11.22.1997

北アルプス立山の初滑り4年分

北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ

雷鳥沢を滑る
 
11月、やっぱり立山はパフパフだった! 
1995年11月25日
skiing at 97-11-24 
 
暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年
もそこはパウダー天国だった。

勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く
2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断
念したに違いない。

ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立
山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜
30センチ降ったヨ」
「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ
ロしていてパウダースキーどころの話ではない。

 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、
クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、
ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。

翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか
、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に
、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を
みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で
はある。

その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明
になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。
やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって!

1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室
堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。

                           (KIM同人/I)

1997年11月22ー24日
メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車

22日
朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの
に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。
雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3
時間の行程。

23日
朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向
かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。

24日
大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣
御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。
快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。
新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足
にフィットして快適だ。
称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。
杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや
かな立山の初滑りだった。

1998年11月21-23日
メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ
ブなど
21日
朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル
からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。
先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス
キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の
不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。
22日
案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。
9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ
る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ
ぐ。
23日
吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道
を帰京。9時都内。


1999年11月21/23

21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた
、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷
鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ
ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶
好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、
水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら
すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ
ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田
さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、
けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。

22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び
に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小
屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす
べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定
した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに
撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう
ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も
っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み
も揃って行動、早い。

23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途
中食事、6時半帰宅

1999年11月29/30日
メンバー 松倉、川崎、汽車

 月・火と立山へテレマークに行って来た。
 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100
m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂
山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク
のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。
 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク
ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。
 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思
う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい
るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと
下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり
だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと
移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。
 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。
川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう
しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、
斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm
で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。
 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元
へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助
かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ
ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から
の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫
だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。
しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂
ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ
らに下っていく。
「逆に進んでいませんか?」
 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん
が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに
ポールが見える」と言う。
「さすが伊藤さん」
 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど
の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆
われた柱があった。
「室堂山荘のアンテナに間違いない」
 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再
び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。
「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」
 川崎さんが脅かすように笑う。
 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの
エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み
くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が
はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、
二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上
に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警
備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初
の雪中行だった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

10.25.1997

SAN YESHILD.WILLIAMSON ROCK,J TREE

SAN YESHILD.WILLIAMSON ROCK,JOSHA-TREE1997

南カリフォルニアの3箇所のクライミング
ito kisya fumihiro
      
from left,SanYeshierd ROck,Willamson Rock,Hidden valley in JT,Ume climbing RML, 
Hikari on ID in JT,Bouldering in JT
 
メンバー HIKARI, HANEDA OSAMU,UNEZU,TOKUCHI,JERMI AND FRIENDS

1997-10-25-28

25日
サンタバーバラのジャンドゥースポーツ店でテントなど買い、午後いちで町外れの
サンイエシールドの岩場にでかけた。hikar,osamu,kisyaの3人。車をおりて15分も
歩くと岩場がみえてきた。丹沢の広沢寺の岩場というかんじだが、実際は3倍か4倍
はありそうだ。パタゴニアショップで見たこのあたりのガイドブック「サンタバーバラ
、ヴェンチュラ、サンルイオビスポ」にでている。ルート数は4、50本か。砂岩の岩場で
ローカルな雰囲気がただよう。ファミリーやカップルで、トップロープで楽しんでいる人
が多い。
5.8、5.9、5.10aあたりを4本ほど楽しむ。10aのxxxxxは楽しめる。3時間ほど楽しん
でヴェンチュラの宿に戻る。

26日
南カリフォルニアでは有名なウイリアムソンロックへ。最寄りの
駐車場で待ち合わせしたが、ぼくらはヴェンチュラから2時間のドライブ、アーバイ
ン住のTOKUCHIはUMEZUをピックアップして、HIKARIのともだちJERMIは女の子二人を
のせて、9時半ぴったりに全員がそろった。そういえばJERMIとは夏の終わりに小川
山でいっしょに登っている。
ウイリアムソンはロスアンゼルスからは最寄りの岩場のひとつ。スケールは巨大で、
穂高屏風岩くらいの岩場がドーンとそびえていて圧巻。標高が2000メートルと高いので、
夏の岩場として人気が高いという。近くにはウイリアム天文台がある。岩質はかこう岩
で、ヨセミテとおなじ。SOUTHERN CALIOFORNIA SPORTS CLIMBING,THE GUIDEというガイ
ドブックに詳細がのっている。

