12.27.1998

秋田駒ガ岳,森吉山

秋田駒ガ岳,森吉山 
ガスの中、だれにも会わなかった
 
moriyosi peak
 

1998-12-27,1-2

メンバー omata,harumi,kawasaki、yumi,ひろゆき、汽車、せいじゅうろう、mika,
     五味、なべ



12-28

水沢温泉で朝飯を作り、おいしくいただいて、田沢湖スキー場の駒ヶ岳第3リフトに

乗る。910に歩き出す。30分ほどでスキーからアイゼンにかえ1時間ちょとで男

岳頂上。

ガスで視界悪し。地図をたよりに、夏道どおり横岳とのコルへ。道標をみつけ、阿弥

陀池小屋へ。シュカブラで小屋は真っ白.ケーキの家のよう.

休憩後、女目岳へ.頂上から快適な滑降を楽しんで、八合目小屋経由帰還.乳頭山と、

そこへの道のりが見えた.春にいくのがよいかもしれない.林道をくだり、田沢湖高

原スキー場経由300帰着。

 12月29日

 くもり。あたたかい。山には雪雲が。ゲレンデで遊ぶ半日。夜、せいじゅろう、mika、
ハネダ夫妻入荘。

12月30日
 大白森をめざす。鶴の湯から往復のつもり。雪。雪深く薮濃く小白森下でもどる。ラッセ
ルと新雪滑走をたのしむ。鶴の湯の露天風呂がよかった。五味、なべ入荘。

12月31日 
連日、晴れ間なく、雪が舞う。今日もしかり。午前中、田沢湖スキー場でパウダースキー。
午後、阿仁町へ移動。雪深い打当温泉に入る。

1月1日
森吉山をめざすも、阿仁スキー場ゴンドラ上部駅で吹雪のため出発断念。リフトパウダーを
楽しむ。

1月2日
網張温泉スキー場経由で帰京。渋滞対策効あり、翌朝100帰宅。
連日、雪国の空模様。秋田駒の1日が印象的だった。森吉山はこの時期、好天を望むのは難しい
ようだ。来年3度目のトライをこころみよう。

11.28.1998

伊豆城山ワイルドボアゴルジュ2回

伊豆城山ワイルドボアゴルジュのクライミング
みんな黙々と登っていた
 
1998-11-28.29
メンバー 宮崎、汽車
11-28
9時には城山上の駐車場についた。国分さんグループなどがいる。
ワイルドボアゴージュ左の壁にとりつく。10Cのカルカッタにトライ。最終
の核心でおちる。
宮崎氏のアドバイスどおりやってなんとか登る。トップロープ状態でもうい
ちど。
宮崎氏がジャンバラヤをのぼりトップロープセット。ジャンバラヤ11c/
dとジゴロ11b/cを2回づつ登ったら、腕もはって日が傾いてきた。
クーリングダウンにミッドウエイ壁の10Cの後半(地球の登り方)とりつくが、腕があ
がっていて核心で数度飛び敗退。すごすごと戻る。
夜はメジナの刺身など食す。国分テントで議論噴出。
11-29
昨日の穏やかな天気にくらべ、風がつよく寒い。きのうがよすぎたのか。
チュウブロックにむかい、ストーンフリー10Cから始めるが初見では無理
無理。やっと抜けて、トップロープで復習。
ワイルドボアゴルジュにもどり、昨日のカルカッタをおさらい。レッドポイン
トできた。ロープをまわしてジャンバラヤとカサブランカにトップロープして
登る。砂庭氏きたりてともに登る。クーリングダウンにクロスロード10aを
登りおひらき。

日曜日のせいかクライマー多し。みんな上手だ。黙々と登る姿
はまるで修行僧のよう。にぎやかなアメリカ人グループが浮いていた。国民性
というやつか。砂庭邸で入浴食事。帰京。

1998ー12ー6
今週もみんな黙々と登っていた。

 MEMBER CHU KISYA KAITAKUOU


 前夜に国分氏主宰の大パーティが駐車場で開かれるとのことだったが大雨で
でおくれ、朝いちで現地到着。朝8時すぎだったが、すでに朝の宴会がはじまって
いた。雨のなか30人ほどが結集したとか。
ビールをいただいて、天気が回復しそうなのでワイルドボアゴルジュへと下る。
先週のおさらいをと、ストンフリー10C、カルカッタ10Cと登る。さしたる進歩はなし。
北山開拓王がひらいた、二間バンドのルーフルートを初登りするというのでビレイするが
テンションがはいる。張り出し5メートルのルーフだ。
先週とおなじような顔ぶれが黙々とのぼっている。ここは道場か。
ミッドウエイウオールにくだり、先週敗退した、地球の登り方10Cをレッドポイント、2
ピッチ目をちゅうさんがリードする。見た目より、むずかしい。
ライオンボトムにくだり、北山王がモンビラージュ11Cにトライ。オンサイトはならず。
釣瓶落ちの夕日にせかされるように片づけ。どさんこで魚などたべ、長岡温泉あやめ湯で
さっぱりして帰京。

11.21.1998

北アルプス立山の初滑り

FIRST SKIING IN TATEYAMA NORTHEN ALPS

北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ

雷鳥沢を滑る
 
11月、やっぱり立山はパフパフだった! 
1995年11月25日
skiing at 97-11-24 
 
暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年
もそこはパウダー天国だった。

勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く
2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断
念したに違いない。

ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立
山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜
30センチ降ったヨ」
「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ
ロしていてパウダースキーどころの話ではない。

 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、
クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、
ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。

翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか
、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に
、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を
みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で
はある。

その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明
になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。
やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって!

1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室
堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。

                           (KIM同人/I)

1997年11月22ー24日
メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車

22日
朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの
に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。
雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3
時間の行程。

23日
朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向
かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。

24日
大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣
御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。
快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。
新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足
にフィットして快適だ。
称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。
杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや
かな立山の初滑りだった。

1998年11月21-23日
メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ
ブなど
21日
朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル
からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。
先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス
キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の
不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。
22日
案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。
9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ
る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ
ぐ。
23日
吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道
を帰京。9時都内。


1999年11月21/23

21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた
、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷
鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ
ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶
好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、
水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら
すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ
ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田
さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、
けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。

22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び
に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小
屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす
べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定
した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに
撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう
ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も
っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み
も揃って行動、早い。

23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途
中食事、6時半帰宅

1999年11月29/30日
メンバー 松倉、川崎、汽車

 月・火と立山へテレマークに行って来た。
 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100
m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂
山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク
のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。
 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク
ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。
 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思
う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい
るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと
下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり
だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと
移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。
 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。
川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう
しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、
斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm
で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。
 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元
へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助
かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ
ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から
の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫
だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。
しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂
ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ
らに下っていく。
「逆に進んでいませんか?」
 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん
が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに
ポールが見える」と言う。
「さすが伊藤さん」
 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど
の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆
われた柱があった。
「室堂山荘のアンテナに間違いない」
 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再
び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。
「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」
 川崎さんが脅かすように笑う。
 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの
エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み
くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が
はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、
二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上
に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警
備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初
の雪中行だった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

11.08.1998

長野鳶岩のクライミング

長野鳶岩のクライミング
グレードが辛い

鳶岩
 
MEMBER CHU YASUDA
1998-11-8

どういう訳か去年とおんなじで朝まで雨が残ってしまい、明星山のクライミングは
中止。10時くらいから日が射してきたので、長野の鳶岩(とびいわ)にまた行っ
てきました。1年ぶり。この前も明星の代替で、う---ん便利なゲレンデです。
何しろ、あったかいし、アプロ-チが2、3分ですから。今回はやや気合が入っ
て、5.8(ハンドクラック)5.9、10b(OS)、10d、11c/dと登
りまくりました。このうち10bと11c/dはエリアを代表する三つ星らしいで
す。11c/dの方はもちろんド・テンションでしたけど、ム-ブは解決できまし
た。それに10クラスまでは辛め、11に入ると急に甘くなる傾向があるみたい
で、この11c/d(吹雪っていう名)、小川なら11aかbです、たぶん。とこ
ろがOSした10bは小川なら10d、まく岩なら10cはあると感じました。
5.9はもっと悲惨でやっちんがえらく苦労してました。僕も前にOSしたときへ
たすっと10aはあるなあって思ったもんです。

グレ-ディングの整合、標準化は、クライミングが明るいスポ-ツになるためには
超大事な課題ですよね。そうじゃないと、クライミングは相変わらず地下の密室に
集まるナルシストたちの感じからブレ-クできないんだろなあって、気がします。
(CHU)

11.03.1998

六甲山の不動岩と保塁岩

六甲山の不動岩と保塁岩
初めての岩場を2つ

堡塁岩
1998年11月3、4日
CHU,KURO,KISYA
11-3
朝8時に伊丹空港で待ち合わせ。朝飯をたべて、くろさんの車で不動岩へ。絶
好の好天、というよりも暑いくらいの一日。
あばたもえくぼ5.10Cを最初にトライ。いきなりカンテをつかんで登るが限定
とのこと。大混雑でルートがあかない。クラシックルートをのぼりピークにた
つ。
原伸也、加藤雅昭氏もくる。ナンバブラザース5.10aにちゅうさんがトライ。
10aとは思えぬムーブでテンションがはいる。トップロープでトライするが
10Cはありそうだった。
正面壁にまわり重箱5.9を登る。快適なルートだった。温泉にいって、神戸牛の
(うそうそ)焼肉をたべて、テント泊。織田ガイドがきて話し込んでいきました。
11-4
堡塁岩へ。中央稜をくだり、凹角ルートを登る。一箇所A0となる。4級プラ
スとのこと。5.9としてほしい。西稜の短いルート(西稜クラック)をちゅう
さんがリードしくろさんが中央稜のスカイフレーク5.9からコズミックライン
5.10aをレッドポイント。フォローしたが怖いルートだった。10aにしては力
のいるルートだ。
クラックのサラマン5.9プラスをトップロープでのぼり、さらにサルカニ上部に
とらい。限定外のカンテにまわりぬける。ボルト位置がいまいちだと思った。
不動も堡塁も古いルートはグレードが辛いかんじがした。
有馬温泉でかんぽの湯にはいり公園でおでんで一杯。時間潰しして、8時に飛
行機にのったら、10時過ぎに自宅についた。はやい。次回はこのやりかたで
小豆島にいきたいものだ。
岩雪143.161参照。

10.31.1998

二子山のマルチピッチ

二子山のマルチピッチクライミング
西岳中央稜

ふたごやま
 
 1998-10-31
 member chu kisya
 
 絶好の日和。6時に家をでて花園インター、長瀞経由、美しい田園をとおり、
 観光化をまぬがれた僻地をぬけ二子林道。4時間近くかかった。紅葉がきれい
 、駐車場には10台ほどクライマーの車がとまっていた。
 中央稜とりつきまで15分ほど。中央稜が大きく豪快に見える。11時すぎに
 登り出す。
 素晴しい秋晴れの日。10.5ミリロープでのぼる。バックロープに9ミリをつけて
 いく。手の切れるような石灰岩を快適にのぼり、5ピッチほどでぬける。2時
 間ちょっと。プロテクションもしっかりしていて、フレンズなどはあまりつか
 わなかった。天気がよければ秋から冬にかけて本ちゃん風のマルチピッチクラ
 イミングが楽しめるところだ。友達とちょと遊びにいくのによいだろう。
 懸垂下降で取りつきにもどりランチ。近所にあるショートピッチをのぼる。開
 拓心理学という北山開拓王の5.10a。良いルートでした。ホコラエリアに寄り
 1本ともおもったが、登れそうなルートには先客がいて、見学して写真をとっ
 て退散。プラナンの岩場にそっくりだった。いつかここにもトライしてみよう
 。
 静かできれいな山だからハイキングしても楽しそうだ。小川山にいくのと時間は
 変わらないがくねくね道のドライブがかったるい気がした。でも高速道路代は
 半分以下。
 

10.24.1998

筍山のクライミング祭

筍山のクライミング祭り
JMCC、JNCCほか

ROCK CLIMBING IN TAKEYAMA,GUNMA PREF
 
1998-10-24.25

10-24 
天気予報どおり天気がわるい。7時に都内をでたら案の定、渋滞にはまり、筍山
下のそばうち体験館の駐車場についたのは11時。雲は多いが雨はあがったよう
だ。マスター宮崎、開拓王、小林由佳ファミリーなどにぎやか。ルート開拓なら
できそうということで女岩へ。1年前に作った5.11後半の手強いルートのボルト
のうちなおし、さらにマスター宮崎の目利きで女岩の最下部の2段ハングにボル
トをうつ。
夜は、JMCCの古い顔があつまって大宴会。子連れファミリーが多く、総勢30人
くらいか。年に一度のクライマー祭りの核心はこの宴会ということらしい。小林
おやじの鮟鱇なべが絶品であった。JNCCは日本仲良しクライミングクラブの略称
であったのだ。
10-25
あけて翌朝。よい天気。ジャック中根がカラファテクラブの講習生とともにやっ
てきた。総勢30人ほどが、男岩と女岩に群がる。女岩の5.9の入門ルートに講
習会用のロープをかけ、男岩に下り5.10B/Cの岡村ルートにもロープをかける。
正面の5.11の手強い凹角ルートはトップロープでトライ。リードしたらこわそう
だが、トップロープならのぼれるよ状態はいつもと同じ。
女岩にもどり、昨日つくった2段ハングにトライ。由佳ちゃんがのぼり、小林お
やじがのぼり、田島かつらがのぼり、5.10aとしたという。僕の感想では5.10B
/Cでもよいのでは。でかいハングだから力が必要なのだ。
さらにできたての小林オヤジルート5.10Dを登る。なんとかオンサイト。古いメ
ンバーはさすがに高難度ルートにトライしている。開拓王は暗くなるまえに念願
の12のルートをレッドポイント。執念の男であった。ここのエリアの発表は
Rock&Snow99の夏号の予定。
風呂にはいり、焼肉たべて、車で仮眠して夜中の12時に現地スタート。渋滞の
消えた道を2時間のドライブで帰宅。

10.10.1998

小川父岩と唐沢滝の岩場 

錦秋の小川山父岩、屋根岩3峰南稜神奈川
大晴れの2日、名ルートばかりのぼる

小川山ストーリー5.9と南稜神奈川
 
1994-10-18.19
メンバー CHU,PEMBA.TOMMY,羽根田、汽車

10-18
10月10日をすぎるとキャンパーもクライマーもぱったりと見えなくなる、
という小川山の現象は事実だった。
先週のにぎわいが嘘のような静かさ。しかも素晴らしい天気。紅葉黄葉がみ
ごと。陽気もなごやか、汗ばむほど。朝晩のひえこみは格別だが。
ビギーナーもいるので、ひさしぶりに父岩へ。一年に一度くらいはよいだ
ろう。大人気エリアなのにあたりにクライマーの気配はない。

小川山ストーリー5.9とその右、小川山ストリート5.9プラスか、をのぼる。
TOMMY,PEMBAがリードする。快適なたのしいクライミングがあじわえる。
ストリートのほうがすこし難しいか。足場がきれいに作られていて、さすが
人気ルート。左のクライマーのクを汽車リート。10.c、のフェイスだが核心
は2、3手、以前よりらくに登れる。
左に移り、レタス畑でつかまって10d。スラブだが核心は一箇所、ボルトの
位置がよいから安心だ。終了点まで気をぬけない。
タジヤン2は10aの2ピッチのルート。1ピッチめの出だしのスラブは10a
以上あるとみた。1ピッチめはトップルートでも楽しめる。が、2ピッチ目
まで抜けるのが楽しい。

