12.23.2017

房の大山

房の大山
砲台跡のある戦争遺跡の山
12月22日 金曜日
member  太郎 ケイ 伊藤記

大山の砲台地図。ネットから拝借

登山口から大山
ホテルの裏山の奥に見えるのがたぶん大山(ぼうのだいせん)だろう。このへんで一番高く193mだという。洲崎灯台を見てから坂田海岸へ。公衆トイレ脇に駐車。
漁港や砂浜をながめてから道路を渡って山へ向かう。どんつまりの民宿の手前にか細いハイキング道があってそこが登り口。9時スタート。

竹やぶを過ぎ照葉樹の森に入る。スタジイ?の大木が目立つ。急坂を登ると歩きやすい道が続く。1本道で水平距離が長いので楽である。となりの土砂捨て場からの騒音がうるさい。樹間から山頂らしい高みがみえる。次第に急になってひとがんばりすると開けた山頂に出る。10時過ぎ。
中国ぽい林を行く

南アジアぽい森を行く

山頂から東京湾入り口
一等三角点がある。一帯のヤブを切り開いているので展望は悪くない。山頂の一部は大きな窪みになっていて旧日本軍の要塞跡がある。基礎か建屋かコンクリートの頑丈な残骸がわかる。ほかにも塹壕のようなものがあちこちあるようだ。

大山は旧日本軍占有の山で、東京湾防衛の最前線だったという。山腹には砲台があっていまも遺跡が残る。マニア必見の地らしい。大山山頂の遺跡は見張り台だったようだ。ここで敵艦を見つけ観測、弾道を計算して砲台に伝えたとか。とはいえ敵艦がやって来る前にB29が飛んできて終戦、大砲の活躍はなかったようだ。
日本軍の遺構があちこちにある
周回路を探すが、古い軍道?は土砂捨て場につづいていて通行止め。もうひとつの下り道は根本への道で半島の反対側に出てしまう、ことがわかった。けっきょく往路を戻るしかない。
6人ほどの年寄組が登ってくるのに会った。けっこう人気の山らしい。2時前に終了。

布良岬や青木繁記念碑、小谷家などを見てから帰京。千葉の山はなかなか味わいぶかい。


南総の富山

南総の富山
里見八犬伝の舞台だという

2017年12月21日木曜日
member  太郎 ケイ 伊藤記
あちこちにスイセン

福満寺の仁王様

富山は双子峰で北、南どちらも鉄塔が立つ

南峰の観音堂。ほかにも石仏が

先週はふじてんでスキー練習した。標高1300mほどあってさすがに寒かったがいちおうの感触が得られたんでよしとしよう。今週は暖かい房総へ。
アクラライン経由で木更津。下道をのんびり南下、道駅保田小学校で朝飯をとり岩井へ。市部の交差点を左折してまっすぐ行った右手にハイカー駐車場がある。正面に見えるアンテナのたつ双子山が富山(とみさん)だろう。

1030分にスタート。福満寺から山道に入る。かなりの急登である。スイセンや菜の花が咲いているが北風は冷たい。照葉樹の森で竹林も多い。南国の山のようで新鮮な景色である。急坂が一段落して歩きやすい道がつづく。

ひと登りしたところが富山南峰で観音堂があり、あたりはうっそうとした雰囲気。展望はあまりない。
鞍部を過ぎて緩く登ると明るく開けた北峰のピークになる。立派な展望台があって園地のように整備されている。内房の海がみえる。外房側も。皇太子・妃が登ったという記念樹があった。12時なので軽くランチタイム。ここまで4~5人にしか会ってない。
伏姫篭り穴の舞台と洞穴

林道を下る

下山は周回路があるのでそれを選ぶ。急坂の階段である。モミジなどの秋色が見られた。林道に下りたその先に伏姫篭穴の案内があった。立派な門と整備された参道、それを上がると舞台があって洞穴があった。穴の中には大きな白玉と八つの珠がならんでいた。南総里見八犬伝にちなむものだという。