壁の基部から頂上までは300メートルはありそう。マルチピッチもおおく、ル
ート数は数えられないほどだが、ショートピッチでも十分楽しめる。
ぼくらはショートピッチが並ぶストリームヲールに向かう。
5.8から5.10bまで6本ほどをリードしたり、トップロープしたりで、わいわいがや
がやと一日たのしめた。
低グレードでも快適なルートがおおく、満足度がたかい。フィールドがよいわけだ。
ルートもまとまっているので、あちこちと移動する必要がない。同じくらいのレベルの
ローカルが同じようなかんじでのぼっていた。

TOKUCHI,HIKARI,UMEZU,HANEDAは夕方ここをひきあげ、そのままジョシュアツリー国立
公園へと向かう。

27日
毎日良い天気。カリフォルニアは天気の心配がない。
ジョシャツリー、朝のテント場。カップの水が凍っている。日中は半そででもあつい
くらいだが、夜の冷え込みは厳しい。
ヒドンバレーのロコモーションロックにいく。やさしいクラックルートがおおい。
7.8.9あたりのルートを登る。クラックルートが多いのも小川山のかこう岩とおなじ。

午後、エコーコーブロックに移動。5.8のRMLと5.10bのC.S.SPECIALにトライ。RMLは
去年CHUがえらく難しい5.8だ、と言ったルート。ぼくもハングをよっこらしょと登る。
超えたあとの一歩のトラバースがこわかった。
HIKARIは10bを確実に登る。信じられない高さに1本めのボルトがあるルートだ。

28日 
TOKUCHIの車から流れるドビッシーが朝飯のバックグラウンドだ。
HIKARI念願のREAL HIDDEN VALLEYのセンティネルロックのILLUSION DEWELLER10bに。
30メートルの三ツ星のクラックルートだ。見事オンサイト。TOKUCHIと僕がフォローする。
高度感ばっちりの恐くて気持ちの良いルート。
テントを片つけ、下山。パームスプリングスの先のアウトレットモールをたずね、TOKUCHI
宅ちかくのサンタナのエンバシースーツに入る。三和中華店で打ち上げ。香港の中華店の
ような雰囲気と味。

10.23.1997

インスボンのスピードクライミング

SPEED CLIMBING IN INSBONG 1997

インスボンのスピードクライミング
伊藤忠男
 
メンバー ちゅう、ペンバ、トミー

1997-10-23.24

23日
効率最大で正味1日半しかないので、ペグンサンジャンについてからすぐインスB
に取り付いた。忍術使いみたいな若いコリアナ4人が前後したので、バリエーショ
ンを教えてもらいそっちをとった(岩雪にで  てたのとかなり違う)。
東壁スラブを含めて全8ピッチで、ランナウトの10bが1  ピッチと(しかしこ
こは10aと感じた)、ボルトに守られた10aが1ピッチ出て  きます。クラック
は快適だけど退屈(5.8止まり)。たぬきの腹に直接出る最後の  60m(ロープ
が足らなくなる)の超ランナウトスラブは5.8くらいだが恐ろしく  てもう2度と
やりたくないと感じました。
頂上のラペルポイントのすぐ上でナベやってるおっさんおばはんがいたのにはたまげ  
た。なんなんだこれは?!
この日はこれでおしまい。

24日は、1本のロープで降りられ(シングルしか持ってかなかった)、もうちょっ  
と気合のいるルートをってことで、はじめボッキル(最初の3文字で切らないように  
)というルートの下部2ピッチ(10b、11―)をめざしましたが、
丁度ショイナードAの左隣が取り付きなんですけど、1ピッチ登った(10b)とこ  
ろで次の終了点がルート図と違ってかなり上みたいなのであきらめておりてしまいま  
した。

