10.31.1998

二子山のマルチピッチ

二子山のマルチピッチクライミング
西岳中央稜

ふたごやま
 
 1998-10-31
 member chu kisya
 
 絶好の日和。6時に家をでて花園インター、長瀞経由、美しい田園をとおり、
 観光化をまぬがれた僻地をぬけ二子林道。4時間近くかかった。紅葉がきれい
 、駐車場には10台ほどクライマーの車がとまっていた。
 中央稜とりつきまで15分ほど。中央稜が大きく豪快に見える。11時すぎに
 登り出す。
 素晴しい秋晴れの日。10.5ミリロープでのぼる。バックロープに9ミリをつけて
 いく。手の切れるような石灰岩を快適にのぼり、5ピッチほどでぬける。2時
 間ちょっと。プロテクションもしっかりしていて、フレンズなどはあまりつか
 わなかった。天気がよければ秋から冬にかけて本ちゃん風のマルチピッチクラ
 イミングが楽しめるところだ。友達とちょと遊びにいくのによいだろう。
 懸垂下降で取りつきにもどりランチ。近所にあるショートピッチをのぼる。開
 拓心理学という北山開拓王の5.10a。良いルートでした。ホコラエリアに寄り
 1本ともおもったが、登れそうなルートには先客がいて、見学して写真をとっ
 て退散。プラナンの岩場にそっくりだった。いつかここにもトライしてみよう
 。
 静かできれいな山だからハイキングしても楽しそうだ。小川山にいくのと時間は
 変わらないがくねくね道のドライブがかったるい気がした。でも高速道路代は
 半分以下。
 

10.24.1998

筍山のクライミング祭

筍山のクライミング祭り
JMCC、JNCCほか

ROCK CLIMBING IN TAKEYAMA,GUNMA PREF
 
1998-10-24.25

10-24 
天気予報どおり天気がわるい。7時に都内をでたら案の定、渋滞にはまり、筍山
下のそばうち体験館の駐車場についたのは11時。雲は多いが雨はあがったよう
だ。マスター宮崎、開拓王、小林由佳ファミリーなどにぎやか。ルート開拓なら
できそうということで女岩へ。1年前に作った5.11後半の手強いルートのボルト
のうちなおし、さらにマスター宮崎の目利きで女岩の最下部の2段ハングにボル
トをうつ。
夜は、JMCCの古い顔があつまって大宴会。子連れファミリーが多く、総勢30人
くらいか。年に一度のクライマー祭りの核心はこの宴会ということらしい。小林
おやじの鮟鱇なべが絶品であった。JNCCは日本仲良しクライミングクラブの略称
であったのだ。
10-25
あけて翌朝。よい天気。ジャック中根がカラファテクラブの講習生とともにやっ
てきた。総勢30人ほどが、男岩と女岩に群がる。女岩の5.9の入門ルートに講
習会用のロープをかけ、男岩に下り5.10B/Cの岡村ルートにもロープをかける。
正面の5.11の手強い凹角ルートはトップロープでトライ。リードしたらこわそう
だが、トップロープならのぼれるよ状態はいつもと同じ。
女岩にもどり、昨日つくった2段ハングにトライ。由佳ちゃんがのぼり、小林お
やじがのぼり、田島かつらがのぼり、5.10aとしたという。僕の感想では5.10B
/Cでもよいのでは。でかいハングだから力が必要なのだ。
さらにできたての小林オヤジルート5.10Dを登る。なんとかオンサイト。古いメ
ンバーはさすがに高難度ルートにトライしている。開拓王は暗くなるまえに念願
の12のルートをレッドポイント。執念の男であった。ここのエリアの発表は
Rock&Snow99の夏号の予定。
風呂にはいり、焼肉たべて、車で仮眠して夜中の12時に現地スタート。渋滞の
消えた道を2時間のドライブで帰宅。

10.10.1998

小川父岩と唐沢滝の岩場 

錦秋の小川山父岩、屋根岩3峰南稜神奈川
大晴れの2日、名ルートばかりのぼる

小川山ストーリー5.9と南稜神奈川
 
1994-10-18.19
メンバー CHU,PEMBA.TOMMY,羽根田、汽車

10-18
10月10日をすぎるとキャンパーもクライマーもぱったりと見えなくなる、
という小川山の現象は事実だった。
先週のにぎわいが嘘のような静かさ。しかも素晴らしい天気。紅葉黄葉がみ
ごと。陽気もなごやか、汗ばむほど。朝晩のひえこみは格別だが。
ビギーナーもいるので、ひさしぶりに父岩へ。一年に一度くらいはよいだ
ろう。大人気エリアなのにあたりにクライマーの気配はない。