10-19
きのう以上の好天。一日中ぬくぬくしていた。
羽根田くんと二人で屋根岩3峰南稜神奈川へ。
1パーティ取り付きにいたが、さきに譲ってくれる。右の新しいルートを
のぼるつもりだったようだが、ショートルートとしり、僕らのあとにつく。
1ピッチ目は簡単なフェイス。2ピッチめは高度感のあるフェイスをのぼる。
こわがらず落ち着いていけばことさら難しいところはないはず。3ピッチめは
木登りのあとチムニーをゆく。木登り用の木がなければむずかしいかも。チ
ムニーはずりずりとのぼるのがこつ。がっちりはさまれるので恐さはない。
4ピッチ目は歩きで、5ピッチめは右にちょとくだって、さびたリングボルト
のあるのぼりやすいところを登る。45メーターで終了点、支点がないので
小さなハイマツで支点をつくる。
天気がよければ素晴らしく楽しいクライミングになるだろう。今回の僕らの
ように。


父岩と唐沢滝の岩場 
1998-10-10.11

MEMBER DCC KIM JMCC

10-10
DCCのクライミング講習会をひらく。5、6人しか集まらない。宣伝も不足だ
ったが、クライミングはけしてポピュラーな遊びとはいえないなと実感。先生
は宮崎秀夫先生。クラスとしてはちょうどよい人数。父岩でタジヤンと小川山
ストーリーなどを登って楽しむ。夜は焼肉。
10-11
北山開拓王が唐沢の滝の岩場に作った高難度ルートを初登するというので同
行、初登りのあとトップロープでのぼったり、写真をとる。絶好の好天、秋
晴れだ。早めに仕舞って、渋滞道を帰京。

10.03.1998

剣岳のクライミング

秋の剣岳のクライミング
雪がくる前のチャンスをつかむ

turugi peak
 
1998-10-3~8
MEMBER KUROKAWA,KAWASAKI,KISYA

10-3 
絶好の秋日和。アルペンルート経由室堂。暑いくらいの陽気のなか雷鳥沢の夏道をつ
め別山乗越へ。剣が大きい。秋の色が濃い。昨年はこの時期にすでに雪をまとっていたとい
う。明日もこの天気だとよいのだが。剣沢小屋に3時。2時間おくれで大阪から黒川到着。

10-4 
3時に起き、真っ暗ななか剣山荘方面へむかう。途中で爆発してぼろぼろになったテ
ントあり、。そういえばさきほど爆発音がきこえたのはこれだったのか、となっとく。負傷
者はいないようだ。それよりもなによりも、真っ暗で剣山荘に向かう道がわからずうろう
ろ。天気予報に反してあたりは小雨がけぶりヘッドランプのあかりも届かず。1時間以上
かっかって剣山荘着。

ここでしばらく様子をみようと休憩。弁当を食いながら和歌山の砒素
事件の容疑者逮捕のライブをみているうちに明るくなってくる。早起きしてチンネにいくつ
もりだったが、出鼻をくじかれ、剣岳本峰南壁にむかうことにする。7時、雨があがり、ガ
スがはれ朝日がさしてくる。好天だ。
素晴らしい朝日をあびながら南峰をこえ、本峰下に到着、下り気味にトラバースしてA2の
リッジ下の取付きに。用意しているうちにまたもガスがわいてくる。かまわず登り始める。
ややこしいので9.7ミリのシングルロープに3人がはいり、つるべで登る。1ピッチが25
m内となるが短いルートなのでそれでよし。3、4級くらいの尾根をがんがん登る。上部に
行くにしたがいもろい岩となる。11時には頂上についた。よい天気になっている。
「ランデックスみたいだね」とクロちゃんと話す。
シャモニ赤い針峰群の入門者用の岩場だ。7月にのぼった。
縦走路をののんびり下って3時には剣沢の小屋にもどる。シャワーをあび美味しい夕食をいた
だき、あたたかい部屋でテレビをみる。
チンネにいったらこうはいかなかっただろう。この小屋からチンネまで往復するのはちょと
現実的なプランとはいえないかもしれない。「ちょうどよかったね」と納得しあう。

10-5
KAWASAKIが下山。KUORKAWAと二人で源治郎尾根1峰の成城ルートへ。快晴の朝。7時に剣沢
をくだり、クレバスの入った平蔵谷出合いをわたり尾根に取付く。
今年は小雪で残雪が少なく、平蔵も長次郎谷もクレバスだらけで登れないと、小屋の友邦さ
んがいっていたがそのとおりだった。1時間ほどのぼり、成城ルートへのアプローチを見逃
し、1峰直下まで登り、あわてて下りかえす。踏み跡を発見して、取付きへ。
面倒なので50メートルのシングルロープをのぼることにする。1P40メートルのばし、2P
はクろちゃんが行く。スラブっぽい壁を左上、2、3度迷ったが50メートルいっぱいにのば
す。フォローするとハイマツの危ういテラスでビレイしていた。落ちなくてよかった。5.9
はありそうな気がしたから。正しい切れ目ではないようだ。交代して右上、ボルトを発見し
て、今度は左上、テラスをみつけたがそのまま直上、ハイマツをぬけ50メートルのばした
ところで確保点発見。クろちゃんが最後の3級の50メートルを引っ張ると、そこが1峰直
下10メートルのところだった。
源治郎尾根をマツに掴まりながらくだり出合いへ。見上げると1峰がピラミダルで大きくみ
えた。成城ルートもよくみえる。小屋までは1時間強のしんどい登り返しだった。帰荘3時
すぎ。
取付きまで3時間、登り2時間。帰り3時間。フリークライミングのアプローチを考えれば
やっていられない遠さだが、アルパインクライミングの場合は、アプローチも楽しむのだか
らいいんだね、と話す。
高い山でのクライミングは高難度のクライミングを追求するよりも全過程を楽しむ、山の雰
囲気を感じながらクライミングを楽しむのがいいね、とぼくも思った。

10-6
なんと今日も快晴。奇跡の4日連日好天。毎日晴れていては体がもたない。朝飯後、下山。
薬師の湯で風呂に入って、大町駅前で飯をたべ、東京帰着6時。剣も近くなったものだ。

9.19.1998

小川山屋根岩2峰あたり

小川山屋根岩2峰あたり
そらまめスラブ
 
menber chu,yasuda,macky,kisya
198-9-19 
chuさんといっしょに10時には廻り目平駐車場につい
た。初秋の青空がきれい。屋根岩2峰基部へ。いきなり5.
11cのドリーム2号(のちほど正確な名称を記載したい
)にとりつく。ガイチ棒など使いぬける。ソラマメスラ
ブに移動して、帰ってきたタジヤン、スラブの逆襲など
にトライ。11台なのでどれも難しい。ソラマメルート
ややわらか豆などにとりつくとほっとする。午後おそく
なって、PTAのうえの段ののフェイス、5.9で遊んで終了
。天気がよくてよかったね。

9.12.1998

小川山弟岩、おばさん岩

小川山、弟岩、おばさん岩
このあたりをいつもウロウロしてしまう

SUPER JUNIOR
1998年9月12-13日
ちゅー、トミー、汽車
9-12
渋滞にはまって廻り目平についたのは1
1時。兄岩下部でメンバーと合流、反射
炉はデイドリームをおりてきたところ
だった。
弟岩に移動。トミーがジョイフルジャム
をやり、じゃんがら5.11Bにトライする
があっけなく敗退。ムーブがわからな
かった。
ままこ岩のうらのスラブ5.10dをのぼ
り、おばさん岩へ移動。母子草のとなり
のカンテラインができていたのでトラ
イ。5.10aのスーパージュニアという
名前。カンテを左手でもってだましなが
らのぼる。下の段におりて、アガタ氏の
晴登雨読5.10B、となりの天空の戦い
5.10aを登っておひらき。夜は佐藤さん
夫妻が釣ってきたイワナで骨酒を飲む。
9-13
小林由佳、父、氏家さん、汽車
野村さんたちとウスノロマンを登りた
かったが、二人を発見できず。クライ
マーが異常に多いのだ。
きのうに続きおばさん岩へいくはめに。
由佳ちゃんがレールデュタン11aをきれいに
登る。氏家さんとふたりで母子草、こど
もをなめんなよう、レールデュタンをの
ぼり、早めにかえりました。

9.07.1998

ヨセミテ・エルキャプタンを3本

BIG WALL CLIMBING IN EL-CAPTAIN,YOSEMITE

MICKY SUIZU`S REPORT
ヨセミテ・エルキャプタンを3本
yosemiteだい
 
 98年秋、日本を出発する直前になってSAC(仙台アルパインクラブ)の志小田さんと電
話で話し、一緒に“Jolly Roger”を登ることが決まった。これに佳奈ちゃんこと大村佳奈が
加わることになった。マーセドでヨセミテ行きの最終バスに乗り、遅れた僕は1ヵ月半後、
一緒に“Wyoming Sheep Ranch”を登ることになるIan Parnellと2人でバス停前の芝生で
横になり夜を明かすことにした。久々にぐっすり眠れるはずが、まだ暗い早朝、動きはじめ
たスプリンクラーのせいでズブ濡れになって起こされるはめになってしまった。
 巨大な怪物のようなエル・キャピタンがバスの窓から見え始めると、何もかも忘れて大人
気なく窓ガラスにはりつき、木々の無効に見え隠れする岩壁を見上げた。
 一足先に来ていた佳奈ちゃんに合流し、僕から1日遅れて志小田さんが到着した。すぐに
3人で準備を始め、9月7日からマンモステラスまでの8ピッチ分のフィックスに取りかか
った。いくつかのルートが、このテラスを共有していることなどから、すでにロープが残置
されていて、僕らは自分たちのロープをほとんどフィックスすることなくマンモステラスま
ではキャンプ4から通った。
 この8ピッチ中で、僕にとっての核心は6ピッチ目で、振り子トラバースからノープロテ
クションで15�ランナウトし、マントリングをこなさなければならなかった。ムーブは難し
くないものの、遠くに見える最後のプロテクション(振り子の支点)のせいで少々躊躇して
しまった。そのまま続くA4+のセクションでは、フッキングエッジが欠け、長めの墜落をし
たしまった。次々と出てくるフッキングムーブのせいで、胃がキリキリと痛み始めていた。
9月13日にGo Upを決め、キャンプ4を一度は後にしたものの、11ピッチ目でいくつかのミ
スが立て続けに起こり、実際のGo Upは結果的に9月17日ということになってしまった。11
ピッチ目はいろんな意味で、一番記憶にの凍るピッチになってしまった。事前からの情報で
核心のうちの1つでもあった場所を志小田さんがこなせず僕と替わり、僕は運よく手も届か
ず見えないフッキングエッジにパイカの大フックをチータスティックに付けて決め、そこを
越えることができた。時間切れで翌日へ残した約10�ほどを、志小田さんがリードする際、
僕はギアを送ろうとして、コパーヘッドのぎっしりとつまった袋を落とし、次の日志小田さ
んはチヅルを落とした。これらのせいで、2度も下界を往復するはめになり、2日をムダに
してしまった。今でも壁にぶつかりながら落ちていく白い袋と、袋の口からパラパラとこぼ
れ出るコパーヘッドが思い出される。
 マンモステラスから上は傾斜も強くなり、凹角が多いせいで日陰を登ることが多く、ビレ
イ中は結構寒い思いをした。
 残り2つあったA5のピッチは、12ピッチ目を志小田さん、17ピッチ目を僕が担当した。
12ピッチ目で一度フォールした志小田さんは、墜落で抜けたコパーヘッドを根気良く打ち直
し、そこを越えた。17ピッチ目の僕は、なんとか落ちずに#1と#2のコパーヘッドが続く
美しいコーナーを登ることができた。ここまでくると、まだ6ピッチを残しているにもかか
わらず、もうJolly Rogerを登れたような気持ちになっていた。寒くて震えながら冷え切った
缶詰を食べるのは、少々みじめでもあったけど、蛇行するマーセドリバーを見下ろし、豆粒
のようになった自動車を見るのは気分が良く、近づくエル・キャピタンの頂上と、下界で待
つビールのことを思うと幸福だった。
 最後の5.9のピッチを佳奈ちゃんが登り、Jolly Rogerは終わった情報通のクライマーの話
だと僕らは通算第8登目ということだった。でも、そんなことよりも再登によってグレード
ダウンしてしまう宿命のエイドルートで、残置ギアの少ないおかげで、より初登者に近い気
持ちが味わえたことが満足だった。

 Jolly Rogerから下りてすぐに、今年エル・キャピタンを1本ソロしようと決めていた僕は、
他人のアドバイスもあり、ルートを“Lost in Americaに決め、準備を始めた。基部への荷上
げをし、2ピッチのフィックスの後、ピスタチオをたっぷり買い込んでGo Up。にぎやかな
キャンプ4から急にルートきりになるのは、さすがに淋しくもあったけど、Go Up後に聞こ
えたヨセミテを去る志小田さんからのコールや、カナダ人がずっと遠く壁の中から送ってく6日
れる「スイヅー! コンニチワー!」のコールに励まされ調子も上がり、順調に進んだ。6
ピッチ目、5.10のランナウトが、このルートをソロする上で僕にとってに核心だった。ラン
ナウト後の情報を持っていなかったせいで、僕は一通りのギアを全て持ってのぼることにし
た。フラットソールに履き替え、手にたっぷりとチョークをつけ、ソロエイドからたっぷり
とロープを出してから、突っ込んだ。傾斜がおち、楽になり、やっとプロテクションが取れ
ると、嬉しさがこみ上げた。
 ルート全体を通して、夕方4時ごろビレイ点に着くことが多く、次のピッチに手をつける
には時間が足りない。まだ明るいうちにその日のクライミングを終える日が多かった。それ
でも夜、腰まで寝袋に入り、ポータレッジの上から暗い空間へ向かってピスタチオの殻を投
げるのが快感だった。ルート自体は明らかにグレードダウンしていて、かつてA5だった11
ピッチ目はチキンヘッドと呼ばれる怖さに堪えられなかった再登者によって打たれたリベッ
トのせいでA2ぐらいに感じた。それでも結果的に目標どおりの4ビバークで登れたことに
は満足した。

 Lost in America以後は、しばらく冴えない日が続いた。ヨセミテフォールのルートを、い
くつかの理由で4ピッチでやめ、ハーフドームのソロを長いアプローチに堪えて荷上げした
にもかかわらず、くじけてしまった。
 朝の寒さを避けてカフェで昼を待つ日が続いた。

 10月半ば、親しくなったイギリス人クライマーIan Parnellと、残された日数を計算し、2
人でWyoming Sheep Ranchをやることに決めた。このルートは南東壁の北米大陸型の模様
のちょうどワイオミング州のあたりを登るルートで、A5+とグレーディングされている。
 取り付きで“Let's go to Wyoming!”という僕の掛け声にIanが“Holiday in Wyoming!”と
返し、僕のリードでWyoming Sheep Ranchは始まった。1ピッチ目は悪く、一度フォール。
初日、1ピッチ半ほどフィックスし、次の日昼過ぎにGo Upした。ルートは全体的にもろい、
薄いフレークへのフッキングが多く、精神的に疲れる。僕らのずっと左では“North American 
Wall”“El Nino”の第2登をねらって18才と19才のイギリス人ペア、LeoとPatchが登って
いた。夕方になると彼らからその日の結果が報告され、こっちも気合が入った。数日後、彼
らはほぼ全ピッチオンサイトという快挙を成し遂げた。激しい雨の日には、僕らも彼らもポ
ータレッジで足止めをくらい、僕はヘッドホンの音楽の向こうから聞こえるポータレッジの
フライをたたく雨の音を聴いて過ごした。雨の止んだ次の日、9ピッチ目のA5を僕がリー
ドし、11ピッチ目のA5+をIanが、彼の誕生日に当たるその日リードした。その夜は、チョ
コレートドーナツにマッチをロウソクに見たてて立て、ビールで彼の誕生日を祝った。
 ルートは後半“Sea of Dream”へ合流し、僕らは最後“El Nino”の2ピッチを登って頂
上へ抜けた。天気は完全に下り坂で、下降を始めるころには雨も本降りになり、East Ledge
はちょっとした滝になっていた。水をかぶり、ホールバッグと格闘しながらラペルし、下界
へ着くとそこはハロウィンパーティーを数日後に控え、サマータイムも終わってしまってい
た。キャンプ4は、シーズンオフの雰囲気が漂い始め、テントもめっきり減り、親しくなっ
た日本人クライマーはみんなヨセミテを去ってしまっていた。
 僕は11月1日、ヒッチハイクでヨセミテを後にし、更にあと4ヵ月間続く旅の舞台、南米
パタゴニアへ向かった。