で、また東南壁へ戻って、スカイウェイの1ピッチ目(5.9クラック15m)を登  
り、まだ時間があるのでインスBの下部1ピッチ目のやはりバリエーションでグレー  
ドははっきりしませんが(10の後半から11前半と感じました)25mのド・スラ  
ブに挑みましたが、2本のボルト間で動けなくなり走るように飛び降りて“秋のヌン  
チャク摘み”で切り抜けました(要するに敗退)。

因みにこの直後このルートで、コ  リアナが一名、ものすごいロングフォールで服
をずたずたにしてしまいました。アイゴー。

“女情”(確か10C)の左右に一杯今日っぽいラインがありますけど、やっぱり最  
新のトポがほしいですね。わかんないのであきらめ。
これで時間切れ。いそいで山を下って、偶然来たウイドンまでの無料送迎バスとタク  
シーで市庁近くの奇跡的に残っている博物館いってもおかしくないヒッピー宿(60  
00W)へ。

25日の早朝1000Wのエアポート・バス(これ安い!)で朝一フラ  イトに乗っ
て戻りました。

10.10.1997

小川山スラブ状岩壁

小川山スラブ状岩壁新エリア
新しいルートが何本か。金峰山荘ホームページにトポあり

幻を追う人
 
1997-10-10
メンバー chu,光、安田、羽根田、汽車

10-10
大渋滞の始まる前にと夜明け前にでたのが功を奏し8時には回り目平についた。
スラブ状岩壁にいく。ガマスラブのあるところ。そのうえ、ガマルートの2ピ
ッチ目にあたる。
クライミング出戻りの羽根田くんとハートアンドソウルの右にできた5.7と5.8
をのぼる。そのあと
KC'Sバナナケーキ10aを楽しむ。変化があって面白いルート。


さて、他メンバーは左奥の新ルートをのぼっている。そこに割り込んで、まず
「幻を追う人11a」
核心部は出だしの2、3手。ボルダームーブ。二三度トライしてのぼる。光、
CHUはオンサイト。短いが楽しめる。

その左が「ごめんねえっちゃん10b」20メーターで面白い。よく見てのぼれば
ホールドはたくさんある。フェイス系。
豪快に登れる。
その左が「ウイスキーキャット10a」30メートルと長く、変化にとんでいて
面白い。10aのムーブは1ピッチ目にあると思った。2ピッチあるが1ピッ
チで登れる。懸垂下降は二回。
人気ルートになると思う。
金峰山荘ホームページにトポありhttp://www.yic.or.jp/climbing/

10-11
いきなりミズガキ山十一面に飛ぶ。正面壁のベルジュエールのとりつくも、寒
気甚だしく、意欲失せ、一ピッチのみにて戻る。帰京。

9.22.1997

小川山水晶スラブ

水晶スラブで半日
近くていい。磨きこまれている

noise and super imjin,abatamoekubo
 
1997-9-22
メンバー 野村、よしこ、汽車、酒屋今宮

9-21

あんまり天気はよくない。クラックの名人、酒屋今宮がきたというのでお殿様岩へ
。昨日はバナナクラックをのぼったという。
たどりつくと、予期せぬプレゼント、をちょうど登っているところだった。5.9というがワイ
ドクラックで難しいという。プロテクションにジャンピングカムをつかっていた。

スーパーイムジンを登るというので見にいく。何度目かのレッドポイントで、登りは見事という
ほかない。一度下って、目下練習中のローリングストーン、小川山最難のルートにトライすると
いうのでひょこひょこついていく。
途中で岩たけおじさんに取りつく。10cらしいが、スラブでちょと苔っぽい。
ローリングストーンは濡れていて、本気ではトライできないようだった。トップロープでさわらせて
もらったが、歯のたつようなものではなかった。


