9.15.1996

小川山の静かな岩場

小川山の静かな岩場
ito kisya
modoki rock-area
 
 シーズンになるといまでも小川山、正確には、金峰山川西股沢廻り目平周辺の岩場はにぎやか
だ。
かつてほどの人気はないが、それでも、前傾壁はジムだけで充分、程よい傾斜、程よいホール
ドのルートがのぼりたい。そしてなによりも、きれいな自然のなかで岩登りを楽しみたいとい
う人には相変わらず親しまれている。

混雑はいやだ、兄岩やマラ岩、2峰あたりはのぼりあきた、という人もおおいだろう。そんな
わけで、ちょと、はずれた岩場で登りました。

1996年9月15-16日
もどき岩にいく。岩と雪の100岩場にはもちろんしっかりのっている。キャンプ場から遠い
からすいている。
左岩スラブの上部にあるが、入り口はヴィクターのある沢を通らず、もっと手前、カモシカ遊
歩道(小川山新コース)からぐんぐんとのぼっていく。
スラブとフェイスで、10a.10c.10dがあり楽しめる。その右の11cというのが、実はたいへんお
買い得で、となりのルートとそれほで差をかんじなかった。
1ピッチめトラバース、2ピッチ目スラブでもどき岩の頭にでる「南回帰線」は10Cで面白い
。
なりゆきで土日2日間もここにいってしまった。

9月29日
最高峰ルーフ。ここも昔いったよなあ、という人がいるかもしれない。小川山レイバックをの
ぼってから、いってみました。ちょとカビくさい感じがしたけれど、ま、とにかく静かでした
。「なでし」11aは出だし核心。宮崎秀夫さんの比較的新しいルートは10c、たのしめました。
今度、最高峰ルーフというのにいってみようかな。

おっと失礼。上の写真の右側はもどき岩ではありません。
兄岩の奥の奥のさいころ岩でした。キャンプ場からスカイライン上にみえるサイコロ状のやつ。
ここも、おもいっきり静かですね。景色も最高ですよ。これはたぶん1995年の秋、カンテの11a
でしょう。ちょとこわいルート。

9.01.1996

モンブラン

モンブラン
黒川晴介
Mt.Mont-balanc
 
 九月のはじめ、朝一番のバスに乗り、グーテ小屋へ向かった。
前回、グランドジョラスを登ってから天候が安定せず、すでに十日が経っていた。グーテ小
屋はまだたいへんな混雑で、その夜はマット二つに三人づつ寝なければならなかった。

 もうすっかり高度に慣れてもよい頃のなのに、なんとなく体調が冴えず、結局一睡もせずに
出発の時間になった。食欲もないが、美味しくないパンを無理に食べ、まずい紅茶をボールに
一杯飲む。独りだと準備も速く、一番最初に小屋をスタートした。

 二時間ほどでバロの避難小屋に着いた。風が吹きつけ、歩いていても寒くてしかたないの
で、中に入って休憩することにした。まだ外は真っ暗だ。小屋の中で数人が休んでいる。気分
が悪くなってきたので、膝を抱えたままずっと下を向いて休んでいると、いつの間にか眠って
しまった。気がつくと外はすっかり明るくなっており、気分も良くなっていた。

 一時は諦めて下山しようかと思ったほどだったのに、歩き始めると調子も良くなり、朝日に
照されながら頂上へと登っていった。

 頂上には何人かの人がいたので、写真を撮ってもらい、ゆっくり展望を楽しむ。スイス国境
の向こうへ白い山々が続いている。ここまで来ると周りの山々すべてが小さく見える。日が
昇った後でもまだ暖かくならず、ヤッケを二枚重ねているが、結構寒い。

 技術的には易しくても、この山で悪天候につかまれば、どんなに恐ろしいだろうと思う。モ
ンブランは歩いて登れるれる山だけれど、その高さゆえの寒さや空気の希薄さなど、決して簡
単な山ではないと思う。簡単だと思って今回はロープもアイスハンマーも持って来なかったので
、ザックは軽かった。けれど高度の影響や寒さなど、自分の精神的な弱さを思い知らされ、改め
て謙虚な心の大切さを考えさせられた。
 