江戸時代の伝奇小説のようだが教科書でしか知らない。この名所の整備は富山町がおこなっているようだが施設が立派なわりには訪れる人は少ないようだ。

スイセン畑を過ぎて富山学園の脇をぬけて車に戻る。1時半終了。

館山城に登り見学、館山港や海上自衛隊基地がよく見えた。館山は東京湾に面した軍都だという。旧日本軍の遺跡があちこちにあるようだ。この城山の真下にも1.6㎞にもおよぶ地下要塞があり見学できるようだ。次回のたのしみとしよう。

館山城跡。城山には日本軍の地下要塞があるらしい

閑散としたリゾートホテル


フラワーラインを走り館山リゾートホテルにイン。旧名アクシオンでいまはアムスグループ。バブル時代の建物だが中身は悪くないかな。

11.16.2017

鋸山(房総)ハイキング

鋸山(房総)
石切場のあるハイキング名山

2017年11月4~5日
member  太郎 ケイ 伊藤記
日本寺千五百羅漢。頭部は全て復元

大仏

石切場跡

4日火曜日
明るくなるころ川崎殿町インターからアクアラインで木更津へ。開業20年のアクアラインだが走るのは初めて。早朝とあって海ほたるは空いていた。千葉県のハイキングも初めてで、今日は有名な鋸山を訪ねたい。

金谷の日本寺の大仏側、東口パーキングへ(駐車無料)。600円で院内に入り境内を歩く。大小の石仏(羅漢様)が目立つ。昼間は観光の人で人込みとなるところのようだ。石切り場の最高部が地獄のぞきでここはかなり怖い。

手持ちのおおざっぱな地図では鋸山へのハイキング道がわからなかった。うろうろして結局下山。
海岸線をドライブして野島崎灯台経由鴨川。グリーンプラザホテルにイン。洗濯岩のような磯に太平洋の荒波が押し寄せる。潮騒がうるさいほど。
鴨川。伊豆にも負けない海岸
きれいな海岸線。保田側にも埋もれた採石場がある

地獄のぞき。石切り場最高部かな

三浦半島に似た森
鋸山の展望台


5日 水曜日
外房鴨川から内陸を横切るようにしてドライブ。小さな峠をいくつか越えてふたたび内房金谷の鋸山へ。
今日は有料登山道(1000円。駐車代込み)を上がる。車を降りて鋸山ロープウエー山頂へは10分ほど。ここに鋸山山頂の標識があるがこれはにせもの。三角点のある鋸山はここから稜線を北へ行ったところにあるはず。うろうろするがここにもハイキング道はない。

結局、日本寺に入り北口を出て下ったところで浜金谷からのハイキング道と合流することがわかった。
11時ころ百尺観音から石段を下ってようやくハイキング道と合流(車力道。採石を二輪車で搬出した)。ふるさとふれあいの道とかの標識がある。ハーケン連打の古いクライミングルートも発見。人口登攀の時代の遺物のようだ。

古い石切り場をいくつも越える。あちこちを向いた垂直の断崖は日が射すと巨大なアートのよう。鋸山(乾坤山)では江戸時代から昭和50年代まで採石されていたという。200年間の石工の仕事のあとが年輪のように残されている。その興亡史は下の『ヤマさイガねが』のレポートでだいたいわかる。
石切場の岩は砂岩で三浦半島の鷹取山と同じ地層だという。いまはクライミングゲレンデにもなっているがもともとは石切り場だったはず。ちなみに大谷石も同じ地層らしい。

昼過ぎに鋸山山頂。小さな山頂標識と三角点があった。途中の小ピークからの展望は素晴らしい。地球が丸く見えるピークだという。海岸線の曲折は複雑で美しい。
ひとやすみして往路を戻る。

房総の山や海岸線は伊豆半島とは似て非なる趣があってなかなかなものだということがわかった。
日本寺の北口番人によると、今年の春先に鋸山で二人が遭難した。道迷いして崖から落ちたという。低山ハイキングだからといって甘く見るのは禁物だ。