9-22
水晶スラブへ。アプローチが意外と難しいところだ。
あばたもえくぼ10cであしならし。みんなケッコウきれいに登れた。
ノイズ11aはぼくがリード、核心を超えたところで、確信犯的なアルパインクリップをおこなう。
手繰り落ちはいやだからね。
やじろべえ11aにトップロープでとらい。やじろべーの格好になるトラバースがあるからこの名
がついたという。核心はその上、スラブだ。トップロープならなにもこわいことはない。みんな
きれいに登る。ナチュプロでのリードはこわそうだ。こういうところはバンバン、トップロープで
遊ぶのがいい。直登ルートもやってみたが、これも面白い。

トップロープでクライミングすることはクライミングがよりスポーツ化することではないだろうか。
恐怖に怯えながらやるスポーツはそんなにあるものじゃない。純粋にスポーツするなら、トップロ
ープで充分だ。

9.13.1997

ミズガキ山十一面末端壁

ミズガキ山十一面末端壁であそぶ
見事な壁、静かでいい。ちょと難しいか

十一面末端壁と調和の幻想5.9
 
1997-9-13.14
メンバー せいすけ、森光、汽車、ちゅう、安田、くるみ澤

9-14
 たまには違う岩場で、ということでみずがき山の十一面末端壁へ。グリーンロッジのあた
りに車をおいて、徒歩一時間弱。道はあまりふまれているようには見えない。

僕は十年振りくらいか。崩壊で道がかわっている。末端壁のしたで赤茶けた左股にはいり、
尾根を超えるようにして壁の下にでる。そこが岩小屋だった。

 ガメラさんがあとから上がってきた。正面壁のベルジュエールとやらのフリー化をやってい
るとのこと。偉いもんだ。今日ここに来たのはこれで全員らしい。空いている。
 光、ちゅうは有名な春うららにとりつく。と、思いきや、いきなり、ラダーをとりだし、ア
メリカンエイドで登り出す。光は先週から、こんなことを始めている。なにか魂胆があるら
しい。

 ぼくは調和の幻想5.9を探しだし1ピッチ目にトライ。意外と難しい。先週ガマクラックで
墜落した後遺症がのこっているのか。何度かテンションをかけぬける。こわかった。後はト
ップロープで楽しむ。となりのT&Tも面白かった。人工クライミングの練習をおえた光、ちゅ
うは調和の幻想をきれいにのぼる。

 せいすけがロープの回収がてらアストロドーム5.11aを何とか登る。
これだけのぼったらもう夕方になっていた。
 ガメラさんと下る。
9-15
 小川山へ。天気が良くないが、先週やり残した、母岩の開拓。
 開拓キング、井上大助さんといっしょ。光、安田、ぼく。人手は充分。
 暗くなるまでやって、先週の2本につづき、3本が完成した。
光、と僕が手をつけたルートはまだ登っていない。来週か。10から11の好ルートが6本はで
 きそうだ。
 ボルトをうってくれた大助さんありがとう。

