1.26.1999

八ガ岳赤岳主稜

八ガ岳赤岳主稜
寒かった、ぼろぼろの岩だけど面白い
 
AKADAKE
 
1999-1-26-27
メンバー せいすけ,CHU,KAWASAKI,汽車

2-25
 小渊沢の駅でせいすけと待ち合わせ駅前でいっぱいやってから、美濃戸口の赤
岳山荘に入る。素泊まり1500円であたたかい大部屋を独占。
2-26
 500円の朝定食がまた素晴らしい。ちゅうさんが合流して美濃戸へ車であが
る。前日降雪があったのできれいな道だ。行者小屋まで2時間、10時。気温は
マイナス10度と小屋前の温度計が告げている。天気予報では快晴のはずだが、
山がガスにつつまれている。ガスの流れもはやい。ときどきのぞく赤岳や阿弥陀
岳は迫力がある。1時間くらい様子をみていたがあまり回復の兆しはない。
 取り付きをみてこようと文三郎道を登る。赤岳の主稜にとりつくのは赤岳沢か
らというのが昔からの方法らしいが、最近はてっとりばやく核心に近付けるとい
うことで文三郎からトラバースするのがよいと、岳人誌に書かれていた由。
 見当をつけてからとぼとぼと赤岳鉱泉に入る。夕方になってガスが切れ見事は
夕景色となった。大同心や小同心がすばらしい。あしたは大丈夫だ。マンガをよ
んだり食後は小屋のひとたちと呑んだりしてすごす。
2-27
 快晴。8時まえに小屋をでる。行者小屋前でアイゼンなどつける。温度計はマ
イナス16度をさしている。上はもっと寒いだろう。
 1時間ほど登って取り付きにトラバースする。ロープをだし、2チームで登るこ
とにする。手も足もかじかんでしまう寒さだ。不思議なもので登り出して身体が
活動しだすと、寒さも飛んでいく。とはいえ吹きさらしのビレイは身にしみる。
 1ピッチ目は3級くらいの岩登り。2ピッチ目はゆるいリッジをコンテで行き、
3ピッチ目は3、4級の岩登り。せいすけはカメラ撮影に熱心でリードはもっぱ
らぼく。川崎、ちゅうコンビもちゅうさんがリードマンに徹している。
この頃になると日陰とはいえ気温があがってきてそのうち日もさしてくる。阿弥
陀岳が見事だ。4ピッチ目もコンテでぬけると、傾斜がおちて、阿弥陀岳よりも
高い地点にいることに気がつく。しばらく登ると頂上へ続くがら場となり頂上に
飛び出した。
 12時くらい。地蔵尾根経由で美濃戸までスピード下山。3時着。
 主稜は、八ヶ岳の主峰赤岳に至る結構なルートではある。岩登り自体は難しい
ものではないが、アイゼンをはいて、ピッケルをもってルートファインディング
しながら安全確実にここをトレールするのはそれなりの総合力がいるだろう。あ
の寒さにも耐えなければ。下界では3月のぽかぽか陽気だったというがそれでも
あの寒さだから、悪天の日には近付かないほうが身のためだろう。
 茅野におり風呂経由焼肉を食べて帰京。

12.27.1998

秋田駒ガ岳,森吉山

秋田駒ガ岳,森吉山 
ガスの中、だれにも会わなかった
 
moriyosi peak
 

1998-12-27,1-2

メンバー omata,harumi,kawasaki、yumi,ひろゆき、汽車、せいじゅうろう、mika,
     五味、なべ



12-28

水沢温泉で朝飯を作り、おいしくいただいて、田沢湖スキー場の駒ヶ岳第3リフトに

乗る。910に歩き出す。30分ほどでスキーからアイゼンにかえ1時間ちょとで男

岳頂上。

ガスで視界悪し。地図をたよりに、夏道どおり横岳とのコルへ。道標をみつけ、阿弥

陀池小屋へ。シュカブラで小屋は真っ白.ケーキの家のよう.