小川山ストーリー5.9とその右、小川山ストリート5.9プラスか、をのぼる。
TOMMY,PEMBAがリードする。快適なたのしいクライミングがあじわえる。
ストリートのほうがすこし難しいか。足場がきれいに作られていて、さすが
人気ルート。左のクライマーのクを汽車リート。10.c、のフェイスだが核心
は2、3手、以前よりらくに登れる。
左に移り、レタス畑でつかまって10d。スラブだが核心は一箇所、ボルトの
位置がよいから安心だ。終了点まで気をぬけない。
タジヤン2は10aの2ピッチのルート。1ピッチめの出だしのスラブは10a
以上あるとみた。1ピッチめはトップルートでも楽しめる。が、2ピッチ目
まで抜けるのが楽しい。

10-19
きのう以上の好天。一日中ぬくぬくしていた。
羽根田くんと二人で屋根岩3峰南稜神奈川へ。
1パーティ取り付きにいたが、さきに譲ってくれる。右の新しいルートを
のぼるつもりだったようだが、ショートルートとしり、僕らのあとにつく。
1ピッチ目は簡単なフェイス。2ピッチめは高度感のあるフェイスをのぼる。
こわがらず落ち着いていけばことさら難しいところはないはず。3ピッチめは
木登りのあとチムニーをゆく。木登り用の木がなければむずかしいかも。チ
ムニーはずりずりとのぼるのがこつ。がっちりはさまれるので恐さはない。
4ピッチ目は歩きで、5ピッチめは右にちょとくだって、さびたリングボルト
のあるのぼりやすいところを登る。45メーターで終了点、支点がないので
小さなハイマツで支点をつくる。
天気がよければ素晴らしく楽しいクライミングになるだろう。今回の僕らの
ように。


父岩と唐沢滝の岩場 
1998-10-10.11

MEMBER DCC KIM JMCC

10-10
DCCのクライミング講習会をひらく。5、6人しか集まらない。宣伝も不足だ
ったが、クライミングはけしてポピュラーな遊びとはいえないなと実感。先生
は宮崎秀夫先生。クラスとしてはちょうどよい人数。父岩でタジヤンと小川山
ストーリーなどを登って楽しむ。夜は焼肉。
10-11
北山開拓王が唐沢の滝の岩場に作った高難度ルートを初登するというので同
行、初登りのあとトップロープでのぼったり、写真をとる。絶好の好天、秋
晴れだ。早めに仕舞って、渋滞道を帰京。

10.03.1998

剣岳のクライミング

秋の剣岳のクライミング
雪がくる前のチャンスをつかむ

turugi peak
 
1998-10-3~8
MEMBER KUROKAWA,KAWASAKI,KISYA

10-3 
絶好の秋日和。アルペンルート経由室堂。暑いくらいの陽気のなか雷鳥沢の夏道をつ
め別山乗越へ。剣が大きい。秋の色が濃い。昨年はこの時期にすでに雪をまとっていたとい
う。明日もこの天気だとよいのだが。剣沢小屋に3時。2時間おくれで大阪から黒川到着。

10-4 
3時に起き、真っ暗ななか剣山荘方面へむかう。途中で爆発してぼろぼろになったテ
ントあり、。そういえばさきほど爆発音がきこえたのはこれだったのか、となっとく。負傷
者はいないようだ。それよりもなによりも、真っ暗で剣山荘に向かう道がわからずうろう
ろ。天気予報に反してあたりは小雨がけぶりヘッドランプのあかりも届かず。1時間以上
かっかって剣山荘着。

ここでしばらく様子をみようと休憩。弁当を食いながら和歌山の砒素
事件の容疑者逮捕のライブをみているうちに明るくなってくる。早起きしてチンネにいくつ
もりだったが、出鼻をくじかれ、剣岳本峰南壁にむかうことにする。7時、雨があがり、ガ
スがはれ朝日がさしてくる。好天だ。
素晴らしい朝日をあびながら南峰をこえ、本峰下に到着、下り気味にトラバースしてA2の
リッジ下の取付きに。用意しているうちにまたもガスがわいてくる。かまわず登り始める。
ややこしいので9.7ミリのシングルロープに3人がはいり、つるべで登る。1ピッチが25
m内となるが短いルートなのでそれでよし。3、4級くらいの尾根をがんがん登る。上部に
行くにしたがいもろい岩となる。11時には頂上についた。よい天気になっている。
「ランデックスみたいだね」とクロちゃんと話す。
シャモニ赤い針峰群の入門者用の岩場だ。7月にのぼった。
縦走路をののんびり下って3時には剣沢の小屋にもどる。シャワーをあび美味しい夕食をいた
だき、あたたかい部屋でテレビをみる。
チンネにいったらこうはいかなかっただろう。この小屋からチンネまで往復するのはちょと
現実的なプランとはいえないかもしれない。「ちょうどよかったね」と納得しあう。

