10.31.1995

メラ・ラからのパラパント 

メラ・ラからのパラパント
伊藤忠男(CHU)
メララからのフライト
 
 



 発表する機会がなかったのでちょっと古い話になってしまいますが、  1995年 の秋に
ネパ-ルヒマラヤのクンブ地方東南端にあるトレッキング・ピ-クとしては割 に高く、思い
の外アプロ-チのあるメラピ-ク(6746m)に、3人の陽気で屈強  な山仲間と出かけま
した。

 一人はボ-ダ-で2人はテレマ-カ-ですから、私がパラを使うとなれば、もうゲテモン
遠征と言われても何も言い返せません。メラピ-クで  スキ-(アルペン)の使われた遠征は
すでに少なくはありませんが、テレマ-ク、ボ-ドは多分初めてでしょう。パラの記録では高橋
ダンプさんが何年か前に数人の仲間と試みていますが強風で断念したと聞きました。また、スイ
ス人がトップからテイクオフ  、西へ25km走らせてルクラのエア-ストリップにランディ
ングして警察に捕まっ たとかなんとか、真偽のほども分からない噂も耳にしました。

 メラピ-クは、少なくともメララ(5540mの峠)を経由する北面ノ-マルル-ト から
は一見して登りたくなるような山ではありません。メララからピ-ク手前の肩ま  で、ダラダ
ラの斜面がうんざりするほど延々と伸びています。傾斜が緩く距離が長い  ということは、容
易ということではありません。降雪や雪面の状態によっては、クレ パスやセラックとの危険な
触を長い時間に渡って警戒しなければなりません。

 僕たちは幸運でした。この時期にしてはたちの悪いクレバスも少なく、ほとんどラッセルも
せずに歩けたのですから。パラにとっても傾斜のない長い距離はやっかいな問題を孕んでいま
す。ランディング できる地点までの長さを考えると初級機が良いといった従来の”山飛び”セ
オリ-は  通用しません。ある程度距離が出せて、しかもフライトコ-スをこの時季に、とき
に卓越する偏西風に向ってとれるくらいの性能と技術が要求されます。そんな訳で機体 は翼面
積をタイトなサイズとしたコンペ機としました。

 支配的な偏西風はおおよそ朝の8時を境に、急速に下界に影響しはじめます。往のキャラバ
ンですれ違った帰りのトレッカ-の話から頂上が凪るのは1週間から10日に一度あるかない
かといった程度。山でのフライトは、今日ゲレンデでだれもが飛んでいる上限風速の半分でも
躊躇 します。パラを山で使う場合、一番難しいのは気持ちの持ちようかもしれません。集 中
しなければいけないのに、飛べない確率の方が高いのですから。ボ-ドもテレマ-クも首尾良
く完全なピ-クからの滑降を手中にしましたが、僕は体 調を崩してしまい、メララからの滑空
にとどまりました。
 
 10/31午前9時メララ北端の階段状の氷河からテイクオフしました。目前に門のように
立ちはだかる2つの切り立った岩稜の間を通過するときに小さなロ-タに多少振られましたが
、すぐにモ  レ-ンから吹き上げてくるリッジで高度が上がりました。BC上空でゆっくり旋
回し ていると8m/sゲインの強いサマ-ルが当たりましたが西に背が向くと急速に流さ れる
ようになりました。すでに偏西風が強まってきていたのです。届けばタクナックまで伸ばすつ
もりでしたが、ディルカルカをすぎ、メラ西壁を回り込んだところでま  すます前へ出なくな
り、予め考えていた標高4500mの広大な河原に向かって気の遠くなるほど高度処理を繰り
返しました。ランドするまで翌端を折ったり、シンク域を探したり、フルアクセルで走らせた
り、身につけたテク全開で、上空の偏西風域へ 一気に吸い上げられるような強烈なサ-マルと
の格闘を強いられたのでした。                     (  3/7/97記)

追:僕たちがBCを去った数日後、ベンガル湾に発生したサイクロンの影響で忌まわ  しい季
節外れの大量降雪がこの地方を襲い、多くの方が亡くなられました。ご冥福を  祈ります。合
掌。