休憩後、女目岳へ.頂上から快適な滑降を楽しんで、八合目小屋経由帰還.乳頭山と、

そこへの道のりが見えた.春にいくのがよいかもしれない.林道をくだり、田沢湖高

原スキー場経由300帰着。

 12月29日

 くもり。あたたかい。山には雪雲が。ゲレンデで遊ぶ半日。夜、せいじゅろう、mika、
ハネダ夫妻入荘。

12月30日
 大白森をめざす。鶴の湯から往復のつもり。雪。雪深く薮濃く小白森下でもどる。ラッセ
ルと新雪滑走をたのしむ。鶴の湯の露天風呂がよかった。五味、なべ入荘。

12月31日 
連日、晴れ間なく、雪が舞う。今日もしかり。午前中、田沢湖スキー場でパウダースキー。
午後、阿仁町へ移動。雪深い打当温泉に入る。

1月1日
森吉山をめざすも、阿仁スキー場ゴンドラ上部駅で吹雪のため出発断念。リフトパウダーを
楽しむ。

1月2日
網張温泉スキー場経由で帰京。渋滞対策効あり、翌朝100帰宅。
連日、雪国の空模様。秋田駒の1日が印象的だった。森吉山はこの時期、好天を望むのは難しい
ようだ。来年3度目のトライをこころみよう。

11.28.1998

伊豆城山ワイルドボアゴルジュ2回

伊豆城山ワイルドボアゴルジュのクライミング
みんな黙々と登っていた
 
1998-11-28.29
メンバー 宮崎、汽車
11-28
9時には城山上の駐車場についた。国分さんグループなどがいる。
ワイルドボアゴージュ左の壁にとりつく。10Cのカルカッタにトライ。最終
の核心でおちる。
宮崎氏のアドバイスどおりやってなんとか登る。トップロープ状態でもうい
ちど。
宮崎氏がジャンバラヤをのぼりトップロープセット。ジャンバラヤ11c/
dとジゴロ11b/cを2回づつ登ったら、腕もはって日が傾いてきた。
クーリングダウンにミッドウエイ壁の10Cの後半(地球の登り方)とりつくが、腕があ
がっていて核心で数度飛び敗退。すごすごと戻る。
夜はメジナの刺身など食す。国分テントで議論噴出。
11-29
昨日の穏やかな天気にくらべ、風がつよく寒い。きのうがよすぎたのか。
チュウブロックにむかい、ストーンフリー10Cから始めるが初見では無理
無理。やっと抜けて、トップロープで復習。
ワイルドボアゴルジュにもどり、昨日のカルカッタをおさらい。レッドポイン
トできた。ロープをまわしてジャンバラヤとカサブランカにトップロープして
登る。砂庭氏きたりてともに登る。クーリングダウンにクロスロード10aを
登りおひらき。

日曜日のせいかクライマー多し。みんな上手だ。黙々と登る姿
はまるで修行僧のよう。にぎやかなアメリカ人グループが浮いていた。国民性
というやつか。砂庭邸で入浴食事。帰京。

1998ー12ー6
今週もみんな黙々と登っていた。

 MEMBER CHU KISYA KAITAKUOU


 前夜に国分氏主宰の大パーティが駐車場で開かれるとのことだったが大雨で
でおくれ、朝いちで現地到着。朝8時すぎだったが、すでに朝の宴会がはじまって
いた。雨のなか30人ほどが結集したとか。
ビールをいただいて、天気が回復しそうなのでワイルドボアゴルジュへと下る。
先週のおさらいをと、ストンフリー10C、カルカッタ10Cと登る。さしたる進歩はなし。
北山開拓王がひらいた、二間バンドのルーフルートを初登りするというのでビレイするが
テンションがはいる。張り出し5メートルのルーフだ。
先週とおなじような顔ぶれが黙々とのぼっている。ここは道場か。
ミッドウエイウオールにくだり、先週敗退した、地球の登り方10Cをレッドポイント、2
ピッチ目をちゅうさんがリードする。見た目より、むずかしい。
ライオンボトムにくだり、北山王がモンビラージュ11Cにトライ。オンサイトはならず。
釣瓶落ちの夕日にせかされるように片づけ。どさんこで魚などたべ、長岡温泉あやめ湯で
さっぱりして帰京。