 下山はモンブラン・ド・タキュールに寄っていく。メールドグラスに降り立った頃、すっか
り暖かくなり、一カ月あまりのシャモニーでの登山生活を思い出しながら、ミディのロープ
ウェイ駅までゆっくりと歩いていった。

8.24.1996

タスマン氷河スキーニュージーランド

東京テレマーカーズ・ニュージーランド合宿

どんなにスキーが好きでも、夏にわざわざ南半球まで、とおもっていたぼくらだが
糸尾汽車
 マナリング氷河を滑る
 
 どんなにスキーが好きでも、夏にわざわざ南半球まで、とおもっていたぼくらだが、今
年は、仲間の黒川、春水がワナカに家を借り、ひたすらテレマーク修業をつづけていると
いう事情もあり、訪問がてら、では、と重い腰をあげたのだった。行ってみればこんなに
よい所もない、夏はニュージーランドに限る、と感想も一変。テレマークフリークなら一
度はNZの旅もよいね、と、ここにぼくらの夏合宿の報告を。

メンバー ヒロユキ 真壁さん、静子様、ゆみさん、KISYA、現地・黒川、春水
日程 1996年8月24日~9月5日
目的 マウントクック周辺でバックカントリースキーイング
 登山愛好家があこがれるニュージーランド、サザンアルプス。なかでも有名なマウント
クック周辺には巨大な氷河の海がひろがります。スキーをつかってマウントクック周辺の
山やまと氷河を滑ります。海に囲まれたニュージーランドの山は、ちょうど、北アルプス
の厳冬期の感じです。厳しく美しい自然が日本から訪れたテレマークスキーヤーをむかえ
てくれるでしょう。

行程
24日 NZ機で出発
25日 クライストチャーチからレンタカーでワナカへ。ワナカモテル入。現地組みと合
流。

26日~28日 ワナカ、クイーンズタウン周辺のスキー場で遊ぶ。現地滞在中の石木田
選手、永島選手らともすべる。ふたりはデッドヒートしながら練習していた。二木選手も
モービルホームに住んでなんと釣を楽しんでいるという。もんべる金森は前前の週突然あ
らわれ雪不足のルートバンで板をきずつけて帰ったという。スキー場にはテレマーカーが
いっぱい。ワナカには若い日本人のボーダーがたくさんすんでいる。時代は変わった。ハ
リスマウンテンのヘリスキーに申し込むが、天候不良で果たせず。

29日 現地組みとわかれ、ワナカからマウントクック村へ移動。マウンテンガイズ社で
打ち合わせ。明日より4泊5日の予定で入山。ガイドはアントンさんと日本人のノリさん
。外国の山はガイドをたのむのが安心。

30日 朝一で村の飛行場からヘリでタスマンサドルへ。さっそくタスマン氷河源流のあ
ちこちをすべりまくる。どこもかしこもパウダースノー、バージンスノー。もちろん自分
の足でのぼったぶんだけしかすべれないのだが。下りすぎて夕方へろへろになってケルマ
ン小屋へ。ここに滞在。宿帳をみて仙台のテレマーカー工藤君と友達が前前の週にここに
とまって同じ様なことをやっていることがわかる。だしぬかれたか。
続き(改行で表示 S:次の発言)

31日 マーチソン氷河とマナーリング氷河へ出張、だれにも会わず。最高の雪質、天国
的なスロープ。奥まったところにあるマナリング氷河は特に印象的だった。アントンさん
はすばらしいガイドだ。

1日 ホックステタードーム登頂。滑る。天気もよく快適。終日遊ぶ。
2日 明日より天候悪化のため、下山。タスマン氷河を下る。
3~4日 天気悪く、移動、ツーリストに変身して観光。5日帰国。

8.02.1996

ブランブラ、フィルストで飛ぶ

PARA IN PLANPRANZ,FIRST

ブランブラ、フィルストで飛ぶ(パラグライダ-)