10.15.1995

MERA-PEAK, NEPAL

MERA-PEAK, NEPAL

ヒマラヤのトレッキングピーク、6467メートルであれこれ遊ぶ
歩いては下らない、メラピークの下山の仕方

MERA PEAK
 
1995年10月15日~11月7日
member
kurokawa,
ito tadao
morihikari
ito kisya

 5月のある土曜日、小川山でクライミングしたとき。テントの脇で焚き火を囲み
 ながらヒマラヤの話しがでた。「ヒマラヤでスキーしたいね」「おれはス、スノ
 ーボードがいいな」「ぼ、ぼくはパラパントで飛んでみたい」それがきっかけだ
 った。ヒマラヤとはいえやることはふだん日本の山でやっていることだ。だが僕
 らにも登れてそんなことができる山があるのか。

トレッキングパーミットで比較
 的かんたんに登れる山としてネパールのクンブ山域にあるメラピーク(6476
 メートル)があがった。エベレストがある地域だ。世界中の山好きが毎シーズン
 、何グループもトライしているポピュラーな山。「秋に行こう。”歩いて頂上か
 ら下るのはイヤだ登山隊”としよう」話はきまった。

知り合いにカトマンズのガ
 イド会社を紹介してもらい、ファックスをいれた。反応がはやく、僕らのやりた
 いことをすぐ理解してくれた。 女性も何人か参加するような話もあったが、結
 局、男4人のグループとなった。やっぱりね、とみんななぜか納得したのだった
 。 

 カトマンズで全員が顔をあわせたのは10月15日、翌日、ガイド会社にい
 って打ち合わせをすませ、前金をはらい、ひとまずわれわれはルクラに飛んだ。
 26日の出発日までに高所順応をしておきたいので、ゴーキョ方面へトレッキン
 グにでかけることにする。三々五々とでかけナムチェバザールで遊んだりして、
 各自のプランで順応に励む。再びルクラに集合したのは24日。みんな標高50
 00メートル以上まで登ってきたという。元気だ。

 25日にサーダーと呼ばれる
 ガイドのリーダーと顔合わせした。いわゆるシェルパだ。

 26日、出発の日。サ
 ーダーとアシスタントのシェルパ2名、コックやポーター約10人が集まってき
 た。みんなでメラピークのベースキャンプへと出発する。テント、食料、登山用
 具など全部運んでくれる。食事も作ってくれる。BCまではいわゆる大名トレッキ
 ングだ。お金をはらっただけのことはある。いつも貧乏トレッキングや登山しか
 したことのないメンバーは満足げだ。出発前の高所順応トレッキングが効いて、
 メラのBCまでの5日間は全員快調、走り出すほどの元気。このアプローチは有
 名トレッキングルートからはずれているので静かできれいだった。

 30日にはBC
 設営。これも全部シェルパがやってくれる。ここにいるかぎりメシつき昼寝つき
 でいられるのだが、ここからメラピークの頂上までは自分達ですべてやらなけれ
 ばならない。ガイド会社とそういう契約をしたからだ。契約しだいではガイドが
 ロープで頂上まで引っ張っていてくれるそうだ。BCまではほとんど雪はなくこの
 上からいきなり氷河の世界がひろがる。翌日、ハイキャンプ設営。

 若手二人は自
 力でテントをかつぎあげるが、中年系の二人は、アシスタントシェルパの『なん
 でも運んであげますよ、イヒヒ』という甘い言葉にひかれ、「テント運んで」「
 あ、スキーもお願い」といきなりお願いします連発状態となる。エキストラ料金
 でやってくれるのだ。お金を積めば人間も背負子で頂上までも運んでくれそうだ
 。この5000メートルのBCまで空身同然でやってきた中年系にとって、550
 0メートルのハイキャンプまでの荷揚げは辛いのだ。

 ハイキャンプ設営のあと、
 さらに上部へ登り、スキーやボードで念願の初滑降する。Cはメラ峠からパラパン
 トで初飛行。スキーなどデポして、いったんBCにもどる。翌日は休養日。