8.26.1997

インスボン(仁寿峰)99

韓国インスボン(仁寿峰)のクライミング99
天気もよいのに1本しかのぼらなかった

INSU-BONG
 










1997-8-26.27
member KUROKAWA,KISYA、KAWASAKI

6月9日
朝いちの大韓航空で出発。金ポ空港まで
1時間半ほど。税関をでると大阪から3
0分まえについた黒ちゃんがいた。川崎
カメは海外での仕事はたくさんこなして
いるが、クライミングの遠征は初めて、
とはしゃいでいる。天気はよいのだが暑
い。カラ梅雨の東京と同じような天気。
1時まえに空港からタクシーでトソンサ
へむかう。並みのタクシーで2500円ほど
。ウオンは現在0.1をかけると円になる
とかでわかりやすい。
トソンサ入り口で1000ウオンの北漢山国
立公園の入園料金をはらって、全荷物を
背負って歩き出す。15キログラムほど
。1時間ちょとをのんびりと歩いて、曾
遊の地、白雲山荘着。おととしと同じよ
うな顔ぶれが働いていた。サックス奏者
の金さんは病気で入院中とかで不在。4
時前とあってまだ日が高い。白雲台はま
だ踏んだことがないのでハイキング道を
30分ほど、白雲台ピークにたつ。イン
スボン峰よりも高い。全山がかこう岩の
岩山、階段が刻まれた楽しいハイキング
ルートだ。地元のハイカーが雲霞のごと
く押し寄せる人気エリア。もどって水を
あびてからビールやマッカリでくつろぐ
。夕食は韓国式、そうそうに就寝。
6月10日
朝いちで向かいのサイコロ岩に行き朝日
をあびたインスボンを撮影。韓国式朝定
食をいただき、9時すぎには大スラブの
とりつきに着く。1pを僕がリードしてあ
いだに川崎カメがはいる。15年ほどまえ
のアゾロのレッドキャニオンというシュ
ーズをもちだしてきた川崎さんはスラブ
を登った経験はないとのことでとりの水
掻き状態でロープをつかんで登ってくる
。2pをくろちゃんがこわごわとオアシス
目指してのぼる。あいだにはボルトがひ
とつ。カマロットをあちこちに穴にかま
してプロテクションをとりながらのぼっ
ている。
きのう夕方おそくなって入ってきた仙台
アルパインクラブの住吉さんら3人んも
後続。地元クライマーをぞくぞくと登っ
てくる。仙台グループは左のインスBへ
むかう。地元クライマーは医大ルートへ
。ぼくらは友情Bを登ることにするが、
ハンブルのトポとあっていまいちルート
がわからない。多分これだ、ということ
で1pのクラックルートにとりつくが、結
局これがサンチャンジーという5.8のク
ラック、けっこう微妙。2pをクロチャン
がのぼるが、これも意外ときびしくA0
がはいる。川崎さんはどちらもユマール
でのぼってしまう。2p目をフォローした
ぼくも核心部ではA0。ここは5.10dの核
心部であることがのちに判明。3pによう
やく友情Bに合流。45メートルの5.6のチ
ムニーを登る。先行する韓国人クライマ
ーの登り方をみていてバックアンドニー
の要領がわかったのでおそるおそるまね
して登る。彼等はノープロで45メートル
いってしまったが、3,4箇所にカマロッ
トをきめて、ようやくぬける。おそろし
く高度感のあるきれいなチムニーだ。韓
国人クライマーが冷たい水をくれあれこ
れ教えてくれる。みんな親切。3pは5.7
のダブルクラックでクロチャンがリード
、バランスが必用なクライミングだ。そ
のあとたぬきの腹経由でピークへ。懸垂
で反対側におりる。小屋へもどるともう
3時。3人で写真をとりながらのんびり
と登ったせいか、なんと6時間もかかっ
てしまった。きょうはこれで充分だね、
ということで水浴びしてからくつろぐ。
前日快晴で、あたたかくそれも疲れる理
由だ。
6月11日
きょうも快晴。のんびり食事して、どこ
へ登ろうか、と相談するが、あまりみん
なやる気はないようだ。ぼくも、もうひ
と汗かくのもなんだな、ということで衆
議一決下山ときまる。のんびりパッキン
グして登山口へ。タクシーでインサンド
ウのあたりまで、韓式旅館をさがそうと
するがうまく見つからず、あちこと右往
左往。結局ソウルホテルに電話して、タ
クシーで横付け。チェックイン後、東大
門の安売り店にいき5.10の靴を買う。ニ
ュートンが8000円、モカシムが5000円で
半値以下。もうかったもうかったと地下
鉄で帰宿し、夜はインサンドウの韓国式
海鮮店で食事し、就寝。翌朝、牛モツに
こみ朝定食で韓国料理の奥義を見せられ
敗退。10時すぎの飛行機で帰国。
(汽車)