2.04.1996

霧ガ峰ツアー

霧ガ峰ラウンドツアー

霧ヶ峰周遊
KISYA
榎本さん!
 
こりゃハイキングだね(3D写真 )
 
1996年2月4日 晴れ
メンバー 伊藤汽車。えのちゃん。(若くないふたり組)。
タイム 沢渡スキー場1000-車山1100-蝶蝶深山1200-物見岩1230-八島1330-
沢渡1430

沢渡スキー場は日曜日だというのにすいていた。テレマーカーが三人いた
。若いふたりと高年のひとり。なるほど、このスキー場にはテレマークが
似合うかもしれない。新雪がある。昨日かおととい10センチ位降ったの
だろう? リフトで一本すべってから、もう一度リフトにのって車山へ向
かう。シールをつけて直登する。冬型がゆるんだというが、やはりこのあ
たり風は冷たい。雪はおもったよりもすくない、がスキーで登るのに不都
合はない。

展望がいいので、車山頂上から南側の立体パノラマ写真をとる。富士山か
ら妙高まではっきりとみえている。

頂上からは、車山スキー場の急なアイスバーンのすぐわきの新雪地帯をす
べる。けっこう深雪があっておもいっきりこける。蝶々深山へ向かう。雪
原にはちらほらクロカン人たちがいて、トレールもついている。景色がい
いのでなごむ。雪の少なさと帳消し、というところだろうか。

物見岩の頂上は、風で雪がとばされて石がころころしている。板を傷つけ
ないように気をつかう。トレールをはずれ、地図でみた西斜面にはいって
みる。思ったとおり深雪の手ごろな斜面。いっきにすべる。霧ヶ峰は、北
あるいは西斜面に雪がたまっていることがおおいので、それを狙うとラッ
キーなら,パウダーが楽しめる。
八島湿原にでて、沢渡のくるまに戻る。

シールは車山の登りと蝶々深山の登りの二回つかった。ステップソールの
方が軽快で楽だが、それにしても、その2ヵ所はシールをつかう方が効率
的だろう。僕は古いテレサヴァジュ、Eはトゥネージュ。滑りを優先させる
とこちらの方になってしまう。霧ヶ峰のツアーの適期はみじかそうだ。ほ
んとうにいいのは2月中旬から下旬か?3月になると雪が腐り、減ってし
まうような気がする。

1.28.1996

四阿山と根子岳スキー

四阿山と根子岳スキー
近所にして重宝、雪少なれど天気よし
 
azumaya-san
 
1996-1-28
member HIROYUKI ENO IRENE JIRO KISYA
四阿山高原ホテルに車をおかせてもらって出発。天気よし。牧場をえんえんといく。山にかか
り、展望よし。浅間の噴煙たなびきのどかなり。900発、頂上着1200。根子岳方面はヘリコが
通い騒々しいことかぎりなし。頂上で数人の山スキーヤーにあう。2、3日まえの降雪で雪は
一応あるが滑りにくい。さほど回転滑降するような好斜面はないか。300に車にもどる。適期
は2月か。降雪直後がよさそう。

1997-3-30
member TAJmember20人
朝イチ天気晴朗。峰の原のゴルフ場を一斉スタート。各自好きなルートをとり頂上をめざす。
1時間かけてトップで到着と思いきや、平山某氏がすでに裏側からのルートで到達せしを発見
。小一時間、全員がそろうのをまつ。

朝の快晴は幻か、ガスがたちこめ、寒風がふきすさぶ。くだりはおおむね往路をくだるが、ゲ
レンデ状のコースをはずれ右手、サラの斜面を選ぶのが正解。

ヘリが飛ばず静かでよかった。
傾斜はゆるいが滑りがいはたっぷりある。たしかにテレマークにはぴったりの山だ。見直した。

1.04.1996

秋田駒と乳頭山

秋田駒と乳頭山
縦走プランがよいのだけれど
 
乳頭山頂上
 
1995-1-4
メンバー 光、もも、次郎、春水、晴介、アイリ、希沙
 
 夜中に東北道を走って、仮眠し、田沢湖スキー場につく。1000ころ、風はつよいが、まあまあなの
で、秋田駒をめざす。横長根をくだる周遊プランだ。リフト終点からすぐ登る。風が強く寒い。頂上
直下でスキーをはずしツボ足で頂上着。視界わるく、往路をもどる。下山路ですこし迷うが、次郎が
ルートをみつける。
さっさと大湯旅館にむかう。
1-2
0900乳頭山へ向かう。孫六温泉を経由して田代岱山荘まで3時間。
天気がわるいので、休憩後、つけた赤布どおり戻る。林間の滑りが最高におもしろい。ブッシュスキ
イイング。