9.04.1998

三つ峠から小川山へ

三つ峠から小川山へ
1998-9-4.5
MEMBER  CHU, TOMY ,KISY

9-4
 久しぶりに三つ峠へクライミングにいこう、というわけで、峠の裏登
山口の駐車場に9時前に集合。1時間ちょうどのアプローチで四季楽園
着。岩場はガスにつつまれている。取りつきまで下る。湿っぽいが一般
ルートのあたりは乾いている。平日なのでわれわれ3人のほかだれもい
ない。

この前きたのはいつだろうと考えていたが、数年まえの秋、絶好
の好天の日に楽しんで以来。あのときも峠はいいね、と思ったものだ。
アルパインクライミングの雰囲気もあった。
 16、7年まえ、今風のクライミングというのを再開したのもここで
だった。雑誌の取材がらみで、若い仲間としょうみさんのスクールに入
ったような覚えがある。フラットソール、ハーネス、エイト環、ヌンチ
ャクなど一式そろえたはずだ。高校山岳部の時代、八ヶ岳でよく岩登り
や沢登りをしたものだが、そのころには、そんな道具はひとつもなかっ
た。登山靴に自作のスワミベルト(ブーリン結びの直まきだったかもし
れない)、

エイト環など発明されていなかったから懸垂下降も肩がらみ
でおこなった。ロープも赤一色のナイロンで、麻ザイルというのも部室
にあって現役で活躍していたように思う。それでも毎週土曜日の午後は
学校の近くの二葉の岩場でせっせとトレーニングに励んだものだ。
 しょうみさんのスクールで、クライミングの楽しさを再発見したのだ
ろう。そのあとは、はまさんを師匠にして、毎週にように広沢寺に通っ
た。三つ峠にもよく来た。小川山の全盛時代のころだが、小川山はまだ
ぼくらには難しいルートの多い、遠い岩場だったような気がする。
 とはいえ、そのころでも三つ峠は、フリー化の波もあって、フリーク
ライマーがかなりたくさん集まっていた。やはり雑誌の取材できたある
日など、小川山や城が崎でみる顔がそっくりそろっていたを覚えている
。JMCCなどの連中もテント張っていた。先鋭的なフリークライマーは今
はここには来ない。小川山にもあまり行かない。前傾壁のある岩場にい
っているらしい。

クライミングは技術に応じた岩場で楽しめばよいわけ
で、どんどん新しい岩場が開拓され紹介されていくのはよいことだ。三
つ峠のよさは、だからといってなくなるわけではない。ここでは、山の
中の大きな岩場で、フリー、アルパイン、人工クライミングなどのさま
ざまな岩登り練習ができるのだから。

 今日の峠は、平日だから空いている。こんな機会はすくないというこ
とで、1ピッチ目を左から順番にトライ。都岳連ルート、なんとかルー
ト、さあてこれから、リーダーピッチ、地蔵左、地蔵右とやったらもう
3時ころになっていた。人工のクライミングもこの際練習しようとちゅ
うさんがアブミをとりだしたのでちょと練習。四季楽園でビールをのん
で下りました。
 岩はギョウカイ岩とかで比較的しっかりしているし、なんといっても岩
 場が大きい。関東周辺ではいちばんではないか。講習会用の支点などは
 整備されているが、リードできるクラッシクルートは昔のままのハーケ
 ンなどが主体。ボルトを打って、きちんとしたスポーツルートにすれば
 もっと楽しめると思うのだが。

さあてこれから、などでは足がすくみ、
 人工クライミングのようにして登ってしまった。ハーケンをプロテクシ
 ョンにして突っ込むのはちょと怖いルートだった。
 一般クライマーが手ごろに楽しめる5級、6級、5.8、5.9クラスのルー
トが豊富だから三つ峠の人気は永遠に続くはずだ。

9-5
 大泉の安田別宅を9時にでて、小川山へ。飯山健治氏と会う。兄岩に
行き、ちゅうさんがウオリーを探せに初トライ。なんとかぬける。僕も
久しぶりにトライするが往年のサエはなし。紅葉をやってから、くまさ
んがんばれ、北条カンテなどで遊ぶ。昨日のつかれのせいか、昨日の三
つ峠でガバルートばかり登ったせいか、みんなあまり冴えず。きょはも
ういいか、というわけで撤退するが、帰途、アルパイン少女マミにトラ
イする菅原ぶんちゃんファミリーにあう。おなじモダンの仲間だからと
ビレイをかってでるが、ブランクの長いぶんちゃんは5.11d核心をどうし
てもこえられない。なんども派手におちる。ビレイするぼくもひきずら
れて岩に頭をぶつける。ビレイ中でもヘルメットは必着だと思いました
。夜には帰京。

8.21.1998

小川山 屋根岩2峰南稜

小川山のマルチピッチ2本を
屋根岩2峰南稜とガマルート
1998-8-21.23 ちゅう、クルミサワ
8-21 平日なのですいすいと走って廻り目平着930分。
新エリア母岩にみんなで行く。ぼくは最右翼に新ルートのボルトうち。フェ
イスルートが2本あって、右がボルト3本で5.9 左がボルト4本で5.10bの予
定。午後おそくなって完成。これで新エリアには12本のルートができたこ
とになる。
夜は開拓王や小林由加ファミリーと食事。

8-22 森田秀巳、松倉一夫
朝おきてみると今日もよい天気。森田、松倉のなかよしコンビがテントから
でてきた。ゆっくり朝ごはんをすませ10時くらいに屋根岩2峰南稜にでか
ける。ちゅうさんが小川山のホーム頁からプリントしてきたもので1995年に
できた比較的あたらしいルート。全員初めてのところ。
取り付きの岩はカモシカ遊歩道の途中からちょと登ったところ。1pであしな
らし。2pがけっこうむずかしく、3pは楽々、4pはトポでは2本めのボルト
のあと右に逃げスラブを登るとあるが、むずかしそうなので直登するもそれ
も難しく、はからずもボルトをスタンスにしてA0。南稜は後1ピッチでコ
ブの頭にでるらしいが、ルートは強引にここからPTAのある岩につなげ、5、
6、7ピッチとつなげている。難しいところを登るのがすきならそれでよい
けれど、コブまで登っておわりにするのが自然かも。
5Pは短いが手強いボルダーで、図らずもボルトに足がのってしまう。6pは
10aというが、いかにも手強そうなので、利用すると5.8になるという足置き
岩をつかって登る。それでもけっこうスリルあり。6pは11aのボルト2本の
短いルートだが、充分楽しんだということで割愛。天気もよくみんな満足で
した。
夜はちゅうさん主催のミケ追悼祭に参加。

8-23 ちゅう、くるみさわ、桃、北山
ガマルートへ行く。きょうも天気よし。ハート&ソウルから始める。後半
部、いつも半月クラックのあるところをぬけるのだが、左手のスラブをのぼ
る。初めてのところ、2本めのボルトが核心で、むずかしい。左上に大きく
手をのばすとかかりのよいフレークがありそれで一丁あがり。10台後半がつ
いているのでは、と推測する。駐車場にもどり、夕方母岩の昨日の新ルートを
開拓王に登ってもらう。グレードも適正、ボルト位置もわるくないとのこと
で合格。
秋が近づいたら、いくつか、考えている新ルートにボルトを打とう。
夏休みの小川山には有名クライマーが多いようだ。これでもかというくらい
たくさんの古い顔をみたが、駐車場の出口で最後にあわせた顔は、ジャック
中根だった。

8.08.1998

小川山父岩母岩

TITIIWA HAHAIWA IN OGAWAYAMA

完璧な父、ピクニクラ、三日月のピンクリップ。母岩新ルート
新ルート開拓も
1998-8-8.9
 
8月8日
ちゅう、やすだ、汽車
 夏休みが始まって道路が混雑している。5時に東京をでたがもう渋滞はは
じまるところだった。大泉の安田別宅でメンバーと合流。11時ころには父
岩につく。人が多い。ちゅう、やすだが拓いた完璧の父を登る。終了点の改
良をかねて。10Cはあるだろう。取り付きは末端からでもOK。30mのルー
トになる。やすだが早びけするので下にくだり、兄岩下部へ。モンベルなべ
ちゃんや森下氏がいる。森下氏は4年ぶりとか。なべちゃんは去年のヨセミ
テ以来のクライミングだという。三日月のピンクリップ10Cをのぼる。きょう
はワンテンはいる。核心は左から行くのを忘れないようにしよう。ピクニク
ラを登る。いつもどおりワンテンはいる。なべちゃんがフォローするが敗
退。3本のぼってもういいか、というわけでビールをのんで解散。JMCCの
ベースにいき開拓王、菅原ブンなどと合流、夜宮崎さん合流。
8月9日
みやざき、開拓王、ぶんちゃん、たじやん
 きょうも天気がよい。母岩に行く。キャンプ場の真向かい。ままこ岩の左
奥。10a,10c、10cあたりの3本を登る。タジヤンが正面新ルートを初登。10a
から12aまで6本できた。さらに母岩となりに2本新ルートの開拓開始。夏の
うちにはできるだろう。来年のRock&Snowで発表の予定。金峰山荘に新しい風
呂ができた。道路混雑をさけ翌日朝帰京。おもえば、いつも同じような岩場
をあきもせずのぼっているものだ。

7.31.1998

北穂高東稜

アルプスの楽しい岩稜登り 北穂高東稜
アルパインクライミング気分が手軽にあじわえる
 
East ridge in Kitahotaka
 
1998-7-31/8-2
メンバー 川崎博 糸尾汽車

8-1
 滝谷で岩登りを、とはりきってでかけたが天候不良でいまいち。と
はいえ北穂高東稜をのぼり翌日かけおりてきて、足腰のトレーニン
グにはなりました。納涼も。
上高地からのんびり歩き、風呂限界の横尾山荘泊。
8-2
 6時に山荘をでて、9時まえに涸沢小屋着。南稜の夏道をいきハシ
ゴの手前のガラ場から東稜をめざす。ガラガラとのぼり尾根にで
る。先ほどまでみえた前穂の北尾根がガスにかくれ、あたりもガス
模様。
 忠実に稜線をたどる。安全のためにロープを2回ほどだす。ゴジ
ラの背はスリル満点。高い山のうえで岩登りをするのは気分がよ
い。そんなに難しくないところでもいいのだ。ゴジラの背の最後で
懸垂下降する。あとは150メートルほど急登をのぼると北穂の小
屋にでる。ガスであたりは何もみえない。
 ドーム中央稜取り付きまでの下降路を見にいく。ドームを過ぎて
クサリ場をおりたところ。バツ印のあるほうへ下る。ガスと風の
中、2、300メートルほどくだるとステンレスのボルトのある懸
垂下降地点にでる。ルートがわかったので小屋にもどる(懸垂距離
は25メートル内とのこと。)信毎の高沢記者などがいる。去年屏
風をのぼったあとヒュッテであったのがちょうど1年前というわけ
だ。夜はにぎやかだった。
 小屋の小山若主人によれば東稜は、いいルートです。ゴジラの背
をすっかり巻くこともでき、だれでも楽しめる、とか。最後の懸垂
下降も手前右手からラクラク歩いて下降できるそう。
 小山さんは『北穂の小屋はもともとクライマーの小屋です。歓迎
します。きてください』とおしゃっていました。そんなことをいっ
てくれるところが他にあるだろうか。北穂小屋をベースに滝谷を登
りほうだい、なんてクラシックでアルパインでいいではないか。飯
もうまくて有名、ココんちは。
8-3
 未明から、なんと雨。梅雨あけがおくれているのは聞いていた
が、そろそろと狙ってきたのに、今回ははずれらしい。明日も好天
は望めないとのことで、さっさと下山。次回の楽しみのココロだ。

7.23.1998

カナディアンロッキーの夏休み

CLIMBING IN CANADIAN ROCKY

カナディアンロッキーの夏休み
ひとりであちゃこちゃ登った

CLIMBING IN CANADIAN ROCKY
 

member 黒川晴介

1998-8、9
クラシックルートを登る
 バンクーバーで車を借りて、2日後にはキャンモア町営キャンプ場ですっかり落ち着いていた。キャンモアはバンフ国立公園の境界を少しでたところに発達した小
さな街だ。
 キャンモアの着いて1週間は体調が悪く、山に登れなかった。疲れが出て、カゼをひいてしまったらしい。天気は毎日最高だ。やれやれ。 どうにか体調も戻って
きたので、まずアシニボインに登ることにした。別名、カナディアン・ロッキーのマッターホルン。
 登山届けをバンフの公園事務所に出して、翌朝キャンプ場を出発する。ひとりで山に登るなら登山届けを出さないと、誰も探しに来てくれないので、これは重要な
事だ。

Mt.アシニボインを登る
 7月23日。ベースのアシニボイン・ロッジまでは、よく整備されたハイキング道で、7時間くらいだ。ここからさらに2~3時間登るとR.C.Hind Hut
が使えるが、ロッジ近くのキャンプ場からでも充分1日で往復できそうなので、ここで泊まることにした。
 7月24日。朝明るくなってから出発する。小屋までも少し岩場があった。稜に取りつき、ガレ場を適当に登る。
 前半はスクリーの登りだが後半は少し岩登りらしいところもあり、楽しい。途中で堅い雪や、氷も出てきたが、クランポンは使わず、ステップを切って登った。
 頂上から少し雪稜が続いているが、眺めはたいしたことはなかった。周りを氷河の山々に囲まれていないからかな?
 キャンプ場に戻り、ラーメンを食べて出発する。車までは25�ぐらいだ。最後はうす暗くなってきて、熊の出現にビクビクしながら歩くことになった。ああ疲れ
た。でもハイキング道は、ゴゼンタチバナやイチヤクソウ、オダマキがいっぱい咲いていてきれいだったな。

Mt.アサバスカへ
 7月28日。Mt.アサバスカへ行く。本当はMt.テンプルに行こうとしたら、公園レンジャーにグリズリーが出るから今はダメだと言われてしまった。こわいなあ、も
う。
 まあ、そういうわけでアサバスカに行くことにした。朝、暗いうちにキャンモアを出発した。アサバスカはコロンビアアイスフィールドにあり、キャンモアから車
で3時間ぐらいだ。 すっかり明るくなって、駐車場から歩きだす。雪がやわらかくなる前に下山したいけどちょっとムリみたいだ。途中でガイドパーティやメキシ
コの学生たちを追い越した。
 少しクレバス地帯を通ったけど、なんとか通貨して、頂上稜線へ出る。Mt.アンドロメダの眺めがすばらしい。
 写真を撮るとさっさと下山にとりかかった。雪がやわらかくなると、クレバス地帯はますます怖くなる。いざ下降を始めると歩きやすくて、頂上から1時間半ほど
で車まで戻ることができた。
 振り返るとアサバスカが、少し前に自分がいたことが信じられないくらい立派に見えた。