金谷から館山道経由アクアラインで夕方帰京。千葉の山は案外近い

参考
鋸山へは、内房線浜金谷駅から歩いて往復するのが一般ルートのようだ。車なら浜金谷駅近くのパーキングに停めるのがよい。
ロープウエー駐車場にとめて山頂駅から日本寺に入り、北口を下ってハイキング道と合流、もできる。
日本寺の大仏側(東口)か有料登山道口の駐車場に車をとめて、やはり日本寺北口から鋸山を往復することもできる。
日本寺の大仏側(東口)の駐車場は無料だからここから日本寺を見学して、鋸山を往復すれば1日楽しめるし600円の入院(拝観)料だけですむだろう。

鋸山の採石古道探検のレポートが参考になる。オブローダーの「やまさいがねが」さんのサイト。その勇敢なフィールドワークと考察に驚く。
ヤマイガ
http://yamaiga.com/road/nokogiri/main.html

注 オブローダーとは
道路趣味者の中でも特に廃道を好んで探索・調査をする人のこと。「日本の廃道」の造語。
“obsolete([英]すたれた)”から。廃道を「オブロード」、廃道歩きのことを「オブローディング」ともいう。



日本寺百尺観音



11.03.2017

今倉山2

今倉山パラジマ沢
2017年11月21日
member  太郎 伊藤記
西峰肩から八ヶ岳や南アルプスみえる

バリエーションルートのような沢道

道志道の駅で車泊。12時間も眠った。青空と鳥の胸山の紅葉がきれい、なので近所の今倉山へ。
道坂トンネルまではわずかなドライブ。2台ほど先着車がいた。

9時半にスタート。国道を都留側に少し下って二十六夜山への林道にはいりすぐにパラジマ沢ルートへ。以前登って面白いと思ったところ。
沢は荒れているが看板やトラロープがあってなんとかたどることができる。

西原で尾根にでる。展望ピークの赤岩は割愛して今倉山西峰へ。直下で3人に会う。小さな展望台からあちこちが見えた。南アルプス、八ヶ岳など。東峰の今倉山まではわずか。11時半着。

木の間越しに道志の山や富士山が見える。昨日登った大室山が大きい。だれも登ってこなかった。
秋色の山

旧道坂隧道の西側入り口

道坂峠まで急坂をまっすぐ下る。道坂峠には古道跡と旧道坂隧道、今のトンネルの3つがあるのがわかった。1時半に車に戻る。

大室山2

丹沢大室山(大群山)再訪

2017年11月1日
member  太郎 伊藤記

山頂部は風つよい

山頂

1300mで尾根に出る

秋色の山

蛭が岳、檜洞丸

.............
丹沢の季節になった。天気もよさそうなので太郎とでかける。
暗いうちに出て道志道へ。神の川キャンプ場からさらに林道を進んだところが日陰沢橋。
林道はさらに先に延びていて犬越路トンネルを経て相州(神奈川)の丹沢湖へと続いているという。車は入れないが自転車の人の人気ルートらしい。

下のキャンプ場は撮影で来たことがあったけれど(故久保田鉄さんや長谷川哲さんなどと)日陰沢は初めて。ベテランそうなひとりがいたので大室山への道を尋ねると詳しく説明してくれたが結局よくわからなかった。ヤマケイの古いガイドブックを頼りにするがこれもかなり半端でよくわからなかった。結局、山小屋の先で神の川をわたって対岸に取り付くのがいいと判明。日陰新道というらしい。8時半スタート。
 
なんのことはない、小屋の裏手で神の川を渡る(増水時は無理)。荒れた小沢の先に、おっ、3人組がいてやはり道を探しているよう。対岸にめざとく赤布を見つけてそれをたよりに少し登る。と、整備された山道(どこの仕事なのかボランティアなのか)がでてきて、あとは植林帯をえんえんと登るだけ。がまんの高差700mほど登ったところでようやく鐘撞山からの尾根にでる。