伊藤忠男
 CHU IS FLYING ABOVE CHAMONIX
 
96/8/2 ~8/11
ブランブラ(シャモニ-)もフィルスト(グリンデルワルト)も純然たるパラグライ  
ダ-のフライトエリアですから、このレポ-トはRock&Snowのコンセンサス  

からずれていて、明らかに”パラ・ワ-ルド”向きです。ただ、アイガ-やモンブラ  
ンを狙って滞在するクライマ-が”山飛び”の練習をするといった仮定をすると、多  
少意味があるかもしれないと考え、キ-を叩くことにしました。
昨年(96)夏に娘が”アンネの家”に行きたいというので、機体と寄り道案を持っ  
て一緒に行くことにしました。目的は“アンネ”なので、あまりぐずぐずやっていら  
れません。
これらのエリアが日本のエリアと明らかに違うのはスケ-ルですが、ただ飛ぶ分には  
、ランディングもテイクオフも充分な広さがあり、障害物のない平地も多いので緊急  
ランディングにもそれほど神経質にならなくて済みますから、かえって楽じゃないか  
と思います。

ブランブラはシャモニ-の街からゴンドラで上がって歩き1分。テイクオフは正面の  
モンブランに向かって行います。そう広くありませんが安定したブロ-の通り道で、  
楽勝~。ゴンドラの走っている斜面全体にサ-マルが出ていて、簡単に上げられます  
。テイクオフまでの高度差は1000m、水平距離3000mですから、届かないっ  
てことはありませんが、逆に強烈なサ-マルコンディションでは降ろす技術と精神力  
を試されるでしょう。こっちのパイロットは日本ではあまり見ないスパイラル降下を  
頻繁に使うのでちょっと驚きました(知らないで見ているひとも多分びっくりするん  
でしょうね、墜落した!っていってるひとがいましたから)。スパイラルは今のとこ  
ろ、もっとも降下率の高い技術ですが、機体の強度に掛かる負担も大きいのです。僕  
は、パラで数少ない体育的な動作になるこの技術が好きですが、ブランブラではおか  
げでフロントのラインを2本切ってしまいました。

フィルストは、シャモニ-とはがらり変わって牧歌的(的ってのは変か?)で超退屈  
な街グリンデルワルトから、やはりゴンドラで上がります。山頂駅から1分下ると理  
想的なラウンドトップのテイクオフ地点です。正面にアイガ-北壁が見えるすごいと  
ころ。ランディングまでの高度差は1300mで、水平距離が5200mですから、  
ブランブラのような訳にはいきません。まったく上げられないと、ショ-トします。  
ただ、直線でコ-スをとれば、下は殆ど牧草地で、ごめんなさいを覚悟すればまあ、  
安全に降ろせる場所を見つけるのにそう苦労はいらないでしょう。
僕の飛んだときは、小さなサ-マルだけだったのでそう上がりませんでした。ランデ  
ィングは街の向こう側にありますので、上空からゆっくり横断していくと下から歓声  
が聞こえてきてなかなかいい気分でした。広々としたランディングで機体をたたんで  
いたら、アイガ-の方からアプロ-チしてきたパラが目の前に降り、メットを外して  
ハイと声をかけてきました。見ると大きなリュックを背負っっているので、どっか登  
ったのかときくと、アイガ-北壁を狙っていたが、天気が良くならないので(飛んで  
)降りてきた、というのです。もう少し話をするとフリ-クライミングの好きなチュ  
-リッヒ大学の学生でした。アルプスではやっぱりパラはクライマ-の道具なんだな  
あ、と思ってしまいました。

高度差2000mのベルビエはもっとも有名なエリアの一つですが、僕らが寄った日  
は天気が悪くてパス。僕の持ち時間はこれでおしまい、アンネの家へはアルプスから  
2日間のドライブで、娘たちの健全さを尻目に、僕は合法化された?ッシッシにびっ  
くりして、ジ-ザス ワズ スト-ンドとかかれたTシャツが氾濫してぶら下がってい  
るアジア的な混乱を見せるアムスの街に懐かしさを感じていました。