11.21.1998

北アルプス立山の初滑り

FIRST SKIING IN TATEYAMA NORTHEN ALPS

北アルプス立山の初滑り
毎年行く人も多いようだ

雷鳥沢を滑る
 
11月、やっぱり立山はパフパフだった! 
1995年11月25日
skiing at 97-11-24 
 
暖かい。冬がなかなかやってこない。が。例年初滑りの舞台となる北アルプス立山、今年
もそこはパウダー天国だった。

勤労感謝の前日、11月22日の情報では、ホテル立山の周辺は積雪2センチ! 例年なら軽く
2メートルはあるはずだ。この時点で日本中のスキーヤーが「今年はヤメだ」と立山行を断
念したに違いない。

ところが、KIM同人の3人は「雪は必ず来る」と(ムボーにも)その翌日には立
山へと向かったのだった。立山の室堂駅で、ここのヌシ杉原整氏に出会う。「きのうの夜
30センチ降ったヨ」
「ワッ、ヤッター」とビルの外へ走り出て見ると、いちおう山は白い。が、大岩がゴロゴ
ロしていてパウダースキーどころの話ではない。

 スキーをかついでトボトボと雷鳥平のテント場まで夏道を歩く。テントを建てたあと、
クロカンスキーとしゃれる。岩のない草地のスロープを探してようやく初滑り。ガッチ、
ガーッとスキーが石をこする度に泣きたい気持ちに襲われる。夜はゴシップ談義に花が咲く。

翌土曜日の26日も小雪の舞う中、スロープを求めてクロカン。昨夜のバチが当たったのか
、スキーをおもいっきり傷つける(クソーッ、もう板はボロボロだー)。この広い立山に
、スキーヤーは数人、スノーボーダーも数人、ボロボロの板を持ってみんな複雑な表情を
みせている。名状しがたい初滑り風景ではある。みせている。名状しがたい初滑り風景で
はある。

その日の午後になっていきなり吹雪となり、山は荒れに荒れ、雪は一晩中降り続く。未明
になってテントは完全に埋り、窒息寸前。ヘッドランプをたよりにヤケクソの除雪作業。
やっぱり雪はやってきたのだ。今ごろになって!

1メートルのパフパフパウダーをラッセルすることになる。必死の脱出行で、ようやく室
堂ターミナルヘ転がり込んだのは昼前だった。

                           (KIM同人/I)

1997年11月22ー24日
メンバー 五味、春水、矢野淳、由美、直子、汽車

22日
朝目を覚ますと、まさか、の雨音。昨日みたかぎりでは今年は雪が多い、とおもっていたの
に、この雨で、溶けてしまうのでは。雪と雨では大違いだ。
雨具をつけて一人室堂山へ偵察に。称名川まで滑りくだる。ヒト登りして雷鳥荘へ戻る。3
時間の行程。

23日
朝から雪。後発を迎えに室堂へ。10時にダム方面からあがってきた。そのまま雷鳥荘へ向
かい、小屋前のゲレンデで何本か滑る。

24日
大きな移動性高気圧に覆われ、日本中好天というが、立山はいまいち。雷鳥沢を目指す。剣
御前手前で、雪も悪そうなので滑走開始。
快適な深い雪。写真を撮りながらくだる。
新着の BDの RESOLUTION180センチは極太だけあって、快調。同じく新着のスカルパ T2も足
にフィットして快適だ。
称名川に降り立つころには完璧に晴れ上がっていた。
杉原、中山、保科、関谷氏,四方氏,妙高岡田氏などに出あった。ボーダーも多く、にぎや
かな立山の初滑りだった。