11月2日。全員でハイキャンプに進駐。ラーメンを食べ、酒をのみ、たばこをふかす
 。天気は連日好天が続いている。あすも大丈夫だろう。

11月3日。登頂の日。
 4時起き、大快晴のなか6457メートルの頂上をめざす。標高差1000メー
 トル、水平距離もけっこう長い。気合いをいれないと頂上まで届かない。若手二
 人は頂上までスキーとボードを担ぎ上げる。中年系Cは体調悪く途中で下山。同じ
 く中年系Iはスキーの重さに耐えられず途中にスキーをデポ、登頂を目指す。

12時には3人がメラの頂きにいた。メラは展望の山だ。エベレスト、マカルー、
 カンチ、チョオユーなど8000メートルのジャイアンツが取り囲む。すぐスキ
 ーとボードが滑降を開始する。絵になるシーンだ。下りは早い。ヘロヘロ状態に
 なってハイキャンプに戻ると、サーダーとシェルパが迎えにきてくれていた。あ
 りがとう。ありがとうついでに撤収もたのんでしまう(すみません)。BCまでス
 キーとボードでいっきに戻る。祝杯。

 翌日、BC撤収。危険な近道ルート、ザツル
 テン越えをとり、わずか2日でルクラに戻ってしまった。スキーに関していえば
 雪の上で滑った日数はわずか2日、雪は悪いし、胃は壊れるしで、高くついたス
 キートリップだった。とはいえメンバーの満足度もかなり高い。
 データ 
 メラピ
 ークのトレッキングパーミットはカトマンズでとれる。自信があればガイドレス
 、ポーターレスの登山も可能。現地ガイド会社に頼めばガイド、ポーターなどま
 とめて面倒みてくれるのでかんたん。日本の専門旅行社でもこまかくアレンジし
 てくれる。ヤマケイ月刊誌などによく宣伝がでています。

6.12.1995

鳥海山のパラとボ-ド

鳥海山のパラとボ-ド
伊藤忠男
 
鳥海山頂からとびだす
 
  95年6月12日(月)
   屋根にスキ-とボ-ド、トランクにパラをつめて10日の午後相棒のぴかちゃん(森光)と東 
    京を発ち、その日のうちに鳥海山の南山麓、湯の台まで入る。国民宿舎の少し上の立派な駐
    車 場でテント。ぴかちゃんはタフなクライマ-だが、山でボ-ドも使う。
 
   翌朝目を覚ますと外は雨。やれやれ。飯くってても止む気配がないが、遥か月山の方向に目を
  凝らすと、なんとなく晴れてるような気がするので、あっちいくべ、となった。結局、雨は降
  っちゃいなかったけどあまり良い天気とはいえない。しかもこっちは完璧に(街の?)スキ-
  ヤ-の世界。
  
    ぴかちゃんはボ-ド持ってどっか難しい斜面を探しに消えてしまい、私も緩い斜面でボ-ダ-
   の真似事で時間を潰したが、いまいち気合が入らねえ。昼飯食ってから、湯の台の国民宿舎に
   電話したらしい、晴れてますよ、ウッソ-、と目を真ん丸くしてぴかちゃんが電話ボックスか
   ら出てきた。その日の夜も結局同じところでテント。
   
     翌朝快晴、おお-やったあ、俺達って普段の行いがいいのな、って訳で、そのまま車で滝の
    小屋のすぐ下まで入った。雪は例年よりかなり少ない。風はない。飛べる可能性大。バック
    アップ用のスキ-は持ってかないことにした。私はパラだけ、ぴかちゃんはボ-ドを背負っ
    て出発。
    
     しかしホントに雪が少なくて、河原宿のプラト-手前では完全に切れててやぶこぎになって
    しまった。頂稜は夏道で風が少し強くなってきていたが、まあ大丈夫だべ。せっかくきたん
    だから、一番高いとこ(七高山)までいくべ。北面の広大な雪原を見てため息。戦後まもな
    い頃に満州から入植した開拓団のシンドイ歴史を抱え込んだ由利が原が、遥か山麓に広がっ
    ている。
    