10-5
KAWASAKIが下山。KUORKAWAと二人で源治郎尾根1峰の成城ルートへ。快晴の朝。7時に剣沢
をくだり、クレバスの入った平蔵谷出合いをわたり尾根に取付く。
今年は小雪で残雪が少なく、平蔵も長次郎谷もクレバスだらけで登れないと、小屋の友邦さ
んがいっていたがそのとおりだった。1時間ほどのぼり、成城ルートへのアプローチを見逃
し、1峰直下まで登り、あわてて下りかえす。踏み跡を発見して、取付きへ。
面倒なので50メートルのシングルロープをのぼることにする。1P40メートルのばし、2P
はクろちゃんが行く。スラブっぽい壁を左上、2、3度迷ったが50メートルいっぱいにのば
す。フォローするとハイマツの危ういテラスでビレイしていた。落ちなくてよかった。5.9
はありそうな気がしたから。正しい切れ目ではないようだ。交代して右上、ボルトを発見し
て、今度は左上、テラスをみつけたがそのまま直上、ハイマツをぬけ50メートルのばした
ところで確保点発見。クろちゃんが最後の3級の50メートルを引っ張ると、そこが1峰直
下10メートルのところだった。
源治郎尾根をマツに掴まりながらくだり出合いへ。見上げると1峰がピラミダルで大きくみ
えた。成城ルートもよくみえる。小屋までは1時間強のしんどい登り返しだった。帰荘3時
すぎ。
取付きまで3時間、登り2時間。帰り3時間。フリークライミングのアプローチを考えれば
やっていられない遠さだが、アルパインクライミングの場合は、アプローチも楽しむのだか
らいいんだね、と話す。
高い山でのクライミングは高難度のクライミングを追求するよりも全過程を楽しむ、山の雰
囲気を感じながらクライミングを楽しむのがいいね、とぼくも思った。

10-6
なんと今日も快晴。奇跡の4日連日好天。毎日晴れていては体がもたない。朝飯後、下山。
薬師の湯で風呂に入って、大町駅前で飯をたべ、東京帰着6時。剣も近くなったものだ。

9.19.1998

小川山屋根岩2峰あたり

小川山屋根岩2峰あたり
そらまめスラブ
 
menber chu,yasuda,macky,kisya
198-9-19 
chuさんといっしょに10時には廻り目平駐車場につい
た。初秋の青空がきれい。屋根岩2峰基部へ。いきなり5.
11cのドリーム2号(のちほど正確な名称を記載したい
)にとりつく。ガイチ棒など使いぬける。ソラマメスラ
ブに移動して、帰ってきたタジヤン、スラブの逆襲など
にトライ。11台なのでどれも難しい。ソラマメルート
ややわらか豆などにとりつくとほっとする。午後おそく
なって、PTAのうえの段ののフェイス、5.9で遊んで終了
。天気がよくてよかったね。

9.12.1998

小川山弟岩、おばさん岩

小川山、弟岩、おばさん岩
このあたりをいつもウロウロしてしまう

SUPER JUNIOR
1998年9月12-13日
ちゅー、トミー、汽車
9-12
渋滞にはまって廻り目平についたのは1
1時。兄岩下部でメンバーと合流、反射
炉はデイドリームをおりてきたところ
だった。
弟岩に移動。トミーがジョイフルジャム
をやり、じゃんがら5.11Bにトライする
があっけなく敗退。ムーブがわからな
かった。
ままこ岩のうらのスラブ5.10dをのぼ
り、おばさん岩へ移動。母子草のとなり
のカンテラインができていたのでトラ
イ。5.10aのスーパージュニアという
名前。カンテを左手でもってだましなが
らのぼる。下の段におりて、アガタ氏の
晴登雨読5.10B、となりの天空の戦い
5.10aを登っておひらき。夜は佐藤さん
夫妻が釣ってきたイワナで骨酒を飲む。
9-13
小林由佳、父、氏家さん、汽車
野村さんたちとウスノロマンを登りた
かったが、二人を発見できず。クライ
マーが異常に多いのだ。
きのうに続きおばさん岩へいくはめに。
由佳ちゃんがレールデュタン11aをきれいに
登る。氏家さんとふたりで母子草、こど
もをなめんなよう、レールデュタンをの
ぼり、早めにかえりました。