植林帯が終わって丹沢らしい雑木林になり樹間からあちこちの山がのぞく。西風が強く蛭が岳など高い山には雲がかかっている。ことしは長雨のせいか秋色はいまいちな気がした。
さらに300mほど尾根伝いに登ると林の中に広い大室山の山頂。ガスが流れて肌さむいほど。のんびりしていると3人組が登ってきた。
神の川ヒュッテだれもいなかった

蛭が岳、檜洞丸

丹沢湖方面

富士山を見ながら犬越路に下る。峠で太郎の記念写真を撮るが三度目のはず。神の川源流の沢伝いに下る。かなり急な斜面でバラスのような小石の道が続く。太郎の足にはきついかと思ったが平気だった。昔のはなし、武田軍が犬を先頭にここ甲相国境を越えた、というがほんとうだろうか。

登山道整備のふたりが仕事していた。ご苦労さま、どこの手配なのか聞きそこなった、それともボランティアなのか。このあたりは以前植樹祭があって植林が盛んだったよう。尾根の近くまでめいっぱいに針葉樹が植えられている。最近のケアはどうなんだろう。

2時半に車に戻った。今日は3人組とあと2~3人に会っただけで空いていた。

道志の湯に寄ってから道志道の駅で休憩。
富士山。雪はとけてしまった


10.13.2017

空木岳再訪(古い写真あり)

空木岳
なつかしい山。遠い、が花崗岩の稜線はすばらしい
2017年10月10日
member  太郎 伊藤記
千人塚公園からの空木岳

駒石過ぎると間近か

10月10日 火曜日
1964年の10月10日。東京オリンピックの開会日に菅の台から空木岳を目ざした。ラジヲで中継を聞いたかもしれない。紅葉がきれいだったのとカール底のぼろい小屋を覚えている。清陵山岳部の秋山行だった。高木さんがリーダーだったかな。今日も特異日らしく好天。

5時。まだ暗いのでヘッドランプでスタート。池山小屋につく前にすっかり明るくなり、尾根に上がると朝日がまぶしい。細尾根がでてきて岩場もでてくる。こんなところの記憶はないがあとで大地獄、小地獄などの名がつけられていると知る。太郎は登りは平気だが下りはいささか心配。
カール道との分岐で初めて山頂が見える

空木といえば駒石、だそう

天竜川の向こうに南アルプス全山

空木カールの秋

カールの小屋への分岐を過ぎると山頂が見えてくる。花崗岩の大岩が点在する痛快な稜線をとぼとぼと行く。ハイマツ帯からは南アルプスや八ヶ岳、昨日登った守屋山がよく見える。駒石を過ぎて肩の小屋(駒峰小屋)まで行くとちょうど小屋閉めの最中だった。11時半に山頂。トレランの人と登山姿の人が休んでいた。展望は素晴らしい。塩見岳の後に富士山が頭を出していた。

カールに下って避難小屋をのぞいてからのんびり往路を下る。岩場や階段、ハシゴの下りは太郎の苦手。4時半に車に戻った。20人くらいと会っただろうか。グループはいなかった、単独かせいぜい二人組。日帰り登山で足の速い人が多かった。老骨にとってはできれば見たくない人種ではある。

暗くなるころ麓のこぶしの湯に寄ってから飯島の道の駅へ。広くて空いていてけっこうなところ。
暗くなる前に登山口駐車場着


太郎がんばった

10月11日 水曜日
千人塚の池畔から空木岳を仰ぐ。意外と近くに山がある。伊那のみはらしファームで野菜など買って、寒天パパガーデンに寄る。以前にも思ったことだが伊那谷は明るくてきれいな田舎だと再認識。
杖突峠を越えて下道で韮崎旭温泉経由甲斐大和の道駅へ。甲斐大和というのは初鹿野のこと。暗くなってきたのでここで車泊。翌早朝深夜割引を使って帰京。

お宝写真
上諏訪のいちき糸店高木さんが送ってくれたので掲載。54年前のもの。関さんが持っていたもの。テント縦走するつもりが悪天で避難小屋に1泊して空木岳に登って下山した。カールの様子や山の形は変わってないが当時の装備がおもしろい。顧問の先生とほかは清陵高校山岳部の1~2年生。