1996-1-3
メンバー 春水、晴介、アイリ、次郎、もんべる金森 希沙

 正月はやっぱり天気がわるい。スキー場でパウダー練習だ。田沢湖、乳頭スキー場ともに探せばパ
ウダーがかくれている。スキーやボードであそぶ。4日になって日がさす。0830孫六温泉発。偶然に出
あった羽田くんたちといっしょの行動。彼等は田代岱にとまるという。田代岱小屋から、天気はよい
が風の強い尾根を頂上めざす。ほかにも地元のかたが数人。頂上はにぎやか。岩手山が見事。
さっさとくだる。樹間のスキーがたのしい。
昨年はのぼれなかったけれど、やったぜ。春、駒から乳頭までつなげたいね。

12.23.1995

栂池自然園あたり

栂池自然園あたりをベースにスキー遊び
ゴンドラであがって山中ゆっくり、2ルートしかないか?
 
栂池自然園上部で
 
1995-12-23-25
メンバー 東京テレマーカーズ  SEIJO BCSC

23日入山。朝、栂池スキー場のゴンドラにのる。、栂の森ゲレンデには1000ころ。林道入り
口に荷物をおいて、ゲレンデで深雪の練習ができる。
ゲレンデから早稲田小屋経由成城小屋まではラッセルがなければ1時間の行程。小屋をあけ、小さ
なパックで天狗原まであしならし。深くて重い雪をすべる。
24日 あきずにこの日も天狗原へ。乗鞍まではもうひとのぼりだが、天気わるく、パフパフ雪をえ
らんで滑り降りる。
25日帰京。

1996-12-21.23

メンバー 東京のテレマーカー  SEIJO BCSC
21日 スキー場で遊んだあと、入山。天狗原まで一本。
22日 栂池自然園から船越の頭方面をめざす。2301メートルの金山沢の源頭で昼、おおむね往
路を滑りくだる。
23日 前夜から大雪。吹雪の中をラセッルしてくだる。栂の森ゲレンデまで2時間もかかってしま
った。
 
 このあたり、この時期、充分のパウダーがある。成城小屋あたりをベースにすると、乗鞍方面と
船越のコル方面の2ルートが考えられる。毎年ほかにもよいルートはないかと考えているが名案は
いまだに浮かばない。

11.25.1995

北アルプス立山の初滑り4年分

北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ

雷鳥沢を滑る
 
11月、やっぱり立山はパフパフだった!
1995年11月25日

暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年
もそこはパウダー天国だった。

勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く
2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断
念したに違いない。

ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立
山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜
30センチ降ったヨ」
「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ
ロしていてパウダースキーどころの話ではない。

 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、
クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、
ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。

翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか
、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に
、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を
みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で
はある。

その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明
になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。
やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって!

1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室
堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。

                           (KIM同人/I)

1997年11月22ー24日
メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車

22日
朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの
に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。
雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3
時間の行程。

23日
朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向
かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。

24日
大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣
御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。
快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。
新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足
にフィットして快適だ。
称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。
杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや
かな立山の初滑りだった。

1998年11月21-23日
メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ
ブなど
21日
朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル
からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。
先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス
キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の
不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。
22日
案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。
9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ
る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ
ぐ。
23日
吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道
を帰京。9時都内。


1999年11月21/23

21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた
、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷
鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ
ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶
好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、
水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら
すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ
ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田
さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、
けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。

22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び
に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小
屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす
べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定
した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに
撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう
ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も
っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み
も揃って行動、早い。

23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途
中食事、6時半帰宅

1999年11月29/30日
メンバー 松倉、川崎、汽車

 月・火と立山へテレマークに行って来た。
 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100
m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂
山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク
のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。
 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク
ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。
 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思
う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい
るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと
下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり
だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと
移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。
 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。
川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう
しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、
斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm
で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。
 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元
へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助
かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ
ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から
の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫
だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。
しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂
ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ
らに下っていく。
「逆に進んでいませんか?」
 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん
が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに
ポールが見える」と言う。
「さすが伊藤さん」
 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど
の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆
われた柱があった。
「室堂山荘のアンテナに間違いない」
 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再
び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。
「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」
 川崎さんが脅かすように笑う。
 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの
エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み
くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が
はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、
二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上
に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警
備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初
の雪中行だった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

10.31.1995

メラ・ラからのパラパント 

メラ・ラからのパラパント
伊藤忠男(CHU)
メララからのフライト
 
 



 発表する機会がなかったのでちょっと古い話になってしまいますが、  1995年 の秋に
ネパ-ルヒマラヤのクンブ地方東南端にあるトレッキング・ピ-クとしては割 に高く、思い
の外アプロ-チのあるメラピ-ク(6746m)に、3人の陽気で屈強  な山仲間と出かけま
した。