1998年11月21-23日
メンバー 五味,ヒロユキ、ユミ、こだま、つづき、清十郎、汽車、なべ、木俣、湘南ボードクラ
ブなど
21日
朝五時ころ都内をでて10時の扇沢発のバスにのる。扇沢は積雪30センチ。室堂ターミナル
からは吹雪のなか、よろよろと雷鳥沢まで小1時間。
先発、後発とも夕方には全員集合。吹雪のなかの行動でみくりが池の崖に落ちたもの3人、ス
キーを失ったものひとり、と散々だった。この日はおとなしく温泉とお酒でくつろぐ。湘南の
不良たちはテント泊をあきらめ、自炊部屋にはいる。
22日
案に反して快晴の朝をむかえる。朝飯をたべ、有志6人が剣御前をめざす。
9時雷鳥平、10時過ぎにコルにつく。剣沢を滑りたかったが天候悪化のため雷鳥沢をくだ
る。快適なパウダースキーイングが楽しめる。雪が降り始め、1時には帰荘。深夜までくつろ
ぐ。
23日
吹雪きのなか室堂ターミナルへ向かう。930のバスにのり、三洛で昼飯、渋滞の中央道
を帰京。9時都内。


1999年11月21/23

21日 晴れ雲少々 全日雪少々 すでに前日に入っている人で、雷鳥沢は、ずたずた
、あちこち沢山シュプールが刻まれている。 雷鳥荘に寄って、昼出。なが尾根(雷
鳥沢の右側の曲がった長い尾根)へ。まだシュプール少ない。川を渡って、長いフラ
ットな部分を沢の奥まで詰めて右手の沢から尾根に取り付く。ゆみさんぶっちぎり絶
好調、北田さん2番手、少し遅れてひろゆき、川崎さん足つって、遅れる。途中で、
水沢さんとエルベのテレマークグループおりてくる。ピーク下から写真を撮りながら
すべる。沢を滑っては、トラバースしながら、結構長く滑れる。ひろゆき不調、なべ
ちゃんように、カメラを向けられると、転んでしまう。途中で登ってきた妙テレ岡田
さん、小笠原さん、大学さん他10人位とあう。フラットな部分で、エルベの人が、
けがしてて、ヘリではこばれる。平山さんと会う。4時雷鳥荘。

22日 晴天 もうシュプールだらけで、行くところに困る。剣沢へ、向かう。夜遊び
に来た平山さんもいっしょ。気温は低く、雪堅く凸凹でシールで登りにくい。御前小
屋から、剣沢を望む、シュプールは、あるものの、わりときれい。剣沢もまあまあす
べりやすい。大石から、シールで剣御前の方へ、登りかえす。この辺は、天気の安定
した時に、限る。水沢さんが滑ってくる。ジグザグきって稜線に出る。剣をバックに
撮影。北田、白石不調 また、大石近くまで、滑って、登りかえす。雷鳥沢は、もう
ボロボロ、トラバースしながら、室堂乗越へ回り込んで、滑る。雪悪い。剣沢で、も
っと下の面を滑った水沢さんに追い付かれる。3時前?雷鳥荘 人数少なく、足並み
も揃って行動、早い。