7.15.1996

グランドジョラス

CLIMBING IN CHAMONIX-MONTBLANC

グランドジョラス
黒川晴介
Grandes Jorasses
 
 グランドジョラスは日本人に馴染みの深い山だろう。その北壁はクライマーにとっ
てあまりにも有名だ。モンブラン山群の中でも山自体の大きさ、際立った聳えかた、
やはり一度は登ってみたい山だ。

 残念ながら僕には北壁をソロで登るほどの根性はない。比較的易しいルートはない
かと捜すと、イタリア側がまだ登りやすそうなので、南面から登ることにした。

 シャモニーからバスに乗り、モンブラントンネルを抜けると、四十五分ほどで反対
 側の村、クールマイヨールに着く。フェレ谷へ入り、一日目はボカラッテ小屋
(別名グランドジョラス小屋)まで一二〇〇メートルの登りだ。

 フェレの谷は広くひらけており、緑も美しく生え、個人的にはハイキングするなら
シャモニーより良いのでは、と思う。小屋の人もとても親切で、なにより食事が美味
しかった。

さて、小屋の人に「明日ジョラスに登りたいんだけど、独りでも大丈夫ですか?」と
訊くと、少し暗い顔で「スノーブリッジがあまり良くない状態だけれど、行けないこ
とはないよ」との話だった。

 翌朝は三時にスタートしたけれど、ヘッドランプの灯りでは出発していきなりルー
トがよくわからない。なんとか最初の岩稜に取り付いたけれど、やはり真っ暗の中で
ロッククライミングをするのは大変だった。岩稜を登っているうちに明るくなってき
たけれど、今度はルート真ん中ぐらいですっかりガスに包まれてしまった。岩の上に
腰をおろし、しばらく悩んでいたけれどやはり、続けて登ることにした。もう八月下
旬でこのチャンスを逃すと登れないかもしれないと思ったからだ。

 なんとかウィンパーピークに突き上げるリッジに取り付き、フーフー言いながら
登っていくと、ガスが少し切れてきた。頂上はすぐそこだった。北壁側を覗きこみ、
シャモニーの谷を見ると、雲の中だ。

 クローピークを往復して、さっさと同ルートを下るが、再びガスに包まれた岩稜の
下りを迷って他のリッジに入ってしまった。そのうちガスは雪に変わり、登りとは違
う雪壁をクライムダウンしていくが、中途半端に積もった湿雪でクランポンがよく効
かず、恐ろしいクライムダウンだった。
 
 どうにか登りのトラックに合流して、岩場を何度かラッペルを交えて下っていく。
降り続ける雪がヤッケやザックに積もり、ロープを握る手袋はビショビショだ。最後
のラッペルで氷河上に降り立った頃に、ようやく雪が止んだ。ここから先はスノーブ
リッジに気をつければ歩きだけで小屋に帰ることができる。

7.01.1996

CLIMBING IN CHAMONIX

CLIMBING IN CHAMONIX-MONTBLANC

最初のソロ、プチ・ヴェルト
黒川晴介
Petit Verte
 


 アルプス登山は僕にとって高校生の頃から、あこがれの対象だった。そして、ある意
味でヒマラヤ以上に僕にプレッシャーを与えてきた存在だった。僕はすべてに緊張して
いた。「本当に自分にアルプスを登ることができるんだろうか」と。それに今回はひと
りで来ていたので、多くのクライミング(結局全部だった)をひとりでやらなければな
らないだろう。ヒドンクレバスやスノーブリッジはどうだろう、いくらでも心配事は絶
えなかった。

 「ロープウェイの終点でおりると目の前に圧倒的な姿でエギュー・ド・ベルトが聳え
ている。今回の目的のプティベルトはどちらかと云うと独立した山というより、西穂高
岳の独標のような存在だ。プティベルトの頂上から先はエギュー・ド・ベルトへと長い
鋸のような稜線が続いて、最後に巨大なアイスキャップを持つピークへと至っている。