Mt.ビクトリア、Mt.レフロイを
 7月31日。レイクオハラまでのバスは予約制だ。僕が最後の乗客だった。昔、スクールバスだった黄色のオンボロはゆっくり林道を登ってゆく。レイクオハラは保
護のために1日につき2台のバス以外は、林道を3時間歩かないと行くことができない。
 Abbot Hutまでは3時間ほど。1920年代に建てられた石造りのすてきな小屋だ。ここまで泊まりに来るだけの人もいる。Mt.ビクトリアとMt.レフロイ
のコルにあり、ベースとして人気がある。
 8月1日。昨夜の雨が朝になっても降っている。昼過ぎまで待って出発するが、雷雲が少し怖い。岩場はたいしたこともなく、すぐ稜線に出た。クランポンをつけ
て頂上まで長い稜線を進んだ。途中で少しレイクルイーズ側も見えて、左右に立派な湖を見ながら歩くのは楽しかった。
 雷が怖いので頂上で写真を撮ってさっさと下る。最近はひとりのときは、頂上で「バンザイ」と言いながら両手を上げるが、これはなかなか気分がよい。
 小屋には4時前に戻り、早い夕食をとって寝袋に入った。
 8月2日。今日はすばらしい天気だ。レフロイの西壁に取りつく。雪壁はだんだんきつくなり、しかもかなり氷の部分があった。クランポンの前爪が半分も刺さら
ない。
 簡単だろうと思い、シングルアックスしか持たなかったので、頂上の少し下で敗退することにした。もちろんロープも持っていなかったので、登りの10倍ぐらいお
そろしいクライミングダウンになった。
 せっかくシャモニーで軽く小さいアイスバイルを買ったのに、車のトランクに入ったままだ。ロープを持って行かないならせめて、アックスは2本持って行こう。
 帰り道、バスの出発まで時間があったので林道を歩いていると、パークレンジャーが車に乗せてくれた。

Mt.エディスキャベルも
 8月20日。8月後半はずっと天気がさえない。ビクトリアに登ってから一度山に出かけたけれど、ルートがわからず敗退したので、ずいぶん山に登っていない気が
する。
 今日も頂上はガスの中だ。でも明日からまた天気が悪くなりそうなので、行ける所まで行くつもりで出発した。
 駐車場でお茶を飲んでいると、7時半になってしまった。だんだん早起きできなくなってきたし、怠け癖が出てきたようだ。
 東稜取りつきのコルで、先行パーティに追いついた。簡単な岩登りをまじえ、肩に出る。少しスノリッジを歩き頂上への岩場に取りつく。はるか下に駐車場が見え
る。
 頂上への岩場は気分がよかった。頂上は再び雪稜で少し雪庇が出ていた。ガスの中に入ったので寒い。バンザイをしてさっさと下る。
 駐車場には5時前に着いた。まあまあ充実した一日だった。

ついにMt.ロブソンだ
 8月23日。ロブソンの頂上は雲の中だ。8月後半に入ってずっと天気がさえないが、これがラストチャンスになりそうなので出発した。
 Ralph Forster Hut小屋までのアプローチはお世辞にもよいとは言えない。しかも1500�くらいヤブこぎやロッククライミングをまじえて登
らなければならない。それでもKiwey Lakeから4時間半ほどだった。
 8月24日。アメリカ人とカナダ人の3人パーティが3時ごろ出発した。僕は眠いので5時前まで寝ることにした。本当にダレてるなあ。上半分はガスの中だ。
 いやいやLittle Robsonまで登り、おやつを食べると少しやる気が出てきた。ここから先が最も危険なUpper s Glacierのセラック帯
の下を通ることになる。久しぶりにニュージーランドみたいな山登りだ。
 どうにか怖い所を通過してスノリッジに取りつくと、3人パーティに追いついた。ひとりは先に行って、2人はあきらめるようだった。南東稜側にルートを振っ
て、頂上へ。
 一度急にガスが晴れ、ロブソンだけが雲海の上に飛び出していた。群青色の空がすばらしかった。ほんの数分で再びガスに包まれ、もう二度と晴れることはなかっ
た。
 頂上で3人パーティのひとりと合流して握手する。彼はカナダ人で、彼が山登りを始めたとき、思い描いたゴールがロブソンの頂上で、今彼はそこに立っていると
話していた。少し感動が伝わってくる。
 下山は自分の足跡をたどるだけだ。危険なトラバースは走って越えた。
 小屋でラーメンを食べて、休憩する。僕は山で食べるラーメンが本当に好きだ。
 ツーリストインフォメーションの横のキャンプ場まで歩いて戻ったのは5時半ごろだった。
12時間のうちに、1500�登って3100�下ったことになる。充実した一日だったし、もうしばらく山に登らなくてよいと思うと嬉しかった。 一週間後、僕は
日本に帰った。

記録(すべてソロ、ロープ使わず)
① 7/23~24 Mt.アシニボイン北稜
② 7/28 Mt.アサバスカノースグレッシャー
③ 7/31~8/2 Mt.ビクトリア南東稜、Mt.レフロイ西壁(頂上下まで)
④ 8/20 Mt.エディスキャベル東稜
⑤ 8/23~24 Mt.ロブソン南壁

6.26.1998

ダンデデュアンとグランドジョラス

ダンデデュアンとグランドジョラス
黒川晴介・糸尾汽車

 

1998-6/26-7/11
6-26
KLM便の出発がおくれアムステルダムでの乗り継ぎがまにあわず、フランクフルト経由でジュネーブ
についたのはもう夜中の10時。おまけに荷物がでてこない。先発の黒ちゃんが出口でまっていて
くれた。ここからタクシーでシャモニのロジェールキャンプ場に乗り付ける予定だったが、今夜は
ジュネーブのユースホステルに泊ることにする。近所のケバブ屋で前祝いする。黒ちゃんはベルト
とトリアントをすでに登りコレクションを増やしたという。

6-27
バスでシャモニ入。ガイド組合の3Fでカルテネージュという救助保険にはいり(4000円くらい)
、スネルスポーツで小型バイル、アイスハーケンなど買いたして、夕方キャンプ場にもどると荷物が
届く。登はん具、テントなど一式がはいっていたのでよかった。キャンプ場にはオートキャんパー
がたくさん。クライマーも多い。韓国グループがおおいようだ。日本人クライマーは3人。伊藤、
中川、矢木さんら。フランス人は毎晩テレビのサッカー試合で盛り上がっている。天気はいまいち
か。当地は夜の10時にようやく暗くなるという日の長さだ。
6-29
天気がよさそうなのでダンデデュアンに登ることにする。ミディのロープウエイをつかい、さらに
トレノ小屋までのびる大展望ゴンドラにのる。11時、駅から氷河にくだりいきなりダンデデュアン
むかう。4000メートルの高峰にそびえる岩塔だ。そういえば先年バレブランシェを滑りおりたとき
ガイドが、あれがダンデデュアンと説明したのを覚えている。アイゼンをつけミックスのガラ場をの
ぼり食堂といわれる岩塔の基部にたつ。駅から2時間くらい。岩場に雪はないがフラットソールをも
ってきていないので登山靴でのぼることになる。3級から5級の6ピッチ。朝早くとりついたパー
ティが3パーティ程前にいる。遅くきてちょうどよかったわけだ。女性のまじったパーティは時間
切れか途中でおりてくる。フラットソールをはいている人もいる。つるべで登り2時間ほどで手前
の岩塔ピークへ。4時過ぎ。マリア像のたつ数メートル高いとなりの耳へは、大きなギャップがあ
るので割愛。天気はまずまず。風が強い。
下山。ナイフリッッジのクライミングダウンは怖い。目がくらむ。
数回の懸垂下降にかかる。前のイギリス人の二人組が懸垂ロープをかしてくれるという。ぼくらは
8ミリ50メートル1本だけだからありがたく借りる。食堂まで一時間ほどでくだり、さらに危な
っかしいガラ場をくだりトレノ小屋へはいったのは7時すぎだった。高所の活動でつかれました。
ぼくは日本出発前に富士山頂でキャンプしたのが効いたのか高山病の気配はなし。
6-30
昨日は岩壁、今日は氷壁というわけで、小屋のとなり、ツールロンドの北壁をのぼる予定だったが
、天気がわるく次回もちこし。トレノ小屋ミディ間のロープウエイが動かず、結局イタリア側にお
りてクールマイユール経由モンブラントンネルでシャモニ帰着。
7-1.2.3
天気ぱっとせず。レンタカーでジュネーブに買いだしにいき帰路アネシーのドライブを楽しんだり
、ピラミッドの小屋からボゾン氷河におりアイスクライミングのトレーニングしたり、ガイヤンの
岩場にいったりしてすごす。
3日ほど天気がわるく、2日晴れるという周期のようだ。アルプスでは100パーセントの好転でない
と山にはのぼらないらしい。山に雲がかかっていればそこは雪や吹雪なのだから。そんな半端な日
は下でなんやかんややって過ごすのがよい。
7-4
朝からよい天気。モンブラン、ドリュなどが美しい。グランドジョラスのノーマルルートへ向かう
。10時のバスでクールマイユールへ。12時にプランプリシュの村からボナッティ小屋へあがる。き
れいなハイキングコースを3時間。標高差1200メートル。グランドジョラス小屋ともいわれる岩場
の小屋へ到着。小屋はあいていたが営業はしていない。黒ちゃんが予約電話しても出なかったわけ
だ。7時過ぎに就寝。3グループ10人ほどが同宿していて明日ジョラスを目指すという。
7-5
早い人は夜中の2時ころ出発していった。僕らは4時半出でいちばん遅い。2800メートルの小屋か
ら4200メートルまで標高差は1400メートル。ヘッドランプでのぼる。氷河をつめ、岩稜にとりつく
ころには明るくなっていた。天気はよい。黒ちゃんが高山病くさい。氷河上はロープをだすが、岩
ではソロでのぼる。朝いちで出かけた数人のイタリア人が戻ってくる。ルートがわからなかったら
しい。
ウインパー稜の1ピッチ目でビレイするが、そのあと、各自ソロでウインパーピークに直接つきあげる
ウインパー稜をのぼる。前回黒ちゃんがクロー稜をのぼっているから別ルートにしたかったから。クロ
ー峰とウインパー峰にコルに直接つきあげようとしていた二人組みフランス人は300メートルほど滑
落してしまった。ケガはないようだ。1時前にウインパーピーク着、4200メートルだから息がきれる。
黒ちゃんは調子が悪いようだ。主峰にトラバースしてクロー稜をくだろうとするがガスがでて
きてツバメ山稜を下ってしまう。眼下にメールドグラスが見えてきて、これはおかしい、というこ
とになり、登りかえす。目が眩む。
さらに下部でホワイトアウト状態になり1時間ほどウロウロする。数回クレバスに足を突っ込んだか
ら、氷河上ではアンザイレンはどうしても必要なことらしい。トラックを発見して無事小屋に戻る。
9時半。なんと17時間行動。水とパンを食べ、翌日6時まで眠る。
7-6
小屋からフィレの谷にくだりクールマイユール経由バスでシャモニ帰着。
7-7.8.9
天気さえず。赤い針峰のフレジェール側のクライミングルート、ランデックスを、矢木、中川グル
ープとのぼったりして過ごす。滝谷のような、チンネ左稜線のような、の感想あり。
韓国グループと酒盛りしたり、レンタカーでスイス経由セントバーナード峠越えアオスタ観光など
も。
7-10
早朝テント撤収。フィアットのプントでジュネーブへむかう。このレンタカーを正しく返却するた
めに国境と空港内を右往左往。まいりました。7月11日予定どおり帰国。
岩と雪の夢のような殿堂、シャモニ。ここのクライミングはやはりスケールが大きい。山全体と正面
から向かい合うという感じだ。山での総合的な力が必要とされる(とはいえ、ロープウエイなどが縦
横無尽でいきなり3、4000メートル近くに行けるのはすごい魅力だ)。岩稜や雪稜、そこそこのルー
トをソロで登り、クライミングダウンするのだから自信がないとできない、自信があってもこわい(
フリーはむずいがアルパインはやばい!)。
氷河歩きもたいへんだ。クレバスに足をつっこんでしまうのは日常茶飯事なのだから(前回黒ちゃん
が一ヵ月全部ソロで登ったのはさすが)クライミングは雪と岩の世界でやってこそ本物だ、とあらた
めて思った。小川山などのクライミングが子供だましに見えないこともない。フリークライミングと
いうのはクライミングのほんの一角なのだ、ということを思う。
 それにしても、アルプスの山といえば日本人はモンブラン登山ばかりの近ごろ、かつての盛り上がりを
思うと極端すぎる。日本のクライマーはアルプスを忘れてしまったのかもしれないね(というよりもかつ
ての先鋭クライミングがプツンしてから以降の市民クライマーはアルプスの楽しさをしらないのかも)。
アルプスには、夏だというのに!それこそロック&スノーのルートが無限にひろがっているのに。
 ヒマラヤは一ヵ月で一ルート、アルプスは一日一本、お手軽で快適、通えるエリアです。