23日 曇り 次朗長 子作りスケジュールの為、朝立つ。昼ごろ扇沢、大町温泉、途
中食事、6時半帰宅

1999年11月29/30日
メンバー 松倉、川崎、汽車

 月・火と立山へテレマークに行って来た。
 室堂ターミナルの外は氷点下12度。深いガスに覆われ、視界は100
m足らず。風はさほど強くない。しかし、せっかくやってきたので室堂
山周辺を散策することにした。中腹まで登り、岩陰でツエルトビバーク
のカットを撮る。ガスがさらに濃くなってきたので、早々に下山。
 しかし、下山はなかなかたいへんだった。雪が深くとてもテレマーク
ポジションはとれず、斜滑降・キックターンで下りてきた。
 そんな途中、私の足元が突如ゆっくりとズレてきた。「あれれ」と思
う間もなく、腰がすとんと落ちた。何なんだ? はじめは何が起きてい
るのかわからなかった。お尻は滑っていないのに、私はだんだん下へと
下へと流されているのだ。斜度はごく緩やかなため、歩く程にゆっくり
だが、前を行っていた伊藤さんと川崎さんのいるところから左へ左へと
移動している。まるで魔法の絨毯に乗っているような感覚だった。
 やっと事のしだいがわかった私は「ナダレ、ナダレ」と二回叫んだ。
川崎さんが「早く逃げないと」と叫ぶが、心が動転して立てない。そう
しているうちに魔法の絨毯の流れは止まった。あわてて立ち上がると、
斜滑降で二人の元へと戻った。雪崩はごく小規模で私を乗せた厚さ20cm
で6畳ほどの広さの層が10mほど横滑りしたといった感じだった。
 そのときは不思議な感覚のほうが強く、怖さはなかったが、二人の元
へと戻ると急に恐怖感が湧いてきた。これがもっと急斜面だったら、助
かっていたかどうか・・・。そう思うと、現在進んでいる方角も間違っ
ているように思えてならない。本来のコースよりずっと右の一ノ越から
の谷方面へ向かっているように感じるのだ。伊藤さんに聞くと「大丈夫
だ」と言う。ここは経験豊かな伊藤さんを信じてついていくしかない。
しばらく行くと、夏道の柵に突き当たった。これを左へとたどれば室堂
ターミナルへと戻れると一安心。しかし、伊藤さんはそれを横切り、さ
らに下っていく。
「逆に進んでいませんか?」
 私が言うと、川崎さんもたぶんもっと左だと言う。そこで、伊藤さん
が一人で偵察に行く。しばらくして帰ってくると、「大丈夫、向こうに
ポールが見える」と言う。
「さすが伊藤さん」
 私たちは胸をなでおろしついて行くと、真っ白な空間に高さ5mほど
の直立した黒い影が浮かび上がった。下まで行くと、エビノシッポに覆
われた柱があった。
「室堂山荘のアンテナに間違いない」
 川崎さんが言う。しかし、肝心の室堂山荘は見えない。伊藤さんが再
び偵察に行く。こんどはなかなか帰ってこない。
「遭難てのはすぐ近くまで来ていてたどり着けなくて起こるんだよ」
 川崎さんが脅かすように笑う。
 寒さに震えながら待っていると、突然、左後方から室堂ターミナルの
エンジン音が響いてきた。伊藤さんも戻ってくると「ケルンがあり、み
くりが平という案内があった」と告げた。これでおおまかな位置関係が
はっきりした。再び、伊藤さんが音のしたほうへ偵察に行く。その間、
二人はシールを装着し登る準備。じきに伊藤さんが戻ってきて、頭の上
に腕で大きなマルを作りOKだと告げる。急いで登っていくと、山岳警
備隊の建物がぼんやりと黒い影を見せた。2時間あまりの今シーズン初
の雪中行だった。
松倉一夫/Kazuo Matsukura

11.08.1998

長野鳶岩のクライミング

長野鳶岩のクライミング
グレードが辛い

鳶岩
 
MEMBER CHU YASUDA
1998-11-8

どういう訳か去年とおんなじで朝まで雨が残ってしまい、明星山のクライミングは
中止。10時くらいから日が射してきたので、長野の鳶岩(とびいわ)にまた行っ
てきました。1年ぶり。この前も明星の代替で、う---ん便利なゲレンデです。
何しろ、あったかいし、アプロ-チが2、3分ですから。今回はやや気合が入っ
て、5.8(ハンドクラック)5.9、10b(OS)、10d、11c/dと登
りまくりました。このうち10bと11c/dはエリアを代表する三つ星らしいで
す。11c/dの方はもちろんド・テンションでしたけど、ム-ブは解決できまし
た。それに10クラスまでは辛め、11に入ると急に甘くなる傾向があるみたい
で、この11c/d(吹雪っていう名)、小川なら11aかbです、たぶん。とこ
ろがOSした10bは小川なら10d、まく岩なら10cはあると感じました。
5.9はもっと悲惨でやっちんがえらく苦労してました。僕も前にOSしたときへ
たすっと10aはあるなあって思ったもんです。