 一人はボ-ダ-で2人はテレマ-カ-ですから、私がパラを使うとなれば、もうゲテモン
遠征と言われても何も言い返せません。メラピ-クで  スキ-(アルペン)の使われた遠征は
すでに少なくはありませんが、テレマ-ク、ボ-ドは多分初めてでしょう。パラの記録では高橋
ダンプさんが何年か前に数人の仲間と試みていますが強風で断念したと聞きました。また、スイ
ス人がトップからテイクオフ  、西へ25km走らせてルクラのエア-ストリップにランディ
ングして警察に捕まっ たとかなんとか、真偽のほども分からない噂も耳にしました。

 メラピ-クは、少なくともメララ(5540mの峠)を経由する北面ノ-マルル-ト から
は一見して登りたくなるような山ではありません。メララからピ-ク手前の肩ま  で、ダラダ
ラの斜面がうんざりするほど延々と伸びています。傾斜が緩く距離が長い  ということは、容
易ということではありません。降雪や雪面の状態によっては、クレ パスやセラックとの危険な
触を長い時間に渡って警戒しなければなりません。

 僕たちは幸運でした。この時期にしてはたちの悪いクレバスも少なく、ほとんどラッセルも
せずに歩けたのですから。パラにとっても傾斜のない長い距離はやっかいな問題を孕んでいま
す。ランディング できる地点までの長さを考えると初級機が良いといった従来の”山飛び”セ
オリ-は  通用しません。ある程度距離が出せて、しかもフライトコ-スをこの時季に、とき
に卓越する偏西風に向ってとれるくらいの性能と技術が要求されます。そんな訳で機体 は翼面
積をタイトなサイズとしたコンペ機としました。

 支配的な偏西風はおおよそ朝の8時を境に、急速に下界に影響しはじめます。往のキャラバ
ンですれ違った帰りのトレッカ-の話から頂上が凪るのは1週間から10日に一度あるかない
かといった程度。山でのフライトは、今日ゲレンデでだれもが飛んでいる上限風速の半分でも
躊躇 します。パラを山で使う場合、一番難しいのは気持ちの持ちようかもしれません。集 中
しなければいけないのに、飛べない確率の方が高いのですから。ボ-ドもテレマ-クも首尾良
く完全なピ-クからの滑降を手中にしましたが、僕は体 調を崩してしまい、メララからの滑空
にとどまりました。
 
 10/31午前9時メララ北端の階段状の氷河からテイクオフしました。目前に門のように
立ちはだかる2つの切り立った岩稜の間を通過するときに小さなロ-タに多少振られましたが
、すぐにモ  レ-ンから吹き上げてくるリッジで高度が上がりました。BC上空でゆっくり旋
回し ていると8m/sゲインの強いサマ-ルが当たりましたが西に背が向くと急速に流さ れる
ようになりました。すでに偏西風が強まってきていたのです。届けばタクナックまで伸ばすつ
もりでしたが、ディルカルカをすぎ、メラ西壁を回り込んだところでま  すます前へ出なくな
り、予め考えていた標高4500mの広大な河原に向かって気の遠くなるほど高度処理を繰り
返しました。ランドするまで翌端を折ったり、シンク域を探したり、フルアクセルで走らせた
り、身につけたテク全開で、上空の偏西風域へ 一気に吸い上げられるような強烈なサ-マルと
の格闘を強いられたのでした。                     (  3/7/97記)

追:僕たちがBCを去った数日後、ベンガル湾に発生したサイクロンの影響で忌まわ  しい季
節外れの大量降雪がこの地方を襲い、多くの方が亡くなられました。ご冥福を  祈ります。合
掌。

10.15.1995

MERA-PEAK, NEPAL

MERA-PEAK, NEPAL

ヒマラヤのトレッキングピーク、6467メートルであれこれ遊ぶ
歩いては下らない、メラピークの下山の仕方

MERA PEAK
 
1995年10月15日~11月7日
member
kurokawa,
ito tadao
morihikari
ito kisya

 5月のある土曜日、小川山でクライミングしたとき。テントの脇で焚き火を囲み
 ながらヒマラヤの話しがでた。「ヒマラヤでスキーしたいね」「おれはス、スノ
 ーボードがいいな」「ぼ、ぼくはパラパントで飛んでみたい」それがきっかけだ
 った。ヒマラヤとはいえやることはふだん日本の山でやっていることだ。だが僕
 らにも登れてそんなことができる山があるのか。

トレッキングパーミットで比較
 的かんたんに登れる山としてネパールのクンブ山域にあるメラピーク(6476
 メートル)があがった。エベレストがある地域だ。世界中の山好きが毎シーズン
 、何グループもトライしているポピュラーな山。「秋に行こう。”歩いて頂上か
 ら下るのはイヤだ登山隊”としよう」話はきまった。

