先が駐車場です、案内はいまいち |
天狗岩からシラケ山までわかりにくい。行きと帰り道が違ったのに気づかず |
野毛町公園(のげまちこうえん)にあります
2024年7月17日訪問 伊藤記者
環八通りの脇にある(第三京浜入口のところ)こぢんまりした公園です。が、古墳は大きいです。
近所には、多摩川台公園などたくさんの古墳がありますがここは写真撮っても映えます。
ほかの古墳も同じですが多摩川がつくった国分寺崖線の台地にあります。
駐車場は20台くらい。30分100えんでした。
古墳登って、散歩して30分ですみました。
何度かきています。野球グラウンドやテニスコート、こども公園があります |
環八ぞいには、この先、大きな砧公園、蘆花公園があります。ここは小さいけどなごみます |
墓内はすっかり解明済、刀剣など多数 |
全長82メートル、直径66メートル、高さ11メートルの円墳に小さな前方部が付いた帆立貝式古墳(ほたてがいしきこふん)としては日本国内でも有数の規模を誇る。1897年(明治30年)に発掘調査がおこなわれ、石棺が見つかった[1]。このときに見つかった多量の副葬品は、帝国博物館(後の東京国立博物館)に収蔵された[1]。
墳丘では葺石・埴輪を確認している[2]。周りに馬蹄形の溝(周壕)がめぐらされている[2]。
また、後円部に埋葬用の棺が4基あり、その第1主体部は割竹型の木棺は長さ8.2メートル、幅0.8~0.6メートルの細長く、その中から短甲(たんこう)、冑(かぶと)、頸甲(あかべよろい)、肩甲、鉄剣、直刀19振り、鉄鏃25本以上、鉄製刀子、鉄鎌、銅鏡(内向花文鏡)、銅釧(どうくしろ)刀子・手斧などの石製模造品19点、竪櫛30点以上、玉類2000点以上、靫(ゆき)ないし矢筒などで出土した。
箱式石棺からは勾玉・管玉・臼玉・鉄刀・剣・甲冑片などの武器・武具、玉類などのほか、滑石によってつくられた多種多様で大量の器具類が副葬品として納められていることを確認した。滑石製模造器具は、石履、石の台・坏・盤・甑・斧、233点におよぶ石製の刀子などである。刀子は14形式に分類されるなど、5世紀代古墳の示標となる考古資料となった[3]。
鶴見川の近く、県立のふつうの公園
2024年7月3日訪問 itokisya
池のほか森もあります。桜の名所。ふだんは空いているようす。
駐車場が2か所、オフシーズン平日無料。コリア庭園が見どころ。
30年ぶりくらい、綱島街道が広くきれいになっていました。
池めぐりして森の中を歩けます |
神奈川県立。池は灌漑用ため池で江戸時代から |
水面の高さが異なる三つの池。これは上の池 |
1990年、神奈川県と韓国・京畿道(きょんきどう)との友好提携を記念して造られた本格的なコリア庭園です。李朝時代の邸宅をモデルとし、前苑、前庭、主庭、後庭、後苑の5つの空間で構成されています。 |
けっこう広いです。右上が鶴見川 |
最近の読書
このところ吉村昭先生の本ばかり。司馬遼太郎先生の本とおんなじで読み出すと止まらない。藤沢周平先生も同じでした。目が悪くならないように気をつけなければ、と思っています。
塩野七生女史のも読みだせばおもしろい。話が長いのは世界史のお勉強のようなものだから。ベネチアのシリーズだけで6冊。ローマの物語は34冊になるそう。
ずっと前に辻邦生先生の背教者ユリアヌスをおそるおそる読んでみて意外に面白かったこともあってイタリアや地中海がすこし近くなりました。
吉村先生の本はほとんど読んでしまったので次の作家も探さなければいけない。塩野女史がまだ30〜40冊ありそうなので心配していませんが、日本の歴史ものも探してみましょう。歴史ものが好きになったのは司馬遼本のせいか。
とはいえ藤沢周平氏のは歴史ものといっても半分フィクションでエンタメです。フィリプマーローみたいな推理小説や鬼平など時代もの、作り話しはなんとなく読まなくなりました。