6.21.1998

ヨセミテとスミス

初夏のヨセミテとスミス、ショート・ツアー
西海岸10日の旅
CATHEDRAL ROCK
 
メンバー:トミィ、ぴか、チュウ(この二人は切り離して呼ぶこと)
期間:1998/6/21から7/2

6/21成田発、同じ日の午前11時にはレンタカーでシスコのダウンタウンにい
た。
セーフウェイとREIで買い物をしてからマーセド経由でヨセミテを目指す。マリ
ポサ泊(マリポサ・ロッジ、快調な屋外のジャグジーバス付きで締めて$71)。
翌朝7:30にモーテルを出発。8:30にサニーサイド着、レジストレーション
をすます。入園料も$20にあがっていたが、キャンプ代も$1あがって$4(一
人一晩)だ。
テントを張ってから、GPエプロン西面へ出かける。強烈な日差しで、壁が鋼鉄の
ように輝いていた。5.7,5.6,5.6と3ピッチのTheGrack(★★
★)、さらに基部を辿ってCenterのHenlyDaly5.7,5.82P
(★★★)をルンルンで登った。
翌日、8時にサニーサイドを出て、ミドル・カテドラルのイーストバットレス(1
1p、5.10c★★★)に取り付く。ぴか、チュウがつるべで交代しトミィが終
始ミドルでフォローするスタイル。荷物はサブザック1つで、水3L、キャップラ
イト1、ウィンド・ブレーカーとスニーカー各自用、クリフバーを入れてあり、ラ
ストが背負って登るかときには、ロープで引き上げた。10cのポイントはボルト
に守られたマイクロエッジのフェースで、ぴかがリードしたがワンテン入った。
上部はピッチ間隔が判然としない。9Pか10P目のテラスからから上がガクッと
寝始めた。日は傾き時刻は6時。上へ抜けた場合、下降路で暗くなると思われたの
で下降することにした。同ルートに沿って50mロープ(ダブル)でフルレングス
の懸垂6回で取り付きに戻れた。サニーサイド21:00着。まだ明るくて助かる
。
翌、23日は寝坊する。午前中は、ツオラミグローブでセコイヤ見学。午後は、ビ
ジターセンターやアワニーで買い物。夕方、スワンスラブで5.9から10+の短
いクラックを登って遊んだ。
24日は最終日のクッキーに備えて、ショートで快適なルートをのんびり登ること
にした。まず、サニーサイド裏手のファイブオープンブックスで5.8,5.7,
5.93Pのコミットメント(★★)、3P目のルーフは豪快で、日本にあれば、
星三つはかたい。
次に、チャーチボールエリアで、ビッショップテラス(5.8、2P、★★★)、
チャーチボール・レイバック(5.8、★)を登った。
25日は最終日、ぴか念願のクッキーへ。気合い充分でアウターリミッツ1P目(
10b★★★)をオンサイト。チュウはキャッチー(10d、★★★)のRPを狙
ったが、上部で敗退。2フォールで抜けた昨年よりも悪い結果だ。
26日早朝サニーサイドを発ってバークレーに昼頃着。「Marmotto」で買
い物してから、サニーベイルの友達の家へ。
27日、朝一のフライトでポートランドへ。今度のレンタカーは小型でニッサン。
スミスへ向かう途中Mt.hoodに寄り道。2合目から上はまだ一面雪で日本人
のボーダーが大勢いた。
スミスには夕方5時頃着。ビバークエリアにレジストレーション(ただし、自己申
告)して、テントを張ってから、すぐ近くのピクニックエリアで食事をとる。キャ
ンプでは火を使ってはいけないことになっているからだ。
翌日9時にまず、モーニンググローリーWallへ。駐車場から5分下って川を渡
れば、延々と壁が続いている。モーニング・・・は比較的近い壁で、3つ星が固ま
っている。
まず、トミィが5.8のHop・On・Pop(★★★)、FiveGallon
Pockets(★★★)をオンサイト。特に後者は、「クラミング」誌でDon
’tMissとコメントされていたすばらしいルート。ぴかが、Gumby(10
b、★★★)、チュウはLightOnThePath(10a、★★★)をそれ
ぞれオンサイトした。
ランチを食べに一度車に戻って、日陰で昼寝。夕方4時頃から再び壁に向かう。
午後の部はクリスチャン・ブラザースで、ぴかが10b★★のDoubleTro
ubleを2テンで登
ったあと、チュウがIrreverence(10a、★★★)をオンサイト、ト
ミィがレベレーシ
ョンズ5.9★★★をやはりオンサイトした。
すぐ隣の、ダイヒードラルで、ぴかが有名なtoBoltor...やChain
Reactionに挟まれたWeddingDay(10、★★★)を2テンで抜
け、トミィがLichenIt(5.7、★★★)をオンサイト。
夜9時まで登ってもまだ充分明るいが、ものすごい日差しなので、脱水が怖い。ぬ
めりの影響するルートが多いのでこの時期はベストとはいえない。プロテクション
もボルトだからといって安易な気持ちで取り付くと大変。どのルートも1本目が遠
くて、その前で落ちるとただではすみそうもないし、しかもその手前ですでにルー
ト・グレードに近いムーブが出現することも珍しくない(スティック・クリップあ
り、ってトポに書いてあるし、使うひとも見ました)。
翌29日は、午前中しか登れないので、例外的にボルトルート星4つ(通常4つ星
はナチュプロのクラッシックにつけられている)のScreamingYello
wZonkers10bのある西面のメサベルデWallへ。
ぴかがこの有名ルートを一発で落とした後、チュウが隣の三星???10aを登り
、東面に戻って、トミィがBunnyFace(5.8、★★★)
をオンサイト、チュウがGumbyを登って(91年に登っている)、隣のZEB
RAダイレクト(11a、★★★)の遠い1本目にプリ・クリップしてぴかがリー
ド、おしくもワンフォールし、チュウはそこまでノーフォールでいったものの足先
にひどい痛みを感じて、ランナウトの3mを残してあきらめ、ここでおしまい。
Redmondのアランワッツおすすめ中華レストランでうまい(かな?)食事を
してから、この旅で初めての悪天、それにしても極端な悪天で、視界のないひどい
嵐のなかをSalemへ。6モーテル($48)から翌朝1時間でポートランド。
フライトは、シアトルで国際線に乗り換えて、翌7/2成田に着き、旅は終わった
。

参考までに、3人のクライミング・レベル。この1年で楽しんでいるグレードは次
の通りです。ゲレンデは小川、幕岩、城山、城ケ崎など(月平均2から4日)。ジ
ムはBigRock、Pump(週一目標)。

トミィ(30代前半、旅館業、主婦):5.8から10-まで
ぴか(30代、パタゴニア渋谷店長、山岳部出):10から11まで
チュウ(50、技術系、社員0の会社経営、山岳会出):10-から11-まで
   注:クラックルートは2から3ランク下です。

おしまい。

6.06.1998

YOSEMITEのマルチピッチ

YOSEMITEのマルチピッチクライミング
数ピッチのマルチでもなめてはイカン
 
go climb a rock!
 
1998.6.6-15
member
kurokawa
haneda osamu
ito kisya



6月6日
チケットの取り違いで、前日の便でサンフランシスコに入った羽やんと、無事空港で合流
。レンタカーを借りて、一日ドライブの練習をしていたとか。さっそくヨセミテ方面にむ
かう。バークレーのREIで買い物して、南へ。ソノラで観光してデイズインモテルに1
泊。

7日
シエラの空はどんよりとしている。12時、キャンプ4にチェックイン。第一区画にテント
を張ってラーメンをつくり、3時ころからエプロンへ。
5.6の三ツ星GRACK 3Pを三人でのぼる。曇り空だが濡れていないので快適だった。
8日
パッとしない天気だがときどき晴れ間がのぞく。クロちゃんとROYAL ARCHESのSERENITY CRA
CK AREA へ。SERENITY CRACK10dからson of yesterdayにつないでマルチピッチを楽しもう
という魂胆だったが、のんびり出発になってしまい、順番待ちもあって、登りだしたのが昼
過ぎ。1p目がピンスカーの悪い10aで、僕がリード、ギア不足でクライミングダウンして登り
返すなどして、2p目も10a、クロちゃんリードで、僕がフォローしたところで、10dを前に
今日はここまで。ということになったのだった。二人ともオンサイトで充実はしていました。
夜クマがでて隣の車のガラスがやぶられたりの事件あり。

9日 羽やんが、名門ヨセミテクライミングスクールに入るというのでその見学と取材。
スワンスラブでの講習会で、羽やんもクロちゃんもためになったとか。
ぼくはそのあたりのボルダーでクライミング。スペイン?の名クライマーがミッドナイトラ
イトニングを登るのを撮影した。
この日はたいへんよい天気でした。夜クマ出現するも撃退。
10日 もう一本トライと気合いが入っていましたがこの日はときどき小雨。レストの一日。

11日 今朝も冴えない天気。サンフランシスコへ戻る前にREED'S PINACLEを偵察、とでかける。
なんとか乾いているようなので準備してとりつく。とりつきまでのクラス3もわるく、
羽やんは取り付きで撮影。5.9のserenity crack directに黒ちゃんリードでとりつく。40m垂壁
に圧倒されるがワンテンでぬける。フォローのぼくはあらゆる汚い手段をつかってぬける。
テントをたたんでサンフランシスコへ。ミルブレアの香港楼でうまい食事をとりました。

12日 クろちゃんを空港まで送って、町にもどる。黒ちゃんは日本に一日いてシャモ
ニへ向かうとか。忙しいひとだ。ミュアウッズ公園を散歩したりしてミルブレアの王将で寿
司ざんまい。
13日 午後のUA機利用。14日、日曜日帰国、の予定がダブルブッキングで積み残され、
泣く泣くミルブレアに戻るはめになるとは予想外の展開。翌日ロザンジェルスに飛び
慰謝料300ドルの小切手を手にビジネスクラスで15日帰国。もうかったような損したような。
ヨセミテで今回みた動物。リス、クマ、アライグマ、コヨーテ、シカ。

5.23.1998

小川山の岩登り

小川山の岩登り、新ルートを登る
完璧な父をオンサイト!
 
CHOKAI peak
 
1998-5-23.24
KIM GROUPE
ちゅう、やっちん、くるみさわ、汽車

23日
9時半ころ廻り目平の駐車場に集合。
シーズン始めということで、去年秋に登ったガマスラブ2P目脇のエリアへ。
KC’Sバナナケーキ10a、ハート&ソウル等を登る。快晴であたたかく、気持ちよい。裸で
登るひとも。
左奥の、ごめんねエッちゃん10B、ウイスキーキャット10aも登る。
去年の10月10日のメニューとほとんど同じ。技術は間があいているせいか落ちている。


午後、父岩へむかう。
岩壁の父のとなりの新ルート完璧の父10bをのぼる。やっちんは上部で敗退。ぼくは去年ル
ート製作前にトップロープであっさリ登った覚えがあるが、今回は初リード。出だしは難し
い。1メートルほど右上のステップからでないととくにむずかしいだろう。そのさきのマン
トル部分は知らないと頭をつかうところだ。終了点ちかくがけっこうこまかい。10cといっ
てもおかしくないのでは? 
ロワーダウンでおりるが、うっかりしてビレイ環をロープがすっぽぬけ墜落。幸い怪我なく
すんでよかった。27メートルのルート長があるので、基本的にロワーダウンはヤバいのだ
。このルートは。

24日
母岩の新ルート、最左のサドンスラブ10aをのぼる。ボルト3本の短いるーと。けっこう難
しいかも。
小川山ストーリーへいくと、ヘンリーバーバーがきていた。写真をとったりして、彼の登り
をみる。ゆっくりと確実なうごき。
昨日カサブランカをヘキセントリック6個だけでオンサイトしたという。今朝はクレージー
ジャムをやはりヘキセンだけ使ってオンサイトしたという。
すごいおやじだ。
雨がふってきたのでかえる。
森光はバーバーにつきあって雨のなかいやいや小川山ストーリーをのぼらさられていたよう
だ。

5.05.1998

北ア・栂池-雪倉岳ツアー

北ア・栂池-雪倉岳ツアー
雪不足に泣く
 
yukikura peak
 
1998-5-2.5

メンバー 田中、岡本、榎本
5/2 天気 曇/ガス
栂池ゴンドラを降りて天狗原を目指す。林道は、かろうじて雪が残りシールで
歩いていく。成城小屋過ぎからガスが濃くなり、天狗原では視界30mほどか。
当初の予定である白馬方面は諦め蓮華温泉へ向かう。振子沢は前半はよかったが、
高度は下がるにつれ、雪がきれはじめる。雪のある所をつないで何とか林道に出て
蓮華温泉へ。すでに、かなりのスキーヤーが来ていた。

5/3 天気 雨のち曇
天候の悪化が予想できていたので、今日は休息日。蒲団と温泉と食堂
の間を行ったりきたり。

5/4 天気 晴
7時15分頃、雪倉へ向けて出発。他にはスキーを担いだ2パーティがいる。
雪のあるときは兵馬平まで滑るのだが、今年の雪では望むべくも無い。瀬戸川へ
降りるルートもやぶ漕ぎの様相であった。スノーブリッジは十分渡れたが、
周りを見渡しても雪が少ない。沢の狭い急斜面では、幅1m弱しか雪が残ってなく、
両側は穴が空き、その下では急流が轟々と流れていた。もし雪が切れてしまったら、
両側は高い岩場なので苦労しそうだなと思いながら慎重に通過する。さらに登り
やぶを乗り越えるとやっと雪倉の大斜面が一望できるようになった。先行していた
パーティーを追い越し、13時過ぎに頂上へ。

天気は素晴らしく、多くの山々の黒い姿(^_^;)が目に入る。この時期なら、もっと
白いはずなのに…。

他のスキーヤー達(20名くらい)の到着してきたので、真っ先に滑降を開始した。
雪が少ないとは言え、雪倉の東斜面は広い大斜面が続いている。ほとんど一気に滑り
降りる。沢に入り、雪渓の穴に落ちないようにターンを繰り返す。狭い部分の雪も
何とか残っていて、仲間のひとりは落ちそうになったが、無事通過。スノーブリッジ
からは、
板を担いで、温泉とビールを目指しての歩きが待っていた。蓮華温泉に16時15分
到着。

5/5 天気 晴
蓮華温泉の裏手から白馬大池を目指す。一部夏道を歩いたが、大部分は雪の上を歩く
事が出来た。白馬大池から更に小蓮華の手前、2600m付近まで登り、南側斜面に
滑り込む。斜度はあるが快適なザラメ雪であっという間に高度を落とす。平坦部に
出てから栂池自然園へ向かう。下りの林道は、所々雪が切れている。板を担ぎ、
ゴンドラ駅まで戻る。

 ( 榎本 康二   )

4.25.1998

シエラハイルート走破行

THE SIERRA HIGH ROUTE
シエラハイルート走破行

北田啓郎

PHOTO BY K-ITO 
 
期間:1998/4/25-4/30
パーティ:ベンジャミン バーディ、マット バーディ、糸尾希沙、真壁章一
          伊藤裕之、渡辺賢二、溝部克実、北田啓郎

日本に記録的な少雪をもたらしたエルニーニョは、カリフォルニアでは季節はずれの
大雪を降らせていた。4月半ばを過ぎてから、ハイルートもかなりの雪が積もったと
の連絡が入り、雪崩や、重いシエラセメントのラッセルなど、前途は多難そうだ。日
本チームはサンフランシスコでいつものようにフォードの15人乗りフルサイズバンを
借り、ヨセミテ経由でフレズノに向かう。本当はタホスキー場あたりで足慣らしをし
てからフレズノに向かう予定だったが、あわただしすぎるスケジュールなので、まず
はヨセミテ観光でお茶を濁すこととなった。ヨセミテは予想外に天気が悪く、気温も
低い。ヨセミテフォールの下にはまだ多量の雪が残っていた。

ハイルート走破の第一関門は、いかに入山下山の足を確保するかである。僕たちのと
った方法はいくつかある中で最も贅沢な方法だ。
まず2台の車で下山口のウルバートンまで行き、バンをデポしてくる。次にフレズノ
から軽飛行機で東へシエラを飛び越える。最後に入山口までは現地のバンサービスで
運んでもらう、というわけだ。飛行機代は1機$800、1人頭にして$180、日本の新
幹線や高速料金と比べ高い気はしない。
飛行機は双発のパイパー機2台。主翼のエンジンルームにスキーとストックがすっぽ
り入るのがとても便利だ。飛行機オタクのニシが珍しい小型機を見つけて興奮しなが
らシャッターを切りまくる。空港は宿にしたホリデイイン・フレズノエアーポートの
すぐ脇にあり、移動には理想的だ。

前夜は酔っ払いながら各自パッキングに努力する。徹底軽量化を自負する糸尾記者の
ザックが意外にも重いことがわかると、土壇場で酒を減らしたりしている。最も若手
のナベちゃんのザックが最も小さく、溝部氏から一言があったり、今回は皆いつにな
く重さにナーバスである。真壁氏、ベンさんは体力に自信があるのか、結構でかいザ
ックである。
シアトルから夜遅くにマットさんが到着。仕事が忙しそうで、ホテルに来てからどた
ばたと装備を点検している。マットの荷物は一番でかく、その中にはこれからお世話
になる貴重な装備がぎっしり詰まっていたのだが。

4月25日、出発の日、6:30起床。ホテルの甘すぎるドーナツとコーヒーで朝食を済ま
せ、ベンさんの車で3回に分けて荷物を運ぶ。パイロットは日本にも来たことがある
という退役軍人だ。
9:30、いよいよフライトである。飛行高度は4、5千メートルくらいか、登山者がいれ
ば見えるくらいにまじかに稜線を越えてゆく。先行した機とは少しルートが違うのか
、機体は見えない。僕の機はいちどエアーポケットに入り、シートベルトをしていた
にもかかわらずおもいきり天井に頭を打付けてしまった。
着陸地は、昨年も通ったインディペンデンス。シエラクレストを越えると、機体はお
おきく北に旋回し、はるか下方に箱庭のように見える滑走路をめがけて、高度を下げ
ていく。シエラ山脈の東と西では、景色がまったく違う。こちら側は、乾燥しきった
砂漠地帯、インディペンデンスはその中のオアシスである。
待ち構えていたバンサービスのトラックに荷物を移し、すぐに出発。すぐに埃もうも
うの砂漠の中の、ジープ路らしきを進む。
入山口はシムスクリークだが、地図で確認するとかなり山の近くまで入ってくれたよ
うだ。辺りはガラガラヘビでも出てきそうな砂漠で、トラックが2台デポしてある。
ここで最初のトラブル発生。真壁さんのストックがないのだ。共同で荷物の積み下ろ
しを繰り返したから、車か飛行機かに置き忘れたに違いない。車は行ってしまったの
でもはや戻る方法はない。ストックがなければ歩けない、真壁さんの頭の中は真っ白
になったに違いない。