9.07.1998

ヨセミテ・エルキャプタンを3本

BIG WALL CLIMBING IN EL-CAPTAIN,YOSEMITE

MICKY SUIZU`S REPORT
ヨセミテ・エルキャプタンを3本
yosemiteだい
 
 98年秋、日本を出発する直前になってSAC(仙台アルパインクラブ)の志小田さんと電
話で話し、一緒に“Jolly Roger”を登ることが決まった。これに佳奈ちゃんこと大村佳奈が
加わることになった。マーセドでヨセミテ行きの最終バスに乗り、遅れた僕は1ヵ月半後、
一緒に“Wyoming Sheep Ranch”を登ることになるIan Parnellと2人でバス停前の芝生で
横になり夜を明かすことにした。久々にぐっすり眠れるはずが、まだ暗い早朝、動きはじめ
たスプリンクラーのせいでズブ濡れになって起こされるはめになってしまった。
 巨大な怪物のようなエル・キャピタンがバスの窓から見え始めると、何もかも忘れて大人
気なく窓ガラスにはりつき、木々の無効に見え隠れする岩壁を見上げた。
 一足先に来ていた佳奈ちゃんに合流し、僕から1日遅れて志小田さんが到着した。すぐに
3人で準備を始め、9月7日からマンモステラスまでの8ピッチ分のフィックスに取りかか
った。いくつかのルートが、このテラスを共有していることなどから、すでにロープが残置
されていて、僕らは自分たちのロープをほとんどフィックスすることなくマンモステラスま
ではキャンプ4から通った。
 この8ピッチ中で、僕にとっての核心は6ピッチ目で、振り子トラバースからノープロテ
クションで15�ランナウトし、マントリングをこなさなければならなかった。ムーブは難し
くないものの、遠くに見える最後のプロテクション(振り子の支点)のせいで少々躊躇して
しまった。そのまま続くA4+のセクションでは、フッキングエッジが欠け、長めの墜落をし
たしまった。次々と出てくるフッキングムーブのせいで、胃がキリキリと痛み始めていた。
9月13日にGo Upを決め、キャンプ4を一度は後にしたものの、11ピッチ目でいくつかのミ
スが立て続けに起こり、実際のGo Upは結果的に9月17日ということになってしまった。11
ピッチ目はいろんな意味で、一番記憶にの凍るピッチになってしまった。事前からの情報で
核心のうちの1つでもあった場所を志小田さんがこなせず僕と替わり、僕は運よく手も届か
ず見えないフッキングエッジにパイカの大フックをチータスティックに付けて決め、そこを
越えることができた。時間切れで翌日へ残した約10�ほどを、志小田さんがリードする際、
僕はギアを送ろうとして、コパーヘッドのぎっしりとつまった袋を落とし、次の日志小田さ
んはチヅルを落とした。これらのせいで、2度も下界を往復するはめになり、2日をムダに
してしまった。今でも壁にぶつかりながら落ちていく白い袋と、袋の口からパラパラとこぼ
れ出るコパーヘッドが思い出される。
 マンモステラスから上は傾斜も強くなり、凹角が多いせいで日陰を登ることが多く、ビレ
イ中は結構寒い思いをした。
 残り2つあったA5のピッチは、12ピッチ目を志小田さん、17ピッチ目を僕が担当した。
12ピッチ目で一度フォールした志小田さんは、墜落で抜けたコパーヘッドを根気良く打ち直
し、そこを越えた。17ピッチ目の僕は、なんとか落ちずに#1と#2のコパーヘッドが続く
美しいコーナーを登ることができた。ここまでくると、まだ6ピッチを残しているにもかか
わらず、もうJolly Rogerを登れたような気持ちになっていた。寒くて震えながら冷え切った
缶詰を食べるのは、少々みじめでもあったけど、蛇行するマーセドリバーを見下ろし、豆粒
のようになった自動車を見るのは気分が良く、近づくエル・キャピタンの頂上と、下界で待
つビールのことを思うと幸福だった。
 最後の5.9のピッチを佳奈ちゃんが登り、Jolly Rogerは終わった情報通のクライマーの話
だと僕らは通算第8登目ということだった。でも、そんなことよりも再登によってグレード
ダウンしてしまう宿命のエイドルートで、残置ギアの少ないおかげで、より初登者に近い気
持ちが味わえたことが満足だった。