知り合いにカトマンズのガ
 イド会社を紹介してもらい、ファックスをいれた。反応がはやく、僕らのやりた
 いことをすぐ理解してくれた。 女性も何人か参加するような話もあったが、結
 局、男4人のグループとなった。やっぱりね、とみんななぜか納得したのだった
 。 

 カトマンズで全員が顔をあわせたのは10月15日、翌日、ガイド会社にい
 って打ち合わせをすませ、前金をはらい、ひとまずわれわれはルクラに飛んだ。
 26日の出発日までに高所順応をしておきたいので、ゴーキョ方面へトレッキン
 グにでかけることにする。三々五々とでかけナムチェバザールで遊んだりして、
 各自のプランで順応に励む。再びルクラに集合したのは24日。みんな標高50
 00メートル以上まで登ってきたという。元気だ。

 25日にサーダーと呼ばれる
 ガイドのリーダーと顔合わせした。いわゆるシェルパだ。

 26日、出発の日。サ
 ーダーとアシスタントのシェルパ2名、コックやポーター約10人が集まってき
 た。みんなでメラピークのベースキャンプへと出発する。テント、食料、登山用
 具など全部運んでくれる。食事も作ってくれる。BCまではいわゆる大名トレッキ
 ングだ。お金をはらっただけのことはある。いつも貧乏トレッキングや登山しか
 したことのないメンバーは満足げだ。出発前の高所順応トレッキングが効いて、
 メラのBCまでの5日間は全員快調、走り出すほどの元気。このアプローチは有
 名トレッキングルートからはずれているので静かできれいだった。

 30日にはBC
 設営。これも全部シェルパがやってくれる。ここにいるかぎりメシつき昼寝つき
 でいられるのだが、ここからメラピークの頂上までは自分達ですべてやらなけれ
 ばならない。ガイド会社とそういう契約をしたからだ。契約しだいではガイドが
 ロープで頂上まで引っ張っていてくれるそうだ。BCまではほとんど雪はなくこの
 上からいきなり氷河の世界がひろがる。翌日、ハイキャンプ設営。

 若手二人は自
 力でテントをかつぎあげるが、中年系の二人は、アシスタントシェルパの『なん
 でも運んであげますよ、イヒヒ』という甘い言葉にひかれ、「テント運んで」「
 あ、スキーもお願い」といきなりお願いします連発状態となる。エキストラ料金
 でやってくれるのだ。お金を積めば人間も背負子で頂上までも運んでくれそうだ
 。この5000メートルのBCまで空身同然でやってきた中年系にとって、550
 0メートルのハイキャンプまでの荷揚げは辛いのだ。

 ハイキャンプ設営のあと、
 さらに上部へ登り、スキーやボードで念願の初滑降する。Cはメラ峠からパラパン
 トで初飛行。スキーなどデポして、いったんBCにもどる。翌日は休養日。

11月2日。全員でハイキャンプに進駐。ラーメンを食べ、酒をのみ、たばこをふかす
 。天気は連日好天が続いている。あすも大丈夫だろう。

11月3日。登頂の日。
 4時起き、大快晴のなか6457メートルの頂上をめざす。標高差1000メー
 トル、水平距離もけっこう長い。気合いをいれないと頂上まで届かない。若手二
 人は頂上までスキーとボードを担ぎ上げる。中年系Cは体調悪く途中で下山。同じ
 く中年系Iはスキーの重さに耐えられず途中にスキーをデポ、登頂を目指す。

12時には3人がメラの頂きにいた。メラは展望の山だ。エベレスト、マカルー、
 カンチ、チョオユーなど8000メートルのジャイアンツが取り囲む。すぐスキ
 ーとボードが滑降を開始する。絵になるシーンだ。下りは早い。ヘロヘロ状態に
 なってハイキャンプに戻ると、サーダーとシェルパが迎えにきてくれていた。あ
 りがとう。ありがとうついでに撤収もたのんでしまう(すみません)。BCまでス
 キーとボードでいっきに戻る。祝杯。

 翌日、BC撤収。危険な近道ルート、ザツル
 テン越えをとり、わずか2日でルクラに戻ってしまった。スキーに関していえば
 雪の上で滑った日数はわずか2日、雪は悪いし、胃は壊れるしで、高くついたス
 キートリップだった。とはいえメンバーの満足度もかなり高い。
 データ 
 メラピ
 ークのトレッキングパーミットはカトマンズでとれる。自信があればガイドレス
 、ポーターレスの登山も可能。現地ガイド会社に頼めばガイド、ポーターなどま
 とめて面倒みてくれるのでかんたん。日本の専門旅行社でもこまかくアレンジし
 てくれる。ヤマケイ月刊誌などによく宣伝がでています。