しかし、神は真壁さんを見放さなかった。マットさんが出発前に悩んだ末、予備のス
トックを持ってきていたのだ。
                            ***
ひとりずつ準備が出来たものから歩き出す。山の上は雲がかかっているが、頭上は砂
漠の青空である。サボテンなどを踏みながら雪のない山路を歩く。徹底軽量化をはか
ったザックだが、一週間分の食料とスキーまで担ぐと、25キロぐらいあるかもしれな
い。クリークを離れ急傾斜をジグザグに登ると、やがて雪が現れ、スキーをはく。27
30mのシムスサドルにでると、目の前にMt.ウィリアムソン(4313m)が聳え立つ
。確かアメリカ本土で第2の高峰である。その右肩はるかに、明日越えるはずの第一
の難関、シェファードパスが望まれる。ここから幕営予定地のマホガニーフラットま
では予想外に長く、一度シェファードクリークに向かってかなり高度を下げ、再び登
りかえさねばならなかった。
                             ***
2日目は、シエラクレストと呼ばれる主稜線を越える難行が待っている。シェファー
ドパス、3600mである。
アンビルキャンプ手前の急斜面でロープを使用する。岩の迷路となっているモレーン
帯を苦労して抜けると、パスに続く急斜面が立ちはだかる。といっても最大傾斜40度
くらいだろうか、アイゼンピッケルを使用すれば難しいわけではない。しかし荷物の
重さと高度になれていない身には結構つらい。コンディションの良い者といまいちの
者の差は大きく出る。
真壁さんが最初から絶好調である。他を寄せ付けない速さで登ってゆく。糸尾記者は
半分ぐらいまでシール登高しきわどいバランスでアイゼンに履き替えている。マット
、ベン、ナベ、北田、ヒロあたりはまあまあの調子だが、溝部氏とニシが大きく遅れ
ている。溝部氏の昨年のあの馬力は何処へ行ったのだろう。ニシはまあこんなものだ
ろう。
登りきると広大な雪の砂漠のような地形が現れた。カーンリバーまでほぼ平坦か少し
下り。シールを剥がし、一人遅れているニシの姿を、はるか後方に確認しながらキッ
クアンドグライドで快調に先を目指す。少しでも下り傾斜だとスキーはほんとに楽だ
。
日が西に傾くなか、クラストがはじまった斜面をひとくだりすると、池のほとりに平
らな第2日目のキャンプサイトが見つかった。雪を掘り氷を割ると、うまい具合に水
が現れた。いつものように小型水浄化器で汲み上げる作業をする。まわりは樹林帯で
、日本でいえば黒部の源流でキャンプしている感じだろうか。陽が落ちるとあたりは
急速に冷え込んでくる。そんな中ベンとマットは最後まで外で夕食をとる。温度感覚
はアメリカ人と日本人ではかなり差があるようだ。
                            ***
三日目は第2の難関マイルストーンのコル(3900m)を越え、トリプルディバイドピー
ク下までの予定で出発する。ここからがハイルートの核心部である。シエラクレスト
の西、シエラのど真ん中にはしるグレートウェスタンディバイドをたどるからだ。1
、 2日前に通過したらしいシュプールがあり、気楽な気分で出発したが、地図をよく
見なかったのが災いし、かなり進んでから、一本南の谷に入り込んでいることがわか
った。周囲の景色は素晴らしく、このまま進んでも方向的にはよいのだが、たぶん最
後のつめが急で苦労するだろう。マイルストーンクリークとこの谷を隔てている尾根
の弱点を探し、そこを越え、正規ルートに出れないか偵察をする。尾根上に出ると、
反対側はかなり急ながけになっていた。アメリカの地図は、等高線のみで、日本のよ
うに岩記号がないので、行ってみないとスキーが使えるかどうかわからないのだ。

結局、マット隊は尾根を忠実に数百メートル下り、結構な急斜面をスキーで下降し、
トラバース気味にマイルストーンクリークの上部へ出るルートをとる。北田と記者、
ニシの3名は、尾根の手前のよい斜面をスキーでどんどん下り岩場のきれたところか
らマイルストーンクリークに回り込んだ。登り返しがけっこう長かった。正規のルー
トに出た時は、かなり時間が経っていた。今日中にマイルストーンのコルを越えたか
ったが、何か緊張の尾が切れた感じで、コルのかなり手前の池のわきで3日目のキャ
ンプとなった。
雲一つない晴天が続き、風もない心地よい春の午後、周囲の景色も申し分ない。休養
のタイミングとしては良い決定だろう。惰眠をむさぼる者、装備やふやけた足の虫干
しをする者、お茶にする者、さまざまだ。元気が余っている若手のナベとベンがスキ
ーを始めた。荷物がないと気持ちよさそうだ。ナベが目の前の岩に挟まれた少クリフ
に挑戦しようとしたが、土壇場でチキン状態になってしまった。MSRストーブの通を
自任するニシのXGKがこの日不調になった。あれこれいじっても直らない。お湯も作
れないで困っていると、マットがそのでかいザックの中から、なんとスペアのコンロ
を出してきた。マットは寡黙な男だが、実に頼りになる。
                             ***

4日目。今日こそ核心のグレートウェスタンディバイドをぬけ、ハイルートの後半部
に入ろうと、勇んで出発する。東面に向くマイルストーンクリークは早くから陽が差
し、アンダー1枚で歩いても寒くない。ナべがオーバーパンツを脱ぎ、パンツスケス
ケのアンダータイツ姿で歩き、顰蹙を買っている。

コル手前までに2ピッチ、傾斜がきつくなる手前でアイゼんにはきかえ、急な雪面を
トラバースする。コル自体は狭い岩尾根で、反対側はマイルストーンボウル。出だし
は40度くらいの急傾斜である。
ザックが重いので、とても華麗なテレマークターというわけにはいかない。慎重にデ
ブリを避けトラバースし、途中から気持ちよくターンをきめる。あまり下りすぎない
ようにし、トラバースに入る。稜線の下の急なカールの側壁をひたすら斜滑降する。
その先コルビーリッジを越える場所を探し、再び迷ってしまう。比較的上部の急な雪
面をアイゼン登高するか、岩場を下方まで回り込みスキーで越えられそうな弱点を探
すか、意見が分かれた。結局かなり下までスキーで下る案を試みたが、回り込んだ先
が岩壁で越えられそうにないことがわかり、昨日に続きまたまたシールで谷を登り直
す。リッジを越えられず、この日も核心手前で時間切れとなり、3300m地点でキャン
プにする。ハイルート手強し、といった感じだが、天気がよいので、悲観した意見は
出ない。明日こそ、である。
この辺りは熊の新しい足跡がたくさんあり、食料はまとめて木の上に吊るした。
                                ***

5日目。東に面した谷なので、早くから陽が差し、尾根の上部も輝いている。コルビ
ーリッジの乗っ越しは見た目ほど悪くなかった。 尾根上の出たところは約3650mの
地点。広い尾根で、ここからスキーが使えそうだ。スキーを付ける。少し下ってから
、再びえんえんとカールの側壁をトラバースである。はるかかなたに見えたトリプル
ディバイドピークがどんどん近づく。山容とそのこなし方にようやく慣れてきたせい
か、今日は行動が順調だ。 

トリプルディバイドパスまではシールで達する。反対側は岩交じりの急斜面。偵察の
結果スキーで滑降可能と判断し、岩の間で慎重にスキーを履き、思い切ってジャンプ
ターンで1回転する。雪は硬いが、エッジは効き、2,3回転するうちに傾斜も落ち
てくる。すぐ下がグレイシャーレーク。ようやくグレートウェスタンディバイドの山
場を越したので、ここで行動食を食べながら今日の行動予定を話し合う。予定より1
日遅れているのと、天候が崩れた時のこの先の行動を考えへ、今日は頑張ってロンリ
ーレイクまで足を伸ばすことに決定する。
ライオンレイクのコル下へ降りるのは、アメリカチームは岩場の下の急斜面をスキー
で回り込み、日本チームは岩場の上から岩交じりの急斜面をアイゼンで下った。ニシ
が不安定な雪を踏み外し、危うく谷へ転落しそうになり、一同肝を冷やす場面があっ
た。  
行く手にはクラウドキャニオン上部のとてつもなくでかいカールが広がっている。1:
30、巨大な二つのカールをトラバースしなければ、今日のキャンプ地はない。クラウ
ドキャニオンはシールでひたすら歩き、カッパーマインパスはアイゼンで登る。デッ
ドマンキャニオン側は急だがスキーで下れそうだ。トラバース気味にひとりひとりス
キーを滑らせて行くが、最後のほうは上層の雪が落とされて固いクラスト面が露出し
、谷底へ落とされそうなトラバースであった。

デッドマンキャニオンは半分までシールなしで滑れたので時間が稼げた。特徴あるフ
ィンパスをスキーのままで乗り越すと、今度は先ほどまでと逆の方角に開いたカール
に出る。その真ん中がロンリーレイクだろう。もちろん今は雪の下だ。
低い樹木が出てき、山場は越えたことを実感する。トラバースばかりでうんざりして
いたが、ここはキャンプサイトまでいっきに滑れそうである。一人二人とスキーを下
に向け、思い思いのシュプールを描く。雪質は柔らかめのコーン。最高の気分だ。17
時、陽はまだ十分に標高3200mのキャンプサイトを照らし、風もなく、空には長閑な
お天気雲が並んでいる。
これで5日を無事消化、残るは2日だ。ぼちぼち余りそうな食糧を整理するものも出て
、気分は一路下界とビールへ飛んでいる。前半やや不調だったニシと溝部氏は調子を
戻し、代わって伊藤記者が胃炎で調子をおとしている。絶好調は真壁氏とマット、そ
の他はまあまあの調子だ。
マットがしぶとく水の湧き出ているところを発見したので、炊事はぐんと楽になった
。大きな岩の下を、耳を澄ませると確かにちょろちょろ水の流れる音がする。浄水器
の管を隙間に落とし、ポンピングするとおいしそうな水がボトルに溜まっていく。ポ
ンピングをボトル3本もやるとさすがに腕がパンプしてくる。ニシと二人で鼻水凍ら
せながら、皆のボトルに水を溜めるのに30分以上かかってしまった。それにしても、
春のシエラでは小型浄水機は必携品だ。僕の使用しているなはスイートウォーター・
ガーディアンというモデル。コロラド製だ。ポンプがテコの利用で使いやすい。
                           ***
6日目。今日の予定はペアーレイクハット周辺まで。基本的に下りだから気分はるん
るんだ。いよいよ高山地帯を離れる日だ。さびしくもあり、うれしくもある。
下り気味のトラバースからテーブルランズに登るが、谷を隔てた南側は、グレートウ
ェスタンディバイドの高峰が重なるように連なり、眺望は並外れたものだ。
ペアーレイクハットへ導かれる谷に入るまで、かなり複雑な地形のためルートを探す
のに苦労したが、ルートがはっきりすれば、後は速い。マットを先頭に緑が増えてき
た広い谷をぐんぐん滑り下る。
雪の腐った急斜面に思い思いのシュプールを描くと、小屋である。ペアーレイクハッ
トはレインジャーの小屋で、一般の宿泊はない。周りをアルプス風の岩峰に囲まれた
瀟洒な山小屋だ。
小屋を過ぎると樹林帯だ。最終キャンプの場所はこの辺に予定していたが、皆の足は
下へ向いたまま。このまま後数時間下れば、ハイルートの旅は完成するのだと考える
と、ここで泊るという主張にほとんど説得力はなかった。
 雪の腐った樹林帯をわれわれはひたすら下りつづける。苔むしたセコイアの樹林は
 結構長かったが、結果、2日分を1日で滑り降りてしまう。
16:35、一人の落伍者もなく9名はウルバートンの駐車場に残した懐かしいフォードの
前に滑り込んだ。
シエラハイルート、シエラバックカントリーツアーの最終目標と言われるコースに、
好天に恵まれ、僕たちはまんまと成功した。(北田啓郎、1999/1/11)

4.22.1998

ハイシエラのスキー縦走

THE SIERRA HIGH ROUTE

ハイシエラのスキー縦走
奇跡の晴天、天はわれらについた
  
Skiing and camping at Mileston basin
 

1998-4-22.5-7
メンバー 北田、溝部、真壁、渡辺、西原、ひろゆき、ベン、マット、汽車

昨年に続きカリフォルニアのシエラに春スキー遠征することになった。
メンバーは昨年とおなじ。さらにベンちゃんのお兄さんマットも参加するという。総勢9人の
大部隊だ。日米合同ハイシエラ横断隊と名前をつけておこう。
ヨセミテ見物などしながらサンフランシスコから南下。フレスノでバーディ兄弟と合流。
4-24
前日、V8の14人のりの巨大バンをセコイアナショナルパークの入り口ジャイアントフォレス
トに置く。何日かのちにここに下ってくることになる予定なのだがどうなることやら。マーキ
ュリーというロコ航空会社の小型機2台をチャーターしてフレスノから編隊飛行でシエラを東
にひとまたぎ。45分のフライト。もどりは1週間の予定。1600ドルのチャーター代だ。
インデペンデンスの飛行場で予約していたトラックに分乗してシムズクリークのトレイルヘッ
ドへ。11時には歩き出していた。砂漠からのスタートだがやがて雪が出てくる。20キロ近
い重荷と高所のせいか足取りは鈍い。先が思いやられる初日ではある。2700メートルのマ
ホガニーフラットまで、6時間ほど。水がとれるのがうれしい。ウイリアムソン山が大きい。
ウイスキーをなめてテントにたおれこむものも。ぼくは調子がよい。

4-25
シェパードパス越え。いきなり3600メートルの峠越えで、高所に弱いものにはアゴがでる登り
だ。朝晩の寒さは格別だが日中の暑さも格別。長いゆるい下りに入り、カーンリバーに滑り込
む。行動時間8時間。バテ気味。ぼくは調子よし。

4-26
朝いちで登り始めたマイルストーンクリークが、枝沢で間違いと気がついたのが11時ころ。
ひと尾根まわりこんでマイルストーンベイスンにたどりついたのは2時ころ。きょうはここで
テントを張ることにする。とてもこれから4000メートルちかいマイルストーンパスを越え
られるものではない。シエラ山中の無名湖畔の快適サイト。くらくなるまでのんびり過ごす。
連日の好天が救いだ。今日の行動時間5時間。

4-27
本日も晴天。マイルストーンパスを超える。峠直下のカールの急斜面を快適のすべる。カワエ
ピークからのびる大きな尾根をこえる場所がわからず、うろうろしているうちに日がくれてく
る。どうやらかすかなトレイルがみえるヤバそうな斜面をこえるらしいと分かったところでテ
ント泊。熊の足跡があるので完全なベアぷルーフを実行。行動時間7時間。
2日間で予定の1日分も消化していないのであせる。連日の好天が奇跡のようだ。ぼくは胃の
調子がよくない。