      途中ツバ付けておいたテイクオフできそうなところで、午後1時少し前、日本海から吹き込
     んでくる強めの海風をやり過ごして、間欠的に入る南からのブロ-で立ち上げ、2、3歩歩
     いて崖へ頭から飛び込む。
     
      滝の小屋の上で小尾根に当たる小さなリッジを使って少し遊んでから、家族でハイキングに
     きていたらしい人たちの歓声とカメラに迎えられて小屋の前の雪原に降りた。標高差100
     0m、15分の空の旅。もっと下の山麓には広大な牧場や休耕田らしいところもあって技術
     的には問題なく降ろせると思うが、ひとの生活圏に侵入して飛ぶのは嫌だ。
     
       ぴかちゃんは私の飛ぶ写真を撮ってから滑りはじめた。途中のやぶにはまっってちょっと
      不愉快だったようだが、昨日は帰ろか、まで考えたんだし、他にボ-ダ-ももちろん飛び
      道具(?)持ってるやつもいねえしで、やっぱり、俺達って愛されてんのな、山に。

6.11.1995

剣岳東大谷中俣本谷と右俣スキー滑降

FIRST DESCENT AT MT.TSURUGI

北ア 剣岳 東大谷中俣本谷と右俣スキー滑降
西田 真一(きねずか同人)原 伸也(ビル エバンス同人)

 
                                        
1995-6月11日に大阪あすなろ山岳会の加藤 雅昭氏と共に東大谷左俣を滑降
                                        
した際にこれはひょっとして
剣頂上直下に突き上げている中俣本谷も滑降の可能性が
あると思えた
長い梅雨時のわずかな晴れ間をねらう長期の山行になると考え
ノーテンキの我々は食料を10日間分携行
アルコールなしという前代未聞の山行で覚悟は決まった
                                        
6月10日(曇り) 室堂バスターミナル9:30発
室堂乗越からの東大谷の素晴らしい全景がガスで全く見えない
仕方なくガスが晴れるまで昼寝をのんびりする
全く晴れず最初の滑降地点を探すのにひどく時間がかかった
立山川上部は毎度ながらけっこう急に感じる
今年は格段に雪が多く滑りやすい どんな急斜面でも滑れそうな気がしてしまう
                                        
皮肉にも下がるにつれて雲は切れてくる
東大谷出合1400m地点でテントを張る15:00
雪が割れて水流が出てるのはこの地点からだ
昨年同様のカラスの歓迎があり
食料を昨年みたいに食べられないように雪の下にかくしておく
6時に早々と眠る
標高滑降差は約1050M
                                        
6月11日(晴れ)
6:05発
左俣出合6:30
右俣出合1760M地点6:40着
昨年の同日の左俣滑降と同じく天気に助けられ
アイゼン装着は2080M地点7:40
2370M地点から巨大なクレバスと岩間をぬう高度感のある登りとなる
異次元の風景が頭と体を刺激して心地よい
ショイナードの滑落防止用のピックのついたストックに大分助けられる
ダブルアックスの用意もあったが使うだけの悪い場所はなかった
昼頃からガスが出てくる
音も無く落ちてくる石を交代で監視しながら登る
特に2700M地点の右の岸壁からの落石には要注意だ
2750M地点から最上部へは雪が二手に分かれてどちらにしようか迷う
左のとにかく雪の多い方へ進む
ちょうどシシガシラとカニノハサミとのコル2890M地点の早月尾根に13:
50着
縦走路上にある避難小屋をようやく確認
この地点から正月 池の谷側に滑落した魚津岳友会の2名の
事を思いだして黙祷
この谷も将来はその地点から滑降されるであろう
僕にはそんな勇気はないが
頂上までわずか100mの雪稜の登りだが余分な体力を使いたくない
2時半 最初の斜面の下部が見えなく バンジージャンプの5倍ぐらい緊張
雪面に太陽光は充分当たってるはずなのに雪は堅くていやな気分
高所での滑降のポイントはいかに雪が融けてくれるかという点だ
沢は何回もS字状に曲がってくれてリラックスできた
これが一直線なら下部の景色が見えすぎて気が硬直してしまう
左俣よりも 雪質は小さい石も混じることなく安定している
2700M地点から下部は落石だけ注意して下る
ジャンプターンに慣れて気持ちよい滑降だ
クレバスが何本も出てくるが、スキーを外して渡る場所はなかった
                                        