 アルプス登山には大切なルールがいくつかある。良いコンディションのときに登るこ
と、そして標準タイムを守こと。標準タイムを守るというのはスピーディな行動を意味
しているし、自分の能力がそのルートに対して十分かどうかを適格に教えてくれる。そ
ういう訳で、僕にとって標準タイムというものが大きなプレッシャーになりつづけた。

プティベルトへは雪の登りから始まる。シャモニーに来てから買った真新しいクラン
ポンをきかせながら登っていく。小さなシュルントを越え、リッジ上を進むと岩場の取
り付きだ。ここで、アックスとクランポンをデポしていく人が何人かいたけれど、要領
のよく判らない僕は、デポせずにザックにつけたまま登っていくことにした。
  
 ガイド登山らしき人や、普通のクライマーなど、何パーティかが先行していたが、僕
はひとりなのでビレイの時間がかからず、すぐ追い付いてしまった。皆親切で、すぐ先
に行かせてくれる。この後の山行でもよくガイドと出会ったが、彼らは皆とても親切
で、身のこなしもスマートだし本当にイカしていると思う。何度かはラッペル用のロー
プまで使わせてもらった。(ロープは持っていたけど。)
 
、岩稜をどんどん進んでいくと、ちょっとしたピーク状の所で休憩している人がいた。
休まずに進んでいくと岩場がだんだん難しくなってくる。後の方から声をかける人が
いるので戻ってみると、そこがピークだった。

  標準タイムでは、アルプスの入門テストにどうにか合格したようだ。

6.22.1996

会津駒とひうち岳

会津駒とひうち岳

6月まで大丈夫だあ、山のスキー
榎本工事
 
左=ひうち北面。残雪をつないで滑る。右=駒でのお気楽滑り
 
 1996/06

乗鞍を最後にしようと考えていましたが、先週も滑りに行ってしまいま
した。今年は雪が多いという話なので、どのくらい滑れるか?という興味
もありましたし。
場所は、会津駒ヶ岳と燧岳です。
今回は2人パーティーでした。

22日:会津駒ヶ岳。
前夜、桧枝岐まで入り車中泊。朝のんびりと9時過ぎに林道終点から歩き出す。天気
は曇りで、蒸し暑い。背中の板が、汗を誘う。

1700m位でやっと雪が出てくる。シールは使わず、そのまま登る。樹林帯を抜け
るころには雲の中に入り、視界が効かなくなる。竿や足跡を頼りに、駒の小屋の前通
過。最後の斜面を登って雪が切れた所が頂上である。突然、頂上に着いてしまったの
で、ちょっと拍子抜けだった。

ちょっと休んで下山にする。視界が効かないので、思い切った滑りなぞ、望むべくも
無い。慎重に駒の小屋の前にでて、ルートを確認し、滑る。
樹林帯に入り少しガスが晴れたが、雪が固く凸凹なので、スピードは出せない。とに
かく滑れるぎりぎりまで滑り、板を脱ぐ。
あとは、登山道を延々と下るのみだ。

23日:燧岳
朝起きると、晴れていた。さっそうと御池に移動。朝の5時前なので、観光バスで渋
滞している。駐車場でゆっくりし、8時過ぎに出発。登山道のあちこちに残雪があ
り、水芭蕉が咲いている。やはり今年は遅いようだ。
熊沢田代の手前で雪が多くなる。この辺まで滑れそうだと見当をつけ、更に登る。こ
の辺からほとんど雪の上を歩くようになる。
頂上では、ガスが出てきて、展望は効かなかったが、風もなく穏やかであった。
降りは、雪渓をつないで、田代まで降りる。雪渓の雪は、結構やわらかく滑りやす
い。ただ、距離が無いので、あっという間に終ってしまう。
田代周辺から、雪のつながっている所を探しながら滑り、雪が切れた所で登山道へ。
ここから、ぬかるんだ登山道を降りていく事になる。


とにかく、2日とも、スキーヤーは私達だけだった。さすがにこの時期に滑りに来る
酔狂な者は、滅多にいないのだろう。
#小豆温泉窓明の湯に入りました。850円ですが、桧枝岐の温泉より空い
#ていて、きれいで、満足できました。