グレ-ディングの整合、標準化は、クライミングが明るいスポ-ツになるためには
超大事な課題ですよね。そうじゃないと、クライミングは相変わらず地下の密室に
集まるナルシストたちの感じからブレ-クできないんだろなあって、気がします。
(CHU)

11.03.1998

六甲山の不動岩と保塁岩

六甲山の不動岩と保塁岩
初めての岩場を2つ

堡塁岩
1998年11月3、4日
CHU,KURO,KISYA
11-3
朝8時に伊丹空港で待ち合わせ。朝飯をたべて、くろさんの車で不動岩へ。絶
好の好天、というよりも暑いくらいの一日。
あばたもえくぼ5.10Cを最初にトライ。いきなりカンテをつかんで登るが限定
とのこと。大混雑でルートがあかない。クラシックルートをのぼりピークにた
つ。
原伸也、加藤雅昭氏もくる。ナンバブラザース5.10aにちゅうさんがトライ。
10aとは思えぬムーブでテンションがはいる。トップロープでトライするが
10Cはありそうだった。
正面壁にまわり重箱5.9を登る。快適なルートだった。温泉にいって、神戸牛の
(うそうそ)焼肉をたべて、テント泊。織田ガイドがきて話し込んでいきました。
11-4
堡塁岩へ。中央稜をくだり、凹角ルートを登る。一箇所A0となる。4級プラ
スとのこと。5.9としてほしい。西稜の短いルート(西稜クラック)をちゅう
さんがリードしくろさんが中央稜のスカイフレーク5.9からコズミックライン
5.10aをレッドポイント。フォローしたが怖いルートだった。10aにしては力
のいるルートだ。
クラックのサラマン5.9プラスをトップロープでのぼり、さらにサルカニ上部に
とらい。限定外のカンテにまわりぬける。ボルト位置がいまいちだと思った。
不動も堡塁も古いルートはグレードが辛いかんじがした。
有馬温泉でかんぽの湯にはいり公園でおでんで一杯。時間潰しして、8時に飛
行機にのったら、10時過ぎに自宅についた。はやい。次回はこのやりかたで
小豆島にいきたいものだ。
岩雪143.161参照。

10.31.1998

二子山のマルチピッチ

二子山のマルチピッチクライミング
西岳中央稜

ふたごやま
 
 1998-10-31
 member chu kisya
 
 絶好の日和。6時に家をでて花園インター、長瀞経由、美しい田園をとおり、
 観光化をまぬがれた僻地をぬけ二子林道。4時間近くかかった。紅葉がきれい
 、駐車場には10台ほどクライマーの車がとまっていた。
 中央稜とりつきまで15分ほど。中央稜が大きく豪快に見える。11時すぎに
 登り出す。
 素晴しい秋晴れの日。10.5ミリロープでのぼる。バックロープに9ミリをつけて
 いく。手の切れるような石灰岩を快適にのぼり、5ピッチほどでぬける。2時
 間ちょっと。プロテクションもしっかりしていて、フレンズなどはあまりつか
 わなかった。天気がよければ秋から冬にかけて本ちゃん風のマルチピッチクラ
 イミングが楽しめるところだ。友達とちょと遊びにいくのによいだろう。
 懸垂下降で取りつきにもどりランチ。近所にあるショートピッチをのぼる。開
 拓心理学という北山開拓王の5.10a。良いルートでした。ホコラエリアに寄り
 1本ともおもったが、登れそうなルートには先客がいて、見学して写真をとっ
 て退散。プラナンの岩場にそっくりだった。いつかここにもトライしてみよう
 。
 静かできれいな山だからハイキングしても楽しそうだ。小川山にいくのと時間は
 変わらないがくねくね道のドライブがかったるい気がした。でも高速道路代は
 半分以下。