                                        
中俣をテントまで1500m滑降
これまでの一番高度感のある滑降であった
東大谷出合に17:40着
誰もが失敗するであろうと言ってたし
僕自身は成功率は50%はないだろうと思っていたので
相棒と素直に総ての事
に感謝して喜ぶ
ただし酒なしで酔えないのが寂しい
梅雨時のわずかなチャンスだった
                                        
                                        
6月12日(晴れのち曇り) 
東大谷最後の課題の右俣へ
テントを6:40発
右俣へ入谷してすぐに巨大な落石
一番滑れそうな先から大量の落石が持続してる
ガスはなかなか晴れてくれない
2100m地点でクレバスが多く断念
滑るだけの価値はない
石を避けて滑るのはあまり気分がよくない
天気予報は後日最悪の情報より酒がなく まだ充分1週間分のエサが余ってるが
下山を決意
やっぱり代わりに酒もってくればよかったと後悔
テントを撤収11:15発
馬場島へ下山しようとしたが毛勝谷の手前1200M地点で滑降不能となる
沢の水量も多い事から 今までの経験から検討した結果
室堂まで引き返すのが最善と考え引き返す
余った食料の重さを悔やみながらの登高はつらい
                                        
急な登りからガスで迷う
途中落石をのんびり観察してたら運悪くストックに当たる
重荷のおかげで2人共にバテバテ
一口飲んだビールの旨さに腰が動かず
雷鳥荘17:15で宿泊
6月13日
みぞれ混じりの強風を伴う雨のなか下山
                                        
室堂乗り越しや他の地点から東大谷の望遠が
できなかったのが心残り
体も久しぶりの登山でボロボロ
心だけホカホカ
冷ますのにビールを飲み過ぎてしまった
                                                                
剣岳周辺はまだスキーに適した未開のルートはかなりあると今回も感じた
この時期の立山川から東大谷までの間は全く人の姿を見ること
がない静寂の山域である
                            

5.28.1995

スノーボード富士山滑降富士吉田口編


SNOW-BOARDING AT MT.FUJI
山で舞うならスノーボード、富士山滑降
富士宮口編
   .
ガ、ガ、ガーと滑って、おしまい 写真=久保田賢次
 
1994年5月28日
朝800に富士宮口5合目出発。天気はよい。4時間で頂上。まわりにはテレマークス
キーヤーが多い。

メンバーは森光、久保田賢次、とぼく。ボードで下るのははじめて。この時期スキーで
くだったことはなんどかある。前の年にも知り合いが滑っているので条件さえよければ
問題はないはずだ。

雪がやわらかくなるのを頂上で待つ。1時にスタート。あっという間にくだってしまっ
た。山スキーやテレマークより早い。悪雪にもつよく、あまり疲れない。スキーより楽
だ。3時に車にもどった。

ミニスキーのひともいた。いろんな道具で春山をたのしむのはいいことだ。
アイスバーンにさえなっていなければ、富士山のダウンヒルは楽しめる。


富士吉田口編


 .
ガ、ガ、ガーと滑って、おしまい 

1995年またも5月28日

Momo is now writing

5.13.1995

富士山須走口スキー

SKIING IN SUBASIRI ROUTE IN FUJI

1995年ころだとおもいますが、調査中
富士山須走口
頂上までは長い
 
 富士さん
 
富士山須走に行ってきました。
須走は、五味さんと何度か行きかけたことが、ありましたが、少雪や、天候に阻まれ
ていました。

御殿場在住の長坂さんのお誘いに、乗って行ってみました。
5月13日曇り 天気はかんばしく無くガス、9時遅めの出発。茶屋の奥の神社より、樹
林の中は、雪が残っていて、シールで歩き出しました。途中で右側の沢状のほうにル
ートを移り、あとは、登るだけ。ガスの上にでました。急になって、だんだん右にル
ートをとり、吉田の方の登山道が見えてきました。