4-28
早起きして、真壁絶好調で問題の急斜面をこえる。巨大なカールを大胆にトラバースしてトリ
プルディバイドパスへ。パスをこえると再びカールの急なすべり。気合いで滑る。さらに長い
ゆるいトラバースがあり、アイゼン、ピッケルをつかった登り下りがあり、さらに超巨大なカ
ールを等高線ぞいにトラバースして、三たび峠をこえ、さらにもっと巨大なカールを4、5キ
ロか、大トラバースしてパスをこえロンリーレイクに滑り込む。いっきにきのうおとといの遅
れを取り戻した勘定だ。数日まえのかすかなトレイルがあるおかげ。奇跡の晴天のおかげ。じ
つはこの先行するトレイルを怪しいものとして見ていたわれわれだが、このころには、これは
経験深いガイドに率いられたパーティのものであろう、と確信する至る。
ロンリーレイクからは遥か西に海岸平野のひろがりが見える。先がみえた感あり。胃の調子最
悪で、さけ茶漬けでしのぐ。酒ものまず。持病の胃炎らしい。きょうも人にあうことなし。

4-29
奇跡の晴天はきょうも続く。とはいえ昨夕のうろこ雲といい、きょうの北の雲といい、そろそ
ろ悪天のきざしがのぞきはじめている。
地図をみて先行のかすかなトレイルをみてわれわれはすすむ。立山弥陀ガ原の数倍の大きさは
あるかと思える巨大複雑地形を紆余曲折して進む。昼ころにはペアレイクのレインジャーステ
ーションに到着。さらにひと登りしてヒーサーレイクへ。
荷物も軽くなったいきおいでルート最後のハンプの急登をこえ、2日分を1日で稼ぐ自信がつ
いたわれわれは、雪崩のように、V8バンのまつジャイアントフォレストへと滑り込む。あっけ
なく駐車場に着。16時。意外とらくな最終日だった。ここでテント張るのもまぬけと、スピ
ードドライブでフレスノのトラベルインにチェックイン。シャワーをあびて近所のファミレス
で祝杯をあげたのは22時。

天はわれわれに味方した。
翌朝から帰国までの数日間、カリフォルニアはここが常春の国かとおもうほどの梅雨寒の雨ま
じりの毎日だったのだから。
このシエラハイルートは、熟知者が好天を狙って軽装で快走すればおそらく4泊5日で抜けら
れるかもしれない。ただし悪天に捕まえられたら当分帰ってこれない可能性はある。なにせエ
スケープルートなし、避難小屋なしなのだから。さらに、一旦降雪があれば、行程の半分以上
をしめる大トラバースルートは雪崩の巣となるのも間違いないだろう。以上、ぼくの感想です
。

バーディ兄弟と別れ、余った日々をわれわれタホ方面へのドライブとしゃれるが、天気悪く、
ヘブンリーバレーでもスキーせず、各地のアウトレット荒らしで過ごす。サンフランシスコの
ユニオンスクエア周辺での活動がわれわれのフィナーレともいうべき行動だったといえよう。

4.12.1998

小黒姫と守門岳のスキー

 

SKIING IN SUMON,KOKUROHIME IN NIIGATA

小黒姫と守門岳のスキー
少雪で下部はたいへん
 
 sumon peak
 
1998-4-12.13

4月11日 白石、次郎、ひろゆき、汽車
守門山塊ともいうべくこの山は大きい。いくつかのピークが連なっているが、山スキールート図
集にほんのちょっと紹介されているのが、黒姫。守門の東、1367メートルの山だ。浅草山荘
からその連なりがみえる。
よし、あそこまで、と浅草山荘をでる。クルマで5分も走ったところが出発点。標高480メー
トルを900にでる。林道をゆく。大快晴だが、フェーン現象かなにかで異常にあつい。下黒姫
沢におりるが、激流が流れていて、行き詰まるたびに高巻かなければならない。山腹トラバース
にかえるが、小沢をこえるのに四苦八苦。なんとか、下と上の黒姫沢をわける尾根にとりつき、
春スキーらしくなる。急登をいき稜線にとびだす。つぼ足の登山者のあとがある。2時に132
8メートル峰に達す。黒姫は稜線縦走してさらに小1時間か。ダウンヒルを楽しむなら、このピ
ークで充分と考え、仮に小黒姫と名付け、一服。守門から、ガイドつきの登山者が数人下ってき
た。230滑走開始。来たとおり下って、取り付きにもどったのが430。けっこうくたびれた。

4月12日 白石、次郎、小俣、五味、ひろゆき、汽車
SLランドで握り飯の朝めしをいただき、田小屋へクルマ一台配車したあと、大白川の大原スキ
ー場まで行く。東京からきた、小俣、五味がコーヒーをのんでいた。少雪で今日で閉鎖か、スキ
ー場。うえのリフトまで車であがり、230円でリフトにのる。
今日も大快晴、ラッキーな2日間になりそうだ。シールをつけて、標高650メートルを900
スタート。急登ではスキーをかつぎ、がんがん登る。大きな尾根にでて、一服。守門本峰袴岳ま
では1時間。頂上着1230。大岳方面にスキー登山者が2グループみえる。頂上にも2人ほど
。たっぷりやすんで、下りにかかる。大岳のボウルをちょと滑り、登ってきた尾根にトラバース
、さらにどんどんくだり、藤平山から田小屋コースをとる。ぐさぐさの雪だ。900メートルま
でくだって、スキーをかつぎ、がんがん下る。大池までおりてスキーをはき、林道をくだる。田
小屋への登山道にはいるが、不明りょうになり、結局、地図どおり田小屋手前のシェイドにでて
しまう。500メートルほど歩いて、朝置いた車と対面できた。あたりにはフキノトウが群生し
ていた。入広瀬の穴沢の寿和温泉で汗をながす。
次郎も元気、メンバーも満足の2日間だった。

4.04.1998

小川山父岩

小川山父岩のニュールート「カンペキな父」
混雑解消に朗報
 
完璧な父
 
Date: Mon, 4 Apr 1998 

昨年11月から12月にかけて小川山の父岩にル-トを1本設定しました。このカ
ベは「北山真ワ-ルド」ともいえる人気のエリアでどのラインもシ-ズン中は順番
待ちを覚悟しなければなりません。新しいル-トは「タジャン2」と「岩壁の父」
の隙間を埋めるものです。しかし、下半身デブのカベですから、下部の縦ダイクに
着目したのは良かったのですが、上半は論理性よりも両側のラインとの干渉ばかり
が気がかりになってしまい、やや窮屈な印象は否めません。ただリ-ドしてみると
、ポイントが多くて(10a程度のポイントが5、6箇所ある)仮に左右のル-ト
のホ-ルドを使ってしまっても易しくはなりませんから、自然とボルト沿いに登る
ことになると思います。グレ-ドは10bとします。7本目のボルトは「岩壁の父
」のものを使います。ヌンチャクはランナ-だけで9本必要です。5本目、ないし
6本目のランナ-は少し長めにした方がロ-プの流れはスム-スです。スタ-トは
「タジャン2」の右で、1本目がRCCボルトになっています。スケ-ルは27m
。50mロ-プ1本でトップロ-プを行う場合はビレイヤ-が「岩壁の父」の取り
付きのバンドに上がらなければなりません。
なお、きちんとリ-ドしたのはこの4月4日で、取り付きは膝までの雪、壁のあち
こちにはベルグラ、ツララがまだ冬の名残を残していました。
ル-ト名は、父親のカガミである私に因んで、当然「カンペキな父」、..ギャハ
ハ。
:伊藤
(開拓者:伊藤&安田)

ATTENTION:
ルート長は27メートルなので、トップロープは50メーターロープが必要で、確保者
が前述のとおり右上のバンドにあがると、ぎりぎりで可能。
注意してほしいのは、リードクライミング後、ロワーダウンで降りる場合で、当然、
降ろされる人は右上のバンドにぎりぎりで着地することになる。確保者は取り付き点
まで数メートル登る必要があるかもしれない。
またロープ末端を8の字結びにしておくこと。

3.21.1998

火打山から笹倉温泉

火打山から笹倉温泉へ春スキー
終点の温泉がグー、なかなかオツなルート
 
IN KOYAIKE HUT
 
メンバー クロ、なべ、高村、木俣,汽車
1998年3月21日から22日


先秋、高速道路が妙高まで通じ、東京を朝500に出て、900には,杉の沢スキー場の
駐車場でクロちゃんに会うことができた。妙高、志賀など,この冬のオリンピックのおか
げでずいぶん近くなったものだ。
新設のゴンドラと三田原高速第三リフトと乗り継いで,標高1850メートルまで,あっ
という間。降りたところで、ナベ、木俣、高倉氏と合流。
ちょうど、ここの主、ヒュッテの築田さんと矢野君たちも登ってきた。彼らは雪洞講習会
とやらで生徒を3人ほどつれている。
三田原山までは1時間とちょっと。ラッセルもなく快調だ。シールを外し、クラストした
滑りにくいスロープを黒沢池まで滑り込む。名人たちもこの雪では初心者のようだ。
ちょっと登りかえして、再びシールを外し、高谷池ヒュッテに到着。3時。
視界があればどうということのない道のりだがガスられたりしたら、ヒュッテを探すのに
右往左往するところだ。
冬季小屋は素泊まりで1000円。今夜の同宿はゼフィルスの沼のさんと中年の夫婦。酒
盛りしてミーティング。
高村氏が明日天気がよければさっさと笹倉温泉まで抜けようと提案する。明日はこの周辺
で遊んで、翌日笹倉というプランだったが、天気模様とお酒の残り具合を見て、その案に

賛成する。

23日
700前には小屋を出る。視界はあるが、火打山のあたりはガスにかくれている。火打山
までは各自好きなルートをとる。アイゼンをつけるもの、スキークトーを使うもの、あく
までシール登行するものなどまちまち。
1時間ちょっとで頂上。視界はあまりない。シールをつけたまま、おそるおそる影火打と
のコルまで下る。コルでシールを外し下り始めるが,ガスのため、ルートが判然としない
。30分ほど様子をみて,ガスの切れ目を待つ。ルート発見。
地図上で等高線の緩くなっている滑り台状のスロープに入る。まずまずの雪質。2000
メートル地点で隣の小尾根をこえて大きな沢にはいる。デブリがあちこちにでている。急
斜面をくだり快適に滑っていくと、急に平坦地にでくわす。クライマックスは過ぎた。
大休みして、野のテレマークにモード変更。
ガイドブックとおり等高線に沿ってトラバースすると深い谷にでくわす。賽の河原という
ところ。川底まで転げ落ち、対岸をよじ登る。アマノ平に滑りこみ,数本のトレイルを発
見。トレイル沿いに快調に滑る。林道にでくわし,笹倉温泉を眼下にのぞむ。笹倉温泉の
駐車場まで雪が切れることなく滑走できたのには感激した。ふと時計をみれば、まだ13
30。妙高に周回できる時間だが、評判の笹倉温泉に泊まってみたいとみんながいう。
格安で親切で綺麗な建物と部屋、温泉と料理は天下一品で,いうことなしの宿だった。
夕方から雪になり、一晩降り続いたからこの日の下山は正解だったのだろう。
北陸,信越線をつかい車を置いてある妙高の駐車場に戻ったのは翌日の昼前だった。

火打山鍋倉谷

1998-4-4.5

メンバー
田中俊之、津田浩司、飯沼慶二、野村みどり、榎本康二

この土日、火打~笹倉に行く予定でしたが、先週の寒波で、山は
アイスバーンになっており(三田原の登りでかりかり状態)、
このまま行っても楽しくないという判断で、高谷池ヒュッテから
鍋倉谷を降りて、笹が峰へ降りました。

しかし、鍋倉谷のルートも、最初の滑降はなかなか楽しく滑れて、
良かったです。笹が峰を延々歩くのはさすがに疲れましたが、
1日をフルに使ったツアーとなりました。

ただ、今年は雪が少なく、惣兵衛谷との合流あたりで谷は割れていて
スノーブリッヂを渡るか、高巻を巻くかする必要がありました。

高谷池ヒュッテは、スキーヤーでいっぱい。30人以上が泊まると
いう盛況でした。我々は、すでに笹倉は中止にしていたので、4階で
のんびりと寝ましたけど。

今回のトラブル
スネークスキン:硬いバーンの登りで効かない。
        取り付けバンドが切れる。

2.22.1998

八ツ南沢のアイス

八ツ南沢のアイスクライミング
あちゃこちゃ行ったが結局ここ
 
1998/2/22、
メンバー:毎度おなじみタマナシ・パーティ(Chu&ヤッチン)

ホントは“荒川”に入ろうとしていたんですが、そのスジからの話では、ブライダル  
フォールが、ない!っていうし、奈良田のゲートがあいていても入ったのがバレルと  
嫌がらせでしめられちゃうというムチャクチャな状況なんですね。国土を切り開いて  
作った道路は、まっいろいろあるでしょうが、原則的には、民衆の共有財産な訳だよ  
なあ...やーめた、これやると、どんどんそれちゃうんで。とりあえずムカツクっ  
てとこで。
で、ああだこうだとこの2週間、あっちゃこっちゃ行って春日ルンゼなんて超マイナ  
ーなとこも攻めたけど、膝までのラッセル4時間でもうべろべろ。結局、標高100  
0m程度んとこじゃあかん、ってことに決めました。そうすると、やっぱり八ツかな  
あって。

南沢大滝は正月前後は下半が雪で埋まってスケールがなくなりとても快適なんて話も  
聞きましたが、もうそうではないですね。例年同時季に比べると明らかに貧弱です。  
前の日に降った暖かい雨で表面がでこぼこしていたり、流水溝が入っていたりでお世  
辞にも快適な状態とはいえません。だれも入っていなかったので、まずヤッチンが一  
番安定してみえる正面をリードし、私がフォロー。垂直部分が8mほどで、やや氷質  
が悪いのですが、多少凹角状になっていて安定して立てるポイントがあります。
正面ラインから左右の空洞を隔ててそれぞれ1m幅のつららが、やっと下部のフェー  
スにつながっています。右のツララは薄すぎてハーケンが裏側にはみでてしましそう  
です。左側は、立ちはじめの1m半は薄いのですがそれより上はかなり安定していま  
したので、私がリードしました。垂直部分は6mほどですが、アレート状ですので足  
使いが難しく感じました。上部の氷質は正面よりも安定していました。
しかし、後からきたガイドらしき超上手なリーダーが、大滝落口に3本のアイスハー  
ケンで支点を作って、3人の初心者らしいひとをぶら下げて講習をはじめたのにはび  
っくりしました。良く分かりませんが、氷の支点でトップローップってやったことな  
いんですよ、私は。大丈夫なんでしょうか? 落口って、セオリーからいうと氷が薄  
くて気泡が入りやすいんですよね。ここもそうでしたよ。...でもこのひとすんげ  
えうまいんだよねえ。
と、いうわけで今回もタマナシの面目躍如...でした。ではまた、次回のこころ。  