宮城谷昌光氏の中国ものなどもう一回読んでも面白いとおもいますが、短い人生なので2度読みは避けたいところです。
写真説明
吉村昭氏は見直しました。多作で精力的な作家。取材がすごいです。ディテールがしつこく長くて面白い。読書リストの最後に残っていた「漂流」は意外にすごく面白い。「破船」はものすごく怖い(江戸時代に役人の入らない村があったのか、とツッコミ)。「くまあらし」は怖そうなので唯一の却下作品、黒部第三ダムの雪崩の話は大昔しに読みましたがあまり感じなくて吉村先生の評価を下げた記憶が。
塩野女史の本はこの春に初めてよみましたが勉強家すぎてきつく感じました。どこまで付き合えるか。 世界史には日本史以上にこわい話が多いですね
。 |
date7月1日 月曜日 雨
member itokisya(記)
上野村いちばん人気の岩山(頂上部)
朝から雨予報ですがまだ大丈夫そう。
小雨がふり始めました。傘をさします |
地蔵峠。雨具つけると雨が上がる |
あれが山頂らしい。もう少し |
南東側、どこがどこだか霧の中 |
登りは沢ルート、下りは尾根ルート |
標高差400mでコースタイム3は時間ほど、軽いハイキングなのですが |
下山しました。下りは1時間半ほど。だれも会いませんでした |
7月1日 月曜日 雨、くもり
道の駅うえの、大きな駅ですが車泊車はほかに1−2台だけ。
7時に始動、小雨予報ですがいまのところ高曇り。笠丸山登山口住居付までは15分ほどのドライブ、1車線舗装路の脇に10台ほどのスペースがありました。
7時半スタート。標高は800m、夜明けまえのように暗い森の中をすすみます。ずーっと沢沿いの細道です。そのうちパラパラと雨、折りたたみ傘を開きます。強い雨になったので大きな木の下でようすをみます。一段落したようなのでまたゆるゆる登って地蔵峠、尾根にでました。その先岩道になったところでモンベル雨具をつけます。
向かいに笠丸山山頂が見えました、立派な岩塔です。上手に道がつけられていて、頂上下は岩場になってロープ伝いに登ります。岩の細尾根を慎重にたどると三角点のあるピークにでました。9時15分、西峰で標高1189mです。ゆっくり登ったはずなのにそれほどかかりませんでした。
東峰(祠があります)に移動して尾根ルートを下ります。降り口がわかりづらい。雑木の森の急坂ですが徐々にゆるくなります。雨はあがったので雨具を脱ぎます。1時間ほどで天満宮(天神様)の広場にでました。2つの石灯籠だけですが、社は下の集落にあるのかも。今の下り道が笠丸山の表参道らしい。
駐車場まで林道を10分ほど戻ります。10時40分終了。
道の駅うえのによってから志賀坂峠越え(国道299号)で帰京。さざなみ岩の恐竜足跡を初めて見ました。
小鹿野からは皆野寄居道路(430円)で254国道、東松山ICで関越道。日の高いうちに帰宅。
さざなみ岩の恐竜の足跡
これは必見、化石岩。志賀坂峠神流側登り口 |
全走行350kmくらい |
天気図 |
上野村や南牧村は群馬県の最南端部。東京アメッシュで雨雲みられます。 3県境は三国山です。御巣鷹尾根の山はそのすぐ北 |
date 6月30日 日曜日 くもり
member itokisya(記)
みかぼスーパー林道から西御荷鉾山
山頂の不動明王。離れてもうひとつ北向き不動もあります。奉納された鉾もたくさん |
◯囲みの大の字の切り開き。南に秩父が見えるのですが |
駐車場から標高差200m、小一時間 |
昔は神流川からのぼったのでしょう。尾崎喜八さんも |
遠くからみた御荷鉾山。ヤマケイオンラインから拝借 |
ヤマケイオンラインから拝借した◯囲みの大の字 |
神流(かんな)川の丸岩。ビッグボルダー |
神流(かんな)川の名所
神流恐竜センター |
恐竜センター名物恐竜劇場 |
上野村鍾乳石の洞窟、不二洞 |
不二洞深くて長い。標高差100mほど登るのでたいへん |
6月30日3時 |