3300m8合の小屋ちょっと下で3時になり、やめました。下りは、時間が遅かったか、
気温が上がらなかったか、バリバリで、上部は私の技術では、苦労しました。斜度が
緩くなる頃、雪も緩み、重い雪だけど、まあまあ快適でした。下部は、徒渉ならぬ徒
岩で残った雪を拾い駐車場の100mほど上の2100mまで降りることが出来ました。駐車
場に着くと、たちこめていた雲もすべてはれ、須走の全貌が現れました。
河口湖畔で富士山全体が見えましたが、雪が随分下に長いように見えました。

長坂さんの話では、2週間ほど前に来た時、3000mまで登って、駐車場まで滑って降り
たそうです。その時、犬を連れたテレマーカーが1人途中まで登って、降りていった
、と言っていました。ヤマケイの伊藤さんでしょう、と言っておきました。冬でも降
雪後、途中のゲートから駐車場の上位まで登って、楽しんでいるそうです。

御殿場でゆっくりしていきたかったのですが、次の約束があっったので、峠を越え、
トンネルを越え、次の山に車を走らせました。

5.03.1995

Haute-route in Japan-Alps

Haute-route in Japan-Alps
日本のオートルート、立山~槍

ito KISYA
1995年5月3日  (山と渓谷誌に掲載)
槍沢をすべる 


 ゴールデンウイークの北アルプスにはスキーを持って行くのがいい。
春のざらめ雪は快適なシール登行を約束してくれるし、下りは痛快のひ
とこと。雪のない時期では考えられないようなスピードで山やまを駆け
抜けることができる。ときに山は冬の姿に戻ることもあるが、そのあと
には素晴しいパウダースキーイングが待っている。
 
 立山、白馬、乗鞍など、スキーで遊びたい北アルプスの山はたくさん
あるが、いちどトライしてみたいのが、立山から槍ガ岳までを縦走する
”日本のオートルート”。

 これは長くて、そして面白い。真冬には人を寄せつけないロングルー
トだが、春には格好のスキールートに変身する。、ゴールデンウイーク
に営業する山小屋も多く、それらを利用して、ちいさなパックで軽快に
行動することができるのもうれしい。
 
1995年5月3日早朝、立山室堂を三つのグループが槍ガ岳をめざし南下
を始めた。二つのグループはテレマークスキーで、もう一つのグループ
は全員が山スキー。利用できる山小屋は限られているので、順調に進め
ば全員がおなじ行程をたどることになる。ちょっとした山岳ラリーの雰
囲気だ。
 
 初日はガスと小雪の悪天。ルートファインディングに苦労しながらや
っとこさ、五色の小屋にたどり着く。
二日目は高曇りで展望あり。薬師岳越えの長い一日。天気が崩れること
もなく大助かり。足が棒になるころ太郎平小屋へ入る。テレマークチー
ムの後発二人が神岡新道から北ノ俣岳経由で合流。この夜、雪。
 
 三日目。停滞か? 朝食後、薄日がさしてくる。歓声とともに出発。
まばゆいばかりの新雪をラッセルしながら双六小屋をめざす。黒部五郎
岳のカールを小さな雪崩とともに滑り降り、極上のパウダースキーイン
グを楽しんで、四時には、全チーム、暖かい双六小屋へなだれこむ。抜
きつ抜かれつを繰り替えすうちに三つのチームも渾然化し、小屋ではビ
ールが飛び交う。
 
 四日目。槍ガ岳を越える日だ。時間切れの数人が新穂高へくだる。槍
ガ岳組はスキーをパックにくくりつけて、西鎌尾根を行く。槍岳山荘で
ランチのあといよいよ最後の大滑降、槍沢をくだる。滑りがいのある大
斜面だ。槍沢ロッジでスキーをぬげば、このスキーラリーも終点ま近か
。横尾で休む者、気合いを入れていっきに上高地まで下山するものさま
ざまだ。

 比較的天候に恵まれ一日の停滞もなく行動できたのはラッキーだった
。何度もこのルートにトライして、悪天に阻まれた人も多いからだ。