2.04.1998

CLIMBING IN PHRA-NANG

CLIMBING IN PHRA-NANG , THAILAND

南タイ・プラナンのクライミング
トロピカルなクライミング
  
climbing in PHRA-NANG
 

MEMBER 野村 仁 & YOSIKO
1998年2月
    *
 Phra Nang(プラナン)岬は、石灰岩の岩壁と2つの岩峰、その間を埋める砂洲で構成  
されている。かつての海底がそのまま隆起して、地上に姿を現したような不思議な岩  
脈が立ち並ぶ。その独特の地形のために周辺から隔絶されており、小さなテイルボー  
トでしか上陸することができない。半島内に車が走る道路はなく、自転車も持ち込ま  
れていない。耕作地、商店、病院、警察のようなものもいっさいなく、おそらく定住  
している人もいない。リゾートらしい観光施設を全く排除しているのか、あるいはま  
だ大資本が入っていない秘境のリゾートというべきか。リゾート客の大半は欧米人で  
、泳いだり、浜に寝転んだり、本を読んだり、男女でベタベタしたり、そして一部の  
人はクライミングをしてすごしている。
 上陸した日の夕方になると、ぼくたちは、もう何をするあてもない気分になった。  
7a(5.11cくらい)が1本登れればいいなー、と思っていたが、それも淡い目的にすぎな  
かった。夕方まで何時間しか登れないから、今日はここをやろうとか、どういうステ  
ップで目標に近づこうとか、そういう思考方法にならない。定職のないフルタイムク  
ライマーのように、無限に時間を使える気分になってくる。気温と湿度、空と海の色  
、異邦の人々の視線としぐさ、いろいろなものが、この時間の流れに無抵抗に従えと  
いうかのようだ。
    *
 プラナン岬には4つのビーチがある。テイルボートが発着するメインビーチがライ  
レイ・ウエストビーチ、そこから半島中央部を徒歩5分強で横断すると、ライレイ・イ  
ーストビーチに至る。沖に珊瑚礁があるのか、ウエストビーチは白砂の明るい浜であ  
る。対するイーストビーチのほうはマングローブが茂って汚いため、浜で遊んでいる  
人をほとんど見かけない。
 半島南端には、この地で最も美しいというプラナンビーチがある。この一角は残念  
なことに高級ホテルに占有され、プラナンビーチはそのプライベートビーチとなって  
いる。イーストビーチからジャングルのトレールをたどればプラナンビーチに出られ  
るが、ぼくたちは一度も行かなかった。プーケット、ピーピー島と、プラナンの高級  
ホテルをセットにした日本からのパックツアーが販売されていることを、あとで知っ  
た。
 ともあれ、横幅にして数百メートル程度の小さな半島に、城ガ崎全域にも匹敵する  
ほどのクライミングエリアが拓かれているわけである。1998年2月現在のエリア数は  
32、ルート数は約250本、最高グレードは8c(5.14a)ということだ。
 ぼくたちはプラナンに5日間いたのだが、クライミングをするのにこれは最少限ギ  
リギリの日数だったようだ。1日目にはイーストビーチ側のメインエリアを回り、滞  
在2日目にちょっとしたトラブルに巻き込まれて、丸2日間クライミングが全くできな  
かった。残る2日間のうち、1日でどうしてもトンサイベイとタイワンド・ウォールを  
回らなければならない。主要なクライミングエリアの写真をひととおり撮って、最低  
限のガイドをできる材料を集めるのが今回の目的だった。

●ワン・ツー・スリー、ムイタイ
 プラナンの難ルートを落とそうとか、ルート開拓をしようなどという目標があるの  
でなかったら、最初に足馴らしに行くのは、「1,2,3」(ワン・ツー・スリー)エリアがふ  
さわしいだろう。ライレイ・イーストビーチからすぐのところにその壁が見え、1日中  
クライマーがいないことはない人気エリアである。すぐ右隣にはムイタイ・エリアが  
あり、こちらは少しグレードが高い。
 ワン・ツー・スリーには、フレンチグレード5クラス(5.6~5.8)が6本、ムイタイには  
5が1本ある。クライミングの基本的作法を知っていれば、石灰岩のクライミングが初  
めての人でも取り付けるルートである。続く6a~6a+(5.9~5.10b)は両エリア合わせ  
て4本、6b~6b+(5.10c~d)はぐっと多く12本を数える。ここまでがテン・クライマー  
の楽しめる範囲、石灰岩クライミングの入門クラスということになる。
 ワン・ツー・スリーとムイタイに来ているのは、まず現地のインストラクターに案内  
されるお客が多数。それ以外のフリーの人でも、初級クラスのテンクライマーが多い  
ようだった。こういう人たちのなかでは、6aや6bをきれいに登れば、けっこうやるじ  
ゃないか、と見えてしまう。5、6a、6bのルートはどれもおもしろく、初見で登れば  
けっこう難しい。なかでも5クラスはインストラクターが商売に使うルートだから、  
一般クライマーは彼らのじゃまをしないように気をつかったほうがいい。
 ワン・ツー・スリーとムイタイでは、いつも混んでいて順番待ちが長くなってしまう  
。そこで、ガンガン登りたい人は午前中の早い時間に来ること。そして昼食後には移  
動するのが賢い選択だろう。ワン・ツー・スリーから少し奥(東側)の山に入れば5つの  
エリアが連続していて、このうちぼくたちが行ったのは「ダンカンズ・ブート」エリア  
。薄暗いジャングルの中にあってロケーションは数段落ちるが、ルートは相変わらず  
おもしろそうだ。この周辺にはヒドンワールド、ジャングルジム、ザ・キープ、キャ  
ッスル・ウォールといった小エリアが集まっている。

●ロウタイド・ウォール
 干潮時(お昼から午後)になれば東側の岩礁を歩いて、ロウタイド・ウォールに行け  
る。ここは海岸の真ん中にある独立したエリアで、クラビーから船でやってくると、  
青空をバックに白い壁を登るクライマーの姿がカッコよく望めるところ。隠れた人気  
エリアのようである。すぐ奥にはジュラシック・パーク、フエコ・ウォールのエリアが  
続いている。ルートは6aからあるが、5.10aとはいってもかぶりがきついし、どれも  
初見になるから、それなりの実力が必要。だれかがリードしないとトップロープはセ  
ットできない。6aを余裕で登れないグループは、ただ海を眺めて帰ってくることにな  
るかもしれない。
 ぼくたちはいろいろあって、最終日にここへ来た。エリア名ともなったロウタイド  
(5b)は、1本目のクリップ前に核心があり、その上はワイドクラックもどきの登り方  
をさせられる。ぼくにとっては怖いルートだった。1本くらいはイレブンと、左端の 
Narsilion (6c+)をねらっていたのだが、これは次々に人が取り付いて登れなかった  
。

●ダムズ・キッチン、トンサイ
 半島北端の小さなビーチがトンサイベイである。ここにはクライミングをする人し  
か来ない。とても静かで周囲の景色は美しく、まさにクライマー天国だ。
 午後になって壁に日が当たると暑くて登れないので、このエリアは早朝から午前中  
に来るのが定番である。トラブル続きでふらふらになっていたぼくたちは、10時すぎ  
にバンガローを出て、アプローチのトレイルを少し迷い、壁に着いたのは11時を回っ  
ていた。ライレイ・ウエストビーチから行くと、トンサイの手前でダムズキッチンを  
通る。ここは長い前傾壁のエリアで7~8クラスが中心。8aと8bが各2本ずつ、8cが1本  
ある。トポから判断するならば、世界でも最難のレベルにちがいない。しかし、ここ  
にいた人たちは6c+で各駅停車だったり、6bにトップロープをかけて遊ぶグループだ  
った。自分のグレードがどうであっても、自分なりのマイペースで臆せずにクライミ  
ングを楽しんでいる。これは、プラナンを登る外国人クライマーの様子を見ていつも  
感じたことだった。だいじなのは登るグレードではない。心からクライミングを楽し  
むことだ。
 ダムズ・キッチンに荷物を置き、隣のトンサイに行く。まずタイ人の若者グループ  
に声をかけて、Lal Bab(7a+)らしいルートを撮らせてもらった。隣のかなりうまい西  
洋人グループは、仲間うちの初心者らしいのが身体中を震わせながら Cafe Andaman 
(7b)にトライ中。これも撮影させてもらい、ルート名を教えてもらった。トンサイの  
下部エリアは今風のどっかぶりルーフで、最もやさしいクラスで7a(1本だけ6a+があ  
る)、中心は7b~7c、8クラスが6本ある。左端から登る上部エリアには6クラスもある  
が、メインはなんといっても下部ルーフ、はっきりいって5.12クライマーのエリアで  
ある。
 ベースから徒歩20分ほどの美しいビーチに、5.12ルートがズラリと並ぶエリアがあ  
るのだから、そのスジの人にはこたえられない。二子山がご近所にあるようなもので  
ある。トンサイは日本人クライマーに一番人気のエリアというのだが、どうやら日本  
から来るのは5.12クラスの人が多いらしく、なんとも偏った状況である。5.10編集者  
の視点によって、5.10クライマーでも十分に遊べることを報告するのが、Rock&Snow  
編集部の意図する点であるだろう。

●タイワンド・ウォール
 もうひとがんばりと、タイワンド・ウォールへ登る。ライレイ・ウエストビーチの眼  
前にそびえる心なしか傾いた巨大な岩塔。その中央にはケイブが口を開いており、ト  
ンネルがプラナンビーチへ抜けているという。
 このエリアは、なんといっても3~4ピッチで頂上へ抜けられるマルチピッチが売り  
なのだが、2~3ピッチ目には7a~7bの核心部が集中している。したがって、5.11後半  
から5.12の力がない人には King & I (4P:6b/6a/7b+/7a)の2ピッチ目までしか登れ  
ない。多くの人はこのルートの2ピッチ目まで登って高度感を楽しみ、ラペルで下降  
して満足しているようだ。あとは1ピッチ目の各ルート(多数の6a~7a)を登ったり、  
Twenty Kilos of Steel (4)からトンネルを通ってプラナンビーチへ抜けるケイブツ  
アーを楽しむ人もいる。これらは、インストラクターが客をガイドするお決まりのコ  
ースにもなっている。
 壁の基部から5.5くらいのトラバースで King & I の取付に登ると、ライレイビー  
チの全域を見渡せるビューポイントである。景色を眺め、写真を撮ってからタイワン  
ド・ウォールを後にした。
    *
 プラナンでどうしても行きたいエリアをあげるなら、これまであげたワン・ツー・ス  
リー、ムイタイ、トンサイ、タイワンド・ウォールの4つになるだろう。年末年始のた  
とえば9日間の休みで訪れた場合、往復の日数を除けば、5日間プラナンでクライミン  
グができる。最初の2日間は足馴らしにワン・ツー・スリーとムイタイ、次の2日間は、  
7クラスに挑戦できるならトンサイへ、アルパインの登り方を知っているクライマー  
ならタイワンド・ウォールへ行ってもいい。最後の日には、自分の一番好きなエリア  
で課題に取り組むか、クライミングエリアを結んでハイキングしてもいいし、もちろ  
ん何もせずにゴロゴロしてもいい。1日早くプラナンを発って、ピーピー島経由でプ  
ーケットへ向かうのも楽しいだろう。
 理想をいうなら、本当は2週間くらいの日程で、10日間以上プラナンで登りたい。  
夢のようなクライミング経験になるだろうが、それは大多数のサラリーマンクライマ  
ーには不可能なことである。これまでは学生やフルタイムクライマー、それに近い人  
たちがプラナンに来ていただろうし、以前『岩と雪』で紹介されたプラナンも、そう  
いう人たちのための、さらには5.11後半から5.12以上の人たちが読んで役立つプラナ  
ンのガイドであった。いわゆる「上級クライマー」といわれる人たちのなかにも、アメ  
リカは行った、オーストラリアやフランスにも行ったけど、まだタイは行っていない  
、今度行きたいな…、という人はけっこう多いらしい。
 そんな別世界の話ではなくて、ぼくの本心としては、会社と家庭に縛られるサラリ  
ーマン、家族サービスや親戚づきあいの合間をぬってクライミングを維持している人  
たち、その結果、5.10からなかなかレベルアップが難しいというクライマーにこそ、  
日常から逃げ出して南国のクライミングリゾートに行ってみてほしい。帰ってくれば  
、もっとのびのびとした感覚で、再びクライミングを続ける気持ちになれることだろ  
う。

○記録
2/4 成田(航空機約6時間)-バンコク
2/5 バンコク(航空機1時間)-プーケット(ワゴンタクシー3時間)-アオナン(ボート  
15分)-ライレイ・ウエストビーチ(徒歩5分)-ヤヤ・バンガロー滞在
2/ 6 ムイタイ、ワン・ツー・スリー、ダンカンズ・ブート
    Giggerig for Climbing  5, 12m (1,2,3)
    Karaoke  6a, 10m (ダンカンズブート)
    Valentine  6a+, 12m (ムイタイ)
    Nuat Hin  6a+, 15m (ムイタイ)
2/ 7 ライレイ(ボート50分)-クラビー
2/ 8 クラビー(ボート50分)-ライレイ
2/ 9 ダムズキッチン、トンサイ、タイワンド・ウォール
2/10 ワン・ツー・スリー、ロータイド・ウォール
    We Sad  6a+, 25m (1,2,3)
    Make a Way  6b, 27m (1,2,3)
    Low Tide(1P)  6b, 20m (ロータイド・ウォール)
2/11 ライレイ(ボート50分)-クラビー(ワゴンタクシー2時間)-プーケット(航空機  
1時間)-バンコク
2/12 バンコク(航空機約6時間)-成田
(注) 2/7~8はトラブルのためクラビーに行かなくてはならず、結局、今回は2日間  
しかクライミングできなかった。また登り直しに行こう

1.24.1998

松木沢支流夏子屋沢

松木沢支流夏子屋沢F3のボロボロ氷柱登り
大切なつららをこわしたのはだれだ.
 
1/24/98、chu & ヤッチン

1998年か調査中

足尾の松木沢はアプロ-チのラクチンな割りに良質なアイスクライミングのできる

ゲレンデで、シ-ズン中(1、2月)はどの支流にもひとが入っている。黒沢が有

名だが、技術的には夏子屋沢のF3と横向沢の氷壁が立っていて面白い。

今シ-ズンはさすがの黒沢も全体的に氷が薄くて遠目にもヤナ感じだ。横向はやせ

ていて、超チンケ。夏子屋のF3を先行してリ-ドしていたクライマ-が先週登っ

たとうそぶいていたが、とても食指をそそるようなものじゃない。アイスクライミ

ングは技術よりも多分に感覚先行型の遊びなので、確率に呪縛されきっている。と

にかくケッコウうまいやつが、突然落ちたりして怪我してる。登れる氷かどうかの

判断が難しいから、性格にもよるんだろう。もっともル-トに出現する”氷”は質

に拘わらず処理しなければならないってことも多分にあるけど。

夏子屋のF3(12m)は広川さんのガイドブックに載ってる写真とは別物で、僕

の判断ではリ-ドできるぎりぎりの氷質。立ってる部分が短いから、そこに打つハ

-ケンさえ信頼できればいけなくもないな、って程度に悪い。下部はでこぼこのつ

ららで、そいつを壊さないように登れよなって、100回ぐらいやっちんにやじと

ばしたが、結局ここを壊しまくったのはラクチン・フォロ-の私であった。

(Sorry、フィルム忘れた!!)

1.20.1998

八ガ岳横岳西壁

八ガ岳横岳西壁
日帰りで裏同心ルンゼを登る。にぎやか

裏同心ルンゼ
 menber 忠、安田、汽車

1998年1月か調査中

5時に城西を出ず。美濃戸7時過ぎ着。やすだと合流。零下10度、
厳寒快晴の朝。レガシーにて美濃戸口に移動。10時に赤岳鉱泉。  
寡雪なれどアイスクライミングには降雪より寒気が重要とか。明瞭
なトレールをたどりF1へ。3チームほどのアイスクライマーと前
後して登る。その先、後ろにも別グループあり。大変にぎやかな日
。山岳会メンバーが多い様子。好写真が撮れる。   やすだリードで
F1、2、3と難無くのぼり、F4で交代しリード。気温上昇し、
日当りにてしばしばレスト。F5をぬけると大同心の基部にでる。
二人のシモン・ナジャ、私のシャルレ、ともに具合よろしい。西方
、日本アルプス連山の展望よし。大同心正面および小同心にクライ
マーあり。

 ギアを方つけアイゼン着のまま大同心稜を伝い赤岳鉱泉に下る。2
時鉱泉着。美濃戸口帰着4時前。小淵沢で温泉にはいり、帰京20
時。

 日帰りには若干ハードな行程だが鍛練とおもえばよいだろう。赤岳
鉱泉のテント場はにぎやかだった。今年はアイスクライマーが多く
出現する予感あり。