 Jolly Rogerから下りてすぐに、今年エル・キャピタンを1本ソロしようと決めていた僕は、
他人のアドバイスもあり、ルートを“Lost in Americaに決め、準備を始めた。基部への荷上
げをし、2ピッチのフィックスの後、ピスタチオをたっぷり買い込んでGo Up。にぎやかな
キャンプ4から急にルートきりになるのは、さすがに淋しくもあったけど、Go Up後に聞こ
えたヨセミテを去る志小田さんからのコールや、カナダ人がずっと遠く壁の中から送ってく6日
れる「スイヅー! コンニチワー!」のコールに励まされ調子も上がり、順調に進んだ。6
ピッチ目、5.10のランナウトが、このルートをソロする上で僕にとってに核心だった。ラン
ナウト後の情報を持っていなかったせいで、僕は一通りのギアを全て持ってのぼることにし
た。フラットソールに履き替え、手にたっぷりとチョークをつけ、ソロエイドからたっぷり
とロープを出してから、突っ込んだ。傾斜がおち、楽になり、やっとプロテクションが取れ
ると、嬉しさがこみ上げた。
 ルート全体を通して、夕方4時ごろビレイ点に着くことが多く、次のピッチに手をつける
には時間が足りない。まだ明るいうちにその日のクライミングを終える日が多かった。それ
でも夜、腰まで寝袋に入り、ポータレッジの上から暗い空間へ向かってピスタチオの殻を投
げるのが快感だった。ルート自体は明らかにグレードダウンしていて、かつてA5だった11
ピッチ目はチキンヘッドと呼ばれる怖さに堪えられなかった再登者によって打たれたリベッ
トのせいでA2ぐらいに感じた。それでも結果的に目標どおりの4ビバークで登れたことに
は満足した。

 Lost in America以後は、しばらく冴えない日が続いた。ヨセミテフォールのルートを、い
くつかの理由で4ピッチでやめ、ハーフドームのソロを長いアプローチに堪えて荷上げした
にもかかわらず、くじけてしまった。
 朝の寒さを避けてカフェで昼を待つ日が続いた。

 10月半ば、親しくなったイギリス人クライマーIan Parnellと、残された日数を計算し、2
人でWyoming Sheep Ranchをやることに決めた。このルートは南東壁の北米大陸型の模様
のちょうどワイオミング州のあたりを登るルートで、A5+とグレーディングされている。
 取り付きで“Let's go to Wyoming!”という僕の掛け声にIanが“Holiday in Wyoming!”と
返し、僕のリードでWyoming Sheep Ranchは始まった。1ピッチ目は悪く、一度フォール。
初日、1ピッチ半ほどフィックスし、次の日昼過ぎにGo Upした。ルートは全体的にもろい、
薄いフレークへのフッキングが多く、精神的に疲れる。僕らのずっと左では“North American 
Wall”“El Nino”の第2登をねらって18才と19才のイギリス人ペア、LeoとPatchが登って
いた。夕方になると彼らからその日の結果が報告され、こっちも気合が入った。数日後、彼
らはほぼ全ピッチオンサイトという快挙を成し遂げた。激しい雨の日には、僕らも彼らもポ
ータレッジで足止めをくらい、僕はヘッドホンの音楽の向こうから聞こえるポータレッジの
フライをたたく雨の音を聴いて過ごした。雨の止んだ次の日、9ピッチ目のA5を僕がリー
ドし、11ピッチ目のA5+をIanが、彼の誕生日に当たるその日リードした。その夜は、チョ
コレートドーナツにマッチをロウソクに見たてて立て、ビールで彼の誕生日を祝った。
 ルートは後半“Sea of Dream”へ合流し、僕らは最後“El Nino”の2ピッチを登って頂
上へ抜けた。天気は完全に下り坂で、下降を始めるころには雨も本降りになり、East Ledge
はちょっとした滝になっていた。水をかぶり、ホールバッグと格闘しながらラペルし、下界
へ着くとそこはハロウィンパーティーを数日後に控え、サマータイムも終わってしまってい
た。キャンプ4は、シーズンオフの雰囲気が漂い始め、テントもめっきり減り、親しくなっ
た日本人クライマーはみんなヨセミテを去ってしまっていた。
 僕は11月1日、ヒッチハイクでヨセミテを後にし、更にあと4ヵ月間続く旅の舞台、南米
パタゴニアへ向かった。